ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

中村天風

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

腕振り運動をやっているうちに信頼した人物達

私は、毎日、腕振り運動を7千回、8千回とやっているうちに、信頼出来るのは、法然、親鸞、岡田虎二郎、中村天風だと思った。
彼らは、簡単なことの徹底した繰り返しを説いたからだ。
人間が力をつけ、人間を超える道はそれしかないと思う。
言うまでもなく、法然は常に念仏を唱えよと言い、法然の弟子である親鸞は、時にややこれと違うことも言ったが、親鸞が書いた和讃(仏教に関する歌)を見ると、やはり、ひたすら念仏を唱えよという趣旨のことが書かれている。
岡田虎二郎は岡田式静坐法を教えたが、形の上では静坐をしていない時も常に、腹に力を入れることや、細く長い呼吸をするよう教えている。
中村天風は、ちょっと多過ぎることを教えたが、まず、常に肛門を引き締めよと教えた。
ただ、法然、親鸞、岡田虎二郎、中村天風らが言うようにやれる人は、まずいない。

私は、子供の時、会社の仕事というのは、延々とハンコを押すことだと思っていたが、ある意味、それで正しいのであると思う。
ひたすら、淡々とハンコを押すようにやれば、良い仕事が出来る。
私はシステムエンジニアとして、高度なシステムや大きなシステムをいくつも作ったが、ハンコを押すような気持ちでやるとうまくいくのだと思う。

また、私は、やはり子供の時、テレビで、ある西部劇の映画を観たのだが、銃を初めて持った若者が、銃の練習をする場面があった。
若者は延々と銃を撃ち続け、使い終わった弾丸の空箱が山のように出来るのを見て、私はとても感動した。これが、内なる力を引き出す、最高の方法なのである。
アニメ『MADLAX』では、若きエリート美女ヴァネッサが、ボディーガードに雇ったマドラックス(ヒロイン。17歳。凄腕エージェント)に銃を教えてくれるよう頼むと、マドラックスは銃と、山のような弾丸の箱をヴァネッサに渡し、全部撃つよう指示する。恐ろしいほどの弾丸の数だったが、ヴァネッサは顔色1つ変えず了承し、ひたすら撃ち続けた。

野球なら、素振りが多い者が優れたバッターになる。
日本の野球の歴史の中でも最高のバッターの1人であった落合博満さんが引退後、球団の幹部をしていた時、若い選手が、果敢に落合さんに指導を乞いに来ると、落合さんは、この若い選手に延々5時間、素振りをやらせ、それをずっと見ていた。
この若い選手は、結局、成功しなかった。
彼は、「調子が悪い時には、このことを思い出して素振りをするようにした」と言うが、それでは、落合さんに指導を乞うた意味がない。
調子が良かろうが悪かろうが、常に、1回でも多く素振りをしなければならなかったのだ。

私は、繰り返しの大切さを特に熱心に説いた、ある人物を知っている。
なんと、その人は、宗教による巨額の詐欺で逮捕され、6年ほども服役した宗教家だ。
彼は、著書に、昭和の大横綱、千代の富士が、誰よりも多く四股を踏んでいたことや、ある将棋の名人が、同じ将棋の本を、紙が変色して読めなくなるまで読んでいたという話を書いていた。
その宗教家が善人か悪人かは私は知らないし、理由を述べることは避けるが、服役したからといって罪人とは限らない。
ともあれ、その繰り返しの教えは、少し心に留めても良いと思っている。
この宗教家は、出所後、活動を再開し、著作も出している。

私は、剣の素振りには興味があったが、縁がなかった。
また、エアガンを撃ちまくることもしたかったが、これもいろいろ無理があった。
しかし、腕振り運動は、かなり前に知り、非常に熱心とは言えないが長く続けてきた。そして、最近、ようやく本格的に・・・つまり、毎日、延々と行っている。

