ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中村天風

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

気分が良い時は心は静かである

日本航空の社長や日本銀行(にっぽんぎんこう)の副総裁を務めた柳田誠二郎氏(1893-1993)は、学生の時に、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎(1873-1920)の弟子になり、生涯、岡田式静坐法を続け、また、岡田虎二郎に関する書籍を何冊か書いている。
そのどれかの本だったが、岡田虎二郎にある男性が、自分は金に困っていると言ったところ、岡田は確か、「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」と応えたようである。
「腹に力がつく」とは、何とも分かり難いのであるが、岡田式静坐法では、腹に力を込めて静坐するのであるが、岡田は、静坐とは、実際に座っている間だけでなく、1日中やるものであり、常に腹に力を入れていなければならないと教えたらしい。
これは、なかなか難しい。
中村天風は、1日中、肛門を引き締めよと教えたことが、中村天風の講演録にも書かれているが、これと似たものと思う。
しかし、こう断言して良いだろう。
そんなの、両方、不可能だ。
ある有名な気功家は、1日トータルで1時間、肛門を引き締めよと本に書いているが、これすら非常に難しい。
私もやってみたが、1日10分でも続かないと思う。
だが、中村天風は、それをやらないといけないと譲らない。

中村天風の高弟の1人で、神道の神官でもあった佐々木の将人(まさんど)氏は、そこまで無茶は言わなかったようだ。
彼は、武道において、人差し指が「師匠預けの指」として、使ってはならないこと、即ち、人差し指を開き、小指に力を入れることを教えたが、そうすると、肛門は自然に引き締まる。
だが、それとて、木刀を持っているような間のことで、普通の人は木刀を持つ機会はないし、カラオケでマイクを握る時は、小指を立てることすらあるくらいである。
一方、中村天風の別の高弟であった、藤平光一氏は、中村天風の教えを否定し(中村天風自身が、自分の教えは忘れろ、これからは藤平に聞けと言ったと、藤平氏の著書に書かれている)、藤平氏は、『氣の威力』などで、腹に力を入れてはいけないとも書いている。
もう、こうなると、我々は弄ばれているようで、何が何やら分からない(笑)。
私も、散々、困惑させられたが、ニサルガダッタ・マハラジによれば、そういった、困惑させる人は必要だし、困惑させられることも必要なのらしい。

だが私は、腹に力を入れるとか、肛門を引き締めるということの真意を理解するに至った。
無論、私なりの解釈であるが、それは、「気分を良くする」である。
気分が良い時、霊的な腹に力があり、肛門に位置する霊的機関のエネルギーは高まる。
そこで、最初の、岡田虎二党の教えを正しく言い直すと、こうなる。
「金?気分が良ければ、金はいくらでも出来ますよ」
偶然というよりは必然であろうが、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の神髄が、まさにこれである。
気分が良いとは、愉悦にあること、喜びに満ちていることである。
しかし、勘違いされることが多いが、それは、ハイであるといった、騒がしい状態ではない。
どちらかというと、非常に静かな状態、あるいは、徹底的に静かな状態なのだと思う。

「嘘も千回言えば真実になる」と言ったらしい人の言うことだから、どこまで信用して良いか分からないが、世界的な空手家であった、大山倍達氏の話が参考になる。
実際、以下は多分、作り話だとは思うが、似た体験はあったと思われるリアルさは感じるのだ。
大山氏が、真剣を持った剣の達人と素手で決闘した時のことだ。
大山氏は、死を完全に覚悟し、手足の1本でも残っていれば、相打ちに持ち込もうとだけ思い、突進していった後の記憶がないと言うが、気がついたら、剣の達人は伸びていて、自分は無傷だったという。
似たこんな話がある。
ボクシング世界タイトルの防衛回数で日本記録を持つ具志堅用高氏は、グスマンという世界チャンピオンを倒して世界チャンピオンになったのだが、グスマンのスパーリングを初めて見た時、そのあまりの強さに恐ろしくなり、緊張のあまり、試合の時、ゴングが鳴った後のことは覚えていないが、気がついたらグスマンは伸びていたという。まあ、これも、当時のマスコミが作っただけの話かもしれないが。
恐怖を持ったまま、心が揺れているままでは負けるが、それを飛び越えて無になった時に、無限の力を発揮するということと思う。

