ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

僕は友達が少ない

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人生は先払い

あらゆるものごとの成就は、「支払って受け取る」というだけのことである。
ただ、「どんな受け取り方になるか」、時によっては、「何を受け取るか」が分からないこともある。

ドワンゴの川上量生会長はブログで、ひきこもりに対し、「身体を動かしておけ」、早い話が、「身体を鍛えておけ」と述べていたと思う。
チャンスが来た時に、身体が満足に動かないと、あるいは、体力がないと、何も出来ないからだ。
川上会長は書いておられなかったが、チャンスは来るのである。それに備えなければならない。
どんなチャンスかは分からないが、必ず来る(信じるしかない)。
スティーブ・ジョブズは、「今やっていることが、将来につながる。どうつながるかは分からない。だけど、信じるしかないんだ」と、あの有名な、スタンフォード大学での卒業講演で言っていた。

『僕は友達が少ない』という小説で、「性格以外はパーフェクト」というヒロインの一人(どんだけ性格が悪いのか…)、柏崎星奈は、長谷川小鷹に水泳を教わる動機を、「夏美が現れた時、泳げないと困る」と言ったが、夏美とは、ゲームキャラクターで、星奈のお気に入りのバーチャル少女である。
お馬鹿な話ではあるが、それが星奈の「チャンスに備えること」であり、夏美には会えなかったが(当たり前だが)、結局、それは星奈が友達を作るのに役立った。
まさにジョブスが言った、「それがどうつながるのかは分からない」であり、つながると信じるしかないが、必ずつながるのである。

敬愛すべき、初音ミクさんのお父さんであるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が講演会で言われていた、「好きなことを続けていればセレンディピティ(偶然の幸運)が起こる」は、さらに積極的な考え方だ。この場合は、その「好きで続けていること」が、将来、どう役に立つのか分からないし、役に立たせようという気もないかもしれない。しかし、そんな場合の方が純粋で、より大きな力になるのかもしれない。何といっても、伊藤社長はそれで、この世で最も尊い存在である初音ミクさんを生むことになったのだから!
スティーブ・ジョブズは、大学を中退した後も大学に留まり、厳密に言えば(普通に言っても)違法だが、大学のカリグラフィーの講義が楽しくて熱心に受講していたが、そのカリグラフィーの知識が、後にマッキントッシュを作る時に役に立ったのである。

私は、朝晩、トレーニングをして身体を鍛え、いつミクさんと会っても大丈夫なように備えている。
そのうち、ミクさんと銀河旅行をしているだろう。

この秘訣は、1日何度使っても構わない。
何が起こるか分からないが、「予想もしない良いことが起こる」と期待すれば良い。
私も、自分の力ではどうすることも出来ない問題を抱えていたが、「予期しないことが起こる」と心で唱えていた。
すると昨日、とんでもないことが起こり、まさに、道が開いた。
そのために、普段から、ちょっと支払っていれば・・・まあ、積み立て預金みたいに何かを続けていれば良いのである。









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夜空も星奈も少しも悪くなかった

ライトノベル(ラノベと略されることが多い)というものを読んだことがない人も多いだろう。
別に、ライトノベルという小説の分類が本当にある訳ではなく、中学生や高校生を「一応の」主要な読者と想定した小説・・・程度の意味である。
日本の歴史的な小説作品になったともいえる、筒井康隆さんの『時をかける少女』は、1965年に中学生・高校生用の雑誌に連載されたものだが、今ならライトノベルの範疇に入るだろうし、最近は、筒井さんは自ら、これはライトノベルであるという作品を出したりもしている。

私が全巻読んだライトノベルの中に、『僕は友達が少ない』(平坂読著)がある。第1巻が出たのが、ほぼ7年前の2009年8月で、最終11巻が出たのが昨年(2015年)の8月だ。
私は、2012年6月に出た8巻までは紙の本で読んでいるが、9巻以降は電子書籍で読んでいる。
登場人物の高校生達は、最初の頃は、普通にフィーチャーフォン(ガラケー)を使っていた。第1巻が出た2009年は、まだスマートフォンの普及率が1%台という時代だった。
そんな中で、物語は、ほとんどが、主人公の羽瀬川小鷹が高校2年生から高校3年生までのお話であるから、いろいろ矛盾が出てくるのも仕方がなく、作者も大変だったろう。
(そのような事情は、『神様のメモ帳』の最終9巻(2014年)のあとがきで、著者の杉井光さんが、細かく書かれていた。)

