ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中畑清

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

万能の言葉

私は、60代最初くらいまでの船井幸雄氏の本はよく読んでいた。
あくまで個人的感想であるが、そのくらいまでの船井氏の本は素晴らしかったと思う。
それで言えば、保江邦夫氏を全く同じように感じるが、まあ、こちらは置いておこう。
いずれにしろ、両氏の著書は非常に参考になり、得ることが多かった。

古い船井氏の本(どの本だったかは分からない)に、人生の秘訣とも言える言葉が書かれていた。
「現状肯定。過去オール善」
この言葉に触れた時、私は若かったが瞬間で納得し、この言葉を憶えた。
ところが、船井氏は、80歳を過ぎて、とんでもない奇病の、それも難病にかかり、結局、それで命を落とされた。
どんな病気でも治せるスーパーパワー、あるいは、ノウハウを持ち、そして、医療を超える治療の達人の知り合いが沢山いたはずなのにである。
ただ、船井氏は深刻な病状にありながらも、情報発信を続けておられ、立派なものであったと思う。

そういえば、保江氏は既に、死んでもおかしくない病気になり、また、かなり健康を損なったことも一度や二度ではないと思う。
おかしなことである。

オンディーヌ
AIアート88
「オンディオーヌ」
Kay


そして、上記の船井氏の「現状肯定。過去オール善」であるが、素晴らしい言葉ではあるが、私はおかしいと思うようになった。
「現状肯定」だけで良いのである。
現状が肯定であれば、過去は、ある意味で善なのである。
しかし、別の意味では過去は悪であるとも言えるかもしれない。
だが、そんなことはどうでも良いのである。
大事なことは「現状肯定」だけである。
過去に意識をやればおかしなことになる。
過去を考えてはならない。

私は昔、長嶋茂雄氏がテレビで「オールOK」という言葉を使うのを何度か聞いたと思う。
これこそ、船井氏の「現状肯定」を超える言葉であると思う。
良いか悪いかは分からないが、長嶋茂雄氏を現わす言葉は「オールOK」だと私は思っている。
長嶋茂雄氏は、中畑清氏に「絶好調」という言葉を使うことを教え、これが中畑清氏大成の要因になったと言われていると思う。
どちらの言葉もよく効く。
「絶好調」の方がややパワーが弱いが、それでも凄いものだ。
「オールOK」は、神に直接聞いたような言葉であり、この一言で万能である。








最強の呪文三択

2年に一度くらいは書いている気がする、私の好きな話だ。
元プロ野球選手、元プロ野球監督の中畑清さんは、自分は大した素質のある選手ではないと言っていたと思うが、長く巨人の4番を打ったのだから、大した選手だったに決まっている。
彼を大バッターにしたのも言葉だった。
彼は若手選手だった時、当時の長嶋茂雄監督に「調子はどうだ?」と聞かれ、中畑さんは「まあまあです」と答えた。
すると、長嶋監督に「馬鹿野郎!こんな時は嘘でも絶好調だと言え!」と激を飛ばされ、中畑さんは、「はい、絶好調です」と言い直した。
以降、中畑さんは「絶好調」と言い続け、「絶好調男」と呼ばれるまでになり、ほとんどのプロスポーツのスター選手が引退後、ぱっとしなかったり不遇である中、彼はいまだ大活躍の絶好調振りだ。

人間とは、自分の言葉通りの存在なのである。
だから、アファーメーション(自分を鼓舞する言葉)は何より大切であり、常にアファーメーションが出来るよう、その言葉は1つでなければならない。
そして、そのたった1つの言葉は平凡でも良い・・・いや、平凡なのが良い。
「絶好調」は誰にでも合う言葉である。
私は数年前、まるで駄目男君(私の職場にいる人生の落伍者。30歳過ぎの派遣雑用係)に、この話をしたら、彼も少しは感動したようなので、「じゃあ、お前も絶好調と言え」と言ったら、彼は、右腕をふざけたようにちょっと上げ、締まらない顔でヘラヘラ笑いながら「ぜっこおちょ~」と軽薄な声で弱々しく言う。
これが、まるで駄目な男の、人生に対する心構えなのだなあと私は落胆し(ある意味納得し)、そいつを見捨てた。
言うまでもないが、あなたは、こんな哀れな人間の真似を絶対にしてはならない。
ちなみに、長嶋茂雄さんのアファーメーションは「僕は絶対打てる」である。

