ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

僕は友達が少ない

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

いかめしい顔は変態の証

大衆は、昔から、有名人のスキャンダルが大好きだ。
有名人は、たとえ「おかしな人」を売り物にしているようなタレントであっても、いざ問題を起こすと、真面目な顔で「社会人として未熟でした」と謝罪しなければならないように、そんな連中だって、実は立派な人間であるということが有名人の前提である。ましてや、政治や宗教の偉い人、大事業家、いわゆる大物俳優、大物歌手であれば、人格者でなければならないし、彼らもそんな人間を演じている。
つまり、スキャンダルの面白さは、表向きの立派な人間という顔が泥にまみれるということであり、公的な立派さと実際のギャップという訳だ。
もちろん、誰しも欠点はあるが、スキャンダルを報道する者も、それを楽しむ者も、自分のことは棚に上げるし、自分は凡人で収入も少ないということが免罪符になっているとしているのだろう。勝手なものである。
いや、有名人のスキャンダルは、常人には有り得ない凄いものが多いと言う人もいると思うが、それは、常人は、金や権威の点でそれをやれないからで、そういった世俗の力があれば、私なら確実にやっていると思うようなものが圧倒的という気がするのである。

ところで、有名人のスキャンダルを楽しめるのは、いわゆる大人だ。
ある程度純粋な若者なら、面白いよりもがっかりするし、子供のように純粋ならショックを受けて人間不信になりかねない。
有名人に限らず、立派であると信じていた人が、実はそうでないと分かった時も同じだ。
尊敬していた父親に愛人がいたとかの深刻なものでなくても、母親が立派なお菓子を隠して自分だけ食べていたということを知ってしまう子供なんて案外に多いが、そんな時は、普段、母親が立派なことを言っているほど、人間不信に陥る度合いも高くなる場合がある。これも一種のスキャンダルだ。

いかめしい顔をしているような人は、それなりに尊敬されていることが多い。だが、いかめしい顔をした宗教の偉い人なんて、みんな性的変態である。だって、そんな引け目でもない限り、人はいかめしい顔なんて出来ないものだよ。つまり、いかめしい顔をした人は、みんな変態もしくは逸脱者と思って間違いない。そう理解していれば、いざという時のショックも少ないではないかな。
一応断っておくが、人は誰でも、大なり小なり、変態で逸脱者だ。

平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、ヒロインの三日月夜空(高校2年生の美少女)は、友達がいないのでエア友達(エアギターの友達版)を創り、その同姓の友達に「トモちゃん」と名前を付けていたが、「トモちゃんは、可愛くて、優しくて、頭が良くて、運動神経が抜群で・・・」と褒めちぎった後、「そして、絶対に裏切らないのだ」と言うところが、実にピュア(純粋)だ。
夜空のような人がいるなら、実は、人間に対して、夢を持ち過ぎているのだろう。だが、それは間違いでもあるが、ある意味、正しいことでもある。小我としての自分に夢を持ってはいけないが、真の自分は予想をはるかに超えている。

一番の問題は、スキャンダルを起こす者も、それを楽しむ者も、それを知ってショックを受ける者も、みんな、自分とは何かが分かっていない。それは、本当の自分を知らないということだ。
真の自分を知っている者は、スキャンダルになるような行為にさしたる興味は無いし、他人のスキャンダルを、面白いとも思わず、ショックも受けない。
スキャンダラスな行いに惹かれるのは誰か、スキャンダルを喜んでいるのは誰か、スキャンダルにショックを受けているのは誰か?
それを野放しにせず、追い詰めれば、それは消え、真の自己が輝く。いかめしい顔は不要になる。それが原理である。









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心身を高揚させる食の力を得るには

食というものは、単に肉体を養うだけではない大きな力がある。
フランス料理の名シェフだった、村上信夫さんが、第2次世界大戦中、シベリアで旧ソ連の捕虜として(いわゆるシベリア抑留)生活を送った時のことだ。
ある夜、ソ連兵に呼び出され、彼らと一緒に1つの部屋に行くと、全身を包帯で巻かれた日本兵がベッドに横たえられていた。
ソ連兵は、「この日本人は明日の朝までもたない。最後に何か食べさせてやれ」と言う。
村上さんは、その瀕死の日本兵に、「何が食べたい?」と聞くと、彼は、「パイナップル」と言う。そんなものがあるはずがなかった。あるのは、ただリンゴのみ。村上さんは、リンゴをパイナップルの形に切り、砂糖で巧妙に味付けした。
出来たものを、村上さんは、その日本兵に食べさせてやると、彼は全て食べたのだった。
そして、村上さんは、彼と永遠の別れをする。
それからしばらく経った時、村上さんが捕虜施設の中を散歩していると、誰かに呼び止められた。見ると、なんと、あの時の、死んだはずの日本兵である。彼は村上さんに言った。「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようと思ったのだ」。
あのリンゴのパイナップルは、村上さんの得意料理となった。

