ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

丹波哲郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

楽をする達人の脳を真似る

斎藤一人さんの脳理論は、私が起こした奇跡現象や怪奇現象をうまく説明出来ることが多いし、実用的でしかも強力だ。
また、NLP(神経言語プログラミング)や、ゲオルグ・グロデックの「エス」についても、これらを実際に役に立つようにしてくれる。
斎藤さんの話は、本ごと、あるいは、一冊の本の中でさえ矛盾が大きいことがあり、あまり好きではなかったが、脳の使い方に関しては斎藤さんは天才と思う。
私が思う究極は、ミルトン・エリクソンの手法だが、リチャード・バンドラーは、エリクソンのテクニックは高度過ぎて普通の人には使えないので、これを簡単・一般化するためにNLPを作ったのだと思う。
グロデックもバンドラーもエリクソンも、目的は心身の病気治療だが、結局は、これらは引き寄せなのであると思う。
そして、斎藤さんのは、明らかに引き寄せで、引き寄せの中に病気問題が含まれているのである。

では、斎藤一人さんの脳理論を私が悪用(?)した例を取り上げる。
私は、社会人の最初はセールスマンで始めたが、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンだったことから、仕事は大変に厳しかった。売らなければ1円ももらえず、実際、稼げなくてやめるセールスマンは多く、10人入ってくれば、翌月には9人はいなくなるという過酷なものだった。
それに比べれば、サラリーマンは楽なものかもしれないが、私は、サラリーマンになると、最高に楽をした。
最高に楽をしたければ、最高に楽をした人を真似れば良く、それこそ、最高に楽をした人の脳を真似れば良いのである。
私が真似した最高に楽をした人は、大俳優の丹波哲郎さんだった。
丹波さんも、3年ほどサラリーマンをやっており、その間、本当に徹底的に楽をした。
いや、実はそれ以前に、丹波さんは、第二次世界大戦中、若い二等兵(最下級の兵隊)でありながら、徹底的に楽をした(ついでに良い想いもした)。
まさに、丹波さんは、楽をする名人、良い想いをする達人である(笑)。
ついでに言えば、丹波さんが俳優になったきっかけは、友人に「楽な仕事はないか?」と尋ねたら、友人が「そりゃ、俳優しかないぜ」と応えたので、「じゃあ俳優だ」で俳優学校に入ったらしい。
どこまでも楽が好きな人で、私は、こんな人が大好きだ(笑)。
丹波さんは、サラリーマン時代は、出社するとすぐに遊びに行った。
上司は「雑誌を読んでても構わないから席にだけはいてくれ」と丹波さんに言ったが、丹波さんは聞かなかった。「どうせ仕事しないんだから」という凄い理由だった(笑)。
私は、丹波さんを手本にすることにした(笑)。
では、どう手本にするのか?
これが、斎藤理論と合致していたのだ。
どういうことかと言うと、
「丹波さんに出来るなら、俺に出来ないとおかしいじゃないか」
と思っただけである。
私は外で遊ぶのが好きではないので、社内にはいたが、最も若いグループの社員でありながら、全く仕事をしなかった。
ところが、そうやっていたら、特殊な海外出張の話が回って来て(他の人は忙しくていけない)、中国では大きなレセプションに参加してご馳走を食べ、日本語学校の可愛い女の子と遊ぶのが仕事だった(手は出すなと商社の人に厳しく言われたが)。
また、暇そうだから、プログラミングをやらないかと、技術課長や、さらには社長にまで言われ、予算をもらって好きなコンピューターや機材を揃え、事務の合理化をしたり、会社で開発している機械や、ドイツから輸入した機械の制御まで実験気分で気楽に取り組めたのである。
これも、丹波さんが、あらゆる場所で良い想いをし、俳優になってからも、サボり癖のせいもあり、良いチャンスが勝手に回って来たのと似ていると言えるような気もする。
ただ、丹波さんは、人間としてのモラルは守っていたと思う。
つまり、弱い者いじめや嫌がらせをせず、また、意図的に他人を困らせるようなこと、苦しめることは決してせず、人助けが好きである。
このあたりも非常に大切であると思う。








通知表の性格欄に書かれたら成功すること

小学校から高校までの通知表(通信簿)には、成績とは別に、性格欄みたいな項目(以下、「性格欄」と書く)があり、その子の特筆すべき特徴が書かれているのだろうと思う。
「書かれているのだろうと思う」とは、まるで学校に行ったことがないような物言いであるが、そうではなく、私は、自分の通知表の性格欄に何が書かれていたか、全く覚えていないのだ。
そもそも、性格欄は、子供にではなく、親に伝えるものだと思っていたので、興味がなかったのかもしれない。しかし、子供も見ることが出来るのだから、普通は子供も興味を持つような気もするが、思い返すと、やはり、私は全く興味がなかったのだ。つまり、教師が自分をどう評価しているかなど、全くどうでも良かったのだ。
ところで、作家、評論家、大学教授…というより、今はYouTuberとして人気がある岡田斗司夫さんが、YouTubeで、自分は小学生の時、通知表の性格欄に「協調性がない」とずっと書かれていたと言っていた。本人が言うには、「協調性に欠ける」ならあり得るが、「協調性がない」とまで書かれることは、あり得ないのだそうだ。知らんけど(笑)。
まあ、子供の時の岡田斗司夫さんに協調性が全くなかったのは、彼の、特殊な健康状態や家庭環境の影響もあったらしい。
ただ、私が、それを聞いて思ったのは、私が、通知表の性格欄を覚えていない大きな理由は、書かれている意味が理解出来なかったからだという可能性がある。
私は、小学生の時は「協調性」なんて言葉は知らなかったと思うし、さすがに高校生になれば、「協調性」という言葉くらいは知っていたが、せいぜい、辞書的な意味がぼんやり分かる程度で、自分が協調性があるかどうか、全く関心がない…あるいは、理解出来なかったと思う。
そもそも、協調性というものが実際はどんなものかということは、本当のことを言えば、今でも分からないのだ。
これは、よほど協調性がないのだと思う。
つまり、引き寄せ自在な私が、世の中で大成功しない理由はそれである。協調性がなければ、成功することは難しい。
そもそも、初音ミクという存在は、クリエーション(創造性)とシンパシー(共感)から出来ているが、私は共感を感じないわけではないが、おそらく、普通の人の3パーセントも感じないと思う。
そんな私が、ミク廃(初音ミクの熱狂的ファン)である理由は謎である(笑)。
私も、通知表に「協調性に欠ける」「協調性がない」と書かれていた可能性が高いと思うが、そのような理由で、とにかく、全く覚えていない。
4や5がほぼない通知表を保管しているはずもないし(笑)。

ところで、私は、岡田斗司夫さんの他に、2人の有名人の通知表の性格欄の話を覚えている。
1人は、元総理大臣の野田佳彦(のだよしひこ)さんで、国会か何かで、自分の通知表の性格欄に、
「野田君は、褒めるところは何もないが、嘘をつかない」
と書かれていたという話を披露したらしい。
まあ、あまりにどうでもいい話なので、スルーする(笑)。
もう1人は、俳優で、私がこよなく敬愛する丹波哲郎さんだ。
彼も、教師は、良いことで何も書くことがないので仕方なく書いたのかもしれないと前置きしつつ、「丹波君はこだわりがない」と書かれていたらしい。
そして、丹波さんは、この「こだわりがない」ことこそ、自分が、戦争下で生き延び(しかも楽々と)、いつも良い想いをし(戦争下でも)、成功した理由だと断言している。
もちろん、料理人が料理にこだわるということは大事である。
しかし、自分が食べる料理にこだわるのは、あっても良いが限度がある。
そんなわけで、あなたもこだわりがなければ、成功するかどうかはともかく、良い想いが出来る。
では、こだわりのなさとは何だろう?
いろいろあるかもしれないが、まず「面子がない」ことであると思う。
ところで、こういったことに関し、非常に重要なことが書かれている本がある。
私の座右の書『猫の妙術』では、古猫が、若い猫達に、丁寧に易しく、優れた教えを授ける。
実力が凄いので、どんな優秀な猫も、その古猫の教えに真摯に耳を傾ける。
いや、猫だけではない。人間の武士すらそうだった。
だが、その古猫が、自分が全く及ばない老猫がいると言う。
もう、神のような猫だろう。
その、神人…いや神猫の特徴こそ、こだわりがないことだと思う。
ちなみに、『猫の妙術』が私の座右の書になったのは、最近のことだ(笑)。
良ければ、皆さんも読まれ、私と一緒に神になろう(笑)。








怠け者の魔法の使い方

「魔法は存在する」と言ったら、変なヤツだと思われるだろう(笑)。
「魔法の定義の問題だ」と言ったところで、ほとんどの人は、寓話やアニメのイメージの魔法しか思い浮かばないだろう。
しかし、そんな魔法を、敢えて言葉で言えば、
「自分は働かずに幸せになる」
技術と言えると思う。
そして、幸せとは何かというと、良い想いをすることと言って良いと思う。
だから、魔法とは、俗っぽく言えば、
「自分は働かずに良い想いをする」
技術なのである。
軽薄な感じがするかもしれないが、大体、合っていると思う。
そして、私にとって、魔法のマスター、あるいは、魔法の師匠は、会ったことはないが、俳優だった丹波哲郎さんだ。

