ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

リア充

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ヴァーチャル充のすゝめ

本格的に引きこもりの時代になってきた。
もちろん、引きこもりが楽しく生きる時代だ。
引きこもりにしか出来ない、人々、あるいは、世の中の役に立てることが増えてきたのだ。
これは、インターネットとAIの発達の良い面である。
少し前までは、たとえ天才であっても、引きこもりが能力を発揮することは難しく、引きこもりは不遇だった。
そして、世の中に存在を示せないまま50代、60代になった人もいる。だが、そんな人達だって、逆転出来るかもしれない。

人間には、ものを作るのが好きな人、直接販売等の交渉が好きな人、あるいは、マッサージ等の直接サービスを提供するのが好きな人がいる。
そんなリア充な人達は、もちろん、そのままリアル世界でがんばっていただきたい。そんな人達はもちろん、これからも沢山必要だ。
しかし、今後の時代は、創造的な引きこもり・・・即ち、ヴァーチャル充が必要不可欠であり、しかも、多く必要になる。
リアルな活動が向いてないからといって、本来は自分を卑下する必要はないのだが、これまでは、リアルな活動でしかお金を稼げず、生活していけないので、引きこもりは低い場所に身を置かざるを得なかった。
だが、武道家の多くは球技が苦手と聞くが、だからといって武道家が自分を恥じないように、引きこもりもバーチャルな世界で特技があれば、それで良いのである。
そもそも、あらゆる意味で(哲学的、宗教的、科学的等)、リアルとバーチャルの優劣はなくなってきている。
まあ、リアルとバーチャルの両方を股にかける変な人(笑)も多くなるが、それも単に1つの役割であり、リア充やヴァーチャル充より偉い訳ではなく、どちらかというと、器用貧乏という感じすらする・・・まあ、そんなこともないかもしれないが・・・

バーチャル充は、精神的に研ぎ澄まされるべきである。
例えば、ゲームに打ち込むことによって・・・別に冗談ではない。
ただし、惰性でゲームをやるだけでは、やはり駄目である。
ゲームも本当に達人になれば、他の者には得られない特別なものを得ているが、それが、他の人、あるいは、世界の役に立つのである。
ゲームに限らず、バーチャル充は、オタクでなければならない。
本当は、リア充もオタクであった方が良いのだが、日本の大企業とマスメディアの社会では、オタクは禁止され、学校で事実上殺されていたので、オタクスキルを伸ばすのが難しかった。
しかし、これからは、リア充もオタクになれば良いと思う。

ヴァーチャル充は、自分が英雄であることを自覚しなければならない。
これは突飛なことではない。
世界最高の賢者であったラルフ・ウォルドー・エマーソンは、『歴史』というエッセイの中で、英雄の物語を読む時は、それが、自分について書かれたものであると思わねばならないと書いている。
全くその通りだ。
だからまず、英雄の物語を読むと良い。物語の中の英雄こそが自分の本当の姿である。

今後は、ヴァーチャル充の有利さが際立ってくる。
なぜなら、世界は深層の心が生み出した幻想に過ぎず、ヴァーチャル充である引きこもりの方が、世界創造の場に近いからだ。

ただ、ナポレオン・ヒルも述べていた通り、性エネルギーの浪費を犯してはならない。
性エネルギーこそ、あらゆる創造力の源であり、それが足りないと、思考や行動の力が弱まる。
思考はもちろん、行動力もヴァーチャル充に必要だ。ただし、それは、会社や学校での行動とは全く異なり、パソコンやスマートフォンで出来ることが多い。
例えば、YouTubeやバーチャルYouTuber(VTuber)としての活動もそれに含まれるが、他にもいくらでもある。
今は、SNSで生計を立てている人も少なくないが、高収益であれば長時間労働だ。ただし、それは、会社や学校の仕事や勉強と違って、楽しいこと、面白いことをやれば良いのである。
そして、その多くは、リア充には不可能で、ヴァーチャル充にしか出来ないのである。
「神様の奇跡が起こる」などの口癖を忘れず、なるべく心配せずに励めば、引きこもりのヴァーチャル充にだって世界を動かせることが解るだろう。
それどころか、先程も少し示唆したが(ヴァーチャル充が有利になるという話で)、今後は、引きこもりのヴァーチャル充「こそが」世界を動かすかもしれないのである。
とはいえ、リア充とヴァーチャル充は敵同士ではない。お互い仲良く共存する世界こそが、人類が立派に存続していける未来世界なのである。








