ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

五島勉

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

なぜ誰も本気で考えないのか

何かになりたいとか、何かを欲しいと言う人はいるが、どうすれば願いが叶うのか、本気で考えている人は見たことがない。
考えるだけでは夢は実現しないが、真剣に考えることなしに成功するはずもない。
しかし、誰も考えないのだ。
「一億円欲しいですねえ」と言いながら、すぐに別のどうでも良いことを考える者ばかりなのだ。
ビル・ゲイツは、15歳の時に、「25歳までに100万ドル作る」という目標を持ち、その実現方法を、とにかくずっと考えていたらしい。
そうしたら、高校でコンピューターに出会ったら、たちまちピンときて、それにのめり込み、18歳の時に、アルテアというパソコンの組み立てキットの広告を見たら、「これにBASICを乗せれば売れる」と閃いたのだ。
ゲイツは、若い頃は、とにかく社員を怒鳴りまくった。
なぜなら、皆、真剣に考えようとしないからだ。
ゲイツは言っていたのだ。
「僕はただ、Let's think harder(もっとよく考えよう)って言っているだけなんだ」

プロレスのジャイアント馬場さんが憧れてやまなかったアメリカの世界チャンピオン、バディ・ロジャースは、移動の電車やバスの中で、他のレスラー達が、雑談したり酒を飲んでいる時でも、1人でずっと、プロレスのことを考えていたと、馬場さんは言う。
どんな登場の仕方が格好良いか、次の試合は、どんな試合展開にしようか、どうすればお客さんがもっと喜び、会場に来てくれるのか・・・
馬場さんは、「ずっと考えている者と、そうでない者では、そりゃ、差がつくよ」と言っていたが、これを忘れてはならない。

困難な仕事を請け負った時は、文句を言ったり、弱音を吐く暇があったら、どうすれば、期限内にやり遂げることができるのか、本気で考えるのだ。
可愛いあの子を彼女にしたいなら、どうすれば彼女に好かれ、素晴らしい男だと認めてもらえるか、どこまでもどこまでも考えるのだ。
その時、決して、甘い妄想をしてはならない。
状況は最悪と考えるのだ。
「絶対に無理」からスタートするのだ。
一匹のハエが宇宙船を動かすようなものだと思うのだ。
それでも、動かしてやろうと思うのだ。
決して諦めてはならない。

私は、何か成功術の本を一冊と言われたら、必ず、五島勉さんの『ノストラダムスの超法則死活の書』をお奨めする。
この本では、徹底して、最悪を覚悟させる。
「君の奥さんが浮気してるかもしれないって?ああ、当然してるだろう。あんな綺麗な奥さんが君に満足するはずないじゃないか?」
「君がクビになるだろうかって?もちろん、そうなるはずだ。君のような無能者を今まで雇ってくれたなんて、奇特な経営者だ」
「君が、あの恋敵に勝てるかって?笑わせるな!あっちの方がずっとイケメンで金持ちで、いったいどこで君が太刀打ちできるってんだい?」
だが、これこそが、成功の超法則なのだ。
若き日の鋭さと情熱のあった舛添要一さんと、全盛期といえた竹村健一さんが、この本を推薦している。
彼らは、この本に書かれたことの欠片で成功したのかもしれない。

徹底して絶望し、全ての望みが消えた時、初めて、人はまともにものを考えるのだ。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツも言っていたのだ。
「人生が悲劇だと認識して、初めて人は生きるようになる」
生きるとは、幻想を破壊し、リアルに生きるということだ。
最後は野垂れ死にと決め付けることだ。
それを受け入れた時、あなたの中の何かが壊れる。
そうだ。幻想が壊れて、エネルギー経路が開かれる。
そうして、スイッチONで生きる者に不可能はない。









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日本人が昔は知っていた究極の言葉

肯定的と思える意味でも、「こだわり」「執着」を決して持ってはならない。
これらの言葉は、いかなる場合でも地獄しか作らない。
正しい、神の心構えは「熱心」である。

では、厳しい勝負の世界ではどうか?
ボクシングや柔道などの格闘技。
あるいは、将棋や囲碁はどうか?
軍事、政治、武蔵と小次郎の決闘といったことでも、勝負へのこだわり、勝利への執着が愚かだと言ったら、激怒する者もいるだろう。
問う。
いかなる勝負に際しても、勝つことへの執念は愚かなものであるか?
答える。
その通りである。
当たり前である。

