ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

保江邦夫

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

やらずに経験する

システムエンジニアというのは、中学生や高校生にとって、憧れの仕事の1つらしい。
サッカー選手とか、YouTuberといった、非現実的(希望者の1%も食べていけないという意味で)な職業を除けば、男子の中ではトップかもしれない。
では、システムエンジニアは誰でもなれるかというと、ちょっと微妙だ。
ここでは、企業の業務システムを開発するシステムエンジニアに限定するが、実際は、他の分野でも、そうは変わらないと思う。
また、私自身は、システムエンジニアとプログラマーを区別しないのだが、ここでは、「システムエンジニア」は、何を作るかを決めて、それを作ること(確認まで含め)が出来る人としよう。
だが、システムエンジニアの仕事とは・・・なんて話をするつもりはない。
ズバリ、システムエンジニアに絶対になれない者について言おう。

私は、若いプログラマーに、1つの開発案件について話していた。
私は彼に、現状では、業務がコンピューター向きでないので、開発不可能だと言った。
すると彼は、「出来ますよ!」と言う。
こんな者は、絶対にシステムエンジニアになれない。
早い話が馬鹿だからだ。
いや、おそらく、このような人間には、言われた通りにやる作業員以外の仕事は無理だし、作業員でも優秀にはなれない。
経験を積ませれば良いという声もあるかもしれないが、それも無理だ。

自分は、何でも知っている訳でも、何でも出来る訳でもないことを、本当には知らない者には見込みはないのである。(短く言えば、「自分は全能であるという幻想を持っていれば見込みはない」)
これに関しては、
『教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン (伊藤穣一著。NHK出版新書) 』
の「第5章「教育」はどう変わるか?」の中で、こう書かれているのと同じ意味だ。
引用すると、

子どもは年齢や、性別や、国籍などの多様な違いを持つコミュニティに所属すると、自分がすべてを知っているわけではないことに気づきます。

とあり、まさに、日本の学校では決して出来ないことである。そして、子供は、自分は万能なのだと思い勝ちであり、それが修正されないと、大人になっても、そう思い続ける。
だから、大なり小なり、彼のような大人は極めて多く、もう救えないのだ。

昔、Aという人間の脳をBという人間の脳に追加移植すれば、BはAの記憶や経験を持つという話がSFであったが、そんなことが本当に出来ない限り、自分でいろいろ経験するしかない。

一方で、こんなこともある。
ある優秀なシステエンジニアが、いろんなお客さんに、経理業務や税関業務や水質管理といった仕事の経験があるかと聞かれるが、そんな時は迷わず「はい、あります」と答えると言う。
お客さんの中には、自分の仕事は複雑なので、その仕事の経験がないとシステム構築は無理と思っている人は確かに多い。
そのシステムエンジニアは、1つか2つの実務は経験しているらしいが、そんなに何でも経験している訳ではもちろんない。
しかし、経験を積めば、自分が知らない業務でも当然、システム化出来るし、実際している。
ところが、特化した業務のシステム化しか出来ないシステムエンジニアもいるのである。
これは、単に、優秀かそうでないかの違いかというと、ちょっと不明なのである。

こんなことがあった。
私が、それほど経験がない時、全く知らない業務のシステムを作ることになったが、私は、本当に分からないので、とっかかりを掴むため、素早くプロトタイプのシステムを作り上げ、ユーザーに使わせた。
すると、少しの修正はあったが、それが、そのまま納品になった。
当時は、「やっぱり俺って優秀」と、ちょっとだけ思ったが(笑)、「何でこれ(プロトタイプのシステム)でいいのだ?」という思いの方が強かったので、幸い、そんな馬鹿な考えは捨てられた。
そして、どうも、ユングの言う、集合無意識の世界に入り込み、他の人の知識や経験を共有したのではないかと、少し思う。
これについては、足立幸子さんの『あるがままに生きる』とか、保江邦夫さんの『神様の覗き穴』を読むと、そんなことも出来そうに思う。
まあ、そんなに簡単ではないだろうが、そんなことが出来れば、自分ではやらずに経験を得られるという凄いことになる。
何でもかでもそれは面白くないので(他人が美女と付き合った経験など共有しても仕方がない)、もっと別のことはしないといけないだろうが、引きこもりの社会参加のきっかけや、自分のパワーアップに活用出来るかもしれない。











