ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

三浦和良

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

未来の人たちが敬うもの

私は、この原稿を、Gmailを使って書いているのだが、Gmailのエディタは、親切でやってる部分もあるのだろうが、書いている内容を短い間隔で保存するので、それが、稀に大失敗につながる。
以前も、一度だけやったが、今またやってしまった。
間違えて文章を消してしまったら、消えた状態で保存され、その後、僅かでも操作をしたら、「Ctrl + Z」キーを押しても、その「僅かの操作」の前まで戻るだけで、コピーしていない限り、文章は戻らない。

坂本龍一さんと三浦和良さんのKIRINのCMを絡めた、初音ミクさんの良い話が書けたと思ったのだが、全部消してしまった。
まあ、いいっか・・・
49歳で現役Jリーガーを続ける三浦さん、64歳で、突発性難聴や咽頭癌になりながら精力的に音楽活動を続ける坂本さんらは、好きでやっているのでなければ出来ないはずだが、昨日届いた、初音ミクさんの今年のコンサート「マジカルミライ2016」のブルーレイを見て、これは、好きでなければ絶対に作れないと思った・・・だいたい、そんなことを書いたのだが。
ところが、初音ミクさんを生んだクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長さんのように、経営者は好きでないことも、いっぱいやらないといけないのだろうなあと思う。
伊藤さんは、好きな音楽を諦めて経営者をやっている部分もあると思う。
それは、坂本さんや三浦さんのような、特別な天分に恵まれなかったというところもあるし、また、大きな会社を作ろうとしている訳でもなさそうだが、天才や巨大企業経営者達よりも世界を変えてしまった。
坂本さんや三浦さん、あるいは、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズらの名は歴史に残らないし、伊藤さん自身もそうだと思うが、初音ミクさんのことは、未来の人達は、とても重要なものだと言うと思うのだ。
スティーブン・ホーキングは、世界は亀の背中の上だと思っている田舎のおばあさんも、そんなおばあさんを笑う現在の科学的知識を持った人達も、未来の人達から見れば差はないと思うだろうと著書で述べていたが、そんな未来の人達も、ミクさんが生まれて良かったと思うことだろう。
私はそう思うのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

夢は話すべきか、黙すべきか

昔から、私を悩ませたことが、成功した人の中にも、「夢は他人に言うべし」という人と、「夢は黙して他人に言うな」という人がいることだった。
いずれも立派な成功者が、信念と共に、正反対のことを言うのだから、聴いてて困る。
そりゃ、「他人は他人、自分は自分。どんな成功者の言うことも自分に合うとは限らず、自分のことは自分で決めろ」というのが正しいのだが、彼らの意見がかくもはっきりと分かれるのは無視し難いし、興味深くもあるだろう。
サッカーの三浦知良さんは、「夢はどんどん他人に言え」の方で、彼の明るい性格にもよく合っていると思うが、彼がそう思う理由の1つに、「他人に言えば、協力してもらえる」というのがある。
確かに、彼のような人気者なら、その通りかもしれない。また、可愛い女の子の場合でも、夢を話せば、「どんな理由にしろ」、話を聴いてくれて、協力したがる人もいるかもしれない。
だけど、普通は、誰も、他人の夢などに、さしたる関心はないし、まして、協力までしてくれるのは、せいぜいが親か、前世で親であったのかと思えるような献身的な友人までだ。
竹村健一さんも、夢を沢山の人に言うことを勧めておられたが、彼の場合は、「言ったら、やらざるをえなくなるから」という、現実的な理由のためで、その自覚があり、しかも、積極的な性格の持ち主の場合は、確かにそうするのが良いかもしれない。
しかし、普通は、夢を話すのは、あくまで、他人の肯定的な反応や協力を期待するのであり、自分の行動のモチベーションを上げるためではないはずだ。

一方、ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』には、はっきりと、夢(目標)は、決して他人に言ってはならないと書かれている。
言わないことで、エネルギーが高まるのだと言う。
何度も納税額で日本一になった大事業家の斉藤一人さんは、この本の愛読者であるらしく、この本の内容を丸々引用しておられたこともあったが、当然、夢は他人に言わない派である。
さて、夢を他人に言う、言わない・・・本当はどちらが良いのだろう?

