ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ルー・テーズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

奥の手がある有り難さ

奥の手とは良いものだ。
これがあると、余裕を持っていられる。
ピンチに陥っても、それを出せば、最悪、敗北、破滅を回避し、それどころか、最善、勝利、栄光を得る可能性すらあるのだ。
だから、あなたも奥の手・・・秘密の切り札を持たなければならない。

私が、奥の手の概念を掴んだのは、長年好きだったプロレスや、他の格闘技からだった。
プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズの奥の手は、ダブルリストロックという地味な、肩と腕を決める関節技だった。
テーズは、この技で相手の腕を折ることが出来た。
ただ、彼は、相手の腕を折るようなことは一度もやらなかったが、「その寸前」まで締め上げたことは沢山あり、この技のおかげで救われた試合は実に多かったという。
この技があったからテーズは地上最強だったのであり、この技を教えてくれた師のジョージ・トラゴスを尊敬し、生涯、感謝していたようである。
昔のプロレスの世界チャンピオンが奥の手として用意していたのは、デッドリードライブという投げ技だったという話を見たことがある。
これは、プロレスでよく見られるボディスラム(抱え投げ)に似ているが、頭からマットに落とすという危険な技で、チャンピオンは、危なくなったら、この技で勝つのだという話だった。
まあ、いくらなんでも、本当にそんな危険なことはやらなかったとは思うが、お話としては面白い。
実際の、プロレスのチャンピオンの奥の手は、「反則負けならタイトル(王座)は移動しない」というルールを利用することだろう。レフェリーを殴れば、即反則負けで、タイトル防衛が出来るのである。

不世出の空手家、大山倍達さんが、「空手が地上最強であるのは、金蹴りと目潰しがあるからだ」と正直に著書に書かれていたことに感動したことがある。
中学生だった私は、嘘偽りの無い真実というものを、初めて大人から聞けたという気持ちだった。
なるほど、確かにキレイではないが、真理とは良いものであり、美しい。
岡本太郎が、ゴッホやピカソはきれいではないが美しいと言われていたが、それよりもっと美しい。

さあ、あなたも、どんなピンチも逆転出来る奥の手を持つのだ。
必要なら、痛みや苦しみを伴う努力をして、それを磨くべきだし、それを得るためなら、どんな苦労も何でもない。
奥の手とはきれいではない。
汚いし、卑怯な場合もある。
だが、圧倒的に強い。
空手の金蹴りや目潰しのように。
それは必要な時以外は決して使うべきでない。
だから奥の手なのだ。

奥の手を教えてくれって?
おかしなことを言ってはならない。
イエスも言ったではないか?
「求めよ、そうすれば、与えられる」
本気で強く求めれば、必ず与えられる。
それが、この世界の仕組みだ。
イエスは、それをうっかりか、確信犯的にか、親切にかは分からないが、我々に教えてしまったのだ。
奥の手が見つからないなら、金蹴りでも徹底練習すれば良い。
あるいは、著名な人物の奥の手を調べたり、身近な実力者の奥の手を観察すれば良いのだ。
そうすれば、あなたに相応しい奥の手がきっと心に浮かんでくるはずだ。
何でも人に教えてもらおうという根性が最悪のものなのに、学校でそんな最低のものを持ってしまった者が多い。
まるで駄目男は、だから、まるで駄目男なのだ。
そんなみっともない、恥ずかしい根性はすぐに捨てよ。
本気で求めれば、必ず与えられるのである。









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神技を持て

大空手家だった大山倍達さん自身や、梶原一騎さんが原作を書いた空手漫画で、大山さんや大山さんをモデルにした超人空手家がよく行ったデモンストレーションに、硬貨を親指と人差し指で折り曲げたり、ガラス製ビール瓶の首を手刀(空手チョップ)で切断するという技がある。
また、漫画の中では、親指だけで逆立ちをするというものがよく描かれていた。
普通の人はもちろん、相当鍛えた人でも滅多には出来ない神技であるが、これらが出来ることが無敵の強さの証明であると言い、実際、そうなのかもしれない。
本物の力とデモンストレーション効果。
この2つで大山さんは武道家としてだけでなく、社会的にも成功したのだから、大山さんというのは、強いだけでなく、頭の良い人だったのだと思う。
空手映画の大スターで武道家でもあったブルース・リーは、そこまでは出来なかったが、親指と人差し指2本での片手腕立て伏せという凄い芸当を売り物にしていた。

