ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

保江邦夫

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

銃弾を交わす方法

1987年から始まったアニメの『シティーハンター』(今年はついに実写フランス映画になった)で、ヒーローの冴羽獠(さえばりょう)が、至近距離から銃撃されたその弾丸を、涼しい顔で交わすという場面がよくあった。
2004年のアニメ『MADLAX』では、空想的表現とはいえ、オープニング映像で、マドラックスやマーガレットが沢山の銃弾を優雅に交わす。
しかし、人間の神経の伝達速度は毎秒10m程度らしいので、飛んでいる銃弾を交わすことは不可能なはずだ。
不可能なはずだが、合気道の創始者、植芝盛平は、それが出来たと言われ、特に、軍の射撃の名人6人に至近距離から拳銃で狙撃された時、銃弾を交わしただけでなく、狙撃主達全員を投げ飛ばしたという。
仮に、そんなことが出来たとしても、人間の機能構造上、訓練してそんなことが出来るようになる訳ではない。
先程取り上げた『MADLAX』や、そのシリーズものと言える『NOIR』(2001年)や『エル・カザド』(2007年)には、超人的な能力を持つ少女達が登場する。訓練された軍人達を1人で易々と倒したりするが、自分の至近距離を飛び交う銃弾の中で、ぼんやりした顔で敵を射殺していく。
まさに、アニメであり、どんな人間にもそんなことは出来ない。
しかし、一方で、どんな人間にも、そんなことが出来る。
石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)さんの1967年の漫画『009ノ1(ゼロゼロナイン・ワン)』で、ヒロインのミレーヌは、飛んでくる銃弾が空気を熱する音を頼りに弾丸を交わしたが、それは人間には無理だが、彼女はサイボーグだった。
つまり、神経、脳、筋肉といったレベルで弾丸は交わせない。だが、直感的、無意識的には可能であると思う。もちろん、これは、一般的な科学、医学などで認められるものではないかもしれないが、いまや、そういったことは、それほど不思議なことでもないと思えるのだ。

もし、弾丸を交わすような能力があるとしたら、それを発揮するために必要なことは、それが出来ない脳の一般的機能を停止させることだ。
脳は、小学校低学年レベルの算数問題を解いている時は全体が活性化するが、高度な数学問題を考えている時は、ごく一部が活性化するだけだという。
もっと難しい問題を解ける時であれば、脳はほとんど活動しないのではあるまいか。
いわゆる、インスピレーションが起こる時である。
そんな時には、思考活動は完全に止まっているはずだ。
早い話が、ぼーっとしているのである。
ただし、一般的なイメージでの「ぼーっとしている」時というのは、案外に頭で何かを考えているのだ。
そこで、本当に何も考えず、ぼーっとすることが出来れば、超人的能力を発揮することもあり得る。
私の経験で言えば、子供の時にやったことだが、大きな図書館の中で、どこにあるか分からない本をすんなり探し当てたり、天体望遠鏡を手に入れたばかりで、天文の知識が全くない時に、満天の星空の中から迷わず土星を選んだり、交通量の多い車道の中に、目をつぶって飛び込んで渡ったり(決して真似しないよう)を、何度でも行っていた。
それはアニメではない、現実の話である。
物理学者の保江邦夫博士は、小学生の時、授業中、ぼーっとしていたら、教師にどんな問題で指名されても正解を答えたらしい。これは私には出来なかった(やらなかっただけかもしれないが)が、やはり、ぼーっとしている時・・・無である時の人間の能力は小さくはなく、仙人や天狗や宇宙人にも匹敵するかもしれない。
「ちゃんとぼーっとする」術を身に付けるべきかもしれない。











神様の正体

お互いの見解を参考にした訳でもなさそうな4人が、神について、同様なことを述べているが、それなら、神とは、だいたい、そんなものであると思って良いかもしれない。
まず、医療機器の発明家で、哲学者と言って良いと思う(学歴は幼稚園中退だが)イツァク・ベントフは、こうである。
「1人である神が、分裂してもう1人の自分を作り出し、一緒に遊んでいるうちに、2人いると思いこんだ」
次に、思想家、哲学者(本来、こんな肩書きは不要なのだし、公式なものではないが)のアラン・ワッツもほぼ同じだ。
「1人の神が、退屈なので、1人で家族遊びを始め、お父さん役、お母さん役、子供役等を1人で演じているうちに、本当に、父、母、子供がいると思い込んでしまった」
作家、自己啓発関係の事業家である中国出身の女性チン・ニンチュウは、牧師に教わった、次のことを納得しているのだと思う。
「人間とは、万能でないフリをしている神だ。なぜ、そんなことをしているのかというと、間違いなく、“面白い”からだ」
物理学者の保江邦夫さんは、彗星探索家の木内鶴彦さんに教わったことを裏付けている。
「神が、退屈なので世界を作り、面白い体験をするために沢山の人間に分裂したフリをしている」
お金持ちになる科学で知られるウォレス・ワトルズも、人間は神が自己表現をするためのものであるとしていたと思うので、これも合わせると5人だ。

