ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

五輪書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

『葉隠』『五輪書』のすすめ

カースト制度というものを学校で習ったことがあるかもしれないが、現在のインドにもカースト制度はちゃんとある。
ただし、カーストを理由に差別してはならないという法律が1950年に出来たらしいが、そんな法律はおそらく有名無実だろう。
カースト制度のない日本にだって、職業差別はあるし、なくなる見込みもないのだから。

ところで、カースト制度で一番上が、バラモンだということをご存じかもしれない。
バラモンは、僧侶などの宗教的な職業・・・神職と言って良いかもしれないが、まあ、生産的な人間達ではないだろう。
2番はクシャトリアで、「王族」「戦士」であるらしいので、昔の日本の、貴族や武士を合わせたものだろう。
3番がヴァイシャで「市民」。商人が多く、製造業者も指す。
一番下がスードラ(シュードラ)で、かつては「奴隷」を意味したが、今は「大衆」「労働者」だ。
日本の士農工商では、商売人が一番下だが、カースト制度では、工(職人)が一番下だ。

インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』の主人公アルジュナの身分はクシャトリアで、アルジュナは王子であると同時に武士で、特に彼は素晴らしい戦士だった。
江戸時代の日本でも、大名ともなれば王族のようなものだと思う。
そして、クシャトリアも武士も、戦うのが仕事だ。
敵が攻めてきたら、戦って国を守るし、あるいは、他の国を侵略して国を広げ、国を豊かにするのだから、それ以外の仕事・・・つまり、「卑しい」庶民の仕事はしなくて良い訳だ。
だが、日本では、江戸時代に天下泰平(てんかたいへい)の世の中になり、戦争はなくなり、争いも多くなく、そんなに多くの武士は必要なかった。
ところが、武士は特権階級を維持し、労働をせずに、普通の庶民よりずっと多くの報酬を得ていた。
それはけしからん話で、戦争がなく、治安維持の人手も余っているのなら、武士だって労働すべきというか、大半の武士は、下の身分に下がるべきであろう。
しかし、そうはならなかった。
ところがである。
そうなると、日本の素晴らしい精神性のためか、働かずに食える武士の中には、後ろめたさを感じる者も少なくはなったのだ。
無論、そうではなく、のうのうとしたり、下の身分の者に対して威張り、いじめる者もいたはずだ。
だが、真面目で、働かずに生活が保障されることを後ろめたく感じていた武士が多かったのも事実らしい。
それなら、武士の身分を捨ててすっきりすれば良いのだし、実際にそうした者もいたかもしれないが、やはり人間は弱いものであり、「良い御身分」は捨てられない。
そこで、そんな武士達は、「せめて模範になれる立派な人間になろう」と決意したのだ。
実際のところ、「そんなことに逃げず、泥にまみれ、厳しい商売をしろ」と言いたいところだが、私だって、そんな身分なら、自主的に捨てるとは全く思えない(笑)。
そして、そんな武士の「せめてもの」務め(立派な人間になるための努力)が、意外に・・・と言ってよいかどうか分からないが、優れた精神文化になったのである。
その1つが、新渡戸稲造の『武士道』であろうが、「武士道」は、決して、その1つではなく、様々なのである。
例えば、『葉隠』なんて、実際は、新渡戸の『武士道』と全然違うし、また、宮本武蔵の『五輪書』もまた独特なものだ。
ところが、いずれにせよ、『葉隠』も『五輪書』も、そして多分、『武士道』も名著なのだ。

偏見かもしれないが、新渡戸の『武士道』は、元々、西洋人向けに英語で書いたものであり、脚色も強かったので、本当に武士が考えたことかどうかは疑問だ。そもそも、新渡戸に武士道を語る資格があるかどうかも分からない。
そして、言ってはなんだが、『葉隠』や『武士道』は、武士らしく戦いの道を説いたものなのだろうが、精神性の究極を解き明かしたものであり、実は、超実用的なのである。
その点、新渡戸の『武士道』は、精神論であり、実用的でない。
いや、『葉隠』も『五輪書』も、実用と思う人は少ないだろうが、これらこそ、誰の役にも立つ実用書で、言ってみれば、引き寄せの極意でもある。
実際、日本のみならず、世界の成功者の中には、これらの価値を見抜き、愛読する者も少なくない。
三島由紀夫の場合、『葉隠』から、無限の宇宙のエネルギーを得たのであり、あれはあれで実用的に使ったのだと思う。
そして、2つとも、丁寧に現代語訳したものは、案外に読み易い。
元々が、意外に思いやりのある著者達が、究極の真理をシンプルかつ親切に語ってくれているものだからだ。
読まないのは勿体ないと私は思う。








かつて日本が強かった訳

30年以上前、日本経済は強く、世界中で「経済の覇者は日本」と認識されていた。
まあ、その割には、一般国民が貧しいし、大会社の社長もアメリカのような超豪華とは程遠いことが世界を驚かせてはいたが、まあ、それは置いておく。
日本の経済が強い時には、日本に対するイメージが悪い場合が多かった。
うまくいっているやつ、特に、儲かっているやつは恨まれるものだ。
それで、日本がなぜ強いかについて、宮本武蔵の『五輪書』に、「意表を突け」と書いてあることを引き合いに出し、
「これだ!日本のビジネスは『五輪書』の精神を活かしているんだ」
などと、とんでもないことが言われることもあった。
(武蔵は確かに、正々堂々の戦いを説いた訳ではないが、武蔵の戦いはスポーツではなく、生きるか死ぬかの戦い、つまり、戦争なのであり、戦争で意表を突くのは当たり前である)

一方で、日本の強さは「勤勉」であると、素直に認める外国の人も多かった。
それがかなり当たっていたと思う。
今の日本人は、格好はともかく、中身は勤勉ではない。

ところで、日本かアメリカか、他のどの国かに関わらず、幸福の秘訣は全て、童話に描かれている。
その中でも、日本の『舌切り雀』は素晴らしく、親切であること、正直であること、そして、親切で正直なおじいさんが、雀に、プレゼントの、大きな箱と小さな箱のどちらを選択するかと聞かれ、おじいさんは、小さな箱を選ぶことで「欲張らない」という最高の美徳を示した。
一頃のアメリカ人や、今の日本人なら、「両方いただいてもいいかね?」と言いかねない(笑)。
西洋には『金のオノ、銀のオノ』という、正直さを褒めるお話があるが、似たお話は世界中にある。
そして、かつての日本の強さの要因であった「勤勉」については、『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』にこそあったのである。
若い女の子が、毎日、灰にまみれて懸命に働いたからこそ、彼女は幸福を掴めたのである。

ところで、私は、たまたま『プリパラ』という2014年開始のアニメの第1話を見たが、これが印象的だった。
真中らぁらという名の小学5年生の女の子が、急ぎの用事がある中で、街中で貴重なものが入ったバッグの落とし物を拾うが、それが、「早く届けてあげる必要がある」ことや「落とし主がいる場所の手がかり」が分かってしまう。
そこで、らぁらは、面倒や労力を厭わず、それを、持ち主のみれぃに届ける。
だが、実は、みれぃは、こんな親切な子を見つけるために、わざとそれを落としたのであり、みれぃはらぁらに、自分とペアでアイドルオーディションで歌うよう要請する。それがきっかけで、らぁらはアイドルの道に入る。
それで思い出したのが、ペロー童話の『仙女たち』というお話だ。
母親と姉がいじわるで、いつもこき使われているという、シンデレラと似た境遇の女の子がいた。
長い道を、毎日、大きな水がめで水を運んでこないといけなかった。しかも、急いでやらないといけないという中で、女の子は、喉が渇いたというお婆さんに出会う。
優しい女の子は、水がめをきれいに洗い、水を入れ、自分が手で持って支えながら、お婆さんに水を飲ませてあげる。
ところが実は、おばあさんは仙女(仙人の女性)で、このような優しい女の子を探していたのであり、女の子に幸福な魔法を授ける。

笑われるかもしれないが、童話に書かれたようなシンプルな教えが幸運の秘訣なのである。
また、童話には、秘法的な成功の秘訣が隠されていることも多い。
とはいえ、秘法もまた、親切、正直、勤勉があってこそである。
それがなければ、引き寄せなんて出来ないと思う。
そこで、特に、ペローやイソップを読み返すと良いと思う。
ついでに言えば、命がけの戦いでは『五輪書』の精神は、やはり役に立つだろう。








宮本武蔵に負けない方法

いきなりであるが、挑発とは辞書によれば、「相手を刺激して、事件や欲情などを起こすようにしむけること」であるようだ。
嫌味を言うのは、挑発が目的の場合が多いと思う。
アニメなどで、割とセコいタイプの悪役が嫌味を言って挑発してきた時、正義の味方だが若くて未熟な主人公などが顔色を変え、隣にいる、少しは落ち着いた仲間が、
「挑発に乗るな」
つまり、「落ち着け」と諫める場面がよくあると思う。
いや、アニメでなくても。我々の日常ですら、職場や学校の中に、やたら、嫌味を言って来る者がいるかもしれない。
そして、必ずしも、「挑発に乗るな」と言ってくれる仲間はいない。

たとえ「挑発に乗るな」と助言してもらっても、「分かっている。だけど我慢出来ん!」とか、「あんなこと言われて黙っている訳にはいかない」と言ってしまう、あるいは、思ってしまうことが多いと思う。
そして、もしかしたら、不幸なことに、あなたの親が、あなたにずっと嫌味を言い続ける人かもしれない。

先に結論を言っておくと、挑発に乗ったら終わりである。
どう終わりかというと、大切な生命エネルギーを奪われる。生命エネルギーとは、願いを叶える宇宙エネルギーであるが、それと切り離されてしまうのだ。
そのことが本当に分かれば、決して挑発に乗らなくなる。
あまりに損害が大きいことが分かるからだ。
「挑発に乗ってムカついたら、脚が1本なくなる」というに等しいのである。
しかし、あなたもそうかもしれないが、多くの人は、その重要なことが分かっていないのだ。

宮本武蔵が本当に剣豪であったという証拠はないと言う。
剣士ですらなかったとも言われる。
一流の剣士と立ち会った記録もない。
しかし、勇名が轟いているのは確かで、喧嘩試合のような果し合いでは、かなり勝っていると思われる。
彼の勝利の秘訣は何か?
彼が死の直前に書いた『五輪書』に、「敵をムカつかせろ」といった意味のことが書かれてるのが答だ。
佐々木小次郎との試合の詳しいことは、実は、分かっていない。
しかし、あれこそ、武蔵の必勝モデルと思う。
試合時刻に、平気・・・というか意図的に大遅刻し、相手をムカつかせれば、もう勝ったも同然である。
そして、約束の時刻を大いに遅れてやって来た武蔵は、映画でよくあるように凛々しく現れたのではなく、陽気に鼻歌でも歌いながら現れ、さらに相手をムカつかせ(ついでに嫌味の1つでも言ったと思う)、そして、楽勝した。
武蔵が戦ったのは、そんな手に乗る未熟な相手ばかりであり、心理学者も同然であった武蔵は、そんなチョロい相手ばかり選んで戦ったから、『五輪書』にあるように、「一度も不覚を取らず」だった。
もし、佐々木小次郎が、武蔵の見立てと違い、心を乱さない者であれば、武蔵は戦う前に退散したはずなのだ。
逆に言えば、小次郎が心の扱いを心得、武蔵が現れるまで気分よく時間をつぶし、武蔵が現れたら、ムカついている振りでもしたら、腕で優るなら勝っていたのだった。

嫌味を言って来る相手は無視することだ。
相手が上司などで、それが難しい場合でも、なるべく平然とし、露骨に笑うのはまずくても、静かに微笑むか、無表情でいることだ。
それは、上司に負けないためでも、状況を悪くしないための配慮でもない。
あなたが、大切な宇宙エネルギーを奪われ、世界を支配する力を失わないためである。
多くの人(人類の大半かもしれない)が、そんなつまらないことで偉大な魔法の力を失っているのだ。
そのことが分かれば、全く修行しなくても、何の努力も、忍耐も必要なく、いつも気分よくいられるのである。
そうすれば、世界を手にしたも同然なのである。








騙さないと生きられない現実

合気道の達人、植芝盛平や、道術という武道を創始したMRT(仙骨無痛良法)の内海康満さんの礼が見事であると書かれているのを見ただけで、私は心が爽やかになるのを感じたことがある。
その見事な礼の姿を想像するだけでも楽しいものだ。
ところが、最近、私の愛読書になった『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』の著者、林悦道さんは、長く土建業に従事していたが、今は道場を開いて、子供達も含め、武道の指導をしているというが、彼の説く「礼」の意味に深い感銘を受けた。
それは、私の長年の心の中の疑問を解消するものだった。
それは、こんなものである。
日常では、暴力や人を騙すことは悪いこととされる。
しかし、武道では、人を殴り、蹴り、投げるし、騙しのテクニックも重要だ。
そんなものを日常に持ち出して暴力を振るったり、騙したりしたら・・・そんな者もよくいるのだが、それは悪になる。
だから、道場の出入りで礼をして、日常と非日常を切り替え、きちんとけじめを付けさせるために礼をするのだと言う。
はっきり言って、林さんは、あの神のごとき植芝盛平を超えていると思う。

だが、現実世界は、暴力はともかく、騙さなければ生きていけないことも林さんは説いていて、私も目が覚めた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で、ハルヒが、アマチュアながら訓練された野球チーム相手にピッチャーとして対戦するお話がある。
見た目は高校1年生の美少女で、顔もスタイルも抜群で、特に大柄でもないが、ハルヒの速球は凄く、最初のバッターを三球三振に討ち取る。
しかし、二人目からは打たれまくる。
その理由は、野球にはド素人のキョン(主人公。高1男子)にだって分かる。
ストライクゾーンの真ん中に直球しか投げないのだから、それが分かってしまえば打たれるに決まっている。
正々堂々のスポ根の王道である『巨人の星』でも、少年時代の星飛雄馬に対し、心理誘導をして、まともなストライクしか投げられないようにしたら、素晴らしい速球を投げる飛雄馬が打たれまくるというお話があった。
いかに大谷翔平の球が速くても、ストレートばかり投げたら、打たれまくるだろう。
そもそも、いかに剛速球ピッチャーでも、直球勝負だけというのは、体力的に無理なのだそうだ。

野球のピッチャーの投法に「チェンジ・アップ」というものがある。
いかにも速球を投げそうなフリをしてスローボールを投げ、バッターのタイミングを狂わせるというものだ。
ポーズも腕の振りも、さらに、表情まで「全力で投げるぞ」と見せて、ゆるい球を投げてバッターの意表を突くのである。
真面目な人なら、「それって卑怯じゃないのか」と思うだろうし、私はいまだそう思う。
しかし、もちろん、卑怯ではない。
素晴らしいフォークボール(直球のように来る球が急に落ちる)だって、考えようによっては卑怯だが、やはりまっとうなテクニックだ。
野球だけでなく、バレーボールのフェイント攻撃や時間差攻撃も、騙しと言えば騙しだし、卑怯と言えば卑怯と言えるかもしれない。
だが、騙しの全くない力勝負だけのスポーツなんて存在しない。
陸上競技の跳躍競技ともなれば、さすがに、ほとんど力勝負だが、ここでも精神的駆け引きは行われる。
そして、スポーツが人間を磨き、知恵を与えるのは、騙しの部分も少なくはないのだ。

私が社会人になって初めてやった仕事は家庭向けセールスだったが、上司や先輩に、「お前のトークはまとも過ぎる。工夫しろ」とよく言われた。
その「工夫」の実例は、私にはやはり「騙し」にしか思えない。
上司達は、やや苦しげな顔をして、「いや、騙しとは違う。騙しは良くない」などと言うを不審に思ったりもした。
だいたい、「キャンペーン中です」なんて騙しであることがほとんどだ。だって、年がら年中キャンペーン中なのだから。
「あなたに特別なお知らせです」ってのを、誰にでも行っているのだから、特別でも何でもない。
私は、そういったことがいちいち気に入らないが、ひきこもり等、社会不適合者には、そういった潔癖症と言うか「ガキ」が多いのだと思う。

実に、社会は嘘で成り立っている。
吉本隆明が、「国家は幻想で出来ている」と言ったが、国家も社会も会社も学校も、嘘、嘘、嘘だらけなのである。

宮本武蔵の『五輪書』を、外国のビジネスマンが「この書は騙しの指南書だ。そうか、日本のビジネスが強いのは、こんな思想があるからだ」と言うのをテレビで見たことがある。
確かに、『五輪書』には。「不意をつけ」「むかつかせろ」など、清純な頭には卑怯としか思えないことが書かれているが、この本は殺し合いに勝つ究極の秘訣を説いたものなのだから、卑怯でない方がおかしい。
それに、『五輪書』を批判したあの外国のビジネスマンだって、卑怯なことはいっぱいしているはずだし、何より彼は「俺もこれでいく」と宣言したのだ。

私は、嘘をまとって、一時、セールスで好成績を上げたが、耐えられずに駄目になった。
こういうのを本当の「社会不適合者」と言うのだ。
私はビジネスでは成功出来ない。
本宮ひろ志さんの漫画『俺の空』で、武尊コンツェルンの御曹司、武尊善行は、主人公の安田一平に、「男が女に本当のことを言うことなんて、一生に何度ある?」と言い、一平が激怒する場面があるが、少々極端な表現ではあるが、武尊善行の言うことにも一理ある。
少なくとも、嘘も言えない男に女は落とせない。
普通の女にモテる秘訣は、誰でも受け入れそうな雰囲気を出すことだが、それも騙しで、本当は相手を選んでいるのである。

まともな頭はおめでたい頭だ。
それでは生きられない。
そういうことで悩むのが青春で、そんな時期も必要だが、人は大人にならないといけない。
大人になれない者に世間は厳し過ぎる。
だけど、嘘にも限度がある。それを見極められるのが本当の大人なのだろう。









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人を勝利させるものはこれである

私は、小学5年生の時、他の子よりずっと腕力が強くて驚かれていた。
見かけはひょろっとしているし、さしてスポーツ好きでもないので、誰もが意外だったろう。
まあ、私の腕力が知られた時というのは、たまたま取っ組み合いの喧嘩をしたら、強そうな相手でも、あまりに簡単にやっつけてしまったからなのだが。
その秘密はこうである。
私は、4年生の時、大学でレスリングをやっている従兄に腕立て伏せのやり方を教わったのだが、その従兄は素晴らしい筋肉質の身体を持っていて格好良かったので、私は彼に憧れて、それなりに熱心に腕立て伏せをやっていたのである。
腕立て伏せをやれば強くなるというのは、小学5年生くらいの子供にとっては秘法のようなものだ。
私は、その秘法をやっていたので、腕力が強かったが、他の子達は、秘法を知らないので、私が強いことが不思議だったのだ。

そして、事情は大人でも変わらない。
毎日、少しずつでも、腕立て伏せやスクワットを欠かさずやれば、普通の人よりははるかに強くなる。
だが、ほとんどの人は、そんな簡単なことを、理屈では分かっているつもりでも、本当は分からないのだ。
それで、多くの人は、お金と時間をかけて、たまにスポーツジムに行って、無理な運動を不定期にやるので、少しも身体が強くならないばかりか、むしろ、身体を痛めてしまうのである。
彼らは、スポーツジムへ行けば、効果のある運動が出来る、あるいは、そんな所にでも行かなければ、ちゃんとした運動なんて出来ないという観念を持ってしまっているのだ。

サラリーマンの多くが、何だかんだ言っても、会社に滅私奉公すれば、仕事が出来るようになり、厚遇されるのだと思っている。
しかし、熱心なサラリーマンであることと、仕事や会社での成功は、何の関係もないばかりか、大抵の場合は、逆になる。
会社でうまくやれる者は、全然別の方法でそれをやっているのだが、普通のサラリーマンからすれば、それは秘法のようなものだ。
だがその方法は、上に挙げた私の腕立て伏せよりは多少難しいが、ごく簡単なことなのだ。
だが、そんなもの(会社の中だけでうまくやれる者)になる必要はないし、その方法は私の主義に著しく反するので言わないが、うまくやっている人を観察すれば分かるし、本当につまらないものだ。
そして、そんな方法に頼ると、人生を台無しにしてしまうだけだ。
そんなものより、はるかに良いことについてお話しよう。

人間を勝たせる万能の力は「目力(めぢから)」だ。
目から発する圧力、あるいは、気とでもいう奇妙なものだが、これが強い人には敵わない。
スポーツでも、武道でも、自分の実力が上でも、相手に目力があれば負けてしまう。
イチローさんの目力は大したものだが、錦織圭さんの目力は、グランドスラムで勝つ選手と比べ、全く劣る。
イチローさんだって、目力がない時は打てないし、錦織さんは全米で準優勝した時は、決勝以外は目力が強かった。
プロテニスで長期間世界ランクトップでいたのに、なぜかイギリスのセンターコートでは目力が出てこず、全英オープン(ウインブルドン)だけは優勝出来なかった選手が結構いるのである。
あの競技場は独特の場で、その空気や地磁気に合わない人がいるのだ。

目力が一番強かったのは、宮本武蔵である。
彼についての真実は、彼が自ら著した『五輪書』だけである。
そこに、目の使い方が書かれている。
実際、真剣勝負をした剣士ほど、目力の重要さを知っていた者はあるまい。
勝負は、向き合った刹那決まり、実際、超一流同士なら、目を合わせたら、剣を抜かず、帰ってしまう。
剣豪って馬鹿じゃない。無駄な戦いはしないものなのだ。
武蔵の『五輪書』を参考に、後は自分で工夫をするしかない。
「目力をつける方法を教えて」なんて言う馬鹿に見込みはない。
ただ、目力の話にピンときて、自主的に取り組めば確実にうまくいくのである。
以下に、役に立つ書物を挙げるが、いずれも、あくまで参考である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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