そして、我々も、何か、人に出来ない、神技、凄技、磨きぬいた技芸を持つのは、極めて良いことと思う。
それは、実際の力になることはもちろんだが、それが自信を与えてくれれば、本当に素晴らしいことである。
大山さんの場合は、当時は、特にアメリカ等、ほとんどの国で空手というものを誰も知らなかったので、ああいった分かり易くセンセーショナルなデモンストレーションが必要だったし、ブルース・リーの場合も同じような事情があったのだと思う。
だから、必ずしも、見世物的な技が必要な訳ではないが、あればやはり便利である。
プロレス史上最高のレスラーだったルー・テーズの場合は、あまり(あるいは全く)アピールしなかったが、ダブルリストロックという肩を決める関節技で、これがあるから彼は無敵だったし、自分でも絶対の自信を持つことが出来た。ダブルリストロックは、大柔道家だった木村政彦のキムラロックと同じ技で、木村さんもこの技を頼りにし、ブラジルでの無敵の柔術家だったエリオ・グレーシーとの他流試合では、この技でエリオの腕を折って勝った。

武道家の堀部正史さんの本で見たが、ある小柄で歳も取っていたヤクザの男は、敵の脚を折るスライディングキックを至芸とし、それを実際に見た堀部さんも著書の中で称賛していたが、そんな、世間的には下等な人間だって、神技は力になってくれるのである。私は、そのヤクザのおっさんと大して変わらないと思うので、神技を持ちたいと切に思うのである。

とにかく、誰にも出来ない神技を1つ持てば、その威力は計り知れない。
私はよく、そんな神技のことを、初音ミクさんの楽曲『千本桜』の影響で「光線銃」と呼んでいる。
光線銃は持ち運びが便利なように、常に手元にあり、いつでも使えるような神技が良いと思うからである。
実際、私は、アラビアンナイトの『アラジンと魔法のランプ』のお話では、魔法のランプよりも、現れる巨人のパワーはやや劣るが、魔法の指輪の方が好きである。
理由は、いうまでもなく、可搬(持ち運び出来ること)性の高さであり、また、指輪の魔神で十分と思えるからだ。
ただ、本当は誰でも、潜在意識という巨大なパワーを、持ち歩く必要もなく心の中に持っているのだが、それを引き出すためには神技があれば有利なのである。

神技は奇抜である必要はない。
例えば、『論語』を暗記するなんてことをした人もいるが、そんな人はさぞや強力なパワーを揮える(発揮出来る)はずである。
無論、『論語』でなくても、自分が気に入った本であれば何でも良い。
普通の人の場合は、そのようなものを目指すのが良いと思う。
また、暗記しないまでも、毎日必ず聖書を読むとか、『バガヴァッド・ギーター』を読むでも良い。
あるいは、ExcelやAccessをVBAと共に高度に使えれば、まあ、不安のない楽しい社会生活を送れるだろう。
毎日、腕振り運動を2千回もやれば、そして、それを1年続ければ、デモンストレーションにはならないとしても、大きな力になるだろう。

弱い人間、欠陥の大きな人間・・・たとえば、上で挙げたヤクザの男のような人間であるほど、必ずしも他人に対してでなくても、具体的に形で示せる神技が望ましいと思う。
論語の暗記やVBAなら、そんな形になる。
また、腕立て伏せやスクワットを毎日やっていれば、あるいは、毎日聖書やバガヴァッド・ギーターを読んでいれば、不思議な光をまとうようになり、それが貫禄のようなものとなり、自分でも自信が持てるのである。

とにかく、神技を持つと決断し、何を神技とするか決断し、断固、それを得るべきである。
それにより強者となり、神の力を得て世界を闊歩出来るのだから。









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「愛って何?」というこっぱずかしい質問への答

「愛って何?」なんて言葉は何度聴いたか分からないが、その答を聞いた覚えがない。
だが、少なくとも近い答は「敬意」だ。
踏み絵とは、馬鹿げているように見えて、なかなか的確だ。
その存在に対し、本当に敬意を持っていたら、絵だって踏めない。
そして、本当に敬意を持っていることを愛しているということだ。
私は、絶対に初音ミクさんの絵を踏めない。

史上最高のプロレスラー、ルー・テーズは、自分をひきこもりから解放してくれたレスリングに最大の敬意を持っていた。
そして、師のジョージ・トラゴスに最初から深い敬意を持っていたから成功したのだ。
だが、テーズは、トラゴスに教わった必殺のダブルリストロックで、「やるべき時には相手の腕を折らなければならない」というトラゴスの言葉には、最後まで従わなかった。
しかし、ぎりぎりまでやったことは何百回とあり、それで救われたことを強く自覚していたテーズは、この技と、それを教えてくれたトラゴスへの敬意を忘れた訳ではない。
だが、木村政彦は、ダブルリストロックと同じ技である木村ロックで、エリオ・グレイシーの腕を折った。
その後、木村は、「試合に勝って勝負に負けた」と思ったそうだ。
生命への畏敬・・・これは全てに優先する。
腕1本でも、生命を損なってはならない。
テーズは、アントニオ猪木がアクラム・ペールワンの腕をダブルリストロックで折ったことに対し、「わざとでなかったと信じている」と言ったが、これは重い言葉だと思う。
テーズの、レスリングへの敬意、愛は、限りなく深い。