そして、気分が良いというのも、心がとても静かな状態なのだ。
だが、それを、今まで言われていたような、難行苦行の末に得るものと思ってはならない。
普通に気分が良ければ、心は静かになるのだ。
好きな音楽を聴いたり、美味しいものを食べた時に、ごく自然に得られる状態なのである。
ただ、音楽を聴いて馬鹿騒ぎをしたり、刺激的な食物を「がっつく」ような状態とは程遠い。
とはいえ、実に簡単なことである。
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常識をぶっ飛ばすと古(いにしえ)の知恵を活かせる

法然(1133~1212年)や親鸞(1173~1263)は、ただ念仏を唱えよと教え、道元(1200~1253)は、とどのつまりは、ただ座れ(坐禅)と教えた。
その効果は、念仏は、死んだら極楽浄土に生まれるとこで、座禅は悟りを開くことだったと言われるが、一休(1393~1481)が、極楽浄土はどこか遠いところにあるのではなく、今ここに作りだせるものだと言ったことからも分かる通り、念仏も真の目的は悟りで、念仏と坐禅に違いはない。
こんなことを言うと、専門家に怒られそうだが、このくらい分かり易く言わないといけない。

で、念仏と坐禅のどちらが良いかというと、それは人の適性であり、本来は、家によって宗派を決める必要はない。

念仏というのは、言葉による悟りで、口や心で、「南無阿弥陀仏」と唱えるのが代表的だが、何でも良い。
「南無観世音菩薩」はもちろん、「南無妙法蓮華経」も同じ。
いや、般若心経などのお経を唱えるのも、さらには、日本の神道の祝詞を唱えるのも、キリスト教の「主の祈り」を唱えるのも、讃美歌を歌うのも、讃美歌的な『アヴェ・マリア』を歌うのも同じだ。
「アーメン」でも良いし、ラマナ・マハルシが教えた「私は誰か?」と問うても良い。
「アジマリカン」や「オーム(アウム)」や「阿吽(あうん)」などの呪文・真言でも良い。
「アマテラスオオミカミ」や「クリシュナ」などの神の名でも良い。
自分の気に入ったものを、口で心で唱える、歌うなどすれば良いのである。
それによって、余計な思考が消え、何も考えないことで、心の深層にある真の知恵である英知にアクセスすれば良い。
そうすれば、科学的に説明出来るかどうかは、今のところ微妙ではあるが、運を始め、全てが良くなり、早い話が幸福になる。

ところが、念仏・・・というか、口や心で何かを唱えることよりも、身体で何かするのが向いている人もいる。
道元も、そんな人が多いと分かったのだと思う。
それで「ただ座れ」と坐禅を勧め、道元は坐禅の細かい注意を教えたのだと思うが、それらの作法は二次的なもので、一応の注意・・・くらいで良いと言ったら、やはり専門家に怒られそうである(笑)。
明治・大正の時代に、岡田虎二郎(1872〜1920)が、「岡田式静坐法」を教えたが、これは、座り方が違うだけで、坐禅と全く同じである。西洋人の場合は椅子に座らせた。つまり、やはり、座り方自体も何でも良く、単に、当時の日本人は正座に慣れていたので、そのスタイルでやっただけだ。そして、とどのつまり、岡田虎二郎は、「1日中、腹に力を込めよ」と教えたように、座る必要すらなく、腹に力を込めれば良いだけである。
そうすると、「力を込める場所はどこか?」とか、その他、いろいろごちゃごちゃ言う人がいるが、どこでも好きな場所に力を入れれば良い。
現実的には、ヘソのあたりが入れやすいと思う。
ところが、中村天風(1876~1968)は、「1日中、肛門を引き締めよ」と言ったが、それも同じなのだ。
私の場合、ヘソに力を入れたり、肛門を引き締めたり、その両方を同時にやる。緩いものである(笑)。
それよりも、運動・・・腕振り運動でも、スクワットでも、四股でも、腕立て伏せでも・・・をする時、ヘソに力を入れると楽なので、そんな活用もしている。
坐禅・静坐も、念仏と同じく、思考を消し、英知に通じ、幸運、幸福を呼ぶものである。

