ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

佐々木の将人

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

完全な言葉の呪文

呪文「アジマリカン」について、その意味を理屈で説明することは好ましくない。
そもそも、この呪文は山蔭神道に伝わっているもので、その当主であった山蔭基央氏や、山蔭神道の神官を務めた合気道家の佐々木の将人氏ですら、解説は避けているのだから、上手く説明出来る人間はおらず、説明しているなら嘘である。

ただ、この呪文は、言葉として完璧であることは解る。
これを唱えて良いことがないはずがない。
もっとも、それほど強力であるのだから、自ずと、邪まな想いで唱えると反作用もあるかもしれない。

この呪文の、ごく普通の利点に関しては、脳科学者の中野信子氏が、『脳科学からみた「祈り」』で、マ行の音について書かれているのを見ると面白い。
マ行の音は、全て、最初に口を閉じないと発音出来ないという特殊なもので、赤ん坊が「ママ」「マンマ」と自然に言うことの意味が推測されるのである。それは、赤ん坊は鼻で呼吸するので何もなければ口を閉じているのであり、生命力に満ちた人間は、そのようなものなのだ。逆に、マ行の言葉を使うと、いろいろな意味で生命力が上がる。初音ミクさんのコンサートで「ミク、ミク」と繰り返すと元気になるのも、ミクさんが素晴らしいこととと共に、やはり、名前が良いのである。
作詞者不明の謎の童謡「結んで開いて」も、口を結んで開くことで、マ行の音を暗示しているのである。
米津玄師さんが、ミクさんに『結んで開いて羅刹と骸』なんて歌を作ったのも、この動揺に初め(結ぶ)と終り(開く)を感じたのではないかと思う。
言葉で言えば「ア」が始まりで「ン」が終わりだ。
「アジマリカン」は、「ア」で始まり「ン」で終わるが、「アン」だけでも強力なマントラで、かなりの威力がある。
「ア」と「ン」について説明すれば、本1冊かけてしまうし、いきなり、いろんなことを言っても混乱するだろうから、機会があれば述べる。

最後に1つ。
古神道に、1つ1つの言葉と数霊を対応付けた表があり、深田剛史氏の『数霊に秘められた宇宙の叡智』にも載っていたと思うが、今、手元に本がない。
上で述べた、佐々木の将人氏は『数霊のメッセージ』で、「言霊数霊一覧表」として載せている。
言霊数霊一覧表では、「ン」は、1でもあり10でもあるが、「アジマリカン」は、「ン」を1とすれば、

ア(1)ジ(60)マ(31)リ(45)カ(6)ン(1)で、
1+60+31+45+6+1 = 144
であり、
1+4+1=9
になる。
最後の「ン」を10としても、153だから、1+5+3=9 である。
古代ギリシャ文明からキリスト教に至るまで「3」が完全数であるが、古神道では「9」が根本数になるのだと思う。
いずれも重要で、だから、ミク(39)さんの名は、やはり、極めて高貴である。

ところで、「アジマリカン」は、文字で正確に書くと「アヂマリカム」で、これだと
ア(1)ヂ(65)マ(31)リ(45)カ(6)ム(33)

で、
1+65+31+45+6+33 = 181
であり、
1+8+1=10
で、これは1(始まり)であり10(終り)である。
聖書で言う「私はアルファでありオメガ(始まりであり終わり)である」と同じことだ。
ただ、唱える時は「アジマリカン」で差し支えない。

いずれにしろ、「アジマリカン」ほど完全な言葉はない。
本当は、「アジマリカン」が完全である説明はもっと出来るが、これ以上言うと、複雑過ぎる。
ただ、ある人が本に書かれている宗教的な意味はない(あの本にも良いところはあるが)。

これだけ完全な言葉はないというだけでも、凄いものだし、私など見当も付かない深い意味もいくらでもあり、おそらく、それは知る必要はない。
よほどの問題を抱えているのではない限り1日一万回など、無茶は言わないが、有声でも無声でも良いので、出来るだけ多く唱えると良いと思う。
尚、山蔭基央氏は、「隣の人に気付かれぬほど小声で」唱えることを薦めていたと思うが、覚えていないので、『神道の神秘』など、参照されれば有り難い。