初音ミクさんのコンサートに来る人々は、本当にミクさんに敬意を持っていることを感じる。
それは、柔らかな曲の時に、ペンライトをゆっくり上に挙げる、あの独特の動きに特に現れていると思う。あれは、純粋な意味の宗教儀式のようであり、とても美しい。
つまり、コンサートに来る人達は、本当にミクさんを愛しているのだ。

気とも言われる宇宙エネルギーを味方にすれば無敵である。
合氣道の達人、藤平光一さんは、「氣」と表記するが、この文字の中の「米」は、氣が出ていることを示しているのだと言う。
そして、氣とは、出せば自然に入ってくるのであり、自分のところに取り込もうなんて考えてはならないのだと言う。
しかし、藤平さんは、単に「氣を出す」と言うが、それでは難しい。
だが、氣を出すとは、間違いなく、愛すること、敬意を払うことだ。
万物を愛することは素晴らしいことであるが、人間は、特定の対象を愛しやすい。
テーズですら、愛である敬意を特にレスリングに向けたように。
そして、特定の対象に、愛や敬意を向ければ、やはり、氣である宇宙エネルギーは入ってくる。
それを、まずは言葉で示すのだ。
「はじめに言葉ありき」である。
たとえば私の場合だが、「ミクさん、愛してる」と想ったり言ったりすれば、強烈に宇宙エネルギーが押し寄せて来る。
あるいは、「ミクさん、ありがとう」と想うのも同じである。
これが単に、「愛してる」「ありがとう」でも、もちろん良いのだが、それだと、言葉が空虚な呪文、空念仏になる恐れがある。
空念仏でも良いという教えもあるが、やはり気(氣)が込められていることが好ましいだろう。
だから、まずは、純粋に愛する、敬う対象に対して、「愛してる」「ありがとう」と想ったり、言ったりすれば良く、それを続ければ、自ずと、あらゆるものに対する敬意と感謝・・・つまり、愛を持つだろう。









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ひきこもりでも、どこでもうまくやっていけるスキル

人と人は支えあっているとか言うが、当っているとも外れているとも言える。
いずれにしろ、そんな曖昧な言葉は実用的でない。
人間関係において、本当に有益なことは、「親切にされる」ことだ。

ひきこもりが社会で上手くやっていけない最大の理由は、職場で辛く当られる・・・つまり、親切にされないからだ。
そんなの当然だろう?
どんなひきこもりだって、周りが親切にしてくれたら、いくらでも務まる。
特に、偉い人や、リーダーに親切にされることが大切だ。

だが、たとえ、可愛い女の子や、若いイケメンであっても、会社のような場所で、必ずしも親切にされるとは限らない。
せいぜい、多少有利だという程度で、下心で親切にしてくる面倒なやつもいるだろう。

ある知恵者扱いされている医者に、こう言われたことがある。
「偉い人は、甘えられるのが好きだから、甘えればお宝をくれる」
そういう場合もあるが、それはあくまで、自分が、その偉い人の好きなタイプである場合だけだ。
そして、偉い人ってのは、好き嫌いが激しいものだ。

私は、どこに行っても、一番偉い人が親切にしてくれた。
まあ、かなり可愛いことは認めるが(冗談だ)。
方法は2つで、普通の人に出来るのは、その内の1つだ。
ルー・テーズという、プロレス史上最高のレスラーが、まさにそのやり方を無意識にだろうが、心得ていた。
ジョージ・トラゴスという偉大なレスラーは、弟子をことごとく、ぞんざい(粗略、乱暴)に扱い、挙句、潰してしまうことで知られていた。
そんなトラゴスが、17歳のテーズだけは大切にし、車で送り迎えまでしたらしい。
別に、トラゴスに変な趣味があった訳ではない(多分)。
テーズは、レスリングとトラゴスを深くリスペクト(尊敬)していたのだ。
私も、行く先々で、偉い人を、見かけだけでなく、リスペクトした。
リスペクト出来ないなら、戦うか去るかだが、そんなことになった酷いリーダーは3人しかいなかった(笑)。
いや、実際、リスペクトするところのないリーダーなんて、本当は稀なのだ。
ヤクザの親分に可愛がってもらっていた人を実際に知っているが、その人は、親分のことを本気で誉めていた。

