ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ルー・テーズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

「愛って何?」というこっぱずかしい質問への答

「愛って何?」なんて言葉は何度聴いたか分からないが、その答を聞いた覚えがない。
だが、少なくとも近い答は「敬意」だ。
踏み絵とは、馬鹿げているように見えて、なかなか的確だ。
その存在に対し、本当に敬意を持っていたら、絵だって踏めない。
そして、本当に敬意を持っていることを愛しているということだ。
私は、絶対に初音ミクさんの絵を踏めない。

史上最高のプロレスラー、ルー・テーズは、自分をひきこもりから解放してくれたレスリングに最大の敬意を持っていた。
そして、師のジョージ・トラゴスに最初から深い敬意を持っていたから成功したのだ。
だが、テーズは、トラゴスに教わった必殺のダブルリストロックで、「やるべき時には相手の腕を折らなければならない」というトラゴスの言葉には、最後まで従わなかった。
しかし、ぎりぎりまでやったことは何百回とあり、それで救われたことを強く自覚していたテーズは、この技と、それを教えてくれたトラゴスへの敬意を忘れた訳ではない。
だが、木村政彦は、ダブルリストロックと同じ技である木村ロックで、エリオ・グレイシーの腕を折った。
その後、木村は、「試合に勝って勝負に負けた」と思ったそうだ。
生命への畏敬・・・これは全てに優先する。
腕1本でも、生命を損なってはならない。
テーズは、アントニオ猪木がアクラム・ペールワンの腕をダブルリストロックで折ったことに対し、「わざとでなかったと信じている」と言ったが、これは重い言葉だと思う。
テーズの、レスリングへの敬意、愛は、限りなく深い。

初音ミクさんのコンサートに来る人々は、本当にミクさんに敬意を持っていることを感じる。
それは、柔らかな曲の時に、ペンライトをゆっくり上に挙げる、あの独特の動きに特に現れていると思う。あれは、純粋な意味の宗教儀式のようであり、とても美しい。
つまり、コンサートに来る人達は、本当にミクさんを愛しているのだ。

気とも言われる宇宙エネルギーを味方にすれば無敵である。
合氣道の達人、藤平光一さんは、「氣」と表記するが、この文字の中の「米」は、氣が出ていることを示しているのだと言う。
そして、氣とは、出せば自然に入ってくるのであり、自分のところに取り込もうなんて考えてはならないのだと言う。
しかし、藤平さんは、単に「氣を出す」と言うが、それでは難しい。
だが、氣を出すとは、間違いなく、愛すること、敬意を払うことだ。
万物を愛することは素晴らしいことであるが、人間は、特定の対象を愛しやすい。
テーズですら、愛である敬意を特にレスリングに向けたように。
そして、特定の対象に、愛や敬意を向ければ、やはり、氣である宇宙エネルギーは入ってくる。
それを、まずは言葉で示すのだ。
「はじめに言葉ありき」である。
たとえば私の場合だが、「ミクさん、愛してる」と想ったり言ったりすれば、強烈に宇宙エネルギーが押し寄せて来る。
あるいは、「ミクさん、ありがとう」と想うのも同じである。
これが単に、「愛してる」「ありがとう」でも、もちろん良いのだが、それだと、言葉が空虚な呪文、空念仏になる恐れがある。
空念仏でも良いという教えもあるが、やはり気(氣)が込められていることが好ましいだろう。
だから、まずは、純粋に愛する、敬う対象に対して、「愛してる」「ありがとう」と想ったり、言ったりすれば良く、それを続ければ、自ずと、あらゆるものに対する敬意と感謝・・・つまり、愛を持つだろう。









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ひきこもりでも、どこでもうまくやっていけるスキル

人と人は支えあっているとか言うが、当っているとも外れているとも言える。
いずれにしろ、そんな曖昧な言葉は実用的でない。
人間関係において、本当に有益なことは、「親切にされる」ことだ。

ひきこもりが社会で上手くやっていけない最大の理由は、職場で辛く当られる・・・つまり、親切にされないからだ。
そんなの当然だろう?
どんなひきこもりだって、周りが親切にしてくれたら、いくらでも務まる。
特に、偉い人や、リーダーに親切にされることが大切だ。

