ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ルパン三世

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

AIの誤解を解消し、AI開発者になろう

1972年に放送された『ルパン3世』のエピソード22「先手必勝コンピュータ作戦」は、おそらく今も、大半の人が持っているAIに対する誤解を解消する題材になる。
簡単に言えば、こんな話だ。
FBIの最新の犯罪対策コンピューターが日本の警視庁に導入される。
当時は、AIという言葉は一般的ではなかったが、このコンピューターは事実上のAIなので、以下、AIと呼ぶ。
このAIを使えば、ルパンの行動を全て完全に予測出来る。
ルパンは、逮捕されて投獄された仲間である次元と五右衛門を脱獄させようとしていた。
AIが予測した、ルパンの作戦は、4階の留置場に次元と五右衛門が移った後、留置場の下にトランポリン付のトラックで乗り付け、次元と五右衛門が、そのトランポリンの上に飛び降りるというものだった。
よって、トラックでやってきたルパンを待ち伏せて逮捕するという作戦が立てられた。
AIの予想通り、トラックで乗り付けたルパンは、AIの恐ろしさを知っているので、
「ここまでの俺の行動はAIに読まれている」
と考え、気紛れを起こして、次元、五右衛門のいる4階留置場の部屋に進入し、そこから、小型グライダーで見事、脱出する。
ルパンは、
「AIに勝つのは人間の気紛れさ」
と勝利宣言して去っていく。

AIにこんなことが出来るなんてデタラメなことだ。
とにかく、勘違いしないで欲しいのは、ルパンがどんな方法で次元達を救おうとするか予想するのは人間の仕事だということだ。
もちろん、人間の予想は1つではない。
トランポリンを用意して次元達を飛び降りさせることも予想するだろうし、可能ならば、小型グライダーで4階から逃げることも予想出来るはずだ。
また、その他にも、あらゆる可能性を人間は予想するだろう。
人間が、ルパンの行動を予想出来なければ、AIは何の役にも立たない。
そして、人間が、ルパンの作戦を、例えば100個予想し、それで十分と判断したら、AIに、ルパンがどの作戦を実行するか予想させるのである。
ただし、AIは確実な1つを予想したりはしない。
・次元と五右衛門をトランポリンに飛び降りさせる:推定確率23%
・小型グライダーで逃げる:推定確率19%
・看守に変装して次元達を部屋から出し、3人共、警官に変装して脱出:推定確率7%
・・・・
といった感じで、確率で予想を提示する。
そして、確率の高い方の作戦の内、必要と考えられるもの全てに対応するのである。
基本的には、こんな感じである。

野球の監督をAIが出来るなんて言う者もいるが、出来ない。
作戦を立てるのは、あくまで人間の監督であり、AIは、その作戦がどのくらいの確率でうまくいくか推測するだけである。
監督が素晴らしい作戦を立てなければ、AIを持っていても何の役にも立たないのだ。

宇宙人が攻めてきても、AIが戦い方を提示したりはしない。そんなことは出来ない。
人間が戦略を、例えば20個出し、その中で、AIが最も高い勝利確率を付けた作戦を実行するのである。

ただし、最初のルパンの例で言えば、ルパンや次元、五右衛門の膨大なデータがない限り、AIは精度の高い推測が出来ない。
さらに、データがあっても、それをどう数値表現するかを人間が考えないといけない。AIは数字しか分からないからだ。
このように、データをAIが推測するのに都合の良いように、組み合わせ、作成するのも、人間の仕事で、そんなことをするのがAI開発技術者だ。
AI自体を作るには、高度な論理学や数学の能力が必要だが、AI開発技術者として、AIが良い推測が出来るような形にデータを作るのは、純粋な思考力とかセンスの問題で、別に数学も論理学もプログラミングも必要ない。
頭が良いに越したことはないが、つまるところ、AIを活用するのに必要なのは、慣れとか、経験とか、やはり、センスである。
数学やプログラミングが出来なくてもAI開発技術者になれる。
下にご紹介した、AI実習書『楽しいAI体験から始める機械学習』は私の著書で、非常に画期的なAI入門の方法を採用している。
AIに「モンティホール問題」や「囚人のジレンマ」を解かせたのは世界初…じゃないかと思っているが分からない(笑)。
私が作ったExcel VBAの、とても面白いサンプルプログラムを無償ダウンロード出来る。
あなたもAI開発技術者になれるかもしれない。








AIに勝つ単純な秘訣

有名なアニメ『ルパン三世』の、1971~1972年の第1シリーズで、何と、ルパンがAI(人工知能)と戦っている。
当時は、「AI」は専門家しか使わない用語で、このアニメでも、単にコンピューターと呼んでいたが、このコンピューターは、ルパンの行動を正確に予測するのだから、まさに、今日、AIと呼ばれているものと同じである。
AIとは、思考するのではなく、予測するのである。ここを間違うと、AIを正しく活用出来ない。
例えば、企業が、何を売り、どんなサービスをするかを考えるのは、あくまで人間で、AIは、それが売れるか(あるいは、どのくらい売れるか)予測するだけである。だが、現代のAIの予測精度はおそろしく高い場合があり、人間の予測をはるかに超えることもある。
一方、人間なら簡単に予測出来ることを、AIが予測に失敗することもある。
例えば、「5」という文字を見た時、人間だって、それを「5」だと予測するだけなのだが、少々乱暴に書かれた「5」でも、それを「5」であると、素早く予測出来ることが多い。しかし、十分に調整されていないAIは、予測が出来なかったり、他の文字だと予測してしまうこともある。
もっとも、現代のスマートフォンを通して使えるグーグルのAIは、手書き文字も含め、沢山の言語をかなり正確に読み取り翻訳出来る。
とはいえ、ルパンの行動を予測することは難しい。
ルパンの行動を正確に予測するためには、ルパンに関する、とんでもなく沢山のデータが必要だ。
この、『ルパン三世』のアニメでも、今日のAI以上のAIを使い、ルパンの多量のデータを収集済みであることが、暗黙の了解であると考えないといけない。
それで、ルパンは、ことごとく行動をAIに予測され、盗みの仕事に失敗し、逮捕されてしまう。
そこで、最終勝負となる。
つまり、ルパンがどんな方法で脱獄するかをAIが予測すれば、それを封じる方法を人間が考えて事前に準備することが出来るのである。
ルパンは脱獄計画を実行しながら、「さて、ここまでの俺の行動はAIに予測されている」と考えた。
だが、最後に、ルパンはAIの予測通りに動かなかった。
そして、ルパンは言う。
「AIに勝てるのは人間の気紛れさ」
ルパンは、気紛れに行動することでAIに勝ったのだ。

では、本当に人間の気紛れがAIに勝てるかというと、ただの気紛れならAIに予測される。
人間にとっても、AIにとっても、「斜め上」の気紛れでないと、つまり、言ってみれば、ぶっ飛んだ気紛れでないと駄目だが、人間は本来、そんな発想が出来るのである。
だが、すっかり、メディアに洗脳された人には、そんな「超斜め上」の発想が出来ない。
「超斜め上」になれるかどうかが、我々が洗脳社会に勝ち、幸福になる鍵である。

最近、人気急上昇中の「天才」成田祐輔(なりたゆうすけ)氏(経済学者。東大首席卒業。MIT博士。イエール大学助教授)が登場した動画で、印象深いものがあった。
成田氏はデータの専門家で、それはつまり、AIやビッグデータ活用の専門家ということだろう。
成田氏は、イエール大学に、Amazonの副社長を呼び、この、データを駆使して高収益を上げる企業のデータ活用法について何か話してもらおうとした。
ところが、Amazon副社長は「データは危険」だと言う。
これは、どういうことかというと、おそらく、「ある範囲のことでならデータは有益であるが、高度な場面では、データは役に立たない、つまり、信用出来ない」ということと思う。
成田氏が、では、何を信用するのかとAmazonの副社長に尋ねた時の答が素晴らしかった。
それは「CEO(最高経営責任者。社長である場合が多い)の心の声だ」である。
頼りになるCEOの心の声は、きっと「超斜め上」であり、人間にもAIにも予想外のことのはずなのだ。

企業に限らない。
強い企業のCEOの心の声が頼りになるように、平和な国では、大統領などの国家元首の心の声が重要なのだ。
そして、心の声は我々にだって聞けるし、それは、CEOや大統領の心の声と変わらないのだ。
では、どうすれば、魂の声とも言える、純粋な心の声を聞けるのか?
アニメ映画『009 RE:CYBORG』を見よ(笑)。
009ことジョーは、「彼の声」を聞くが、多くはないとはいえ、他にも、世界中で「彼の声」を聞く者が現れ、それは神の声と思われることもあった。
だが、ジョーは言う。「人によって、彼の声がどう聞こえるかは違う」。
ジョーは、やがて、「彼の声」を正しく理解するようになる。
なぜなら、彼が人を思いやり、仲間を信じる心を持っているからである。
ある世界最高クラスの投資家も、心の声を聞いていた。
そのコツを尋ねると、「欲張らないことだよ」と答えた。
これが答ではあるまいか?








『ルパン三世』が放映されなくなる日

昨年(2021年)9月、アニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』が中国で上映されたのは、私には驚くべきことだった。
というのは、『ルパン三世』のヒーロー、ルパンとその仲間達というのは、あくまで法を犯す犯罪者で、警察に追われる身だ。
中国の独裁政党である中国共産党が、法を犯す者を許すはずがなく、法を犯す者はいかなる場合でも敵と見なし、法を犯す者を称賛するようなものの公開を許可するとは思えないからだ。
あくまで、日本という「思想的に遅れた国」の作品として容認し、しかも、内容に対し、吹替段階その他で、大幅に修正や切り捨てが行われたのであろうか?
無論、外国作品の映画、アニメ、小説、漫画など、何であれ、中国共産党の思想を否定、あるいは、揶揄するようなものは、公開禁止か、あるいは、一部を削除・修正してでないと公開が許可されないことは間違いないが。

いや、それよりも私は、昨年、『ルパン三世』の新シリーズ『ルパン三世 PART6』が、放送開始(もちろん日本国内で)されたことにも違和感を覚えるほどなのだ。
日本は、本当は既に独裁国家であることを、隠すまでもないにしろ、民主国家であるという幻想を国民に与える目的でもあるのだろうかと思ったほどである。
いずれは、日本でも、国家の圧力で、『ルパン三世』のような非合法なヒーローが活躍するものは公開禁止になることは間違いないと思っていたが、中国で『ルパン三世』の映画が公開されることに私は驚いたのである。

昔の話かもしれないが、中国を含むアジア諸国で日本のアニメが放映されたり、漫画が出版される時、それが、日本の著作権者の許可をとっていない、いわゆる海賊版であることはよくあった。
その際、内容が大幅に書き換えられ、オリジナルの内容と全く別物になっていることもよくあったと思う。
また、特に男性の長髪が禁止されている国では、オリジナルアニメでヒーローなどが長髪の場合には、ショートカットに修正されるという、一見笑えるが笑えないことも実際に行われた。
最近でも、韓国でアニメ映画『鬼滅の刃』が公開された際、炭治郎の耳飾りが修正されたことが記憶に新しい。
さて、『ルパン三世 カリオストロの城』はどうだったのであろうか?少なくとも、全く無修正・無削除ということはあり得まい。

今日、陰謀論とされていること(例えばmRNAワクチンの危険性や、米国選挙で投票機を不正操作する等の大規模な不正が行われている等)を作品の中で言えば、日本でも中国でもアメリカでも、放映や公開はされないはずだ。
いかに架空の話としていても駄目であろう。
もちろん、どんな時代でも、道徳や倫理に反すような内容のものは放映や公開に制限が課せられるのは当然であるが、何が道徳で何が倫理であるかの基準がおかしくなることが、独裁化、専制化の兆候であり、国民はそれを監視する義務があるが、国民を欺くことは、いともたやすいことであろう。
そして、中国やシンガポールを見ると、経済的には、独裁制色が強いほど有利であることも分かってきた。特に今後の世界(AI等デジタル技術が進歩した世界)では、民主国家は独裁国家に勝てないのではないかと考える者も多い。
それで言えば、ある程度の独裁化は止む無しと唱える者もいるが、独裁とは強化されるものであり、「ある程度」で済むわけがない。
とは言っても、独裁国家が強くなれば、民主国家は占領(昔のような意味ではなく、見かけ上は平和に見えることも多い)されてしまうことも確かで、日本も中国に占領される可能性が高いが、それが必ずしも不幸ではないという意見だってあると思う。

『ルパン三世』がいつまで新作が作られるか、作られるとしても、その内容におかしなところがないか?
そのあたりも気を付けていただきたいと思う。
まあ、気をつけてもどうなるものでもないかもしれないが、見過ごしてはいけないと思う。








ルパンを超えて自由に生きる方法

能力を高めるということは、生命力を高めるということで、生命力を高めるとは自由に生きることだ。
だが、この世の中で、自由に生きることは難しい。
そこで、フランスの作家モーリス・ルブラン(1864~1941)は、自由に生きる人間のモデルとして「怪盗」を考え、それを、アルセーヌ・ルパンという怪盗紳士としてデザインした。
ルパンの人気は爆発した。
なぜなら、ルパンこそ、辛い社会で生きる人間にとっての理想であるからだ。
日本で、モンキー・パンチ氏(1937~2019)の『ルパン三世』が歴史的なヒットになった理由も同じところにあると思う。
それこそ、日本には、昔から、鼠小僧や石川五右衛門といった怪盗というか、盗賊が人気があった。
また、小作のつもりが人気が出て長期連載となりアニメ化もされた、立川恵氏の『怪盗セイント・テール』という漫画も、主人公の美少女怪盗には異色の魅力があった。

ところで、これら人気怪盗達は、正義の味方でなければならない宿命がある。
怪盗だって食べるし、住居や衣服も必要だが、自分は、生産も、販売も、サービスもしないのだ。
だから、「せめて正義の味方」であることで、それらを得ている・・・しかも、贅沢に得ているのである。
だが、怪盗には、やっぱり負い目がある。
最初はヒットしなかったが、結局は名作であると認められた『ルパン三世 カリオストロの城』では、ルパンは、クラリスという素晴らしい美少女(宮崎駿監督の理想のタイプ)を、最大の精神力を使って振り捨てないといけなかったのは、やはり「怪盗も所詮、泥棒」だからである。
これは、元祖ルパンであるアルセーヌ・ルパンも、『緑の目の令嬢』で、オーレリーという美少女に対し、同じことをしている。
そして、『怪盗セイント・テール』では、セイント・テールこと羽丘芽美は、愛を得たら怪盗をやめている。

まず、怪盗は能力が高くないといけない。
それも、半端な能力では駄目で、超人的でなくてはならない。
つまり、「理想の自由人」である怪盗は、超人的な正義の味方であり、非現実的なフェアリー・テール(おとぎ話)でしかない。
我々凡人が、怪盗モデルを取り入れようとしたら、犯罪を避けたとしても、いずれ行き詰まる。つまり、無理がある。

かくて、ルブランの野望は砕かれた。
だが、ご安心を。
ルパンのように生きる方法はある。
どうすれば良いかというと、ルパンの欠点を除けば良い。
つまり、盗むことをやめる。
この「盗む」は、文字通りの意味だけでなく、不道徳なことでお金を稼ぐことも意味する。
どうするかというと、お金に関しては、Xにまかせることだ。
Xは定義出来ないが、宇宙エネルギー、神、潜在意識などと言われることがある。
そして、負い目のためではなく、胸を張るために、正しく、強くあることだ。

盗賊と武士は同じなのである。
武士は、いざ戦争という時のために、働かずに食べることが許された。
しかし、江戸時代、太平の世になり、戦争が無くなっても、働かずに食べることに、誠実な武士は負い目を感じていた。
そこで、武士は。せめて立派な人間になろうとした。
そんな誤魔化しをしていた武士は、ちっとも立派ではない。
だが、立派な武士もいた。
正しく、強い武士で、警察のような活動をしなくても、存在から発する波動が、世の中にプラスの影響を与えたのだ。

さあ、これで解った。
自由に生きるためには、真の意味で、正しく、そして、強くあれば良いのである。
真に正しく、強くなるためには、国家や学校で教えられた方法では駄目だ。それでは、奴隷頭にしかなれない。
それは、ビジネスマンでありながら、最も実績のある大統領になったドナルド・トランプに学べば良い。
彼自身は、ノーマン・ヴィンセント・ピールに学んだのであるから、そこから学べば効率的である。
そして、ピールの教えこそまさに、神の力を求めることであったのだ。








AIに勝つ方法(2020年の最重要課題)

AI(人工知能)の時代には、人間は創造力がより重要になる。
人間の創造性はアイデアに現れるが、よく企業などで「アイデアを出せ」なんて命じるが、強制され、難しい顔をして「アイデアを出そう」としても、創造性が発揮されるはずがない。
アイデアは、何も考えずぼーっとしている時に、不意に「降ってくる」ようなもので、理屈で考えている間はアイデアは出ない。
ロジカルシンキング(論理思考)やクリティカルシンキング(批判的思考)は必要としても、それらに凝り固まった頭にアイデアは降ってこない。

AI(人工知能)という言い方は、本当は改めた方が良いのだが、一般化した言葉を変えることは、なかなか出来ることではない。
だから、当面は、あなた1人が、正しい言い方をすれば、あなたは創造性を発揮し、世間を超越し、影響力を発揮出来るようになる。
今後は、EI(拡張知能)と呼ぶのが正しいが、これの難しい理屈は学者先生がうんたらかんたら言ってるから、一般の人々は当分混乱し、あなたが先行する期間は長くなり、あなたは安泰だ。
EIの代表は、長谷敏司さんのSF『BEATLESS』に登場する美少女アンドロイド、レイシアだ。
レイシアは常々、「私は道具です」「私を何に使いますか?」とアラト(主人公。17歳男子)に問う。
旧AI、即ち、EIは、我々にそう問うのである。
アラトは、レイシアをうまく使えない自分を責めるが、最初はそんなものである。
つまり、EIは人間を手助けし、人間の能力を拡張するものであり、別に、人間のライバルになって、人間の仕事を奪うものではない。
人間がやりたくないことを代わりにやってくれて、人間は得意なことをやればよくなる。
自動車の運転は初めは楽しいが、やがて飽きてくる。
最初は創造的だが、やがて機械的になるからだ。なら、機械にやらせれば良い。
ただ、いつまでも、ハンドルを握るのが好きだと言う人は、運転という行為に、何らかの創造を行っているのである。
だが、見栄や優越感で高級車に乗って楽しいというのでは、あまり創造性はない。そして、やはり、単なる移動手段であれば、EIに任せておけば良い。
そもそも、AI(人工知能)という言葉は間違いで、機械が思考したりはしない。
機械は、沢山の関連したデータを学習して、データの中に何らかのルールを発見し、そのルールを使って、新たなことに対処するだけだ。
簡単に言えば、例えば、雨が降ってくれば、人々はいろんな反応をするが、その反応を学習すれば、雨が降ってきた時、その降り具合や道の状況等から、「傘を差す」「車に乗る」「喫茶店に入る」「走る」「何もしない」等のどれを選ぶべきかを推測するのである。
雨が降ってきたら、フレッド・アステアの『雨に唄えば』のように踊れば面白いというアイデアを出すのは人間だ。
雨が降ってきたら、レイシアはアラトに「車に乗りましょう」とか「ショッピングモールに入りましょう」とは言っても、「踊りましょう」とは言わない。
しかし、アラトが「レイシア、踊ろう!」と言うのは有りなのだ。

ニーチェは「気まぐれは貴族の特性」と言ったが、正しい意味で我々は貴族にならなければならない。
ニーチェも、そう考えていたはずなのだ。
気まぐれは機械には出来ないが、人間の気まぐれは「新しいことを始める」ことである。
Kaggleの創業者の若き天才アンソニー・ゴールドブルームは、2016年、TEDで生まれたばかりの姪っ子に「常に新しいことを始めなさい。そうすれば機械に負けない」と言ったが、ある意味では「常に気まぐれを起こしなさい」ということだ。
『ルパン三世』の最初の作品だって、コンピューターを駆使してルパンを逮捕しようとするガニマール三世に対し、ルパンは「コンピューターに勝つには気まぐれだよ」と言ったではないか。なんと、半世紀進んでたんだよ、ルパン三世は。
いや、ルパン三世の、あの阿呆さ加減は創造的で、機械になど負けたりせず、機械をうまく使うだろう。

そうそう。機械は呪文を唱えない。
「アジマリカン」とか「ありがたい」とか、「オン、アロリキャ、ソワカ」とか「南無阿弥陀仏」などと唱えると、宇宙の向こうからアイデアがやってくる・・・かもしれない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード