ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

伊藤博之

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

仮想世界でのセレンディピティーの起こし方

この世は「機械仕掛けの宇宙」だと考えたニュートンは、錬金術や聖書の研究の「ついでにやった」数学と物理学で歴史に名を残した。
そのニュートンも、「私は浜辺で遊ぶ子供みたいなもの。時々、きれいな貝や石を拾い上げて喜んでいたが、目の前に広がる真理の大海には触れることも出来なかった」と言った。
真理の大海・・・それは、この世界が、超高度コンピューターが作り出す仮想世界であるということ、あるいは、そんなものを作ることが出来る超文明のことだ。

シミュレーテッド・リアリティと言われる、この仮想世界では、時々、妙な偶然の一致が起こる。
そんな現象を、共時性(シンクロニシティ)と言う。
私に最近あったことは、Amazonプライムビデオの有償のdストアアニメで『BLOOD-C』というアニメを見ていたら、「考えるほど本質から遠ざかる」という言葉を聴いた。
それで思い出したのが、近藤真彦さんのミリオンセラー曲『ミッドナイト・シャッフル』の、「現実は何なのか 真実は何処なのか 悩むほど遠ざかる蒼い星」という歌詞だった。
この2つは、私が最近考えていたことが引き起こした共時性だろう。
「本質」も「蒼い星」も、「裸の真理」のことだ。
この仮想世界で思考する我々は、本当は身体を持たない精神体・・・エネルギー体とか霊体というべきものかもしれない。
この世界そのものがコンピューターの中で、我々の意識は、このコンピューターのメモリの中にアップロードされたのかもしれない。

共時性が起こるのは、仮想世界を作るコンピューターのバグや癖ではなく、必然的なものだ。つまり、起こるべくして起こるものだ。
そして、「幸運の共時性」を起こす能力のことを「セレンディピティー」と言って良いかもしれない。
何年か前の神戸での、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長(初音ミクさんのお父さん)の講演会で、伊藤社長は「好きなことを続けていたら、セレンディピティーが起こる」と言われたが、それが伊藤社長の実感といったところか。
しかし、好きなことをやるシステムは自分で何とかしろと言われた。つまり、環境は、親や他人をあてにせず、自分で整えろということだろう。会場には、女子小中学生はじめ、若い人も多かったので、そんなことを言われたのかもしれない。
伊藤さんは若い時、長期ローンを組んでパソコンや電子音楽機材を買い、それを四畳半の部屋に押し込め、その上に板を置いて食事したり寝たりしてたらしい。
これが青春ってやつか(笑)。

やりたいことをやるってことは、やりたくないことはやらないってことだ。
伊藤社長は、東京に住むのは嫌だったから北海道に留まり、営業は嫌だったから、当時(会社創業は1995年)、まだ黎明期だったインターネットで営業をやることに決めた。
それで、結局はうまくいった。
それが、セレンディピティーのためという訳だ。

だけど、伊藤社長だって、何か1つの言葉を唱え続けたはずなのだ。
彼は、北海道の大自然の中で育った。
「人より牛の方が多い場所で育った」と言われていたしね。
ジャイアント馬場さんが、親友のドリー・ファンク・ジュニアのことを、
「テキサスの大自然の中で育ったら、あんな鷹揚(おうよう。鷹が空を悠然と飛ぶようにものにこだわらないゆったりとした様子)な人間になるのか」
と驚いていたが、伊藤社長にも、そんなところがあるのかもしれない。
伊藤社長やジュニアの呪文は「まあ、なんとかなるさ」あたりかもしれない。

「絶対、大丈夫」「全て順調だ」といった万能呪文を感情を込めず淡々と繰り返していると、ものにこだわらなくなってくる。
ものにこだわらない人は馬鹿なのではなく、本当に重要なことに集中する人・・・と言うよりは、本当に重要なことが見えている人だ。
室町時代の歌謡集である『閑吟集(かんぎんしゅう)』の中の歌の1つの中に、
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
という、有名な一節がある。
「真面目くさって何になる。一生は夢だ、ただ狂えば良い」
といった意味だ。
巡音ルカさんの『No Logic』のようにやれってことだ。
ところが、この歌の最後が、