丹波さんは、戦争中、二等兵(最下級の兵隊)だった時、他の二等兵のように、上官の服の洗濯みたいなことはせず、その他のことも、あまりにも何もしないので、「何も出来ないやつ」として、何もしなくて良い暇な農場に送られ、終戦までのんびり平和に過ごした。その間も、わけあって、現地の女の子にモテまくったり、良い想いばかりしたようだ。
また、丹波さんは、サラリーマン時代は、本当に全く仕事をせず、出社と同時に遊びに行った。それでも、3年、給料をもらっていたという。
まあ、結果、会社はクビになったが、失業中、ゴロゴロしている時、友人に「怠け者でも務まる仕事はないか?」と言ったら、「それは俳優くらいのもんだろう」と言われ、「じゃあ、俳優だ」と俳優養成学校に入り、それで俳優になったらしい。
素人ながら、私は、丹波さんの演技がうまいとは思わない。はっきり言って大根と思うが、存在感は凄いのではないかと思う。

では、そんな丹波哲郎さんの魔法の神髄とは何か?
それは、本人が著書で「こだわらないこと」と明確に述べている。
「こだわらない」とは「執着しないこと」とも言えるが、具体的に、どんな態度が「こだわらない」「執着しない」と言えるだろう?
それが分かれば、丹波哲郎さんのように大成功するかどうかは分からないが、あなたも、丹波さんのように、良い想いが出来る。
これは、丹波さんを見習って、いつも良い想いばかりしている私が確信している。

「こだわる」という言葉には、良い意味もあるから難しい。
例えば、料理人が味にこだわるといった場合である。こんなこだわりは、あって然るべきかもしれない。
そこで、「こだわらない」という言葉を、もっと明確にしないといけない。
実は、「こだわらない」とは「欲張らない」ということなのだ。
給料が安過ぎてどうにもならないのならともかく、もっと欲しいとは思うが、十分やっていけるなら、満足することだ。
そういう、「欲張らない」ことを、「こだわらない」と言うのだ。
難しく言えば「足るを知る」だ。
ところで、「こだわらない」について、もう1つ、大切なことがある。
それは、「面子(めんつ)」を持たないことだ。
SF映画『スタートレック』に、こんな場面があった。
宇宙船USSエンタープライズは、ジェームズ・カークが長く船長を務めたが、カークが提督となって引退した後は、ミスター・スポックが船長になっていた。
だが、ある極めて難しい任務にUSSエンタープライズが挑む時、スポックは、カークに船長に戻るよう言うが、カークは、スポックの気持ちを思いやり、やや言葉を詰まらせた。
その時、スポックは言ったのである。
「バルカン星人に面子などないのです。より相応しい者がその役につくのが当然です」
バルカン星人は、運を呼ぶことについても、超論理的なのだ。

なぜ、「欲張らず」「面子を持たない」と運が良くなるかというと、丹波さんが言うには、「守護霊が守り易いから」だそうだ。
宗教家の五井昌久さんは、「上位の神には、なかなか願いが届かないので、自分の守護霊や守護神に守ってもらう方が良い」と、著書で述べられていた。
また、政木和三さんも、「力を付けるには、自分の生命体(第一生命体)を丸い円満なものとし、強い第二生命体、第三生命体を呼ぶことだ」と言われていた。
欲張らず、面子を持たないことで、高次の力が守り易い円満な人格になり、守護霊、守護神と言うかはともかく、ごく身近にいる神と和する(親しくする)ことが出来るのであると思う。








悪童達もこうして成功した

人間の徳には2つある。
1つは、善いことをすることで、もう1つは、悪いことをしないことだ。
だが、全ての善を行うことは極めて難しいか、あるいは、不可能だ。
また、全ての悪を行わないことも、極めて、難しいか、あるいは、不可能だ。
そこで、必ず行うべき善と、絶対に行ってはいけない悪を定め、それだけは守ることにする。
それを、戒律とか掟と言い、「モーセの十戒」もその1つだ。

ところが、実は、必ず行うべき善は1つ、絶対に行ってはならない悪は1つとして良いばかりか、「1つの必ず行う善」か「1つの絶対に行わない悪」を持ち、それを守れば、高次の力に保護される。
法然や親鸞の場合は、言うまでもなく「1つの必ず行うべき善」は念仏で、その他に善いことをする必要はなく、むしろ、その他の善いことをしてはならないし、いかなる悪を行っても構わない。
ただし、念仏を行っていれば、縁のある善いことは勝手にしてしまうし、縁のない悪いことは出来ないというのが親鸞の教えであったようだ。

