ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

七田眞

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

最強アファーメーションの改良バージョン

何度か、非常に効果のあるアファーメーション「神様の奇跡が起こる」をご紹介した。
これは、世界的教育学者(教育学博士)である七田眞氏の『奇跡の超「右脳」開運法』の中に書かれているものだ。
あるホームレスの男が、このアファーメーションを2週間ほど熱心に唱えていたら、この男は1憶円の宝くじを当て、そして、ローマ法王に謁見し、さらに唱え続けたら、再度1憶円が当たるという奇跡を体験したが、七田氏は、この話が実話であることを断言している。
しかし、人によっては・・・というか、ほとんどの場合、もっと早い効果をもたらすバージョンがある。
それは、
「ここは神様の奇跡が起こる世界だ」
である。
なぜ、こちらがより良いかというと、「神様の奇跡が起こる」では、まだどこか、自分の力で神様の奇跡を呼んでいるようなところがあるのか、頑張って唱えてしまうからだ。
しかし、「ここは神様の奇跡が起こる世界だ」なら、自分など全く関係のない、完全な他力であることが明確だ。
神様、あるいは、潜在意識の力の発揮には、エゴは妨げでしかないのである。

我々は、望めば好きな世界に居ることが出来る。
これについては、筒井康隆氏の『果てしなき多元宇宙』(角川文庫『時をかける少女』に収録)を読むと、感じがつかめると思う。
だが、実際は、好きな世界に行くのではなく、そう思った時には、すでに、その世界に居るのである。
例えば、「モテる世界」「お金がどんどん入ってくる世界」などだ。
なるべく穏やかに、静かに、落ち着いて、「ここは俺がモテる世界だ」「ここはどんどんお金が入ってくる世界だ」と心で唱えると良いだろう。
そして、思い出す度、静かに、「ここは私がモテる世界だ」と思うと良いだろう。
息を細く、ゆっくり吐きながら唱えると、さらに効果が高まると思う。








宝具としての言葉

コンピューターゲームでは、「アイテム」というものを集めることで強くなり、ゲームを有利に進めることが出来る。
ゲームで言う「アイテム」は普通の英語の意味と異なり、「役に立つ道具」「武器」「魔法具」などの意味で使われる。
人生も、ある意味、ゲームと全く同じで、どんなアイテムを持つかで大きく変わる。
人生におけるアイテムは、「特技」「地位」「貴重な物」等だが、実は、最も重要なアイテムは「言葉」であると思う。
ただし、名言集を読んで得られるようなものではなく、その言葉は絶妙なタイミングでやって来る。

ゲーム感覚も込められているのだと思うが、『灼眼のシャナ』という大ヒット小説(いわゆるライトノベル)と、それを原作とするアニメでは、「アイテム」は「宝具(ほうぐ)」と呼ばれ、非常に沢山登場する。
私は「宝具」という言い方が好きなので、以下「宝具」に統一する。

『灼眼のシャナ』の中で、主人公の1人である、高校1年生男子、坂井悠二は、素晴らしい宝具を次々得るが、彼は、何の努力もなくそれらを得ている。
最初の、最高級の宝具は、宝具の方から彼の中に飛び込んで来た。
次の防御の宝具は、たまたま目の前に転がって来た。
魔力を持つ凄い剣は、回り回った後、彼がちゃっかり得ている。
もう1人、宝具を次々得た少女がいる。
坂井悠二の同級生の、吉田一美という、小説の表現では「かなり可愛い部類に入る」が控え目な少女だ。
彼女は、自分から頼んだことはないのに、大物達が、次々に彼女に宝具をくれる。
まず、異世界の超人に、「この世の真の姿を見る」宝具をもらい、その超人が去り際に、また別の宝具をくれる。
さらに、やはり、異世界の超人である美女が、不意に一美に宝具を与える。
悠二と一美には、明らかな共通点がある。
一言で言えば、2人とも、途方もなく優しく、誠実で思いやりがあり、また、正義感が強く、道理を重んじる、やや、クラシックな若者であると言える。
そして、小説だろうが、アニメだろうが、実人生であろうが、こういった美点が宝具を得る条件なのだと思う。

