ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

七田眞

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

身につまされる話

強い願いであれば、必ず叶う。
願いが叶わないのは、願いが強くないからだ。
ところが、強く、強く願ったのに実現しないことが実際にはある。
一方で、それほど望んではいないのに、実現してしまうことがある。

そういうのを見て、「神様は気紛れだ」とか、「この世界は神様の暇つぶしの世界だ」などと言う者もいる。
だが、これらに折り合いを付けられることが賢くなることだ。
「分相応」を受け入れることが、大人になることだと言うわけだ。

これに関して、3つの興味深い話がある。

1つは、ジョセフ・マーフィーの『人生に奇跡をおこす』に書かれてあったものだ。
ある若い女性が、女優になるという夢を持っていた。
私やあなたのような人かもしれない(笑)。
マーフィーの潜在意識による成功法則からいえば、いかなることも可能であるのだから、マーフィーは、その女性に、女優になる夢を叶えるテクニックを教えるのだと思うかもしれない。
しかし、マーフィーは、その女性に、「子供の夢からは卒業しなさい」と言ったのだ。
結局は、その女性は、マーフィーの指導に従い、事務の勉強をして就職し、就職した会社の社長と幸せな結婚をした。
この話に納得しない向きもあろう。
だが、こんな話もある。
1972年のミュンヘンオリンピック競泳で、史上最多の7つの金メダルを取ったマーク・スピッツというアメリカ人選手がいた。
2008年の北京オリンピックで、マイケル・フェルプスが8つの金メダルを取ったが、1つのオリンピックで7つの世界記録を出した記録では、スピッツとフェルプスが今も1位で並んでいる。
そのスピッツが、40歳を過ぎて現役復帰して、オリンピック再出場を狙ったことがあった。
スピッツは、全くの本気だった。
もちろん、実現はしなかった。
マーク・スピッツともあろう者が、なぜかそんな「子供の夢」を持ってしまったのだ。
彼らの失敗から、何かを悟らなくてはならない。

2つ目は、有名なアメリカのSFテレビドラマ『スター・トレック』からだ。
バルカン星人スポックは、ある男と、1人の女性を巡って決闘をすることになる。
冷静で極めて知的なスポックがそんなことをするとは意外である。
結果、スポックは破れるが、勝った男にこう言う。
「忘れるな。どれほど願ったものであっても、手に入れてしまえば、さほどでもない」
スポックは、誰かにこれを教えるために決闘をし、そして、負けたのだと思う。
あなただって、欲しいと思い続けていたものが手に入ったら、それほど嬉しくない・・・あるいは、嬉しさが続かないという経験はあると思う。
そして、スポックの言葉が本当であることは理解出来ると思う。
そんなものを求める意味があったのだろうか?

3つ目は、徳川家康の話だ。
ある人が、家康に、
「天下取りの秘訣は何ですか?」
と尋ねた。随分、大胆な質問で、そんな質問が出来るからには、それなりに家康に近しい者だろうし、それは、家康の小姓(身辺の世話をする武士の少年)であったかもしれない。
すると、家康は、
「長い方と短い方、どちからが良いか?」
と言うので、質問者は、
「両方、お願いします」
と請うた。
そうしたら、家康は、こう言ったと言われる。
「短い方は『上を見るな』、長い方は『身の程を知れ』だ」
一字しか違わないし、ほとんど同じ意味だ。
そして、これは、有名な「デルポイの神託」の第一である「グノーティ・サウトン」つまり、「身の程を知れ」と同じだ。
「グノーティ・サウトン」は、「汝自身を知れ」とも訳されるが、つまるところ、「身の程を知れ」ということと思う。
そして、家康が身の程を知っていたことは、よく知られているのである。

最初の話に戻ると、女優になりたかった女性は、「私は女優だ」と唱え続ければ、女優になれた。
それこそ、寝ても覚めても、心の中で唱え続ければ。
だが、間違いなく、この女性には、そこまでやれなかったのだ。
そして、せいぜいが、週に何度か「私は女優だ」と唱え、それでも、何らかの希望が引き寄せられる程度の効果はあるので、そのまま何十年も経ってしまい、いずれ、「私は女優だ」と唱える変なお婆さんになって人生を終える。
そんな例が、ビートルズの『エリナー・リグビー』という歌に出てくる、王子様を待ち続ける老婆エリナー・リグビーだ。

