ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中村天風

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

軽く長くの訓練が人を超人に育てる

解剖学者の養老孟司さんが、著書の中で、「昔の日本人は長時間正座をしたので、別に運動をしなくても身体が強かった」と書かれているのを見て、非常に鮮明な印象を受けたことを覚えている。
これが、「金の訓練」と言うべきものだ。
短時間の不自然な訓練より、自然な長時間の訓練が本物の力を作る。

ヘルメスだったかニュートンだったか忘れたが、幼い時から、壁にエメラルドタブレット(ヘルメス版)が書かれた紙が貼られていて、それを自然に毎日見ているうちに、知らず知らず知性が育まれ、長い年月の中で偉大な英知を得たのだと思われる。

明治・大正の教育者で、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、
「念仏をするなら、生活しながら念仏をするのでは本物ではなく、念仏しながら生活するようでなくてはならない。静坐をするなら、生活しながら静坐をするのは本物ではなく、静坐しながら生活するようでなくてはならない」
と言ったというが、これがまさに核心を突いている。
岡田虎二郎の言う「1日中の静坐」とは、常に腹に力を込めよということである。
中村天風も、やはり、片時も怠らず、肛門を引き締めよと教えていたようだ。
もちろん、現実的には、それは難しいし、また、腹や肛門に力を入れると言っても、全力でやる訳にはいかない。
そこで、たとえ、弱くてもいいから、腹に力を込めたり、肛門を締めることを、なるべく多く行えば、その成果は決して小さくはない。

また、口癖(呪文、自己暗示、アファーメーションと言っても良い)を常に唱えることも、恐ろしいほどの効果がある。
「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えたホームレスは、宝くじで1億円が2度当たり、「歓喜、成功、富」と1日何時間も唱えた売れない女優はスターになった。
科学的研究でも、過酷な状況を勝ち抜き、生き残る人間は、常に、頭の中で「大丈夫」などの肯定的な言葉をつぶやいていることが分かっているらしい。

上に挙げた、いずれかの方法を真似して、我々も超人に進化しようではないか。











ヒーローなんか持つな

西洋のある映画で、幼い息子を持つ父親がこう言った。
「子供は、自分の父親が世界で一番偉いと思っているが、いずれ、そうじゃないと解る。だが、なるべく長くそう思わせてやりたいんだ」
今の日本では、世界一どころか、自分のお父ちゃんなんて、少しも偉くはなく、さらに、偉くないばかりか、下らない人間だと子供はすぐに解るようになる。
いや、父親だけではない。
母親のことも見下げ果てるようになるまでに、そんなに時間はかからない・・・いや、物心つけば、そう思ってしまうかもしれない。
本来、子供は、自分の親のことは買いかぶるものであるのに・・・である。

それでも、外の世界に目をやると、先輩やチームのリーダー、先生、上司、社長といった立場の人達の中に素晴らしい人物を見つけ、「彼こそ(彼女こそ)一番」と思うこともあるだろう。
だが、いずれ、その憧れの人物も、それほどではないと解るようになる。
合氣道家の藤平光一氏は、中村天風や植芝盛平といった、多くの人達に神のように崇められる人達の高弟であったが、藤平氏はこれらの師達を遠慮なく貶し、ある意味、「彼らを信用するな」と述べているのだと思う。
実際は、どれほどの人物であろうが、致命的な欠点は必ずあり、弟子としてはそれは黙っておくものであるが、どんな人間も神でないことは、やはり理解しなければならないのだ。だから、藤平氏のやり方は正しく、立派なことであると思う。その藤平氏だって、酷いところはやはりあって当然だ。
ラメッシ・バルセカールも、世界中の多くの人達が聖者と仰ぐ彼の師、ニサルガダッタ・マハラジが、実際は欠点だらけの人間であったことを明かしているが、貶してはいないと思う。しかし、藤平氏は、特に植芝盛平に関しては、植芝盛平を崇拝する者達を幻滅させるようなことも本に書き、藤平氏は植芝を嫌いなんだろうなとすら感じさせる。
良いではないか。
植芝盛平の身近にも、彼を好きな人も嫌いな人もいたはずだ。