『僕は友達が少ない』のヒロインの1人である柏崎 星奈(かしわざきせな)は、所属する聖クロニカ学園の理事長の娘で、家は富豪である。
星奈のキャッチフレーズは「性格以外はパーフェクト」だ。
つまり、容姿端麗の絶世の美少女で、金髪碧眼、成績は常にトップ、その上、スポーツ万能だが、性格に大いに問題がある。
(父親が日本人で、母親が西洋人ということだが、本当はそれで金髪碧眼の子供が出来る可能性は、ほぼないらしい)
自分を選ばれし人間と断言し、他者を「愚民」と蔑むが、実際、それだけの容姿と能力があるので誰も文句を言えない。
しかし、当然ながら、他の生徒達に敬遠され、友達は1人もいない。
多くの男子生徒達が、彼女を「星奈様」と呼び、崇拝の対象にはするが、あくまで、女王様と家来の関係だ。
まして、女子生徒達には、ほぼ圧倒的に嫌われている。
そんな星奈も、修学旅行のグループ分けなどの時には、一緒になってくれる女子がいないなどの切実な悩みはあり、友達(特に女子の)が欲しいとは思っているが、だからといって謙虚さを見せて譲歩することは全くない。
主人公の羽瀬川小鷹も、星奈の性格の悪さには、ほとほと呆れることも多い。

だが、考えてみれば、星奈が悪いとは全く言えない。
これほど優秀な子が、他の生徒達を疎ましく思ったとしても、それは仕方がないことだ。
彼女のIQ(知能指数)は、推測すれば160以上だろう。
そんな人が、普通どころか、少々優秀な人であっても、彼らをはっきり自分よりはるかに劣ると認識し、また、話が合わないのは当たり前のことだ。
それでいながら、さしもの星奈も、数には敵わないということもあり、窮屈だったり、時には理不尽な想いもするのだから、自分の美点を振りかざして、自分の価値を示したがるのは、この年では無理もないと言える。

メインのヒロインである、三日月夜空のキャッチフレーズは「容姿以外はいろいろ残念」だったと思う。
彼女は、星奈ほどではないが、やはり素晴らしい美少女で、勉強も運動も優秀だ。
もっとも、夜空自身は、自分が星奈に劣るとは全く思っておらず、星奈に堂々対抗し、星奈に対し、「馬鹿」「頭が悪い」と言い、実際、狡知に長けた夜空は、星奈を見事にやり込めることが多い。
そんな夜空と星奈は、優秀な美少女同士、仲良くすれば良さそうなものだが、実際は、最悪の仲であった。
そして、夜空も、他の生徒達と全く馴染まず、クラスで孤立しているが、中学時代から、遠足に行った先の遊園地で、終日、レストランで1人で本を読んでいたなど、悲惨な思い出が多く、友達が欲しいと密かに思っている。
夜空のIQは推定135以上。
全く努力をしなくても楽々トップの成績が取れる星奈とは違い、多少の努力の成果としてトップクラスの成績を続けているのだと思うが、やはり、そんな夜空も、普通の子達と話が合うはずがなく、無理に仲良くしても苦痛なはずだ。

まあ、美少女だからというのも大いにあるだろうが、読者は、いかに性格が悪いことを示す行状を見ても、夜空や星奈を嫌いにはなるまい。
また、まるで仇同士のような、夜空と星奈の争いを、微笑ましく見る向きも多いと思う。
そして、本当は、この2人は、むしろ被害者で、実際は少しも・・・と言えなくても、「あまり」悪くない。
IQが高い人間の生き難さ、悩みがよく現れているが、今の世の中では、そんな道理は、言ってはならないタブーとして隠されている。
しかし、「優秀なものは仕方がない」ということを認めてしまえば、良いこともあるだろう。
別に、我々凡人が優秀な人達に平伏(ひれふ)すというのではなく、違いを事実として認めることは、やはり大切である。
でないと、1つには、可能性があるに関わらず、我々が、優秀な者を目指すこともしないだろう。
また、偏差値の高い中学に入れるような子は、実際、IQが高いのは事実だが、そんな子達も、大半が二十歳までに凡人になり、それ以降では、凡人にすら劣るようになる場合も少なくないのは、やはり、優秀さの認識に問題があるからだ。
世の中にある常識的な方法では、凡人が高いIQを持てるようになることは、これはもう全くない。
だが、現在の人間の潜在能力の大半は、一生使われないままなのであるが、それは、やり方によっては明らかに使用可能なのである。しかし、そのやり方は、今の世の中では、とても非常識と思えるものなのである。