人それぞれ適性があり、念仏でいくか坐禅でいくか選ぶと良いが、上に述べた通り、いずれも、広い範囲のやり方があり、何かが合うだろう。
それでうまくいくこと間違いなしであると思う。
セコい専門家がぐだぐだ言うのは・・・それはそれで、参考に有り難く聞く(読む)のも良いかもしれない。ただし、あくまで参考程度にするように。













当ブログオーナー、KayのAI書。
本書は、AIの研究者、AI研究開発企業の技術者になったり、検定や資格試験に合格するために書かれたものではありません。
便利な道具であるAIを、誰でも自分で作れるようになることを目的としました。
Excelが適度に使えれば、何の資格も必要ありません。
お絵かきソフトの本が、学術的なグラフィック理論やお絵かきソフトの開発法を知りたい人を対象にしているのではないのと同じです。
ただ、とっかかりの敷居を下げ、なるべく面白いテーマで、AIを作るコツを掴めればと思います。
AIは、もう誰でも作れる時代で、Googleが検索能力で人間を拡張したように、AIは推測能力で人間を拡張するのです。

偉人達はこんな簡単な方法で魔法の力を得た

いかなる問題も解決出来るたった1つの手段があれば良いなと思うかもしれない。
しかし、現実はなかなか厳しく、そんな都合の良いものはない・・・と思ったが、やはりある。
実を言うと、そんな方法は沢山あるので、かえって解り難い。
では、どんな方法があるかというと、何でも良いのである。
自分がそれであると思い、一生やれるのなら。
念仏でも、「アジマリカン」の呪文でも、1日、少なくとも1時間、1年365日、欠かさずやれれば。
では、実際に、どんな方法があるのだろう?
伝説の中国の和尚、倶胝は、人差し指を立てることだった。
平安・鎌倉時代の僧、法然は、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることだった。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、下腹に力を込めることだった。
明治・大正の教育家、岡田虎二郎は、腹に力を込めることだった。
中村天風は、肛門を引き締めることだった。

もちろん、法然と倶胝以外は、他にも沢山のことを教えたが、それらはごちゃごちゃしてて解らない(笑)。
優れた魔法というのは、脳が余計なことを考えるのをやめさせる・・・つまり、思考を消すことなのであるから、多くの偉人が、腹部のあたりに力を込めることを教えたのは、腹の周辺にある膨大な神経を刺激して神経の電気的エネルギーを集めることで、脳の思考のための神経エネルギーを奪って思考を消すためであったと考えると合理性がある。
また、倶胝の人差し指を立てることは、小指を締めることに通じ、小指を締めれば肛門が締まり、それで下腹に自然に力が入るのである。
「南無阿弥陀仏」の念仏も、マ行の音が2回あるが、マ行の音はいったん口を閉じないと発声出来ないが、口を閉じると、肛門が締まるのである。無声で唱えても同じ反応が起こる。

そんな訳で、トータル1時間、肛門か腹に力を込める、あるいは、結果的に、力が入ることをやれば良い。
肛門か腹に力を入れるのでは、どっちが良いかと言うと、どっちでも良い。
また、腹の場合でも、丹田だ何だとごちゃごちゃ言う人がいるが、どこでも同じだし、私としてはヘソが力を込め易いと思う。
松木草垣という、天人とまで言われた女性は、ヘソこそ天の座だと言われていた。
彼女の場合は、ヘソの周辺が燃えることを想像すると良いと言われていたそうだが、それも非常に良いと思う。

