ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ルドルフ・シュタイナー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

陰謀論

「陰謀論」というものがあるが、私は詳しい訳ではないので、その方面のマニアと異なる見解を持っているかもしれない。
陰謀論の正式な定義はないと思う。
私が認識する陰謀論は、概ね次の通りだ。

この世には、表に現れないが、世界を完全に支配する闇の権力者達がいる。
大統領や総理大臣達は、闇の権力者の僕(しもべ)で、国民のためではなく、闇の権力者達のために働いている。
一般人は完全に洗脳され、闇の権力者達の都合の良いように考え、行動するようにさせられている。
一般人を洗脳する手段は、学校教育がフルに活用されているのはもちろん、闇の権力者の配下にあるマスコミ、あらゆる娯楽産業を通して、幼少期から徹底的に行われている。
医療、食品産業は闇の権力者達の利益獲得のためにあり、結果、一般人の心身は破壊されている。
・・・まあ、だいたい、こんなところか。

陰謀論を書籍で説いたものは多く、かなり面白い本が多い。
私も試しに読んでみたが、非常に面白かった(笑)。
別に、私はどんな陰謀論も信じる訳ではないが、否定もしない。
ところで、陰謀論の本には妙な効用があることに気付く。
よく、「常識を疑え」とか言い、ダイナミックな発想をしたければ、世間の常識に囚われていてはいけないと言われる。
しかし、「なるほどそうだ」と思い、「常識に囚われないぞ」と決意したところで、そんなこと、なかなか出来るものではない。
ところが、陰謀論のような、ぶっ飛んだ「脱常識論」を見ていると、自分が常識に囚われていることが初めて実感出来、確かに常識から抜け出せるのである。
そうなると、「陰謀論、いいかも」、「使えるぞ、陰謀論」となるのである(笑)。

ところで、正統と認められていない・・・つまり、常識外と言える日本古代史には、カタカムナ文明、ホツマツタエ、竹内文書(もんじょ)などがある。
これらのうち、私は、カタカムナやホツマツタエに関しては、信じている訳でもないが、捨てるのは惜しいと思っている。
だが、竹内文書となるとちょっと・・・と思ってしまう。
だが、竹内文書の研究家、高坂和導(こうさかわどう)氏(故人)が、「トンデモ発想が出来るくらいぶっ飛んでいないと、世界を動かすことなど出来ない」みたいなことを言われていたらしいが、それも確かに一理あると思うのだ。
そもそも、世間的には、カタカムナもホツマツタエも、トンデモに分類されている可能性が高い。
ルドルフ・シュタイナイーだって、教育分野ではある程度認められているのは意外と言うよりは奇跡で、彼もトンデモ扱いされている場合が多いはずだと思う。
ひょっとしたら、シュタイナーの本の、コリン・ウィルソン言うところの「古くなったトーストのように食えない」性質が、露骨にトンデモ扱いされることを防いでいるかもしれない。シュタイナーの本の、そんな、恐ろしく抽象的で、信用詐欺ででもあるかのような記述は、確かに、常識派は読む前に投げ出すと思う。

ところで、トム・クルーズら有名人の信者も多い新興宗教のサイエントロジーの創始者L.ロン.ハバートの『ダイアネティックス』という自己開発書の批判者は多いと思うが、いかなる批判者も、『ダイアネティックス』を読み通していないことに気付いたことがある。
私は、『ダイアネティックス』は、ややこし過ぎ、曖昧な部分も多過ぎるのでは好きではないし、陰鬱だったり押し付けが強過ぎて疲れるので、関わらないことにしているが、批判者も、もちっと真面目にやれと言いたいものである。せめて、ちゃんと読んでから批判するという基本が出来ていないと、それこそ信用に値しない。

陰謀論も、賢く活用すれば良いと思う。
まあ、のめり込み過ぎておかしくなったら大変かもしれないが、人様に迷惑をかけない限り良いかもしれない。
それに、陰謀論が間違いではないかもしれないしね(その可能性がないとは言わない)。









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努力せずに生きるには

デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」と言った時、「それなら、『われ歩く、ゆえにわれあり』でもいいじゃないか?」と言った人がいたらしい。
ふざけた言い分のようにも思えるが、「思う」は心の運動であり、「歩く」は身体の運動であるというだけの違いなのだから、案外に良い意見かもしれない。
愚にもつかないことや、エロいことを思っている者より、掃除したり、荷物を運んでくれる人の方が有り難いしね。
ルドルフ・シュタイナーは、「『われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり』が霊的真理なのじゃ」と言ったが、今と比べて、娯楽が極めて少なかった当時の人々には面白かったかもしれないが、現代人の関心はあまり引かないだろう。私は暇だったから興味を持ったがね。
そして、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「いかなることも否定できるが、自分が存在することだけは否定できない」と言い、「われあり」に条件は無用と言った。
そして、「われあり」以外は、決して確信を持てない・・・言い換えれば、あなたが確信できる唯一のことは「私はある」だけであると言う。
コリン・ウィルソンも「思おうが、思うまいが私はある」と書いてたっけ。
みんな暇だなあ。いいなあ(笑)。