平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、10年間、友達がいない、高校2年生男子の小鷹が、たこ焼きへの思い入れを熱く語る場面がある。大阪に住んでいた時(彼の家はよく引っ越した)、彼が周りに馴染めず塞ぎ込んでいた時、父親が買ってきてくれる名店のたこ焼きだけを心の支えにして生きていたと言う。
著者にも、似た経験があったのかもしれない。

江戸時代の大観想家、水野南北は、人の運勢は食の量の多い少ないで絶対的に決まると断言した。現代でも通じる最高の観想法(顔や身体の相で運勢を鑑定する占術)で数万人の人間の運命の鑑定をした彼が、観想では百発百中ではないが、食の量で鑑定すれば、万に1つの誤りもなかったと言う。
彼自身、18歳くらいで牢屋敷(現在の刑務所)に入れられ、そこを出てから、あるきっかけで厳しく食を慎み、運勢を大好転させ、75歳の長寿を裕福で幸福に過ごし(弟子は千人で、妻は8人だった)、天皇から貴族にまで叙せられた。
ところで、南北は部類の酒好きで、「存分に楽しんでいる」と言っていた。彼が1日に飲む量は、1合(約180ml)と厳しく決めていた。日本酒を軽くコップに1杯である。現在でも、酒好きなら、この数倍を呑むだろう。しかし、1合であるから、大いなる喜びなのである。

私は2007年8月に、それまで大食で肉食だったのが、不意に1日1食の菜食で、一切の間食もやめた。当初は、少しばかりやり過ぎの少食で、1日1回の食事は、米半合、豆腐1丁と漬物程度であった。食事の時には、ほとんど飢餓という感覚であり、それだけの食事が天国の食事に感じた。
ある頃から、やや糖分不足と思えたので、毎朝1個の黒砂糖を食べることにした。大好きな甘いものを絶っていたこともあり、その黒砂糖が、感動を超え、震えが来るほどに美味しかった。それだけを支えに生きていたと言って良いだろう。
一方、好きなだけ食べていた時の食事には、本当の喜びは何も感じていなかったに違いない。

また、水野南北も実際は気付いていたに違いないが、食欲を克服することで、神秘力とでも言うしかないものが確かに備わる。
南北が、「食が全て」という啓示を得たのは、伊勢で20日の断食と水行の荒行を敢行した後、伊勢外宮に安置されている、食の女神、トヨウケビメの前であった。
南北は、食と運命の関係の根拠は、仏教の経典、法華経の中にあるという。
また、南北は仙人からも直接教えを受けていたと言われる。彼は、文字は読めないので、口伝で集中的な教えを受けた後は、全て実践で確かめた。

2万年前に、アトランティスの神官トートによって書かれたという、純粋な『エメラルド・タブレット』(後にヘルメスが、その時代の人々に合わせて程度を落として書いたものが一般に知られているエメラルド・タブレットである。ヘルメスはトートの転生である)にも、食欲が魂を束縛するのであり、食欲を克服することで、魂を解放することが書かれている。
人類最高の聖典であるに違いない『バガヴァッド・ギーター』には、至高神クリシュナは、アルジュナ王子に、「食べ過ぎてはいけない。しかし、少食過ぎてもいけない」と言ったと書かれている。
そして、現代随一の聖者と言われるラマナ・マハルシは、日常で最も優れた行となるのは、「清らかな食物を適切な量食べること」と言った。マハルシは、肉、魚、卵を一切食べなかった。(ただ、ミルクは良いとした)

日常、十分に食を慎みつつであれば、何か1つ、適度な量の「楽しむための食」は、心と身体を高揚させる素晴らしい恵みとなるであろう。
スポーツ選手の活躍を見て、継続する勇気や元気を得ることなど実際には無いが、それであれば、実際的な勇気、元気、あるいは、心の支えとなることは、上に述べたいくつかの話からも、そして、私の経験からも明らかと思う。









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真の友や恋人が、なぜ世界を輝かせるのか?