よって、まあ、人間とは、別々の人がいるように見えて、本当は、同じ人である1人の神であるということになる。
とてもそうは思えないというのは、それほどうまく演じている、あるいは、設定が出来ているだけのことだ。
だから、本当は、山田太郎などの個人は存在しない。
だからまあ、人間は、楽しめば良いのである。
ただし、自己中心的に考え、振る舞うと、結局は、自分が苦しくなるように出来ている。
若い頃、超人的な身体を持ち、それで散々良い思いをしても、利己的であれば、やがて両足を失ったり、病気で立つことも出来なくなったり、その両方になる。
ただ、利他的な者が、さらに利他的であることを極めるために、そんな状態になることもあるようなので、悲惨な状況が必ずしも悪い訳ではない。

それで、運がよくなり、楽しい人生にするためには、本来の目的を思い出せば良いだけということになる。
つまり、面白い体験をすれば良い。それを得る準備をすれば良い。
必ずしも、ひきこもりが面白くない体験ではないが、実際に、鬱々として、面白くないなら、その状況から離れるべきだ。
そのためには、ちょっと「揺らぎ」を起こせば良いのである。
そのためには、移動するのが良い。物理的でも、精神的でも。

もっと
クラクラクラ クラクラさせてよ
ユラユラユラ ゆらぎを見せてよ
キラキラキラ きらめいていてよ
~『テオ』(作詞・作曲・編曲:Omoi。唄:初音ミク)より~











皆、こうして成功した

昔、アメリカで、どれほど成功法則の本を読み、なおかつ、その教えを実践し努力しながら成功しなかった男が、ある日、究極の成功法則を発見し、以降、大成功したという。
その男は、アメリカの作家マイク・ハーナッキーで、当時はかなり話題になったが、今はさっぱり聞かない。
ただ、かなり前、彼のWebサイトを見つけたのだが、彼は、ある時期から、騒がしい場所から身を引き、金もあるので、引退生活を満喫しているように思えた。
彼の発見した究極の成功の秘訣は、当時の彼の本の回りくどい表現を簡潔にすれば、「目標を達成するために必要なことは何でもやる決意をする」である。
ちなみに、必要なことは「決意すること」だけで、実際には何もしなくて良い。
ただ、おそらく、何もしなくて良いが、やりたいと思ったらやれば良いのだろう。
彼も、失業者から作家になった時は、がむしゃらだったようだ。
ただ、それは、後から考えればそうだっただけで、やはり、本人は、特に何かをしたとか、苦労したとは思っていないらしい。

