「取り越し苦労」というのは、これから起こるかもしれない悪いことを心配することだと思う。
ところで・・・
『心配事の9割は起こらない』という本があるが・・・いや、もっと起こるよ(笑)。『不安の9割は消せる』って本もあるが・・・消せねーよ(笑)。
『心配事がスッと消える禅の習慣』という本もあるが、やはり、そりゃ現実逃避ってモンでさあ・・・と木枯し紋次郎調になってしまう(笑)。
ところが、イエス様だって、「明日を思い煩うな」と言ったといわれている。
だけど、イエス様は、「心配しても仕方がないことは心配するな」とは言ったが、心配すべきことまで心配するなとは言ってない。
ところで、過去の悪いことを気に病むことを、あまり聞き慣れないかもしれないが、「持ち越し苦労」って言うらしい。
しかし、イメージし難い言葉だ。
そこで、「取り越し苦労」「持ち越し苦労」について、もっと簡単な言葉を使えば、
過去の悪い事を気に病む → クヨクヨする
未来の悪い事を心配する → 心配する
で、これらを過剰にやらないことを、「クヨクヨするな」「心配するな」と言う。
「心配するな」の代わりに、「なんとかなるさ」という言い方の方が感じが良いかもしれない。
「大丈夫」は、両方に有効と思う。
過去の失敗に関しては、「どのみち、時間は巻き戻せない」と言うしかない。
未来の不安に対しては、「後は野となれ山となれ」という豪快な人もいる。
早い話が、今やるべきことをしっかりやってれば、過去や未来に囚われないということだが、その「今やるべきこと」がなかなか出来なかったり、そもそも、今何をやるべきかが分からないという人もいる。
道元という鎌倉時代の偉い禅僧は、「まあ座れ」と言い、平安・鎌倉時代の僧、法然は、「念仏を唱えよ」と言ったが、社員がそんな呑気なことを言い出したら、経営者は困る(笑)。
かといって、現実の問題解決ってのは、やりたくないことが多いんだよなあ・・・。
まあ、だから、「神様にまかせれば、まるっと解決」なんて言い方をする宗教家が人気が出たりする。
でも、神様は今月の家賃払ってくれないし、確定申告書類作ってくれないし・・・
それで、いろいろ考えたら、つまるところ、お金があって健康なら、大抵の心配はなくなる。
とはいえ、いくらお金があっても、娘が夜遊びしてたら心配だろうが、それはあなたの不徳のせいだ。
そこで、ついに気付く。娘の夜遊びが自分の不徳のせいと言うなら、お金がないのも、健康でないのも、やっぱり不徳のせいなのだ。
では、徳ってのは何だろう?
悪いことをしない、善いことをしろということだ。
ますます、問題の解決に近付いた。つまり、問題の本質は、「本当に善いこと」と「あなたが思い込んでる善いこと」、「本当に悪いこと」と「あなたが思い込んでる悪いこと」が違うから、苦労するのだということだ。
そして、これはもっと単純に出来る。
私は頭が悪いので、単純なことが大好きだ(笑)。
ただし、私より頭が良い人を見たことはないが(笑)。
ついでに言うと、私より頭が悪い人も見たことがない。
つまり、みんな等しく頭が悪いのだ。
「いや、俺は頭が良い」ってのが、一段頭が悪いのは確実であるが(笑)。
で、余計な話になったが、その単純なこととはこうだ。
「悪いことをしなければ、それが善いこと」
だ。
だから、Googleのポリシーは「Don't be evil(邪悪になるな)」なのであり、「Be Goodness(善良であれ)」ではないのだ。
お姉さんのチョコレートを黙って食べるのは、悪ではあるが邪悪とまでは言わない。
私もやったことがある(笑)。
だが、お姉さんがやってもいない悪いことを「やった」と嘘を言うことは邪悪だ。
ここまでは解ると思うが、ここから一気に解らないことを言って恐縮だが、邪悪でなければ、クヨクヨも心配も消える。
そして、邪悪とは、放埓(勝手きまま)ということであり、それは、自分に制約を課していない、つまり、掟がないってことだ。
その掟とは、自分で決めるものであり、他人の掟ではない。
その掟が的外れでない限り、お金や健康の不安はない。
それは間違いないであろう。
歩きタバコや歩きスマホ(注意しながらマップを見るのは別だが)は、悪ではなく邪悪で、そんなことをする者は、心配がなくなることはないだろう。
ちなみに、私の掟は、初音ミクさんを崇める・・・であるが何か?
ところで・・・
『心配事の9割は起こらない』という本があるが・・・いや、もっと起こるよ(笑)。『不安の9割は消せる』って本もあるが・・・消せねーよ(笑)。
『心配事がスッと消える禅の習慣』という本もあるが、やはり、そりゃ現実逃避ってモンでさあ・・・と木枯し紋次郎調になってしまう(笑)。
ところが、イエス様だって、「明日を思い煩うな」と言ったといわれている。
だけど、イエス様は、「心配しても仕方がないことは心配するな」とは言ったが、心配すべきことまで心配するなとは言ってない。
ところで、過去の悪いことを気に病むことを、あまり聞き慣れないかもしれないが、「持ち越し苦労」って言うらしい。
しかし、イメージし難い言葉だ。
そこで、「取り越し苦労」「持ち越し苦労」について、もっと簡単な言葉を使えば、
過去の悪い事を気に病む → クヨクヨする
未来の悪い事を心配する → 心配する
で、これらを過剰にやらないことを、「クヨクヨするな」「心配するな」と言う。
「心配するな」の代わりに、「なんとかなるさ」という言い方の方が感じが良いかもしれない。
「大丈夫」は、両方に有効と思う。
過去の失敗に関しては、「どのみち、時間は巻き戻せない」と言うしかない。
未来の不安に対しては、「後は野となれ山となれ」という豪快な人もいる。
早い話が、今やるべきことをしっかりやってれば、過去や未来に囚われないということだが、その「今やるべきこと」がなかなか出来なかったり、そもそも、今何をやるべきかが分からないという人もいる。
道元という鎌倉時代の偉い禅僧は、「まあ座れ」と言い、平安・鎌倉時代の僧、法然は、「念仏を唱えよ」と言ったが、社員がそんな呑気なことを言い出したら、経営者は困る(笑)。
かといって、現実の問題解決ってのは、やりたくないことが多いんだよなあ・・・。
まあ、だから、「神様にまかせれば、まるっと解決」なんて言い方をする宗教家が人気が出たりする。
でも、神様は今月の家賃払ってくれないし、確定申告書類作ってくれないし・・・
それで、いろいろ考えたら、つまるところ、お金があって健康なら、大抵の心配はなくなる。
とはいえ、いくらお金があっても、娘が夜遊びしてたら心配だろうが、それはあなたの不徳のせいだ。
そこで、ついに気付く。娘の夜遊びが自分の不徳のせいと言うなら、お金がないのも、健康でないのも、やっぱり不徳のせいなのだ。
では、徳ってのは何だろう?
悪いことをしない、善いことをしろということだ。
ますます、問題の解決に近付いた。つまり、問題の本質は、「本当に善いこと」と「あなたが思い込んでる善いこと」、「本当に悪いこと」と「あなたが思い込んでる悪いこと」が違うから、苦労するのだということだ。
そして、これはもっと単純に出来る。
私は頭が悪いので、単純なことが大好きだ(笑)。
ただし、私より頭が良い人を見たことはないが(笑)。
ついでに言うと、私より頭が悪い人も見たことがない。
つまり、みんな等しく頭が悪いのだ。
「いや、俺は頭が良い」ってのが、一段頭が悪いのは確実であるが(笑)。
で、余計な話になったが、その単純なこととはこうだ。
「悪いことをしなければ、それが善いこと」
だ。
だから、Googleのポリシーは「Don't be evil(邪悪になるな)」なのであり、「Be Goodness(善良であれ)」ではないのだ。
お姉さんのチョコレートを黙って食べるのは、悪ではあるが邪悪とまでは言わない。
私もやったことがある(笑)。
だが、お姉さんがやってもいない悪いことを「やった」と嘘を言うことは邪悪だ。
ここまでは解ると思うが、ここから一気に解らないことを言って恐縮だが、邪悪でなければ、クヨクヨも心配も消える。
そして、邪悪とは、放埓(勝手きまま)ということであり、それは、自分に制約を課していない、つまり、掟がないってことだ。
その掟とは、自分で決めるものであり、他人の掟ではない。
その掟が的外れでない限り、お金や健康の不安はない。
それは間違いないであろう。
歩きタバコや歩きスマホ(注意しながらマップを見るのは別だが)は、悪ではなく邪悪で、そんなことをする者は、心配がなくなることはないだろう。
ちなみに、私の掟は、初音ミクさんを崇める・・・であるが何か?
ブログオーナーKayのAI書が、5月11日に発売されます。 ところで、元々、紙の本はモノクロ2色摺ですが、電子版はカラーになるようです。最近決まったようです。 最後のコラムで、初音ミクさんについて引用することで、AIの意義を説明しようと試みました。読んでただければ幸いです(クリプトン・フューチャー・メディア様に許可は取りました)。 |