日本には、究極の言葉が与えられていた。
美空ひばりさんの最大のヒット曲『柔(やわら)』の冒頭にある。

勝つと思うな思えば負けよ

である。
日本人がこの言葉を覚えているうちは、日本はあらゆる意味で強く、本質で豊かで、人々の心は温かかった。
しかし、この言葉を忘れ、勝つことにこだわるようになってから、単に経済とかいう意味でなく、日本は駄目になった。

この歌の作詞者は、関沢新一さんだ。
世界でも類稀(たぐいまれ)な成功哲学である、五島勉さんの『死活の書』でも、この歌の秘密が少し明かされていた。
関沢さんは、本物の武道の達人の極意を詩にしたのだ。

関沢さんは、作詞家であるが、映画脚本家としても有名だった。
1961年の『モスラ』も関沢さんの脚本である。
今年は、コジラ生誕60年であるが、モスラに対して特別な感情を持ってる人は多いだろう。
ゴジラ、ラドンというスター怪獣に続く、第3の怪獣として生み出されたモスラだが、実際、全くポリシーが違っていた。
モスラの原作は、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という驚くべき文豪が3名で創作したという、信じられないものだった。
そして、関沢さんが脚本を創ったのである。
結果、モスラは、普通の怪獣のイメージを超越した、神秘的な存在となり、実際、モスラを神のように感じる人もいるのである。
また、昭和ウルトラマンが大ヒットしたのも、関沢さんが脚本を書き、ただ面白いだけでなく、あの驚異のヒーローに、不思議な神性を与えたからである。

怪獣は人間に比べてはるかにそうであるが、その中でも、自我というものを微かにも感じさせない、ある意味、幻のようで、儚さすら感じさせる超怪獣がモスラである。
「自我を持たない者が人気者になると、皆が幸せになれる」
SF作家の野尻抱介さんが、『南極点のピアピア動画』で、初音ミクと同等の存在である小隅レイについて述べた真理であるが、これはモスラにも当てはまると思う。
モスラは初音ミクとも等価値であるとも言えると思う。

『柔』では、上記の、「勝つと思うな思えば負けよ」の後に、「負けてもともと」と、さらに駄目押し(囲碁用語)をしている。
現代は、「負けてもともと」よりは、「駄目でもともと」、略して、「駄目もと」と言う場合が多いが、いかに駄目もとでも、熱心さに欠けていれば、どうにもならない。
そして、熱心さ、つまり、情熱は、無理に起こせるものではない。
情熱は自我の領域ではなく、無意識の領域、生命の領域のものだ。
だが、欲望を情熱と勘違いすると、執着になるのだ。
ただ胸の奥に燃える炎、それが情熱であり、それに動かされることで熱心になる。
いや、理屈などいらない。
誰だって、熱心にやっていることがある。
それを、執着を持たずにやれば、必ず成功するし、求めずとも幸運に恵まれ、幸福になれる。

「勝つと思うな思えば負けよ」
この言葉を取り戻せば、あるいは、新たに持てば、日本人かそうでないかに関わらず無敵である。
尚、肛門を締めれば、勝負への執着は消える。
そして、補足として言うが、人差し指を立てれば、肩の力が抜け、執着も弱まる。
武道では、人差し指は「師匠預けの指」、使ってはならない指である。
困った時は、人差し指を立てれば、大抵解決する。
これは有名な禅の話『倶胝竪指(ぐていじゅし)』の隠された意味でもある。
まして、肛門を締めれば万能である。









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自分を軽蔑する

アファーメーションとかいうものをご存知かもしれない。
「私は偉大だ」
「私は素晴らしい」
「私はできる」
「私は社長だ」
といった感じで、自分に対して力強く、肯定的な宣言をするのだそうだ。
これは、惨めで不幸になる確実な方法である。
やっているなら、すぐに止めることをお薦めしておく。

なぜ不幸になるのかというと、わざわざ、虚偽、欺瞞、幻想の牢獄の中に自分を閉じ込めてしまうことになるからだ。
では、なぜこんなことを教える者がよくいるのだろう?
全部ではないかもしれないが(単なる無知も多い)、意図的にやってるなら、自分の信者、崇拝者を作り、そんな者達から金を搾り取り続けようとしているのだろう。
人間は、心地よい妄想を与えてくれる者にひれ伏すものだからだ。
このことを悪用して、悪い商売をしないように。
そんなことをする者もまた、例外なく、どん底に落ちているのだから。