以上の話から、なぜ、我々が、面白くない、みすぼらしい人生を送ってきたかが分かろうというものだ。
有名な教育学者である七田眞氏の『奇跡の超「右脳」開運法』に出て来た、ホームレスの男は、七田氏の本を読み、
「神様の奇跡が起こる」
と唱え始めた。暇なこともあり、本当に1日中唱えた。
そうしたら、1憶円が当たり、それからも唱えていたら、ローマ法王に謁見出来ることになり、さらに唱え続けたら、また1憶円当たった。
このホームレスは、身の程知らずに、社長になろうとしたり、教祖になろうなどとは思わなかった。
全て神様にまかせたのである。
本当の目標があるわけでなければ(あるいは、あっても)、
「神様の奇跡が起こる」
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
「私は最高の気分だ」
などと唱えるのが良いかもしれない。
そして、何かを唱えることだけは堅持すべきであろう。
コロコロ変えずに。
どれでも同じだから。








目標がない人もこれで大丈夫

人間には2種類あり、それは「目標がある人」と「目標がない人」で、目標がない人は、波間に漂う小舟のようなものであり、いつかは難破する・・・と散々言ってきたし、それは真実であると確かに思う。
しかし、人間は、目標を見失うこともある。
例えば、現実的に、目標への望みが絶たれてしまうこともある。
あるいは、目標を持っていたのに、ある時突然、それが自分の本当の目標ではなかったことに気付くこともある(それはかなりショックな体験かもしれない)。

ここで、このブログでよく取り上げる、教育学者の七田眞氏(教育学博士)の著書『奇跡の超「右脳」開運法』に登場する、あのホームレスの男性のことを、再度、考えたい。
彼は、「神様の奇跡が起こる」と1日中唱え続け、2週間ほどで、ロト6(宝くじの一種)で一億円当て、不思議な縁でローマ法王に謁見し、その後、また、一億円を当てた。
そんな彼には、世俗的な目標はないように思える。
それでも、面白いことが次々に起こっている。

ジョセフ・マーフィーは、何でもいいから「私は〇〇だ」と唱えよと教えた。
それをしっかりやれば、潜在意識の力で、必ず〇〇になれるのだから。
ところが、そのことが書かれている、『マーフィー世界一かんたんな自己実現法』の中で、それを実践した男性が唱えたこととは、
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
だった。
それで、この男性は、人生の全てが実際に変わったが、この男性もまた、あのホームレスの男性同様、世間的な目標を唱えたわけではなかった。
つまり、「私は副社長だ」とか、「私は人気作家だ」とか、「私は市会議員だ」などといった目標を唱えたのではない。
敢えて言えば、「私は裕福だ」というのが、一般的な目標っぽいが、ざっくりとした、とても曖昧なものだ。
そして、今朝も書いたが、アメリカ最高のアファーメーションの1つが、
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
なのだ。
しかし、考えてみれば、「私は幸せだ」とか「私は素晴らしい」「私は最高の気分だ」の中に、世間的な目標が全て含まれているとも言える。
しかも、自分の小さな自我で考えた目標ではなく、賢い神が考えてくれる目標だ。

もちろん、自分の目標をしっかり持っていることは素晴らしいことである。
それは間違いない。
ただ、目標も込みで、神様にお願いするという手もあるのだなあと思う。
私が敬愛する世界的セールスマンだった夏目志郎さんも、失敗続きの人生の中、具体的目標の達成を願ったのではなく、神様に、「これはという仕事を下さい」と祈ったのだ。

だから、なかなか目標が見つからない人は、次のような言葉を唱えると良い。
(尚、私のお勧めの唱え方は、「心の中で、丁寧に、穏やかに」だ)
「神様の奇跡が起こる」
「私は在る」
「神の他に何もない、ただ神だけがある」
「神に出来ないことはない」
その他、上で述べた、
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
あるいは、
「私は安らかだ。私は幸せだ。私は豊かだ」
も良いだろう。

