ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

中二病

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

天才じゃない辛さ

超一流と言わなくても、プロスポーツ選手や社長、ミュージシャン、俳優、科学者・・・なんてものになれる人は、生まれつきの才能を持った人間で、まあ、天才と言って良いだろう。
そのような優れた才能を持たない平凡な人間は、ごく若いうちは、自分にも才能があると思うかもしれないが、やがて、「身の丈」を知るようになり、平凡に甘んじて、それなりに幸せに生きる。
しかし、特別な才能なんかないのに、抜きん出た人間になることを、いつまでも目指し、もうどうしようもない歳になって絶望する可哀想な人がいたりする。
例えば、「俺がサラリーマンをやっているのは、作家で成功するまでの仮の姿。いつかは日本中の注目を集める大作家になる」と思い、吹聴もするような「いい歳」の人間が時々いる。しかし、30代も後半、そして、いくら何でも40代になって芽が出なければ、自分に才能がないと理解すればよさそうなのに、そうでない哀れで滑稽な人がいるんだなあ。
誰かから聴いた話だが、ある男性が30歳目前にもなって、まだ、「プロサッカー選手になる」なんて言ってがんばっていたらしいが、その歳で、アマチュアの中ですら注目を集めければ、才能がないとしか言えないのだが、なぜかそれを認めない馬鹿なのだろう。

自己啓発セミナーなどで、受講者に大きな目標を書かせて、それを「絶対達成するぞ」なんて言わせる不気味なことが行われ、そんなものに金を払って参加する残念な人達が大勢いるようだ。
「アンタに社長なんて無理でっせ」、「その顔で俳優?やめとけ。頭も悪いし」としか言えない人達に、「年商100億の会社の社長になる」だの「年収一億」だの「映画に主演」だの、大馬鹿を言わせるのである。

競争に勝ち、他人を蹴落とすためには力が要るが、才能がなければ力は得られない。
そして、ほとんどの人間には才能がない。
ドストエフスキーとまでは言わなくても谷川流になりたいと言っても、谷川さんは、とんでもない才能の持ち主だ。

初音ミクさんのおかげで、これまでの世界では日の目を見る可能性がなかったPさん達がもてはやされていて、「音楽は実は誰でも作れるのです」とか、「誰もがクリエイター」なんてことを言う人や企業(Googleか・・・)がいるが、人気の出る初音ミクさんの曲を作れるような人、注目されるミクさんのイラストを描けるような人というのは、やはり限られた天才なのだ。
才能がなければ、いくら努力したって駄目なのである。

学校や会社で、周囲に馴染めず、友達がいないからって、天才である訳では全然ない。
むしろ、そんなタイプの人の大半は普通以下なのかもしれない。
嗚呼、哀れ・・・

「天才の行動パターンを真似れば天才になれることが分かりました」なんて大ボケを聴いたことがある。NLPか何かだっけ・・・
それで凡人から天才になれたやつは1人もいないのにね。
「いや、実例がある」なんて言っても、その実例は、やっぱり生まれつきの天才だったのだ。

上のような「不都合な真実」は、家庭や学校でちゃんと教えてあげれば良いのだが、むしろ、その魔逆が行われている。
「夢はでっかく」、「叶わない夢はない」・・・なんてね。
本当に天才なら、いくら「お前は凡人だ。大したことは出来ない」と言われたところで、ちゃんと力を発揮して羽ばたくものだ。
「埋もれた天才」なんて「可哀想な話」があるが、埋もれるなら、埋もれる程度のものだった訳だ。
才能あるPさん達は、今の世界では天才でも、やはり、初音ミクさんやインターネットがなかった時代なら「本当に凡人」だったのだ。

「俺は特別だ。烏合の衆に埋もれたくない。凡人どもは汚らわしい」
なんて言うのを「中二病」って言うのじゃなかったっけ?
以前、ネットの何かの記事で、「生涯、中二病でいる」なんて有名人の話があったが、やっぱりその人は有名人になれる天才なのだ。
普通の人が、いい歳こいて中二病やってたら、ただの迷惑な人、馬鹿な人、恥ずかしい人だ。

で、ここまで言って、やっと凡人の本当の幸せを語れるのである。
まあ、「天才」のこの曲を聴いて、身の程を知れば良いと思う。
PinocchioP - SLoWMoTIoN feat.Hatsune Miku /ピノキオピー - すろぉもぉしょん
ヒントを言えば、「大きな存在」から見れば、人類の天才も平凡な人間も大差ないってことだ。
だったら、その「大きな存在」に頼れば良いのである。ただ、その頼り方を間違える人が多いのがちょっと難だ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

全能感、中二病こそ宝である

心理学に「全能感」という言葉がある。
「自分は何でも出来る」という感覚であるが、その成り立ちについて、岸田秀さんの本で、こんな話を見たことがある。
赤ん坊は、自分は何もせずとも、食べ物(乳)を与えられ、ウンチの始末や、その他一切が、全てなされる。
その中で、赤ん坊は、自分は神のように全能と思い込む。
物心つくようになっても、多くの幼児に対し、両親はじめ、周りの大人達が機嫌を取り、ねんごろに奉仕してくれるので、幼児は、自分は王様のようなものだと思い込む。

ところが、成長し、様々なことをするうちに、手厳しい挫折を味わうと、幼い時の全能感に逃げ込み、何もしないくせに、「僕は偉いんだ。本当は強くて何でも出来る」という態度を取りつつ、現実も分かっているので、恐がって、外の世界との接触を避け、引きこもる。
こうやって、悪い場合は引きこもりになり、そうでなくても、心の中で、「自分は特別な人間である」と思わずにいられない中二病になる。

