ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

丹波哲郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

運だけは良かった駄目なヤツ

2006年に亡くなられた丹波哲郎さんは、生涯に300本以上の映画に出演し、その中には外国映画も10本あり、ショーン・コネリーと堂々共演したこともある。
投資家で、運の研究で名高いマックス・ギュンターによれば、大俳優と言ったって、成功の要因はつまるところ、運が良かっただけのことであるが、俳優に限らず、いかなる成功者も同じなのである。しかし、誰も、自分が運で成功したとは言わず、努力で成功したように言い、自分でもそう思っている。
だが、この大俳優、丹波哲郎さんは、大抵の著書に、「俺はとにかく運が良くて」と言い、正真正銘の努力嫌いであることを全く隠さない珍しい人だった。
では、なぜ丹波哲郎さんは運が良いのかというと、本人は、「守護霊様が守ってくれたから」と言うが、はっきり言って、守護霊を見た人はいないし、「私は見た」と言う人も、ほとんどは怪しい話である。
そして、丹波さん自身、自分では守護霊を見たことはないのだと思う。単に、霊能者みたいな人に見てもらい、それを信用しただけだ。
けれども、「なぜ守護霊がそんなに良くしてくれたか?」となると、丹波さんは「俺は守護霊が守り易い性質だった」と言い、それで、丹波さんのような運を掴む糸口が見えてくる。
丹波さんが一環して言う、彼の得な性格・・・幸運を呼ぶ理由は、「ものにこだわらない」ことだった。
「ものにこだわらない」とはよく言うが、それがどんなものかは、案外に難しい。
しかし、言ってみればそれは、「小さなことにこだわらない」ことであり、「小さなことにこだわらない」とは、「本当に大事なこと以外はどうでもいいと思う」ことだ。
まあ、それも難しく考えれば難しくなるが、そんなことを難しく考えるのも、こだわりがあるからだろう。
先ごろ、東大の入学式で、ほとんどの男子学生がスーツ姿である中で、半袖のスポーツウェアで式に挑んだ新入学生がいて、テレビのインタビューに対し、「入学式はスーツという固定観念が良くない。俺はそんなんものぶっ潰す。そして日本を変える」みたいなことを言っていたが、「まあ、元気だなあ」とは言えても、あまりに小粒と思えた。いいヤツなんだろうが。
別に、入学式にはスーツというこだわりがある訳ではないが、どうでもいいのでスーツにした・・・で良いのであり、そんなどうでも良いことで自己主張するのもこだわりである。彼とて、東大に入れたのだから、頭・・・じゃなく、運は良いのだろうが、子供の時の運は与えられるが、これからの運は自分で責任を取らなければならないのだ。

「本当に大事なこと以外はどうでもいいと思う」とは、「大抵のことは気にしない」ことである。
2015年のアニメ『終物語』で、高校3年生の羽川翼が、大昔のアニメ(半世紀近く前)の『一休さん』の、一休の真似をしたが、あれ、分かる人、どれくらいいるのだろう?
しかし、その一休さんのキャッチフレーズが「気にしない、気にしない。一休み、一休み」で、これを口癖にするのも手である。
ただ、大事なことは気にしないといけないのであり、後には、丹波さんも、そんなことを本に書かれていたように思う。
ところが今は、気にすべきことを気にせず、気にしなくていいことを気にする者が多いのである。
あの、スポーツウェアで入学式に出た東大生も、そうではないかと思えたのだ。
彼は、周囲に不快感を与える可能性を気にした方が良い。
初音ミクさんのライブに、奇抜な格好で参加する人は日本でも海外でも、滅多にいないが、それは慣習に囚われているのではなく、周囲への気遣いという面も確かにあると思うのだ。

著書によれば、丹波哲郎さんは、どんな場所でも、駄目なグループが必ず出来るが、自分はいつもそこに入っていたし、駄目なグループの中にも落ちこぼれがいるものであるが、もちろん、そこにも丹波哲郎は入っていた。
なんでそんなに駄目なのかというと、大金持ちのお坊っちゃんだったので、何でもお手伝いさんがやってくれたから、何も出来ないからだったようだ。
しかし、こだわりがなければ、駄目なグループの、さらに落ちこぼれが、一番お得なポジションなのである。
また、そんな丹波さんがなぜ俳優で成功したかというと、単に向いていたからであり、こだわりがないので、余計なことにエネルギーを使わなかったからだろう。