結局、こういうことなのだと思う。
他人に言うのは、夢そのものではなく、自己主張であるべきなのだ。
竹村健一さんタイプのように「言ったからにはやらねばならない」という人は、夢そのものを「話す」。
しかし、三浦和良さんタイプの人は、夢そのものを「話す」より、夢を「語っている」ものなのだ。
これはどういう意味だろう?
例えば、三浦さんがサッカーのワールドカップに出場したいということに関して、「俺の夢はワールドカップに出ること」などとは言わず、サッカーとは何か、ワールドカップとは何か、それに自分が出るとはどういう意味を持つのかという「ストーリー」を「語っている」はずなのだ。
また、斉藤一人さんは、夢自体は話さなくても、「想いを語る」自己主張の人であることは、彼の膨大な著書の数を見れば分かると思う。

こういったことについて思い出すのは、ちょっと古い話だが、プロレスのジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんだ。
猪木さんは、夢を激しく語る人だ。
猪木さんは自己主張の人なのだ。
プロレスはこうあるべき、プロレスラーはこうあるべきというロマンを熱く「語る」のである。
だが、馬場さんは黙して語らない。
しかし馬場さんは信念の人だった。
馬場さんは、著書で、「俺が社長を務める全日本プロレスは、ごく最近までずっと赤字で苦しかったが、選手へのギャラ支払いの遅延を起こしたことは一度もない。それが俺の自慢だ」と述べておられた。
そして、馬場さんは、自分が若手の頃、アメリカで右も左も分からず苦労していた時に面倒を見てくれた外国人レスラーへの恩を生涯忘れず、彼らが年を取っても定期的に日本に呼んで、高いギャラを払い続けた。
また、プロレスで一番大切なことはファンを喜ばせることであることを、彼が最も崇拝したプロレスラーであるバディ・ロジャースから学び実践した。
これらを見ると、馬場さんは、明らかに、強い信念の人だったことが分かる。
しかし、馬場さんは、信念はあっても、自己主張はしない人だった。
では、馬場さんと猪木さんのどちらが良いのだろう。
馬場さんは素晴らしい人格を感じさせるが、目指すべきは猪木さんの方なのだ。
馬場さんだって、もっと自己主張すべきだった。
そうであれば、63歳の若さで亡くなるということもなかったかもしれない。
では、なぜ、馬場さんは自己主張をしなかったのだろう?
それは、こういう訳があるに違いない。
猪木さんは、公称の身長は191センチで、実際は188センチらしく、確かに今でも大男で、特に、彼が若い頃には、並外れていたと思うが、それでも、「ただの大男」で、それはメリットになることが多かったはずだ。
しかし、公称209センチで、実際もそれに近い馬場さんの場合は、その巨体が圧倒的なメリットになったのはプロレスラーになってからであり、特に非常に若かった頃は、その馬鹿でかい身体は、彼に深刻な劣等感を感じさせる忌まわしいものでしかなかった(彼の巨体は一種の病気であった)。
そんな馬場さんが、自己主張をしない性格になったのは容易に想像できる。
だが、それを乗り越えた馬場さんは、最大のライバルであり親友だったブルーノ・サンマルチノが、馬場さんの告別式で、「君は身体だけでなく、心もジャイアントだった」と言った通り、深い人間性に根ざした大きく強い信念の持ち主になった。
日本プロレスが放漫経営で破綻した時、馬場さんは、1人アメリカに行けば莫大なギャラを約束されていたのに、力道山の時から世話になっている日本テレビへの恩や、他のレスラー達の行く末を考え、あえて、困難が多いだけで何の得にもならない団体経営者の道を選び、全日本プロレスを創業し、社長になったのだ。
無論、馬場さんは歴史に残る大成功者ではあるが、彼のスケールは、もっともっと大きかったはずというのは、関係者達も指摘している。
それが、彼は信念の人ではあったが、自己主張をしない人だったためであると思われるのだ。
一方、元々の器でいえば、さして大きいとは思えなかったアントニオ猪木さんがビッグになったのは、馬場さんに対抗する意味もあったのだろうが、自己主張の人だったからだと思うのである。

