ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

佐々木の将人

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

悪霊がやたら多い世界になっている

どうも、そこらに悪霊がぷかぷか居る世の中になってしまった。
確かに、あまり強い悪霊(例えばエクソシスト級)は見ないが、とにかく数が多く、かなり多くの人が憑りつかれ、おかしくなっている。
悪霊に憑りつかれない基本は、本来的には集中力だ。
つまり、仕事や勉強やトレーニングに集中している時は、エネルギーが強く、気分も良くて、そうであれば精神の波動も高いので、悪霊を寄せ付けない。
しかし、怠惰になったり、不満や不安を抱えて精神が淀んでいると、容易く悪霊に憑りつかれてしまい、そうなると、なかなか悪霊は離れない。
悪霊に憑りつかれると、奇怪な物音や声まで聴こえることがあるし、視界におかしなものが映ることもある。
もちろん、脳の疾患により、幻が見えたり、異音が聴こえるという場合もあり、「幽霊が見える」という人がいたら、医者は脳の健康を疑う。
だが、逆に、悪霊の影響により、脳を含む病気になる場合も少なくないのである。
「病気が先か悪霊が先か」といった感じであるが、現代は「悪霊が先」の場合が多いと思えるのである。

以前から時々、ご紹介しているが、合気道の達人で、高位の神道家(神官)であった佐々木の将人(まさんど)氏は、悪霊を祓うのは簡単であると言う。
「アー」と言うだけで良いのだ。
口で唱えても、心で唱えても良いが、心でしか唱えられない場合もあるだろう。たとえば、金縛りに遭った場合である。
よほど声が良いのでなければ、心で、「アー」という音が、広く響き渡るよう想像すると良い。
さらに強力なのは、「アーオーウーエーイー」と唱えることで、この言霊で、四方の悪霊を祓える。
そして、極めつけの切り札が「アジマリカン」である。

だから、最近、どうも体調が悪いとか、精神的におかしいと感じたら・・・あるいは、別に何ともなくても、「アーオーウーエーイー」や「アジマリカン」を唱えると良いだろう。
これらは、別に、いつでも、どこでも、何度でも使って良い。

もちろん、真言を唱えていれば、潜在意識のさらに奥の、純粋意識、あるいは、超意識などと呼ばれるところにあるエネルギーと同調し、悪霊だって祓える。
だが、そもそも、十分に真言を唱えていなければ、悪霊の数や力によっては、うまく祓えない場合もある。
そこで、特に悪霊祓いの光線銃として使えば非常に強力な言霊、あるいは、音霊である、「アーオーウーエーイー」や「アジマリカン」を唱えれば良いのである。

今や、テレビを見ていたら、人気司会者や売れっ子コメンテーターみたいな人は悪霊をいっぱい付けているので、彼らの言うことに同調したら、ぱっと憑りつかれる。霊の世界に時間や空間はないので、テレビの向こうの悪霊もすぐに憑りつく(逆に良い霊が近付いてくる場合もあるが)。
また、テレビCMや、ネットCMからも悪霊の波動が放射されていることが多く、うっかりそれらに心を引きつけられると、周囲にいる、似た波動の悪霊が寄って来て憑りつく。
このように、どうも、世界は、おかしな状況だ。
だから、今は、多くの人が奇怪な病気を抱えているし、精神的におかしく、低級な悪霊のような性質になってしまっている者が多い。
例えば、信じられないほどの自己中心主義が横行し、しかも、そんな者達は、どれほど利己的なことをしても、良心に何の呵責も感じない。
そして、悪霊に憑りつかれたら、あなたもすぐにそうなる可能性がある。

普段から常に真言を唱えるよう心がけることだ。
しかし、真言を唱える数が少ないなどもあって、どうもヤバいと思ったら、念のため、悪霊祓いの言霊(「アーオーウーエーイー」や「アジマリカン」)を使うと良いと思う。
特に、人の多い場所(病院や込んでいるスーパーや、いろいろなイベント会場)に行った後は、静かな時間を持って、心で静かに真言を唱えると良いと思う。特に、帰ってきたら、どうも身体がだるいとか、やたら肉を食べたいとか、エッチな気分が強い場合は、悪霊が付いてきているかもしれないので、念のため、しっかり祓っておくと良い。
しかし、普段、常に真言を数多く唱えるよう心がけるのが一番である。