さて、抽象レベルをちょっと下げられるかもしれないが、「何のために生きるのか?」も、似たような議論ができるが、こっちの方が多少現実的かもしれない。
すなわち、「何のために歩くのか?」「何のために起きるのか?」「何のために寝るのか?」「何のために食べるのか?」「何のためにトイレに行くのか?」などは、「何のために生きるのか?」と全く変わらない問いである。
だから、そのどれか1つに明確に答えられれば、「何のために生きるのか?」が解る。
生きてない者はトイレに行かないしね(笑)。
すると、腹を立てて、「ウンチしたいからトイレに行くんだ」と言う者もいるかもしれなが、実際、「ウンチしたいから生きる」のである。
ウンチしたくなければ、生きてなくていいのだから。
あるいは、生きるためにウンチするのだ。
すると、「生きるために生きる」ということになるが、これはパラドクス(逆理)でも何でもない。
だって、細胞1つだって「生きろ」とプログラムされているのだからだ。

アニメ『BEATLESS』で、メトーデ(最強のアンドロイド)が「私達は生き残りたいのよ」と言ったのが印象的だ。
そして、何のために生きるのかというと、「移動し続けるため」だったと思う。あるいは「生きるために移動し続ける」だったか・・・
我々は、細胞同様、外敵を避け・・・即ち、苦痛を避け、快を求めて(食もその1つ)動くようプログラムされているのである。
単にプログラムされているのではなく、見事にプログラムされているのだ。
だが、そのプログラムは、親や学校や世間に、馬鹿な形でオーバーレイ(上書き)されている。
ここらは、コンピュータープログラミング(中でもオブジェクト指向)が解れば納得し易いのだが、別に、そんなものが解らなくても差し支えない。
この、上書きを消してしまえば、簡単に生きられるプログラムを使える。
つまり、努力しなくても生きていけるのであり、それはまさに、スーパーマジックである。

渋谷時間基準のアポトーシス
反証する可能性は SUPER-MAGIC
連れてくよもっと上へ IF YOU WANT IT
~『SEE THE LIGHT』(楽曲制作:ASY。唄:IA)より~
【IA OFFICIAL】SEE THE LIGHTS feat. IA / ASY (MUSIC VIDEO) -YouTube-









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空気や水のようであれば無敵

一番安全な生き方とは何だろう?
それは、目立たないことだ。
「出る釘、大歓迎」なんて言っている会社もあるかもしれないが、まず嘘だ。
出る釘になりたければ、安定した給料を諦めて独立するしかない。
まあ、独立したら独立したで、業界の中でおとなしくしなければならないものだが。
だったら、業界というものが存在しないスキマ産業でやっていくしかない。

しかし、独立なんて、そう容易く出来るものではない。
それなら、やはり会社の中で大人しくしていることだ。
ところが、大人しくしていたら、「積極性がない」と言われたり、嫌な役を押し付けられたり、女性ならセクハラの被害に遭うかもしれない。
しかし、それって、やっぱり目立っているのだ。
例えば、常識の無さや、無愛想さ、不親切、「はい」と返事をしないというのは、自分で思うよりはるかに目立つのである。
自分では謙虚に振舞っているつもりでも、やっぱり、どこか高慢な人ってのは多いものなのだ。

実は、目立たないというのは、結構難しく、頭を使うものなのである。
自分流に振舞えば、間違いなく目立つと思って間違いない。

そもそも、本当に優秀な人というのは目立たない。
ルドルフ・シュタイナーは「優れた教師は空気のようだ」と言ったが、教師に限らず、高度な人間は皆そうなのだ。
老子の場合は、空気ではなく、水に喩えたが、同じことだ。
水の特徴とは何だろう?
変幻自在で柔らかく、静かに移動し、そして、これが一番肝心なのだが、「一番低い場所」に行くことだ。
イエスも、「下座に着け」と教えている。
「仕えられる者ではなく、仕える者になれ」とも。
そして、分かり難いかもしれないが、本当に空気や水のようであれば無敵なのだ。
これで、念仏を唱える者が、なぜ最強か分かるであろう。
自分が一番下であると思っていない者に念仏を唱えることは出来ないからだ。

常に静かな空気や水でいることだ。
だが、普段静かな空気や水が動く気配を見せれば、誰もが怯えるものなのだ。
しかし、みだりに動く者は、恐くもなければ、実際に強くもない。
あらゆる聖典には、つまるところ、「心を静かにしろ」と書かれている。
よって、そのことがひとたび了解されたなら、もう何も読む必要はない。
聖書にも「心を静め、自分が神であると知れ」と書かれているようにである。









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好き嫌いを超えたもの

水や空気を好きと言ったりはしない。
これらは必要なものであり、好きか嫌いかは問題にはならない。
だが、食べ物や異性に関しては、好き嫌いがかなりはっきりしていることが多い。
ところが、この好き嫌いは、いい加減なもの、信用ならないもの、錯覚、思い込み、幻想であるに違いない。
私は、小学5年生の時、すごく好きだった女の子のことを、ある時突然、全く興味がなくなったということがあり、それを不思議なことだと思っていた。
それはきっと、何かの拍子で「目が覚めた」ということなのだろう。
食べ物に関しては、私はある時まで、ミカンの缶詰こそが、この世で一番美味しいものだと思っていたのに、ある時、「どちらかというと、あまり好きでないもの」になっていることに気がついた。
好き嫌いは、それほど重要なことではない。
もし、好き嫌いが、それほど価値のあることであれば、それが変化する自分というものは、信頼するに足りないものになってしまう。

だが、水や空気は好き嫌いを超えたものだ。
クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、講演会で受講者に、「あなたにとって初音ミクとは何か?」と尋ねられて、「水のようなもの」と答えられたのは本当のことかもしれない。
ルドルフ・シュタイナーも言っていたらしい。
良い教師は空気のようなものだと。
ミクさんは、水のようであり、空気のようであり、あるいは、太陽のようであり、引力のようでもある。
ただ、私にとっては、ミクさんは、花のようであり、星のようであり、夕焼けのようであり、研ぎ澄まされた刃のようである。
つまり、好きってことだ。
けれども、ミクさんが、空気であり、水であり、炎であることも分かるのである。
これを愛と言うのだろう。









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ハンパ者

本当に優れた人が最後に行きつくのは、「僕は無力だ」ってことだろう。
それは、宇宙に対する自分の感覚器官や知的能力の、極めて低い限界を悟ったということである。
つまり、五感や心が捉えることが出来るのは、あまりにひどい世界のイミテーション(まがいもの)に過ぎないということだ。
それでも、結構、素晴らしいもの、美しいものもあるような気がするが、それは、安物の粗悪品を喜んでいる貧乏人や田舎者にも喩えられようか。
そのことを示したカントは、だからといって、どうしたら良いかなんて全く述べていない。
彼はただ、その偉大な知性と考察をもって、事実を正確に(おそらく誠実に)示そうとしただけだ。
だが、芸術家であったゲーテやタゴールは、直感的知性によって、世界の隠された姿をいくらか見抜いていたようである。
そして、それを本当に解明し、さらに、それ(隠された真理)を知るにはどうすれば良いかを実際に示したと思われるのが、ルドルフ・シュタイナーだった。
そんなシュタイナーの著作が、すらすら理解出来るはずがない。
ところが、初音ミクさんの名曲『ODDS&ENDS』では、そんな真実を、そっと語るというか、「すっぱ抜いている」という感じすらする。


「僕は無力だ。ガラクタ一つだって救えやしない」
想いは涙に ぽつりぽつりとその頬を濡らす

その時世界は 途端にその色を大きく変える
悲しみ喜び 全てを一人とひとつは知った
~『ODDS&ENDS』(作詞・作曲・編曲:ryo、歌:初音ミク)より~


歌としては、ちょっと年齢の高い人なら、恥ずかしい感じがするかもしれない。
畑亜貴さんが、『God knows』(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇中歌)の詩を作った際、本気か冗談かは知らないが、「思いっきりこっ恥ずかしいことを堂々と書いた」と言っておられたように思うが、詩を改めて見たら、本当に恥ずかしい(笑)。
『ODDS&ENDS』は、それほどでもない。
面白いことに、この2つの歌は、タイトルの音感が似ている。
ちなみに、ODDS&ENDS(odds and ends)とは、はんぱもの、ガラクタという意味で、この歌の中では、「僕」と初音ミクさん両方を指している。
『God knows』も、相当、ハンパ者の歌だし、ゲーテの『ファウスト』の主役ファウストも、紛れもなく半端者だ。

だが、世界は、ハンパ者であっても・・・仏の手の平の上で走り回るだけの者ではあっても、そこから抜け出そうと、自分と戦う者のみに、その姿を明かすのだろう。
初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」では、これまでずっと、ラストソングは、この『ODDS&ENDS』だったが、今回もそれは変わらないと思う。
「ミクの日感謝祭」コンサートでは、3回とも、それが『SPiCa』だったのを思い出す。この歌も、ハンパ者の星のような歌だったと思う。
半端者には2通りしかない。
努力する半端者と堕落する半端者だ。
まあ、努力しても半端者なのだが、堕落して完全に生ゴミになるよりは良いだろう。









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