語るのは、夢ではなく、自己主張であることを忘れてはならない。
そうすれば、我々は限りなく大きくなれるのである。
自己主張は、我欲でも妄想でもない。
何度か述べたが、岡本太郎が、「いやしくも芸術家なら、世の中に対して言いたいことがあるはず」と言った、その「言いたいこと」なのだ。
そして、真の人間とは皆、芸術家であり、我々も、自己主張する芸術家になった時に、本当の人生が始まるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

運とはタイミングだ

幸運や成功はタイミングであると気付き、タイミングの能力を磨くなら、あなたはいかなる目標でも楽々と達成できる。
仕事で成功して出世したり金持ちになれるのも、タイミングを掴めるかどうかで決まる。
タイミングの良い者は、いつでもスムーズに成功するが、タイミングの悪いやつは知識や技術があっても駄目である。
成功するとかでなくても、いつでも安楽でいい思いをするのも、タイミングの魔術によるのである。
スポーツ観戦なんてのは、超一流選手のタイミングの秘訣を学ぶために行うべきで、大騒ぎして楽しむために見るのは愚かである。ただし、最高の選手のタイミングの秘訣を探求することは、この上なく面白いので、その点では楽しんで良い。
イチローなんて選手はタイミングの天才だ。そして、バリー・ボンズやサミー・ソーサといった選手は、肉体が超人的であった上に最高のタイミングを掴む秘訣を知っていたので、奇跡的なほどホームランを打てたのだ。彼らが薬物を使っていたかどうかは知らないが、そんなものを使わなくても、タイミングを磨くことに徹すれば良かったのだ。

スポーツ選手のスランプなんて、実は謎で、うまく説明できないものだ。しかし、スランプの原因が、タイミングを掴むことが下手になった時だと分かると、スランプの理由が明確になるし、スランプからの脱出ができる。
イチローがかつてほどの選手でなくなった原因に動体視力の衰えを挙げる人がよくいるが、イチローは今でもタイミングの良い時は、かつてと全く変わらない。つまり、動体視力は関係ない。ただ、タイミングを逃すことが多くなったのだ。
私は、サッカーのカズこと、三浦知良さんは、ある時期からタイミングの悪い選手になったと思う。彼には、「サッカー選手は90分走り回れて一人前」という信念というか美学があるようだが、海外で、30代後半にもなってワールドカップに出てくるような強豪国のFWなんて、冗談みたいに走らない選手もいる。そんな選手のタイミングの取り方は凄い。カズさんほどの技術と経験があれば、「終了10分前の秘密兵器」に徹するなら、今でも彼はワールドカップでの重要選手だと思うが、なまじフィジカルが凄い彼が、そんなふうになることはないだろう。