「絶好調」と並ぶ、単純だが効果あるアファーメーションは「大丈夫」だ。
永遠に人気が衰えない『カードキャプターさくら』のヒロイン、さくらの最強の呪文は「絶対、大丈夫だよ」であったが、全く最強だ。
「アファーメーション」を正確に訳せば、「最強の呪文」なのだろう(もちろん、言語学的な意味ではなく)。

バラク・オバマは「イエス・ウイ・キャン」や「チェンジ」など、アファーメーションを考えたが、いまひとつだった。
そもそも、「イエス・アイ・キャン」を最強のアファーメーションに掲げたアメリカの牧師ロバート・シュラーは、最後は惨めだった。
人間が、自分の頭脳や筋肉で出来ることは、たかが知れている。
だから、より高次の力を求める言葉が必要である。
「絶好調」「大丈夫」には、そんな力の存在を秘めているのだし、そんな力と一体になる感覚を得られるのである。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』の中の「奇跡は起きる」や、マイケル・ジャクソンの『Black Or White』の中の「僕は奇跡を信じる」も、やっぱり高次の存在を暗示しているのである。
アメリカには元々「イン・ゴッド・ウイ・トラスト(我々は神を信頼する)」という素晴らしいアファーメーションがあり、それがアメリカを最強の国にしたが、オバマはエリートで、個人の力を重んじる頭でっかちだから、つまらないことを言ってしまったのかもしれない。
一方、長嶋茂雄さんの「僕は絶対打てる」は「絶対」を付けることで、どこか神懸っているのである。また「僕は打つ」ではなく「僕は打てる」と言うところが良い。

世界は「思い通り」と言うよりは「言う通り」なのである。
思いは自由にならないし、コロコロ変わるし、悪い方にも行き易い。
思い・・・心が言葉を支配した場合もそうである。
しかし、意思は心は支配出来なくても、言葉は支配出来る。
意思が言葉を支配し「絶好調」とか「大丈夫」と言い続ければ確実に勝つのである。
「絶好調」「大丈夫」「奇跡は起きる」のどれかを最強の呪文にすると、世界に勝ったも同然である。
お気付きの方もいるかもしれないが、「絶対大丈夫」「絶対奇跡は起こる」は恐ろしく強力である。「絶好調」は「絶対好調」を意味するので、そのままで良い。









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駄目な人のための奇跡を起こす手順

もう何度書いたか分からないが、私の好きな話だ。
長嶋茂雄さんが巨人軍の監督だった時、まだ若かった中畑清さんに、長嶋監督が、「調子はどうだ?」と尋ねた。
あまり調子が良くなかった中畑さんは、仕方なく、「はい、まあまあです」と応える。
すると長嶋監督は怒って、「馬鹿野郎!こんな時は、嘘でも絶好調だと言うんだ」と怒鳴った。
中畑さんは、素直に、「はい!絶好調です」と言い直した。
そして、やがて、中畑さんは、夢にも思わなかった巨人の4番に座ることになったのである。

とはいえ、仕事がないニートが、「絶好調だ」と言うのもおかしいだろう。
スポーツ選手や経営者やプログラマーといった、少なくとも、いくらかは自分に向いた仕事をしているか、あるいは、受験合格を目指している学生さんなら、「絶好調だ」を口癖にすれば良いだろう。
しかし、状況が思わしくない時や、不安に苦しんでる時は、朝も書いたが、『銀狼怪奇ファイル』(古いなあ。主題歌はマッチのミリオンヒット『ミッドナイトシャッフル』だ)の、堂本光一さん演じる不破銀狼のように、「俺に不可能はない」とキメ顔で言ったり、いまだ人気は全く衰えない『カードキャプターさくら』のヒロイン、木之本桜の最強の呪文、「絶対、大丈夫だよ」を、常に使うと良い。

