ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

ラメッシ・バルセカール

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

超他力本願主義

人生をうまく生きるために覚えておくべき3つのことと言えば、私なら、次のことを思い浮かべる。
1つは、江戸末期から昭和初期の農民であった因幡の源左(いなばのげんざ)という人物の話だ。
草刈りに行き、牛に刈った草の3束を乗せたが、彼は牛を可愛がっていたので、自分も1束担いで帰路についた。
ところが、担いだ草が重くて耐えられなくなり、牛に「すまん」と謝って自分の分も担がせたが、牛は全く平気だった。
これで源左は悟りを開いた。
全て仏様(阿弥陀如来)にまかせてしまえば良い。自分が赤ん坊とすれば、仏様は逞しく賢い大人のようなもので、仏様は、源左である自分の問題など、あまりに容易く解決してしまえるのだ。
これは、イエスが「重荷のあるものは私に預けよ」と言ったのと同じだ。
ラマナ・マハルシも、「電車に乗ってまで、自分の荷物を抱えて苦労する必要はない。神はいかなる重荷にも耐える。荷物を降ろして安心しなさい」と言ったようだ。
余談を言うと、源左の畑の、大根だったか芋だったか忘れたが、泥棒に掘り起こされて盗まれたことがあった。すると、源左は畑に鍬を置いておくようになった。
泥棒が手で掘って手を怪我したらいけないと思ったからだそうだ。

2つ目は、ラメッシ・バルセカールが講和の中で引用した、スーフィーの格言だ。
「神を信用しろ。だがラクダはつないでおけ」
自分で出来る簡単なことは自分でしなければならない。だが、それだけやれば、後は神様にまかせておけば良い。
そもそも、人間に出来ることは、たかが知れている。
実験で確認されているらしいが、簡単な算数の問題を解いている時は脳全体が活性化するのに、高度な数学問題を考えている時は、脳のごく一部しか活性化しないらしい。
つまり、人間が考えるべきことは易しい算数程度なのだ。だが、そんな算数はしっかりやらないといけないのだ。

3つ目は、雑誌に書かれていた、敬愛するUFO研究家、矢追純一さんへのインタビュー記事にあった、矢追さんの言葉だ。
それは、「僕は頭が悪いので、考えることを諦めた」だ。
彼はきっと、算数程度のことはしっかり考えたが、後は、大きな力にまかせたのだろう。だから、高度な数学問題を解決するレベルの仕事が出来たのだろう。

そう 気がついたの 私の悩みは
星達より ずっとずっと ちいさいのにね
なぜこんなに 苦しかったのだろう
身をまかせて 空を見上げ 時を待とう
~『Shooting Star』(作詞・作曲:KURIS・YUICHI NAKASE、編曲:TeddyLoid。唄:IA)より~
【IA OFFICIAL】Shooting Star / TeddyLoid feat.IA (MUSIC VIDEO)







考えるな、そして、考えるな

私は、小学生の時だったと思うが、有名な『荒野の七人』という映画を見て(テレビでだが)、多分、ブリット(無口なナイフ投げの達人)がチコ(後から仲間に加わった若いガンマン)に言ったのだと思うが、こんな言葉を鮮明に憶えている。
「サボテンの中に裸で飛び込んだ男がいた。後で、なぜそんなことをしたのかと聞いたら・・・その時はそれでいいと思ったんだそうだ」
私はその時ですら、サボテンの中に裸で飛び込んだ男が、おかしな人間だとは思わなかった。
彼の行動は、ごく普通の、ありふれたことだった。
つまり、人間ってのは、どこかおかしいし、狂っている。
それよりも、いつも理性的である訳ではない。
いや、そもそもが、人間は自分でモノを考えるのではなく、無意識の中に何かの想いが起こり、それが意識に伝わった時、それを自分が考えたと思い込んでいるだけらしい。
ロボット工学者の前野隆司さんの本を見ると、それは実験的に確かめられているらしいが、脳医学者のベンジャミン・リベットも全く同じことを言っているようだ(ラメッシ・バルセカール『誰がかまうものか』より)。