時代を超えた超天才技術者ニコラ・テスラは、たまたまだが、腹に力を込める作業を毎日やっていたことがあり、腹がカチカチになったそうだが、それが、彼の偉大な知性に良い影響を与えたに違いないと思う。

何でも好きなようにやれば良いが、適当な方法を持たないなら、1日トータルで1時間、肛門を締めるか、ヘソの当たりに力を込めると良い。
それで運が良くなり、健康になり、モテモテになって、おまけに、ダイエットが出来る・・・私は本当にそう思っている。













当ブログオーナー、KayのAI書。本日(2020年5月30日)発売。
自分がやっていることに新しいテクノロジーを加えることで、力が千倍化することがあります。
かつてであれば、電気、電話、自動車、ファクシミリ、ワープロ、パソコンがそうでした。
インターネットはまだまだ使い道が沢山あり、これからも、新しい活用法が出て来そうです。
ところで、太古の昔から強く求められ、それを持つ者は高給を約束された能力である「予測能力」がテクノロジとなったのがAIです。このAIを、誰でも実際に作れるように、易しく、そして、理系でない人にもなるべく面白く書きました。よろしければ、読んでみていただければと思います。

軽く長くの訓練が人を超人に育てる

解剖学者の養老孟司さんが、著書の中で、「昔の日本人は長時間正座をしたので、別に運動をしなくても身体が強かった」と書かれているのを見て、非常に鮮明な印象を受けたことを覚えている。
これが、「金の訓練」と言うべきものだ。
短時間の不自然な訓練より、自然な長時間の訓練が本物の力を作る。

ヘルメスだったかニュートンだったか忘れたが、幼い時から、壁にエメラルドタブレット(ヘルメス版)が書かれた紙が貼られていて、それを自然に毎日見ているうちに、知らず知らず知性が育まれ、長い年月の中で偉大な英知を得たのだと思われる。

明治・大正の教育者で、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、
「念仏をするなら、生活しながら念仏をするのでは本物ではなく、念仏しながら生活するようでなくてはならない。静坐をするなら、生活しながら静坐をするのは本物ではなく、静坐しながら生活するようでなくてはならない」
と言ったというが、これがまさに核心を突いている。
岡田虎二郎の言う「1日中の静坐」とは、常に腹に力を込めよということである。
中村天風も、やはり、片時も怠らず、肛門を引き締めよと教えていたようだ。
もちろん、現実的には、それは難しいし、また、腹や肛門に力を入れると言っても、全力でやる訳にはいかない。
そこで、たとえ、弱くてもいいから、腹に力を込めたり、肛門を締めることを、なるべく多く行えば、その成果は決して小さくはない。

また、口癖(呪文、自己暗示、アファーメーションと言っても良い)を常に唱えることも、恐ろしいほどの効果がある。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えたホームレスは、宝くじで1億円が2度当たり、「歓喜、成功、富」と1日何時間も唱えた売れない女優はスターになった。
科学的研究でも、過酷な状況を勝ち抜き、生き残る人間は、常に、頭の中で「大丈夫」などの肯定的な言葉をつぶやいていることが分かっているらしい。

上に挙げた、いずれかの方法を真似して、我々も超人に進化しようではないか。








ヒーローなんか持つな

西洋のある映画で、幼い息子を持つ父親がこう言った。
「子供は、自分の父親が世界で一番偉いと思っているが、いずれ、そうじゃないと解る。だが、なるべく長くそう思わせてやりたいんだ」
今の日本では、世界一どころか、自分のお父ちゃんなんて、少しも偉くはなく、さらに、偉くないばかりか、下らない人間だと子供はすぐに解るようになる。
いや、父親だけではない。
母親のことも見下げ果てるようになるまでに、そんなに時間はかからない・・・いや、物心つけば、そう思ってしまうかもしれない。
本来、子供は、自分の親のことは買いかぶるものであるのに・・・である。