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神の子孫の王家に伝えられた英知

以前、有名な英文学者の加島祥造氏が、「私は英訳された老子を読んで老子が分かった」と書いてあるのを見て、私は、加島氏が老子を分かっていると思い込んでしまったことがある。
よくある話かもしれない。
あなたは、そんな間違いをしてはならない。

老子の話は、次の軽いお話の後に続ける。
初音ミクさんの『独りんぼエンヴィー』という歌がある。
エンヴィー(envy)とは、「ねたみ」「嫉妬」「羨望」という意味である。
詩も曲も、ひどく陰鬱な歌で、ホラーまがいの動画も複数創られているほどだ。
この歌は、親に顧みられない、孤独な小さい女の子の悲壮な歌と思っても、そう間違ってはいないと思う。
そういうお話に弱い人なら、泣ける歌だと思う。
ところで、私は、実際に、そういう6歳の女の子を知っていた。
別に、その子が親に相手にされていないと聞いた訳ではなかったが、すぐに分かった。
驚くほど可愛い、そして、頭の良い子だったが、振る舞いや話し方が「普通じゃない」のは明らかだったし、その原因が親にあることも、ピンときた。多分、外れてはいないだろうと思う。

昨年(2015年)9月の、初音ミクさんの日本武道館でのコンサート『マジカルミライ2015』で、16歳のミクさんが、この『独りんぼエンヴィー』で、見事に、いたいけ(幼気)な女の子を演じた、
「今日も私は悪い子 要(い)らん子」と歌った後のミクさんの、張り付いたような甚(いた)い笑顔には、ぞくっとした。
世間的には、コンサートに相応しくない曲なのだと思うが、ミクさんのコンサートは、ただのコンサートではない。

で、老子の話になる。
『老子』は、全81章から成る、中国の神的賢者、老子の言葉が書かれた書だ。
その中で、ミク(39)さんを示す39章に、

だから、貴(たっと)いものはかならず賎(いや)しいものを根本とし、高いものはかならず低いものを基本としている。
そういうわけで王侯は、自分のことを孤児とか独り者、善くない者と称するのだ。
※『老子』(蜂屋邦夫翻訳、岩波文庫)より引用。書籍には、上記の文章内に改行はないが、見やすいと思って附加した。

『独りんぼエンヴィー』で歌われる「今日も私は悪い子 要らん子」と、王侯が自分のこととして言う「孤児、独り者、善くない者」は、よく似ている。
王侯が、そう自称するのは、その王家では、祖先である神の英知を伝えているからだ。だから、真の王なのである。
自分を賎しい処に置けば、魂はゆるまず、弛(たゆ)まず、ぶれず、崩れない。
謙遜を忘れないだけでも、良い結果を見る。
まして、低い場所に自分の意志で留まる者には、誰も手が出せない。
そして、

あなたにも あなたにも
私はさ 必要ないでしょ

世の中に けんもほろろ
楽しそうな お祭りね
~『独りんぼエンヴィー』(作詞・作曲・編曲:koyori、歌:初音ミク)より~

もし、自分を、このように思っているのであれば、すぐに辛さを除く方法などはないが、たえず、ゆるまないでいて欲しい。
私も、『僕は友達が少ない』の三日月夜空のように、学校で遠足に行っても、ずっと独りで過ごしていたクチだ(夜空は中学生の時の遠足で、1日、独りでレストランで本を読んで過ごしたらしい)。
ゆるめば、世間の人達同様、悪魔の下僕になるか、自分が滅ぶかだ。
だが、ゆるまない者を天使は見過ごさない。
楽や気持ち良いことを求めず、ただ、苦に苦を求め、一瞬たりともゆるまず心を引き締めていれば、あなたの魂の中に、神の魂が流れ込んで来る。
そうなれば、悪魔は近寄ることも出来ないし、創世の力すらあなたと共にあるだろう。