とにかく、言葉を唱えるべきである。
なぜなら、科学的研究によれば、人間は、頭の中で1分間に300もの言葉がつぶやかれ、多くの人の場合、その大半がネガティブな言葉らしく、放置すれば、潜在意識は、そんなネガティブな言葉を投影した世界を創るからだ。
上記の1つでも良いし、複数でも良い。
あるいは、その他に、お気に入りの言葉があれば、それを唱えると良いだろう。
尚、神仏の名を唱えるナーマスマラナや、真言も当然良く、それらが好みに合うならそれらを、あるいは、好みに合うもの全てを唱えても良いのである。








願えば皆与えられると人類最高のスーパースターは断言した

このブログで何度も取り上げた話だが、ある男性ホームレスが、教育学者の七田眞(教育学博士)氏の本を参考に、「神様の奇跡が起こる」と1日中唱えていたら、2週間ほどしたら、頭に数字が浮かんだので、その通りにロト6(宝くじの一種)を買ったら一億円当たり、さらに続けたら、ローマ法王に会えることになり、それでも続けたら、また一億円当たった。

「神様の奇跡が起こる」は、「奇跡が起こる」だけでも、立派なアファーメーション、あるいは、潜在意識に向けた自己暗示である。
では、「神様の奇跡が起こる」を、「神(神様)」と「奇跡が起こる」に分け、いろんな人達が、その一方のみを唱えたら、どちらを唱えた方が良いことが起こるだろうか?
自己暗示やアファーメーションの原理から言えば、あるいは、理性で考えたら、「奇跡が起こる」の方だろう。
しかし、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻』での、イエスの教えから言えば、圧倒的に「神(神様)」の方である。
言葉の効果を測定する測定器すらあるらしいが(『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻』参照)、それを公開出来ない理由があるのかもしれない(著者は原子物理学者)。
よって、直観で判断してくれと言うしかないが、「神」という言葉には、最高の力が秘められている。
だから、本当は、上のホームレスも「神(神様)」とだけ唱えても良かったのだが、それでは、なかなか続けられないだろう。
「神様の奇跡が起こる」のように、夢のある楽しい言葉だから続けられたのだと思われる。
だが、唱える言葉は、「神(神様)」が入っていれば何でも良いのである。
「神よ、与えたまえ」でも十分である。
しかし、あまり何度も「神よ、与えたまえ」と言うのも、しつこくて気がひけると思うので、「神様の奇跡が起こる」のような言葉の方が良いかもしれない。
こういった言葉に関しては、フローレンス・スコーヴェル・シン、ノーマン・ヴィンセント・ピール、ジョセフ・マーフィーらの本を見れば、沢山、いろんなものが載っている。
まあ、ほぼ全て、聖書の引用であるが。
ちなみに、私が好きな言葉は、
「神に出来ないことはない」
だ。

ところで、さっきの「神よ与えたまえ」であるが、願いがある時や、困った時には使うと良い。
これについて、新約聖書の「マタイ福音書」で、イエスはこう言っている。
「欲しいものがあれば、父(神)に願え。全て与えられるだろう」
イエスは、そのための条件を一切付けていない。
ただ、求めれば良いのだ。
つまり、「神よ、与えたまえ」と言いさえすれば良いのである。
条件は付けないが、イエスは、その理屈・・・というか、理由を、こう述べている。
「お前達のようなロクでもない人間ですら、子供がパンを欲しいと言ったら、石を与えたりせず、パンを与えるだろう。ましてや、父(神)が良いものをくれないはずがないじゃないか」
だから、敢えて条件を言えば、それは、ラマナ・マハルシも、黒住宗忠も、あるいは、全ての賢者が同じことを言っているのだが、「神を信頼すること」「神にまかせ切って安心すること」だろう。
スーフィー(イスラム神秘主義)の諺に、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
というのがあるのだが、このラクダは、人間の心のことである。
これを、あちこちさ迷わせてはならない。つまり、安心し、心静かにして、じっとしていることだ。
「神を信用する」というのと「ラクダをつないでおく」というのは、同じことなのである。
そのために、神仏の名を唱えるナーマスマラをしたり、真言を唱えてはどうだろう?
これらは、ラクダをつないでおく優れた方法なのだ。