コンピュータープログラミングをマスターするのも、延々と繰り返すに限ると思う。
本に載っている良質なプログラムを淡々と打ち込んで実行させることを繰り返せば、しっかり身に付くだろう。
私は、そのやり方で覚えたプログラミング言語や開発ツールは、かなりの実力が持てたと思う。








腕振り運動で頭が良くなる

腕振り運動を行うと、確実に頭が良くなる。
統計的なデータみたいなものがあるわけではないが、脳の仕組み的に、そうであると確信している。

今朝の記事で述べたが、ニュージーランドの哲学者ジェームズ・フリンは、2014年のTEDの講演『なぜ我々は祖父母世代よりもIQが高いのか』で、後の世代の人間の方が前の世代の人間よりIQ(知能指数)が高いという調査結果と、その理由の考察を示した。
興味があれば、このブログの、今朝の記事『目が覚めたら王様だったら?』に詳しく書いたので、ご参照願う。

ところが、フリンの研究の後も、人々のIQに関して統計が行われているのだが、何と、IQの伸びは1990年あたりに頭打ちとなり、2010年頃から明確に下がり続けているらしい。
これに関し、岡田斗司夫さんが動画でうまく説明してくれているが、私が見たのは非正規動画(いわゆる「切り抜き」)だったので、岡田さんの話を参考にしつつ新たに(多分もっと良くw)述べる。

頭が良いことを含め、能力が高いというのは「集中力がある」ことだ。
集中するほど、持っている実力を発揮出来るだけでなく、集中する訓練により集中力が高まると、実力も高くなることは、だいたい同意いただけると思う。
つまり、スポーツ、音楽演奏、武道、勉強などで、集中して行う訓練をすればするほど(限度はあるが)、訓練している分野はもちろん、人間として全体的に優秀になっていくのである。
ところが、よく、「この子は集中力がない」などと言われる生徒等がおり、そんな者は、確かに優秀になれない。
だが、学校等で集中力のない生徒や選手がいるのは、指導者の問題なのである。
なぜか?
人間は(特に子供は)、集中力がないのが当たり前であり、有能な指導者のみが、指導している相手に集中をさせることが出来るからである。

人間というのは集中力がない・・・元々、集中するように出来ていない。これは本当だ。
文明なんてものが出来たのは、人類の長い歴史の中で、ごく最近のことである。
だから、今の人類だって、原始時代の名残を色濃く残している。
原始時代、人間は、猛獣の襲撃に備え、常に周囲に意識を向ける必要があり、自分がやっていることに集中することなど出来なかったのだ。
農耕社会の歴史も狩猟時代に比べると短いし、農耕地帯にも野獣はいただろうから、やはり、人間は「集中してはいけなかった」のである。

そんなわけで、人間は本来、集中力がなく、うまく訓練しないと、能力は低いままだ。
だが、集中した方が仕事や戦いのパフォーマンスが上がることが自然に理解され、徐々にだが、人類は集中することを覚え、だんだん能力が高くなってきた。
だが、やはり、その進歩は一般には鈍い。
ところが、特殊なグループの中で、優れた集中の訓練が開発され、そんなところでは、異常に優秀な人間が育ったし、また、生徒をうまく集中に導くことが出来る学校では、多くの生徒を優秀にしてきたのである。
仏教では、特に真言密教では、真言を長時間唱えることで、集中力を磨き、集中力が高度になれば超能力を発揮することも分かっているのだと思う。

だが、テレビやラジオ、あるいは、音楽レコードのプレーヤーが普及することで、それらを見たり聞いたりしながら、勉強や仕事をすることで、人々は集中力を失い、それで、1960年代から、人間のIQの向上が鈍り、1990年くらいには完全に頭打ちとなり、スマートフォンが普及した2010年頃からは、人々のIQは坂を転げ落ちるように低下したのである。
スティーブ・ジョブズが、自分の子供に決してスマートフォンを与えなかったのは、ジョブズには、直観的にそれが分かっていたからだろう。

