ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中村天風

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

不運も困難も避けて通る世界

伝承ではあるが、織田信長は、鉄砲の弾が飛び交う戦場を「わしに弾は当たらん」と言って悠々と歩いて見せたという。
これにより、配下の武将達は、信長が神に護られた特別な存在と感じ、信長への崇拝や勝利への確信を持つことになったのだろう。
では、この話が作り話かというと、配下の武将によって書かれた記録もあるが、それよりも、第二次世界大戦で同じことをやったと言う者の著書がある。
それは、合氣道家の藤平光一の『氣の威力』だ。
藤平は第二次世界時、中国に士官見習いとはいえ上官の立場で送られ、自分より年長の兵隊達を率いていたのだと思う。
その中で、兵隊達と銃弾が飛び交うような危ない場所に行く時、
「心配せずに俺についてこい。あんなひょろひょろ弾が俺達に当たるか」
と言って出かけたという。
すると、実際に弾は当たらなかったという。
で、藤平は、どうやってそうなったかというと、
「天地に任せきって、全身の力を抜いた時にいちばん氣が充実し、そんな時には弾丸さえも避けて通る」
と確信したと書かれている。
全く、偉い人は難しいことを言うが、まあいい。後で修正する。
さらに付け加え、藤平は、
「これは戦地に限ったことではなく、人生のいかなる荒波に対しても、全身の力を抜いて氣力を充実させていれば、ゆうゆうとこれに対処出来、不運や困難は向こうから避けていく」
と述べている。
つまり、「天地に任せきって、全身の力を抜く」ということだろう。
周囲からチヤホヤされる偉い人は、悪気はないのだが、気取ったことを言いたがるので、それに惑わされてはならない。
もっと簡単に言えば、リラックスして、天地でも、神様でも、宇宙でもいいが、引き寄せに興味がある人にとっては、潜在意識に任せきると言った方が良いだろう。
しかし、我々はもっと進んでいるはずだ。
いつまでも、古い人の教えを全面的に有難がっていてはいけない。

そこで、こう考えてはどうか。
気楽になって、自分は、安全で幸運な世界にいると決め、潜在意識に任せきるのだと。
信長や藤平光一の事例で言えば、ここは自分に弾は当たらない世界だと決めつけるのだ。
「当たらない世界なんだから、当たるはずがないじゃないか」
とでも言えば良い。
もちろん、本当に戦場にでも送られたら、緊張して、なかなかそうは思えないかもしれないが、それほどの状況でないなら、まして、もっと多くの収入や恋人が欲しいという程度であれば、呼吸を整えたり、微笑むことでリラックスし、「ここは、どんどんお金が入ってくる世界だ。なぜかは分からないが、入ってくるのだから仕方がない」と思えば良い。
だが、藤平光一の本も参考になるとは思うので、読むことは無駄ではない。
ところで、藤平は、師匠の中村天風や植芝盛平をややディスる(軽蔑する)傾向があるが、そんな弟子というものは、欠点も含め、案外に師匠に似ているものであり、藤平の考え方にも、中村天風や植芝盛平の影響が大きく、一緒に読むと分かることも多くなると思う。
また、藤平自身が、中村天風や植芝盛平を語る書は、そのディスる様子が、案外に駄目息子の言い分のようで可愛いのである。
藤平光一も中村天風も植芝盛平も、どこか少年なのであると思う。








真の賢者の教えはこれだけだった

シンプルに言えば、思考を消せば、世界は自分のものだ。
アメリカ最大の賢者エマーソンが、エッセイ『歴史』の冒頭の詩で、天球・・・つまり、宇宙が自分のものであると述べている通りである。

思考を消す、思考を止める、想念を起こさない、考えない・・・いろいろな言い方があるが、同じである。
「思考停止」するのは馬鹿だという観念があるかもしれないが、思考停止が馬鹿なのではなく、馬鹿なことを考える・・・つまり、妄想する者が馬鹿なのである。
そして、普通の人間の全ての思考は妄想である。
他人に本当に親切にする時、我々は考えない。
だ余計な親切をする時には考えているのである。
思考を消した人間のみが正しい精神を持つ。

考えることを諦めたくないと思っても、実は、人間は自分では考えていないことは科学的にも分かっている。
たとえば、AとBのどちらかを自分の意思で選ぶとし、自分でAを選んだつもりでも、自分の意思でAを選ぶより先に脳内でAが選択されていて、それを「私がAを選んだ」と錯覚しているだけだということは、実験で確認されているらしい。
つまり、考えは自動で起こるのであり、自分では何も考えていない。
そして、脳は、1日に何万回もの思考をする。自動的に、勝手にだ。
実際に、脳は休むことなく思考し続け、エネルギーを浪費している。眠っている間すら。
だから、何もしていなくても疲労困憊するのである。