アニメとなると、ヒーローやヒロインはパーフェクトであることが多い。
だが、セーラームーンこと、月野うさぎが憧れる、天王はるかや海王みちるは完璧・・・かというと、実はそうではないのだが、アニメのヒーロー・ヒロインの欠点は格好良過ぎる。実際の人間の欠点は、もっと汚く、ドロドロしているのは、言うまでもない。

そして、人類のヒーロー、イエス・キリストや釈迦だって、完璧な人間などではなかったはずだ。
だが、彼らの信者は、そうは思っていない場合が圧倒的だろう。
イエスに関しては、ニーチェやサルトルやイェイツ、あるいは、ワイルドなどが、相当こき下ろしてくれており、しかも、かなり納得出来るようにやってくれている。
釈迦に関しては、伝聞が少ないこともあるが、豚肉にあたって腹を壊したとかいう話はあるが、あまり悪い話は聞かない。
また、ソクラテスが美少年好きだったとか言う人もいて、そうかもしれないが、それほどはっきりしている訳ではない。まあ、別に美少年好きでも、自制出来ていれば問題ないが、まあ、あまりに昔過ぎて、本当のことは判らない。
そして、偉人、聖人達に、仮に致命的欠点があったとしても、どうでも良いことだ。
個人を全面的に崇拝することは愚かなことであるからだ。
ある個人を徹底的に崇める者というのは、普通の人間を軽蔑しているものである。自分こそ軽蔑すべき者であるのにね。

それに、憧れられる人間というのは辛いものである。
実際の自分は、少しも大したことはないことは、少なくとも本心では分かっているからだ。
人々は、ヒーローやヒロインを求める。
まかり間違って自分がそんなヒーローやヒロインになった者は大変だ。
そうだ、実際に、それは間違いであり、彼らや彼女らは、ちっともヒーローでもヒロインでもないのだ。
そして、時に、ヒーローやヒロインと思われている者が崇拝者を裏切ると、生ゴミやゲジゲジ以上に嫌悪される位置に落とされてしまう。
両極端は愚かさでしかない。
本来は、中村天風や藤平光一の言うことなど聞かず、自分の父ちゃんの言うことを聞けばいいはずなのだ。
言ってることは、良いことも悪いことも全く変わらないのだからだ。
「悪いことをすれば悪いことが返って来る」
イエスが言おうが、あなたのじいちゃんが言おうが、法則に違いはない。









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1日144分の修行で超人になれる

全ての人間はろくでなしである。
ろくでなしとは、ろくでもないやつのことで、役に立たない者、無価値な者という意味だ。
「全ての人間がろくでなしとは言い過ぎだろう?ろくがある人間も少ないかもしれないがいるはずだ」
と言いたい者がいるかもしれない。
良い質問だ・・・なんて気取るなよと言いたい気持ちもあるが、本当に良い質問と言えるのである。

人間は9割まではろくでなしで良いが、1割のろくは持っていないといけない。
浮気性の亭主は多いが、奥さんや家庭を全く顧みない100%ろくでなしの亭主とは別れるしかないが、浮気はしても、やっぱり奥さんが一番大事だという1割のろくを持っている亭主なら、「ただのろくでなしの亭主」で済むのである。

人間は、なまけもので楽な方に行きたがる。
『ファウスト』で、神様が、「(人間は)少し間が好いと絶待的に休むのが好きだ(森鴎外訳)」と言った通りである。
だが、どこまでもなまけ、楽な方にしか行かない人間は失格なのであり、1割だけ、理想のために苦しい方に行ければ良いのである。
岡本太郎は、「私はいつも破滅の道を選んだ」と言うが、それも、せいぜい2割までの話で、太郎だって大概は安全な道を選んでいるはずなのだ。
しかし、破滅の道を1割選べば大したもので、太郎の場合は2割だったから、偉大な芸術家足りえたのである。

