ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

五輪書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ユダヤ的でなければこの世では勝てない

海外の人が、日本の相撲を見ると、その高貴さに打たれるという。
いったい何に感動するのだろう?
土俵入りなどの儀式的なところだろうか?
それなら、ムエタイ(タイ式ボクシング)にもあるが、それほどのこととは思えない。
相撲の最も際立った特徴は、立会いである。
対戦する両者の呼吸がぴったり合っていなければならず、わずかでも速いか遅いかがあれば、取り直しとなる。
これは、感動なんてものではなく、驚愕、驚天動地ではないだろうか?
だって、スポーツも格闘技も、奥義は、「呼吸を外すこと」じゃないか?
いかに相手の呼吸を読んで、それを外し、だまくらかして勝つかがスポーツ選手の飯の種なのであり、それは卑怯でも何でもない。
野球で、ピッチャーが直球勝負するのは、確かに見応えがあるが、世の中、剛速球投手ばかりじゃない。
フォークボールなんて完全に騙しだし、変化球全般がそうだ。
ツーシームなんて変化球は、ストレートとの違いが最後まで分からないから有効なのであり、チェンジアップとなるともう、バッターにとっては詐欺以外の何ものでもない。
(チェンジアップとは、速球を投げるようなフォームや表情で軟球を投げてバッターのタイミングを外すような投げ方のこと)
だが、それで文句を言う選手もファンもいない。
どれほど真面目な野球解説者でも「チェンジアップって卑怯ですねえ」なんて言ったりするだろうか?
相撲ってのは、直球勝負以外は駄目と言っているようなもので、そりゃ感動する。
立会い後の変化や、タイミングを外した突き落としも、小兵力士や下位者にのみ許されるようなもので、横綱、大関がやるとしたら、いかにも、「わざとじゃない」ようにやらなければならず、「自然の流れでそうなった・・・」と、まるで八百長の弁解じゃないか?
だから、力士が他の格闘技に転向したら、最初、凄い苦労すると思う。
ただし、他の格闘技の「汚い部分」に慣れることができれば、直球勝負の地力があるのだから、恐ろしく強い。

宮本武蔵の『五輪書』を読むと、武蔵は決して、直球勝負しろなんて書いていない。
勝つことが何より大切なことであり、徹底して敵の呼吸、タイミングを外し、イラつかせ、ムカつかせて勝てと書いている。

男が女性と口喧嘩すると勝てない。
また、実は、口喧嘩は、頭の良い方が不利だ。
男は普通、理屈で攻める。しかし、論理性を重視しない女性は、理屈で考えられないようなことを言ってくるので、理屈屋の男ほどタイミングを外されて、何も言えなくなる。
そもそも、女性が意味ありげにくすりと笑うと、頭の良い男はいろいろ勝手に考えて自滅するだろう。
また、頭の良い人とは、論理に強い人であるが、そんな人が自信満々で論理展開しているのに、馬鹿というのは、自分勝手な理屈(ひどく非論理的)を主張をし、賢いほうは、論理的な処理ができず、黙り込んでしまう。
ネットでのバトルというのも、明らかなに馬鹿な方が有利である理由はそこにある。
尚、女性の場合は、論理が分かりながら、確信犯的に理屈をかわす人がいるが、これはもう本当に手強い。また、単に感情的な女性も、論理で説得できない。
自分が理論家だと思う人は、馬鹿な男や、本当は賢い女性、および、本当に賢くない女性(つまり、女性全般)相手に喧嘩しないことだ。
また、賢い人はネットでバトルなんかするな(馬鹿の扱い方を本当に知っている場合は別かもしれないが)。

さて、戦争でも、外交でも、ビジネスでも、相手の呼吸を読み、タイミングを外さなければ勝てない。
「正々堂々の戦争」なんて変じゃないか?
これは、「正々堂々の外交」、「正々堂々の政治」、「正々堂々のビジネス」なども、実は有り得ないことを意味するのだ。
外交でも、政治でも、ビジネスでも敵はいる。
敵はこちらに合わせてくれない。
野球だって、野村克也さんはキャッチャーだったが、バッターに話しかけて、バッターのタイミングを狂わせることに努力したから名捕手だったのだ。
誰が野村さんを「卑怯者」と言う?