なぜ真言だけが最後の救いか

明治・大正の偉大な啓蒙家であった岡田虎二郎は、「念仏を唱えさえすれば、一切の問題が解決し救われる」とが言ったが、実は、親鸞もそう言っていたのである。
親鸞は決して、念仏は、極楽往生のためだけのものとは言ってないし、それは、実際は、親鸞の師の法然も同じだ。
そして、肝心なことは、念仏も真言の1つであり、優れた真言であれば、どれも同じなのだ。
また、真言だけが唯一のソリューション(問題解決法)ではなく、他の方法もいくらでもある。
そもそもが、岡田虎二郎が教えたのは岡田式静坐法なのだが、静坐でなくても、坐禅でも同じであるし、実際には椅子に座っても構わない。西洋人に指導する時は、やはり椅子に座らせたようだ。
だが、普通の人が必ず出来るのは、今も昔も、真言を唱えることだけである。
どれだけの者が、毎日30分、坐禅や静坐が出来るだろうか?
それも、生涯となると、それが出来る人は、限りなくゼロに近いはずだ。
あるいは、世界的に有名なTM(超越瞑想)というものもあるが、これにもし効果があるとしても、TM団体が指導する通り、毎日、朝食と夕食の前に20分やれるだろうか?
だが、真言は、いつでもどこでも、心の中で唱えれば良いだけである。

ところで、真言を唱えていても、なかなかうまくいかなかったり、悪い状況になることも多い。
それは、真言だけでやってきた私もよく知っている。
例えば、私は、会社が嫌になった時、真言を唱えていたら、全然意に沿わない部署に配置換えになってしまった。
ところが、それでも真言を唱えていたら、不思議ななりゆきで、しばらくしたら、素晴らしい条件で良い会社に転職出来たのである。
まさに、なりゆきで、私は何もしなかったのにだ。
私は、これこそが真言の力だと思っている。
そんなことは、私には頻繁に起こっている。

そんなわけで、やはり、真言を唱えることをお勧めするのである。
真言は、何でも良い。
合気道家で、中村天風や植芝盛平の両方の高弟であった佐々木の将人氏によれば「アー」でも良いのだそうだ。
(佐々木氏は「アーオーウーエーイー」や「アジマリカン」も勧めておられた)
私の愛用は、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」だが、他にもいろいろ使う。
真言は、1日24時間、常に唱えるのだ・・・まあ、実際は、そうはいかないだろうが、そのつもりでいることだ。
「つもりでいいんですね(笑)」というやつが私は大嫌いだ。
確かに、実際は、1時間にも全く満たないかもしれないし、それで、「僕は何て駄目なんだ」と悲観したり、「死ぬ気でやるぞ」などと悲壮になる必要もない。実際は気楽でいい。
しかし、「健気(けなげ)さ」というものがない者は、何をやっても駄目であると私は思う。
真言は、今回は述べないが、宗教でもあるのだろうが、むしろ、科学であると思う。
そして、釈迦も言ったとされるように、普通の人が幸福になるための唯一の手段であるに違いない。
なぜかと言うと、人間は、自分のものであっても、身体も心も支配出来ない。
だが、唯一、言葉だけは支配出来る。その言葉の中でも、ずっと支配出来るのは真言だけなのである。








