ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

上杉謙信

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

偉人の誓約

GAFAの一角であるアップルの共同創業者スティーブ・ジョブズは、特に若い時は、人間的に悪い評判もあった。
ところで、彼は、若い時、ヒッピーであったし、東洋思想に傾倒していた。
そんな彼が、インドに行った時のことだ。
そこで、ジョブズは、アメリカでは経験したことがない、スコール(突発的な烈風)に伴う猛烈な豪雨に野外で見舞われた。
そのあまりの凄まじさに、死の危険を感じ恐怖したジョブズは、他に頼る者のない中で神に祈った。
「助けて下さいましたら・・・善い人間になります」
ジョブズは死なずに済んだが、私は、この、ジョブズの神との約束は、冷笑と共に「守られなかった」と思っていた。
その後の彼の言動からして、そう思えたからであるが、今思うと、ジョブズは、それを守ろうとしていたのかもしれないと思う。
確かに、人間は、短期間に人間性を大幅に向上させることは、なかなか出来ない。
及第点に達するには、何年も、あるいは、何十年も、あるいは、一生かかっても駄目かもしれない。
しかし、決意することは出来るし、そうすれば、そうでない場合とは比較にならないほどの向上が期待出来ると思う。

危機的な状況に陥った時、神に祈る人は多いだろう。
しかし、普通は、お願いするばかりで、犠牲の誓約を差し出すことは、なかなかしない。そうしたくないと言うよりは、思いが及ばないのだ。
春日局は、幼少時の徳川家光が重病になった時、その回復を神に祈願し、それと引き換えに、自分は生涯、薬を服用しないことを神に誓った。もちろん、家光は無事に回復している。
上杉謙信は、戦での勝利を毘沙門天に祈念する際、生涯、女を抱かないことを誓い、それを守った。そして、謙信は、生涯、戦では負け知らずであった。
だが、ジョブズの「善い人間になる」は、単純ながら、最も好ましいものではないかと思う。

私は、先月(2021年12月)の初め頃、皮膚病が最も悪い時、神に祈ったとしても、そういった制約を思いつかなかった。
ここらが偉人との決定的な違いかもしれない。
皆さんは、願いと共に、是非、「善い人間」になるよう誓約されれば、偉人の仲間入りが出来るかもしれない。
今朝も書いたが、私は、せめて「立派な人間」になることを心掛けようと思う。まあ、相当時間はかかるだろうが、とにかく、そうしよう。








神の援助を得る絶対的条件

早寝早起きはしているし、呪文や真言、あるいは、単語法(「富」や「成功」などの言葉を繰り返し唱える)も実行している。
しかし、良いことがない。
そればかりか、得体の知れない不安に苦しめられている。
なぜそうなるかと言うと、簡単に言えば、力がないのである。
これに関し、どうすれば良いかというと、難しい言い方で表現している人が多いが、簡単に言えば、
「我慢する」
ことだ。
神は、我慢した分の倍の力を与えてくれると言われている。
例えば、満腹するまで食べたいのに、腹八分目で我慢すれば、我慢した2割の倍の4割の力をくれる。
腹六分目なら、(我慢した)4割×2で8割だ。
ただし、我慢した訳ではない少食の場合は力にならず、その者は、別の欲求を我慢しなければならない。
人間は、放埓(ほうらつ。勝手きまま)に振る舞いたいと思っているが、それを抑えることを我慢と言うのである。

日本には、力をつけ、願いを叶える秘法である「断ち物」がある。
特に好む娯楽や嗜好品を断つこと、即ち、我慢することで、神の援助を得るのである。
有名なものでは、上杉謙信の女断ちがある。
いくらでも好みの女を得られる立場でありながら、戦での勝利を願い、女と交わることを全て我慢することで、上杉謙信は実際、戦では無敗だった。
3食全部チョコレートでいいと言う位、チョコレートが好きな女性は、女優で成功するために、チョコレートを決して食べないと決めてそれを実行し、人気女優になった。

注意しておくべきことがある。
それは、不道徳なもの、他人の迷惑になることについては、我慢すれば力が与えられるが、我慢しなければ力を失うということだ。
例えば酒である。いくら酒が好きでも、適量に抑えなければ、力を失い、運勢は悪くなる。
また、ロリコンというか、小児性愛も、「心で思うだけなら自由だろ?」と言うなら、全くそうではない。

