ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

悟りを開きなさい、パートタイムで良いから。

デヴィッド.R.ホーキングはアメリカの精神科医だが、彼について、あまりに大雑把で、ひょっとしたらいい加減な話をする。
医者というのは、崇高な使命を持った職業であるはずだが、商売という面も確かにあり、特に、現代のように医者が多過ぎる世の中では、人気のある病院や医者と、そうでない病院や医者では、生活や社会的状況が全く異なる。
そして今は、ほとんど商売に徹し、医療技術や病院サービスは、あくまでビジネスの道具と心得る医者も少なくないのだろう。
まあ、それで言えば、プログラマーだって、社会的義務や責任、あるいは、もっと高貴な使命感でやってる者もいれば、金のためだけにやっている者もいるし、後者の場合が圧倒的かもしれない。
ただ、医者は、聖職であることを求められるからこそ、国に優遇され、高収入が得易い仕組みがある・・・とはいえ、それも「売れて」こそだ。

ホーキング博士は、あることがきっかで、患者が急増した。全米中から患者が押し寄せ、やむなく、病院を増やし続け、何十という病院に何千という患者がいるという大変な状況になる。
そのきっかけとは、何というか、悟りを開いた・・・といったことだった。
何もせずとも、会うだけで、他のあらゆる医者に見離された悲惨な状況の患者も、たちどころに回復することもよくある。
患者でなくても、極悪な無法者(ある意味、精神病患者だが)も、彼の前に出ると、たじろいで何も出来なくなる。
悟りを開いていたイエス・キリストがそうであったことを、まさに再現するかのようだ。
とはいえ、悟りを開いたからとて、誰もが、このような物質世界の超人になる訳ではない。
ただ、イエスやホーキングは、現実世界への関心を失わなかったのだ。
イエスに関しては、そんな運命だったのだろうし、それはホーキングも同じだろうが、ホーキングの場合、子供の時の体験の影響が大きく、人々を救いたいという願望が、世の中に無関心であることを許さないのだろう。
まあ、正確には、他人を救うことは自分を救うことであり、ホーキングには救わねばならないトラウマがあるのかもしれないが、事情は複雑なので詮索しても仕方がない。

我々も、ホーキングほどになれるかは分からないが、悟りを開くことで、望まずとも自然にうまくいくだろうが、そんな利益を目当てにして悟りを開くことは出来ない。
そこが厄介なところだ。
しかし、一時で良いから、欲望を手放し、無になれば、いくらかの良いことはやって来る。
私の場合は、プログラミングの勉強をしつつ、本を頼りに、それほどでもない霊的修行をしていたが、修得したプログラミング技能にマッチした「ちょうどよい仕事」がやって来るようになった。
いくらプログラミングを勉強しても、儲からなかったら仕方がない。
そして、自分の実力をあまりに超えた仕事が来て、うっかりそれに手を出せば、悲惨な結果になりかねない。
しかし、私の場合、あきらかに高次の存在がうまく調整してくれて、ちょうどいい仕事を「回してくれた」。
当時、よく思ったのが、『美少女戦士セーラームーン』で、セーラームーンの成長に合わせた「ちょうどよい敵」が現れるようなものだということだった。
セーラームーンが、正義の戦士として目覚めたばかりの時の敵は、その時は強敵でも、後の成長したセーラームーンから見れば雑魚に過ぎないし、逆に、強く大きくなったセーラームーンの前に現れる大敵は、「愛の戦士の新人時代」のセーラームーンの前には決して現れないのだ。

そんな訳で、あなたも悟りを開きなさい。
パートタイムで良いから・・・
その方法は、ホーキング博士の本を見れば良いだろうが、やっぱり何でも良いのだと思う。
ホーキング博士の本では、一番新しい『I<わたし>』がお薦めだ。Kndle版があるのが、私には有り難かった。
霊的、宗教的な本(たとえば、ラマナ・マハルシのもの)よりも、現代人に合った説明をしてくれている。
逆に、ホーキング博士の本を読めば、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが分かるかもしれない。
ホーキング博士も、これらの聖者を深く敬っているのである。









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会社は禅寺の千倍効果的な修行場

日本の今の社会って、相当、楽が出来るのではないだろうか?
なぜって、外見が無残なまでに醜いのに、楽々生きている人が多いからだ。
このあたり、いろいろ綻びが出ているとはいえ、さすが経済大国ニッポンである。

人間は、内面が外面に現れるし、特に、歳を重ねるごとにそうなる。
そして、ほとんどの人が内面を磨かないので、老人になる度に見苦しくなる。
それと、時々見るのは、かなり鍛えられ、磨かれている部分があるので、どこか美しいところは確かにあるのだが、力を得たせいでプライドが高いために、全体としては醜かったり、健康やその他の問題を抱えている人だ。