ロリコンの変態だって、1割の理性があれば無害な愛されるロリコンなのであるが、10割近いロリコンは災いなのである。
つまり、少しの理性もないロリコンがいるのである。
だが、政府は規制で10割クリーンな人間を求めてるが、これが建前主義の哀れな末路である。これにより、10割のロリコンが増えてしまうのである。
昔、アメリカで、禁酒法で10割クリーンな人間であることを求めたら、闇酒、闇バーが大繁盛したようにである。
だいたい、闇酒って美味いんだ!(笑)
それを考えれば、ロリコン禁止法(実際の名前は違うだろうが覚えていない)がいかに危険か解りそうなものだが・・・

9割いい加減でも、1割の生真面目さがあれば、世の中、やっていけるのである。
そして、2割なら勝てる。しかし、3割だと、強欲に染まっているだけであるから、危うい。
1割は楽だし、2割でも、そんなにシンドくない。

中村天風は、片時もたゆまず、肛門を引き締めよと言ったが、無茶言うなである。
法然も、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、すなわり、四六時中念仏を唱えよと言ったが、現実的でない。
しかし、1日は1440分で、その1割である144分、肛門を引き締めたり、念仏を唱えれば、それが、1日中やっているということで、それだけやれば超人である。
ヨガや念仏には、それだけの威力があるからである。

ところで、言いたくはないが「144分をどうやって計る」などと言う頭の固い馬鹿は勘弁して欲しい。
少しだが確固としてという意味で、実際の時間は問わないのである。









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死を目前にしても動じない心の強さを得るには

心を鍛えることにした。
平安に至る道は他にないと解った。
顔のすぐ近くの壁に弾丸が当たろうが、涼しい顔をしていられるほどになろう。

織田信長や、第二次世界大戦で当時23歳だった合氣道家の藤平光一氏らが、弾丸飛び交う戦場で、「俺に弾は当たらん」と悠然と歩いたようになろう。
中村天風が、敵地で捕らえられ、明日銃殺だというのに、平然と就寝したように。そして、刑場に引き出されて、今まさに銃殺されようとしても全く動じなかったように。

笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎の魅力は、その圧倒的な心の強さだ。
ある時、紋次郎は誤解から、ヤクザの名だたる親分集の前に、許されざる外道として引き出された。紋次郎のような渡世人には、そのうちの1人でも、会えばすくみ上がるような大物達に「殺っちまえ」という雰囲気の中であったにも関わらず、全く「ビビっていない」紋次郎を見て、親分衆の中には感服する者も少なくなかったが、読者がまさにそう感じるのだと思う。

では、どうしたら、それほどまでに心を鍛えることが出来るだろうか?
上に挙げた藤平光一氏は、著書に「氣を出せば良い」とし、そのやり方を教えているが、はっきり言って、そんなもの、何の役にも立たないに違いない。
誰だって、運命は心を鍛えるための適切な場所を与える。
それを受け入れて、そこで修行するのみである。
それは、無防備に苦しみに身をさらすことに違いない。
だが、何でもかでも、嫌なことを引き受けろということでもない。
嫌ならやめても良いが、その責任は取らなければならないってことだ。

禅に『婆子焼庵(ばすしょうあん)』とう公案(試験問題)がある。
あるお婆さんが、立派な青年僧のために、庵(修行のための小屋)を建ててやって面倒を見ていた。
年月が過ぎ、お婆さんは、若い娘に青年僧を誘惑させたが、青年僧は全く動じなかった。
お婆さんが「よく修行した!」と誉めるかと思ったら、お婆さんは青年僧に失望し、青年僧を追い出し、庵も焼き払った。
修行とは、無慈悲、無感情な人間になることではない。
「いい男」だった紋次郎は、いろんな女に惚れられたし、その中には、うら若く美しい娘もいた。
紋次郎も動じなかったが、その青年僧のようではなかった。
ただ紋次郎は、娘の思い違いや愚かさを単純に指摘した。
「あんた、何か勘違いしてるんでござんす」ってなもんだ。
あの青年僧は、修行ではなく、安易な道を選んだのだ。
藤平氏の本を後生大事に読むことも、それと同じであると思う。もちろん、参考に読むには差し支えない。しかし、あくまで参考でしかない。
また、道場で修業するだけ、ジムで筋トレをするだけでは、心は強くならない。
自分の足で立って生きていれば、自ずと試練に導かれる。
そこで動じなければ、弾丸飛び交う戦場でも動じないだろう。