ユダヤ人のビジネスは、まさにそれ(呼吸を読み、タイミングを外す)で、しかも、それを知性と経験を最大に活かしてやっている。強いなんてものではなく、本当に恐ろしい。
以前ご紹介した『ユダヤ議定書』という、ユダヤ戦略(政治、外交、ビジネス全てに有効)の兵法書は、もう、本当に危ない秘伝の書だ。
『ユダヤの世界支配戦略』に全文があるから、世界征服に関心があれば読むと良い。
これを、山蔭基央さんのような立派な神道家が本にしたのは、本当にユダヤ人の危険を感じていたからだろうと思う。
格闘技でいえば、もう絶版になっていて、危な過ぎるので復刻しないような気がするが(古書も高価だ)、『秘密の自己防衛術』(ビクトル古賀著)が、実用を通り越して、本当に危険だった。
例えば、男に連れて行かれそうになったら、女は男の腕に抱きついてぶらさがるようになり、そこで、一気にその腕を上に挙げる・・・って、それ、簡単に肩が抜けてしまう。
そんなテクニックが延々書かれている。
そりゃ、やむを得ない場合もあるに違いないが、おおっぴらに教えるのもいかがなものか・・・いや、何とも言えないが・・・。
尚、ビクトル古賀さんは無敵の偉大なサンボマスターで、本当に凄い、偉い人であることを強調しておく。
私は、彼の本から、フリッカーパンチを学び練習し、いざという時の備えにしているが、あくまで気分的にである。それよりも、うまく逃げることだ。

あまりに正直で、理屈屋というのは、ある意味、視野とか了見が狭過ぎるのかもしれない。
スポーツでも、ビジネスでも、恋愛でも、許される範囲の戦略はあるだろう。
それが分かり、駆使できる賢さがなければ、この世では勝てない。









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ヨーダや武蔵を買いかぶるな

シェイクスピアの『リア王』のリア王は、特別に愛されることに執着したから不幸になった。
身から出た錆だよ。
まともな人間であったリアの末娘は、愚かなリア王に冷遇されてしまったが、彼女は別に、地位や財産に執着していなかったので、不幸ではなかった。

筒井康隆さんの『時をかける少女』は、ちょっとしたサスペンスではあるのだが、和子も、ケン・ソゴルも、何にも執着していなかった。
ケンは和子が好きだったみたいだが、だからといって、和子の時代に留まる気はなかったし、和子を自分の時代に連れていこうともしなかった。
つまり、別に和子に対する執着なんかなかったのだ。
和子も、ケンのことを忘れないといけないことを悲しいとは思ったが、絶対に嫌だとまでは言わなかった。
だから、和子もケンも不幸ではない。
あのお話は、ハッピーエンドとはいえないのかもしれないが、妙にすがすがしい理由は、そんなところにあるのだろう。

一方、『スター・ウォーズ』では、アナキン・スカイウォーカーが何かに執着してしまったことが、銀河規模の不幸を招いてしまう。
それは、アナキンの師のオビ・ワンや、さらにその師のヨーダが無能だったってことじゃあないのかな?
一番肝心なところを教えることができなかったのだから。
日本の田舎のちゃんとした教師だって教えられることが、ヨーダには教えられなかったのだ。
ジェダイだの、フォースだの、それがもたらす強さや名誉に執着した結果なのだよ。
土台、ヨーダのような厳(いかめ)しい顔をしたがる者にロクなやつはいないさ。

宮本武蔵は強さに執着し、散々な人生だった。
お気の毒としか言いようがない。
武蔵は、人間性を疑われて、どこにも仕官が叶わず、やっと置いてもらえた藩では、自慢話ばかりして嫌われていたのだよ。
だが、武蔵も、年を取ってから、自分の欠点に、ちょっとは気付いたのだ。
それで、息子(養子)には剣を教えず、学問に精を出させたのだ。
息子はそこそこ出世し、しかも、地位に執着しなかったので、充実した生涯を送ったようだ。
だが、武蔵は、執着を捨て切ることができず、『五輪書』のような余計なものを残した。
あれは、武蔵を哀れむ書として見てこそ、貴重な教訓を得られるのである。









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卑怯がなぜいけないのか?