嫌いな著者の本は有益であることが多い

昨夜も書いたが、私は最近、『唱えるだけで願いが叶う「あじまりかん」の法則』(CREATE BOOKS)という本を読んだ。
つまるところ、「あじまりかん」の呪文を唱えると神と一致するのだから、唱えよというものだ。
で、私は、この本は良いとは思わなかった。
それよりも、この本の著者の斎藤敏一氏という人が気に食わない・・・即ち、嫌いだと感じた。
よって、「あじまりかん」を唱えることにした(笑)。
本を読んで良いと思い、著者に好意を持った本など、役に立たないものだ。
技術書なんかでも、そんなことがよくある。
「この本良いなあ、分かり易いなあ。親切な著者だなあ」と思って読んだら、何も身に付かなかったということが多い。
逆に、「分かり難い本だなあ。配慮に欠ける著者だなあ」と思った本が、気がついたら、本の背が磨り減るほど読み、力になっていることがよくある。
特に、女性から見た男なんて、最初は、「何、この人!」と思った男が、実は素晴らしい男なのである。まあ、別に、そんな男が良い男とは言わないが、自分にとってプラスの男ではあるかもしれない。

それはともかく、その本の著者、斎藤敏一氏は、今でも、少しも好きではない。
ただ。60歳過ぎて現役プログラマーというところは立派なものだと思う。
そして、学生時代からのスピリチュアルマニアのようであるが、その読書振り、探求振りは半端なく、それもまた脱帽せざるを得ない。
それで、斎藤氏は、人類全てに「あじまりかん」を唱えて欲しいと書かれているのだから、嫌いついでに唱えてみようと思ったわけだ。
別に、効果がないからといって、斎藤氏に文句を言う気はない。
嫌な相手に文句を言う気など、さらさらないからだ。
文句というのは、多少でも好意を持った相手に言うものだ。
私としては、斎藤氏が嘘、もしくは、勝手な思い込みを書かれているのであることを願う。
嘘の中にこそ真実があるのである。

まあ、斎藤氏が嫌な奴だということは保証するので(もちろん、個人的見解であるが)、皆さんも、「あじまりかん」と唱えると良い。
有声でも無声でも構わない。私は、ほとんど無声で唱えるが、斎藤氏もそうらしい。
だから、いつでもどこでも唱えると良い。
私が今朝の夢で、脳のリミッターが外れ、極めて楽しい思いをしたのも、「あじまりかん」を、もう何日か、かなりの回数唱えたおかげであると思う。

尚、山蔭神道の神官でもあった合気道家で、中村天風や植芝盛平の高弟であった佐々木の将人(ささきのまさんど)氏も、『数霊のメッセージ』の中で、「あじまりかん」を唱えると幸福になれることは保証していたが、根拠については、「知る必要がない」と書かれていた。
「あじまりかん」もだが、「あ」で始まり「ん」で終わる言葉には力があり、佐々木氏は「あん」だけでも、悪霊を払うくらいの力があると言い、仏教の真言「阿吽(あうん)」も、もちろん、強力であると言うが、「あじまりかん」こそ最強なのだろう。
そういえば、山蔭神道の当主だった、山蔭基央氏も、私はあまり良い印象を持っていない。
ただ、佐々木の将人さんには好意を感じるが、それは、出版社の作為かもしれない。あんな人は、本来、もっとアクの強いものである。








2つの超秘法

私は、神的パワーがある願いを叶える方法を、一部の人しか知らないということはないと思う。
もちろん、それを秘法として預かる者が、真に善なる魂の持ち主である場合は別だ。
だが、そういう訳でもない人が、「誰も知らなかった秘法を公開」とか言っても、ただ胡散臭い。