しかし、そんな言葉を口癖にしようとしても、大抵の人は続くまい。
なぜって、注意力が足りないからだ。
心がふらふら彷徨(さまよ)い、いつも自分の支配から離れてしまっていて、誰かに操られているのだから。
だが、元Googleのチャディー・メン・タンが、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』で、アメリカの心理学者ウィリアム・ジェイムズの最高の言葉を引用している。

そして、さまよう注意を自発的に繰り返し引き戻す能力は、分別や人格、意思の根源にほかならない。それなしでは、いかなる者も自分の主とは言えない。この能力を育む教育は卓越した教育だろう。
※引用元
ウィリアム・ジェームズ『The principles of Psychology(心理学原理)』(1890)
邦訳:『現代思想新書. 第6』(「心理学の根本問題 / ジェームス 著。松浦孝作訳」 三笠書房(絶版)

やり方は、その本に書いてあるが、つまるところ、呼吸を意識することである。
それをしていても、すぐに意識は呼吸から外れるだろう。しかし、それを、ジェイムズが言うように、自発的に繰り返し引き戻す訓練をするのだ。
その能力を得れば、上に挙げた3つの口癖は、全てを可能にするだろう。
初音ミクさんがMitchie Mさんの名曲『FREELY TOMORROW』で歌ったように、「奇跡は起こる」のである。
それは、あまりに自然なことだ。

尚、初音ミクさんが歌う、Mitchie Mさんの珠玉のアルバム『グレイテスト・アイドル』を聴くことを強くお奨めする。外れが全くない名曲揃いと思う。









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淡々とした言葉が状況を変える

野球にさして興味がなくても、イチロー、松井(秀喜)、ダルビッシュ、マー君くらいは分かる人が多いだろうが、それは、彼らが、超有名であるということと共に、通称名が覚えやすいということもあるのだろう(ダルビッシュは、覚えやすいというよりは印象的だから記憶に残るのかもしれないが)。
ところが、やはり多少覚え易い名とはいえ、中畑清という名を知っている人が多いのは、意外であるかもしれない。
初代DeNAの監督を4年務めたのだし、昔とはいえ、巨人の4番をそれなりの期間務めたのだから、トップクラスの野球人には違いないが、監督としては優勝どころか、ほぼ最下位が低位置(チーム力が弱かった面が大きいが)で、巨人の4番を打ったとはいえ、本人は謙虚に、「自分は2流の打者」と言う(当時の巨人の4番は、まだ、王、長嶋といったビッグネームの記憶があったこともある)。
だが、中畑さんには、元気な男の明るいイメージがあって、記憶に残り易く、また、いまだ、「絶好調男」の愛称がよく知られている。

中畑さんの「絶好調男」の愛称は、おそらく事実だろうが、彼が巨人のまだ若い選手だった頃、監督が長嶋茂雄さんの時代の、こんな出来事から始まったものだ。
長嶋監督が、中畑さんに、「調子はどうだ?」と尋ねたところ、あまり調子が良くなかった中畑さんは、「はい、まあまあです」と応えたそうだ。
すると、長嶋監督が激怒し、「馬鹿野郎!こんな時は嘘でも絶好調と言うものだ」と言ったようだが、果たして、長嶋さんはこのことを覚えているか怪しいものだが、中畑さんには、「カチリ」と感じるものがあったのだろう。
以降、「絶好調」を念仏のように唱えることで、中畑さんは潜在能力を引き出し、あまり冴えない打者だった彼が、ついに、巨人の4番を打つまでになった訳である。