実は、私も沢山の宝具を得ている。
私の場合は、瞬間的に、悠二や一美のようになった時に得たのである(笑)。
私の宝具のほとんどは言葉である。
多くは、本に書かれていたものであるが、それをただ読んだのではない。
著者の神人と偶然に何度も会う機会を得て、直接、意味を聞いたことがある。
また、別の著者の科学者とは、ネットで対話し、いろいろな協力もしたことから、その科学者が本に書かれていた言葉が私の宝具になったのである。
宇宙人チャネラーの芸術家から、直接教わった言葉もある。
このブログでもよくご紹介している「神様の奇跡が起こる」という言葉も強力な宝具だと思うが、これはネットでも見るし、元々が、教育学者の七田眞氏の本に書かれているものだ。
しかし、私は七田氏の高弟と親しかったので(その人は若くして亡くなった)、その言葉も印象的だったのだ。
考えてみれば、私ほどツイてる人間はそうはいないが、今のところ、せっかく得た宝具を十分に生かしているとは言い難い。
斎藤一人さんというビッグビジネスマンは多くの言葉を本や講演で教えているが、ツイてる私から見ても、彼の言葉も優れた宝具で、私も利用している。








驚くべきチャクラの力

いかなる奇跡も、願望の成就も、幸運な偶然も、引き寄せも、チャクラ(人体にある霊的中枢。7つある)の力によらないものはない。
普通の人に出来るチャクラ覚醒法は、私が知る範囲では、腕振り運動をしながら、チャクラに意識を向けることだけであると思う。
瞑想や呼吸法でチャクラを活性化することは、おそらく、普通の人には極めて難しい。

このブログで、何度、紹介したかもしれないが、七田眞氏の著書『奇跡の超「右脳」開運法』に書かれた、この世界的教育学者が「正真正銘の実話」という、こんな話がある。
あるホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えていたら、2週間ほどした時、頭に数字が浮かんだので、その通りに宝くじを買うと1憶円当たり、ローマ法王に謁見する機会にも恵まれた。
そして、さらに、「神様の奇跡が起こる」と唱えると、また、1憶円当たった。
このホームレスの男性は、「神様の奇跡が起こる」と唱えているうちに、胸のチャクラ(ハート・チャクラ、アナハタ・チャクラ)が活性化したのだろう。
ハート・チャクラは、宇宙の声を伝える。これは、一般には直観と言うだろう。
この男性は、神様を信じていたので、「神様の奇跡が起こる」と唱えている間に、胸に意識が集中し、それを続けることで、胸(あるいは心臓)にあるハート・チャクラが活性化したのだと私は思う。

また、昔のこんな話がある。
インドの話だ。
悟りを求める修行僧達が瞑想していたが、ここでの瞑想のやり方は、眉間に矢が刺さっているようイメージしながら瞑想するのである。
眉間には、「第三の目」と言われるブラウ・チャクラ(アジナ・チャクラ)があり、予知や透視の力がある。
すると、ある日、修行僧達が瞑想していると、矢が飛んできて、一人の修行僧の額に命中した。
第三の目に予知能力があると言っても、未来に起こることを作るのは人間の心である。
つまり、修行が進み、ブラウ・チャクラが活性化した僧の額に、イメージ通りに矢が刺さったのである。
荒唐無稽な話と思うかもしれないが、似た話が、「心身医学の父」と言われる著名なドイツ人医師、ゲオルグ・グロデックの論文にある。
戦争中、ある兵士が仲間の兵士に、自分の膝を指さしながら、こう言った。
「ここに弾が飛んできて当たれば、故郷に帰れるのになあ」
すると、本当に弾が飛んできて、まさに、その膝に当たり、この兵士は故郷に帰還した。
グロデックは、これが、エスという、心の中の不可思議なエネルギーの力であると述べる。
しかし、エスがこのように働くためには、チャクラの活性化が必要で、この兵士も、何らかの理由で額のチャクラが活性化していたのだろう。

瞑想でチャクラを活性化させることは、やはり難しい。
なぜなら、そんな、じっと座ってやる方法では、退屈だし、血行も悪くなって、心身ともに不快になり、長続きするはずがないからだ。
しかし、腕振り運動をしながら、活性化させたいチャクラに意識を向けることなら、少し根気があれば、毎日、ある程度の時間、行うことが出来るだろう。