「卑怯だぞ!」という罵りをよく見聞きする。
しかし、なぜ卑怯が悪いのか考えたこともない人が多いに違いない。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の実際がどうであったかは分かっていない。宮本武蔵の生涯を描いた吉川英治の小説は大半は創作である。
しかし、仮にあの小説の通りだったとして、決闘の時刻を大幅に遅れてやってきた武蔵が卑怯と言うなら、弟子を大勢待機させていた小次郎側はもっと卑怯だろう。
だが、武蔵が実際に自分で書いた『五輪書』には、勝つためには、相手をむかつかせろ、意表を突けといった、とにかく勝てということが書かれてあり、吉川英治もそこらを参考にしたのかもしれない。私は、武蔵の戦いの心構えは、卑怯というほどとは思えないが、そうではなく、やはり卑怯と思う人もいるだろう。
梶原一騎原作の、不世出の空手家で極真空手の創始者である大山倍達の伝記漫画『空手バカ一代』で、大山倍達が、やはり空手の達人と決闘をするお話があるが、その中で、不利になった相手が地面の砂を掴んで大山の顔に投げ、目潰しをくらわせた時、大山が「卑怯だぞ!」と叫ぶと、相手は、「決闘に卑怯があるか!勝てば良いのだ」と言う場面があったと思う。読者の多くは少年だったと思うが、彼らも、相手の空手家を卑怯と思ったことだろう。
こちらは、卑怯と言えば確かに卑怯だろうが、決闘はスポーツではないのだから、正々堂々と戦わなければならないという決まりはない。
「いや、武道家としての名誉を汚す下種なやつだ」と言ったところで、それはある1つの見解、主観、主義であり、言ってみれば個人的な好みとさえ考えられる。

人間は、他人には正々堂々とした態度や行為を求めるものだが、自分には甘いものである。敵の卑怯さをなじっても、自分だって卑怯なことをやっているものだ。
それは団体の立場となると、さらにその傾向は強まるような気がする。
アップル社は、携帯電話最大手のサムスン電子を訴えた裁判で歴史的な勝利を得たが、これは、つまるところ、アップルが「我々のアイディアで儲けるなど、卑怯だぞ」と言っているのである。しかし、本当にアイディアを出した者から見れば、「会社は俺のアイディアを利用して大儲けしたが、俺には正当な見返りを与えようとしない卑怯者だ」と思っているかもしれない。
しかし、アイディアというには、それが良いものであれば、それは神から出ているのではないかなあと思う。神という言い方に抵抗があるとしても、とにかく、閃きや直感は、我々には不可知の何かからの情報であり、それを自分のものだと主張するのは、本来はおかしなものなのだと思う。まあ、今の世間ではそう考えてはいないが、私は世間の考え方に組する気はない。
だから、私としては、良いアイディアを独占して儲ける者が一番卑怯だと思うのだが、別に、卑怯だからどうだという気は無いのである。好きなら、いくらでも卑怯であればいい。

さて、では、なぜ卑怯がいけないのかというと、私は、単に、卑怯でない方が悟り易いということでしかないと確信している。
言い換えれば、卑怯な行為を避けていると、悟りに近付くのである。それ以外に別に意味はない。
だから、悟りを得たくないなら、そこからいくら離れてもいいなら、卑怯なことをすればいいだろう。
悟りとは、心が魂と一致することである。
逆に、悟りから遠ざかるとは、心が魂から離れることだで、その苦しさ、辛さ、惨めさは恐ろしいものなのだが、人々は悟りではなく、快楽への欲望のみを求めている。それなら、卑怯な方がそれを得易いから、存分に卑怯なことをすればいい。
ところが、卑怯なことをせず、正々堂々とやれば、世間的な褒賞、つまり、欲望を満たす快楽を得ることが出来ると思っている愚かな者が多いのである。一体誰が、そんな馬鹿げた教育をしたのかと思う。
卑怯であることとは、人知や世間を頼むということであり、卑怯を避けるとは、神を頼むということである。
前者は、快楽の欲望を叶える可能性が高まるが、後者は悟りに近付く。それだけのことでしかないのである。









