ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

一番立派なお仕事

子供がイメージする「働く大人」とはどんなものだろう?
大昔なら、ツルハシや鍬を振るう姿や、農作業、大工仕事、あるいは、漁をする姿など、イメージし易かったと思うが、今、大多数の大人が働く会社というものの中で働く大人を、子供はどう捉えているのだろう?

『甘城ブリリアントパーク』というアニメで、突然、巨大遊園地である甘城ブリリアントパークの総支配人になった男子高校生、可児江西也(かにえせいや)は激務に追われるが、その中で、机に積み上げられた大量の書類に、次々にハンコを押す場面がある。あれが、子供にも解る「働く大人の姿」ではないかと思う。それで思い出したのだが、私が子供の時に見た子供向けアニメでも、会社の中で社長が「忙しい!忙しい!」と言いながら働く場面がまさに、社長が大量の書類にハンコを押すというものだった。
いくら子供の時の私でも、ハンコを押すだけが仕事と思った訳ではない。しかし、逆に、私は今だって「ある意味、仕事って、せいぜいこの程度」と思うのだ。
アニメ『ゼロの使い魔』で、若き女王アンリエッタに、重鎮が「女王様、ご署名を」と言って、誓約書を差し出す場面があるが、あれがまさに女王様の仕事で、実際、女王様の意思はどうでも良く、ただ、女王様が署名・・・つまり、サインとかハンコを押すことだけが仕事である訳だ。

ハンコを押す、署名するというのは、「同意する」という意味で、許可を与えたり、自分が何かに従うことを「はっきり約束する」ということだ。
署名、押印する者の意思がどうであるかは、実は、どうでも良い。
署名した者の考えより、署名したという事実に意味がある。
そして、確かに、高レベルの仕事には、そんな面があり、子供がイメージする「働く大人の姿」は、それほど間違っていない。

法然や親鸞は、「大切なことは念仏をすることだけ」と言ったのだから、人間の仕事は念仏だけということになる。
馬鹿らしく聞こえる向きもあるかもしれないが、そういうことなのである。
そして、この世界とか人間の究極が解ってしまった者にとっては、念仏とは言わないまでも、そういったことが全くの真実だと言うのである。
念仏というのは、「阿弥陀如来に全ておまかせする」という意味で、阿弥陀如来とは、宇宙最大の力の持ち主をイメージ化したものだ。
こんな話がある。
ある者が末期癌になり、余命数ヶ月と宣告されるが、諦めず、辛い治療を受ける。しかし、効果がないので、正統医学では認められていないが「奇跡の効果があった」と言われる治療法、さらには、オカルト、宗教にまで頼るが、全く効果がない。それで最後、「神様に全部まかせる」と決めたら、治ってしまった。
原理としては、念仏と全く同じである。
神様や仏様との誓約書には「全部、あなたにおまかせします」と書かれていて、それに署名したり、ハンコを押すようなものだ。
荘子の教えも、全くこのようなものである。
また、ここでよく取り上げる「神様の奇跡が起こる」と唱え続けて、1億円を2回当てたホームレスも同じことをしていたのだが、念仏のような精神でやらないと起こらなかったことである。

まあ、大人の社会では無闇にハンコを押してはいけないが、私は子供の時、頭の中でよくハンコを押していた。
そして、何度も書いたが、ありえない奇跡がいくらでも起きた。
インドの聖者ラマナ・マハルシが「財務長官は責任感を持って仕事をしているが、実は何もしていない」と言っていたと思う。
彼もまた、「同意」というハンコを押しているだけであり、だからこそ、彼の仕事に間違いがないのだ。
キリスト教の「アーメン」も、同意という意味であるらしい。

要するに、基本的な考え方の一例は、「南無阿弥陀仏と唱えて、阿弥陀如来に全てまかせると決める」ことで、自分の仕事は終りである。
いかなる偉大なビジネスマンも、芸術家も、政治家も、バリエーションはあっても、原則はそうしているのである。







老化を止め自然に超能力を得る呼吸法

教科書に載っているような科学的根拠は多分ないが、超能力を獲得する呼吸法を述べる。
ちなみに、私は、教科書に載っているような科学のみが真実だとすれば、(詳細は省くが)何度も死んでるはずで、それ(教科書に載っている科学)はそれで正しい部分もあるが、それよりも、長年に渡って、判断を保留しつつ覚えていた知識に対して静かに深まる信頼(いずれは確信に変わる)は、より確かなことと思う。
喩えて言うなら、真の知識は高い木に成った果物のようなもので、それを得るには、それが落ちてくるのを待つのが良いのである。忍耐強く待つなら、それは丁度良いタイミングで落ちてくる。

自然に超能力を獲得する呼吸法は、インドの聖者ラマナ・マハルシの言葉を長年に渡って収録したものを注意深く英訳した書物である『Talks with Sri Ramana Maharshi』の中にあり、おそらく翻訳書は『ラマナ・マハルシとの対話』(福間巌訳。ナチュラルスピリット)だと思うが、私は、これはあまり見ていない。
私は、『Talks with Sri Ramana Maharshi』の抜粋版と思われる『南インドの瞑想』(おおえまさのり訳。大陸書房)で見た。
多くの呼吸法と異なり、吐息(出息)から始めるところが良い。
言葉を心で唱えながら行うが、その言葉は日本語の方で良いと思う。ただ、インドの言葉にマントラ的な響きを感じる場合には、それを使うと良い。

(1)出息「私はこれではない(ナ・アハン)」
(2)入息「私は誰か?(コーハン)」
(3)呼吸停止「私は彼である(ソーハン)」

(3)が、「止息」ではなく「呼吸停止」になっていることも意味がある。
我々は、水中に潜る等で「息を止める」時、喉の気管を筋肉の力で塞ぐ。
しかし、このやり方は余計な緊張を引き起こすので避けた方が良く、単に呼吸の流れを止めるのである。
それは、そうしようと思えば、意識しなくても、身体は、腹や胸の内部の筋肉を使い、肋骨や横隔膜の動きを止めるなどして、自然に呼吸の流れを止めることが出来るはずである。
出息は、極端でない範囲で、出来るだけ細く、長く行うのが良い。
それにより、体内に取り入れられた気(プラーナ、生命微子などとも言う)を吐き出さずに体内に留めることが出来、結果、生命力を高め、若さをもたらす。
尚、この呼吸法を行う間は、肛門を引き締めると良い。
仙道、仏教、ヒンズー教などには、肛門を引き締める訓練を行う流派が多く、それは、経験上、生命エネルギーが肛門から流出すると感じるらしいが、船が難破した時、これらの僧達は肛門を引き締めることで命を守れたが、一般の乗客は肛門が緩んでしまっていて、早くに命を落としたという話もある。

この呼吸法を空いた時間を見つけ、合計で1日20分程度(慣れればもっと長くても良い)行うことを長く続ければ、自然に、あらゆる超能力を得ると思われる。
また、生命力を活性化させ、健康になり、老化を止め、若返ると思われる。

呼吸中の言葉について、少し補足する。
「私はこれではない」の「これ」とは、大雑把には「身体」と「心」を指す。「私は彼である」の「彼」とは、神のことである。「私は神だ」という言い方を避けるために、このような言い方がよくされる。
尚、「私は彼である」ではなく「私はそれである」という言い方もされる。いずれでも、好きな方でやると良いだろう。








唯一の仕事は嘘をつくこと

ブラック企業で泥沼の仕事をするハメになる者もいれば、仕事に就きたくてもそれが出来ない者、あるいは、働く気がない者など、働くということに関し、楽しくない状況の者が多い。
だが、イチローのようにメジャーリーグでスーパースターになるのも、あまりに安い報酬で惨めな仕事をするのも運命である。
インドの聖者、ラマナ・マハルシがこう言っていたことが真実と思う。
「働く運命にあれば仕事は避けられない。しかし、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」

しかし、本当は、1つの大きな間違いがあるので、皆、楽しい思いが出来ないのだ。
それは、イチローの野球も、ゴミ拾いも、詐欺師も、ロケットを作る会社を経営することも、仕事ではないということだ。
それは実に、仕事の結果でしかない。
あなたの唯一の仕事とは・・・言葉にすることだけなのだ。
これを、いろんな人がいろんな言い方をしている。例えば、「祈り」「アファーメーション」「自己暗示」「自分への誓約」「誓い」など等だ。
メジャーリーガーになるなら、「メジャーリーガーになる」だし、AKB48のメンバーになるなら「AKB48のメンバーになる」だ。
だが、もっと良い言い方は、「私はメジャーリーガーだ」「私はAKB48のメンバーだ」である。
それは、嘘である。
だが、嘘だから良いのだ。
こういったことが、現代人は知恵がないから分からない。

アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のオープニング曲『冒険でしょでしょ?』で、「ホントが嘘に変わる世界で」と見事に反対の言い方をしてたのが楽しいが、これは、ビートルズの『I LOVE HER』で、

Bright are the stars that shine
Dark is the sky
明るいのは輝く星→輝く星は明るい
暗いのは空→空は暗い

と美しく表現されていたのと同じだ。
つまり、「嘘がホントに変わる」のである。
世界的空手家、大山倍達さんが、「嘘も百回言えば真実になる、千回言えば伝説になるの。わかった?」と言ったのが実に真実だったということだ。
「私はメジャーリーガーだ」は嘘であっても、百回言えば真実になる。
だが、真実では何も良いことはないので、伝説という既成事実にしなければならないので、千回言わなければならない。
しかし、伝説でもやっぱり得はしないので(そうでしょ?)、1万回言って「現実」にしなければならない。
こう言って、そこらのボーヤやにーちゃんが「私はメジャーリーガーだと1万回言ったが現実にならないぞ」と言うなら馬鹿である。
だって、そんなもんになりたい訳じゃないでしょ?
毎日ストイックに練習し、成果が出ないと野次られ、簡単に解雇される・・・そんな世界に本当に行きたい訳あるまい。
とはいえ、本当に1万回言えば、何かは起こるものである。

そして、自分に理解出来ることであれば、1万回言えば、そうなる。
だから、本当の仕事とは「言うだけ」「嘘をつく」、あるいは、「嘘つきになる」ことなのである。








人生は芝居、あるいは、バーチャル・ゲーム

インドや中国では、古代の賢者達がそう言ったからかもしれないが、人生は夢のようなものだという考え方があると思う。
日本でも、室町時代の歌謡集である閑吟集(かんぎんしゅう)に、「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ(人生は夢だ。深刻にならずただ狂え)」というものがあり、それはインドや中国の(仏教や道教の)影響もあるだろうが、やはり、人生は儚い夢と考えることもあるのだと思う。
私の場合は、誰かに教えられた訳でもないと思うのだが(実際は何かの影響はあったかもしれないが)、子供の時から、人生は芝居の舞台のようなものだと思っていた。
我々は皆、舞台で演技をする役者なのだが、人生が芝居であることを忘れてしまっている。
しかし、舞台での自分の役割が終わると・・・即ち、死ぬと、普通は、「ああ、これは芝居だった。つい真剣になって本物の世界だと思い込んでしまった」などと言うのだと「解っていた」。
芝居が終わった後の世界のことがよく分からないような気もするが、そうでないと芝居が面白くならないのだろう。

アイルランドの「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツも、やはり人生は芝居だと思っていたのかもしれない。
彼は、人々が自分が舞台の役者であることを忘れ、ハムレットやリア王のように悩んでいる様子を滑稽だという詩を書いている。
だが、優れた役者・・・即ち高度な人間は、人生が芝居であることを自覚し、「良い役者は(観客は泣かせても)自分が泣いたりしない」と詩の中で述べている。
映画『燃えよドラゴン』で、ブルース・リー演じる、少林寺の拳法の達人リーが師に、「良い闘いは少人数で真剣に演じる劇に似ている」と言ったのも、何か面白いと思う。

いかに人生が芝居だとしても、盗みでもやったら、かなり嫌な役割になる・・・いや、実は、盗みをするのも、その後、悪い展開になるのも既定のシナリオであるのかもしれない。これもまた、古代の賢者達がよく言ったことである。

じゃあ、辛い役柄にある人は、どうすれば良いかと言うと、先程の閑吟集の歌のように、「真面目くさってないで、ただ狂え」ということになる。
また、やはり上で取り上げたイェイツは「リア王もハムレットも陽気なのだよ」と言う。つまり、悲劇を演じていても、醒めているばかりか、内心では演技を楽しんでいるのである。
芝居なんだから、隣の美人の奥さんにちょっかいを・・・出したら、まあ、ロクでもない展開が待っている。しかし、そんな役割が決まっているなら避けられない。
ラマナ・マハルシは、「働く運命なら仕事は避けられないが、働かない運命なら、いくら探しても仕事は見つからない」と言ったらしい。
なら、ニートも運命なのであるから、ニートも、その親も、真面目くさって深刻にならず、陽気で・・・とは、なかなかいられない。普通の人は三流の役者なのだ。