それで、その持ち主が、実際にはどんな人かは全く分からないので、良いと言うのではないが、面白いと思う秘法がある。
1つは、物理学者で武術家である保江邦夫氏の「縄文の秘法」。
もう1つが、ソフトウェア技術者の斎藤敏一氏の「あじまりかん」だ。
お二人の詳しいプロフィールは述べないが(興味があれば調べていただければと思う)、保江氏は、伯家神道(ほっけしんとう)の正統な継承者になっているらしいが、その「縄文の秘法」は、陰陽師関連のもののようで、伯家神道との関係は解らない(私が保江氏の著書の読み方が足りないのかもしれないが)。
一方、斎藤氏は、若い時から、精神世界に深い興味を持ち、半端ない読書と考察、即ち、研究を重ね、結果、山蔭神道に伝わる呪文(呪文と言って良いのかどうか解らないが、とりあえず呪文と呼ぶ)である「あじまりかん」を唱えることが究極の方法と言う。
尚、「あじまりかん」の呪文に関しては、山蔭神道の山蔭基央(やまかげもとひさ)氏が、著書『神道の神秘』で、「大神呪」と称しているが、一般人は、そんな言葉は使わないので、やはり呪文と呼ぶ。
保江氏も斎藤氏も、ユダヤと日本の古代、そして、その関係をご存知のようであるが、あくまで仮説、あるいは、個人的主張であると見なし、触れないことにする。
別に悪意はないが、誰も、彼らのそんなものに付き合ってはいられないだろう。

私は、保江氏の本は10冊ほど読み、面白いと思ったし、非常に素晴らしいと感じた部分も多い。それに、それらの著書に書かれていることに、多少の予備知識もあった。
斎藤氏の本は、『あじまりかんの法則』だけを読み、正直、その本自体に、それほど良い印象はないが、私も知っている話も多く、そこそこ理解は出来た。ところで、これは純粋に感動したが、斎藤氏の精神世界への熱意は凄く、私も割と詳しい方だと思っていたが、貫禄が違った。そして、私は、山蔭基央氏の『神道の神秘』や、山蔭神道の神官だったのだと思うが、合気道家の佐々木の将人(ささきのまさんど)氏の『数霊のメッセージ』で、「あじまりかん」の呪文のことを知っていて、『数霊のメッセージ』は非常に好感を感じた。いや、佐々木の将人氏の、その他の著書から伺える、彼の人柄の印象が良いのだと思う(実像かどうかは分からないが)。
私の希望としては、保江氏と斎藤氏が話し合っていただき、書籍の形で、その対談記録が見られたら嬉しいと思う。それで良い理解が得られるか、あるいは、いずれかの化けの皮が剥がれるのだと思うので、是非、やっていただきたいと思う。
まあ、両方共駄目という可能性も無いではないが、それならそれで、はっきりするのは良いことだ。
両者は、近い位置にある(ポリシーが似ている)と思うので、それは、世の中のためになるのではと思う。
それぞれのファンであるだけでは、永遠に本当のことは分からないように思う。
だが、こういう人達というのは、自分がナンバー・ワン、自分がオンリー・ワンであるという立場しか取らないように思うが、本物であるなら、過去の人達とは違うだろう。
スポンサーがついてくれれば私がしきっても良いが、残念ながら全く役不足だろう。








