私は子供の時、学校の図書館で、西洋の剣の達人の話を集めた本を見たことがある。
その中の話で、ある一人の大変な達人がいたが、その達人が、見知っている若い剣士と練習用の剣で立ち会うことになった。
その若い剣士は、それほどの腕前ではないので、練習をつけてやるつもりだったのだろう。
ところが、いざ立ち会うと、達人は、若い剣士の剣の鋭さに驚いた。
尋常な鋭さではなく、悪魔のようだった。
多分、勝負自体は達人が勝ったと思うが、この達人をそれほど慌てさせれば大したものだった。
達人が、若い騎士に、どんな訓練をしたのかと尋ねたら、毎日、何時間もひたすら素振りをしたと言う。

日本の相撲やモンゴルのモンゴル相撲だけでなく、インドにも、インドの相撲と呼ばれるクシュティー(コシティー)というものがあり、伝説的なプロレスラーのグレート・ガマがこれの選手で、ガマの親戚で、アントニオ猪木さんとガチで戦ったパキスタンの英雄的プロレスラー、アクラム・ペールワンもクシュティーの選手だった(試合は猪木さんがペールワンの腕を折って勝利)。
映画『ルーツ』でも、クンタ・キンテの一族に、相撲に似た格闘技があった。
相撲的な格闘技の選手同士では、戦わずとも、組み合えば、相手の力量が分かるらしく、プロレスラーでも、達人的選手には、そんなことを言う者がよくいると思う。
つまり、強い選手は、組み合った時、大地に根が生えたように動かないそうだ。
そして、そんな強さは、四股を踏む数の多さが作るのではないかと思う。
日本の、超人的な強さを持っていたある柔術家も、四股(相撲のものとはかなり違ってシンプル)を重視し、毎日、千回、二千回とやっていたようだ。
四股もまた、世界中の相撲やレスリングの素振りのようなものであると思う。

メジャー・リーグ・ベースボールの最後の4割打者であった名選手、テッド・ウィリアムズは、少年時代から、起きている時間の全てを、自主的にバッティングの練習に捧げていた。
夜は、両親が無理矢理ベッドに押し込まないと、素振りを続けたほどらしい。守備の練習は好きではなかったようだが、プロになってからは守備も鉄壁だったと言われている。
イチローも、高校時代から、素振りの数が圧倒的だったと言われている。
その他の逸話とも合わせ、やはり、野球のバッターの実力は素振りの数で決まるのだと思う。

そして、これが本題になる。
伝承によれば、日本の仙人や導師、あるいは、天狗は、いついかなる時も呪文を唱えていたという。
それを映画で描くような場合は、分かり易いように、声に出して呪文を唱えるが、実際は、無言で、心で唱えていたと思う。
超人的な修験者の姿が、仙人や天狗の噂になることもあったと思うが、実際、昔の修験者には、超人的な能力を持った者がいたらしい。
彼らが唱えたのは、もっぱら、般若心経だった。
般若心経の最後の呪文の部分は、般若心経の中でも「最上の呪文」「並ぶもののない呪文」と保証している。
これら、力ある呪文は、むしろ、真言と言った方が良いと思う。

そして、結論である。
我々も、真言を数多く唱えることで、超自然的と言って良いと思うが、霊妙な神秘の力を得ることが出来る。
これは、剣士の素振りや力士の四股、仙人の呪文と同じ原理に基づいて確実なことであると思う。
詳しい解明が出来たわけではないが、宇宙全体、そして、人間の肉体というよりは霊的な仕組みが、そのように出来ているのである。
しかし、このことを誰も知らないか、ひょっとしたら隠されているのかもしれない。
それで、「ザ・シークレット」がそうかもしれないが、曖昧で、実際の効果がないものが宣伝され、凡民は不自由なままでいる。
だが、「知る者は語らず」(老子)で、真言の力を知っていた者達は、それを人に語らなかったか、語ることが出来ない理由でもあったのかもしれない。
しかし、それはともかく、あなたは、例えば、般若心経の呪文や、仏や菩薩の真言、あるいは、念仏を、ひたすら、心の中で丁寧に唱えることで、仙人めいたものになれるはずである。