夜明け前が一番暗い

再び、最もシンプルな幸福への鍵に戻る。
「神様の奇跡が起こる」である。
面倒なら、この言葉だけ覚えておけば良い。
ホームレスの男性が、この言葉を唱え続けることで、「宝くじで1憶円が当たる」「ローマ法王に謁見する」「再度、宝くじで1憶円が当たる」という、これが奇跡でなくて何かということが連続して起こった。
このことは、著名な教育学者の七田眞氏が、著書『奇跡の超「右脳」開運法』の中で、「正真正銘の実話」と述べている。

あえて、このホームレスの男性の良かったことを言えば、彼が「自分を重要人物と見なしていない」ことだ。
駄目な人間というのは、自分が駄目であることを自覚しているかというと、そんなことはほとんどなく、異様にプライドが高く、馬鹿にされると、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じ、馬鹿にした相手を恨み、それを根に持つことが多いのである。
そんなプライドをくすぐられれば、容易く騙される。
プライドには良い面もあるのだろうが、「安っぽいプライド」は厄介なだけのものである。
そのホームレスの男性は、そんなプライドなど持っていなかったので、素直だし、神様も信じていた。
だから、愚直に、「神様の奇跡が起こる」を1日中唱えていたのである。
だが、安っぽいプライド・・・その根源である肥大した自我を持っている者でも、もし、根気よく、この言葉を数多く繰り返すことが出来れば、自我が弱まり、やがて奇跡を起こすことが出来るだろう。

幸福のポイントは、自我を屈服させることなのである。
そして、「神様の奇跡が起こる」という言葉は、その意味でも優れた言葉なのだ。
何せ、奇跡を起こすのは自分ではなく、自分は何もしない。自分に奇跡が起こせる訳ではないからだ。
この言葉を繰り返せば繰り返すほど、それが無意識に自覚され、自我が退き、同時に、神の力を崇めることになる。

神という言葉に抵抗があるとすれば残念だと思う。
ただ、それでも、この世で頼るべき力は、自分の貧弱な頭脳と身体、自分の所有物、そして、家族や友人が全てであると思っている訳ではないと思う。
運とか因果とか縁といった、人間の知性では計り知れない何かはあると、少なくとも感じていると思う。
もし、そいうではないガチガチの物質主義者であれば、救うのは非常に難しいが、そんな人が、このブログを読んでいることはないと思う。
しかし、神という言葉に抵抗がある場合は、こんなふうに唱えれば良い。
「予期出来ないことは起きる。不可能に見えたことが今実現しようとしている」
「予想しないことが起こり、道は開ける」
(「予期」「予想」は入れ替えても良い)
神という言葉は使わないながら、自分の力を超えた神秘の存在は認めていることになる。
ならば、これらの言葉を繰り返せば、神秘は味方になってくれる。
あるいは、単に、「神様の奇跡が起こる」の「神様」を省略させていただき「奇跡が起こる」と唱えても良い。
「神様」を略すなど不遜と思うかもしれないが、表向き「神様、神様」と言うより、無意識で実質に認めている方が良い。
「奇跡が起こる」と繰り返し唱えることで、実質で、奇跡を起こす神の力を認めることになるのである。
細かなことだが、「奇跡は起きる」という言い方がピッタリする場合もある。
Mitchie M氏による初音ミクさんの名曲『Freely Tomorrow』でも「奇跡は起きる」と歌われているが、ミクさんの自我のない歌声は魂に入り易く、良い効果があるかもしれない。
これも、逆に、ミクさんなどボーカロイドに抵抗のある人はやめておいた方が良いが。