ところで、昨日、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の宿泊プランの申込みがあり、例年通り、受付開始と同時にアクセス殺到のために受付サイトが機能しなくなったが、システムに改善・拡張があったのか、粘り強くリロードすることで、申込みに成功し、一次抽選でのインテックス大阪に続き、幕張メッセでもSS席を確保出来た。
まだまだ「マジカルミライ2018」の感動が覚めやらぬうちに、「マジカルミライ2019」への道が開けるとは不思議な気分である。
昨日は、朝から可愛い女子中学生に挨拶されるなど運が良く、良い予感がしていたら、1日中、ツイていた。
つまり「明るい気分」も運には大事なことであると思う。
そして、明るい気分になるには、高貴な行いをすること、わけても、人に親切にするのが一番である。
思いやりこそが高貴な人間の特性であるが、人間とは、自分が高貴な人間であると思える時が一番嬉しいのである。









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「わりと」「だいたい」がツキを呼ぶ

事業成功者の話より、ギャンブラーの話の方が面白いのはなぜだろう?
それは決まっている。
ギャンブラーの方が正直だからだ。
成功した事業家は皆、本当はギャンブラーなのに、それを隠す。
そのあたりの事情は、アメリカの投資家マックス・ギュンターの『運とつきあう』に詳しく書かれていて、私は大変に面白いと思った。
事業家に限らず、いかなる成功者も、大博打で勝ったギャンブラーなのであることは、まあ、間違いないだろう。
しかし皆、自分は努力して成功したように言う。
その理由は(その本にも書かれているが)、(1)自分が努力して成功したと思われたい、(2)自分でも努力して成功したと思っている、(3)努力して成功したと言うほうがウケが良い・・・の3つである。

昔のアメリカでは、成功者はギャンブラーとして軽蔑されたらしいが、それは本当だと思う。
日本人は勤勉だと言われ、アメリカ人のリーダー達はそれを称賛する。
だが、日本人の勤勉は、実はアメリカが作ったのである。
戦後、アメリカは、二宮尊徳(にのみやたかのり。よく知られる二宮金次郎は自称)を尊敬すべき刻苦精励の人物という虚像を作って、これに憧れるよう日本人を洗脳し続けたのである。今でも学校にある、薪を運びながら本を読む二宮金次郎像は、アメリカによる、日本人のマインド・コントロール・ツールである。
いや、そもそも、アメリカ政府が、アメリカ人を勤勉にするため、勤勉は善、ギャンブルは悪という思想を作り上げたのだ。
だから、実際は、伸るか反るか(のるかそるか)の大博打で成功したジョン・ロックフェラーも、イメージを良くするため、自ら「勤勉こそ尊し」と説き続けたというのが本当だと、上記の『運とつきあう』にも書かれていて、私は、それを真に受けるというより、「そりゃそうだろう」と思うのである。まあ、エビデンス(証拠)も十分らしいしね。

成功者は、決して、自分が運で成功したとは言わない。
よほど親しみを感じている相手を除いては。
私は一度だけ、ある成功者に「俺が成功したのはたまたまだ。俺と同じことをやっても絶対駄目だ」と言うのを聴いたが、私が親しまれたというより、その場の興が乗っていたのだろう。そして、それが、私が彼を最も正直に感じた時として印象に残っている。
いや、その他の彼の言うことも、思い出せば『運とつきあう』に書かれてることとほとんど同じなので、その本の真実味を感じるのである。
しかし、やはり、成功者は普通は、自分が運で成功したとは言わない。