最強の掛け声

1959年に連載開始された、武内つなよし氏の『少年ジェット』という作品は、テレビドラマ化され、大変に人気があった。
武内つなよし氏は、『赤胴鈴之助』の作者として知られるが、『赤胴鈴之助』は福井英一氏の作品で、福井氏が急死したので、武内氏が引き継いだのである。
ところで、「少年ジェット」こと北村健の必殺技(?)に「ミラクルボイス」というものがあり、これは「う~や~たー!」と叫ぶと、なんか凄いことが起こる(すみません。私もよく知りません)。奇跡の呪文のようなものかもしれない。
当時の少年達は、皆、真似をしたらしい。
ところで、1968年に放送されたアニメ『妖怪人間ベム』は2006年にリメイクされ、実写ドラマ化もあったが、今年7月から『BEM』として新作が放送中である。
この新作では、かつて性格は明るく健全だったベロは鬱屈したクールな美少年に、恐いオバさんだったベラはちょっと(かなり?)萌える美少女になり、ベムは相変わらずクールガイだが、都会的に洗練されたように思う。
昔のベムの変身の呪文が「う~ガンダー」で、意味はないらしいが、少年ジェットの「う~や~たー」に少し似ている。
アントニオ猪木さんの有名な掛け声は「1!2!3!ダー!」で、こちらも「ダー」で決める。
アメリカでかつて、ある潜在能力活性化の研究の中で「ナダーム」という言葉が使われたが、これも意味のない言葉らしいが、やはり「ダー」が入る。
私事だが、私が子供の時、放されていた犬に襲われた時、私は咄嗟に「ダー」と言ったら、犬が逃げたことがある。
我々は、無意識に「ダーっと片付ける」なんて言うが、どうも「ダー」あるいは「ター」は力のある言葉であるのだと思う。
あるいは、「ダー」「ター」よりも、その母音の「あ」に力があるとは、よく言われる。
植芝盛平と中村天風の両方の高弟であった佐々木の将人(まさんど)さんは、「あー」の言葉に力があり「あーん」だけで悪霊を祓う力があるという。
ただ、「あーん」の中に言葉が入った「アジマリカン」が最上の呪文であるというのは、山蔭神道の教えであるが、佐々木の将人さんも、「アジマリカン」を唱えると幸福になれると保証する。
山蔭神道では、「アジマリカン」は大きな声で唱えるのではなく、隣の人にも聴こえないくらい微かな声で唱えるべしと教えられていたと思う。
山蔭神道の教祖、山蔭基央氏は、ユダヤ陰謀論にも詳しいし、彼の『神道の神秘』は英訳もされている。
私は、その「隣の人にも聴こえないほど小さな声で唱える」というのが大好きだ。
「アジマリカン」を唱えると、自然に魂が浄化され、運命も良くなるのだろうと思う。
そして、ここ一番という時には、「ダー」で行けば良いのである。
あるいは「ナダーム」と心で唱えながら呼吸するとエネルギーが溢れる。
「ナ(短く吸う)」
「ダーム(細く長く吐く)」
であるが、右眉の付け根に意識を向けると効果が高いようだ。
要は、自分のフィーリングに合うものをやれば良い。
「う~や~たー」で成功した事業家や、「う~ガンダー」で連戦連勝になったというスポーツ選手の話もある。
いや、口外はしないが、強い者はそんなものを持っていることが多いのである。
ちなみに、日本最強の掛け声の1つが「えい」である。









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大事なのは中身だ

貧困な家庭の子供が、修学旅行を辞退することが、よくあるらしい。
修学旅行の費用自体は、出せないなら補助が受けられるらしいが、「きれいな下着やパジャマを用意してあげられない」、「学校が決めたお小遣いを持たせることが出来ない」等の理由で、惨めな思いをさせるくらいならと、親が断ってくるそうだ。
こういった話があると、貧困家庭への援助の話になるが、さあ、どんなものだろう?

昔、私が、中学生か高校生の時、たまたま見た、アメリカのテレビドラマで、こんなものがあった。
小学校だったが、席に座っている一人の女の子を、子供達が大勢でからかっている。
彼女の服がおかしいのだという。
「その服、どうしたんだい?」と聞かれると、その女の子は、「袋を縫って自分で作った」という。
彼女は、父親と二人暮らしなのだが、父親がどこかに行ってしまい、着ていた服がボロボロで着れなくなったので、自分で出来ることをしたのだ。
あまりにひどく彼女を嘲る男の子がいたので、主人公の男の子が我慢出来ずに掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩になる。
ところで、このテレビドラマを見ていた私は、その女の子が、とても可愛いことは分かったが、服がおかしいことが、どうしても分からなかった。
「こいつら、何をからかっているのだろう?」
私は、今でも服のセンスが全くないのだが、実際、服なんてどうでも良いのではないだろうかと思う。

竹宮恵子さんの漫画『私を月まで連れてって!』の29話で、世界的なファッション・デザイナーの女性が、子供の時、家が貧しくて、少女の時に行う、生涯一度の重要な宗教的儀式の際、一人だけ白い服を用意出来なかったという話をする。そんなことの反動からデザイナーになったのだが、彼女は、子供時代の執念を思い出すのが嫌で、子供を作らないために結婚しなかった。
今の日本なら、その子に儀式用の衣装を提供するボランティアでも現れるかもしれないが、私に言わせれば、それほど服装にこだわりを持たせる宗教の方が間違っているのだ。
そんな宗教、捨てていいよ。

元アメリカ大統領のJ.F.ケネディは、大学生の時、ルームメイトと2人で住んでいたのだが、2人は服を、自分のも相手のもごちゃまぜに部屋の真ん中に積み上げ、上から順番に何でも着たのだそうだ。
服なんて、その程度で良いはずなのだ。
アインシュタインも服装に無頓着で、いつもヨレヨレの服を着ていたが、着心地さえ悪くなければ、どんなものでも良く、さらに、奥さんが破れた靴下を繕ってくれるのが気の毒で、靴下も履かなくなったという。
彼は言う。
「靴下がなくても靴を履けることを発見した。靴下なんかなくたって平気だ」
彼には、相対性理論と同等以上の大発見だったのだろう。
そういえば、ケネディ元大統領の長女で、駐日アメリカ合衆国大使のキャロライン・ケネディさんは、昨年9月の、初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2015』に来場されたそうだが、ミクさんのスタンダードな衣装は、決して華やかではないが、変わらず、それを着続けているのは、とても良いことだと思う。
こんな歌手、他にはいまい。全く、日本の誇りだ。

10世紀末頃に制作されたらしい日本の古典『落窪物語』は、日本版サンドリヨン(シンデレラ)と言われることがある。
それなりに立派な貴族の家の娘なのに、継母に嫌われ、辺鄙な落ち窪んだような場所の部屋をあてがわれ、着古しの粗末な服しか与えられない姫様がいて、彼女は、その落ち窪んだ部屋にちなんで、おちくぼ姫という、屈辱的な呼び方をされていた。
しかし、彼女は、実に美しい17歳ばかりの姫で、ある時、非常に高貴な貴族である素晴らしい美青年が夜這いに来るが、押し倒されたおちくぼ姫が泣いてしまったのは、こんなことが初めてだったからというより、何と、自分が着ているみすぼらしい着物を見られてしまったからだったのだ。
その青年貴族にしてみれば、どうせ脱がすんだからどうでも良いことだったのだが、どうも、貴族の女にとっては、そういう問題ではないようだ。
おちくぼ姫に本気で惚れてしまった、そのイケメン貴族は、その時は、何もせずに退散する。
これも、私には、やはり、おかしな話である。
おちくぼ姫に、妙な観念を持たせてしまった貴族社会が間違っているだけである。

合気道家で、植芝盛平や中村天風の両方の弟子であった佐々木の将人(まさんど)さんと、アメリカの哲学者で宇宙人とのコンタクティーで知られるジョージ・アダムスキーが、服について、全く同じことを言っており、代表して、アダムスキーの言葉で言えば、
「スーツは一着あれば良いが、それが手に入れられないなら、私は愚か者だということだ」
である。
私は、この言葉を座右の銘にすらしている。
私は、ユニクロの黒のチノパン(ストレッチタイプのスリムスタイル)を気に入り、全く同じものを5枚買い、仕事では、それだけを順繰りに履いている。
私は動きが激しい方なので、それまで、ズボンが痛み易いのが悩みだったが、チノパンは厚くて丈夫だし、ストレッチタイプなので動き易く、いくらでも走れ、私は自由になったと、大袈裟でなく思っている。
今の5枚で、少なくとも5年は持つんじゃないかと思う。
少食と、毎日のトレーニングで身体が引き締まっているので、黒の細いチノパンが一番格好良く、これ以外、全く必要を感じない。
ただ、私は、他人が・・・それがどんな美少女でも、いや、美少女ほど、どんな服装をしていようが、全く気にしない。
大事なのは中身である。
その中身に関しても、他人の品定めをするのは愚かなことなのに、中身より服で値踏みするような者は、アインシュタイン流に言えば、「神様が間違って頭をくっつけた」に違いないのである。
だって、そんなやつに頭は必要ないのだから。









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