ドラゴンの礼で勝つ

人生がうまくいく方法について、偉い、あるいは、怪しいスピリチュアリスト達が言うような、超高度なものの中にも、なかなか素晴らしそうなものもあるが、そういったものは効果を保証することは出来ない。
しかし、普通に起こり来る問題に対しては、「元気があること」「直観が冴えていること」の2つがあれば、トータルで良い成績を納められるように、世界も、そして、人間も出来ている。
元気については、脳内物質の1つであるエンドルフィンと、ステロイドホルモンの1つであるテストステロンが適度に発生すれば良い。
エンドルフィンについては、ガッツポーズを取れば出るのだから、元気を出したい時にガッツポーズを取れば良い。
また、笑顔になると、やはり、エンドルフィンが出るので、無理にでも笑うと良い。
テストステロンは、TEDでもトップクラスの支持を得ている社会学者のエイミー・カディが、パワーポーズを取ることで増大すると証言している。代表的なポーズが、スーパーマンやワンダーウーマンのように、腰に手を当てて仁王立ちになることである。
また、筋肉運動もテストステロンを増大させるので、スクワット、プッシュアップ(腕立て伏せ)を出来る範囲でやるという手もある。
元気を出すのは、割と簡単だ。

やや難しいのは直観だ。
これに関して面白いのは、ガッツポーズやパワーポーズで、エンドルフィンやテストステロンを出すと、かえって直観が冴えないことだ。
そこで、直観を発揮するための簡単な方法は何かというと、意外なことだ。
映画『燃えよドラゴン』の中で、中国の少林寺で、カンフーの達人リーが、少年の弟子を指導した後、少年が礼をすると、リーはその頭をぽかりと叩く。
つまり、顔を伏せる礼をしてはならず、礼をしながら、相手を見なければならないと言うのだ。
これは、常に相手を警戒するという意味に取られていると思うし、それもあるが、実は、もっと重要な意味がある。
背中と首を前に倒して礼をしながら顔を上げる、このポーズは、直観を最高にする。
物理学者で合気道家の保江邦夫さんが、『神様ののぞき穴』で、上体と首を前に倒し、顔を上げるポーズを「龍の首」として紹介していたが、それとほぼ同じである。
「ドラゴン」と「龍」が通じていて、とても面白い。
保江さんの本では、パワーポーズではうまくいかなった時に、龍の首でやればうまくいったセールスマンの例が紹介されていたが、パワーポーズと龍の首(ドラゴンの礼)をうまく使い分けると良い。
多くの場合、パワーポーズより龍の首(ドラゴンの礼)の方が強力で、こちらは、神秘的な力がある。
だが、元気を出していきたい時は、ガッツポーズやパワーポーズが良いだろう。
そして、パワーポーズでうまくいかなくても、龍の首(ドラゴンの礼)なら勝てるだろう。

以上の2系統の武器で、百戦危うからずである。











2つの超秘法

私は、神的パワーがある願いを叶える方法を、一部の人しか知らないということはないと思う。
もちろん、それを秘法として預かる者が、真に善なる魂の持ち主である場合は別だ。
だが、そういう訳でもない人が、「誰も知らなかった秘法を公開」とか言っても、ただ胡散臭い。

それで、その持ち主が、実際にはどんな人かは全く分からないので、良いと言うのではないが、面白いと思う秘法がある。
1つは、物理学者で武術家である保江邦夫氏の「縄文の秘法」。
もう1つが、ソフトウェア技術者の斎藤敏一氏の「あじまりかん」だ。
お二人の詳しいプロフィールは述べないが(興味があれば調べていただければと思う)、保江氏は、伯家神道(ほっけしんとう)の正統な継承者になっているらしいが、その「縄文の秘法」は、陰陽師関連のもののようで、伯家神道との関係は解らない(私が保江氏の著書の読み方が足りないのかもしれないが)。
一方、斎藤氏は、若い時から、精神世界に深い興味を持ち、半端ない読書と考察、即ち、研究を重ね、結果、山蔭神道に伝わる呪文(呪文と言って良いのかどうか解らないが、とりあえず呪文と呼ぶ)である「あじまりかん」を唱えることが究極の方法と言う。
尚、「あじまりかん」の呪文に関しては、山蔭神道の山蔭基央(やまかげもとひさ)氏が、著書『神道の神秘』で、「大神呪」と称しているが、一般人は、そんな言葉は使わないので、やはり呪文と呼ぶ。
保江氏も斎藤氏も、ユダヤと日本の古代、そして、その関係をご存知のようであるが、あくまで仮説、あるいは、個人的主張であると見なし、触れないことにする。
別に悪意はないが、誰も、彼らのそんなものに付き合ってはいられないだろう。