しかし、大成功者で、自分が運で成功したと言ってくれているのが、銀座マルカン創業者の斎藤一人さんとドワンゴ創業者の川上量生さん(現在はカドカワ社長)だ。
もちろん、彼らが運だけで成功した訳ではないだろうが、彼らと同じくらい能力がある人も、案外ザラにいると思うのだ。
その中で、彼らが成功したのは、絶対的に運があったのである。
斎藤さんに関しては、もうぶっ飛び過ぎてワケが分からないことを書いた本が続々出るが、まあ、彼の初期の本を読んだ方が安全だ(笑)。
そもそもが、斎藤さんの教えの根本は、「ツイてる」と言えばツクのであるから、それを覚えておけば良い。
川上量生さんは興味の尽きない人物であるが、50歳を過ぎて、そろそろ凡人化していないか・・・などと思うが、それは分からない。
彼も、割と思いつきでモノを言うフシもあるので、あまり真に受けない方が良いかもしれない。
だが、彼のツキの鍵は、彼の口癖「だいたい」「わりと」にあるような気もする。
「だいたいやね~」の口癖で有名だった竹村健一さんが、『いい加減のすすめ』なんて本を出していたが、要は、「良い加減」の「いい加減」が良いのだろう。
それが、「こだわらない」「やり過ぎない」「度を越さない」「そこそこ」「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という、宇宙の美徳・・・すなわち、運を呼ぶ要因になるのである。
竹村健一さんは英語で世に出たが、彼が言うには、「だいたい、僕の英語なんて、素人に毛が生えた程度ですよ」だそうだ。まあ、確かに、そんなに上手い英語ではないと思う。
私もVBA(ExcelやAccessに内蔵されたプログラミング言語)でわりと良い給料を貰っているが、正直、本当にいい加減で、ロクに稼げないVBAプログラマーに「こんなことも知らないのですか?」と言われることもある。
宮本武蔵の剣法だって、柳生宗則のような本格派と比べれば、相当いい加減だったと思うのだ。
しかし、実践の場数が多いと「キレ」がある。
丁度よい例が、大俳優の丹波哲郎さんが大学時代、外務省の通訳のバイトで高給を取っていたが、実は、採用されたのは、面接時の発音に「キレ」があったからだったというものだ。
早い話が、本当には英語が出来ない面接官達は騙されたのだ。
丹波さん曰く。
「そりゃ、米軍のバーでバイトしてたんですよ。だから、発音が違う」
もちろん、そんなんで通訳の仕事が出来るはずもなく、外務省では仕事中、トイレに隠れていたらしい(笑)。
丹波さんは、自分の最大の美点は「こだわらない」だと言う。
つまり、「わりと」「だいたい」なのであり、それがツキを呼ぶのである。









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成功法則の第一は絶対これ

なんだかんだ言って、成功法則の第一はこれだと言ったら、皆、納得してくれるのではないだろうか?
それは、「心がゆったりしている」ことだ。
いろんな言い方で言えば、「こだわりがない」「心が広い」「こせこせしない」「鷹揚である」「大きく構える」「おおらか」などと言えると思う。

どれほど立派な掟を実行しようが、万能呪文を唱えようが、しっかり勉強し、みっちりトレーニングしようが、心が狭い、こせこせしたやつは駄目である。
大俳優の丹波哲郎さんは、「私が小学生の時の通信簿の『性格の長所』欄に、私に何も誉められるところがなかったので先生は仕方なく書いたのかもしれないが、『丹波君はものにこだわらない』と書いてくれた。実際、私は子供の時から、本当にものにこだわりがなく、それで何でもうまくいったのだ」と、よく言ったり、本に書かれていた。
そもそもが、俳優になった動機が、友人に「楽な仕事はないかな?」と尋ねたら、友人はふざけてだろうが「そりゃ、俳優しかないだろ」と応えたので、「じゃ、俳優だ」ということになったらしい。
丹波さんは、働くことが大嫌いで、サラリーマン時代は、入社時にもらった鉛筆は、3年後にクビになるまで削りもしなかったという。そりゃ、出社と同時に遊びに行き、上司に、「雑誌を読んでてもいいから机にだけは居て」と頼まれるも、どうせ仕事なんかできないのだからと、やはり遊びに行ってしまったのだから、鉛筆を削る必要もないが、クビにもなろうというものだ。
戦争時は、自分達新米兵は皆、上官の洗濯とかして機嫌を取っていたのに、丹波さんは、そんなことは面倒でしなかったら、どんどん変なところに送られたが、結局、そんなところは楽で安全で、終戦まで優雅にやっていたらしい。