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凄い人の教えは私にはどうやっても無理だった

中村天風の教えは一言で言って「肛門を引き締めよ」だと言ったら、怒られるかもしれないが、これが基本中の基本だし、これが出来なければ先はない。
だから、これが出来ない我々には、この教え以外不要となる。
岡田虎二郎の場合は「下腹に力を込めよ」である。
そして、両者共、肛門を締める力、下腹に込める力は「万力」、つまり、全力であることを求めたと思う。
ところが、岡田虎二郎は、49歳で亡くなる前に、自分が書いたものは全部燃やし、中村天風は、死に際に、高弟に、自分の教えは全部忘れろと言ったらしい。
中村天風の高弟中の高弟だった藤平光一が著書に書いた次のことを私は信用しているが、天風は「これからは藤平のところに行け」と言ったそうだ。

岡田虎二郎や中村天風が上のように言ったことは、私には絶対出来ない。
ある有名な気功家が、肛門を締める時間は1日1時間と著書に書いていたが、これも無理。
無理なものは無理。
だいたい、ダイエットの方法で、腹に力を入れるというものもあるだろうが、あまり強い力を入れたら、内蔵を傷めてしまう。
それで、上に述べた藤平光一は、臍下丹田の一点になんとかこうとか・・・と著書に書かれていたが、私にはさっぱり解らなかったし、解らないことは出来ない。

私に解ったのは、斎藤一人さんが『変な人が書いた驚くほどツイてる話』で、雑草がアスファルトを突き破るように、無限小の力で無限大の力をかけるというもので、つまり、「じんわりとやる」というものだ。
これなら解る。
再びダイエットのことを言えば、腹を引き締めたいなら、腹に弱ーい力をかけ続ければ良い。思い出した時で良いから、出来るだけ長い時間。
握力を鍛えたければ、弱くで良いから・・・いや、弱くでなくてはならないが、出来るだけ長い時間、手を握ることだ。
腕を鍛えたければ、曲げる方向や伸ばす方向、いろいろあると思うが、やはり、弱い力をかけ続けると良い。
脚を鍛えるなら、太腿や脹脛(ふくらはぎ)の筋肉を収縮させると良い。

我々は別に、プロスポーツマンではないのだから、お金と引き換えに身体を痛めてしまうトレーングを真似する必要はない。
いや、プロスポーツマンを超える武術家や、それをさらに超える仙人というのは、無限小の力を無限大の時間・・・この言い方が大袈裟と思うなら、弱い力を長時間使うという方法をやっているのだと思うのだ。
そして、私が実際やってみたら、数ヶ月はかかっていると思うが、「あっという間」という感覚で、身体が風のように軽く、若い狼が意識を向けた先に一瞬で到達するように素早く動けるようになった。長い間、私を悩ませていた、腕の痺れ、脹脛やアキレス腱の痛みが全くなくなった。
私の場合、ダイエットの必要はほとんどないのだが、腹に弱い力を込めると充実感を感じる。

そして、エネルギーを流れ込ませ、神経や細胞や魂を活性化させるには「EA(えれくとりっく・えんじぇぅ)メソッド」である。
基本は、重ねた両手を、胸や額や頭頂に当てるだけで、良いと思えば、その手を、右方向や左方向、あるいは、両方に、ゆっくり回すと良い。
詳しくは、心理学者のアレクサンダー・ロイド博士の『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』に書かれている。
この本には、「自分にあったやり方でやれ」と書かれている。

武道の厳しい修行をやれたり、強い積極的な信念に満ちた人であれば、中村天風や藤平光一の教えが良いのかもしれないが、彼らの教えは、私には大いに参考にはなるが実践は無理だった。
私のは、出来損ない、ガラクタ、無用者のメソード、あるいは、光線銃である。









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