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私は色物でいる

「色物(いろもの)」という言葉は、ちょっと面白いと思うのだ。
今はそうは言わないが、昔は、漫才は色物だった。
では、漫才が色物なら、色物でないのは何かというと、落語だった。
つまり、落語は、色がついていない「白」で、それは、寄席の中心であることに対し、「色のついた」漫才は、「彩りに過ぎない」ものだった。
現在は、漫才の地位も上がり、もうただの「彩り」ではなく「主」であるから、今は「色物」とは言わないのである。
つまり、色物とは、「主流でない」もので、「反主流」「カウンターカルチャー(対抗文化)」「サブカルチャー(下位文化)」などのことだ。

初音ミクさんは、いまだ色物扱いされることも多いかもしれない。
私は、それ自体は、悔しいとは思わないが、残念には思う。
むしろ、以前は、嬉しいと思っていたが、今はちょっと微妙だ。
どういうことかと言うと、いつの時代も、本当に良いものは色物なのである。
例えば、ロック(ロックンロール)は、かつて、完全な色物であり、カウンターカルチャーであった。
そして、ロックは、色物であり続けなければならないのである。
ロックが、色物でなくなり、「普通」になったら、それはもうロックではない。
だが、初音ミクさんは、カウンターカルチャーであれば良いというのでもないので、微妙なのである。

『僕は友達が少ない』で、16歳のシスターにして教師である高山ケイトが、初めて羽瀬川小鷹(主人公。高1男子)に会った時、ケイトは小鷹に対し、「ロックしてるね」と言ったが、これは、「体制に収まっていない」、「良い意味でちょっと不良っぽい」という誉め言葉だった。
つまり、「ロックしてる」と言ったら、それは、色物であることを誉めていることなのである。
ちょっと前に、「チョイワル」という言葉が流行ったが、これも、「ワル」は、体制側でないことを示し、言ってみれば、「ちょっと不良」「ちょっと悪い人」という誉め言葉だったはずだ。

初音ミクさんも、いつまでも色物なのかもしれない。
クラシックやオペラという、メインカルチャー(主文化)の作品に堂々と登場しているのに、姿がアニメキャラで、しかも、可愛過ぎる・・・萌えキャラであるというだけで、色物としてしか扱わないのが、体制側である。
そんな理由(ミクさんが萌えキャラである)でミクさんを貶める人は、少なくとも、「ロックしてない」、つまり、体制に立ち向かうカウンターカルチャーや格好良い不良ではなく、体制に収まった「いい子ちゃん」なのである。

もちろん、色物の全てが良い訳ではないが、本当に良いものは色物の中にあるのだ。
ところで、「お金持ちになる法則」「お金持ちになる科学」というものが昔からあり、ウォレス・ワトルズ、クラウド・ブリステル、ジョセフ・マーフィーなどが時を超えて伝わっているし、最近では、「引き寄せの法則」として知られるいくつかのものがある。
そして、これらもまた、色物なのである。
その中には、良いものもあるだろうが、メインカルチャーにはなり切れない、「ロックっぽい」「カウンターカルチャーっぽい」雰囲気はあるのだと思う。
そして、それで良いのである。
もし、メインカルチャー、即ち、体制側のものになれば、それはもう、力のないものである。
宗教だって、メインカルチャーになってしまったら、形骸化、権威化したということで、そんな宗教に価値はない。
良い宗教は、あまり刺激的であってもいけないが、チョイワル、ロックしてる・・・つまり、色物でなければ本物ではない。
親鸞も一休も、ずっと色物であったし、これからも色物である続けるし、色物でなければならないのである。

我々も、本当に生きていたいなら、絶対に色物でなくてはならない。
ロックしてなければならないし、高山ケイトのような素敵な人に、「ロックしてるね」と言われるようでないといけない。
チョイワルオヤジでなければならないし、覚悟があるなら、かなり悪いオヤジになるのも良いかもしれない。

阿久悠さん作詞の、ザ・タイガースの歌『色つきの女でいてくれよ』というのがあるが、何とも素晴らしいタイトルだ。
この歌で、「ぼくの美少女」に、「いつまでも色つきの女でいてくれよ」と言うのは、単に、いつまでも若い、美しい女でいてくれよというだけの意味ではなく、反主流の、ロックしてる女でいてくれという意味で阿久悠さんが書いたのは、絶対に間違いがないと思う。
だが、いつまでも若く美しい初音ミクさんが、いつまでも色つきの女でいてもいけない。
ミクさんが「白」あるいは「黒」になった(色がなくなった)時に、地球人類が宇宙に迎え入れられるのだからだ。









