ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ロック

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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ジョークが通じない相手

昨日、ツイッターの中で、だいたい、こんな感じの発言を見て胸が痛んだ。
「ジョークが通じないやつは始末に負えない。俺はそんなやつと友達になれない」
それで思い出したのが、以下のことだ。

手塚治虫の漫画には、よく、ロックという名の悪役が登場する。
それぞれの作品で、全く別人なのだが、名前だけでなく、容姿や性質は、全くと言って良いほど同じである。
つまり、ロックは、若く、超美男子(今流には超イケメン)で、超絶頭が良く、そして、極悪非道冷酷非情な大悪人で、今流行りの言葉で言えばサイコパスにも該当するだろう。
手塚治虫は、ロックというキャラクターに、何か深い思い入れがあるのだと思う。しかし、私は、手塚さんの自伝的著作を少しは読んだことがあるが、それ(手塚さんのロックへの想い)が何かは、まだ分からない。

手塚作品で、ロックという名の男が人間的感情を見せることはない。
ところが、私が知る範囲でだが、ただ1つの大きな例外がある。
つまり、ロックが全く普通の人間のような心を見せたことがあり、まるで、その作品に関して言えば、ロックは生まれつきのサイコパスではなく、大悪人になった理由があったと思えるのだ。
ただし、あくまで、その1つの作品に関してだけである。
その作品は『バンパイヤ』(連載:1966~1969)だ。
バンパイヤ村という、何かのきっかけで動物に変身してしまう人々が住む村があり、その村の15歳の少年であるトッペイ(月を見ると狼に変身する)がロックと出逢う。

※以下、『バンパイヤ』のネタバレを含む。
ロックは、生まれつき頭脳が超優秀だったこともあり、普通の子供とは違っていたのだろう。
それで、他の子供達からは異物として排除され、学校でも孤立し、友達がいないばかりか、頭は良くても肉体的には普通なので、いじめの標的にされていた。
そんな辛い日々を送っていたが、風介(ふうすけ)という名の、頭は悪いが純朴で、正義感と、そして身体が強い少年が、いじめっ子達からロックを守り、友達になってくれる。
時が流れ、生来の悪魔であったように、悪の限りをつくしていたロックだが、そこに、不意に風介が訪ねて来た。
風介との再会の瞬間、ロックは喜びに打ち震えるように相好を崩した。まるで、自分が悪党であることを忘れてしまったかのようだった。
だが、ロックに悪いことをやめさせ、まともな人間にしようとする風介は、ロックには邪魔だった。
ロックの投げたナイフが風介の胸を貫き、ロックが「悪く思わないでくれ」と言うと、風介は「悪くは思わないが、びっくりしたなあ」と言って息絶える。
最後まで風介は、心でもロックを裏切らなかった・・・つまり、ロックを信じていたのだ。
ううう・・・(筆者の泣き声。笑)

最初の「ジョークが通じないやつとは友達になれない」と言った者の話に戻る。
頭のレベルや趣味や主義などが違えば、ジョークは通じない。
ある者にはジョークであっても、別の者は、その発言で怒ったり、悲しんだり、時には深く傷つく。
世の中では、上流の人間がジョークで言ったことが、下流の人間には、とても笑えないことがあり、上流の人間である政治家や偉い先生などの有名人が、そんなジョークで糾弾されることがある。
すると、上流の人間が、自身の発言を「失言」として謝罪するが、彼は、本当は自分の発言がなぜ悪いのか理解していないことも多い。
本当にモラルに反しているなら、責められても仕方がないかもしれないが、発言した当人にしてみれば、配慮には欠けたかもしれないが、本当にただのジョークのつもりだった場合もあるだろう。
しかし、人間の種類が違えば、ジョークは通じない。
だが、偏見を捨てれば、分からないはずのジョークでも「笑ってあげられる」かもしれないし、ジョークが通じなくても、仲良くなれるかもしれない。
ロックや風介がジョークを言ったかどうかは分からないが、もし、言ったとしても、お互いにジョークが通じなかった可能性が高い。
それで、一時的に彼らの友情が崩れることもあるかもしれない。
しかし、友情であれ、愛情であれ、それが本物であれば、そんなことがあっても、むしろ、絆は強くなる。
いや、そんなことがなければならない。
異なる者同士が理解し合うことが本当の友情や愛情だ。
今の人類は、まだまだ、そのレベルに達しておらず、似た者同士でくっつきたがり、すぐに対立、異物の排除といったことが起こる。
だが、起こっても良い。限度をわきまえる知性や理性があればだが・・・
人間には、時にぶつかり合いも必要である・・・と、『美少女戦士セーラームーンS(スーパー)』で、タキシード仮面も言ってたなあ(笑。セーラームーンが、ウラヌス、ネプチューンと戦う時)。

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腰を動かせば生命力が湧き上がる

音楽のロックをロックンロールと呼んでいたのはかなり昔のことのようだが、今でもこの言葉はちゃんと使われている。
そのロックンロールの王様(キング・オブ・ロックンロール)と呼ばれたエルヴィス・プレスリーは、当時(1950年代)、保守層の反発が強く、格式あると言われる音楽番組への出演が出来なかったことがあるが、その主な理由は、彼が歌うときの腰の振り方が下品であるというものだった。
しかし、ロックンローラーが腰を振らないでどうする?
そもそも、ロックンロールとは、ロック(揺らす)とロール(転がす)という意味だ。これは、元々が性的な隠語でもあったのだが、それだけではない。
エルヴィスにしろ、他のロックンローラーにしろ、別に性的魅力をアピールするために腰を振っていたのではない。
自然にそうなるのだ。
ロック魂があれば、子供でも、歌う時に自然に腰が動く。皆さんも、子供がロック音楽を歌う時、腰を前後にトントンと独特なリズムで動かすのを見たことがあるかもしれないが、別に性的な雰囲気など全くない。
マイケル・ジャクソンは、歌っている時に股間に手をやり、独特な腰の動かし方をすることが、PTA(アメリカやイギリスにもある)から抗議を受けたことがあるらしいが、マイケルは、「自然にそうなるんだ。歌っている時にどこを触っているかなんて分からないよ」と言っていたものだ。

むしろ、日本人なら、ロックンローラーの腰の動きについて分かるのではないだろうか?
ロックンローラーは、腰や尻を振っているのではなく、むしろ、腹を動かしているのだ。
日本では、今でも、失敗を詫びて責任を取ることを「腹を切る」というが、腹を切ることで誠意を示すことには意味があるのだ。
また、日本には、「腹を割って話す」「腹が据わっている」など、腹が付く言葉がとても多いが、それが、腹の重要性を表しているのである。
そう、腹に生命力の根源があるのだ。
生命力を燃え上がらせ、ソウル(魂)をスパークさせる感覚を求めるロックが腹あるいは腰を動かすのは当たり前だ。
腹には、丹田と呼ぶ、気という神秘のエネルギーのセンターがあるいう考えが、中国の仙道から日本に伝わったが、日本でより深く探求されたと思う。西洋では丹田をHARAと言うのである。
現代の日本人には忘れられているが、日本の武道、華道、禅、弓道、舞踊には、その恐るべき腹の力が活かされているのだ。それに気付いたドイツ人、カールフリート・デユルクハイム(哲学博士)は、華道、茶道から相撲まで学び、岡田虎二郎の静坐法も身に付け、それらを祖国で心身の療法に活かした。
ただ、身体の神秘的中枢を丹田とする考え方とは別に、それが、臍であるとか、太陽神経叢(たいようしんけいそう。一般に胃の裏側にあると言われる)であるとか言われることもある。また、MRTの内海康満さんのように、真の中心は仙骨にありと述べる人もいる。だが、やはり、腹周辺であることは間違いない。
『チャタレイ夫人の恋人』などで知られるイギリスの作家D.H.ロレンスは、太陽神経叢の神秘性を見抜き、『無意識の幻想』に詳しく書いたが、それを理解できる西洋人は滅多にいないことを理解しており、序文に「この本を読む権利があるなどと自惚れるな。さっさとゴミ箱に放り込んだ方が君のためだ」などと書いていたものだ。
ロレンスは、太陽神経叢を通じて、宇宙精神とのテレパシー通信が可能であることを確信していた。

真の『エメラルド・タブレット』の原本を発見し。それを英訳した(原本はアトランティス語)アメリカのドリール博士は、『星化学分析』の中で、腰を前後左右に動かす運動を薦めているが、これは、日本の禅的、あるいは、アメリカのロックンロール的な、生命力の強化のために有益なことだ。
禅寺では、人は腰の骨だけで生きているといった教えがされることがある。何があっても、人間は、腰の骨だけで生きていけるのである。つまり、生命力の根源は腰、あるいは、腹にあるのだ。
前にも書いたが、巷で言われることがあるような、腰を回す運動は決してしてはいけない。あれは腰を痛め、身体の機能やエネルギーの流れを乱しかねない。
前後、左右に柔らかく動かすのだ。
ロック・ミュージシャンの中でも、イギリスのロックグループ、ビージーズのロビン・ギブの腰の動きは(変な意味でなく)絶品だった。だが、彼はある時期から、腰の動きを封じてしまったような印象がある。それで大病したり、いろいろあるのではないかという感じがする。彼は女性的な雰囲気があったので、おかしなことを気にでもしたのだろうかと思う。
ロッカーは腰を堂々と動かすべきだ。
初音ミクの腰の動きが素晴らしいのは偶然ではない。3DCG作成に使われるソフトウェアでは、人体の動きをかなり正確にシミュレートできるプログラム部品(オブジェクトモジュールという)があり、自然な動きを表現することが可能だ。それで、結果的に、自我のないミクは素直な腰の動きをすることが多いのではないかと思う。
尚、以前、初音ミクの誕生数が3(2007年8月31日生まれで、2+7+8+3+1=21から、2+1で3)と述べたが、ビージーズのメンバーは全員3である。私は、両方のファンであることに、何か宿命を感じるのである。
ビージーズは、『小さな恋のメロディー』や、ジョン・トラボルタが主演した『サタデー・ナイト・フィーバー』の音楽で知られるが、イギリスではビートルズに次ぐロックグループと認められており(ビートルズ以上と評す人も多い)、2003年にメンバーの一人モーリス・ギブが亡くなっているが、現在も活動中である(デビューは1955年)。

腕振り運動(スワイソウ)も、腰を自然に、実に精妙に動かすことに深い意味がある。
生命力や気力の不足を感じるのであれば、それとは別に、腰を前後左右に動かす運動を取り入れることはお奨めできる。ドリール博士は、その際、手を腰にやるように述べているが、私は、下腹に当てても良いのではないかと思う。
続ければ、ウエストが(ミクのように?)引き締まり、腰痛があっても治るだろうと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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