私は、保江氏の本は10冊ほど読み、面白いと思ったし、非常に素晴らしいと感じた部分も多い。それに、それらの著書に書かれていることに、多少の予備知識もあった。
斎藤氏の本は、『あじまりかんの法則』だけを読み、正直、その本自体に、それほど良い印象はないが、私も知っている話も多く、そこそこ理解は出来た。ところで、これは純粋に感動したが、斎藤氏の精神世界への熱意は凄く、私も割と詳しい方だと思っていたが、貫禄が違った。そして、私は、山蔭基央氏の『神道の神秘』や、山蔭神道の神官だったのだと思うが、合気道家の佐々木の将人(ささきのまさんど)氏の『数霊のメッセージ』で、「あじまりかん」の呪文のことを知っていて、『数霊のメッセージ』は非常に好感を感じた。いや、佐々木の将人氏の、その他の著書から伺える、彼の人柄の印象が良いのだと思う(実像かどうかは分からないが)。
私の希望としては、保江氏と斎藤氏が話し合っていただき、書籍の形で、その対談記録が見られたら嬉しいと思う。それで良い理解が得られるか、あるいは、いずれかの化けの皮が剥がれるのだと思うので、是非、やっていただきたいと思う。
まあ、両方共駄目という可能性も無いではないが、それならそれで、はっきりするのは良いことだ。
両者は、近い位置にある(ポリシーが似ている)と思うので、それは、世の中のためになるのではと思う。
それぞれのファンであるだけでは、永遠に本当のことは分からないように思う。
だが、こういう人達というのは、自分がナンバー・ワン、自分がオンリー・ワンであるという立場しか取らないように思うが、本物であるなら、過去の人達とは違うだろう。
スポンサーがついてくれれば私がしきっても良いが、残念ながら全く役不足だろう。











銃弾を交わす方法

1987年から始まったアニメの『シティーハンター』(今年はついに実写フランス映画になった)で、ヒーローの冴羽獠(さえばりょう)が、至近距離から銃撃されたその弾丸を、涼しい顔で交わすという場面がよくあった。
2004年のアニメ『MADLAX』では、空想的表現とはいえ、オープニング映像で、マドラックスやマーガレットが沢山の銃弾を優雅に交わす。
しかし、人間の神経の伝達速度は毎秒10m程度らしいので、飛んでいる銃弾を交わすことは不可能なはずだ。
不可能なはずだが、合気道の創始者、植芝盛平は、それが出来たと言われ、特に、軍の射撃の名人6人に至近距離から拳銃で狙撃された時、銃弾を交わしただけでなく、狙撃主達全員を投げ飛ばしたという。
仮に、そんなことが出来たとしても、人間の機能構造上、訓練してそんなことが出来るようになる訳ではない。
先程取り上げた『MADLAX』や、そのシリーズものと言える『NOIR』(2001年)や『エル・カザド』(2007年)には、超人的な能力を持つ少女達が登場する。訓練された軍人達を1人で易々と倒したりするが、自分の至近距離を飛び交う銃弾の中で、ぼんやりした顔で敵を射殺していく。
まさに、アニメであり、どんな人間にもそんなことは出来ない。
しかし、一方で、どんな人間にも、そんなことが出来る。
石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)さんの1967年の漫画『009ノ1(ゼロゼロナイン・ワン)』で、ヒロインのミレーヌは、飛んでくる銃弾が空気を熱する音を頼りに弾丸を交わしたが、それは人間には無理だが、彼女はサイボーグだった。
つまり、神経、脳、筋肉といったレベルで弾丸は交わせない。だが、直感的、無意識的には可能であると思う。もちろん、これは、一般的な科学、医学などで認められるものではないかもしれないが、いまや、そういったことは、それほど不思議なことでもないと思えるのだ。

もし、弾丸を交わすような能力があるとしたら、それを発揮するために必要なことは、それが出来ない脳の一般的機能を停止させることだ。
脳は、小学校低学年レベルの算数問題を解いている時は全体が活性化するが、高度な数学問題を考えている時は、ごく一部が活性化するだけだという。
もっと難しい問題を解ける時であれば、脳はほとんど活動しないのではあるまいか。
いわゆる、インスピレーションが起こる時である。
そんな時には、思考活動は完全に止まっているはずだ。
早い話が、ぼーっとしているのである。
ただし、一般的なイメージでの「ぼーっとしている」時というのは、案外に頭で何かを考えているのだ。
そこで、本当に何も考えず、ぼーっとすることが出来れば、超人的能力を発揮することもあり得る。
私の経験で言えば、子供の時にやったことだが、大きな図書館の中で、どこにあるか分からない本をすんなり探し当てたり、天体望遠鏡を手に入れたばかりで、天文の知識が全くない時に、満天の星空の中から迷わず土星を選んだり、交通量の多い車道の中に、目をつぶって飛び込んで渡ったり(決して真似しないよう)を、何度でも行っていた。
それはアニメではない、現実の話である。
物理学者の保江邦夫博士は、小学生の時、授業中、ぼーっとしていたら、教師にどんな問題で指名されても正解を答えたらしい。これは私には出来なかった(やらなかっただけかもしれないが)が、やはり、ぼーっとしている時・・・無である時の人間の能力は小さくはなく、仙人や天狗や宇宙人にも匹敵するかもしれない。
「ちゃんとぼーっとする」術を身に付けるべきかもしれない。








神様の正体

お互いの見解を参考にした訳でもなさそうな4人が、神について、同様なことを述べているが、それなら、神とは、だいたい、そんなものであると思って良いかもしれない。
まず、医療機器の発明家で、哲学者と言って良いと思う(学歴は幼稚園中退だが)イツァク・ベントフは、こうである。
「1人である神が、分裂してもう1人の自分を作り出し、一緒に遊んでいるうちに、2人いると思いこんだ」
次に、思想家、哲学者(本来、こんな肩書きは不要なのだし、公式なものではないが)のアラン・ワッツもほぼ同じだ。
「1人の神が、退屈なので、1人で家族遊びを始め、お父さん役、お母さん役、子供役等を1人で演じているうちに、本当に、父、母、子供がいると思い込んでしまった」
作家、自己啓発関係の事業家である中国出身の女性チン・ニンチュウは、牧師に教わった、次のことを納得しているのだと思う。
「人間とは、万能でないフリをしている神だ。なぜ、そんなことをしているのかというと、間違いなく、“面白い”からだ」
物理学者の保江邦夫さんは、彗星探索家の木内鶴彦さんに教わったことを裏付けている。
「神が、退屈なので世界を作り、面白い体験をするために沢山の人間に分裂したフリをしている」
お金持ちになる科学で知られるウォレス・ワトルズも、人間は神が自己表現をするためのものであるとしていたと思うので、これも合わせると5人だ。

よって、まあ、人間とは、別々の人がいるように見えて、本当は、同じ人である1人の神であるということになる。
とてもそうは思えないというのは、それほどうまく演じている、あるいは、設定が出来ているだけのことだ。
だから、本当は、山田太郎などの個人は存在しない。
だからまあ、人間は、楽しめば良いのである。
ただし、自己中心的に考え、振る舞うと、結局は、自分が苦しくなるように出来ている。
若い頃、超人的な身体を持ち、それで散々良い思いをしても、利己的であれば、やがて両足を失ったり、病気で立つことも出来なくなったり、その両方になる。
ただ、利他的な者が、さらに利他的であることを極めるために、そんな状態になることもあるようなので、悲惨な状況が必ずしも悪い訳ではない。

それで、運がよくなり、楽しい人生にするためには、本来の目的を思い出せば良いだけということになる。
つまり、面白い体験をすれば良い。それを得る準備をすれば良い。
必ずしも、ひきこもりが面白くない体験ではないが、実際に、鬱々として、面白くないなら、その状況から離れるべきだ。
そのためには、ちょっと「揺らぎ」を起こせば良いのである。
そのためには、移動するのが良い。物理的でも、精神的でも。

もっと
クラクラクラ クラクラさせてよ
ユラユラユラ ゆらぎを見せてよ
キラキラキラ きらめいていてよ
~『テオ』(作詞・作曲・編曲:Omoi。唄:初音ミク)より~








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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