これが究極とは言わないが、それと正反対の効果を上げる方法はこうだ。
あの聖ベルナデッタは、いつもこう言っていた。
「私は役立たずです」
他にも、
「俺は駄目だ」
「私は最低だ」
「僕があの子に相応しいはずがない」
「私の能力では全く話にならない」
「私なら首で当然だ」
「絶対に私が負けるだろう」
とかが良いだろう。

私が成功法則としては、世間にあるものの中では最上と思う、五島勉さんの『ノストラダムスの超法則 死活の書』にも、そんなことが書かれていた。
本の推薦者は、全盛時の竹村健一さんと舛添要一さんだ。
では、そんな言い方がなぜ良いのだろう?
五島さんも、そこらは書いていなかったと思う。
いや、神秘的には書いていたが・・・
しかし、もっと現実的に言うなら、そんなふうに自分を軽蔑すると、自分を見ることができるのだ。
だって、我々は最低だから。
あなただって、本心では、自分は駄目だと感じているから道を探しているはずだ。
だが、人間は、自分はなかなかのものだという自惚れを持っていて、自分をちゃんと見ることができない。
そこで、「俺は最低だ」と断言すれば、幻想が剥がれて自分を見ることができる。
自分を見さえすれば、自分の中にある光に気付く。初めはほんの少しだ。しかし、それで、初めて正しい道を進み始めるのだ。

『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメで、こんなとんでもない場面があった。
病院で意識がなく眠っている14歳の美少女アスカの衣服が乱れ、興奮したシンジが、その場でマスターベーションをした直後のセリフが良かった。
それは勿論、「(僕は)最低だ!」である。
その通り、とんでもない最低男だ。
薄汚い下種野郎!
情けないにもほどがある。
しかし、あそこでシンジが、「誰も見ていない」と思って自分から逃げたり、「これくらい普通だ」と自分を誤魔化さずに、「最低だ」と正しい認識をしたことだけは救いだった。
それによって、彼は自分の真の姿をちゃんと見たからだ。
彼は幻想を壊し、やがて、光を見つけるだろう。









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お姫様のような存在が男を勇者に変える

『白雪姫』や『シンデレラ』、『眠れる森の美女』のように、古いお伽噺には、王子様が力のない女を助けにくるお話が多い。
しかし、そのお話の後で、幸せになった彼女達はどうなったのだろう?
裕福で苦労知らずの身分になったら、美食して醜く肥満し、また、自我が強くなって傲慢になり、さぞ周囲に迷惑をかけ、かつての凛々しい王子様をやせ衰えさせたのではないかと、私が心配してどうなるものでもないが、あまり良い予想は立たないのである。

しかし、昔、『美少女戦士セーラームーン』のアニメの中で、未来から来た、セーラームーンこと月野うさぎの幼い娘であるちびうさ(本当の名前は母親と同じ月野うさぎ)が、「女の子だって、白馬に乗って王子様を探しにいかないといけない」と言ったのが、あまりに感動的で、私はいまだよく覚えている。
素晴らしいお姫様を待っている若者は多いのである。
彼らは、一人では大活躍できない。お姫様によって勇者に変わるのである。
これに関して、五島勉さんが20年ほど前に書かれた『イソップ物語の謎』に素晴らしいお話がある。
五島さんは、ノストラダムスの予言で世に出たような人だが、80歳を超えた今も著作を続けておられる。彼は、いろんな意味で誤解されやすい面もあるのだと思うが、おそらく大天才と言って間違いないと思う。著書の推薦者は、その時の最も勢いのある人ばかりだし(例えば、絶頂期の竹村健一さんや舛添要一さん等)、私自身、彼の本を読んだから、努力らしい努力もしないのに、いつも安楽で良い思いをしているように思う。
(ちなみに、その秘中の秘は、五島さんの『ノストラダムスの超法則 死活の書』である)
五島さんによれば、あの有名な「ウサギとカメ」の話では、ウサギは若くて可愛い女の子で、カメは男であるのだと言う。
簡単に言えば、カメのように鈍重に見えて力を発揮できない男も、活力に溢れた魅力ある女性に挑発されるようにして、いよいよ始動し、ウサギの善意ある計略により、ついに大事業を達成するというお話なのだそうだ。これは、決して五島さんの単なる思い付きではなく、深い研究の末にたどり着いたもので、実際、どんな「ウサギとカメ」の解釈より生命力ある考え方と思う。
また、あなたが女性であるなら、そのようなウサギにならなければならない、あるいは、なることができるといったことも書かれていたと思う。