それでも、外の世界に目をやると、先輩やチームのリーダー、先生、上司、社長といった立場の人達の中に素晴らしい人物を見つけ、「彼こそ(彼女こそ)一番」と思うこともあるだろう。
だが、いずれ、その憧れの人物も、それほどではないと解るようになる。
合氣道家の藤平光一氏は、中村天風や植芝盛平といった、多くの人達に神のように崇められる人達の高弟であったが、藤平氏はこれらの師達を遠慮なく貶し、ある意味、「彼らを信用するな」と述べているのだと思う。
実際は、どれほどの人物であろうが、致命的な欠点は必ずあり、弟子としてはそれは黙っておくものであるが、どんな人間も神でないことは、やはり理解しなければならないのだ。だから、藤平氏のやり方は正しく、立派なことであると思う。その藤平氏だって、酷いところはやはりあって当然だ。
ラメッシ・バルセカールも、世界中の多くの人達が聖者と仰ぐ彼の師、ニサルガダッタ・マハラジが、実際は欠点だらけの人間であったことを明かしているが、貶してはいないと思う。しかし、藤平氏は、特に植芝盛平に関しては、植芝盛平を崇拝する者達を幻滅させるようなことも本に書き、藤平氏は植芝を嫌いなんだろうなとすら感じさせる。
良いではないか。
植芝盛平の身近にも、彼を好きな人も嫌いな人もいたはずだ。

アニメとなると、ヒーローやヒロインはパーフェクトであることが多い。
だが、セーラームーンこと、月野うさぎが憧れる、天王はるかや海王みちるは完璧・・・かというと、実はそうではないのだが、アニメのヒーロー・ヒロインの欠点は格好良過ぎる。実際の人間の欠点は、もっと汚く、ドロドロしているのは、言うまでもない。

そして、人類のヒーロー、イエス・キリストや釈迦だって、完璧な人間などではなかったはずだ。
だが、彼らの信者は、そうは思っていない場合が圧倒的だろう。
イエスに関しては、ニーチェやサルトルやイェイツ、あるいは、ワイルドなどが、相当こき下ろしてくれており、しかも、かなり納得出来るようにやってくれている。
釈迦に関しては、伝聞が少ないこともあるが、豚肉にあたって腹を壊したとかいう話はあるが、あまり悪い話は聞かない。
また、ソクラテスが美少年好きだったとか言う人もいて、そうかもしれないが、それほどはっきりしている訳ではない。まあ、別に美少年好きでも、自制出来ていれば問題ないが、まあ、あまりに昔過ぎて、本当のことは判らない。
そして、偉人、聖人達に、仮に致命的欠点があったとしても、どうでも良いことだ。
個人を全面的に崇拝することは愚かなことであるからだ。
ある個人を徹底的に崇める者というのは、普通の人間を軽蔑しているものである。自分こそ軽蔑すべき者であるのにね。

それに、憧れられる人間というのは辛いものである。
実際の自分は、少しも大したことはないことは、少なくとも本心では分かっているからだ。
人々は、ヒーローやヒロインを求める。
まかり間違って自分がそんなヒーローやヒロインになった者は大変だ。
そうだ、実際に、それは間違いであり、彼らや彼女らは、ちっともヒーローでもヒロインでもないのだ。
そして、時に、ヒーローやヒロインと思われている者が崇拝者を裏切ると、生ゴミやゲジゲジ以上に嫌悪される位置に落とされてしまう。
両極端は愚かさでしかない。
本来は、中村天風や藤平光一の言うことなど聞かず、自分の父ちゃんの言うことを聞けばいいはずなのだ。
言ってることは、良いことも悪いことも全く変わらないのだからだ。
「悪いことをすれば悪いことが返って来る」
イエスが言おうが、あなたのじいちゃんが言おうが、法則に違いはない。









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