ハーナッキーは、いい線いってたのだが、やはり、ちょっとズレていたと思う。
ただし、表現がマズかっただけで、本人はやり方を知っていた。だから、有名にもなれたのだ。
ハーナッキーと同じやり方をしている(していた)人達の話を見て、表現のマズさを修正しよう。
その人達は、作詞家の阿久悠さん、UFO研究家の矢追純一さん、画家の足立幸子さん、それに、物理学者の保江邦夫さんだ。
私が覚えてる、これらの人達の表現はこうだ。
阿久悠さん「うまくいった場面をイメージし、忘れる」。
矢追純一さん「目標を決め、後はなりゆきにまかせる」。
足立幸子さん「決意し、ぼーっとする」。
保江邦夫さん「考えない」。
足立さんと保江さんは、講演等、教える時には「口から出まかせを言う」というところも共通している。
矢追さんも、セミナーでは、受講生は寝ていても良いと言うから、多分、言うことは出まかせなのだろう。
阿久さんの詩も、出まかせに違いない。
つまり、共通して、皆、考えないのだ。
そして、ハーナッキーが言う「必要なことをする決意」は、本当は、「目標を達成することを決意する」ことであり、それを強めるために、「必要なことは何でもするぞ」と思っただけのことだ。大切なことは、あくまで、目標達成を決意することだ。
しかし、普通の人は、難しい目標の達成をなかなか決意出来ず、きっとハーナッキー本人もそうだったので、「それを達成するためにどんなことでもする」決意をするという、一種の「代行」が必要だったのだ。
それなら、「目標を達成出来なかったら死ぬ」という決意でも良い・・・いや、こっちの方が良いのだが、下手にこんなことを言って、本当に誰かに死なれたら責任問題になりかねない。だが、「死」と引き換えほど決意を高めてくれるものはないので、実際問題、これが一番だろう。よって、あくまで秘密として言えば、目標を達成するための究極の秘訣は、「目標を達成出来なかったら死ぬと決意する」ことだ。
ところが、それが分かると、大抵の目標には、さしたる価値がないことが分かるだろう。
「就職出来なかったら死ぬ」なんて思う馬鹿はいないだろうからね。
とはいえ、就職も立派な目標だ。
だから、「就職出来なかったら、大好きなチョコレートを食べない」程度で良い。
これは、上杉謙信の「一生、女を抱かないので、戦で勝利させてくれ」という、神への祈願のための生贄である「断ちもの」の逆プロセスだ。
謙信も、「戦に負けたら、生涯、女を抱かない」で良かったと思うのだ。
しかしまあ、目標達成の決意さえ出来れば、後は、ぼーっとして何も考えなければ良いのである。
ただし、決意は強くなければならない。
強い決意をするために、上に述べたやり方を、自分がやり易いように組みなおせば良いのである。
ただ、いずれは、簡単に決意が出来るようになる。
ハーナッキーも、その境地に達したのだと思う。











無思考力

お伽噺(童話。正確には日本の童話をお伽噺と言う)には、深い教訓が込められているというが、その教訓が大いに取り違えられているのではないだろうか?
お伽噺は、軽率であることを戒め、考え深いことが奨励されていると言われる。
例えば、『白雪姫』では、林檎売りのおばあさんに化けた母親である王妃に騙されて林檎を食べた白雪姫が死んでしまったことは、深く考えずに、おばあさんを信用した白雪姫のミスということになる。
しかし、普通、自分の母親がどう化けようと、娘には分かるもので(王妃様がそんな訓練をするはずがなく、特に下手そうだ)、もし、王妃がおばあさんに化けて白雪姫が住んでいた小人の家を訪れても、
「あ!お母様!何しにいらしたの?帰って!」
ということになるはずだし、毒林檎で騙される前に2度ほど騙されているのだから、いい加減分かろうというものだ。
サンタクロースを幼稚園の時から信じていなかったというキョン(『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公である男子高校生)だが、私は、幼稚園の時は、サンタクロースを信じていた。しかし、『白雪姫』の話は、幼稚園の時から疑問を持っていた。だって、白雪姫は馬鹿にもほどがある!

白雪姫の本当の母親である前王妃は、生まれてくる子供(白雪姫)が、美しいことは望んだが、賢い子であることは望まなかった。
その願いは実現したようだった。
おかげで、継母である新王妃に憎まれて捨てられるが、考えない性格のおかげで、森の小人の家で快適な生活を手に入れた。
しかし、労働の条件付きだった。
きっと、白雪姫は、働かなくても贅沢出来る生活を望んだに違いない(私見である)。
そこに、継母が何度も、白雪姫を殺しに来て、馬鹿な白雪姫は何度も騙されて殺されたが、小人達が蘇生させた。
しかし、毒林檎で殺された時は、小人達に、白雪姫を生き返らせることが出来なかった。
だが、それらの一見悪い流れのおかげで、王子様の目に止まり、王子様のキスのおかげか、死んだ白雪姫を乗せた馬車のゆれで白雪姫の歯から毒林檎の欠片が取れたせいかは諸説あるが、とにかく、白雪姫はあっさり蘇り、超幸福になった。

全ては、なーんにも考えず、感情まかせで進んだ白雪姫の勝利である。
C.G.ユング等、偉い心理学者は、童話を小難しく解釈するが、『白雪姫』に関しては、考えることを放棄した白雪姫が、何度も頭は打ったが、最後は幸運を掴むという話である。
『ヘンゼルとグレーテル』に関しては、ユングか河合隼雄さんだったか忘れたが(河合隼雄さんはユング派の著名な心理学者)、グレーテルという少女の成長が運命を開いたと解説していたように思うが、それはどうだろう?
最初、彼女達の親がヘンゼルらを森の中に置き去りにして捨てようとした時、ヘンゼルが石やらパンやらを道に撒いて帰り道が分かるようにするという小賢しいことをやっていた時は駄目で、グレーテルが、魔女の家で、考えることが無駄と知った刹那、運命が開いたというのが本当ではないのか?