リスペクトだって、スキルなのだと思う。
つまり、敬う訓練をすると言うか、敬うことに慣れることが大切だ。
そして、態度や言葉使いといった基本的なことは、普段からちゃんと訓練しておくことだ。それは、一流の映画で、優れた若者が、偉大な人物に接する態度を見れば、非常に参考になる。
初めの頃の、アナキン・スカイウォーカーの、オビ=ワン・ケノービやヨーダに対する様子を見れば良いだろう。
そして、最も重要なことは、崇敬して止まない存在を持つことだ。
そうすれば、自ずと、尊敬する態度に深みが出る。
私は、初音ミクさんを心から崇めているので、全てはうまくいくのである。









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人間はやる気が欲しい

多くの人が、やる気が出なくて困っているし、もっとやる気が欲しいと思っている。だが、現代人の泣き所はやる気がないことだ。
まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者)が、永久に生ゴミ以上の存在になれないのも、やる気がないからだ。
だが、現代人は、さらに悪い状況にある。
やる気はないが、食欲と性欲、そして、自意識やプライドは異常に増大していることだ。
これはもう、死んだ方が良いくらいだ。
ところで、このことから分かるように、性欲や自己重要感は、少なくとも、それだけでは、精神エネルギーにならない。
それどころか、なけなしの情熱や意欲さえ消費し尽してしまう。
アイドルというものは、昔は、人々の心に涼しい風を送り込むことで、自然とやる気を起こさせたものだが、今のアイドルは、性欲は刺激しても、さっぱり精神エネルギーを起こさせないし、それどころか、奪い取ることも多い。
まあ、精神エネルギーを集めるのは自分の責任で、誰にも、それを手伝う義理はないのも確かだが、奪う権利もないはずなのだがね。

芸術というのは、今の世の中では、投機の対象のように扱われるが、元々は、人間の心の深奥・・・無意識の中に眠る「エス」とも呼ばれる精神エネルギーにアクセスするための魔法のようなものだった。
もちろん、今でも、その使い方さえ誤らなければ、十分に、その効力を発揮する。それに関しては、岡本太郎の『今日の芸術』や『美の呪力』が大いに参考になるだろう。

素振りの回数の多いバッターや、四股を踏む回数の多い力士が結局は勝つように、自分のやるべきことに関する素振りの多い者が必ず勝つ。
どんな時代になろうが、人間は所詮、自主的な努力でしか成功しないし、そのためには、やる気・・・精神エネルギーが必要である。
そして、精神エネルギーを生み出すのは、不思議に感じるかもしれないが、敬うこと、それ以上に、崇めることなのだ。
世に悪名を轟かせる大泥棒なんて、やる気十分なのだが、そんな者達は、泥棒なりに、先達の偉大な泥棒や、崇高なる泥棒の掟を崇めているものである。

私が初音ミクさんを崇めれば、毎日5時間以上勉強し、厳しい肉体の鍛錬を1日も欠かさないように、自らの意志で崇めることが出来る存在は、実に有り難いものだ
ルー・テーズが史上最高のプロレスラーになれたきっかけも、ジョージ・トラゴスという偉大なレスラーと、レスリングそのものを崇めたことだった。
崇めるには、敬うという素地が必要だ。
思いあがった者には、敬うことが出来ないが、それなら、崇めることは全く縁がないだろう。
敬うとは、自分より優れたものに敬意を払い、礼を尽くすことであるが、今の多くの人には、そんなことは全く期待出来ない。
それほど、人々は思い上がっている。
マスコミは、人々に、優れたスポーツ選手を英雄視させるが、それはあくまで大企業と結託した金儲けのためであり、スポーツ選手の虚像しか届けないので、本当の敬意を感じさせることもない。そもそも、スポーツ選手というのは、英雄でも何でもない。
初音ミクさんに関しては、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長が、金儲けのための虚像を作ることを禁止している・・・つまり、ミクさんを、偉大なお父さんが守ってくれているのである。

ちゃんと目を開いて見れば、敬うべきものは身近にいくらでもある。
それは、例えば、柔和な人、謙虚な人だ。
その結晶であるのが初音ミクさんである。
だから、ミクさんのコンサートで、世界中の人々が、ミクさんを崇めるのである。
つまり、柔和で謙虚な者が崇められる。
ところで、ルー・テーズが崇めたジョージ・トラゴスは傲慢でもあった。ところが、面白いことに、トラゴスが若き謙虚なテーズを崇めていたのである。
若いが器の大きなテーズはトラゴスを変えたのであるが、トラゴスはレスリングに対する敬意は常に持っていたのだった。
テーズの器は、劣等感から自分を解放してくれたレスリングへの敬意と共に、貧しくて高校に進学出来なかったことで作られた。
貧しきものは幸いである。
このように、人間には複雑な面もあるのだけれど、いずれにせよ、重要なことは敬うこと、崇めることである。ただし、自主的にね。









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