その前野さんと、物理学者の保江邦夫さんの対談書に書かれていたが、これも実験で確認されたらしいのだが、脳は、簡単な算数の問題を解いている時は活性化するが、難しい数学の問題を解いている時(解ける人がだと思う)、ほとんど活性化しないのだという。
高度な思考をしているように見える時というのは、考えているのではなく、テレパシーで情報を受け取っているだけなのだ。
将棋の名人は、対局中、眠っているのと変わらない脳波になるというし、高僧が瞑想している時も同じと言われる。
つまり、高度な将棋は、頭で考えてどうなるものでもなく、テレパシーのようなもので、教えてもらっているようなものなのだろう。
アルキメデスの例が有名だが、天才が大発明・大発見をする時というのは、考えている時ではなく、「全く考えていない時」である。

イエスは「心配するな」と言い、釈迦は「妄想するな」と言ったらしいが、そもそもが、何も考えない方が良いかもしれない。
考えるのは、せいぜいが、小学校の算数程度のことにすれば良い。
脳が活性化していると・・・言い換えると、左脳が優性になっていると、テレパシーを受け取れないのである。
だが、感情というのは良いのだと思う。
情緒や情感といった感情である。
大数学者の岡潔もそんなことを言っていたと思うが、情緒は大切にしなければならない。
(岡潔が、「時間は間違いなく情緒です」と言っていたのが印象的だった)

天才?秀才?関係無いだろ。断然、感情任せで進め
~『アメリカ~We are all right!~』(作詞・作曲・編曲:じん。唄:IA)より~

WE CAN GLOW WITH LIGHTS
感覚に身を任せて GO
~『憧憬~DOUKEI~』(作詞・作曲・編曲:BACK-ON。唄:IA)より~

大切なのは、ハート、愛である。
川上量生さんが、「天動説が正しいことのようにこじつけたやつの頭の良さは凄い」みたいなことを言っていたと思うが、私はこう思う。
天動説を信じさせた者というのは、理屈で信じさせたのではなく、美しい情緒を伴った物語で信じさせたのだ。
それ以前に、天動説を唱えた者は、自分が、情緒的に、美しい天動説を信じたのだ。
まあ、飛行機の時代が近付き、地球が回っていることを理解する必要が生じれば、みんな地動説を信じるようになるし、ある人が言うには、天動説でも不自由ない生活をしている人は、天動説を信じて幸せなのであるらしい。
確かに、情緒が人を愚かにすることもある。
しかし、本当に何も考えなければ・・・大きな力、大きな愛に任せる気になれば、悪くなるとは思えない。これもテレパシー情報である。








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荘子は2400年前に人間は操り人形だと見破った

凡人が成功するためには、カート・ヴォネガット・ジュニアの『母なる夜』で、彼が長い人生で悟ったという、「人間は表向き、装っている者になる」を使うか、あるいは、ユリ・ゲラーのように、「宇宙人に操られていると思う」かだと思う。

『サンダーバード』の制作者で有名なジェリー・アンダーソンは、「外部から操られる人間」というものに興味があったのだと思う。
彼の作品の『キャプテン・スカーレット』では、火星人ミステロンは人間をロボット化して操るが、アンダーソンは人間の俳優を使ったテレビドラマ『謎の円盤UFO』でも、宇宙人が人間を遠くから操るストーリーを作っている。
これらは、悪い例ではあるのだが、実に興味深く感じるのである。
アメリカの事業家イーロン・マスクは、脳にチップを埋め込んで、脳の力を拡張する臨床実験を2020年に開始する許可を政府機関に申請したそうだが、レイ・カーツワイルやベン・ゲーツェルらAI研究の権威は、人間が脳内にチップを埋め込むのは常識になると言う。
そうなれば、人間は、スマートフォンなどを持たずに誰かと通信し、勉強したいと思えば、容易く遊びたいという誘惑に打ち勝ち、勉強に集中出来るようになる。
それを考えれば、もしいればだが、進歩した宇宙人が、人間を自由に操ることも出来るだろう。
そして、人間は自分の思考で、宇宙人の指示に逆らうことが出来る、あるいは、宇宙人側で、わざと人間の反発も可能にしているのかもしれないが、ひょっとしたら、素直に宇宙人に操られた方が、うまくいくのかもしれない。その好例がユリ・ゲラーなのかもしれないのだ。
2400年前の中国の荘子も、影が実体に従うように、自分が実体と思っている我々も、何かに動かされているのだと言っていた。
実は、私は、『荘子』を読んだことがなかった高校生の時にも、自分は、天から糸で操られている人形に違いないと思っていたものだ。