天才?秀才?関係無いだろ。断然、感情任せで進め
「ヘイヘイ!先生、失笑してるぜ?」 衝動優先溢れ出していく COLOR
~『アメリカ~We are all right!~』(作詞・作曲・編曲:じん。唄:IA)より~

矢追純一さんは、自分は頭が悪いので、考えることを諦めたと言う。
しかし、矢追さんは、小学、中学時代は、家で全く勉強しなかったが、成績はオール5がディフォルトだった。
家で勉強していたら恐ろしい母親に怒られる(本なんか読んでたら問答無用で捨てられた)が、4が1つでもあると母親の機嫌が悪く、3でもあったらぶん殴られた。
大学も、受験勉強はしなかったが、特に当時は名門だった中央大学法学部に現役で合格し、4年できっちり卒業している。
そして、日本テレビでは人気番組を生み出すディレクターであったのだが、考えることはしないと言う。
世界的物理学者の保江邦夫さんも、1秒先、1秒後のことも考えないことを著書の中で推奨し、それが、キリストの教えであると断言しておられたように思う。
つまるところ、ソクラテスもそう言ったのだと思う。彼は、「私は、自分が何も知らないということだけを知っている」と延べ、自分にはいかなる能力もないと言った。だからこそ、自分は人類最高の知恵者だとも。








ジョーの偉大なポーズ

10回以上世界タイトルを防衛した元ボクシング世界チャンピオンは、自分が世界王者になる試合の前に、相手の世界王者の公開スパーリングを見て、その強さに驚愕し、「こんなやつと戦ったら殺される」と思い、試合当日も相手が恐くて仕方がなく、ゴングが鳴ったら、もう何が何だか分からずに必死で手を出し、気がついたら、相手がマットの上でのびていたと言う。
似た話に、有名な空手家の逸話がある。
戦後、真剣を持った剣の達人と決闘をすることになってしまい、勝つのは不可能だから、手足の1本でも残っていたら相打ちに持ち込もうと思って突進していった後の記憶がないと言う。そして、気がつけば、相手は川原の上でのびていたらしい。
両方共・・・特に後者は、本当の話かどうか疑わしいので実名は挙げないが、全くの嘘というのではなく、自分のそれなりの経験を、やや盛った(大袈裟に脚色した)のではないかと思う。

もっと面白い話がある。
物理学者で合気道家の保江邦夫さんが、挑戦されてフルコンタクト空手(実際に相手を殴る蹴るの攻撃をする空手)の猛者と戦った時、右目と左目で別のものを見るという、ヨッパライのような目で向かっていくと、簡単に勝てたが、普通の目付きで行ったらボコボコにされたと言う。
そこで、右目と左目で違うものを見るゴーグルをつけさせると、合気道の初心者が達人になってしまったらしい。
もう1つ、保江さんが言っていたのは、相手を愛すると必ず勝つということだ。
きれいな女性ならともかく、ごっつい空手の強者を愛するのは難しいが、愛さないとボコボコにされるので、なよっとしながら愛すると、やっぱり勝ってしまうらしい。保江さんは60もとおに超えたオッサンだから、考えると気持ち悪いが、そこは引っかからなくていいだろうし、60もとおに超えて強い現役空手家に勝つのだから大したものだ。

しかし、それで言うなら、保江さんが『神様ののぞき穴』で書かれていた「龍の首」で行けば勝てないかと思う。
龍の首とは、猫背になって首を前に倒し顔を上げた、あるいは、アゴを上げたとも言える姿だ。
画像で見たければ、「あしたのジョー ノーガード」で検索したら、そんなのがいくらでも出てくるが、力石徹のノーガードも、素晴らしい龍の首だ。
保江さんが言うには、龍の首だと神様の視点になるので、きっと無敵だ。
だから、皆さんは、何かあったら、矢吹丈のノーガードを思い出して真似ると良いだろう。
ところで、『あしたのジョー』の、おそらく最後のページの、リングのコーナーで椅子に座り、微笑んだ顔で死ぬジョーの姿は、「あしたのジョー 真っ白な灰」で検索したら、大半違法かもしれないが沢山出てくる。あのジョーの姿で顔を上げたら、完璧な龍の首と思う。
ちばてつやさんは偉大な絵を残されたと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・初音ミクさんを愛す


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