ただ真言、後はいらない

ほとんどの人が、真言さえ唱えれば、一切の問題が解決し、救われることを知らない。
真言より他の方法もなくはないが、それは難しい。
これは、あくまで、中村天風の高弟だった藤平光一氏の著書にあったことだが、中村天風は死に際に、「俺が教えたことは全部忘れろ」と言ったらしい。
もしそれが本当なら、中村天風の心身統一法などの教えは、やはり、少なくとも普通の人には無理なのではないだろうか?
中村天風は、「今後は藤平光一のところへ行け」と言い残したらしい。
だが、藤平氏の本は良いことが書かれていて、私も愛読しているが、やはり、難しいと思う。
藤平光一氏と同じく、中村天風と植芝盛平の両方の高弟であった佐々木の将人(まさんど)氏は、いろいろな話を本に書いているが、『数霊のメッセージ』を読むと、
「アーと言うと、悩みは解消する」
「アーと一言言うと、事態は必ず好転する」
「アーオーウーエーイーと言うと、四隅の悪霊が全部祓える」
「アジマリカンと言うと、悪霊はたちまち退散する」
と書かれている。
ここだけ憶えておけば良い。
岡田虎二郎は、岡田式静坐法で一世を風靡したが、死ぬ直前、書いたものを全部燃やした。そして、49歳の若さで亡くなった(もっとも、当時の平均寿命は40歳くらいだったが)。
その岡田虎二郎が、「念仏さえ唱えれば、一切の問題が解決し、救われる」と言ったのである。
念仏もまた、真言である。
佐々木の将人氏が言った「アー」や「アーオーウーエーイー」や「アジマリカン」の言霊、あるいは、呪文も真言である。

真言を、1日1万回唱えよとか、1日1時間唱えよと言う指導者がいるし、それを実践している人もいる。
そんなことを教えたり、自分でやっている人の多くは、真言を口に出して唱えている。
だが、そんなやり方では、普通の人は決して続かない。
それで、親鸞が、実に凄い、そして、有り難いことを言ったのを思い出すべきである。
「念仏を唱えなくてもいい。唱えようと思いさえすれば良い」
この教えは、師の法然の怒りを買ったらしい。
しかし、凡民を救ったのは親鸞であり、江戸末期から昭和の初期にかけ、親鸞の教えにより、妙好人と呼ばれる、念仏により仙人のような存在になった者が多数現れた。
念仏でも、その他の真言でも、自分が好きなものを、声に出そうが、心の中で唱えようが構わないから、1日中、常に唱えようとするのである。
ほとんどの場合、心で唱えることになると思うし、実際は、それが圧倒的に正しい。
「今日も常に真言を唱えるぞ」と思い、それを思い出す度に唱えるのである。
それで、結婚したければ結婚出来るし、お金が欲しければお金が入るし、恋人が欲しければ恋人が出来るし、仕事が欲しければ仕事に恵まれるし、健康になりたければ健康になれる。
願いが叶うまで唱えるのである。
しかし、そんな願いは、取るに足りない。
人間には、もっと大事なことがある。
人間の一番の望みは何だろう?
それは、ぐっすり眠ることである。
世界のお金持ちと言えば、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクらがいるが、もし、彼らが、夜、ぐっすり眠れないようであれば、ぐっすり眠れる貧乏人に劣るのである。
なるほど、確かに、あなたをぐっすり眠れない成功者にしないための摂理が働き、なかなか願いが叶わないかもしれない。
イーロン・マスクらは、精神が強いので、眠れなくてもしばらくは耐えられる。
しかし、普通の人は、なかなかそうはいかない。
だから、本当の幸せはぐっすり眠ることであることが真に理解出来れば、驚くほど容易く願いは叶うようになるだろう。








「アジマリカン」と「とほかみえみため」

少し前から、「とほかみえみため」という古神道の祓詞が人気があるようだ。
初音ミクさんが唱えているからだろう(笑)。
★YouTube|【初音ミク】銀河を祓う『とほかみえみため』40回
「とほかみえみため」の意味は、大野靖志氏の『とほかみえみため~神につながる究極のことだま~』によれば、
「遠津御祖神(とおつみおやのかみ)、十神のすべての神様、微笑んでください」
という意味のようだ。

ところで、山蔭神道には「アジマリカン」という強力な神呪がある。
これに関しては、この言葉を語るに最も相応しいはずの、山蔭神道の当主であった山蔭基央氏が、『神道の神秘』の中で、「意味は不明」であり、天地初元の時からある「言霊」と山蔭神道では教えているとしている。
「アジマリカン」について他に語られているものとしては、合気道家で、山蔭神道の神道家である、佐々木の将人(まさんど)氏が、『数霊のメッセージ』の中で取り上げている。
そこには、「アジマリカン」は、「ア」の音で始まる呪文で、唱えれば悪霊はたちまち退散すると書かれていただけである。
だが、佐々木氏のこの本が素晴らしかったので、私は、信じるに値すると思ったのである。
佐々木氏の本は、他のものもとても良かったし、関英男博士との共著も実に素晴らしいものだった。
尚、「アジマリカン」に関しては、斎藤敏一氏という方が、本を3冊ほど書かれていて、私も2冊ほど買ったが、個人的には、全く納得も共感も出来ず、両方共、途中で読むのをやめた。ただ、あくまで個人的なことである。

尚、「とほかみえみため」については、大野靖志氏の『和の成功法則』『お清めCDブック』に付いていた言霊CD(「とほかみえみため」の祓詞も入っている)を、寝る時に流したら、不眠症になっていた私が、即座に眠れるようになった。
これも、あくまで個人的感覚であるが、不眠症だったのは悪霊の影響を受けていた感じだったのだが、それが消えたのである。

私にとっては、『数霊のメッセージ』その他の著者である佐々木の将人氏が言うのだから、「アジマリカン」は良いという以外の根拠は全くないが、私にはこれで十分なのである。
だが、とりあえずお遊びのようなものだが、吉野信子氏の『カタカムナ 言霊の超法則』に掲載された「カタカムナ48の思念表」を使って、「アジマリカン」の意味を、私なりに解釈すれば次のようになる。
「生命と死を受け入れ、そして、それを離れれば最大の力を得る」
ところで、「アジマリカン」の母音は「ア」と「イ」しかない。
「ア」は1を示し、最初の母音で、秘めたる力を持つ。「イ」は5で母音の最後(現在のアイウエオでは2だが本来アオウエイで5)で、「ア」と「イ」で最初と最後になる。
さらに、「アジマリカン」の最初の「ア」が1で「ン」は10で最後なのである。
そして、「マ」の音が中央付近にあるが、「マ」はいったん口を閉じなければ発せられない言葉で、途中でいったん口を閉じるところに意味がある。つまり、それは、初めての音であり、「マ」は命の源や誕生を意味する。
それらから考え、「アジマリカン」には原初の力がプログラミングされた強力な呪文のように思えるのだ。
私の感覚では、「アジマリカン」はパワーのプログラムであり、非常に頼もしいものであり、いざという時の必殺技である。
まあ、不謹慎な説明かもしれないが、私としては、これで納得している。

各自、自分が良いと思うものを採用すれば良いのだと思う。
よって、好みにより、「アジマリカン」や「とほかみえみため」を唱えると良い。
尚、「とほかみえみため」は、先程の『カタカムナ 言霊の超法則』で解明しようとすると、手に負えないながら、ただならぬ言葉であることは分かるのである。








「アジマリカン」の信頼性

前にも書いたが、「アジマリカン」の呪文がなぜ良いかというと、山蔭神道の当主だった山蔭基央(やまかげもとひさ)氏と、合気道家で、山蔭基央氏との縁で山蔭神道の神官になった佐々木の将人(まさんど)氏が良いと著書に書かれているからとしか、私には言えない。
とはいえ、彼らに著書の中にだって、特に、「アジマリカン」が効くというエビデンス(論理的な根拠)のようなものがある訳ではない。
ただ、「ああ、こういうことを言う人なら間違いあるまい」と思うだけである。
お二人とも既に亡くなっておられるが、もし、直接訪ねて行っていたら、私は、更に(アジマリカンが良いという)確信が得られたかというと、それは分からない。
偉大な人だって、個人としては、ただの人だし、真に優れた人は自分を飾らない。だから、偉人を訪ねて行ったが、期待はずれでがっかりしたという話は多い。
例えば、ゲーテを訪ねていった青年は、一目ゲーテを見るなり、その顔には明らかな失望の色が見えたという。
若い頃は美男子であったゲーテも、中年以降はかなり肥満していたようだからだ。
だが、そのゲーテは、老年になってすら十代の恋人が常にいたのであるから、表面には表れない特別なものがあったことは間違いないだろう。
逆に、どう見てもロクでもないオッサンなのに、「この人は偉大だ」という強い妄想的な憧れのせいで良く見えてしまう場合もあり、それが、大規模な宗教詐欺のようなものにつながることもある。