銀行の頭取を務め、パソコンにも詳しかったインドの聖者ラメッシ・バルセカールは、我々は脳を神にプログラムされたロボットだと断言していた。
そして、それは悪いことではない。
アインシュタインの言を借りれば、「神に悪意はない」のである。ただ、我々には神は賢過ぎて、時に老獪(悪賢いこと)に見えるだけなのである。
ユリ・ゲラーを操る宇宙人も、我々から見れば、神のごときものかもしれない。そして、ロボットになりきった彼は幸福なのだ。

一方、何かを装う・・・フリをすることは、やや難しいかもしれない。
必要があってフリをすれば、真似た存在にどんどん似てくるが、どんな場合も、必ずしもうまくいく訳ではないように思う。
ただし、本当になりたいものがあるなら、そのように振舞うのも良いのだろう。
しかし、考えてみれば、振舞う、演じるというのも、神か宇宙人の操作であるのかもしれない。
私は、賢く善良な存在に操られることにしよう。

初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」のインテックス大阪公演は、チケットを発券したら、幸い、10列台前半の良席であった。
幕張メッセの方は郵送にしていて、まだ来ないので分からない。
皆さん、マジカルミライに備えてダイエットしよう。









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ロボットが最強

成功者に、「あなたの成功の秘訣は?」と聞き、彼がいろいろ言うなら、それは、嘘か、彼の思い違いかはともかく、あなたの役には立たない。
正直で賢い成功者は、皆、言うはずなのだ。
「運が良かったのさ」
あるいは、「たまたまさ」と言うかもしれないが、「ツイてた」ことが、成功の唯一の要因だ。

では、自分の成功は幸運と認めている成功者に、「どうすればツクのか?」と尋ねて、「それはこうじゃ」と言うなら、それは、嘘か、彼の思い違いかはともかく、あなたの役には立たない。
だが、一人、良いことを言う成功者がいたと思う。
それは、
「欲張らないことさ」
である。

ポーカーをやっていて、そこそこ良いカードが揃ったら、それ以上カードを取らない者がトータルで勝つ。
そのようなプレイヤーをグラインダーと言うらしい。
欲張る者は、結局、全てを失う。

イエス・キリストが、こんな話をしている。
ある農場主が、収穫で忙しい時期に、朝、1万円の日給でアルバイターを集めた。
昼になって、まだ足りなかったので、また1万円でアルバイターを集めた。
そして、夕刻にも、1万円でアルバイターを何人か雇った。
支払いの際、朝から来ていたアルバイターの中には、夕刻から来たアルバイターが自分と同じ1万円を受け取るのを見て憤慨する者がいた。
だが、朝から来ていても、1万円で満足する者が最後は勝つ。
この話を聴いて、夕刻から来て短時間で1万円と欲張る者は、仕事が得られなくなってしまうのである。