「世界が輝く」とか、「明るい未来」、あるいは逆に、「暗い過去」などといった表現を見たことがあると思うが、明度(明るさ)で、幸福や不幸といった状態を表現するとは面白いことである。
そして、人間はなぜそのような表現をするようになったかを本気で考えたのが、NLP(神経言語プログラミング)という、自己開発技術を開発したリチャード・バンドラーである。
これに関する、NLPの簡単だが面白い手法をあげれば、今では色褪せてしまった楽しかった時のことを思い出す時、心の中で、その情景の明度を上げれば(上げすぎてはいけない)、その幸福感が蘇ってくるのだ。素晴らしかったはずの思い出が、記憶の中で暗くなってしまっていることが、不幸の原因だったのである。
この方法を使えば、お互いに飽きてしまった夫婦や恋人に、再び、情熱が蘇るのだ。

ときめきがやすらぎに変われば
刺激というスパイスだって必要かもね
~ZARD『君がいない』より(詩:坂井泉水)~

刺激はいけない。どんどん強い刺激が必要になり、すぐに破綻する。
必要なのは、刺激ではなく、お互いを思った時の明るさである。

だが、バンドラーは計算機科学者らしく、パターン・マッチング(後述)による考え方はするが、その本質の原因については、深過ぎて分からないと判断したのか、あるいは、自己改善のためには実用的でないと考えたのかもしれないが、探求しなかったように思う。
つまり、「こうすればこうなる」といったことが最優先なのだ。

パターン・マッチングとは、例えば、「太郎は可愛い女の子が好き」「花子は可愛い女の子である」といった条件があれば、「太郎は花子が好き」となるといったものだ。
天才とはどういうものかという、パターン・マッチングのルールを構築できれば、凡人がそのルールを取り入れれば天才になれるのではないかというのが、多分、バンドラーの考え方だろうし、世俗的な天才(天才的経営者や天才的スポーツ選手等)という意味では、かなり成功しているのだと思う。
このパターン・マッチングは、コンピュータの人工知能の分野で使われる手法で、バンドラーも、これを応用させたのだろうと思う。

さて、バンドラーは探求を避けたかもしれないが、なぜ、世界が輝くと幸福なのだろう?あるいは、幸福だと世界が輝くのだろう?
実は、これはとても重要なことで、NLPを超えたものだ。
あなたは、世間での天才の概念を超えた天才になるかもしれない。

では、それを、なんとか面白く説明したいと思う。

このブログでよく引用するが、平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、主人公の高2男子の小鷹が、小学1年生だった10年前、彼の親友にこう言われた。
「母さんが言ってた。百人の友達なんかできなくていいから、百人分、大切にできる友達を作りなさい。そうしたら、人生は輝かしいものになるだろうって」
小鷹は、全くその通りだと思い、感激する。

さて、この親友が言った言葉が真実だとする。
1人の真の友がいれば、人生は輝く。別に恋人だっていいだろう。
しかし、それはなぜだろう?
それは、世間では、考えるようなことではないだろう。いや、考えて分かることではない。
だから、学校の試験や受験には決して出ない。
しかし、とても重要なことなのだ。

真の友、真の恋人は、とても近いものに感じるのではないだろうか?
「お前のことを他人と思えない」といった言い方をすることがある。これも、その相手を、家族のように身近に感じるという意味だろう。
そして、大切な友や恋人であればあるほど、自分に近いのだ。
逆に、家族であっても、仲が悪ければ遠くに感じるに違いない。
本来、人間は、イエスや釈迦や、あるいは、彼らと同等な存在に逢えば、不思議な感覚に陥る。イエス等と自分が1人になったように感じるのだ。
ラマナ・マハルシが生きていた時(亡くなってからもだが)、ほとんど会話をしない彼の元に、世界中から多くの人が訪れた理由は、その感覚を求めてのことだ。
真の友は、その人にとっては聖者のような存在である。
では、聖者とは、どのような存在なのだろう?それが分かれば、真の友とはどのようなものかも分かるのである。