だが、全能感や中二病は、全く正しい健康的で自然なものである。
ただ、全能感を扱うために必要な知識がないので難儀しているのである。
自動車はもちろん、UFOをぽんともらったところで、扱い方が分からなければ、それらが強力であるがゆえに、困惑や苦悩も大きいのと似ている。

確かに、赤ん坊でなくなれば、親も食事を口まで運んでくれないし、排泄などの世話もしてもらえなくなる。
しかし、心臓は自動的に動き、食べ物は自動的に消化吸収される。
それは、自分の中に、全能たる神の力のカケラがあるのだからだ。
そうでなければ、この身体は、分解し、朽ち果てるだけのはずである。
つまり、自分は相変わらず全能なのだ。
あらゆることにおいて全能な神の力の一部を持っているのである。
ただ、神の力はあまりに強力なので、みだりに発動しないよう安全装置が組み込まれているだけである。
しかし、本当は自分は特別で全能であることを忘れないために、ナルシズムのような感覚が起こり、「自分は特別で大変な人間なのだ」」と思うのだ。
だが、学校という場所は、元々が工場労働者を作るための教育を行うために作られたものなので、そのように、自分を特別と思う者に対して、「そうではない。お前は皆と同じ平凡な人間で、試験の成績や権威への服従度に応じてわずかな特権が与えられるだけだ。だから、我々の言う通りにだけ励め」という教育で矯正される。

しかし、あなたは、中二病を保ち、全能感を信頼しなくてはならない。
ただ、忘れてはならないことは、体制に収まった、世間の教義や信念に平伏す者達も、内に神のカケラを宿し、本当は全能なのであることを忘れてはならない。
そして、内部の神の力に手が届くためには、心を純化させなければならず、そのためには時間がかかるし、苦しみも味わう必要がある。
実に、全能であるはずの自分が、

「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす
~『ODDS&ENDS』(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~

という経験が必要なのである。
必ずしも読書が必要な訳ではないかもしれないが、『ファウスト』、『バガヴァッド・ギーター』、『幻魔大戦』などを、内なる力を取り戻すために読むのは良いことである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

中二病なら英雄を目指せ

スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの傑作小説『ドン・キホーテ』の子供向けのものを、私は小学生の時に読んだのだが、「滑稽で面白いお話」程度の印象しかない。
この作品を本当に味わうには、もっと人生経験が必要だったのだろう。
ただ、最後の場面は哀愁を誘うものであったと記憶している。

『ドン・キホーテ』は、騎士道物語の本の1つを読んで、自分こそ伝説の騎士であるという妄想にとりつかれた下級貴族の老人(と言っても50歳くらいか)がお馬鹿な騒動を巻き起こすというお話だったと思う。
ただ、彼は、人様にそれほど大きな迷惑をかける訳ではなく、自分がいつも痛い目に遭っているだけという小人物のようだ。
何か親近感を感じるやつだと、私は思う。

「中二病」という言葉をご存じかもしれない。
中学2年生頃の少年少女が、自意識過剰になり、自分は何か特別な人間だと思い込むが、実際は自分の能力がそんな自惚れに全然見合わないので、いろいろこっぱずかしい発言や行動をしてしまう・・・といったものだろうか?
こちらも、私は、大変に仲間意識を感じる。
ドン・キホーテは、中二病と指摘する人もいると思う。
ドン・キホーテは、やや本当の精神病的であるが、確かに似ているかもしれない。

ところで、立派な人間の中にも、自分を中二病だと言う人もかなりいるのだと思う。
私はあまり知らないが、有名なCMプランナーの澤本嘉さんや、ピクシブの社長の片桐孝憲さんなどはそう自称していたと思う。
しかし、ナポレオンや、あるいは、ヒトラーも中二病だったと思うし、そもそも、英雄的行為をする者、したがる者は全部、中二病だ。
なぜなら、人間は根本的に英雄などではないのだからだ。
中二病とは、単に、至高者を目指す内部の欲求が、歪んだ形で現れたというに過ぎない。

ところが、現代では、ITが人間の能力を増幅するようになった。
『ITビジネスの原理 特別編集』で、猪子寿之氏が、
「コンピューターのCPUが個人の脳を拡張して、HDDが個人の記憶を拡張して、メモリが個人の一時記憶を拡張している。」
「Twitterもコミュニケーションの拡張だし、Facebookも個人の人間関係の拡張だし、Googleもモノを探すことの拡張だし。」
と言われているが、ただ、猪子氏は、その後、
「徹底した個人の拡張なんですけど、別に自分はそれを否定するわけではなくて、あんまり興味がないだけです。僕は物理空間そのものを拡張したいんですね。人間そのものを拡張したいわけではないんですよ」
と言うが、その意味は非言語的なものであるらしく、結局、支離滅裂な、訳の分からないものだった。

ITやインターネットが拡張してくれる能力は、やはり、人間本体に力がないと、ほとんど意味はない。
いかにITを駆使しようが、本当の中二が逆立ちしたって、大したことは出来ない。
しかし、中二病がきっかけで至高者を目指し、努力し続けたなら、確実に力を伸ばし、やがては、本当に特別な存在になれるだろう。

もしかしたら、あなたは、私と同様に中二病で、自意識過剰で、不相応に自分を特別視しているかもしれないが、それはそれで良い。
むしろ、ヒーローやヒロインであることを諦めてはならない。
だが、実際にそれになるには時間がかかるし、努力が必要だ。
英雄のようなものになるためには、苦しみが必要である。
私も、あなたも、もっともっと苦しまなければならない。
だが、我々の目指す、我々の胸に住む内なる至高者を愛し、目指していれば、必ずや保護し、導いてくれるだろう。
詳しくは『バガヴァッド・ギーター』を読むことである。
ドン・キホーテは『バガヴァッド・ギーター』がなかったことが不運だった。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