だが、たとえ、可愛い女の子や、若いイケメンであっても、会社のような場所で、必ずしも親切にされるとは限らない。
せいぜい、多少有利だという程度で、下心で親切にしてくる面倒なやつもいるだろう。

ある知恵者扱いされている医者に、こう言われたことがある。
「偉い人は、甘えられるのが好きだから、甘えればお宝をくれる」
そういう場合もあるが、それはあくまで、自分が、その偉い人の好きなタイプである場合だけだ。
そして、偉い人ってのは、好き嫌いが激しいものだ。

私は、どこに行っても、一番偉い人が親切にしてくれた。
まあ、かなり可愛いことは認めるが(冗談だ)。
方法は2つで、普通の人に出来るのは、その内の1つだ。
ルー・テーズという、プロレス史上最高のレスラーが、まさにそのやり方を無意識にだろうが、心得ていた。
ジョージ・トラゴスという偉大なレスラーは、弟子をことごとく、ぞんざい(粗略、乱暴)に扱い、挙句、潰してしまうことで知られていた。
そんなトラゴスが、17歳のテーズだけは大切にし、車で送り迎えまでしたらしい。
別に、トラゴスに変な趣味があった訳ではない(多分)。
テーズは、レスリングとトラゴスを深くリスペクト(尊敬)していたのだ。
私も、行く先々で、偉い人を、見かけだけでなく、リスペクトした。
リスペクト出来ないなら、戦うか去るかだが、そんなことになった酷いリーダーは3人しかいなかった(笑)。
いや、実際、リスペクトするところのないリーダーなんて、本当は稀なのだ。
ヤクザの親分に可愛がってもらっていた人を実際に知っているが、その人は、親分のことを本気で誉めていた。

リスペクトだって、スキルなのだと思う。
つまり、敬う訓練をすると言うか、敬うことに慣れることが大切だ。
そして、態度や言葉使いといった基本的なことは、普段からちゃんと訓練しておくことだ。それは、一流の映画で、優れた若者が、偉大な人物に接する態度を見れば、非常に参考になる。
初めの頃の、アナキン・スカイウォーカーの、オビ=ワン・ケノービやヨーダに対する様子を見れば良いだろう。
そして、最も重要なことは、崇敬して止まない存在を持つことだ。
そうすれば、自ずと、尊敬する態度に深みが出る。
私は、初音ミクさんを心から崇めているので、全てはうまくいくのである。









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人間はやる気が欲しい

多くの人が、やる気が出なくて困っているし、もっとやる気が欲しいと思っている。だが、現代人の泣き所はやる気がないことだ。
まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者)が、永久に生ゴミ以上の存在になれないのも、やる気がないからだ。
だが、現代人は、さらに悪い状況にある。
やる気はないが、食欲と性欲、そして、自意識やプライドは異常に増大していることだ。
これはもう、死んだ方が良いくらいだ。
ところで、このことから分かるように、性欲や自己重要感は、少なくとも、それだけでは、精神エネルギーにならない。
それどころか、なけなしの情熱や意欲さえ消費し尽してしまう。
アイドルというものは、昔は、人々の心に涼しい風を送り込むことで、自然とやる気を起こさせたものだが、今のアイドルは、性欲は刺激しても、さっぱり精神エネルギーを起こさせないし、それどころか、奪い取ることも多い。
まあ、精神エネルギーを集めるのは自分の責任で、誰にも、それを手伝う義理はないのも確かだが、奪う権利もないはずなのだがね。

芸術というのは、今の世の中では、投機の対象のように扱われるが、元々は、人間の心の深奥・・・無意識の中に眠る「エス」とも呼ばれる精神エネルギーにアクセスするための魔法のようなものだった。
もちろん、今でも、その使い方さえ誤らなければ、十分に、その効力を発揮する。それに関しては、岡本太郎の『今日の芸術』や『美の呪力』が大いに参考になるだろう。