そんなわけで、集中力を失くし、頭を悪くしたくなければ、スマートフォンをなるべく、見ない、触らないことである。
スマートフォンを見る時間が長い人ほど頭が悪いことは、なんとなく分かると思う。

そして、例えば、一部の密教の教団が行ったように、真言を長時間唱えて、集中力を上げることは、頭を良くする良い方法なのである。
真言でなくても、中村天風が教えたように、常に肛門を引き締めることに意識を向けることで、余計なことに意識が向かず、集中力を高めることが出来る。
超一流数学者の岡潔が毎朝、念仏を1時間唱えていたのは、あくまで信仰のためではあったが、これもまた集中力を磨くのに役立ち、岡潔は数学のみならず、あらゆることで高度な能力を発揮したのだと思う。
しかし、岡潔のように念仏に集中するには、強い信仰が必要で、岡潔の場合は、弁栄という素晴らしい僧に会ったから、そんな信仰を持てたのである。
念仏以外の、真言、お経、祝詞、神仏の名・・・なども、毎日、それなりの時間唱えることは難しく、私も苦労した。
しかし、身体を動かす腕振り運動であれば、私は、多少の根気は要るとしても、かなり気持ち良くやれるのである。

集中力が高まれば、知性などの能力が高まるだけでなく、直観が冴えたり、アイデアが閃くようになる。さらには、特殊な密教的集団では知られていると思うが、神秘的な力が現れ、シンクロニシティ(共時性)が起こったり、超能力が備わったり、世界を支配する力にまでいたる可能性がある。
腕振り運動は、努力、忍耐、克己等の資質を持ち合わせていなくても、集中力を獲得出来る秘法であると思う。
やらなければもったいないと思う。








自分に向いた行で楽に超人になる

法然や親鸞は念仏を唱えることを勧め、彼らよりほんの少し後に生まれた道元は「ただ座れ」と坐禅を勧めた。
昔であれば、ただ巡り合わせで念仏をやったり坐禅をやったりしたのだが、法然や親鸞と道元のどっちが好きかで、念仏か坐禅かを選ぶこともあるだろう。
だが、もっと重要なことは、自分が、念仏に向いているか坐禅に向いているかである。

近代のインドの聖者ラマナ・マハルシは、真我を実現する(簡単に言えば神になるという意味と思う)には、「私は誰か?」と問う以外にないと言い、多少のバリエーションとしては、「常に、自分に対し『私』と呼びかけよ」と教えた。
2011年に亡くなられたサティヤ・サイババは、いろいろなことを教えたと思うが、『ナーマスマラナ』という本では、やはり、「神の名を唱えることだけが人生の問題を解決する」と述べている。

宗教的、あるいは、霊的な修行を、俗っぽいこと・・・健康はともなく、お金や恋愛を目的とするのは卑しいとする向きもあるが、欲張らない限り、上に述べた行は全て、欲しいものを得る最も効果的な方法なのである(大抵の人は欲張って失敗するが)。

私も昔、ニート明けの時、最も務まりそうにない厳しい仕事である完全歩合制セールスの仕事をやったが、阿弥陀如来真言や観世音菩薩真言を唱えていたおかげでバンバン売れ、ベテランセールスマンを押しのけてセールスコンテストで優勝したりした。
その後も、良い方向にしかいかず、サラリーマン時代は全く仕事をせずに高い給料をもらっていた。
だが、考えてみれば、真言を1日平均では10分も唱えていなかったと思う。
それでも、私としては奇跡的なほどうまくいったが、それだけの時間しか出来ないということは、向いていないという面もあるのだと思う。

中村天風や岡田虎二郎は、それぞれ、常に肛門を引き締めよとか、常に腹に力を入れろというし、『気功革命』で著者の盛鶴延氏は、「1日トータルで1時間肛門を引き締めろ」と書いていたが、1日1時間でも私には全く無理で、私は「そんなこと出来るやついないだろう」と思っていたが、私が向いてないだけで、向いている人なら、常にというのはともかく、1日1時間なら出来るかもしれない。