ウラジミール・ナボコフの小説作品『ロリータ』のことは知っていても、実際に読んだ人は少ないと思う。
小説中、「私は」と、一人称で語る主人公のハンバートは、性的倒錯者の一種である少女性愛趣味(いわゆるロリータコンプレックス)であるが、少年時代には、アナベルという名の、同い年くらいの恋人がいた。彼らは、本当に愛し合っていたが、障害が多かったし、アナベルは病気で死ぬ。ハンバートは、11歳のロリータ(ドレーレス)は、アナベルの生まれ変わりのように言うが、それは、妄想ではあるが、真実でもある。ただ、話が複雑になるので、その点には深入りしない。
ハンバートとアナベルが過去の日記を見せ合った時、同じ日に、部屋に小鳥が飛び込んでいることが分かった。
これは、実際によくあることなのだ。
もし、本当に親しい友や恋人がいれば、確かめてみれば、そのようなことは案外にあるものだ。ハンバートのものと違っていても、何かの点で、奇妙な一致があるのだ。
つまり、お互い、近くに感じるというだけでなく、本当に、真の友や恋人は自分に近いものなのである。
尚、映画『ロリータ』では、キューブリック監督作品では、アナベルは登場しないし、ライン監督作品でも、ほんのわずかの登場である。映画構成上は仕方がなかったような気もするが、大事なエピソードを失くしてしまったのかもしれない。

真の友や恋人は、物理的には外にあっても、他人ではない。本当に自分自身だ。2人は別のものではない。同じものだ。
確かにそう感じるのではないだろうか?
しかし、本当のことを言えば、この世に、自分と異なるものなど何もない。
だが、ほとんどの人や物に対しては、それを全く感じることができない。嫌いなものであれば、遠いものに感じるだろうし、近くにあれば、遠ざけようとするだろう。
そして、遠ざけたい嫌いなものが多いほど、この世、あるいは、人生は暗く不幸なのである。

真に親しい友や恋人を近く感じ、一瞬でも、自分と同じものだと感じた時、物理的な距離は幻想であることを直観するのだ。
そして、他のものも、もしかしたら、自分と同じものではないかという思いが浮かぶのである。なぜなら、それが真理だからだ。

我々が何であれ、対象を認識する時、本当は、自分を見ているのだ。
本当の自分は、この身体に限定されたものではない。それどころか、どこにでも在り、全てに偏在する。あらゆるものに形を与えているのは、実は自分である。
現在の人類の量子力学は、この真理の初歩の段階に至っている。
量子力学では、見ている者が、「何を見ようとしているか」によって、見るものが変わってしまうことが分かっている。そして、実は、自分が、見る対象を変えてしまうのだ。見ている対象は自分でしかない。だから、自分が変われば、それが変わるのは当たり前のことである。

そして、これが肝心であるが、「本当の自分とは、光り輝くもの」なのである。あるいは、本当の自分とは、光そのものであると言える。問題は、この「光」を、人間の言葉でうまく定義できないことだ。だが、もし、真の自分を人間の感覚に変換すれば、金色に輝くものと認識されるのであるに違いない。
仏教で阿弥陀如来を、無量寿光という、宇宙を照らす無限の光であると言ったり、神道では、天照大神を光輝く日の神であると言うが、やはり、光という表現を使わざるを得ないのである。
つまり、人の真実の姿は、神や仏と異なるものではないということだ。

自分が光り輝くものであり、あらゆるものが自分と異なるものでないなら、世界は、あるいは、世界が舞台である人生は、本来は、輝いたものである。
真の友や恋人がいることで、ここまでの結論が、知的にではなく、直観として導けるのである。

『僕は友達が少ない』で、小鷹は、10年前の親友と別れて以来(小鷹が引っ越した)、友達は1人もできなかった。その意味では、彼の人生は決して輝いてはいなかったが、彼は、きっと別のもので、自分と一体であると感じられるものがいくつかあったに違いない。
例えば、彼の得意な料理とか、ちょっと手間はかかるが、可愛い妹の面倒を見る時などである。

ミュージカル映画の傑作、『サウンド・オブ・ミュージック』の中で、『Something Good』(何か良いこと)という歌に、「辛く惨めだった子供時代や青春時代であっても、何か真実の瞬間があったに違いない」という意味の歌詞がある。
それが、何か輝くものを見つけた瞬間なのだ。輝くものとは、外部にあるように見えるものの中に見た、自分である光だ。そして、それを見ることが、至上の真理を見たということなのだ。

小鷹が、10年振りに、あの親友に逢った時の場面を、アニメでは、明るく輝く光の中に描いていたし、小説の挿絵でも、イラストレーターのブリキさんは、モノクロ2色であっても、明るい光を表現していた。その表現がまっとうであるのは、それが、自然であるからだ。自然であることこそが真実だ。我々の知る言葉で、「自然な」という言葉ほど肯定的に感じる言葉があろうか?

真の友、真の恋人、聖者は、時間や空間が存在するという幻想を壊し、全ては同じものであり、それは自己であり、何かを見ている時は、自己を見ているに過ぎないという直感的理解に至らせるのである。
老人は、孫を見る時、自分を見ていることに気付いているのだ。「目の中に入れても痛くない」のは当然であり、既に入っているとも言える。
心からの願いが叶った時、人は、世界を身近に感じている。それは、自分と世界が異なるものではないことに気付いているということだ。そのままでいればいいのに、別のもっと欲深い願望を起こすことで世界を遠ざけるのである。なぜなら、人が欲しがるものは、遠くにあると思っているからだ。

漫画で札束を描く時、それが好ましいものであれば、光を帯びて描かれるだろうし、不浄の金であれば、暗い雰囲気に描かれる。
成功法則では、「お金は汚いものだと思っていたら、お金は手に入らない。お金は良いものであると思いなさい」と言うが、肝心なことを教えていない。お金が汚いものだという観念を変えることなんて、極めて難しいことだ。どうすれば、そんなことができるのだろう?
それには、光り輝く札束を想像することだ。そうすれば、お金を好きになるし、お金は望まずともやってくるのである。これは、NLP的発想である。
しかし、光り輝く札束を想像するようになれば、あまりお金を欲しいとは思わなくなるだろう。
全ての全てである真の自己が何を欲しがるというのだろうか?









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あの愛すべき10人の男達をなぜ笑うのか?

川を渡った10人の男達が、全員無事であるかを確認しようと、仲間の数を数えるが、何度数えても9人しかいなかったというお話をご存知と思う。
言うまでもなく、彼らは、自分を数えることを忘れているので、当然ながら1人足りないのである。
「あいつが流されたんだ」と誰かが言うと、10人の男達が、それが誰だか分からないのに、悲しくて泣き出してしまう。

小学校などでは、この10人の男達が馬鹿だと子供達に言わせて、皆で笑ったりするのだろう。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?

こんな男達というのは、決して、仲間を失わないのだ。

学校の遠足などで、迷子になる子がよくいる。
家族で遊園地に行っても、子供が迷子になることはよくあることだろう。
どんな場合にそれが起こるかというと、迷子になる子にも落ち度はあるのだが、他の子供達が、その子のことをどうでもいいと思っていたり、親が、自分が楽しむことに夢中で子供のことを忘れてしまっているのだ。
つまり、自分のことはしっかり忘れないが、他の者のことを忘れた時や、注意を払わない時に、誰かが孤独になったり、遭難したりするのだ。

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』には、「あらゆることを、自分を勘定に入れずに」とある。
自分を勘定に入れない者は、他の者を見失わないのである。
なぜなら、自分を勘定に入れないとは、無私であることであり、自分を捨てていることであり、それは、他人を優先し、他人を気遣うことなのだからだ。
他の者のことをどうでもいいと思う者と、自分のことをどうでもいいと思う者。その気高さの違いが分かるだろうか?

私が大好きな、平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』の中で、三日月夜空(高2女子)は、中学2年生の時に校外活動で遊園地に行った時に、1人で1日中レストランで本を読んで過ごした思い出を話す。友達がいない者には、遠足や修学旅行などは、れっきとした拷問である。
高校2年生になった夜空は、致命的に仲の悪い、同じ学年の女子、柏崎星奈と張り合って、2人で、最大クラスのジェットコースターに8回乗り、2人とも吐いてしまって遊園地の従業員に苦言を呈される。だが、2人とも、身体は辛くても、本当は、気分は楽しかったことだろう。
昔は、誰にも数に入れてもらえなかった自分に、本気で向き合ってくれる人がいるのだから。実際、私には、この2人はどう見ても、ただの仲良しさんにしか見えないのだ。

イエス・キリストは、「百匹の羊は放っておいても、一匹の羊を探しに行く」と言った。
百匹の羊は安全だが、孤独な状況にある羊は危険だからだ。
夜空は一匹の羊だった。
学校は、イエスと違い、一匹の羊には構わないし、いなくなればいいと思っている。だから、いじめも黙認する。学校でも、その他の世間でも、異分子は邪魔者でしかないからだ。