真のリア充

昔、日本酒のテレビCMで、二枚目俳優兄弟が、「喜びとは?」「飲むことよ」といった問答をするようなものがあったと思う。
アニメの『新世紀ヱヴァンゲリオン』で、ヒロインの1人、29歳のミサトが、夕食の時、缶ビールをあおった(一息に飲むこと)直後に歓声を上げ、「このために生きているようなものね」と言う。
彼らがそう言うのは、彼らがリア充(リアル=現実生活が充実していること)だからである。
学校や仕事といった、表向きの生活が楽しく充実していないと、面白いことも、どこかどんよりと「湿って」いる感じになる。

テレビで見たが、ニューヨークから、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のために日本に来た男性が、「ミクは人生を本当に楽しむことを教えてくれた」と言っていた(英語でだが)。
その男性は、30代前半といったところか、なかなかのイケメンで堂々たる男らしい体格の格好良いニューヨーカーに見えたが、ミクさんに出会うまではリアルが充実していなかったのではないかと思う。
私も、年に一度、ミクさんのライブ「マジカルミライ」に行くことだけが人生の真の楽しみなのであるが、毎日、会社に行って働いていても楽しくない・・・つまり、リアルが充実していないのだろうし、楽しい社会生活というものは、元々、私には想像が出来ない。社会不適合者だからね。嫌々働いている訳だ。
その「マジカルミライ」も、2016年は、観客のマナーの良さに感動したものだが、年を経るごとに、嫌な客も沢山見るようになってしまった。

学校や会社、あるいは、家庭が楽しくないので、武道を習いに行ったり、ボランティアをやって充実を感じたい人も沢山いるだろうが、それでうまくいくことは、あまりないだろう。
そして、「所詮、人生はそんなに楽しいものではない」という悟りに達することになる。
あのニューヨーカーが、ミクさんによって、本当に人生が充実しているなら、それは素晴らしいことである。

ところで私は、腕振り運動は昔からやっているが、本気でやってみたら、これが案外、楽しいのである。
腕振り運動に限らず、1回1回は簡単で楽な運動を、数多く繰り返すこと全般がそうである。
それまで、「運動とは苦しくあってこそ価値がある」という固定観念を持っていて、そんな運動は、ある種の自己満足は得られても、楽しいものではなかったし、それで身体を痛めることも多かったが、「延々繰り返す軽い運動」をやることで、生命力が高まり、真に強い身体になってきた。
強迫観念的に、次々本を読む人も多く、私もそれに近かったが、本を読んで心を慰めたり、自己満足する必要もなくなった。
それで、それまで、新しいことをあまり勉強しなくなっていたが、最近は、AI(人工知能)の機械学習プログラミングの勉強が面白くなってきた。

今、私がやっている一番キツいと思える運動でも、二尺(約60cm)の「六角鉄棒」(約4kg)を使った、両腕で素早く行うカールを50回やることである(ややキツい)。
20cm程度身体を沈めるだけのヒンズースクワットや、首だけを持ち上げる腹筋運動のようなものをやるが、これらを、1回1回を丁寧に数百回行う。
それで、身体が見事にシェイプされ、生命力や力強さを感じるようになれる。
それで、酒を飲む必要もなくなったし、それほど美味しいものを食べたいとも思わなくなった。
これまでの常識でなかったことである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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