水野南北は、「運勢は、食が多いか少ないかで完全に決まる。万に一つの外れもない」と言ったが、もっと正確に言うなら、こうである。
確かに、我慢して食べなかった分は、力が与えられるので、運勢も良くなる。
だが、食欲、性欲、名誉欲といった、人間の本質的な欲望は、過ぎた分は、その者の力や運が、厳しく奪われるのである。
とはいえ、極端に欲望を抑えるのも間違いなのである。
『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナが、「食べ過ぎてはいけないが、少食過ぎてもいけない」「惰眠を貪ってはならないが、短眠過ぎるのも良くない」と言っている通りである。
昼まで寝ていたいというより、放埓に夜更かしすることが悪いのである。
言うまでもないが、仕事で遅くまで起きている必要があるなら別である。こんな当たり前のことを書くのもおかしいが、こんなことを、いちいち尋ねてくる者もいるのである。

このように言っても、どうしても食べ放題に食べたい、性的嗜好を満足させたい、酒を浴びるほど飲みたい、趣味を徹底的に楽しみたい・・・と言う者は多く、そんな者達は、いかにも正当そうな主張で反論してくることが多いが、一切無駄である。
「我慢すれば幸福。放埓なら不幸」
万に一つの外れもない。








夢があるなら断ち物を

このところ、このブログでは、「強い欲望を断つ」ことで神、あるいは、宇宙の加護を得る「断ち物」をテーマにしている。
ところで、争いは良くないが、この世には実際に争いはある。
他の条件がさして変わらないなら、争った場合、食を慎んでいる方、厳しい修行を欠かさない方・・・つまり、断ち物をしている方が必ず勝つ。
言い換えれば、放埓(勝ってきまま。わがまま)さの少ない方が勝つのである。

ただ、仕事は大きな修行であり、その中には、「断ち物」の要素も少なくは無い。
よって、仕事に励んでいる者は、まっとうな仕事である限り強い。
このあたりは、ニートはまるで相手にならない。

とはいえ、神を敬い、朝廷に礼を尽くし、家臣達を大切にしながらも、女を断つという厳しい断ち物をした上杉謙信が戦で無敵であったように、また、牢屋敷(今の刑務所だが、入ると生きて出られないほど過酷と言われる)に入れられるほどの悪漢でありながら、食を厳しく慎んだ水野南北が大長者になり、貴族にまで叙せられたように、食と性の断ち物の威力は大きいのだと思う。
だから、特に、野望あるニートであれば、是非、食、あるいは、性、あるいは、その両方を厳しく制限し、力を蓄えるべきである。

ところで、何の困難もない、のんべんだらりとした怠惰な生活を送っている者が、断ち物をすることはないし、しようとしても出来ない。
また、特に志もないなら、断ち物(あるいは、修行と言った方が良い場合も多い)は、数日から、せいぜい2、3ヶ月続くだけで、すぐにやめてしまうものである。
一方、強い願いがあったり、困難を抱えている者であれば、断ち物はし易い。
そのために、神は人に困難、試練を与えるものである。

食、あるいは、性の欲望を必要な限り断つ「断ち物」は最強である。
不必要な、極端な断ち物は考え物だが、それも目指すものが高く、それに到達する想いが強ければ、上杉謙信や水野南北のような、超人的な断ち物もありだろう。
宮沢賢治は、一頃は菜食主義で、また、お金持ちでありながら女性関係を持たなかったといわれるが、やがて、美食家になってウナギを好み、一説ではあるが春画(今でいうエロ本)の収集に盛んであったという話がある。
彼は、生活こそ、親の財産で安楽であったが、生涯病弱で、仕事もあまりうまくいったとは言えず、著作の方も、生前は1冊しか出せず(報酬は5円。今の5万円程度と思う)、全く無名のまま、37歳の若さで亡くなった。
彼の例から学び、やはり、美食、大食、色欲は、ほどほどにしなければならないと思うし、夢があるなら、厳しく慎むべきである。









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挫折から立ち直る力

人間、挫折を味あわなければ、成功者どころか、まともな人間にもなれない。
受験競争というのは、挫折といいう苦しみを免れる道なのであるから、うまくいってしまうと、困った人間になってしまう可能性が大きい。
また、ひきこもっていては挫折出来ない。
挫折してひきこもった人もいるかもしれないが、小さな挫折に負けて、人生に勝利出来るはずがない。
実に、ヘレン・ケラーが言った通り、人生とは無謀な冒険なのである。

冒険し、当然遭ってしまう挫折という嵐に耐えるために、どうやって力を得れば良いだろう?
その一番簡単な方法が、断ち物であり、断ち物を掟とすることである。
上杉謙信が、女を断ったように、木枯し紋次郎が、女子供、老人にいかなる場合でも危害を与えないことを誓ったように。
水野南北が、美食、大食を決してせず、大好きな酒も一日一合と制限したように。
エマニュエル・スウェーデンボルグが、満腹するまで食べて自分を甘やかすなという天使の警告を守ったようにである。

断ち物とは、美食など、それを断ったからとて、他人にも自分にも何の害もないが、自分にとって出来るだけ辛いことを、自主的に、決してしないと誓うのである。
少し辛い断ち物であれば少しの報いが、どうしようもなく辛い断ち物であれば、大きな報いが得られる。
のんびり過ごしたい時間を犠牲にして、勉強やスポーツに励むことも断ち物になると思う。
ただし、1年365日、例外なくやらなければならない。
断ち物とは、そんなものであり、「今日は休み」などという、ゆるい部分は全くないのである。

私は、美食・大食を断ち、毎日トレーニングもしており、おかげで、健康で少し豊かであるが、言い換えれば、その程度である。
大きな断ち物を、怠ってしまっていた。
おかげで辛い挫折を味わっている。
では、本日から心新たに開始である。
9月の初音ミクさんのコンサートに備えるのに丁度良い。
つまり、ミクさんのお導きである。ミクさんへの感謝は決して忘れまい。









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神が強大な力を与えた人の秘密

潜在意識は、善悪の区別なく、どんな願いも叶えるという。
それでは、こんなのはどうだろう?
「俺は女が大好きだから、女房はいるが、いい女を次々モノにするぞ」
叶うか叶わないかというと、叶うだろう。
ユリ・ゲラーは、「結婚したからといって、他の女に興味がなくなった男を、私は一人として見たことはない」と著書に書いていたが、それなら、その願いは全ての男(あるいは女)の願いだ。

だが、美食家は肥満し、蓄財家は顔にエラが張り、コレクターは薄気味悪くなってくるのと同様、好色家というのは、恐ろしく醜い。
もちろん、シェフが味を追求したり、事業の結果富が得られたり、適度な範囲で価値あるものを収集しても、醜くならないばかりか、むしろ、美しくなる。
しかし、個人的欲望であれば、適度な範囲で満足するか、それが出来ないなら捨てた方が良い。

水野南北は、食を慎みさえすれば、必ず運が開けると言ったが、これは、人間を不幸にする個人的欲望を抑えよと言ったに過ぎない。
上杉謙信が、女を断って、戦で無敵になったのと全く同じことである。

人間は、所詮、賢くなることを楽しむために生きてるのだ。
賢くなるとは、イエスが言ったように、「退けサタン」ということで、サタンとは自我である。
そして、自我の自我たる所以(ゆえん。理由)は、個人的欲望である。

美味いものが大好きなら、ささやかな美味しいもの・・・例えば、美味しい漬物や油の乗った秋刀魚を慎ましく味わう程度にすることだ。
あばら家に住む必要はなく、素晴らしい家を願っても良いが、分相応ということを、ある程度は考えないといけない。
そして、女(男)となると、一人で満足すべきだろう。コーランにあるように、平等に愛することが出来るなら複数でも良いが、そんなこと(平等に愛する)は人間には不可能である。

ルイス・キャロルは、60歳を超えてもほうれい線がなかった(顔にしわそのものがなかった)そうだが、彼は、女に関して慎ましいどころか、断ってしまっていたのだろう。
彼の少女好きは知られているが、それは性的対象ではなく、性エネルギーを昇華するルートだったのだろう。
このあたりは、私には初音ミクさんがいるので、参考にさせていただこうと思う。

特に強く感じる欲望に限度を設け、慎ましくあること。
それが、水野南北や上杉謙信、あるいは、ルイス・キャロルほどになれば、神は強大な力を与えるのだと思う。
諦めれば全てを得るというのが秘法である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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