プロレスのジャイアント馬場さんも、亡くなった時に、葬式に来た親友のブルーノ・サンマルチノが「君は身体だけでなく、心もジャイアントだった」と言ったらしいが、それは、やはり親友だったドリー・ファンク・ジュニアの影響があったのかもしれない。
馬場さんは初め、ドリーを見て、「こいつ、本当に馬鹿じゃないのか?」と思ったらしい。
服の着替えに人の10倍時間がかかり、試合後、控え室からなかなか出てこないし、集合には必ず遅刻するが、全く悪びれずにニコニコしている。
さすがの馬場さんも、やがて、「テキサスの大自然の中で育ったら、こんなに鷹揚になるのか?」と感心したらしい。
われらが初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長さんは、講演会で、「私は北海道の、人間より牛が多い中で育った」と言われていたが、やはり北海道の雄大な自然が、ものにこだわらない広い心を育て、それがマジで天使な初音ミクさんを生んだのだろう。
ミクさんのお母さんは北海道の大自然である。
我々も、ものにこだわらず、でっかくいこうではないか。









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そこまで落ちちゃいけない

あらゆるアニメソングの中で、藤田淑子さんが歌う『どろろ』の主題歌『どろろの歌』ほど印象的なものはない。
作曲は、世界的音楽家の冨田勲さんだ。
まるで、どろろの声を担当しているかのように思えるほど、どろろ(10歳くらいの悪童)の声で「ほげほげたらたら」と歌い出すが、途中で、見事に女らしい、そして、澄んだ美しい声で歌う。
だが、その後でまた、どろろのような声で、
「とぼけちゃいけねえ知ってるぜ お前らみんなホゲタラだ」
と歌うところで、ゾっとしてしまうのだ。
「とぼけちゃいけねえ知ってるぜ お前らみんなホゲタラだ」
この言葉を、身に染みて感じる者は不幸だ。

昔、丹波哲郎さんが、人生相談みたいな本で、20歳の女性のこんな相談に答えていた。
「付き合っている彼が、私のことを処女だと思っているが、私は10人ほど経験している。このことを彼に言うべきか?」
丹波さんの答は、
「いまどき20歳で10人なら少ない。真面目な良いお嬢さんだ。彼に言う必要など全くない」
だったが、この答を見て、「丹波さんらしいが、そんな馬鹿な」と思う人と、苦笑しながら「まあ、そうだねえ」と思う人がいるが、後者の人だって「真面目な良い人」かもしれないのである。
前者の「そんな馬鹿な」と思った人は、どろろのあの「とぼけちゃいけねえ知ってるぜ お前らみんなホゲタラだ」ということを感じていない人なのだ。

親が見栄っ張りで、特に自分の子供に、自分が実態とかけ離れた立派な人だと思わせようとしていることがあり、そんな子供は不幸だ。
親がホゲタラだということを知らずに過ごすが、いつかはバレる。
まあ、薄々は気付いているのだが、はっきり知った時はやはりショックだし、中には、親がホゲタラだと本当に知らない子供もいて、そんな子供が親の本当の姿を知った時は・・・無事では済まないかもしれない。

岡田斗司夫さんの話だったと思うが、Webでちらと見た面白いものがあった。
『天空の城ラピュタ』で、パズーとシータが、抱き合って転がるシーンで、「なぜあそこでチューをしないのか?」と疑問を感じるはずだが、そんなのやっているに決まってる。しかし、宮崎駿監督は、そんなシーンを露骨に描くのが嫌な人だ・・・といった感じの話だった。
いやいや、物語の初めで、パズーは気を失っているシータを、誰もいない自分の家の自分のベッドで寝かせて、手を出さない清純な男の子なのだ、そんなことするはずない・・・と言うのは、ちょっと無垢過ぎるかもしれない。
あの朝のパズーの様子が、不自然に爽やかだったと気付くかもしれない。
ドーデの『風車小屋だより』で、やむを得ない事情で、若い女性と一晩を過ごすことになった青年が「悩ましいものを感じた」と告白した以上に、パズーの心は乱れに乱れていたはずで、少なくとも、『新世紀エヴァンゲリオン』で、気を失っているアスカに対し、シンジ君がしたようなことはやってるはずと思うのが・・・まあ、普通だが、そんなことも信じられない無垢な大人もいる。きっと、見栄っ張りの親に育てられた人だ。
まあ、私の解釈では、パスーは既に、沢山の女の子に手を出していて慣れているし、その中には、シータ以上の美少女(あるいは美女)もいたはずだ。よって、パズーは、そんなにがっついておらず、よってシータは一応無事だった・・・であるが、これが一番平凡な意見かもしれない。

AKB48が恋愛禁止だという話を、端から笑って信じない人は多いだろう。
昔、アイドルだった男性が、やはり、当時人気アイドルの少女だった子と、やることはやってたと暴露したような話もあったかと思うが、まあ、本当なのだろうが、仕事がなくて注目を集める必要があって言ったのだろう。
言っても良いが、言わない方が良いかもしれない。
AKB48だって、10年後、20年後には、そんな話があるかも・・・と言うか、よく知らないが、既にあるのかもしれない。
アイドルを偶像視するアイドルオタクは、やはり、見栄っ張りの親に育てられ、人間の本質を甚だ誤解しているのかもしれない。

とはいえ、今の人間のホゲタラ振りは度が過ぎているかもしれない。
そりゃ、人間、大したものではないのだが、そこまで落ちちゃいけない。
「我、仏陀なり」
そんな呪文を唱えて欲しい。
感情を込めず、だけど、丁寧に、心の中で、出来るだけ数多く。
そうすれば、凡人にはない力を得ることだろう。









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ぶれないことの魔力

「ぶれない」とは、態度、考え方、方針が全く変わらないことを言う。
ぶれない者が、信念のある人間だ。
「ぶれないヤツ」と、人に思われたり、自分で思うようになれば、まず誰にも負けることはない。
ぶれない人間は、決断が速く、後悔をしない。
また、ぶれない人間は、本当に重要なこと以外にはこだわらない。
そんな人間が負けるはずがない。

たとえ卑小なことでも、「ぶれたら死ぬ」くらいの思いがあれば、高度な存在が味方し、守られ、助けを受けるだろう。
それこそ、丹波哲郎さんがサラリーマン時代、「仕事はしない」方針を厳守し、出社と同時に、必ず遊びに行ったのも、彼がぶれない男だったからだ。
だが、そんな丹波さんだって、自分が社内にいないと誰かが困る時には、社内にいたと思うのだ。
実際、丹波さんは、宴会の幹事だけは、辣腕(凄腕)を振るったらしい。
ぶれないことは良いことであるが、引くべきところは引くことも大切だ。

しかし、まずは、ぶれない何かを持たねばならない。
ぶれないやつはクールだ。
男でも女でも、絶対にモテる。

キミを振り向かせる為なら どんな手でも使うわ
超絶俺様主義のキミに合うのはあたしだけ
~『Baby Maniacs』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P、歌:初音ミク)より~

この歌の、この部分の詩のことを、私はずっと考えていた。
この「超絶俺様主義」というのは、自己中心主義のことではない。
そうではなく、ぶれない男のことである。

重要なものごとの達成のためには、ものごとは全てフラクタルであることを知っておくと良い。
ヘルメースのエメラルド・タブレットに書かれてあるように、「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」ということだ。
つまり、小さなことの達成が、大きな達成につながる。
何か、ちょっと難しい程度のことでも、決してぶれないようになれば、もっと大きなことでもぶれないようになる。
例えば、「毎日腕振り運動を必ず千回やる」にぶれなければ・・・つまり、1年365日、決して欠かさなければ、ハートがぶれない波動になっていき、輝くぶれない男(あるいは女)になるだろう。









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・サイコパス
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