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あなたを強くする「秘密力」

特別な秘密を持っていない者は駄目である。
駄目とは、平凡な人間であるということで、世間の教義や信念にひれ伏し、自分が自分として在ることが出来ないということだ。
秘密と言っても、下らない秘密ではなく、とっておきの秘密でなければならない。
「僕はM78星雲から来た宇宙人、ウルトラセブンなんだよ」
これは、『ウルトラセブン』最終回『史上最大の侵略(後)』で、ダンがアンヌに言った言葉だが、この位の秘密があれば最上だ。
しかし、なかなかそうはいかないであろうが、何か自分で出来る限りのものを得なくてはならない。

胸の中に隠し持った、世間の人が全く気付くことのない、あなただけの秘密があなたを守り、あなたに勇気を与えるのである。
オリンピックで日本人選手が金メダルを取るのを見たところで、せいぜいが一瞬ハイになるだけで、長期的に効力のある精神エネルギーという意味での勇気など、絶対に得られないことくらい、お分かりと思う。
だが、それを持っていることで、いつでも、どこでも、力が注がれるような秘密というものがあるのである。

『犬夜叉』というアニメのエンディング曲だった、Dreamの『My Will』(作詞は松室麻衣さん)の中で、

あなたのことを想う それだけで心が 強くなれる気がするよ

という歌詞があったが、この人にとっての「あなた」は、多分、秘密の存在だ。
一方、あなたが素晴らしい人だと思っている人であっても、あなたが危機の時、その人のことを想っても、ちっとも心が強くなれないなら、秘密にするほどの価値はないのだ。
単に人気があるとか、世間での評価が高いとか、外見がいいという程度の人間など、たかが知れている。
そんな安っぽい偽物ではない、キリストのような本物の「あなた」は滅多に出逢えるものではないかもしれない。
だが、天使とでも仲良くなれれば、それは叶う。そして天使は、本当は人間と親密であるのだが、それを知ることが出来る者が少ないだけなのだ。
そこで、まずは、自分で成し遂げられるものを得ることだ。
そして、素晴らしい秘密を手に入れれば、天使のことも知ることが出来るようになるだろう。

そして、あなたが得るべき、素晴らしい秘密は世間の価値評価と何の関係もないということを説明しよう。

梶原一騎さん原作の伝記漫画で有名になった不世出の空手家である大山倍達さんは、海外で、プロレスラーやプロボクサー、そして、その他のあらゆる格闘技と戦い、一度も負けなかったと言われるが、これについては、いろいろ疑問もあるようだ。
その漫画も、多くの部分が梶原一騎さんの創作であると言われている。
それで、私も、本当の大山さんがどんな人だったかは分からないが、それでも、私は、大山さんを非常に素晴らしい人だと思っているのだ。
その理由は、彼が、著書にこんなことを書かれていたからだ。
「漫画では、私が勝ったのは、私の空手の強さのためであるかのように描かれているが、本当の一番の理由は、相手が空手というものを知らなかったからだ」
無論、たとえそうであったとしても、超人的な格闘家に勝利することは生易しいことではなく、やはり大山さんは強かったのであるが、大山さんが正直に述べたことも本当だろう。
ところで、大山さんは初めてアメリカに行った時は、プロモーターは、大山さんを客集めのための、道化師のような役回りの日本人レスラーとして呼んだのであり、本気の勝負をさせようなどとは思っていなかったらしい。
だが、大山さんは、空手の必殺の技を磨きに磨いて備えていた。
その必殺の技とは、目潰しと金的(男性の股間)攻撃である。
大山さんは、これに関しても、誠実に、「空手が最強であるのは、この2つの技があるからである」と言う。
この2つは、いかなる格闘技の試合でも禁止であり、故意にやれば即反則負けである。
しかし、決闘にルールはない。
宮本武蔵の『五輪書』を読むと、武蔵は、決して、正々堂々戦えなどという、平和ボケした寝言など書いていない。「どんな手を使ってでも勝て」と書いているのである。
大山さんは、宮本武蔵を非常に崇拝していたというが、確かに、大山さんは、宮本武蔵のような武道家であったと思う。(これを武道と言うか武術と言うかは難しいかもしれないが)

総じて言えば、大山さんにとっては、磨き抜いた必殺の目潰し攻撃と金的攻撃が、「秘密」なのであり、それを持っているから、彼は、どんな相手との戦いにでも挑めたのだ。
あなたが得るべき秘密も、世間の価値基準や評判といったものと、何の関係もあってはならない。
むしろ、世間に蔑まれ、非難されるようなものの中に素晴らしいものであるのだ。

あなたが、片手でリンゴを握り潰せるほどの握力を鍛え、それを秘密にしていることが、あなたに名状し難い(表現し難い)自信や勇気を与えるなら、良いことである。いざとなれば、それは確かに力になる。

神道の最大の祝詞である『大祓詞』を完全に暗記し、毎日唱えているとしても、それがあなたにとって価値ある秘密かどうかは、あなた以外には分からない。
それを想えば、力がみなぎり、何も恐れないようであれば、それはあなたにとって大切な秘密である。
私の場合、大祓詞を数ヶ月に渡り、毎日欠かさず1時間以上、休日となると、6~7時間も唱えていたが、私の持つべき秘密にはなってくれなかったのである。

ニサルガダッタ・マハラジは、師である聖者に、「あなたは至高の実在である」と言われ、その言葉を覚えていた。彼は、修行は何もしなかったが、その言葉を覚えていただけで、やがて悟りを開き、偉大な聖者となった。彼にとって、その言葉は貴重な秘密であった。
だが、彼の師が彼にその言葉を教えたのは、彼が誠実であったからだ。
聖者は、弟子のための秘密の一言をいつも探しているのだ。だが、それを受け取るには、誠実でなければならないのだ。

だが、まずは、自分で何かを得ようとして努力するのが良いだろう。
努力と言っても、学校でやれと言われるような下らないものではなく、自分を守る真の力になるものであるから、その努力は楽しく、充実したものになるだろう。
すぐには叶わなくても、そうは経たないうちに、少なくとも第一段階の秘密が与えられる。人間とは、そのように出来ているのだ。
別に難しいことではない。
毎日、腕振り運動をしていたら、それがあなたにとって特別な秘法となり、「毎日2千回腕振り運動をしているから、何があっても大丈夫だ」と思えるようになれば、本当に、何があっても絶対に大丈夫になる。
あるマタギ(日本に古来からいる狩猟者)は、祖父から受け継いだ古い小刀を、いつも肌身離さずに隠し持っているが、そうすれば、とても心が落ちつき、いかなる危機的状況も乗り越えてこられたと言う。まさに、秘宝の小刀である。

尚、秘密と言っても、必ずしも口外してはならない訳ではないが、黙っていた方が間違いが無い。話すと、否定されたり、からかわれて不愉快な思いをするかもしれないからだ。
何と言っても、それは世間の価値観と何の関係もないものなので、その危険は高いのである。
腕振り運動すら、世間的にはそうかもしれないのである。
大山倍達さんほどになると、目潰しと金的攻撃が最大の必殺技だと言って、周囲に非難されても、ビクともしなかったかもしれないが、おそらく、彼も余計なことは敢えて言わなかったと思う。
あなたも、特別な秘密を持つことで、無限のエネルギー、揺るぎない勇気、絶対の自信と不思議な安心感を持てるのである。









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強く生きるという意味

10年以上前、自己流の格闘術を編み出し、本人は「世界最強と思う」と豪語していた19歳の青年が、その後、急性前骨髄球性白血病(APL)で亡くなられたが、K-1でも屈指の格闘家だったアンディ・フグさんと対戦したことがあった。
予想通り、その青年は全く歯が立たずに敗れたが、アンディは、その青年に敬意を払った。
世間は青年を失笑したと思うが、私は、彼が、自分の格闘術は世界最強と言ったのを、別におかしなこととは思っていない。ただ、リング上でプロ格闘選手と戦ったことが間違いだったのだ。
例えば、この私が、無敵の格闘術を作ることも出来る。それで、プロ格闘選手と戦ってみろというなら、出来ないことはない。ただ、その格闘選手や関係者がどうなってもいいならだ。

内容はほとんど覚えていないが、こんな映画があった。
ある男は、かつて極悪非道の悪人で、強盗や殺人を重ねていた。しかし、彼は、ある時、改心し、長い月日の後、愛する妻との幸せな暮らしが始まろうとしていた。
その彼と妻のところに、一人の男が訪ねてきた。その男は、愛想良く、礼儀正しい男に見え、真人間に生まれ変わった彼は、笑顔で男を迎えた。
すると、訪ねて来た男は、柔和な笑顔のまま、懐から手を出さずに銃を発射し、元悪党の彼を殺した。
男は、昔、彼に家族か友人を殺されて、彼に恨みを持っていた者だったのだ。

つまり、私が格闘術をやって、プロ格闘選手と戦うなら、こういったことをやるということなのだ。
格闘技と格闘術は全く異なる。
格闘術は、リングの上で、ルールに則って戦うようなものではない。勝つためのものだ。
試合のゴングが鳴る前に、硫酸を敵にぶっかけるなんてのも、当然、あり得るのである。その際、レフェリーはじめ、周囲の人達に害が及ばないようにといった配慮などしない。そんなことをしたら、負ける可能性があるからだ。

武道家の堀辺正史さんの本で読んだが、本が書かれた当時、プロレスの屈指の実力者だった藤原喜明さんが、「俺が素人とケンカしたら負ける」という発言を取り上げていたが、堀部さんはいたく感心しておられたようだった。
格闘術を身に付けた格闘技の素人が、プロでも最高クラスの格闘選手に勝つことは、不思議なことでも何でもない。

宮本武蔵は、剣道家ではない。剣術家である。
彼が、吉岡道場との決闘や、佐々木小次郎との巌流島の決闘の際、約束の刻限をはるかに遅れて来たり、奇策を弄したのは、卑怯でも何でもない。
武蔵は、武道の試合をしたのではない。決闘をしたのだ。勝つために当たり前のことをしただけである。
それを、卑怯だ何だと言う者は、早い話が馬鹿か、良い言い方をしても、頭が固いということなのだ。
武蔵の『五輪書』は海外でも人気があるらしい。かつて、日本のビジネスが世界を席巻していた頃、西洋のあるビジネスマンが『五輪書』を手に、「日本のビジネスはこれだ。不意を突く、心理戦で相手をいらだたせる。日本が強いのは武蔵の教えがあったからだ」と言っていた。
日本のビジネスマンが『五輪書』を参考にしたとは思えないが、海外の企業と異なる流儀でやっていたというだけのことだろう。
喩えて言えば、アメリカの企業がK-1のルールに則って戦う格闘選手で、当時の日本の企業は、勝つことが第一の武術家だったと言えるかもしれない。
その後、海外の企業は、様々な方策で、日本の企業のやり方を封じ込め、自分達を優位な立場にすることに全力をあげ、日本企業も、さらにそれに対抗してきたが、武術魂を失った多くの日本企業は苦しい状況のようである。
いや、今や、かつての日本以上に、武術魂のある、何でもありの海外企業が増えてきた。
ビジネスはスポーツではない。戦いである。修羅道である。それを、卑怯だ破廉恥だと言うのは負け犬であろう。
邱永漢さんがビジネスの指南書に、「地元で商売するな」と書いていたものだ。ビジネスには破廉恥な面も必ずあるのだから、親しい人の信頼を失いたくなければ、ビジネスは他人を相手にやるものだということだろう。

さて、いじめなどで、命の危険さえあるというなら、格闘術を編み出すのもやむを得ない。
真面目に空手など習いに行っていたら、不測の事態に間に合わないし、そもそも、いじめをする者はルール無用なので、武道など役に立たない。こちらはもっと、卑怯というのかどうかは兎も角、柔軟に備えなければならないのだ。
それこそ、武蔵の『五輪書』を読み、不意を突き、むかつかせ、卑怯な手を使ってでも、生き延びられるようにならなければならない。
それには、学力などとは何の関係もない、むしろ、全く逆とも言える頭の良さが必要である。
邱永漢さんの本も読み、「地元で出来ない破廉恥なビジネス」の手法も参考にしなければならない。
これが、強く生きるということなのかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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