もちろん、現代では、人生は芝居というより、バーチャル・ゲームであるという認識に進みつつある。
『ソードアート・オンライン』などを見て、隠しコマンドを探してみても良いかもしれない。
そういえば、昔にだって『ゲームの達人』なんてものがあったのだよ。








呪文、マントラの効果の論理的根拠

呪文、マントラ(真言)がなぜ良いのかという論理的根拠はある。
まず、人間の心は、放っておいても、否定的な言葉を、頭の中で、1分に数百はつぶやいているという科学的研究結果があるらしい。
そして、人間が高レベルの能力を発揮するのは、頭の中のおしゃべり(あるいは、つぶやき)が止んだ時であると考えられるのである。
いわゆる、無になった状態を言うのだと思うが、その時に、時に異常なほどの高い力を発揮するというのは、今や不思議なこととは思えない。
それで、想念(頭の中のおしゃべりやつぶやき)を消すという意味でも、呪文には効果があるが、呪文の効果はそれだけではない。

1つ1つの呪文について考えよう。
ただ、出典をいちいち書いていたら大変なので、それは省く。
インドの聖者、ラマナ・マハルシが最高のマントラと言うのは「私」である。
常に「私」と唱えれば、悟りすら開ける。
悟りはともかく、素晴らしい真言であることは分かる。
なぜなら、これもマハルシの説明であるのだが、あらゆる想念は「私」に起こるのであるから、その想念の主である「私」に意識を向けてしまえば、あらゆる想念は消える。
つまり、頭の中のおしゃべりやつぶやきはなくなる。
能力が最大になるだけでなく、ついには「私」という想念も消え、悟りが開かれるというわけである。
興味深いのは、マハルシと同時代のインドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジは「私は在る(私は存在する)」が最高のマントラと言うが、それも道理がある。
これも、マハラジの説明では「あなたが確信出来る唯一のことは、私は在るということだけ」なのだから、人間に解る範囲での究極の真理である「私は在る」に集中すれば、それより劣る概念や想念は消えてしまうのである。

ナーマスマラナというのは、神の名をマントラとして唱えることである。
親しみを感じる神の名があれば、それを唱えることで深い安らぎに至り、また、他の想念が消えることは期待出来る。
インドでは、ラーマ、クリシュナといった神が人気があるのだと思う。
日本では、マテラスオオミカミが人気があるし、アメノミナカヌシノカミの名も威厳があって、なかなか宜しいと思う。
また、念仏という形式になった「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」も同じと思う。
阿弥陀如来の真言は「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」だし、観世音菩薩の真言は「オン、アロリキャ、ソワカ」である。
本来の名で言えば、阿弥陀如来はアミターバ、あるいは、アミターユスで、観世音菩薩はアヴァローキテーシュバラーである。
神仏の名の場合は、単なる心理学的、あるいは、脳科学的な効用だけでなく、むしろ、それらの言葉、あるいは、音が持つ霊妙な力が重要であると言われる。それは、なかなか科学的な証明は難しいと思うが、科学には解明出来ない摩訶不思議な力があるのかもしれない。
やや長いが、般若心経の最後の部分の呪文も、最高のものとされている。
それは、「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディスヴァーハー」である。
また、山蔭神道では、究極の言葉は「アジマリカン」であると言う。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、究極の言葉は「神」であり、有声でも無声でも、これを唱えると全てを変えると言う。
ただ、「神」を呪文にしてはいけないと言う。
この著作の、3巻だったと思うのだが、イエス・キリストが「他のことは忘れてよろしい」として語ったのが「神」という言葉を使うことで、なるべく多く使えば良いが、このことを「公式」にしてはいけないと言う。その意味は各自考えていただければと思う。難しいこととは思えない。
例えば「神」という言葉、あるいは、「神の他に何もない」という言葉について瞑想するなどでも良いと思う。

私も、呪文、マントラに救われたことは数限りない。
だからこそ、上に挙げたことや、その数倍以上のことを覚えているのである。








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