例えば、若く美しくいたいなら、喉のチャクラであるスロウト・チャクラ(ビスダ・チャクラ)に意識を向けながら、腕振り運動をすると良いだろう。
作家になりたいなら、『チャタレイ夫人の恋人』で知られる、D.H.ロレンス同様、太陽神経曹である、胃の後ろにあるネェベル・チャクラ(マニピュラ・チャクラ)を活性化すると良いだろう。
事業で成功する人は、やはり、ハート・チャクラが活性化し、直観の冴えた人が多いと思う。








「神様の奇跡が起こる」と同じだがシンプルな言葉

人間は、苦労しないと分からないこと、辛い目に遭わないと分からないことが沢山ある。
そして、どんな辛い経験も、過ぎてしまえば良い思い出である場合が多い。
もし、昔の出来事の記憶が今も自分を苦しめるなら、それはかなり、業の深い原因から来ており、その問題にはまだ決着がついていないと見るべきかもしれない。

今、とても苦しい状況にあっても、神仏に救いを求めれば必ず救われるが、1時間で救われるとか、一晩で救われるとは限らない。
普段、何らかの行をしている者は、簡単に問題が消えてしまうことが多いが、行を怠り勝ちだったりすると、結構、長く苦しむことがある。
不治の病など、生涯続く苦しみを持つというのは宿命であるが、それによって鍛えられた精神の力は、他の誰にもない貴重な宝である。

江戸時代、ある武士がハンセン病(以前は、らい病と呼ばれた感染症。皮膚に症状が現れる。昔は難病だったが現在は治り易い)にかかった。
当時は、ほとんど良い治療法がなかったが、高名な神道家の黒住宗忠は、その武士に、1日百回「ありがたい」と言うよう指示した。
それをやってみたが、武士に回復の兆しはない。
そこで、宗忠は、「では、千回唱えなさい」と言い、武士は従ったが、それでも良くならない。
すると、宗忠は、「では、一万回」と言う。
普通なら、怒り出すかもしれないが、武士も必死であるし、修行の出来ていた武士だったのかもしれない。宗忠の指示に従った。
すると、一週間後、武士は激しく吐血し、意識を失ったが、目が覚めた時には治っていたという。

現在でも「ありがとう」と言えば奇跡が起こると言う人は少なくないが、それなら、余計な講釈を聞かず、ただ、「ありがとう」と言えば良い。
と言っておいて、少し講釈する。いや、ほんの少しだ(笑)。
「ありがとう」というのは、誰かに対する感謝だ。
一方、「ありがたい」は「有り難い」で、非常に珍しいこと、つまり、奇跡を示す。もちろん、感謝の意味もあるので、「ありがたい」は本来、感謝すべき、ありがたい奇跡なのである。
「神様の奇跡が起こる」と言うのと、「ありがたい」は同じである。
このブログの定番のエピソードであるが、あるホームレスの男が、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱えたていたら、2週間ほどで、宝くじで一億円が当たり、次に、ローマ法王と謁見し、さらに、唱えることを続けていたら、また一億円当たった。これは、著名な教育学者、七田眞氏が保証する事実である。
だから、あなたも、本当に困っていたり、厳しい状況にある時、あるいは、一見、平安だが、不安を抱えているような時は、「ありがたい」か「神様の奇跡が起こる」と、なるべく多く唱えると良い。
これは、非常に、日本人向きだと思う。








身につまされる話

強い願いであれば、必ず叶う。
願いが叶わないのは、願いが強くないからだ。
ところが、強く、強く願ったのに実現しないことが実際にはある。
一方で、それほど望んではいないのに、実現してしまうことがある。

そういうのを見て、「神様は気紛れだ」とか、「この世界は神様の暇つぶしの世界だ」などと言う者もいる。
だが、これらに折り合いを付けられることが賢くなることだ。
「分相応」を受け入れることが、大人になることだと言うわけだ。