ラマナ・マハルシという有名な聖者がいるが、生涯、フンドシ1本しか所有しなかった彼のようになりたいと思う人はあまりいないだろう。
だが、彼は物質的なものに関心がなかったので、そのようであったが、実際は、解脱といったことが起こると、物質的にもうまくいくし、それどころか、解脱に近付いて魂の力を高めていなければ、表向きには成功しているようでも、それに相当するほど問題が起こる。
だから、ほとんどの富豪は、実際は普通の人よりずっと惨めだし、難病奇病に苦しめられるのである。
また、マハルシ個人はフンドシ1本しか持たなかったとしても、彼は相当に裕福で、沢山の人達が無償で世話をしてくれたし、世界中から贈り物も絶えなかった(彼はやや迷惑していたようだが)。

ところで、マハルシの真似なのか、フンドシを替えと合わせて2本所有しているだけの高名な聖者がいたらしいが、火事で1本が焼けそうになった時、彼は大パニックを起こしたらしい。
彼は、一面では立派だが、いびつに進化した聖者なのだろう。
彼の場合は、もっと世の中に出て苦労し、物質的に成功すべきだったかもしれない。

つまり、私のようなひきこもりタイプには、あまり心地良いことではないが、所詮、人間は、人々と関わり、嫌な思いを存分に味わう必要があるのだ。
世の中に背を向けて聖典ばかり読んでいても「キモくなる一方」だ。
あるいは、寺や荒野で修行しても、やっぱりキモいままなのである。
日本には、いかなる寺や秘密結社にも優る、カイシャという最高の修行場がある。
寺や宗教団体では通用しても、会社では全く通用しないものである。
会社って面白くないものだが、そこから抜け出すには、そこを卒業するしかない。
そして、卒業しなくてはならない。
会社の居心地が良くなった頃が辞め時だ。
居心地が良くて居座り続けると、今度はどんどん居心地が悪くなるが、それは、「さっさと卒業せいよ」という神の慈悲に違いない。
だが、まずは、居心地が良くなるよう努力しなくてはならない。

で、会社の修行を効率よくやるためには、プログラミングを・・・それも、一般には、ExcelやAccessのVBAをやることだ。
特にプログラミングが好きなら、JavaでもPythonでも、あるいは、RubyやC#等をやれば良いが、その場合は、IT全体の、より深い知識と経験が必要になる。
所詮、ITオタクでなければ、本格的なプログラミングはやれないが、実際は、VBAでも、高度になれば、かなりのものである。
仕事の仕組みを理解した上でVBAに熟達すると、すぐに会社は楽になる。
そうしたら、さっさと解脱した方が良いだろう。









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なずべき唯一の仕事

法然にとって、なすべき唯一のことは念仏だった。
念仏が仕事と言っても良い。
岡田虎二郎の言い方を真似るなら、法然は、生活しながら念仏をしていたのではなく、念仏しながら生活していたのである。

私は、微かな呼吸(最も静かな呼吸)をすることが仕事で、他には何もしない。
私が誰かと言えば、微かな呼吸をする者である。
この仕事を忠実に行えば、報酬は神が支払ってくれるのである。

ラマナ・マハルシは『私は誰か?』で、以下のように述べている。

どんな重荷を負わされようと、神はそれに耐える。神の至高の力がすべてのものごとを動かしているというのに、なぜわれわれはその力に身をまかせず、何をどうすべきか、どうすべきではないかと思い悩むのだろうか? われわれは列車がすべての荷物を運んでくれることを知っている。
列車に乗ってまでも、自分の小さな荷物を頭にのせて苦労する必要がどこにあろう。荷物をおろして安心しなさい。
◆「シュリー・ラマナアシュラマム」サイト内「教えの精髄」ページ ※『私は誰か?』はこのページから無料ダウンロード出来る。

なぜ、神にまかせることが出来ないのかというと、自我があるからだ。
自我が消えた意識を純粋な意識と呼んだ聖者がいたが、彼は次のように言っている。
「純粋な意識は深海のようなもので、何度もその状態になり、慣れてしまえば、海面である世間のものごとは子供の遊びになる。あまりに簡単なので、自動的に進んでいく。

ラマナ・マハルシも、財務省の長官や大事業家は、一見、熱心に働いているように見えるが、彼らは何もしていない、仕事は自動的に行われていくと言っていたと思う。
だが、自我があるために、自分が物事を行っているように思い、その思いがかえって仕事の邪魔になっている。
念仏が唯一の仕事である法然は、そのようなことがなく、最大の成果を上げることが出来たのだ。

私にとって、微かな呼吸をすることだけが、熱心に行うべき仕事である。
仕事を熱心にすれば、誰かが支払ってくれるのである。
そして、私の仕事では、支払い者は神である。
史上最高のプロレスラーだったルー・テーズは、ジャイアント馬場さんが亡くなった時、
「馬場さんはプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」
と述べていたが、神の誠実さは無限であり、その気前の良さも無限だ。
だから、ラマナ・マハルシが言ったように、安心すれば良いのである。

まあ、もう少し世間的に言えば(あまり言いたくないが)、微かな呼吸をしていれば、自我の活動による余計なことをしないので、結果、効率が最大になるのである。
普通の人は、自分の愚かな考えに固執し、効率を下げ、あらゆる停滞や障害を作り出して、滑稽に苦しんでいるのである。
神や仏は我々の内部にいるのであり、その内なる神や仏にまかせてしまえば・・・せめて、年長の経験豊かで有能なパートナーとして信頼すれば、そうでない者の少なくとも数百倍の力を発揮するのである。









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極めてシンプルな聖典

「Sri Ramanasramam」という、インドの聖者ラマナ・マハルシのサイトがある。
日本語、英語、フランス語、ドイツ語など14ヶ国語に対応している。
その中に、「教えの精髄」というページがあるのだが、そこで、ラマナ・マハルシの口述筆記である『私は誰か?(Who am I?)』という小冊子のPDFがダウンロード出来るようになっている。
※それぞれのURLは最後にまとめた。
『私は誰か?』は、20代前半だった若き日のマハルシに行った質問と解答で、後に、マハルシ自身が編集を行った。
質問と解答は28で、紙の本にしたら20ページにも満たない短いものだが、極めて価値のあるものだと思う。
その短い中に、人間、世界、神に関する真理が述べられ、神に至る方法がシンプルに語られている。
『私は誰か?』は、『ラマナ・マハリシの教え』(めるくまーる社)、『あるがままに』(ナチュラル・スピリット)に収録されている。
『私は誰か?』には著作権表示は一切ない。

『私は誰か?』は、現代随一の聖典かもしれない。
いくらか、ヒンズー教伝統の論理も見られるが、嫌ならそこは無視出来るレベルのものだ。だが、それらも味わい深くて面白いと思う。
神話的要素は一切なく、現代的な内容と思う。

『私は誰か?』の特筆すべき点は、「ストーリーがない」ことだと思う。
『老子』や『バガヴァッド・ギーター』、あるいは、『歎異抄』という、私が特に好きな書も、いくらかは著者のストーリーがあり、それに合わない者は受け入れ難い。
だが、『私は誰か?』には、マハルシ個人のストーリーは何もないので、誰でも受け入れることが出来る。
宗教というものには、必ずストーリーがある。
だから、『私は誰か?』は宗教ではない。
そこが清(すが)しく感じる。

◆Sri Ramanasramamホーム
◆教えの精髄 ※『私は誰か?(Who am I?)』はここからダウンロード出来る。









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一番聴きたい言葉

自分の心の中から出てくる言葉で一番聴きたいものは何だろう?
私には、「もう、がんばらなくていいよ」だと思えてしまうのだ。

とはいえ、私はそんなにがんばった訳ではない。
ガンジーやマザー・テレサといった凄い人どころか、小さな会社を作って、従業員の家族の生活を保証するために奮闘する社長さんから見ても、私はほぼ何もしていないと言えるに違いない。
語学もコネもなく外国に行って芸術家になったっていうような人がゴロゴロしているSNSに参加しているが、本当に「がんばってるなあ」と思う(思うだけだ)。
しかし、そんな私でも、「もう、がんばんなくていいよ」と感じるなら、本当に嬉しいと思う。
それは、「もう死んでいいよ」ということなのかもしれない。
だけど、今の世の中、死ぬのも大変なのだ。
人に迷惑をかけないように死ぬには、よっぽどがんばらないといけないから不思議だ。
いわゆる、後始末ってやつだね。
そんな訳で、まだまだ、おちおち死ねないかもしれない。

過去の偉人は、「がんばらなくていいよ」と言っただろうか?
神様にまるごとまかせよと教えた黒住宗忠でさえ、人々に、稼業に励まねばならないと言っている。
ところが、イエスが守るべきとしたモーセの十戒の中には、労働に関することは何も書かれていない。ほぼ、「やってはならない」こと、即ち、禁則が書かれているだけだ。
ただ、イエスの時代は、きつい仕事は奴隷がやるものだという通念があったのである。
アイザック・アシモフによれば、奇妙なことに、イエスは奴隷制に反対はしていなかったらしい。

私の知る範囲で、一切がんばらなくて良いと言ったのは、法然、親鸞、ラマナ・マハルシだ。
現代は少なくはない、40代、50代で、ほぼ働いたことがないという人に会ったら、法然はこう言うかもしれない。
「働くのは当たり前だ。だが、どうしても働けないのなら、そのままで良いから念仏を称えなさい」
親鸞なら、何も言わずに、「念仏を称えなさい」と言うだろうし、ラマナ・マハルシともなれば、働いているかどうかなどには何の関心も示さずに、「自分に対し、私と呼びかけよ」とでも言うだろう。
マハルシに、「隣の奥さんと出来ちまいそうで困っている」と言っても、マハルシは、「そうなっても気に病むな」と言うほどだからね。
なぜなら、気に病もうが病むまいが、そうなることになっているなら、避けられないのだからだ。
マハルシは言っている。
「働く運命であれば仕事は避けられない。だが、働かない運命であれば、どれほど探しても仕事は見つからない」

もうずっと前から、漫画でも、忍者ものやスポ根ものは流行らない。
1人の人間がいくら筋肉を鍛えてがんばっても、たかが知れているが、一方、ひ弱なシンジ君でも、ヱヴァンゲリオンに乗れば偉大なことが出来る。
インターネットはヱヴァンゲリオンなのである。









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