何よりも、思考が潜在意識の活動を邪魔し、本来、願わずとも幸運に恵まれるはずが、嫌なことや辛いことばかりが起こり、人生を呪わしいものにしている。
お金に窮しているという話をある男から聞いた時、岡田虎二郎は、「金?金は腹に力がつけばいくらでも出来ますよ」と答えた。
大正時代だったと思うが、普通の庶民に「思考を消せ」と言っても難しいので、虎二郎は、「常に腹に力を込めよ」と教えたのだ。
腹に力を込めている間は思考は浮かばないからだ。
中村天風の場合は、常に肛門を引き締めよと言ったが、同じことだ。
足の親指に力を込めよと言う武術家もいるし、荘子も近いことを言っていたように思う。
面白いのは、人差し指がやり易くて都合が良いが、指を1本立てると思考は消える。
だから、倶胝という禅僧は、何を聞かれても指を1本立て、死ぬ時に、「師の天竜から教わった一本指の禅を一生で使い切れなかった」と言ったのだ。
ラマナ・マハルシは。「私」以外の想念を起こしてはならないと教えた。
「私」が一番初めの想念であり、それを捕まえておけば、他の想念は起こらないからだ。
だから、常に「私、私、・・・」と、心の中で唱えていれば、想念は起こらず、やがてエゴは死に、魂が輝く。
どんな方法でも良いが、想念を消せば幸せになれる。
理屈で考えている限り、わけが分からないと思う部分も多いだろうが、思考を拭い去り、高度な知性と一体化すれば直接的に分かるのである。








ぶらさがれば良い

私は、1番かどうかは知らないが、引き寄せの達人と言えば、間違いなく、UFO研究家として一世を風靡した矢追純一さんだと思う。
まあ、本人は引き寄せなんて言葉を使わないし、もしかしたら、引き寄せという概念に興味がないかもしれないが、言ってみれば、引き寄せだけで自由に生きてきた人だと思う。
尊敬というのもおかしいが、私が無条件で崇拝する人物がいるとしたら、この矢追さんである。
矢追さんは、高校に入学した頃、母親が亡くなった(父親は10歳くらいの時に亡くなっている)のだが、2人いた妹を自分で養ったらしい。
それで、高校には全く通わず、1日中働いていたが、別に辛くもなかったらしく、深夜に仕事が終わったら毎日飲みに行っていたと言う(改めて言っておくが高校生だ)。
全く勉強もせず、名門、中央大学法学部に現役で入学したが、受験の際は、合格と決めつけ、受験後は旅行に行き、帰って来た時に合格通知を見たと言う。
大学も4年できちんと卒業し、自分は何もしなかったが、おかしな流れで日本テレビに入社し、UFO特番やユリ・ゲラーの超能力番組等をヒットさせる名ディレクターになり、有名になった。

随分優秀な人だと思うかもしれないが、矢追さんは「僕は頭が悪いので、考えることを放棄した」と言う。
ただし、それ(頭が悪い)は誰に関しても言えることらしい。
だから、自分の頭に頼って頑張ったって駄目なんだと。
矢追さんは何かのインタビューで、「人間はパソコンみたいなものだが、大した性能のパソコンじゃない。だから、自分で計算するのをやめて、大きな流れに乗って、流れにまかせてしまえば上手くいく」といったようなことを語られていた。
矢追さんは、神様という言い方が好きでないようだが、やはり、私が崇敬する関英男博士(この人は、人が良過ぎて騙されやすかったのだと思う。それでかなり怪しいことも言ったのだと思う)は、「神様はスーパーコンピューターみたいなもので、我々は性能の低い端末だから、神様につながってさえいれば良い」、つまり、神様にまかせてしまえば良いといったことを言われていたと思う。
2400年前の中国の賢者、荘子の教えは「万物と共に流れよ」だった。

『燃えよドラゴン』での、ブルース・リーの有名な言葉「考えるな、感じろ」は、実際は、考えなければ自然に感じるのである。
それを言わないから、多くの人が「どうやれば感じることが出来るのだろう?」と「考えて」しまって駄目だったのだ。
いかなる賢者の論も、集約すれば「考えるな」になる。
伝説によれば、玄奘三蔵は、中国からチベット経由でインドに行くという、登山のプロでも難しいルートでインドに行き、帰ってきたが、出発の際、観世音菩薩に、般若心経の呪文を教わり、観世音菩薩の指示通り、それをずっと唱えていたらしい。
そんなもん唱えていたら、考えることなんて出来るはずがない。
それで、三蔵は、山賊も、獣も、雪も嵐も、その他あらゆる困難を乗り越えたのであるかもしれない。
岡田虎二郎が、「念仏をするなら、生活しながら念仏するのでは不十分で、念仏しながら生活するようでないといけない。静坐をするなら、生活しながら静坐するようでは不十分で、静坐しながら(実際は、腹に力を込めながら)生活するようでないといけない」と言った真意も「考えるな」ということと思う。
中村天風が「一瞬も怠らず、肛門を引き締めよ」と言ったのも全く同じだ。しかし、もちっと実現可能なことを教えろよとは言いたい(笑)。
とにかく、考えることをやめる方法を何か持てば良いのである。
矢追さんのように「僕は頭が悪いから」という理由付けをするのも手であると思うし、案外、一番簡単かもしれない(実際は、矢追さんはかなり頭が良い方だろう)。
仮に、自分のIQが200だとしても、宇宙のメインコンピューターの方はIQが(たとえばだが)1兆とか1京とかで、比較にもならないので、ただ、ぶら下がっていれば良いのである。








こうやって彼らは魔力を得た(1/2)

アメリカ合衆国では、大統領が核ミサイルの発射ボタンが付いた装置(通称「核のフットボール」)を常に携帯している(実際は側近が持っている)らしいが、実際の核ミサイルの発射プロセスは複雑で、大統領がボタンを押せばすぐに発射されるというわけではないらしい。
だが、大統領が大きな決定権を持っていることは確かで、大統領当人にしてみれば、事実上の発射ボタンを持っているような気持ちだろう。
では、核ミサイルが即時に発射されるボタンがあり、それを押す必要に迫られた時の大統領のような人物の心理はどうであろう?
核ミサイルでなくても、死刑執行ボタンを押す者が、まともな人間であれば、その緊張感は想像も出来ないほどのものだろう。
だが、自分の命がかかったことであれば、少しは想像出来るかもしれない。
たとえば、ロシアンルーレットだ。
5~6発の弾丸を装填出来る回転式弾倉に、1~3発位の弾丸を装填し、弾倉をデタラメに回転させ、弾が出るか出ないか分からない状態で自分の頭に銃口を向け引き金を引く。
もちろん、普通の神経を持った人間であれば、激しい恐怖を感じるが、「カチッ」という音がして弾が出なかった時の感覚は予想も出来なかった素晴らしいもので、それがクセになってしまうということがあるらしい。
あるいは、銃殺される瞬間はどうだろう?
もちろん、それがどんなものであるか、本当に銃殺されてしまえば聞くことは出来ないが、銃殺の執行直前に中止になったという話がいくらかある。
ロシアの文豪ドストエフスキーがそうで、彼が30歳くらいの時、政治犯として銃殺されることになり、刑場に引き出されて、いよいよ執行されるという直前に恩赦が伝えられた(まあ、そういうシナリオが執行側にあったらしいが)。
日本の中村天風は、銃殺刑が執行される直前、助けが来て危機一髪で命拾いしたらしいが、天風本人は、死ぬ気満々で、銃殺の時に、あくまで銃殺される者に対する気遣いから用意される目隠しを拒否し、弾が来るのを待ち構えていたと言われる。
だが、そういった経験がある者は、その時の気持ちを語ることは・・・まあない。
それはそうで、言葉に出来るとは思えない。

これらのような、極限状態を体験した者の中には、悟りでも開いたかのように精神が覚醒し、その後の人生で異様な能力を発揮したり、奇跡のような幸運に恵まれたりしている人がいる。
超緊張状態と、それから解放されたという体験だが、その時に、重要なことが起こる。
核ボタンやロシアンルーレット、あるいは、銃殺刑といったようなものでなくても、大きな緊張というものを経験したことがある人は多い。
それが、はた目からは、笑い話のような体験でも、当人にとって大ごとである場合には、同様な経験が出来る。
たとえば、私は子供の時、泥団子を作ったのだが、それがあまりに見事な出来で、それを見て惚れ惚れとしたが、それをなぜか、二階の窓から落として壊そうという気になった。その泥団子を持った手を窓から出し、「さあ、落とすぞ!」と思いながら、なかなか落とせないでいる時の気分は、核ミサイルのボタンを今まさに押そうとしている大統領のような気分だったようにも思う。
そして、その時、自分の精神に何かが起ころうとしているのを感じた。
それは、一度だけのことではなく、ここでは、わざと間抜けた事例を取り上げたが、どんなことでも、極度の緊張状態になれば、そんなことが起こる可能性がある。
イギリスの作家コリン・ウィルソンは、19歳の時、青酸カリ(飲めば確実に死ぬ劇薬)を口に含もうとした時、精神に重大なことが起こり、まさに生まれ変わったのである。