だが、成功者のぽろっとした言葉が、案外に値千金であることもある。
昨日も取り上げた、とても怪しいと言われることもあるが、まごうことなき大成功者であるユリ・ゲラーは、「自分は宇宙人に操られているロボットだ」と怪しいことを言ったらしい。
しかし、なんと素晴らしい。
本当にそうなのか、あるいは、彼がそう思っているだけなのかは、まあ、どうでも良い。
彼が、冗談を言ったのだとしても、何の意味もない訳ではない。
インドの聖者、ラメッシ・バルセカールによれば、人間は全てそうなのである。ただ、バルセカールの場合、操っているのは宇宙人ではなく神であるのだが。
インド神話『ラーマーヤナ』で、ラーマは打ち倒した宿敵ヴァナラに教えを乞う。
ヴァナラは、「私心あるならやるな。私心がないならやれ」と教えた。
ロボットに私心はない。
よって、ヴァナラの教えを実践するのである。
Google社員は、インターネットの神の意思の通り、BUMP OF CHICKENの藤原基央さんは音楽の意思の通りに開発し、プレイする。
初音ミクさんも、音楽の意思を純粋に実現するので、どこまでも行けるのである。









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ラクダを大切に

人生における最高の教えは、荘子の「一切をなりゆきにまかせ作為をするな」だと思う。
しかし、それでは、怠惰、あるいは、虚無的になってしまうのではないかというのが、私の長い間の悩みだった。
荘子、あるいは、老子を称賛する著名人は多いし、竹村健一さんや加島祥造さんら賢い人達は本も書いているが、その肝心な点については、スルーしているように思う。

このことを解決してくれたのが、ラメッシ・バルセカールの『誰がかまうもんか?!』に書かれてあった、たった一言である。
スーフィー(イスラム教神秘主義)の格言か何かだったと思う。
「神を信用しろ。だがラクダはつないでおけ」
だが、バルセカールは、この言葉を取り上げながら、説明はしなかったと思う。
しかし、こういうことだろう。
「一切をなりゆきにまかせ作為をするな。だが、ラクダはつないでおけ」
神様は、あなたの面倒を見るが、あなたのラクダの世話まではしないのだ。

人間は、託されたラクダの数が違う。
数頭のラクダを与えられた者もいれば、イーロン・マスクのような、途方も無い膨大な数のラクダを任された者もいる。
少ないラクダしかもたない人は、大したことは出来ないが、楽ではある。
ある平凡な男が、
「私は世の中で大きなことは何も出来ないかもしれないが、死んで閻魔様の前に出たら、便所の下駄だけはきちんと揃えたと言うつもりだ」
と言った話がある。
この男にとって、ラクダをつなぐことは、便所の下駄を揃えることだ。
ただし、ラクダは一夜でもつなぐのを怠ったら、それで失って終わりになる可能性があるように、この男は、便所の下駄を、ただの一度でも乱したまま放っておいたら、それで終わりかもしれないのだから、それはそれで大変である。

釈迦は、ある国で、7つの繁栄の法を説いた。
それはどれも、ありふれたもので、例えば、「老人を敬え」「先祖を敬え」「立派な人を敬え」「女性を敬え」「ルールを守れ」「独裁はいけない」「皆仲良くしろ」といったもので、それを聞いた立派な人は、「そのうちの1つを守っただけで繁栄は約束される」と言い、釈迦はそれを否定しなかった。
つまり、繁栄の法の1つでも守ることが、ラクダをつなぐことだ。

ラクダをつなぐことは、多少の根気は要るにしても、楽しくて易しい。
ラクダをつないでおけば、後は神の至高の力にまかせておけば良いし、まかせる以外に何も出来ないのだ。
逆に言えば、なりゆきに逆らってはいけない。
これを、『バガヴァッド・ギーター』では、クリシュナはアルジュナに、「自分の義務を果たせ」と言ったのだ。

やりたくもない受験勉強をやらされている場合、それがラクダをつなぐことかとうと、別のラクダをつなぐことがないならそうだろうし、あれば、違うということになる。
ラクダをつないで、なりゆきにまかせれば、なるようになるだろう。
まあ、逃避したってラクダをつないだことにならない。
受験勉強が嫌だからって、ゲームばっかりしたり、つまらない仲間とつまらない付き合いをしたらラクダはどこかに行ってしまう。
だが、誤りに気付き、決意をすれば、ラクダは帰ってくるかもしれない。









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