言葉は、顔をしかめて必死で唱えるのではなく、「静かに、ゆっくり、丁寧に」繰り返すことが効果的である。
これを、自我が退くまで根気強く行えるかどうかが鍵になる。
プライドが高い者は、なかなかこれが出来ず、結果、「どうしてもうまくいかない駄目な人」になってしまう。
そして、成功の扉の前には、無数の死体が転がっているとも言われる。
成功直前は苦しい状況になる場合がよくある。
いわゆる、「夜明け前が一番暗い」のである。
後一歩で成功するところで諦めてしまい、屍と化す者が多い。
このことも憶えておくと良いだろう。








3つの奇跡話

引き寄せの法則は、この言葉が流行る前から、牽引(けんいん。引き寄せること)の法則とか親和の法則などと呼ばれ、また、引力や磁力に喩えられることもあった。
要は、思考が期待する現実を引き寄せるのである。
だが、引き寄せの本を読んでも、長過ぎて、ぼんやりとしたことしか分からないのではと思う。
そこで、うまくやるには、単純で解り易い1つか2つの事例を憶え、その成功例の通りのことを行えば良いのである。
それであれば、イメージが湧き易く、自信や勇気を持って出来るのである。
その成功事例も、引き寄せか単に本人の才能や努力の成果なのか分からないものではなく、明らかに引き寄せであるものが良いだろう。
つまり、明らかに本人の実力を超える成果を得たとか、それどころか、本人には手も足も出ないはずのことが上手くいった・・・早い話が、明白に奇跡であることである。
そこで、このブログでは何度も取り上げた3つの事例を、ポイントを上げながら改めて取り上げる。

1つは、皆大好きな、1憶円当てたホームレスさんの話である(まあ、私が好きなのだが)。
ホームレスと言うからには、人生の落伍者であり、これまで何をやってもうまくいかなかった人である。
ただ、この人は、神様は信じていたらしい。
それもあってか、あくせくせず、暇を持て余していたようだ。
それほど暇だったので、教育学者の七田眞氏の本を読んだのだと思う。
私も以前、段ボール箱の中で寝ているホームレスさんを見たことがあるが、ある男性ホームレスさんが、胸の上に文庫本を乗せて寝ていたのが印象的だった。
暇だから読書をするホームレスさんも多いのだと思う。本は、古書を買ったり、回し読みをするなどすれば、実に安い暇つぶしになるからね。
私にも、以前、ホームレスをやっていた知り合いがいて、聞いたことがあるが、ホームレス同士は仲が良い場合が多く、本の貸し借りはし易いのだと思う。
で、そのホームレスさんは、読んだ七田氏の本に「口癖が現実になる」と書いてあったことを憶えていた。
重要なポイントを押さえる、実に賢明なホームレスさんだ。
何より、それを信じる素直さがあった。
そして、最初に述べた通り、このホームレスさんは、神様を信じていた。
そこで、「神様の奇跡が起こる」という言葉を自然に作り、それをずっと唱えることに決めたのだが、とにかく、暇はたっぷりあったので、本当に1日中、唱えていた。
すると、1週間か2週間したら、頭の中に数字が浮かび、たまたまそこに宝くじの売り場があったので、その数字でロト6という宝くじを買ったら、1憶円が当たった。
ホームレスさんは、七田氏の会社に電話し、「こんな使い方をして良いのか?」と尋ねたら、全然良いと言われ、納得してさらに「神様の奇跡が起こる」と唱えることを続けたら、ローマ法王に会うことになってしまった。
そして、さらに続けたら・・・また1憶円当たった(笑)。
「神様の奇跡が起こる」の口癖、おそるべしである。
また、このブログのコメントでいただいたが、「奇跡は簡単に起こる」を口癖にしている社長さんもいるようだし、初音ミクさんの『Freely Tomorrow』の歌詞にある「奇跡は起きる」という言葉を口癖にしても良いと思う。「神様」という言葉に抵抗がある人には良いかもしれない。
※このホームレスさんの話は、七田眞著『奇跡の超「右脳」開運法』にある。
※七田氏は、口癖については、佐藤富雄氏の『運命は口ぐせで決まる』を紹介している。

長くなったので、2つ目は夕方の記事にする。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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