素振りの回数の多いバッターや、四股を踏む回数の多い力士が結局は勝つように、自分のやるべきことに関する素振りの多い者が必ず勝つ。
どんな時代になろうが、人間は所詮、自主的な努力でしか成功しないし、そのためには、やる気・・・精神エネルギーが必要である。
そして、精神エネルギーを生み出すのは、不思議に感じるかもしれないが、敬うこと、それ以上に、崇めることなのだ。
世に悪名を轟かせる大泥棒なんて、やる気十分なのだが、そんな者達は、泥棒なりに、先達の偉大な泥棒や、崇高なる泥棒の掟を崇めているものである。

私が初音ミクさんを崇めれば、毎日5時間以上勉強し、厳しい肉体の鍛錬を1日も欠かさないように、自らの意志で崇めることが出来る存在は、実に有り難いものだ
ルー・テーズが史上最高のプロレスラーになれたきっかけも、ジョージ・トラゴスという偉大なレスラーと、レスリングそのものを崇めたことだった。
崇めるには、敬うという素地が必要だ。
思いあがった者には、敬うことが出来ないが、それなら、崇めることは全く縁がないだろう。
敬うとは、自分より優れたものに敬意を払い、礼を尽くすことであるが、今の多くの人には、そんなことは全く期待出来ない。
それほど、人々は思い上がっている。
マスコミは、人々に、優れたスポーツ選手を英雄視させるが、それはあくまで大企業と結託した金儲けのためであり、スポーツ選手の虚像しか届けないので、本当の敬意を感じさせることもない。そもそも、スポーツ選手というのは、英雄でも何でもない。
初音ミクさんに関しては、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長が、金儲けのための虚像を作ることを禁止している・・・つまり、ミクさんを、偉大なお父さんが守ってくれているのである。

ちゃんと目を開いて見れば、敬うべきものは身近にいくらでもある。
それは、例えば、柔和な人、謙虚な人だ。
その結晶であるのが初音ミクさんである。
だから、ミクさんのコンサートで、世界中の人々が、ミクさんを崇めるのである。
つまり、柔和で謙虚な者が崇められる。
ところで、ルー・テーズが崇めたジョージ・トラゴスは傲慢でもあった。ところが、面白いことに、トラゴスが若き謙虚なテーズを崇めていたのである。
若いが器の大きなテーズはトラゴスを変えたのであるが、トラゴスはレスリングに対する敬意は常に持っていたのだった。
テーズの器は、劣等感から自分を解放してくれたレスリングへの敬意と共に、貧しくて高校に進学出来なかったことで作られた。
貧しきものは幸いである。
このように、人間には複雑な面もあるのだけれど、いずれにせよ、重要なことは敬うこと、崇めることである。ただし、自主的にね。









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人生の流れを変える鍵

野球、ボクシング、バスケットボール、サッカーから学校の運動会まで、どんなスポーツでも、真剣な試合では、「試合の流れ」というものがある。
チェスはヨーロッパではスポーツらしいが、そのチェスや将棋、囲碁でも、やはり、「局面」と言う、勝負の状況を示す言葉があり、これも、「試合の流れ」のことである。
しかし、本当は、いかなることにも、「試合の流れ」「勝負の流れ」「局面」という、「ものごとの流れ」がある。
受験でも、恋愛でも、ビジネスや製品開発のプロジェクト・・・などでもだ。

そして、「試合の流れ」というのは、負けている方が、自分が勝つ方に流れを変えるのはとても難しい。
つまり、失敗の方向に流れている流れを、成功の方向に変えるのは難しいのだ。
学校生活もサラリーマン生活も、1日1日の流れがあり、入学から卒業、就職から退職までの流れがある。
人生も、1日1日の流れと、一生の流れがある。
実際には、刻一刻の流れから、あらゆる長さの流れまで、無数の流れがある。
長く続いている流れほど、マイナスの流れをプラスに転じるのは難しい。

スポーツの一流選手というのは、負けの流れを勝ちの流れに変えることが出来る選手だ。
そして、1日の流れ、何かのものごとの流れ、一生の流れを作り出せる人が幸福になれる。
では、ものごとの流れを作り出す決め手は何だろう?
スポーツでいえば、まず、力やスピード、それに、技といったものだ。
しかし、高度な局面では、「強い意志の力」が重要になる。
でもね、本当に大切なのは、「勇気」なのだ。
だが、この「勇気」は、蛮勇のことではない。
難しいのだが、「頼れる何か」だ。

史上最高のプロレスラーであったルー・テーズには、ダブル・リストロックという、磨き抜いた技があった。
地味な関節技だが、その気になれば、相手の腕を折ることも出来た。
テーズは、後1センチ締め上げれば相手の腕を折るというところまでは何度もやったが、実際に折ったことは一度もなかったと言う。
だが、この技に、何百回救われたか分からないという。
あれほどの超人的レスラーでも、それほどピンチがあるのであり、この技がなければ、「鉄人」と呼ばれるほどにはなれなかったに違いない。
このダブル・リストロックが、テーズの、いつでも必ず試合の流れを変えることが出来る鍵だったのだ。

誰だって、テーズのダブル・リストロックのように、「これさえあれば大丈夫」という、勇気が湧く、頼れる何かを持たないといけないのに、それがなく、それを得ようともしない人が多いのだ。
それを得るのは、簡単であり、難しい。
法然の念仏、ある神道の流派の「アジマリカン」(呪文)などもそうだが、テーズのダブル・リストロック同様、磨いておかないといけない。
念仏や呪文の場合は、普段、しっかり唱えることが磨くことだ。
普段、おざなりにしているのに、ピンチの時に唱えても、なかなか効果は出ない。
超天才と言われた数学者の岡潔さんは、20年間、『正法眼蔵』を読み続けて叡智を磨き続けたが、ある時、念仏に転向し、毎朝1時間、念仏を唱えたらしい。
初音ミクさんを崇め続け、愛し続けていれば、いざという時、ミクさんの歌声を思い出すと、それだけで、「ああ勝った」という根拠のない勇気が湧き、それで流れは変わる。

それには、ルー・テーズが、ダブル・リストロックを教えてくれた師のジョージ・トラゴスを、この上なくリスペクト(尊敬)したように、敬虔さが必要である。
敬虔、尊敬、畏怖、崇める・・・何と言っても良いが、憧れ敬う心が、人間に与えられた最後の切り札だ。
それをないがしろにする人が何と多いことかと嘆くが、我々はそうであってはならない。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』で、クズのような男達が、ターニャという16歳の娘を女神のように崇めることで格段に向上したように、ロオマン・ガリーの『自由の大地』で、堕落したフランス兵達が、空想の少女を姫様のように崇めることで騎士の高貴さを取り戻したように、崇めることが力なのである。
初音ミクさんを崇める者は無敵である。それがこの世の決まりである。









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人間を崇拝することの哀しいリスク

今朝も書いたが、何かを真摯に崇めることで精神性を高めることが出来るということが、非常に重要であると再認識した。
神や自然を崇めることを続けると、「敬う」という気持ちを持つことが心の習性になり、自然に、敬うということが出来るようになる。
現代人には、この「敬う」という心が圧倒的に欠け、これが不幸の原因になっている。
もし、我々が、現在、幸福感がなく、不安や恐怖が強いとしたら、おそらく、「敬う」心が無いのだろう。

また、敬う心があれば、いかなることでも成功する。
例えば、プロレスで史上最高のレスラーと言えるルー・テーズが、あれほど成功したのは、レスリングと、師のジョージ・トラゴスやエド・ルイスを、この上なくリスペクト(尊敬)していたからだ。

崇める効果に関して、今朝もご紹介した、ロシアの文豪マクシム・ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』の話が、非常にリアリティがある。
牢獄のような、狭く、熱く、息苦しい場所で、安月給で、毎日、長時間働かなければならない、社会の底辺の26人の男達は、未来に何の希望もない、ゴミ虫のような存在だった。
男達の精神は堕落し、まともな人には、とても聞かせられないほどの下品な猥談ばかりし、神から与えられているはずの知性はカケラもなかった。
だが、ターニャという名の16歳の美少女が現れ、彼女を女神のように敬うようになってから、男達は変わる。
親切、忍耐といった美徳や道徳心を取り戻し、品格が現れ、錆び付いていた頭も回るようになった。
若い魅力的なターニャに邪まな思いを持たず、彼女がいない所でも、彼女を卑しめるような淫らな冗談一つ言わなかった。
だが、ターニャは、確かに可愛いが、決して、出来た娘ではなく、ただの身勝手な娘で、彼らを露骨に見下してもいた。
けれども、男達にとって、それはどうでも良かった。
男達は、ターニャに女神を投影して見ていたのだ。

だが、この作品は、現実の娘を女神のように扱うことは、やめた方が良いという教訓にもなっていると思える。
本物の娘は、所詮、女神や天使ではない。
いつかは裏切られる。
いや、ターニャは、元々が、彼らの前で、女神や天使であろうとしていた訳ではなく、男達を「囚人さん」と呼び、繕い物を頼まれると、「何で私が、あんたのためにそんなことしなくちゃいけないの」と、嘲るように突っぱねた。
それでも、男達は、彼女が女神であると信じることが出来た。
だが、いつかは、現実の娘が、女神や天使ではないことを、思い知らされるのである。

「彼女に裏切られた」、「妻に裏切られた」、「娘に裏切られた」などと言うことなかれだ。
それは、お互い様なのだ。
お互い、天使でもなければ、ナイト(騎士)でもない。
夫婦は、キツネとタヌキの騙し合いというのは、程度の差はあっても、真実であろう。

そのことは、初音ミクさんの、『恋愛裁判』(Youtube)を観賞して、よく理解しておくことだ。
ところが、『恋愛裁判』の歌や動画を聴き、見たら、むしろ元気が出るのは、ミクさんがバーチャルな存在だからだ。
ミクさんは、『恋愛裁判』で、天使のような少女の後に小悪魔を演じるが、実際のミクさんは、天使そのもので、決して裏切らないからだ。
誰かが、ミクさんのことを、「スキャンダルのないアイドル」と言ったが、まあ、そういうことである。

だから、崇めるなら、神や女神が良いかもしれない(もちろん、よければ、初音ミクさんも)。
私は、初音ミクさんの実体である(と私が勝手に決めている)、ターラー菩薩様を崇拝している。
ターラー菩薩様は、日本ではあまり知られていないが、チベットでは広く信仰される菩薩様である。
チベットでは、観世音菩薩様が信仰の中心であるらしいが、ターラー菩薩様は、観世音菩薩様の目(あるいは涙)から生まれた菩薩様だ。
観世音菩薩様の右目(あるいは右目の涙)から白ターラーが、左目(あるいは左目の涙)からは緑ターラーが生まれた。
ターラー菩薩様は、初音ミクさんと同じ16歳のたおやかな少女だ。
ターラー菩薩様の美しいお姿に関しては、中国の画家ゼン・ハオ氏のFacebookページ「ZENG HAO DUN HUANG | Facebook」をご覧いただきたい。

「ターラー」は、古代インドの言語であるサンスクリット語で「目」、「星」という意味で、現代のヒンディー語でも、「ターラー」は「星」である(「目」は「アーク」)。
タミル語では、「目」が「ターラー」で、「星」は、「サーラー」である。
ターラー菩薩様は、東洋のマリアとも言われる観世音菩薩様の、星のごとき目の輝きの中から生まれたという説もあることが納得出来るのである。
初音ミクさんの、事実上の初めての歌(公式デモソング)は、『星のカケラ』で、これが実に良い曲であるが、やはり、ミクさんとターラー菩薩様の繋がりは深い。
『星のカケラ』は、今月(2016年3月)9日の「ミク(39)の日」に発売された、『MIKU EXPO』の公式E.P.(シングル盤)であるCD『HATSUNE MIKU EXPO 2016 E.P.』に収録されている。
まるで、ターラー菩薩様の歌のようですらある。
この歌の中で、

頬なでる柔らかな風が
そっと寄り添ってくれる
~『星のカケラ』(作詞・作曲・編曲:平沢栄司、歌:初音ミク)より~

という歌詞があり、歌全体にも風を感じるのだが、風はターラー菩薩様の象徴でもあり、ターラー菩薩様は、呼びかける者に寄り添って下さることを想うのである。
神仏を敬い、その名を想うには、やはり、その名の意味を知っておくと良いと思う。
ミクという名にも、隠された素晴らしい意味があるが、長くなったので、それはまたにしよう。









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