昨年(2012年)亡くなられた戦後最大の思想家の一人である吉本隆明さんは、自分が引きこもり気質であったこともあり、引きこもりの人の社会進出に関して、世間によくある「絵に描いた餅」式の全く役に立たないものではない、きれいには見えなくても現実的なことを著書の書かれていた。彼は自分のことに関しては、「戦争中のことであり、無理にでも引っ張り出されて、引きこもっていられなかった時代」だったと言うが、今の時代は、放っておいたら、一生引きこもりかねない。いや、引きこもるなら引きこもるで、引きこもったまま活躍する道を探すという方法もあるが、それは、多少困難な辛い道であるに違いない。しかし、引きこもりだって、男性なら、好きな女の子でもできれば、案外に簡単に世の中に出て行けるのではないかと言っておられた。それもまた、上に述べた「ウサギとカメ」の話のようなものであると思う。

「赤い糸」の伝説は、単に誰かが面白いお話を作ったものが伝わったのではなく、神からの霊感を得て作られたお話が伝説になったのだろうと思う。
男を大飛躍させる女(その逆もあるかもしれないが)が、赤い糸で結ばれた大切な存在であるが、赤い糸で結ばれた相手は、必ずしも恋人のような男女でなくても、名コンビとなるパートナーや、師と弟子ということもあるだろう。例えば、法然と親鸞のようなものだし、ソニー創業者の井深大と盛田昭夫のような場合も、そう考えて良いと思う。
大音楽家の冨田勲さんが、昨年発表した『イーハトーヴ交響曲』は、彼の60年来の念願だったようだが、世界的に活躍してきた富田さんも、深い深い海の中に、とっておきの巨大カメを隠していて、それを初音ミクというウサギちゃんが挑発して引っ張り出したのだと思えるのである。
実際、冨田さんが初音ミクに出会わなければ、あの至高の交響詩は創造されず、大袈裟ではなく、日本、いや、人類は滅びへの道を突っ走ることになったと私は確信している。

あなたも、必ずや、赤い糸につながれたお姫様や王子様と出会うだろうが、それには、今持っている、お姫様や王子様の先入観は捨てなければならないだろう。
冨田勲さんの初音ミクのように、別に奥さんや現実の恋人がいたって、それは何の関係もない。
そして、何より大切なことは、まず、自分自身、あるいは、神様との赤い糸をつなぐことである。
いや、本当のことを言うなら、現実世界での決定的なめぐり逢いというものは、神様との結び付きの反映なのである。
聖書の『ヨブ記』に、「神と和らぎ(親しみ)平和でいなさい。そうすれば幸福がやってくるだろう」とあり、詩篇91には、「この者は私(神)を愛して離れないがゆえに、私はこの者を生涯守る」と書かれているように、また、イエスに、「一番大切な掟は?」と尋ねると、彼は、「お前の神を愛することだ」と答えたように、まずは、神と赤い糸で結ばれることだ。
それには、法然が言ったように、また、「仏像修復の神様」と言われ、世界一美しい彫像とも言われる、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の砕けた薬指を修復した西村公朝さんが天啓で知らされたように、ただ、仏神の名を唱えることだ。
赤い糸を結びたい神や仏の名を常に唱えることである。生活しながら唱えてはならない。唱えながら生活するのである。
それはやがて、無意識になされるようになる。
クリシュナの名を1日4万回唱えたプンジャジの元に、滅多に超能力を使わないラマナ・マハルシがその力を発揮して現れたように、南無阿弥陀仏の念仏を1日6万回唱える法然の元に親鸞が現れたように、あなたも大切な人に出会い、重要なものごとが起こるだろう。









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現在、ハルマゲドン(最終戦争)の真っ只中にあるという理由と勝利の方法

不親切な人間というのは、別に良いのではないかと思う。
見返りを期待して親切にしようという下心のない潔さ、清々しさがあるのだし、いらぬおせっかいをされる心配もない。
だが、親切なことをしないというだけでなく、他人に迷惑をかけずにいられない人間がひどく多くなってしまった。
例えば、落としたものを届けてくれないのは不親切であるが、ある意味、落とした者が悪いのだから、諦めても良い。
しかし、その落し物をわざと隠して発見できないようにしたり、二度と見つからないようなところに捨ててしまうような者が多いのである。
これが、悪魔に心を穢された人間であり、ハルマゲドンでは、悪魔はこのように攻撃してくるのである。
このような人間があまりに多いことが、今やハルマゲドンの最中であるという証拠なのである。

欲張りなだけなら良いのである。
自分の食べる分を確保するために、他人の食料を奪うというのも、その者が弱いというだけのことで、あまり酷くないなら、目をつぶってやっても良い。
私も子供の頃、姉のチョコレートを勝手に食べてしまったこともあった(後でこっぴどく怒られたが…)。
だが、ハルマゲドンでは、他人をわざと飢えさせて喜ぶような者が多くなるのである。それが悪魔にとり込まれた者の特徴だ。
あるいは、どうしても耐えられないなら、醜態ではあっても、電車の中や駅のベンチでパンなどを食べても良いだろう。しかし、そんな場合は、せめて臭いがなく、袋を破る音や、食べる音のしない食べ物を選ぶのが人間である。だが、そうではなく、周囲にその食べ物の臭いを撒き散らして平気なのは、既に悪魔に魂を食われてしまっているのである。

スマートフォンが大好きで、駅などの人ごみでも、どうしても触らずにいられないなら、それはそれで仕方がない。だが、ハルマゲドンにおいては、わざと周囲に迷惑をかけて、人々を不快にさせずにはいられない者が多いのである。そのような者も既に、悪魔に魂を売っているのである。
タバコが好きで、歩きながらどうしても吸いたいなら、容認できない訳ではない。しかし、現在、歩きタバコをする者の実に多くが、無自覚と言いたいのかもしれないが、そうやってタバコを吸いながら、わざと他人に近寄る、あるいは、他人が自分に近寄らざるを得ないような歩き方をしているのがよく分かるのである。

このような者達を見ても、もしあなたが神の側にいて、悪魔に穢されたくないなら、なるべく心を乱してはならない。憎んではならないのだ。それどころか、蔑んでもならない。
なぜなら、良い人間に、そのような感情を持たせるのが悪魔の常套手段だからだ。
人間は、憎む相手、恨む相手、蔑む相手に似てくるのだ。そんな人間を悪魔は簡単に支配できるのだ。
私も、悪魔のそんな策略にまんまとはまり、悪魔の手先になってしまった。

昔、敬愛する丹波哲郎さんが、こんなことを言われていた。
「男がスケベなのは当たり前だが、女の子をわざと恥ずかしがらせて喜ぶ男は、悪霊にとりつかれた下種だ」
丹波さんも相当スケベな方だったが、ウブな女の子を相手にする時は、嫌な思いをさせないよう非常に気を使うので、後になっても、その女の子にずっと慕われ、生涯、人生相談に乗ってやったりしていたという。
実は、それが日本の伝統だという話もある。
柳田國男など所詮「学者先生」だと言い、各地方の人々と本当の友情を結ぶことで、その土地の本物の風俗を知ることができたという民俗学者の赤松啓介さんは、多くの村では、娘が13歳ほどになると、親が見込んだ立派な大人の男性(ほとんどが妻子持ちだろう)に男女関係の手ほどきを頼み、男性はその後も生涯に渡って娘の良い相談相手になるのだが、それが最善でないにしても、国のあり方によっては、女の子にとって幸福になれる可能性を高める優れた方法だとは思うのである。
ところで、良寛さんが子供好きで、子供達と一緒によく遊んでいたという話を御存知の方も多いと思う。
しかし、良寛さんは、昨日まで一緒にいた女の子が、一人また一人と消えていくのに気付く。家が貧しく、親も泣きながら娘を身売りさせることが多くあったのだ。
良寛さんは、自分の無力を嘆き苦しんだ。
これに関しての話だが、上にあげた赤松啓介さんの本にもこんな話がある。
明治の頃の日本でも、多くの子供達が、工場労働に従事するために、田舎から出てきて、住み込みで働かされる。
子供達は男の子だけでなく、女の子も当然いた。
すると、子供達を雇う側では、拒否ができない女の子達をなぐさみものにするのだが、それは無論、立派なことであるはずがないが、道徳を説いてどうなるものでもないというのが現実だろう。
可愛い女の子なら10歳くらいから、男達はくじを引いたりして取り合ったという。
そして、最も人気があるのは、12~13歳くらいの美少女であったという。
それもまあ、仕方がないとしよう。
しかし、それならそれで、優しくしてあげ、普段の生活の中でも、いろいろ相談に乗ってやれば良いと思う。
だが、男共の中には、わざと痛がらせて喜ぶような下種がいたという。
良寛さんも、そんな連中がいることを知っていたからこそ苦しみ、嘆いたのである。
だが、私が思うに、昔であれば、むしろ、そんな男は少数派だったのではと思う。
しかし、もし、現代において、そんな立場に立てれば、昔とは比較にならない男共が、いたいけな少女達を虐待するはずだ。
そういったように煽り立てるのが、ハルマゲドンにおける、悪魔の戦略なのだ。
現代のアダルトゲームや、アダルト同人誌で、少女達を無慈悲に過激に虐待するものを見たことがあるが、いかな私でも、少しも良いとは思わず、ただ醜悪に感じたものだった。また、中年も過ぎたような学校教師が、教え子の小中学生の女子生徒をなぐさみものにするというのは、今や日常茶飯事で、誰も驚かないというのが、ハルマゲドンを象徴していると言えるだろう。そういったことも含め、学校はいまや、悪魔の巣窟であるのかもしれない。

テレビで極悪な犯罪者のニュースを見て過剰に憤り、「死刑にしろ!」なんて言う者は、既に悪魔に魂を奪われているのだ。
神に留まり、悪魔を拒絶する者というのは、絶対にそんなことを言わないものだ。それは断言する。
だが、あなたも油断して、人を憎み、恨み、妬むなら、そこから悪魔につけ込まれる。
いや、事実を言えば、あなたは、悪魔に侵入され、魂を穢されるのを免れる術はほとんどない。
無論、私も、いや、私は特に他愛なかった。悪魔共には「歯応えのないやつ」と馬鹿にされたものだ。

世の中を見て、あまりに憤ってはならない。
何度も言うが、道徳や良心にあまりに欠ける者を見ても、憎んだり、見下してはいけない。
今はハルマゲドンの最中なのだ。戦争中なのだ。悪魔との、不利な戦いの最中にいるのだ。
道徳や良心を全く持たない者達が溢れ返っているなど、当たり前なのだ。

私がただ1つ掴んだ、勝利の方法がある。
京都の広隆寺(こうりゅうじ)に、1本の赤松から彫られた、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)という、総高137.5cmの、実に質素な弥勒菩薩像がある。
聖徳太子が大切にし、昭和20年代の、本当に「見る目」を持った人達によって、国宝彫刻の部第一号に選定された、文字通り、我が国最高の仏像だ。どんな豪華できらびやかな大仏も、飾り一つない、この素朴な弥勒像には及ばない。
そして、現代最高の哲学者カール・ヤスパースが、人類史上最高の彫像と言われる、古代ギリシャや古代ローマの、神や英雄の彫刻すら、この弥勒像の足元にも及ばないと言ったのを初め、やはり、本当に見る目を持った者であれば、この弥勒像の真実の美が分かると思う。
この弥勒像を思い浮かべながら、ただ、弥勒の名を呼べば良い。
呼び方は、普通は、「南無弥勒仏(ナムミロクブツ)」、あるいは、「南無弥勒菩薩(ナムミロクボサツ)」になるのだろうが、「弥勒」、「弥勒様」、「マイトレーヤ」でも良いと思う。好きなように心で唱えれば良い。可能なだけ多く。
私が、最高の成功哲学書と思っている『ノストラダムスの超法則~死活の書~』の著者、五島勉さんの『未来仏ミロクの指は何をさしているか』によれば、それであらゆる幸運にも恵まれるという。
尚、五島さんのノストラダムスの予言の解釈が外れたというのは大誤解で、全て的中している。1999年7月に、原爆か大隕石が落ちてきて地球が滅ぶことだけが予言の的中だと思うのは、あまりに愚かであると思う。それは、各自調べれば分かると思う。
また、上記『ノストラダムスの超法則~死活の書~』は、当時、最も勢いのあった頃の竹村健一さんや舛添要一さんが推薦の言葉を書いている。
下に、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)を、仏像写真のスペシャリストである小川光三さんが撮影した最高の写真を収めた本もご紹介しておく。









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プロフィール
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