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大師になるための、たった1つの格言

直接読んだわけではないが、イアン・フレミングの007シリーズの小説の中で、ジェームズ・ボンドが、
「私は、背の低い男を信用しない。なぜなら、背が低いことによる劣等感で、彼は世界に恨みを持っているからだ」
と言ったらしい。
それほど洞察のある言葉とも思わないが、確かにそうだ。
ただし、昔であれば。
少なくとも、今の日本で、背が低い男が劣等感を持っているとしたら、それは、持つ必要のない劣等感だ。
昔、なぜ背が高い男が良かったのかというと、男同士の争いで有利だったからだ。
しかし、結婚する気もなければ、良いか悪いかは知らないが、セックスをするのも面倒だという男が増えているし、暴力なんか振るったら、今の日本では、即座に終わりだ。
力士や野球選手にでもなるのでない限り、背が高いことのメリットはない。
スポーツでも、多くの競技では階級制になっていて、むしろ、小さい方が良いかもしれない。

そして、今は、逆に、背が高いことが劣等感になりつつある。
私は177センチだが、183センチ以上ある男を見た時、「羨ましい」という感情は全く起こらないが、「邪魔だな」とは思うのである。
そして、自分すら、「邪魔だな」と思うことがよくある。
電車で、通路側の席に座ると、どれほどきちんと座っていても、私の脚が邪魔で窓側の席の人が出られないということがある度に、そう思うのである。
男でも、大きくても174センチ位までが良いのかもしれない。174センチの甥っ子が邪魔にならないのでそう思っただけであるが。

それはともかく、昔の背の低い男は、世界(世間とか社会という意味だろう)に対して恨みを持っていたかもしれない。
しかし、私だって、社会に対して、恨みを持っている。
最近、ネット上で、ドワンゴ会長の川上量生さんと、「オタキング」岡田斗司夫さんの対談を見たが、さらっと見ただけなので、曖昧な記憶だが、川上さんは、
「ネットで他人を叩く人というのは、現実世界に恨みを持っている。僕自身、よく叩いていた」
と言われていた。
私も、ネット上で他人を攻撃するバトラーは沢山見たが、全くその通りで、社会に恨みがあるから他人を叩くのだし、なぜ恨みがあるかといいうと、やはり、劣等感に苦しんでいるからだ。
そしてね、背が低いことによる劣等感同様、ほとんどの劣等感というものは、持つ必要が無いものなのだ。
そうであれば、ネットの「荒らし」達は、する必要のない攻撃をしているのだ。

平坂読さんの小説『僕は友達が少ない』で、小鷹(高1男子)が、「なぜネットで他人を攻撃したがるのだろう?」と言うと、夜空(高1女子)が、「楽しいからさ」と言う。
夜空も、また、星奈(高1女子)も、相当ネットで他人を攻撃しているようだった。
そして、その理由もまた、「容姿以外はいろいろ残念」な夜空も、「性格以外はパーフェクト」な星奈も、世間(主にクラスメイトや教師)に対する深い恨みを持っているからであることが分かるのである。

私は、大師になること以外の目標は全て捨てているが、そうと決めたら、超自然的存在に、「一切の恨みを捨てれば道は開ける」と言われた。
それで思うのだが、ネットで他人を叩いている人は、案外に大師に近いのである。
ネットでの攻撃をしなくなれば良いのだから、進歩の目標を定め易いのである。

小沢一郎さんなどの有名人の多くは、マスコミに対して、こんな恨みを持っている。
「私の発言の一部を、その前後から切り離して、私が本当に言ったことと全然違うことを言ったように恣意的(勝手きまま)に取り上げる」
私は、もし、そんなことを、「当たり前のこと」として、諦め、さらに、認める人がいたら、その人は歴史上でも屈指の大物と思っていたが、そんな人はいない。
しかし、川上量生さんは、「そんなことは仕方がない」「それでいいんです」と言われていたと思う。
考えてみれば、岡本太郎さんも、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」と言われていた。
政木和三さんは、横尾忠則さんは宇宙人だと言われていた(直接聞いた)。
その横尾さんが噛み付きたがる岡本太郎さんも宇宙人だ。
そして、川上さんもそうなのだろう。
ちなみに、大師は宇宙人の認定を受けるのである。
大師になるための格言は、岡本太郎さんが言われた、「誤解されたっていいじゃないか?いや、誤解されなければならない」である。
ただ、私が思うだけだが、岡本太郎さんは、それに徹しきれていなかった・・・と、彼は私に誤解されているのだろう。









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