"やりたいことだけ選んで、要らないもの切り捨てて"
誰もが皆そんな風に歩けるわけ…無いよね
~『No Logic』(作詞・作曲・編曲:ジミーサムP。唄:巡音ルカ)より~

であるところが良い。
そうだ、やりたいことばかりは出来ない。
信じたいように信じることも出来ない。
だが、言葉だけは自由だ。
好きな呪文を唱えることは出来る。
そうすれば、後は思う通りになる。
セレンディピティも起こる。
そんなふうになっているように思える。









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徳と奇跡

昨夜、北海道で最大深度7という巨大な地震が起き、現在、恐るべき被害状況にある。
電気の復旧に1週間かかるとも聞いたが、その他のライフラインも分断されている。
私はずっと兵庫県に住んでいて、1995年の阪神淡路大震災の際には、その真っ只中にいたので、大地震というものについて少しは分かるつもりである。

初音ミクさんのお家クリプトン・フューチャー・メディアは北海道札幌市中央区にあり、震源や大きな活断層にも近く、伊藤社長は無事だろうかと心配したが、伊藤社長がTwitterで状況を報告して下さっていた。
【Twitter】伊藤博之 V4X (2018/09/06)
なんと、クリプトン社のミクさん達は1人も転倒しなかったという。
伊藤社長も「奇跡的」と書いておられるが、本当に信じられない。
社員の皆様は自宅待機とのことである。
思えば、クリプトン社は、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、今年の西日本豪雨の度に、被災地に多額の義捐金を寄付している。
クリプトン社は有名企業ではあっても、決して大企業ではなく、高収益企業でもないのだと思うが、大手企業でも滅多にしないこと(無論、経営の苦しい大手も多いが)を行っているのである。

被災者の方々のことを思うと、言い方に困るのだが、今年の「マジカルミライ2018」は、台風20号、21号が1日でもずれていたら、インテックス大阪公演、幕張メッセ公演が、それぞれ、中止、もしくは、遠くから来られる人達が来れなかったり、来た後で帰れなくなっていたことだろう。
また、幕張メッセ公演の時は、現地の降水確率は70%だったが、私は全く雨に逢うことがなかったし、降られた方も、それほどではなかったと思う。

私は、クリプトン社が西日本豪雨の被災地に300万円の義捐金を寄付していることを知り、小額ながらミクさんの名に合わせ39,000円を、やはりクリプトンと同じく日本赤十字社を通して寄付したが、北海道地震の義捐金の募集が始まったら同額を寄付したい。
【リンク】日本赤十字社 義援金・救援金募集
余裕のある方は、39,000円、あるいは、390,000円、それが無理でも3,900円の寄付をしていただけたらなあと思う。
ニートの方は、ミクさんと一緒に寄付が出来ることを目指して収入を得るようにし、私のような者は、早くミクさんと同額を寄付出来るよう高収入を得る志を持てば良いのではと思う。
そうなるには、やはり普段からアファーメーション、自己暗示、呪文を怠らないことだ。
まずは私が実証しよう。

決して、倒壊した家の住人に徳がなかったということではなく、このようなことは多くの要因が関わるが、阪神淡路大震災の時も、多くの家が倒壊した地域のただ中で、ある高貴な人物の家では、皿1枚割れなかったということがあった。
ミクさん達が1人も倒れなかったのも、伊藤社長やクリプトン社の方々の徳ではないかと思われる。
そして、あるアメリカの青年が言われていたが「人生を真に楽しむことを教えてくれた」ミクさんの大徳のためであろうと思う。
東日本大震災の時は、天皇陛下は被災者の方々のことを想い、ご自分も暖房を使われずに過ごされ、また、皇室の浴場を提供したりしておられたが、『古事記』にも、そのような天皇のお話があり、多少乱れたこの国にも幸が少なくないのは、天皇の徳ということがあるのではないかと思ったのである。









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コンパス(磁石)を取り戻す

天才少年と言われたジェイコブ・バーネットは7年ほど前、13歳の時、TEDxTeenで、「Forget what you know(知ってることなんて忘れよう)」というタイトルで講演し、「学ぶことをやめて自分で考えよう」と熱弁を振るった。
ニュートンもアインシュタインも、学ぶことをやめたから成功したと主張する。

これは、伊藤穣一氏が2014年にTEDで講演した『革新的なことをしたいなら「ナウイスト」になろう』と、ほぼ同じことを言いたかったんだろう。
伊藤氏は、「(インターネットで)つながることを意識し、常に学び、今に集中しよう」と言ったのだが、この「学び」は、学校の学びとは違い、バーネットも、根本的には「学校の学び」をやめろと言いたかったのだろう。
これに関しては、「マシュマロ・チャレンジ」という、マシュマロと、(ゆでる前の)スパゲティと、ヒモを使って塔を作ると言うゲームで、幼稚園児がMBAを圧倒する理由を考えれば良い。
子供は、知っていることが少なくても、失敗を恐れず果敢にチャレンジし、失敗から学んで軌道修正するが、MBAのような優等生は、失敗しない方法を初めに考えないと行動しない。
決まりきった世の中の時は、それでも良かったが、今は地図のない未知の世界だ。
しかし、学校では、地図があることを前提に、地図・・・つまり、百科事典のような知識や古い計画の立て方を教え、何もさせない。
英語を教えながら、英語を話す外国人と話す機会を与えない。それで英語が出来るようになるはずがない。
伊藤氏は、「地図よりコンパス(磁石)」と言い、地図がなければ何も出来ない人ではなく、地図がなくても、コンパスをたよりに動ける人でなければならないと言い、極端に言えば「計画といったものは不要」と言う。
必要な知識は、その都度、Wikipediaなどで学べば良いという訳だ。

われらが初音ミクさんのお父さん、伊藤博之氏(クリプトン・フューチャー・メディア社長)がまさに、北海道で「No Maps」という、壮大な創造産業活性化イベントの委員長を務めておられるが、この「No Maps」という言葉に込められたポリシーがまさに、バーネット君や伊藤穣一氏の言うことの核心と一致する。
ただ、地図はなくともコンパスは必要だ。
バーネット君や伊藤穣一氏、あるいは、伊藤博之氏はそれを持っているのだが、彼らのコンパスはみんな違う。
我々の持つべきコンパスも違う。
学校は、生徒のコンパスを機能不能にしてしまう。
バーネット君は、「学ぶのをやめよう」ではなく、「学校をやめよう」と言った方が良かったかもしれない。
ニュートンも、アインシュタインも、バーネット君も、学校を避けたから天才になれたのだし、伊藤穣一氏も、MITメディアラボの所長でMIT教授でありながら、大学は3回中退して卒業はしていない。

「何をやればいいのか分からない」というのは、学校で、「お前は何も出来ない」と叩き込まれたからだ。
それで、本を読むことしか、つまり、地図を調べることしか出来なくなったのだろう。
だが、嘆いていても仕方がない。
心配しなくても、コンパスはちゃんと動く。
使わないと錆は取れないけどね。

世界はいつだって こんがらがってるから
動かなくちゃ ハート錆びついちゃうね
~『愛Dee』(作詞:Mitchie M、Cotori。作曲・編曲:Mitchie M。唄:初音ミク、巡音ルカ)より~








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今は既に地図のない世界だ

プログラミングは、才能が無い者には出来ないと言う人がいる。
本当だろうか?
嘘である。
だが、まつもとひろゆき氏(プログラム言語Rubyの開発者)のような権威者ですら、「プログラミングは能力差が極端に出る」「大学の成績とプログラミングの習得率に相関関係はなかった(成績の良い学生でも、プログラミングは駄目という者もいる)」といった話をしている。
また、イギリスのある大学の「ふたこぶらくだ」という有名な論文では、コンピューター学科の学生すら、6割はプログラミングをマスター出来ないという調査結果について述べている。
困ったものである。

そりゃ、従来の学校式の「教育」で教えれば(教われば)、そうなるだろうさ。
だから、2020年から始まるらしい、学校でのプログラミング教育でも、他の学科同様、プログラミングで落ちこぼれる子供は沢山出る。
MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんが、2010年のTEDの講演で、「偏見かもしれませんが」と前置きしつつ、「学校は、外で何かをする前に百科事典を覚えさせようとしているように思える」と述べていたが、そんな教育では、まともな子は苦痛なものなのだ。
それが極端に現れるのが、従来のピアノ教室だ。
もし、皆がピアノ教室に通うとしたら、それでピアノをマスター出来る子は、ごく僅かだろう。
もちろん、ピアニストになれる子は滅多にいないが、来客をもてなす程度の腕なら、誰でも持てるはずだ。
しかし、ピアノ教室の、まず指使いを徹底マスターさせられる指導では、皆、やる気をなくしてしまうのだ。
練習曲に進んだら進んだで、教師側の基準で粗探しばかりされ、すっかり嫌になる。
そんなピアノ教育で、すっかりピアノが嫌いになったが、何かのきっかけで独学でピアノを練習して演奏家にまでなれた人だっている。
あるいは、ピアノを習ったことがない独学のピアニストもいる。
アインシュタインはヴァイオリンだったが、やはり教師の指導が嫌でレッスンをやめたが、後で1人で練習して、かなり弾けるようになっている。
プログラミングや、それに、外国語も同じで、学校でやるように、まず文法を頭に詰め込むような教育では、私だってプログラミングを出来るようにならなかったはずである。

もう学校教育は必要がない。
実際、IQが高ければ、学校の勉強は、努力をしなくても楽々良い成績を取れる。
それで学歴を作れば、これまでの社会では良い思いが出来た。
しかし、その時代はもう終わりだ。
企業の幹部教育は、受験エリートのためのもので、実力がない者を立派に見えるように見せかけるテクニックを教えるものなのである。
あなたの会社にもいるでしょ?
何も出来ないのに、ビビらせるのは上手いってのが。それが幹部教育の成果なのである。
もう、これからの時代、通用しないが。
学校も、大手学習塾・予備校も、絶対にもう要らない。
むしろ小さな塾でも、自律的、創造的な学びをさせてもらえるところは、学校に取って代わるほど重要になるだろう。
なぜか?
だいぶ以前から「不確実性の時代」とか言われたが、これまでは、古い人達が無理矢理、不確実性を消して、先が見える世界にしてきた。
しかし、それがもう限界に来てしまった。
これからは、全く先が見えない、正解のない世界だ。
そんな中では、その瞬間に自律的に学び、自分の基準で動く人間でないと何も出来ない。その自分の基準は、教育で与えられるものではなく、感性を働かせながら経験を積んで得るものだ。

プログラミングをうまくマスター出来る者というのは、文法はそこそこでも、とにかく早くプログラムを作り始める者だ。
外国語をマスター出来る者というのは、カタコトの外国語を、とにかく使ってみる者だ。
私も、プログラム言語の少しのコマンドと文法を覚えただけで、すぐに短いプログラムを作った。その時、私はパソコンを持っていなかったが、それでも、自分で作ることに意味があった。
それから、私は、今は知っている人は少ないと思うが、ポケコンという、1行だけのモノクロ液晶がついた小さなコンピューターでプログラムを動かした。
今は、スマートフォンでも出来るが、やはり、パソコンを持つべきと思う。
VisualStudioやEclipseのような開発システムは、インストールだけでも大変だが、もっと簡単にプログラミングを始められる無料ツールだって沢山ある(自分で調べよ)。
特にサラリーマンの場合、Excelがあれば、すぐにVBAが始められ、しかも、すぐに仕事に役立つ。
JavaScriptなら、ブラウザさえあれば始められる。
JavaScriptは有望な良い言語だ。

学校、大手学習塾・予備校の優等生は、もういらない世界になった。
今は自分で学ぶ時代で、上に挙げた伊藤穣一さんが言うように「地図よりコンパス」つまり、「地図がないと動けない人ではなく、コンパス(磁石)をたよりに動ける人」が必要なのである。
そういえば、我らが初音ミクさんのお父さん、伊藤博之さんは、北海道で「No Maps」という、クリエイターや事業家のために創造の場を作る大規模なイベントの実行委員長をしておられる。
我々は、非線形の、地図のない、混沌とした、わけわかんない世界にいるのである。
そんな世界に、学校、大手塾は何の役にも立たないばかりか、そんなものに関わると、偽物の地図を持ってウロウロする馬鹿な人間になるしかない。