プロレスってスポーツは、実はタイミングのうまさを見るスポーツなのに、それを理解しないから、ショーだとか八百長だと言われるのだ(ショーの要素はあるのだが)。
私が特に心酔するタイミングの達人は、「マットの魔術師」と呼ばれた元世界チャンピオンのパット・オコーナーという選手で、今でもDVDで見ることができると思う。
オコーナーを見て、なぜ強いのか分からない人が多いと思う。
身体は大きくないし、色白で、マッチョでもなく、下手したら普通の人の身体のように見える。
それで解説者の、「よく見たら、素晴らしい筋肉をしてますよ」とか言った馬鹿な解説に納得してしまう人が多いのだ。
もちろん、オコーナーはフォジカルも素晴らしいが、それは、プロレスラーの標準から傑出していた訳ではない。
オコーナーの良さに最も気付いていたのは、ジャイアント馬場さんだった。馬場さんもまた、タイミングの王者だった。
昔、力道山が小兵の強豪を日本に呼ばなくなった原因になったレスラーに、サミー・マイヤースという、ジュニア・ヘビー級の元世界王者がいた。
小柄で強そうでないので、力道山はちょっとなめていたのだが、元世界王者ということで、力道山のインターナショナル・ヘビー級タイトルに挑戦させた。しかし、これが恐ろしく強く、力道山も引き分けに持ち込むのがやっとで、力道山は小型レスラーへの苦手意識を持つようになってしまった。力道山が大型レスラーとの対戦を好んだこと自体はよく知られているが、見栄えが良いという以外にも、そんな理由があったのだ。
ただ、サミー・マイヤースは肉体も凄かったのである。しかし、案外にそれが、彼が長期間に渡って世界王者でいられなかった原因かもしれないのだ。
このサミー・マイヤースとパット・オコーナーがよく似たスタイルの選手で、得意技も共に、ローリング・クラッチホールド(回転エビ固め)だった。
だが、馬場さんは、マイヤースのローリング・クラッチホールドも素晴らしいが、パット・オコーナーは明らかに一枚上手で、これが、マイヤースとオコーナーの差なのだと言っていた。それを、馬場さんは、「オコーナーの方が0.1秒速い」と表現していたが、要するにタイミングの取り方の上手さの差である。
今のプロレスは、本質ではタイミングが取れる選手がやはり強いのだが、肉体重視、パフォーマンス重視で、それが分からなくなってしまった。プロレスの人気がなくなってしまったのは、そこにも原因があるのだ。
昔は、観客は、本能的に、この危険なスポーツの中の、タイミングの駆け引きを楽しんでいたのだ。

無論、誰でもタイミングを磨けば一流のスポーツ選手になれるというのではない。
しかし、野球にしろ、サッカーにしろ、超一流選手自身は、自分と2流選手の違いを、それほど明確に説明できないものなのだ。
時にはそれがもどかしく、それが原因で、イチローは天才と言われるのを嫌うのだ。彼は実際、自分のどの部分も天才とは思えないはずだ。
そして、野球選手で、プロに入団できるほどの人なら、タイミングを磨く方法が分かれば一流になれるのである。
長嶋一茂さんが昔、「パワーでは松井君や清原君に負けているとは思わないが、なぜか試合では球が前に飛ばないんですね」と言っていたのが印象的だ。彼はタイミングが駄目だったのだ。
そして、超一流選手を見ると、タイミングを引き込む儀式というものを必ず持っている。平凡な選手は持っていない。カズさんは、昔は持っていたかもしれないが、彼は哲学的な理由で排除してしまったのではないかと思う。
超一流ほどジンクスを重要視しているのを御存知だろうか?
スポーツ選手に限らず、一流経営者がジンクスにこだわるのは、ほとんどオカルティストのレベルだが、だからこそ、彼らの経営はタイミングを逃さず、安泰で収益も大きい。もっとも、経営での成功は、ジンクスと共に、社会への利益還元の心がけが必要なのであり、一度雇った社員の生活を保障するという信念に欠けていれば、長期に渡って成功できないのだ。
超一流のスポーツ選手は、決まったアクセサリーを身に付け、決まったタイミングで決まったポーズを取る。これはもう宗教的儀式と変わらない。
アクセサリーやポーズを変えたり、アクセサリーが似合っていなかったり、また、ポーズがサマにならないような選手に一流は決していない。
あなたも、毎日必ず行う特別なものを持っていなければならない。
勝負の時には、必ず行う儀式のようなものがなければならない。
こういったことを理解すれば、やがてあなたも一流の仲間入りである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード