ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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初めて見るような気持ちで見る

「今、この瞬間」に在ることは、神であることに等しい。
「今、この瞬間」に在る者にとって、引き寄せなど些細な問題であり、もっと偉大なものごとに取り組むことも出来るが、何もせずにただ在ることも偉大なのである。
とはいえ、我々凡人にとっては、現実的に、まずは、引き寄せをうまく行い、楽しく生きることが先決であると思う。
だから、ジョセフ・マーフィーも、彼の偉大な僚友ネヴィル・ゴダードも、敢えて高邁なことをほとんど語らず、無力感に打ちひしがれた人々を元気付けようとしたのだろう。
そして、彼らの時代には理解し難くかった引き寄せも、ただ、「今、この瞬間」に在ることで、望まずとも自動で行えることが分かったのである。

今回は、参考までに、「今、この瞬間」に在るための、1つの方法を述べる。
私が中学生の時にやっていたことだから、簡単であると思う。
それは、目の前のものを、初めて見るような気持ちで見ることだ。
脳は、視覚情報が送られてくると、脳内の記憶情報と照合し、それが何か、どのようなものかを判断し、認識する。
だから、同じ犬を見ても、過去に犬に噛まれて怪我をした人には、その犬が恐ろしく見えるが、犬と楽しく遊んだ記憶が多い人にとっては、犬がただ愛しい動物に見える。
だが、そんな先入観は一切なしに、初めて犬を見るような気持ちになるのだ。
たとえば、小さな子供が初めて犬を見て、しかも、その子供は、犬に似た動物さえ見たことがなければ、犬を怖いとも可愛いとも思わず、ただ、ありのままに見るのである。
その子供には、犬がどのように見えているだろうか?
そんな気持ちで犬を見るのである。
その時こそ、「今、この瞬間」に在るのだ。
犬は、過去の記憶を刺激しないので、過去に意識は向かない。
また、犬がどんなものか知らないので、犬によって、未来に何が起こるのかも想像出来ない。
だから、意識は今にしかない。
その時、犬は、この上なく美しく見えるのである。
なぜなら、世界は心の反映であるのだが、「今、この瞬間」にある心は純粋であり、純粋な心は限りなく美しいからだ。
無垢な幼児にとって、世界は輝くように美しいのである。
そして、我々だって、初めて見るような気持ちで見ることで、幼児と同じ世界を取り戻せる。
ところで、意識を持った幼児を、猛獣も襲わないという話がある。
『トーチェ氏の心の法則』という本にも、幼児が、猛毒のガラガラ蛇と砂場で楽しく遊んでいたという話が書かれている。
「今、この瞬間」に在る者は、いかなる時も安全である。
真剣を持った剣術の達人と決闘した空手家は、命を諦めた時、思考が消え、つまり、過去も未来も消え、「今、この瞬間」に在った。
そして、思考が戻った時、空手家は何も憶えていなかったが、剣術の達人は、目の前で気絶していた。
引き寄せの書で、膨大な言葉を連ねて書かれていることなど何も知らなくても、「今、この瞬間」に在りさえすれば、もっと強い引き寄せの力が働くのである。

見慣れたものを、初めて見る気持ちで見ることを試してみるべきと思う。
完全にはうまく出来ないかもしれないが、全く出来ないこともあるまい。
すると、いくらかでも「今、この瞬間」の感覚を感じる。
繰り返しているうちに、より鮮明に「今、この瞬間」を感じるようになり、そうなれば、ますます、初めて見るような気持ちで見ることが出来るようになる。
そして、やがて引き寄せマスターになるだろう。
引き寄せだけではない。
食べ慣れた食事も美味しく感じ、長年連れ添って飽き飽きした妻や夫も新婚時代のように愛しく感じる。
生きているだけで嬉しいと感じるようにもなるだろう。
そうなれば、もはや無敵であり、不可能はないだろう。








「今、この瞬間」に在ると何が起こるか

今朝に続き、「今、この瞬間」を意識することで偉大な力の恩恵を受けられるよう、楽な話をする。
アニメ『カードキャプターさくら』のオープニング曲『扉をあけて』に、こんな歌詞がある。

なんでもない 小石でさえ 不思議だよね 宝石に変わる
一緒にね 見てるだけで…みんな光る
~『扉をあけて』(作詞:きくこ。作曲:広瀬香美。唄:ANZA)より~

神秘的な歌詞ではあるが、不思議とは思わないのではないだろうか?
では、なぜ、こんな現象(普通の小石が宝石に変わる)が起こるのだろう。
それは、見ている者の意識が、過去や未来には全くなく、「今、この瞬間」に完全にフォーカスしているからだ。
こんな時、思考は消え、真の自己と一体化し、宇宙の心が自分の心になり、生命エネルギーに満ちる。
不可能はなくなり、世界は楽園になる。小石が宝石に変わるとは、そういうことだろう。

だが、残念なことに多くの場合、人間はまた考えることを始め、思考は過去や未来に依存するので、「今、この瞬間」から離れてしまう。
そうすると、力を失うしかない。
それならば、なるべくいつも「今、この瞬間」を意識し、宇宙意識と共にあることに慣れるのが良い。
そうなれば、世界は思うがままになる。

もう1つ。
アニメ『まほろまてぃっく』の第2期『まほろまてぃっく~もっと美しいもの~』に、こんな場面がある。
人間の心を持つアンドロイドのまほろは、乗船している船から見える夕焼けの美しさに感激して喜ぶが、美里司令がまほろに言う。
「この世には、もっと美しいものがある」
まほろには、それが何か分からない。その後も、ずっと、この言葉を憶えていたが、いつまでたっても、その「もっと美しいもの」が見つからない。
だが、最後に、優と共に夕陽を見ている時にはっきり分かった。
「もっと美しいもの」、それは、「愛する人と一緒に見る夕陽」だった。
もちろん、愛する人と見る美しいものなら、何でも「もっと美しいもの」になるだろう。
これもまた、愛する人と見れば、意識が「今、この瞬間」にフォーカスするから起こることである。
全て、上の『扉をあけて』と同じだ。

重要なことは、「今、この瞬間」に在ることが自然なことであるということだ。
元々、人間は宇宙意識と一体であり、元々、生命力に溢れ、元々、神のような万能な存在なのである。
その黄金時代を取り戻すべく、出来る限り、「今、この瞬間」を意識することである。

歩いているなら、歩いていることをしっかりと意識し、食べているなら、食べていることをしっかり意識する。
目の前のものを「見えている」のではなく、「意識的に見る」のである。
確かに、ロシアンルーレットでもやれば、極端に今に集中出来るし、それによって超越意識を体験した話が、コリン・ウィルソンの本にもあるが、間違えてはならないのは、「今、この瞬間」にあるのが自然なのであり、そんな不自然な方法に頼る必要などないということだ。
もっと温和なスリルや冒険で「今、この瞬間」を味わうことは、もちろん良いことである。
しかし、何もしなくてさえ、「今、この瞬間」を感じることは出来るのだ。
そして、普段の生活の中でこそ、「今、この瞬間」を意識しなければならない。
料理を作る時、服を着る時、コーヒーを飲む時、猫を撫でる時・・・
そうすれば、楽しさ、充実感が限りなく拡大すると共に、神のようになっていくのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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