では、そういった極度の緊張状態の時に、何が起こっているのだろう?
これについては、いろいろな人が難しいことを言っているが、実は簡単なことで、「今」に没頭したというだけのことなのだ。
上のような緊張状態の中で、誰もが、「今」の瞬間を、まともに、もろに、ダイレクトに、あからさまに・・・とにかく、何のフィルターもなく感じていたのだ。
私は、泥団子を持ちながら「今、今、今・・・」と心で思っていたのである。
簡単に言えば、その時、精神は、超能力状態、魔力発動状態・・・つまり、精神の力が解放された状態になる。
だが、極度の緊張でそうなった場合、その緊張から解放された時に、その異常に感じる精神状態から強く逃れようと思ってしまい、力を失うことがよくある・・・というか、ほとんどの場合がそうなのだと思う。
しかし、その余韻を感じるほどであれば、そこそこいい感じで力を保つことが出来る。
あるいは、中村天風のように、その精神状態をそのまま維持する者もいる。

確実に力を得たければ、過激な方法は避けた方が良いのだ。
その方法については、長くなったので、次の記事で書く。








腕振り運動をやっているうちに信頼した人物達

私は、毎日、腕振り運動を7千回、8千回とやっているうちに、信頼出来るのは、法然、親鸞、岡田虎二郎、中村天風だと思った。
彼らは、簡単なことの徹底した繰り返しを説いたからだ。
人間が力をつけ、人間を超える道はそれしかないと思う。
言うまでもなく、法然は常に念仏を唱えよと言い、法然の弟子である親鸞は、時にややこれと違うことも言ったが、親鸞が書いた和讃(仏教に関する歌)を見ると、やはり、ひたすら念仏を唱えよという趣旨のことが書かれている。
岡田虎二郎は岡田式静坐法を教えたが、形の上では静坐をしていない時も常に、腹に力を入れることや、細く長い呼吸をするよう教えている。
中村天風は、ちょっと多過ぎることを教えたが、まず、常に肛門を引き締めよと教えた。
ただ、法然、親鸞、岡田虎二郎、中村天風らが言うようにやれる人は、まずいない。

私は、子供の時、会社の仕事というのは、延々とハンコを押すことだと思っていたが、ある意味、それで正しいのであると思う。
ひたすら、淡々とハンコを押すようにやれば、良い仕事が出来る。
私はシステムエンジニアとして、高度なシステムや大きなシステムをいくつも作ったが、ハンコを押すような気持ちでやるとうまくいくのだと思う。

また、私は、やはり子供の時、テレビで、ある西部劇の映画を観たのだが、銃を初めて持った若者が、銃の練習をする場面があった。
若者は延々と銃を撃ち続け、使い終わった弾丸の空箱が山のように出来るのを見て、私はとても感動した。これが、内なる力を引き出す、最高の方法なのである。
アニメ『MADLAX』では、若きエリート美女ヴァネッサが、ボディーガードに雇ったマドラックス(ヒロイン。17歳。凄腕エージェント)に銃を教えてくれるよう頼むと、マドラックスは銃と、山のような弾丸の箱をヴァネッサに渡し、全部撃つよう指示する。恐ろしいほどの弾丸の数だったが、ヴァネッサは顔色1つ変えず了承し、ひたすら撃ち続けた。

野球なら、素振りが多い者が優れたバッターになる。
日本の野球の歴史の中でも最高のバッターの1人であった落合博満さんが引退後、球団の幹部をしていた時、若い選手が、果敢に落合さんに指導を乞いに来ると、落合さんは、この若い選手に延々5時間、素振りをやらせ、それをずっと見ていた。
この若い選手は、結局、成功しなかった。
彼は、「調子が悪い時には、このことを思い出して素振りをするようにした」と言うが、それでは、落合さんに指導を乞うた意味がない。
調子が良かろうが悪かろうが、常に、1回でも多く素振りをしなければならなかったのだ。

私は、繰り返しの大切さを特に熱心に説いた、ある人物を知っている。
なんと、その人は、宗教による巨額の詐欺で逮捕され、6年ほども服役した宗教家だ。
彼は、著書に、昭和の大横綱、千代の富士が、誰よりも多く四股を踏んでいたことや、ある将棋の名人が、同じ将棋の本を、紙が変色して読めなくなるまで読んでいたという話を書いていた。
その宗教家が善人か悪人かは私は知らないし、理由を述べることは避けるが、服役したからといって罪人とは限らない。
ともあれ、その繰り返しの教えは、少し心に留めても良いと思っている。
この宗教家は、出所後、活動を再開し、著作も出している。

私は、剣の素振りには興味があったが、縁がなかった。
また、エアガンを撃ちまくることもしたかったが、これもいろいろ無理があった。
しかし、腕振り運動は、かなり前に知り、非常に熱心とは言えないが長く続けてきた。そして、最近、ようやく本格的に・・・つまり、毎日、延々と行っている。

コンピュータープログラミングをマスターするのも、延々と繰り返すに限ると思う。
本に載っている良質なプログラムを淡々と打ち込んで実行させることを繰り返せば、しっかり身に付くだろう。
私は、そのやり方で覚えたプログラミング言語や開発ツールは、かなりの実力が持てたと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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