これに関して、3つの興味深い話がある。

1つは、ジョセフ・マーフィーの『人生に奇跡をおこす』に書かれてあったものだ。
ある若い女性が、女優になるという夢を持っていた。
私やあなたのような人かもしれない(笑)。
マーフィーの潜在意識による成功法則からいえば、いかなることも可能であるのだから、マーフィーは、その女性に、女優になる夢を叶えるテクニックを教えるのだと思うかもしれない。
しかし、マーフィーは、その女性に、「子供の夢からは卒業しなさい」と言ったのだ。
結局は、その女性は、マーフィーの指導に従い、事務の勉強をして就職し、就職した会社の社長と幸せな結婚をした。
この話に納得しない向きもあろう。
だが、こんな話もある。
1972年のミュンヘンオリンピック競泳で、史上最多の7つの金メダルを取ったマーク・スピッツというアメリカ人選手がいた。
2008年の北京オリンピックで、マイケル・フェルプスが8つの金メダルを取ったが、1つのオリンピックで7つの世界記録を出した記録では、スピッツとフェルプスが今も1位で並んでいる。
そのスピッツが、40歳を過ぎて現役復帰して、オリンピック再出場を狙ったことがあった。
スピッツは、全くの本気だった。
もちろん、実現はしなかった。
マーク・スピッツともあろう者が、なぜかそんな「子供の夢」を持ってしまったのだ。
彼らの失敗から、何かを悟らなくてはならない。

2つ目は、有名なアメリカのSFテレビドラマ『スター・トレック』からだ。
バルカン星人スポックは、ある男と、1人の女性を巡って決闘をすることになる。
冷静で極めて知的なスポックがそんなことをするとは意外である。
結果、スポックは破れるが、勝った男にこう言う。
「忘れるな。どれほど願ったものであっても、手に入れてしまえば、さほどでもない」
スポックは、誰かにこれを教えるために決闘をし、そして、負けたのだと思う。
あなただって、欲しいと思い続けていたものが手に入ったら、それほど嬉しくない・・・あるいは、嬉しさが続かないという経験はあると思う。
そして、スポックの言葉が本当であることは理解出来ると思う。
そんなものを求める意味があったのだろうか?

3つ目は、徳川家康の話だ。
ある人が、家康に、
「天下取りの秘訣は何ですか?」
と尋ねた。随分、大胆な質問で、そんな質問が出来るからには、それなりに家康に近しい者だろうし、それは、家康の小姓(身辺の世話をする武士の少年)であったかもしれない。
すると、家康は、
「長い方と短い方、どちからが良いか?」
と言うので、質問者は、
「両方、お願いします」
と請うた。
そうしたら、家康は、こう言ったと言われる。
「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』だ」
一字しか違わないし、ほとんど同じ意味だ。
そして、これは、有名な「デルポイの神託」の第一である「グノーティ・サウトン」つまり、「身の程を知れ」と同じだ。
「グノーティ・サウトン」は、「汝自身を知れ」とも訳されるが、つまるところ、「身の程を知れ」ということと思う。
そして、家康が身の程を知っていたことは、よく知られているのである。

最初の話に戻ると、女優になりたかった女性は、「私は女優だ」と唱え続ければ、女優になれた。
それこそ、寝ても覚めても、心の中で唱え続ければ。
だが、間違いなく、この女性には、そこまでやれなかったのだ。
そして、せいぜいが、週に何度か「私は女優だ」と唱え、それでも、何らかの希望が引き寄せられる程度の効果はあるので、そのまま何十年も経ってしまい、いずれ、「私は女優だ」と唱える変なお婆さんになって人生を終える。
そんな例が、ビートルズの『エリナー・リグビー』という歌に出てくる、王子様を待ち続ける老婆エリナー・リグビーだ。

以上の話から、なぜ、我々が、面白くない、みすぼらしい人生を送ってきたかが分かろうというものだ。
有名な教育学者である七田眞氏の『奇跡の超「右脳」開運法』に出て来た、ホームレスの男は、七田氏の本を読み、
「神様の奇跡が起こる」
と唱え始めた。暇なこともあり、本当に1日中唱えた。
そうしたら、1憶円が当たり、それからも唱えていたら、ローマ法王に謁見出来ることになり、さらに唱え続けたら、また1憶円当たった。
このホームレスは、身の程知らずに、社長になろうとしたり、教祖になろうなどとは思わなかった。
全て神様にまかせたのである。
本当の目標があるわけでなければ(あるいは、あっても)、
「神様の奇跡が起こる」
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
「私は最高の気分だ」
などと唱えるのが良いかもしれない。
そして、何かを唱えることだけは堅持すべきであろう。
コロコロ変えずに。
どれでも同じだから。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード