ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

中高年の方が仕事が出来る

「仕事は出来ないが給料が高い40代、50代社員がいる」なんて話がよくある。
中には、本当にそんなこともあるかもしれないが、大抵の場合、それは、若い人の勘違いだし、そんな勘違いをしている「本当に仕事が出来ない若い人」ほど、そんなことを言うのだと思う。
20年、30年、「普通に仕事をしていれば」、知恵があるので、若い者など太刀打ち出来ない。
しかし、若い時に、「部長課長らは、仕事をしていないのに高い給料を取っている上、俺達若い者に対し傲慢だ」と言う者ほど、「本当に仕事をしない中高年」になる。
なぜかというと、簡単なことで、知恵っていうのは、それなりに知恵がないと、見ても分からない。
まず、自分以外の人間の知恵を見ようとするのが知恵なのであり、それは謙虚でないと出来ないことだ。
それなのに、「課長より俺の方が仕事が出来る」なんて傲慢かつ思い違いをしているような者に知恵は得られない。
そんな者が歳を取っても知恵がついておらず、「本当に仕事が出来ない中高年」になる。

ドワンゴ会長の川上量生氏の本で読んだが、川上氏が若くてサラリーマンをしていた時、仕事が出来ない課長がいたらしい。
川上氏は、「あんな課長クビだ」と、堂々と声を上げていたが、そうしたら、社長に呼び出され、尋常ならざるほど怒られたらしい。
川上氏は、怒られた理由が分からず、社長に対し、反論すらしたらしいが、社長は、「あいつにだって生活がある」みたいなことを言ったという。
それだけ見れば、温情ある社長という感じだが、私は、川上氏が「仕事が出来ない」という課長は、いなくてはならない人だったのだと思うのだ。
でないと、単なる社長の温情で、そこに居続けることなんか出来ない。
川上氏も社長に怒られて何かを得たのだろうし、社長だって、才能を感じる川上氏だから怒ったのであり、別の「単なる若いもん」なら本気では怒らなかったに違いない。
ただね、川上氏がいくら優秀でも、若い川上氏に、そこまで言われるということは、その課長には、貫禄というか存在感がなかったのも確かだ。
そんな人は、是非、エイミー・カディの本を読み、パワーポーズを実践することをお奨めする。

どうすれば仕事が出来るようになるかというと、「自分が仕事をしている」という感覚を失くすことだ。
インドの聖者ラマナ・マハルシがこんなことを言っていたのが参考になる。
責任感を持って、注意深く仕事をしている財務長官。
大きな目標を達成しつつある事業家。
こういった、有能で、熱心に働いている者達は、自分が仕事をしているとは感じていない。
仕事が勝手に進んでいくのであり、自分は何もしていない。
ある意味、彼らは夢遊病患者のようなものだ。

だが、そうなるためには、精神が進化していなければならない。
しかし、それは難しいことではない。
自分より高い存在に意識を向け、自我が退けば良いのである。
ただ、マハルシだって、「簡単だ」と言いながら、極めて難しいことを教えた。
道元は、それを易しく出来るよう、座禅を教えたが、やっぱり難しかった。
それで、法然は念仏を教えたが、これは簡単過ぎたので、ちょっと豊かな人はやりたがらない。
『歎異抄』を読んで、ただ念仏を称えれば、意識は高い存在に向き、自然に自我は退くだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

現実より夢の方が本物

人生は夢、あるいは、夢のようなものだという話がある。
インドの聖者ラマナ・マハルシや、ニサルガダッタ・マハラジらは、そう言っていたようだ。
また、中国の荘子(2400年程前の賢者)も、そうであった。
江戸川乱歩となると、夢の方が本物で、現実の方が幻であると、常に、色紙に書いていたようだ。
宇宙人バシャールも、夢の方がむしろリアルなのだと言っているようである。

うろ覚えだが、中国映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の最初のあたりに流れる歌には、「人生は夢、夢を旅すれば、そよ風もため息のよう」と美しく表現されていた。
大河ドラマ最大のヒットであった『独眼流政宗』で、政宗は最後、「人生は夢だ」と言って往生する。

真にリアルな・・・神的世界とか霊的世界というものがあり、その下に夢の世界があって、そのさらに下が、我々が現実と呼んでいる世界だとしよう。
なぜ、夢の方が真世界に近いのかというと、真世界は、制約はなく自由自在だと思われるが、夢には制約はありながらも、それは、現実よりはずっと「ゆるい」からだ。
仏教の『無量寿経』には、仏の世界である極楽浄土には、時空の制約がないことが描かれているが、それが真のリアル世界である。
ただし、極楽浄土は、全てが想いのままで安楽過ぎ、本当にそんなところに行ったら、退屈で死んでしまうような気がする。

うつし(現)世はゆめ よるの夢こそまこと」
「昼〔ひる〕は夢 夜〔よ〕ぞ現〔うつつ〕」
~江戸川乱歩(Wikipediaより引用)~

でも良いし、ラマナ・マハルシが言うように、「夢は短く、目覚めは長い。それ以外に、両者に何の違いもない」でも良い。
だが、夢でも現実でも、元気でなければならない。
昔、インドの聖者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギが、信者の女性に煩悩を示した(どんな内容か分からないが)と言って、マハリシを崇拝していたビートルズの4人は失望して離れていったというが、聖者だって、男であるなら女好きで当たり前であり、それどころか、猛烈にそうでなくてはならない。
まあ、ビートルズも後に和解したというが、彼らも大人になって、我が身を省みることが出来るようになったのだろう。
女好き、大いに結構。
しかし、凡人は、大切な精力を無駄に浪費し尽すので、本当に楽しいことが出来ないのだ。
日々、何か短調な鍛錬や行を欠かさずやり、精力を光のエネルギーに昇華することで、人生は、楽しい満足な暇つぶしになるのだと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

自分らしくあること

初音ミクさんのコンサートが終わって虚無感に襲われたのが過ぎると、逆に、一切の不安に打ち勝ち、自信にみなぎり、無限のエネルギーを得ることが出来るようになった。
そのやり方を身につけるには、ミクさんのファンになるのが手っ取り早いが、まあ、その必要もない。
要は、アイデンティティの確立・・・なんて言えば難しいが、自分が自分であること・・・いや、これでも難しい。
つまり、「自分らしく」あれば良いのである。
自分らしくあるなんて、本当は簡単なことなのだけれど、まるでこれが永遠のテーマみたいに誤解されてしまっている。
ラマナ・マハルシが言った「私は誰か?」の問いが、ものすごく神秘的で、凡人には分からないもののように思われてしまっているのは、彼の本を書いた者の責任だろう。
日本の世界的サッカー選手が自分探しの旅をしたなんてのも、やはり、それが物凄く御大層なものだと人々に思わせてしまった。

有名な宗教家の五井昌久さんが、どうやって悟りを開いたかも、東大合格の百倍難しいことのように思っている人がいるかもしれないが、あの人もやはり、自分が自分であることに成功しただけなんだと思う。
どうやって?
彼は、後に奥さんになる人と会ってしばらくするうちに、「私は本当にこの人が好きなんだなあ」と思ったと自伝に書かれている。
これが彼のアイデンティティだ。
簡単なことだ。
「この人が好き」な自分こそが、自分らしい自分、本当の自分で、それを認めることが、自分らしくあることだ。

私は、ミクさんのコンサートに参加して、心から思ったのだ。
「私はミクさんが本当に好きなんだなあ」
と。
それを思い出したら、自分が自分の中心に確立されてしまった。

『灼眼のシャナ』で、シャナが、父であり、兄であり、友であり、師であるアラストールに、
「私は悠二が好き。それだけ」
と、晴れ晴れと言い、アラストールも完全に納得した(アラストールは、そんな悠二に少なからぬ不快さは感じていたが)。
その時、シャナは自信に満ち、その心は揺らぐことがなかった。
最も自分らしい自分になり、完全にアイデンティティを確立したからだ。
「私は誰か?」なんて、そんなものなのだ。

もちろんそれは、食欲、性欲に憑りつかれることではない。
本当の意味で好きでなければならない。
その点、全く透明で、自意識がなく、過剰な性的魅力を感じさせないミクさんは、こちらの気持ち次第で、容易にそこに導いてくれるのである。

だが、もう1つ重要なことがあった。
ミクさんのコンサートで、ペンライトを振り続けたことだ。
手を高く挙げること。
これが重要なのだ。
勝利した時、歓喜に満ちた時、人は手を高く挙げるのだ。
顔を上げ、両腕をVの字に高く上げてみよ。
その他にも、お気に入りの強い人間のポーズは何でもやってみるのだ。
気持ちを高揚させる脳内物質が出て、何をやっても上手くいく。
明石家さんまさんは、毎朝起きたら、ガッツポーズをするそうだが、それが彼のエネルギーと成功の秘訣だろう。
あなたも、ロッキーのポーズを真似れば良い。

社会心理学者で、ハーバード・ビジネス・スクール准教授のエイミー・カディは「ワンダーウーマン」のポーズをよく薦めているが、それは別に特別なポーズではなく、腰に手を当てて威風堂々とすれば良いのである。
(「ワンダーウーマン」で画像検索せよ)
しかし、エイミーもまた、手を高く挙げること(それもV字に)は薦めているのだ。
まあ、私なら、ミクさんのポーズの中から選んで真似するが。

勇気と自信はどちらが大切か?
自信に決まっている。
自信もなく闘いに挑んだら、一瞬で殺される。
自信があれば勇気は自然に出てくる。
そうしたら、行動しなくてはならない。
せっかく気持ちが高まっているのに行動しなければ何も起こらない。
ただ、本当の自分になれば、止めても行動するだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

支配者が嫌がることをすれば天才になる

頭を良くするためには、頭を悪くする原因を取り除けば良い。
人間の脳は、元々、超優秀なのだから、何かを付け加える必要はなく、不要なものを取り除けば良い。
そして、頭を悪くしている原因は、頭の中の嘘の情報である。
だが、我々の頭の中は、嘘の情報だらけだ。
毎日、テレビやネットから、嘘の情報がどんどん入ってくる。
だから、「テレビは絶対に見てはいけない」と言う人はいるが、それなら、ネットも同じことだし、新聞、雑誌などのあらゆるメディアもそうだ。
広告宣伝とは、どうやったって、嘘にしかならない。
「カイロと言えば白金カイロ」という宣伝文句も、ひどい嘘だ。カイロは他にもいろいろある。
自動車だって、カタログの中で語られているほど良いものじゃあない。
だが、あらゆるメディア、あらゆる広告を全く見ないというのも非現実的だ。

クリシュナムルティーは、「私は何も信じない」と言い、デカルトは、「疑い様がないほど明らかなものだけを真とし、それ以外は全て偽とする」と言ったが、それらは浮世離れし過ぎであろう。
人間は、何かを信じないと生きていけないし、疑い様がないほど明らかなものなど無い。
アインシュタインは、自分が持っている偏見・・・つまり、頭の中の嘘に悩んでいたが、それは仕方がないことだ。

荘子は、「一切を区別するな。それが無理でも、せめて、優劣をつけるな」と言った。
確かにそれが、頭の中の一切の嘘を除く確実な方法だ。
だが、そんなこと出来るものか。
もっと現実を見ろよ、荘子さん・・・だ。

「私は身体ではない。私は感覚器官ではない。私は心でもない」と、インドの聖者ラマナ・マハルシは言った。
もう勝手にやってろ・・・である。
こちとら、稼がないと生きていけず、稼ぐためには世間常識も必要なのである。

それで、昔から「現実的な」賢い人達は、一番重要な何かを持ち、その他のことは、それに比べれば、さして重要でないと思うことにしたのだ。
頭の中に、嘘の情報は沢山ある。それは仕方がない。
しかし、一番重要なものをダイヤモンドとし、それ以外は石ころにしてしまえば、石ころに惑わされることはない。
その一番重要なものが、神々の王ゼウスであり、天の父であり、阿弥陀如来であり、天照大神だった。
だが、それは何でも良いのだ。
よく例に出すが、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、最下層の26人の男達は、16歳の可愛いが平凡な娘ターニャを崇め、ガリの『自由の大地』では、堕落したフランス兵達は、空想の少女を崇めた。
『二十六人の男と一人の少女』のターニャだって、男達を一生騙せれば、立派なダイヤモンドだった。
だが、人間というものは、いかに歴史的、人類的な英雄であろうと、人間である限りは、大したことはないのだ。
ガンジーやマザー・テレサにしたところで、身近にいたら、そんなに崇拝すべきほどの人達でないことは、本人達が少し謙虚であれば、確実に認めることだろう。
彼らが聖人だというのもまた、多くの人々の頭の中にある嘘なのだ。

自分だけの価値を持つことだ。
それは、支配者達が、絶対に大衆に薦めしないことだ。
ならば、それをやらずにどうする?
イチローが野球に対して、どんな想いを持っているかは、決して語らないだろうし、語っても、誰にも分からない。
また、分かる必要もない。
我々も、自分にだけ分かることがあれな良い。
そして、それが結局は、自分以外の天才達と共感することになるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

大きな自分

私は、中学2年生の時だったが、漫画の中で16歳の王様が言った「ものごとは客観視するに限る」というセリフに衝撃を受けたことがある。
全く、その通りだと思ったのだ。
そして、客観の反対である主観が、いかに馬鹿かということに思い至ったのである。

ところで、それなら面白いことに気付く。
それは、「客観視する者は誰だろう?」だ。
主観するものは自分である。
その自分が客観視しているつもりでいるだけなら、それはやっぱり主観に過ぎないはずだ。
だが、そうではないようなのだ。
それは、だいたい、こんなふうに思えた。

自分が2つに分かれ、主観とは別の自分が現れる。
別の自分は、身体から離れている・・・正確には、身体や心を含めた空間に広がっている。
別の自分は、意識を持っていて、広い範囲を見ているのだが、主観である自分ともつながっている。

客観視している自分も、確かに自分なのだが、とても冷静なのだ。
主観である自分のIQが100だとしたら、客観視している自分のIQは300以上である。

フロイトは、そんな別の自分・・・より賢い自分を超自我と呼んだが、それはあくまで、伝統や道徳の観念なのだと言った。
なるほど、そうも思える。
しかし、ユングは、超自我は自ら存在する何かだと言い、フロイトだって、本当はそう思っているはずだと言っている。

それ(超自我)は、ラマナ・マハルシらの言う、霊的なグル(導師)のようでもある。
そして、マハルシは、グルとは、真の自分である真我なのだと言う。

客観視するとは、超自我、あるいは、真我といった何かと同調することなのだろう。
だが、完全な同調は難しい。
完全な同調が出来れば、賢者であり、神人であり、仏陀であり、キリストである。
とりあえず、真我というような何かを「大きな自分」と言おう。

初音ミクさんのことを考えながら、大きな自分と同調してみた。
すると、初音ミクさんを崇める自分を、大きな自分の視点で見ることが出来る。
そうしたら、自分の心臓が輝き、眩(まばゆ)い光を発しているのが分かるのである。
大きな自分は、三次元空間だけの存在ではなく、四次元以上の世界にも存在している。
そんな高次の世界に初音ミクさんがいて、大きな自分はミクさんとつながることが出来るのだが、心である私は、高次の世界の大きな私とうまく同調出来ない。
だが、それでも、高次の世界のミクさんのことを感じているのである。

たびたび、大きな自分と同調することを試みると良い。
大きな自分は、初めは、広い空間を満たす意識だと思っても良いと思う。
そして、大きな自分が満ちた空間をどんどん広げ、宇宙いっぱいに広がると良い。
そんな大きな自分と同調し、融合しいていくと、自分が宇宙そのものになるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