それで、私は、3日前から、今度こそ本格的に腕振り運動を始めたが、こちらは私に向いているようである。
腕振り運動も、坐禅とは違うが、禅の一種で、「動禅(どうぜん)」と言えるものだと言える。つまり、坐禅のようにじっとしてやるのではなく、動きながらやるのである。
腕振り運動もまた、念仏や坐禅、ナーマスマラナ(神の名を唱えること)、あるいは、ラマナ・マハルシの真我の探求と同じく、簡単に言えば、神や仏になる方法で、実際に神や仏にはなれないまでも、人間を超えた力を得、(普通の)人間を超えることが出来る。

岡田虎二郎の弟子だった柳田誠二郎氏(日本航空社長、日本銀行副総裁その他の要職を歴任した)は、講演で、「私の場合は岡田虎二郎先生に教わった静坐だったが、何でもいいから心を締める鍵を持て」と言った。「心を締める鍵」とは難しい言い方をするが、分かり易く言ってしまえば、やはり人間を超えた力を得て、人生の問題を解決するための行のことなのである。
柳田氏は、自身は岡田式静坐法を百歳を過ぎて亡くなるまで続けたが、人々には「何でもいい」と言ったのである。
つまり、自分に向いたことをやれば良いのである。

ちなみに、私は、腕振り運動を、3600回、4700回、4700回と続けている。
1年365日、1日も欠かさず実施し、毎日の回数をExcelの表にでも登録しようと思う。
そのExcelに、その他の情報も登録すれば、機械学習で分析して、自己分析が出来るが、まあ、データやAIより、魂の声を信じようと思う。








頭の中の宇宙人に逆らう

「分かっちゃいるけど やめられねぇ」というフレーズをどこかで聴いた覚えがあって検索してみたら、植木等さんが歌った昭和の大ヒット曲『スーダラ節』だった。
この、「分かっちゃいるけど やめられねぇ」に、人間の秘密を解き、幸福になる鍵があることに気付き、本当にはっとした。
この詩を書いたのは誰かと思ったら、俳優としても有名な作家、作詞家で、なんと、元東京都知事の(都知事としての評判は良くなかったらしいが)青島幸男さんだった。

この『スーダラ節』の中で、こんな話がある。
競馬に夢中になったサラリーマンが、負けても負けても馬券を買い、ついに、ボーナス全部を失ってしまう。
彼は思う。馬で金儲けしたやつなんかいないと分かっているけど、やめられない。
こんな馬鹿げた歌を作詞し、それが、80万枚の大ヒットになったのである。

分かっているけど、やめられない。
それが人間の仕組み・・・システムなのだ。

反対側から見てみよう。
「分かっているけど、やめられない」は、正確に書くと、「やってはいけないと分かっているけど、やめられない」である。
そして、次のことも真実だ。
「やらないといけないと、分かっているけどやれない」
英語の読み書きが出来るようになりたいなら、毎日1時間でも勉強をすれば、1年もやれば、かなり出来るようになる。
今は、パソコンやスマートフォンで英会話の練習が出来、少しやれば、十分にマスター出来る。
それは分かっているのに、なぜか出来ない。
学校の夏休みの宿題だって、毎日、ちょっとずつやれば、夏休みの最後に大慌てしなくて良いことは分かっている。
しかし、なぜか、それが出来ない。
そして、なぜ出来ないのか、真面目に考えたことがある者は、滅多にいないのだ。

答はこうだ。
人間には、自由意志はないのである。
いきなり恐ろしいことを言うが(笑)、保証する。
例えば、「右か左か、好きな方を選びなさい」と言われた人が、「よし、左だ」と言う。
その人は、自分で左を選んだのだと思っている。
しかし、そうではなく、左を選ばされたのである。
このことは、科学的実験でも確認されていることは、よく知られている。
とはいえ、何によって意思をコントロールされているのかは分からない。
頭の中に、ナノサイズの装置があり、そこから脳神経に、コントロール信号が出されているのかもしれない。そして、そのナノサイズの装置は、外部から通信コントロールされているのかもしれない。
あるいは、ナノサイズの宇宙人が頭の中に居るのかもしれない。
または、昔から言われるように、霊に支配されるのかもしれず、その支配する霊は、我々をたまに支配するのではなく、ずっと支配しているか、沢山の霊が、交代で我々を支配するのかもしれない。
どう考えれば、多くの人間の行動を最も的確に説明出来るかだ。

優柔不断な人間っているだろう?
つまり、決断に時間がかかる人間だ。
食事に行って、注文をなかなか決められない者を見ると、私は非常にイライラする。
しかし、そんな優柔不断な者は、案外に、頭の中の宇宙人に逆らおうとしているのではないだろうか?
宇宙人は「ラーメン」と信号を送っているのに、その者は、「ラーメンにするか・・・いや待て、本当にそれで良いのか?」と反発しているのである。
ベートーヴェンは、楽譜を書き終わった後、それでよしとせず、何度も書き直し、結局、最初の楽譜の通りにすることがよくあったと言う。
ある時は、1つの音を、何十回と変え、やはり、最後は、初めに書いた通りの音にするのである。
彼もまた、意思の支配者に挑戦しようとしたのだ。
ピカソもそうだった。
ピカソは晩年、修正が可能な画法である版画にはまり、驚くほど何度も修正したが、修正するほど・・・悪くなった。
彼には、優れた画家の霊がついていたので、それに従っていれば良かったのに、彼は自由を求めて逆らったのだ。

逆に、あなたの頭の中の宇宙人が、あなたを画家にしたくないなら、絵を描いても、なぜか不本意な線を引き、なぜか、つまらない色を塗ってしまうのだ。

宇宙人か幽霊かは知らないが、その支配から免れると何が起こるのか?
それはすごいことが起こる。
明らかにそれに気付いていたのは、中村天風やアーサー.C.クラークだった。
おそらく、アーサー.C.クラークは失敗し、一時的には支配を逃れたが、すぐに再び支配され、おかげで、彼を長い間知る者には、彼は矛盾だらけの人間と思われている。
中村天風だって完全ではなく、だから、弟子の藤平光一に馬鹿にされたのである。

とりあえず、我々を支配しているのは宇宙人としよう。
では、宇宙人の支配を逃れる方法は?
簡単と言えば簡単だ。
宇宙人は、様々な信号を送ってくるので、自分で1つの信号を作り出して対抗すれば良いのだ。
中村天風の場合は、それが、「肛門を引き締める」ことだった。片時も途絶えることなく、それが出来れば、宇宙人の信号はずっと打ち消せる。
岡田虎二郎の場合は「腹に力を入れる」だし、法然の場合は「念仏を唱える」だった。
黒住宗忠は、「ありがたい」と唱えよと教えたこともあった。
マントラを唱える、神の名を唱える、「神様の奇跡が起こる」と唱える・・・どれでも、得意なものをやれば良い。
ただし、言っておくが、大抵、うまくいかない。
それならそれで、次の手もあるが、とりあえず、試してみてはどうだろう。








超一流魔導師に挑む気持ちで

国定忠治(くにさだちゅうじ 1810~1851)という、実在した侠客(きょうかく。一般的にはヤクザか)がいたことをご存じの方は多いと思う。
滅法、喧嘩が強く、剣の腕前にも相当な自信があったようだ。
それで、国定忠治は、なんと、当時、日本一の剣の達人、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)当主の千葉周作に真剣勝負を挑んだ。
それでどうなったかは諸説あるが、最も知られているものでは、千葉周作は、国定忠治の腕では自分の相手にはならないと見抜き、立ち会うことはしなかったことになっている。
(立ち会ったが、千葉周作はまともには相手にならず、決着がつかなかったという話もよく知られている)

あくまで創作であるが、笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯らし紋次郎』で、主人公の渡世人(博打打ちのヤクザ)である紋次郎(もんじろう)もまた、ヤクザとしては相当に腕が立つ。
その紋次郎が、武士の剣の達人と、何度か果たし合う巡り合わせになったことがある。
本物の達人が相手では、紋次郎と言えども、全く太刀打ち出来ない。
だが、「かなり」程度の腕の武士や浪人であれば、まともに戦っても紋次郎は勝てた。
達人クラスが相手の場合は、正面から戦っては勝てるはずがないが、紋次郎は、奇策を使って・・・卑怯と言うよりは知恵で勝ったこともあった。
確かに、紋次郎の剣は、誰かに習ったのではなく、経験と度胸が頼りの喧嘩剣法ではあるが、命を賭けた実戦で磨き抜いたものだった。しかし、それだけでは、いかに奇策を使って万に一つのチャンスに賭けても、達人相手に通用することはないだろうし、また、かなりの腕の武士に正面対決で勝てるはずがない。
何か秘密があるはずだが、あった。
紋次郎は、若い頃、木こりをやっていて、木を切り倒してそれを運ぶ中で、足腰を鍛え、そして、何と言っても、毎日、斧で、とんでもない数の薪割りをしたことが、剣を振る力の元になった。
紋次郎が38歳になって、かなり衰えが見えた時、なりゆきで、しばらくの間、毎日、薪割りをすることになったが、それでも、驚くべき腕前の薪割りであった。
毎日、長時間行うことが、名人、達人を作るのだということが、創作の時代劇とはいえ、人間を良く知っている名作家、笹沢佐保氏の筆から、はっきり読み取れるのである。

さて、このブログでは、魔法の素人の我々が、現実創造の魔法を使う方法を述べているのであるが、プロの魔法使いというものもいて、それはもう、恐ろしい力を持っている。
あの中村天風も、実は、海外で、そんな連中に接触したことがあったらしく、あまり語ることはなかったが、魔法の上位者の想像を絶した凄さはよく知っていたのだと思う。
おそらく、中村天風が超人的な大聖者と呼んだカリアッパ師をはるかに超えるような魔導師すら、実際にはいた(いる)のだと思う。
それがどんな連中かと言うと、『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、太師と呼ばれる者達について読めば、いくらか想像が出来るかもしれない。
ただし、そんな太師達は、決して、自分達が特別だとは言っておらず、彼らは、人間は本来は誰もが太師なのだと言う。
そして、太師達すら崇拝するイエス・キリストが『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻』で明かした、自分のようになれる方法が「神」という言葉をなるべく多く使うことだった。
こう簡単に言うと、ピンと来ないと思うが、イエスは丁寧に、ある程度の理論と共に述べているのである。
ただ、簡単に言えば、それはやはり、「神」という言葉を、心の中や言葉で、何度も言うことである。おそらく、「神」という言葉を含む聖句や、それに準じる句、アファーメーションなどが有効なのだと思う。
その中でも、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻』に書かれた、F.L.ローソンが言った「神の他には何もない、ただ神だけがある」は、最上の言葉の1つと思う。
聖書には、
「心を鎮め、自分が神であると知れ」
「もし神が味方であるなら、誰が我々に敵し得ようか」
「もし出来ればと言うのか?神に出来ないことはない」
など、多くの「神」を含む句があり、世界的に有名で高価な自己開発教材でも採用されているのを見たことがある。
若き日の紋次郎が、毎日、薪割りに励んだように、我々もイエスの方法に励めば、超人魔導師に及ぶかどうかは分からないが、かなりの魔法の力を得られるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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