14世紀のインドにサックバーイーという女性がいたらしいが、私は、彼女のことは、ラマナ・マハルシやサイババの本で断片的に語られているのを見ただけで、正確なことは知らない。
彼女は、クリシュナ神の1つの名である「パーンドゥランガ」の名を唱えることを最も重要なこととしていた。
パーンドゥランガは、彼女が生まれ育った場所で信仰されていたのだが、どんな経緯で、彼女がそこまでの信仰を持つようになったかは分からない。
彼女は子供の時に嫁がされ、嫁ぎ先でも辛い目に遭ったが、パーンドゥランガの名を常に唱えることで、あらゆる困難を克服し、遂には、クリシュナ神が直接、彼女を助けたことで、名を残すことになった。
念仏も、サックバーイーが行ったことも同じことだ。
そして、明治や大正の時代には、日本にも、念仏によってサックバーイーのようになった妙好人と呼ばれる人が沢山いた。妙好人は、見かけはごく普通というか、学問のない貧しい人であった場合が多いと思うが、奇跡のような人々であったと言われる。

念仏やナーマスマラナ(神仏の名を心で唱えること)でなくても、1つの善行をずっと続けることで、実際には人間を超えたような人々もいた。
一方、「これ(1つの悪いこと)だけは絶対にしない」という徳の力も、同じ位大きいかもしれない。
それで思い出すのは、大俳優だった丹波哲郎さんだ。
彼は、子供の時から、常に好き勝手に生きていたが、とにかく、困ることは全くなく、常に良い想いをしたらしい。
例えば、彼が若い頃は、日本は戦争中で、彼も二等兵(最下位の兵)として従軍したが、他の全ての二等兵は、上官の服の洗濯をするなどで上官の機嫌を取っていたが、彼は、面倒だからとそんなことは一切しなかった。ところが、それで酷い目に遭わされたかというと、それは全くなく、それどころか、楽で安全な場所に送られ、そこで女の子と遊びながら終戦までのんびり過ごしたという。
私は、丹波さんが理想で(笑)、かなりうまくやれていると思う。
丹波さんは、自分が運に恵まれる要因は、まあ、後には守護霊に守られているからということを強調し、実際にそうであるとは思うが、子供の時から、自分には「こだわりがない」という美点があったと丹波さんはよく本に書かれていた。
「こだわらない」では、曖昧過ぎて漠然としているが、私が思うに、丹波さんは、「弱い者いじめをしなかった」のだと思う。
強い立場にある人間にこだわりがあると、その者は、意識的、無意識的に弱い者いじめをしてしまうが、丹波さんには、それが全くなかったのだ。
それでさらに思い出すのが、空手家の大山倍達さんだ。
昭和の空手ブームの時、彼の伝記は漫画やアニメにもなり、その際、彼はかなり美化され、少年達のヒーローになった。
だが、実際の大山さんは、感心出来ない部分も多いと言うより、ロクでもないことも沢山やった。
しかし、子供の時から、並外れて腕力が強く、喧嘩で無敵であった彼も、弱い者いじめだけは絶対にしなかった。
弱い者いじめをしないことが、最上かどうかは分からないが、神仏に守られ、幸運を呼ぶ秘訣であると思う。








暇を作ることに努力せよ

アインシュタインのような才能の持ち主は、案外、沢山いるが、そんな本当は優れた者達のほとんどが、ありふれた仕事に就き、ありふれた人生を送る場合が多いのだと思う。
では、なぜ、アインシュタインが才能を発揮出来たのかというと、子供の時に、たまたま科学の本を与えられ、それに興味を持ったということもあるが、何より、時間があったからだ。
早い話が暇だった。
アインシュラインは劣等性で、学校の勉強に時間をつぎ込むことはなく、習っていたヴァイオリンは、先生が嫌いだから止めてしまったし、友達と元気に遊び回る腕白坊主でもなかった。
自分が働かないとやっていけない家庭状況でもなく、今日のようなスマホやテレビゲームがある訳でもない。
実際、時間が有り余っていて、ぼーっと空想していることが多かったという。
大学受験には失敗しているが、元々、大して受験勉強はしていなかったと思うし、指定予備校に1年通えば無試験で大学に入れる制度があったので、大学に入るまでの1年も暇だった。
大学に入ってからも、講義には全く出ず、それでも卒業出来る制度だったのが良かったのだろう。
唯一、大学を卒業するのに必要な試験に合格するために詰め込み勉強をしなければならず、これについてアインシュタインは散々文句を言っているが、ぞれ以外は自由時間だったのである。
大学の成績も良くなく、大学や企業に就職出来なくて、なんとか特許局の事務員になったが、そこでも、仕事中に読書したり、論文を書いているが、それは、仕事が大して忙しくなかったからだ。
こんなふうに、彼は時間に恵まれていたから成功したのである。