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最大の罪を犯すな

デジタル・ネイティブと言われる若い世代は、1日中スマホをいじり、LINEで連絡を取り合い、Instagramで写真を公開し、YouTubeの動画を楽しみ、映像配信を行っているが、そんな彼らが「ITに強い」なんてことはほとんど全くない。
MITメディアラボのミッチェル・レズニック教授は、2012年のTED講演で、彼らは、単に新しいテクノロジーに慣れているだけと言っていたが、そんな新しいテクノロジーや、それらを使ったサービスは、「馬鹿でも使えるくらい易しい」のだから、使えること自体は、全く大したことがないのは、彼らのLINEやインスタの中身の無さを見ても分かることだ。
それに、別に、デジタル・ネイティブ世代でなくても、おじさん・おばさん世代も、やれば全く同じように出来ることが分かってきて、やっぱり、ITに強いことと、新しいデジタル機器を使えることとは何の関係もないことははっきりしている。
宮崎駿監督も以前、iPadを使う若者を見て、「紙と鉛筆使う俺の方がずっとクリエイティブだ」と言い、単にiPadを使わされているだけの若者の指の動きは、マスターベーションみたいで気持ち悪いと言われていたように思うが、まあ、それはそうだろう。

では、クリエイティブ(創造的)とは、どういうことだろう?
それは、自律しており、ある意味、自分勝手に何かをすることだ。
そして、インターネットなどのITテクノロジのおかげで、事業を立ち上げるコストはほとんどゼロになってるのだから、クリエイティブでなければならない。
GoogleもFacebookも、学生が、誰の許可も得ずに勝手に始めたものだ。
とはいえ、いつの時代だって、人類を前に進めたものは、誰の許可も取らずに(権威に従わず)、勝手にやったものだけだった。
まあ、「自分勝手」といった時、単に放埓(身勝手)なのと、革新的であることの違いは、明確でありながら混同され易いし、また、権威はそれらを無理矢理混同させ、革新的な行動を身勝手としたがるのは、いちいち説明するまでもないが、クリエイティブなことをやろうとすると、権威にすがって保身を計る者(決して老人だけでなく、若い世代の多くもそうだ)には非難される。
だから、岡本太郎は、「馬鹿にされていい。いや、馬鹿にされないといけない。馬鹿にされないものが大したものであるはずがない」と言ったが、クリエイティブであることには覚悟もいるってことだろう。

上に挙げたレズニック教授によると、だから創造的であるためにはプログラミングをやりましょうということなのだが、プログラミングをやることは良いことではあるが、「創造性にはプログラミング」などと言ったらややこしいのだ。
プログラミングは、創造的であることの助けにはなるが、プログラミングと創造性そのものには何の関係もない。
プログラミングがなかった時代にも創造性は当然あったのだし、プログラミングは出来ないが創造的な人間も沢山いる。スティーブ・ジョブズだって、実はプログラミングは出来なかった。
それよりも、MITメディアラボの伊藤穣一さんが2010年のTED講演で言ったことの方が重要である。
今は、インターネットにより、必要なものは無料で全部揃う。仲間はすぐに見つかるし、知りたいことはすぐに調べられる。
だから、「つながることに力を注ぎ、常に学び、アンテナを高くして今に集中する」ことが大切だと伊藤穣一さんは言われたのだと思うが、まあ、好きなことを力いっぱいやりなさいってことだ。
ただ、初音ミクさんの偉大なるお父さん、伊藤博之さんが講演で言われていたが、「好きなことをするシステムは自分で作らないといけない」、つまり、誰もあんたのためにやりたいことが出来る環境は作ってくれないので、そこらは自分でやんないといけないということだろう。
子供だって、親に与えられた、いろんなことをやる環境の中でやっているだけでは才能は発揮されない。
創造的な子供は、やっぱり、身勝手で変わっているものである。
それは大人も同じで、周囲とちゃらちゃらやっているだけの者は、人生を無駄使いしている。
映画『パピヨン』で、パピヨンが悟ったことは、人生を無駄使いすることが最大の罪だということだ。

Don't Give Up 誓う夢に賭ける
届かないなんて言われても
みんな自分勝手でしょ
~『アイドルを咲かせ』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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