10人が川を渡った。
1人が流されてしまい、岩にしがみついていた。だが、他の9人は気付かない。自分のことしか考えていないからだ。
岩にしがみついていた1人は、やがて力尽き、川に飲み込まれて沈んだ。
よくある話である。
私は、愛する夜空を溺れさせたくない。だから、一匹の羊のために百匹を失うことになってもいいと思う。









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個性的なアウトサイダーはどう生きるか

いじめの本質とは、「出る釘を叩く」である。
特に、学校というものは、「前に倣え」つまり、皆が同じであることで秩序が保たれている。
学校とは、「目立つやつ」、すなわち、「変わったやつ」は、決して許されない所なのだ。
いじめにあった子供が自殺した時でも、学校は、「気付かなかった」「いじめと認識していなかった」と言うが、あながち嘘ではない。
学校にとって、いじめは、秩序維持のための好ましい現象であり、出来る限りそれを黙認しようとするものなのである。

岡本太郎は激しくいじめられた。超個性的であったからだ。生徒はもちろん、教師にも徹底していじめられた。個性は、学校の秩序を乱すのである。

森山風歩さんは、筋ジストロフィーという、筋肉が無くなっていく病気のために、歩き方がおかしいということのために、クラス総動員のいじめに遭った。もちろん、教師に相談しても無駄だった。普通でない子の存在を許さない学校では、どんないじめも黙認される。教師の信頼厚い優等生もいじめに参加したが、不思議なことではない。それが学校である。

『火星人地球大襲撃』という映画で、地球人類をはるかに超える文明を築いていた火星人が滅びた理由が明かされる。それは、火星人の中にもあった、異分子を許さない性向だった。

ジャイアント馬場さんは、学生の頃から並外れて大きかったが、目立たないように、いつも小さくなっているおとなしい少年だったのは、目立つと危ないことを感じていたからかもしれないと思う。そんな馬場さんをなめてか、1人の男子生徒が、身体のことで馬場さんをからかったことがあった。馬場さんは、号泣しながら、その男子生徒をやっつけたという。腕力・体力では当時から桁違いだったが、それでも馬場さんは身体のことで強い劣等感を持っていたのだった。

他人と同じようでなくて辛い目に遭っている人はいるだろう。
では、そんな人はどうすれば良いかというと、方法はただ1つだ。
それは、自分が異分子を受け入れることだ。

ジョディ・フォスターが14歳の時に主演した『白い家の少女』という映画がある。
ジョディが演じたリンという少女は、自分の考え方をしっかりと持ち、自分の個性を大切にする、利発で大人びた美少女で、まさに、ジョディに相応しい役だった。
詩人であるリンの父親は、リンに、「大人は個性的なお前を決して認めない」と言ったが、それに対応するための、父親の遺言となったアドバイスは、「賢くなって戦え」だった。
だが、それを守ったリンは、2人の大人を殺すことになる。
原作小説でも映画でもそうは言わなかったが、父は愚かだった。

私なら、こうアドバイスしただろう。
世界の所有者として振る舞いなさいと。
それは、次のようにすることだと。
どんな人の行いも、それをすることを許しなさい。
どんな出来事も、それが起こることを許しなさい。
どんな人の個性も認めなさい。
お前が見下したり、攻撃したりしない限り、誰もお前を害したりできない。

許せない人間が存在する限り、あなたは自分が世界の所有者であることを思い出せない。
認めることができない人間がいる限り、あなたは魔法の力を手にしないのである。

小説・アニメの『僕は友達が少ない』で、美少女で成績抜群だが友達がいない三日月夜空(高2女子)は、ギャルゲー(ギャルゲーム。魅力的な女性が売り物のゲーム)に陶酔する星奈(高2女子)や、ボーイズラブ(若い男同士の同性愛)等に熱狂する理科(高1女子)に顔をしかめたり、見下すようなことをしなくなれば、いやでも、男にも女にもモテモテになるだろう。
主人公の小鷹(高2男子)は、夜空や星奈に比べれば数段進歩しているが、「不味いたこ焼きを平気な顔で売っているやつは赦せない」と言わなくなれば、不器用でも友達が作れるに違いない。
彼らより、もっと不利な条件で、同姓、異性の友達が多い者など、いくらでもいるのである。

岡本太郎は、小学校の同窓会で、「君にはよく殴られたなあ」と言いながら、かつて自分をいじめた相手と酒を飲むまでになったが、閉鎖的な日本の画壇も認めればよかったと思う。そうであれば、病魔に侵されることもなかったかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


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手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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