だが、どうも、世間では、中畑さんがテンション高く、「絶好調!」と叫んでいるイメージがあると思う。やはり、スポーツマンは、そう扱われるものなのだろう。
「絶好調」は素晴らしい言葉で、あなたも絶好調にするが、感情を込めて言い続けると、疲れてしまい、続かない。
自己啓発の先生も、「熱情込めて、絶好調と言えば絶好調になるのです」なんてノリで言う人が多いかもしれないが、それは、感情や状況を無理矢理絶好調にしようとするものだが、そんなやり方は最悪なのである。
人間に支配出来るのは言葉だけで、心や状況は支配出来ない。
だが、言葉は支配出来るのであり、粘り強く、言葉を律し続ければ、心も状況も、やがては従うが、それは、自分の力によるのではなく、別の力だ。それを、超意識の力とでも言っておこう。
そして、超意識は、言葉を受け取ってくれるのである。
だから、嘘でも構わないし、気持ちが乗らなくても構わないから、肯定的な言葉を粘り強く使うべきである。
決して、その言葉で、心を無理に肯定的にしようとしてはならないし、また、状況を無理に変えられると思ってはならない。
そこでは忍耐が必要だ。
尚、真理を明かせば、心と状況は同じものである。心が世界を作るのである。
その心は超意識が変えてくれるが、超意識は、言葉を受け入れるのである。
我々に出来ることは、超意識に言葉を伝えることだけだ。
神道家の黒住宗忠は、当時の人としては普通だが、歌をよく詠んだ。
肯定的な言葉の歌ばかりだが、歌というものは、熱情を込めず、さらりと読むものである。
そんな歌が、運命を好転させないはずがない。
だから、「絶好調」でも、あるいは、「超嬉しい」、「超面白い」でも構わないが、歌でも詠むように、おおらかに、淡々と言ったり、思ったりすれば、状況は好転するだろう。
宗忠も、重病の人に、「ありがたい」と言う言葉を1日1万回言わせたらしいが、この回数になれば、もう熱情を込める余裕はなく、ただ言葉を繰り返すだけになる。
それで、あるハンセン氏病だった人は、1週間で奇跡的に完治してしまった。
嘘でもいいから、望ましい状況を示す言葉を淡々と繰り返すべきである。









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いつもご機嫌で絶好調の顔をしていれば運がやってくる

「調子はどうだい?」
と聞かれた30過ぎの男が、顔をしかめ、額にシワを寄せて、いかにも苦しそうな顔で、
「見ての通りですよ。いいはずないじゃないですか」
と、惨めったらしい声で言う。
同情でも買おうというのだろうか?
だが、自分の惨状を訴えても、誰も喜んでくれないし、誰も楽しくならない。
そんなことをして構ってもらえるのは、よっぽどの美人でも、せいぜいが10代の間までだ。
男でそうであるなら、そいつには全く何の見込みもないし、女だって、ロクな未来は来ないだろう。

私なら、ヒーローを気取って、「ああ・・・実に良いね」と、クールに言うだろう。
もっとも、無能な上司に聞かれたのなら、真面目くさった顔で、「いろいろバタバタしてる最中です」とでも言うだろう。
つまり、会話が続かないことを、賢く言えば良いのだ(飲みにでも誘われたら大変だ)。
だが、そういったのでないなら、男は、いつも、必ず、上機嫌で絶好調でなければならない。
そうでなければ、絶対に良いことなどやってこない。
いや、おそらく、女でも同じだ。

よく知られている話だが、現在、プロ野球の横浜DeNAベイスターズ監督の中畑清が、まだ巨人の二流選手だった時、当時、巨人の監督だった長嶋茂雄に、
「調子はどうだ?」
と聞かれ、中畑は、
「まあまあです」
と答えた。
すると長嶋に、
「馬鹿野郎!こんな時は、嘘でも絶好調だと言うものだ!」
と怒鳴られ、中畑はすぐに、
「はい!絶好調です!」
と言い直した。
以後、長嶋のいいつけを忠実に守り続けた中畑は、どんどん調子を上げ、遂には、巨人の4番を打つことになる。

この話を知っているのに、真似しない人が私は信じられない。
誰かに尋ねられなくても、いつでも、上機嫌で絶好調であるという顔、振る舞い、声でなければ、決して運は巡ってこない。
運は、顔を上げている者のところに突入してくるのであり、うつむいている者など、決して相手にしない。
いつも顔を上げているためには、ご機嫌な顔をしていなければならないのだ。
「モテてモテて困る。順番を決めるのが大変だ」
と思って、そんな顔をしていれば、自ずとそうなる。
渋ちんな顔をしてモテるはずがない。
10試合連続無安打でも、20試合連続安打中の顔をしてこそ、ツキもやって来るのである。
呪文を称えながら、悠然と絶好調の顔をして、いつもご機嫌でいれば、それでうまくいくだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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