童話作家のアンデルセンもそうだった。
幼い時、家にたった1冊しかなかった童話の本を、お母さんが繰り返し読んでくれたことが、アンデルセンの想像力を育てたのは、水木しげるさんのお婆さんが、水木さんが幼い時に、毎夜、枕元で妖怪話を聞かせてくれたのと似ている。
そして、やはり、アンデルセンも暇だった。
女の子のような性格で、他の男の子達と遊ぶことはなく、学校も不登校なことが多かった。
そして、彼のような庶民の家の子は、皆、10歳くらいになったら工場などに働きに行くのが当たり前だったが、アンデルセンには務まらずに彼は家に居た。
だから、アンデルセンには時間がたっぷりあり、一人遊びをしたり、ぼーっとして、想像力をさらに伸ばしたのだ。

あくまで小説だが、日本では人気がある『フランダースの犬』の主人公の少年、ネロにしたって、貧しいはずが、生活面は高齢のおじいさんにまかせ、自分は、炭しか画材はなかったとはいえ、絵を描いていられた。
それで思い出すのは、かのゴッホが、生活の一切、さらには、画材の購入や調達も、弟のテオが全部面倒を見ていて、ゴッホは働く必要もなく、時間がたっぷりあったので、絵画の制作に時間を注ぎ込み、沢山の作品を残したのである。

それに比べ、現代人は、子供の時から、習い事だ、塾だ、宿題だ、予習だ復習だと忙しく、勉強嫌いなら、スマホやゲームに時間を食い尽くされてしまう。
中学からは部活・・・そうでないなら、やっぱりスマホにゲームに動画視聴(昔はテレビだった)。
本当に好きなことをやる時間が全然ない。
正直、全然知らないのだが、米津玄師さんなんて、子供の時から暇な時間がたっぷり持てる環境にあったのだと思う。
彼が、お稽古事や塾や部活に忙殺されていたら、こんなふうにはなっていなかったはずだ。

サラリーマンなんて、朝から晩まで会社に勤め、スマホやゲームを含め、他にも下らない娯楽が溢れているので、そんなもので時間を潰したら、もう何も出来ない。
休日も、エネルギーが残っていないこともあるだろうが、受け身でやれる娯楽ばかりやるようになり、何か1つくらいはあるはずの才能を伸ばす余裕はない。
職人やお店をやっている人や、その他の大半の自営業者も、身を粉にして働いても収入が低い仕組みに世の中がなってしまっていて、サラリーマンよりも厳しい状況だろう。

とにかく、何かやりたい、才能を伸ばしたい、楽しい人生にしたいなら、必要なのは時間・・・というか暇である。
小泉元総理は、サラリーマン時代、会社で仕事をしなくても給料を貰えたことについて追及されると、「人生いろいろ、会社もいろいろだ」と言ったが、結局、彼はツイてたのである。
古い話だが、大俳優だった丹波哲郎さんも、最初はサラリーマンだったが、いったん会社に出勤したら、すぐに遊びに行ってしまって会社には居らず、たっぷりある時間を使って大いに創造性を磨いたのではないかと思うが、そもそも、彼は、子供時代から好きなことをやる時間が有り余っていたのである。

学校や会社や、あるいは、家庭で、優等生になってしまっては、家畜の牛や豚、あるいは、奴隷と変わらない人生しか得られない。
偉人たちから学ぶべきことは、勉強だの修練もだが、それよりも、彼らがいかにして暇を作ったかである。
家がお金持ちであったり、ゴッホのように献身的な兄思いの弟がいたなど、恵まれていた場合もあったが、そうでない偉人もいたはずである。
だが、特に子供向けの伝記では、一番肝心な「怠け方」「押しつけの義務からの逃亡法」といった部分が省かれてしまっており、作り物の真面目人間の姿に描かれていることが多い。
とはいえ、偉人は自由を得るために戦った部分もあるのだ。アインシュタインもそうだった。
とにかく、優等生の称号など、決して決して決して求めてはならない。
学校の教師や、毎日テレビを見ているような親には怒られるようでないといけない。
また、テレビは見てはいけないし、スマホもなるべく使ってはならない。
下らない付き合いはやめ、会社では、定時になったら、他の者が忙しそうにしていても気にしながらでも帰る。
そういったことを「努力」と言うのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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