ところで、注目すべきは、山蔭基央氏も佐々木の将人氏も、神道以外に専門があり、山蔭氏は経済学で、佐々木氏は合気道であり、共に、超一流であった。
私は、山蔭氏の経済学や、佐々木の合気道そのものは分からないが、彼らが、そこから得た叡智は、彼らの著書から少しは感じ取れるのである。
本物は、このように、宗教、思想、哲学といった(概念的、抽象的、形而上学的な)ものの他に、何か現実的なものを持っているのである。
特に別格なのが、空海と、江戸末期の神道家、黒住宗忠で、彼らは、政治や武術や土木など、(現場に詳しい訳ではないが本質的に)何にでも通じていた。だから、空海は大規模な土木事業を指揮したし、黒住宗忠は武士の武術のアドバイスをするこも出来た。
私が知っている例では、政木和三氏のことがある。
私は、政木和三氏が生きておられた時に何度かお会いしていて、政木氏は偉大な霊的指導者であると共に大変な発明家であるが、私は、政木氏の研究所に行った時に、まず、その研究所の様子から、「ああ、この人は偉い人だ」と思ったのである。
全く豪華ではなく、また、雑然としていたが、研究開発に必要なものだけが自然で素朴な配置になっていたのである。
これは、会社のオフィスで、単に机の上が散らかっている人とは全然違う。
オフィスでは、机の上を見れば、その人の仕事の能力は99.999パーセント分かり、仕事が出来る人の机は、机の上も引き出しの中も見事に整理されている。
政木氏も、机そのものはきれいであったが、研究室の研究開発現場は、いわば「秩序ある混沌」とでも言うべきもので、非常に良い雰囲気だと感じたのである。

そして、政木氏にしろ、山蔭氏、佐々木氏にしろ、私が関心を持てば、限りないシンクロニシティ(共時性。意味のある偶然の一致)が頻繁に起こっているのであるから、やはり、信頼して大丈夫なのである。
ただし、悪い新興宗教の教祖に騙されて酷い目に遭う人も多いのだから、単に感動を感じたという理由で信用し過ぎるのも問題であろう。
まず、確実なことは、本物は金品を要求しない。
なぜなら、彼らは経済的にも必要なだけ得る手段や能力があり、無理に献金を募る必要がないからだ。
高額な寄付を求めるような団体を率いる人には、注意した方が良い。
インドのサイ・ババは、噂では、信者に多額の献金を要求したように言われるが、実際に、サイ・ババ関係の団体に居た人によれば、寄付を強要されたことは一度もなかったらしい。

「アジマリカン」がいかに現世利益のためのまじないではないと言っても、これが本当に良いものなら、それを薦める人が経済的に困っているはずがない。
念仏の教えを説いていた・・・と言うよりは、念仏の教えだけを説いていた法然や親鸞だって、権力のおかしな介入がありながらも、贅沢ではないにしろ、必要なものは得られ、80歳(法然)とか、90歳(親鸞)で亡くなるまで安楽に過ごせたのである。
よって、念仏も間違いのないものなのであるが、現在では、念仏は葬式の道具になってしまったようだが、実をいうと、念仏というのは、論理的に力あるものなのである。
それは、黒住宗忠が、天照大神をひたすら崇めたのと同じことであるが、それはまた別の機会に語ろうと思う。
だが、とにかく、「アジマリカン」を唱えていれば間違いないと言えると思うのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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