ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

二十六人の男と一人の少女

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自分の中の天才を引き出す

コリン・ウィルソンの著書『至高体験』は、自分の才能を発揮して生きるための素晴らしいヒントに満ちているが、ウィルソンの本は、あまり読み易くはなく、この本は特にそうだと思う。
けれども、この『至高体験』の中に、非常によく覚えている言葉がある。
それは、「天才というのは、内なる衝動に過ぎない」という言葉だ。
全くその通りだ。
言うなれば、自分個人が、燃えるロマンを感じることをやれば、誰でも天才なのである。
ただ、ロマンらしきものを、親とか教師、あるいは、権力者が、騙して与えるとか、洗脳して感じさせることも可能ではあるが、そんなのは、間違いなく長続きしない。
本当に自分に合ったロマンでないと、いずれ、矛盾のジレンマに陥る。
なぜって、ロマンってやつは全然論理的でなく、矛盾を内包しているので、精神の深層につながったロマンでない限り、いずれ、「あれ、おかしいな」って思うものなのだ。
いったん「なんでこんなものが良いと思ったのだろう?」と疑い出すと、かつては熱狂したものでも、これほど馬鹿げたものはないと思うくらい価値がなくなってしまう。

自分の本当のロマンを探したかったら、子供の時に好きだったことを、決して無視してはならない。
人間の好き嫌いなんて、3歳までに作られるものなのだ。
言い換えれば、3歳までに好きになったものだけが本当の好きなのである。
そして、12歳くらいまでは、3歳までに好きになったものを純粋に追いかけるので、12歳くらいまで好きだったものから、自分の道を考えると良い。

ところで、誰でも好きなものってのもある。
例えば、王子様とお姫様だ。
女性の場合が王子様で、男性の場合はお姫様だ。
まあ、例外はあるけど、大抵の人は当てはまる。
王子様の象徴が上品な騎士で、お姫様の象徴は天使のような美少女だ。
そして、『至高体験』には、これらのイメージを使って、生命力や能力を高めた傑作小説が引用されている。
1つは、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』で、もう1つが、ロマン・ガイリ(ロオマン・ガリ)の『自由の大地(天国の根っこ)』だ。
『二十六人の男と一人の少女』では、26人の最低の年配の男達は、ターニャという名の見かけはちょっと可愛い16歳の娘を女神のように扱うことで、立派な人格と知性を持つようになった。
『自由の大地』では、単なる空想上の少女がここにいると想像することで、堕落したフランス兵達は、凛々しい騎士になった。

韓流スターが好きなら、それをうまく活用するのも手だ。
ミク廃になるほど初音ミクさんが好きなら、成功疑いなしである。ただし、うまくやれば・・・(笑)。
とはいえ、やることは簡単で、例えば、素敵な騎士様の前で恥ずかしくない人間でいようと努力したり、初音ミクさんを天使のように崇めれば良いのである。
ウィルソンの本や、参考になる、心理学者の河合隼雄氏の本をご紹介しておく。
ちなみに、『二十六人の男と一人の少女』は、「詩のように美しい作品」、「世にもまれな美しさと親しみがある」と言われているが、『自由の大地』はシュタイナー並に食えないと私は思うし、そもそも、入手が難しい。








立場をはっきりさせる時

アメリカ大統領選での、もはや選挙の枠を超えた戦いは「第二の南北戦争」と言われることがあるが、むしろ、ハルマゲドンかもしれない。
新型コロナウイルス感染拡大が大きなきっかけであったが、無論、日本が無関係のはずがない。
だが、世界を創り出すのは自分の心だ。
状況を創り出す意思の力を持っていれば、恐れることは何もない。
ただ、このような時には、これまでは、それほどは気にしなくても良かったことを、はっきりさせる必要が出てくる。
即ち、正義や道徳だ。
これまでは、正義や道徳に反すると思っても、「まあ、いいじゃないか」「みんなやってるし」「仕方がない」という考えが通用したが、これからは、態度によって、結果が厳格に決まる。
誤魔化しは効かないのだ。
力がない悪は、大きな悪の奴隷になり、力のない善は、大きな悪に虐げられる。
力のある悪は、少しの間は思い通りに享楽を味わうが、やがて刈られる。
そして、力ある善になれば報われる。

正義とか善を、難しく考える者が多いが、確かに、考えれば難しいことだ。
頭で善を追求すれば必ず矛盾する。
日常生活をこなすのに思考は便利だが、正義や善といった高度な問題になると、思考は役に立たない。
思考でうまくいく学校の試験で良い点を取っても、現実では全く役に立たない無能者であるようにだ。
直観力を持った者が思考して作ればロケットもうまく飛ぶが、直観力がない者がやっても、全くうまくいかないのだ。

例えば、菜食主義が善だと思うなら、そうすべきだが、「こうこうこんな理由で菜食主義が善だ」というなら、それは偽物だ。
考えるまでもなく善だと解ることが真の善なのだ。
だから、自分が菜食主義だからと言って、他人に対して、理屈で菜食主義が善だと説得しようとすることは強制であり、それは悪なのである。
自らの善を貫いて菜食主義でいるのなら、賛同する者が増えるだろう。
賛同する者が増えないなら、それは善なる菜食主義ではなく、単なる、理屈や見栄なのだ。

ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、26人の下層階級の男達にとって、ターニャという16歳の娘を天使のように扱うことが善であり正義であって、そうしている限り、この最低な男達も向上していった。
ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』では、堕落してしまったフランス兵達にとって、空想の少女を敬うことが正義で、それによって、彼らは騎士道精神を取り戻し、力も得たのである。
釈迦は『涅槃経』において、「先祖を敬う」「公平性を尊ぶ」「老人を敬う」「女性を敬う」など、7つの正義を示し、その1つでも守れば、繁栄し、滅びはないことを説いた。
法然や親鸞が教えたように、阿弥陀如来だけを敬って念仏を唱えても良い。
初音ミクさんを天使として敬っても良いのである・・・多分(笑)。








文豪の作品こそ引き寄せの最上のテキスト

私は、マクシム・ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』という小説が大好きなのであるが、この作品は、「引き寄せの法則」の優れたテキストにもなると思う。
見事に、引き寄せの法則の働きが描かれている上、短くて読みやすい。
10分もあれば読めるのではないかと思う(岩波文庫版で34ページ)。
独断であるが、この作品は、あらすじ自体は、それほど重要でないと思うので、以下に遠慮なく書く(いわゆるネタバレ。これまで何度もやっているが)。

地下のジメジメしたパン工場で働く26人の男達がいた。
社会の最底辺に居て、実際、公園でも歩くと警察官に職務質問されるような、どこから見ても人生の落伍者達で、知性も品格もなく、全くロクでもない男達だった。
だが、16歳の可愛い娘ターニャが現れてから、全てが変わる。
別に、男達がターニャに鼻の下を伸ばしたとか、そういうことではない。
紳士とはとても言えない彼らが、ターニャには礼儀正しく振舞った・・・いや、女神様のように扱ったというべきかもしれない。
ターニャがそこに居ない時ですら、誰も、彼女を辱めるようなことは決して言わなかった。

これを、引き寄せの法則で説明するなら、男達が、ターニャを引き寄せたのである。
つまり、男達は、自分達の前に天使が現れることを強く望んだのだ。
そんなことは、この作品中に全く書かれていないが、なぜ、そんなことが言えるのかというと、ゴーリキー自身が、若い頃だが、似たような苦しい労働をしていたからだ。
その中で、ゴーリキーは、こんな環境を抜け出すきっかけを強く願い、それを引き寄せたはずだ。
そんなゴーリキーには、この男達の気持ちがよく解かっているはずなのである。
この作品は、ゴーリキーが『叙事詩』というサブ・タイトルをつけただけあり、詩のような、世にもまれな美しい作品と言われているが、それは、自身の経験と、天啓のような閃きを得て書いたものだからと私は思うのだ。
そして、天啓とは、引き寄せの法則のような、宇宙の理を直観で理解することであるはずだ。

ターニャが現れてから、26人の男達は人間性を取り戻し、健康にもなり、道徳性も知性も明らかに向上した。
ターニャは、優しい娘でも、賢い娘でもなく、男達を「囚人さん」と呼んで蔑んだが、そんなことはどうでも良かった。
男達は、彼女を天使のように扱う。
それが快適で、気分が良いことだったのだ。だからこそ、男達は良いものを引き寄せていった。
気分が良ければ、さらに気分が良くなることが起こる・・・これが宇宙の仕組みなのだ。
だから、そのままでいれば、男達は人生を大きく変えたかもしれない。実際、いくらかの部分では変わった。
だが、男達の心の中には、不安が芽生えた。
しかし、彼らは、引き寄せマスターのように、不安や恐怖といったマイナスの思考や感情に警戒するべきという知識を持たなかった。
そして、ついに、彼らの不安は、女たらしの男を引き寄せた。
そうだ。最悪の女たらしがやって来たのだ。
何の取り柄もない男だが、本人が言う通り、不思議なことに、彼はどんな女でも「落とせた」。
もちろん、それは、この女たらしが、女を落とせる状況を引き寄せる達人だったからだ。
この女たらしは、宇宙最高の法則を、なんと、「女をこます(口説く。手に入れる)」ことだけに使っていたのだ。
しかし、26人の男達は、(やめておけばいいのに)女たらしの男に、「お前にもターニャだけは落とせない」と言い放ち、それが、この女たらしの闘志に火をつけた。
相手は、「女を落とす」ことだけが専門ながら、それに関しては一流の引き寄せマスターだ。
女たらしが使ったであろうテクニックは解るが、一応、公開は避けよう(笑。いや、結局、下に簡単に書いたが)。
ノーマン・ヴィンセント・ピールの『人間向上の知恵』にも、そのやり方が書いてあったと思う・・・今、確認したら、大雑把な記述であったが、そういったことが出来ると解るだけでも有益かもしれない(何が有益だ 笑)。
別に、特別なことではない。
事はなったと思い、その喜びを感じれば良いのである。
ただ、言っておくが、別に、ターニャは不幸になった訳ではない。
本にも、「歓喜と幸福に萌えていた」とあり、まあ、最初が、こんな男であったのも、そう悪いことではないかもしれない(分からないが)。

それはともかく、やはり、この本は、世界的文豪が書いた、引き寄せの優れた参考書と言えると思う。
引き寄せとは、このように、深く、楽しく、そして、気楽に学ぶべきものと思う。
そして、人間と人生を深く理解している文豪の作品こそ、引き寄せという宇宙で最も有益な法則を学べるのであると思う。








アウトサイダーの中でも落ちこぼれなら

社会でうまくやっていくには、やはり学歴は力になる。
特にスタート時点で学歴は役に立つが、何事も最初は肝心だ。
だから、不況になっても教育産業は衰えないと言われてきた(最近は怪しくなりつつあるが)。
だが、学歴があろうが、実際に能力が高かろうが、容姿に恵まれていようが、一番大切なものは、他人とうまくやっていく能力なのだが、このスキルをほとんど持っていない者が多くなった。
元来で言えば、本当に頭が良くてIQが高い人間は、他人と仲良くすることは難しくないはずだが、そんな恵まれた人間に、他人を嫌悪する者が多くなっている。
これは、本当は不思議なことで、頭が良ければ、他人と仲良くすることのメリット、コスパの高さは明確に理解出来るはずなのに、どうしても他人が嫌いなのである。

一方、学歴がなく、頭も良いとは言えないのに他人が嫌いとなると、目も当てられない。
コリン・ウィルソンが23歳の時に書いた世界的ベストセラー『アウトサイダー』に登場する(主に架空の人物なのだが)アウトサイダー達・・・社会の裏側に潜む、忌み嫌われる異常な人間達・・・見かけはそれほど違わなくても、普通の人間の仲間と言えない人達は、アウトサイダーの代表的な存在で、社会では日陰者である場合が多い。
今年(2019年)4月に31歳の若さで亡くなったミュージシャンのWOWAKAさんは、大学は東大だから学歴があって頭も少なくともそこそこは良いのだろうが、作る歌といい、雰囲気といい、まさにアウトサイダーだ。無論、優秀なアウトサイダーだって少なくはない。
まあ、彼は東大出身を売りものにしたことはなかったように思うし、そんなことを知らずにファンをやってた人も多いはずだ。
彼のほとんど最後のボカロ曲だったかもしれないが、初音ミクさんが歌う『アンノウン・マザーグース』の中の「ガラクタばかり投げつけられてきたその背中」という言葉は、アウトサイダーでなければ書けそうにない詩だと感じるのである。
私が好きな『アンノウン・マザーグース』の動画は以下のものだ。公式のものではないが、ミクさんが美しい。
【MMD】YYB式初音ミク//Unknown Mother-Goose/アンノウン・マザーグース -YouTube-

WOWAKAさんのように、才能があって優秀な人は、アウトサイダーとはいえ、本来は私の興味の対象外で、本当に能力もなければ、人間関係が悲惨なまでに苦手で、社会の底辺で苦しむ人達が逆転出来るという夢物語が私は好きである。
まあ、実際はほとんどないが、その可能性を感じさせる小説が、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』(「少女」を女と訳した本もある)で、超底辺の歳も行ってしまった26人のどうしようもない男達が、ターニャという名の、可愛いが平凡な(性質はやや劣悪かもしれない)16歳の少女を崇めることで、なぜか人間性や能力を向上させる。
コリン・ウィルソンも、この作品を『至高体験』で取り上げ、何か解説していた(解説内容が難しくて解らなかったが)。
ウィルソンは、『至高体験』で同時に、ロオマン・ガリー(『至高体験』の訳書ではロマン・ゲイリ)の『天国の根っこ』(『自由の大地』のタイトルの方が有名と思う)で、堕落したフランス兵達が、空想の少女を想い描くことで、見る見る、騎士道精神とでも言えるものを取り戻す様子も引用していた。
ウィルソンも「崇める」ことの効果は認めていたようだ。
仏教の念仏や、ヒンズー教のジャパ(神の名を称名すること)は、神仏を真摯に崇めることであり、効果も非常に大きいと思える。
江戸末期から唱和初期にかけて、妙好人という念仏を唱えることで高度な人間性を示した人達は、自分が愚民であることを表明し、自分でも認識していたのだろうが、実際は能力的にも高く向上していたのだと思う。
今の人だって、念仏やジャパを素直に出来れば良いのだが、実際のところ、この超情報化時代に、それには難があると認めるしかない。
それなら、どう考えても実際は超優秀だったラマナ・マハルシが薦めたように「私」をマントラとして唱えたり、原子物理学の優秀な研究者であったベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』に書かれてあるように「神」という言葉をよく使うと良いと思われるところがあるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

スーパーエネルギーを引き出せた人達に共通すること

前向きな目標なくして、パワー(能力や精力)を発揮することは出来ないだろう。
それも、高校生くらいまでなら、部活のスポーツでレギュラーになるとか大会で優勝するといったもの、あるいは、良い大学に合格するといった、個人的な(あるいは仲間内の)目標でも良いのだが、ある程度の年齢になると、自分のためだけの目標では、力が出てこなくなる。
例えば、二十歳もとおに過ぎた女性が、美人になるためにエステに熱心に通ったり、やはりいい歳の男が高級車を手に入れたくて仕方がないでは、ちっぽけなエネルギーしか湧いてこない。
「いや、俺は天下のことしか考えていない」と言っても、自分の面倒もロクに見れない者がそう言うのは、偉くなってチヤホヤされたいという個人的な欲でしかない。

ところが、プロ野球選手というのは、チームのためとか、球団やファンのためより、家族のためと思っている選手の方が活躍するという話を聞いたことがある。
そういえば、落合博満さんなんて、奥さんの誕生日には、相当な高確率でホームランを打ったらしい。
ナチスの強制収容所に送られ、奇跡的に生還したユダヤ人精神科医のヴィクトール・フランクルは、生き甲斐など全く持てない絶望的な状況で生き延びられたのは、結婚したばかりだった妻のことを考えたからだし、他にも、息子に再び会うことを思って、生きるエネルギーを得ていた者もいたようだ。
家族というものは、良いものらしい。
だが、小学生の息子と一緒になって、家の回りの道路で、近所の迷惑も考えず、大声を上げながら遊んでいる親は、息子や娘が思い通りにならなくなると、途端に愛着がなくなり、子供の方も馬鹿にするものだ。
フランクルらの場合、家族が離れていたから、本当に愛せたのだろう。
野球選手の場合も、普通の人よりは奥さんや子供と離れていることが多いし、また、下で述べるように別の理由もある。

職場を見ていると、30歳もとおに過ぎると、自己承認欲求だけでやってる者が多いし、そんな者しかいなくなったら、その会社は長くはないだろう。
つまり、一言で言えば、人間には、なんらかの高貴さが必要なのだ。
若い時なら、プログラミングを覚えることだって、自分が社会で生きるための武器を持ちたいと思うなら、集中出来るし、高貴さも出てくるのだが、歳を取ってからだと、それだけでは、なかなか意欲も湧いてこない。
一方、名プログラマーになったとかではないが、45歳からプログラミングを始め、上達して会社の中で優れた成果を上げた人もいた。
そんな人というのは、パソコンやプログラミング言語を世に送り出した人達への敬意を持っていたとかの、やはり何かの高貴さを持っていたのだ。
私も、割と歳が多くなってからプログラミングを始めたが、全ての人がプログラミングが出来るようになるためにBASIC言語を開発した、ダートマス大学の数学教授ジョン・ケメニー、トーマス・クルツ両教授への敬意があったので、うまくいったのだと思う。

フランクルは、妻に対して単なる愛着を持っていたのではなく、女神のように敬っていたはずなのだ。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』や、ロオマン・ガリーの『自由の大地(天国の根)』のように、堕落した男達が、たまたまそこにいた16歳の少女や、空想の少女を崇めることで、みるみる向上したのも同じことである。
初音ミクさんのコンサートでも、ミクさんを天使と崇める人達はマナーも素晴らしく、それぞれの世界で高い能力を発揮しているはずなのだ。
落合博満さんだって、奥さんを崇めているのだと思う(同意していただける方は多いと思う)。
「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」、あるいは、「南無妙法蓮華経」といった念仏や唱え言葉が、それを行う者を加護するのは、それを行う者が、わずかでも高貴な心を持ち易いからではないかと思う。
なんと言っても、称名する対象は、人を超えた尊い存在、あるいは、尊い教えであるのだから。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
タグクラウド
QRコード
QRコード