ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

呪文の初心者を待つ罠

十分に、「絶対大丈夫だ」、あるいは、「全て順調だ」という呪文を唱えていると、頭の中の悪魔が反撃を開始し、マイナスの言葉を出し易い状況を作って不安を刺激してくるかもしれない。
そこがこらえどころで、ますます、しかし、冷静に(感情を込めず)、淡々と呪文を唱えなければならない。
すると、驚くほど、心が安らいだり、ものごとが「恐いほど」好転し、円滑になり、順風満帆になることが多い。
だが、そこで油断をしてはならない。
実際、この時点で呪文をおろそかにし、そのまま駄目になる馬鹿(本当に愚かだ)は少なくないのだ。
うまくいっているのは自分の力ではないのだと謙虚になり、神、あるいは、潜在意識の偉大な力を有り難く思いながらも、ますます熱心に呪文を唱えれば、いよいよ、本物の幸運の波に乗り、約束の地へ誘われる。
だが、神様になるまで油断をしないことだ。
スーフィー(イスラム教神秘主義)には、「彼は神様を探しに行って神様になって戻ってきた」という言葉がある。
だが、悪魔に捕まって戻ってこない者も実際には多いのだ。
最後まで呪文を忘れないことである。

しくまれた間違いというものもあるかもしれない。
だが、それも必然である。
インドの聖者ラマナ・マハルシのところに、ある男が「美しい人妻と間違いを犯しそうだ」と相談に来たことがあった。
マハルシは、「そうなってしまっても後悔するな」と言った。
呪文を唱えても避けられないこともある。
それは、起こるべくして起こることだ。
そうであっても、呪文を唱え続ける限り、決して悪いようにはならない。
ただ、そんな時、葛藤や不安に駆られて呪文に感情を込めないことだ。
実際は、多少は感情が込もってしまっても効果がなくなったり、まして、マイナスになることはない。
しかし、感情を込めず、淡々と唱えた方がずっと良いのである。

ところで、呪文の価値を少しは分かっている者がよく、「ついでにこれをやれば効果はさらに上がる」などと言うことがある。
呪文に「ついでに」はない。
呪文だけで良い。
呪文は念仏と同じである。
法然は、「念仏のついでにこれもやりなさい」などとは決して言わず、ただ念仏だけをしろと言ったのだ。
呪文、念仏以外に価値のあるものはないのである。
ついでに何かやる暇があったたら呪文を唱えよ。
ついでのことの一千万倍の効果があるのだから。
ついでのことに0.1の値打ちがあっても、それには、マイナス100の罠があるかもしれない。
確かに、どんな罠も呪文で呼び起こされた力がなんとかしてくれる。
だが、どんなに高性能の地雷探知機があっても、好んで地雷があると分かっているところに行くこともあるまい。









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恋愛の行く末を神様にまかせると

古代中国の賢者の荘子と、近代インドの聖者ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの教えは似ていて、その根本を一言で言えば「人生の明け渡し」になると思う。
マハラジの弟子、ラメッシ・バルセカールも、「人生の明け渡し」を第一としていた。
「人生の明け渡し」とは、人生がどうなるかの一切を神(あるいは高次の力とか至高者)にまかせてしまうことである。

ただ、マハリシもマハラジも荘子も、まかせた結果、どうなるかは全く述べていないし、そうすることで、悲惨な状況で一生を送る可能性があることを、それとなく示すこともあったと思う。
一方、まかせた結果は良いことばかりと断言したのが、江戸末期の偉大な神道家で、イエス並の力を現実に持っていた黒住宗忠だ。
宗忠自身、重病で何年も寝たきりだったのが、神(天照大神)への全託(全てまかせること)に目覚めた途端、わずか数日で全快してしまった。
また、イエスも、「お前達ですら、自分の子供の面倒を熱心に見るではないか。ましてや、天の父である神が、我々に良くしてくれるのは当たり前じゃないか。心配するな」と言っている。

中国出身のアメリカの作家で、事業家、自己啓発指導者でもあるチン・ニンチュウは、ある夜、自分が羊になり、羊飼いに会う夢を見て、自分は羊飼い(神)にしっかり面倒を見てもらいさえすれば良く、自分が努力する必要はないのだと悟り、安心と安堵で涙が流れて止まらなかったと言う。
アメリカの著名なイラストレーターで、啓蒙家としても名高いフローレンス・スコーヴェル・シンも、自分が努力しようなどと決して思ってはならず、神様にまかせること・・・「神が自分の代わりに戦う」のであることを強調した。

ところが、手強い論敵がいた。
日本の誇る二宮尊徳である。
彼は努力を力説した。
「老子が言うように、無為自然で何もしなければ、畑は荒れ、家はあばら家になるではないか」
だから、しっかり努力せよと言う訳だ。
なるほど、現代だって、好きなものを好きなだけ食べ、運動もしなければ、肥満してモテなくなるばかりか、病気になりかねない。
だが、スーフィー(イスラム教神秘主義)には、こんな教えがある。
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
いくら何でも、ラクダをつないでおくくらいのことはすべきだ。
それに、そうでないと、退屈でやってられないはずだ。
上に挙げた、フローレンス・スコーヴェル・シンも、こんな話をしている。
ある女性が、無職でお金がなくて困っていたが、彼女は自分は努力しない人なので、周囲の人が、仕事が出来るよう段取りしてくれた。
すると、その女性は、「そうじゃなくて、私は家で雑誌を読んで過ごせるようになりたいの」と言う。彼女は、本当にファッション誌が好きだった。
シンは、この女性は、雑誌記者を目指すべきだと言う。
そうすれば、楽しく生き甲斐がある人生になり、ついでにお金も入るという訳だ。その道は神様が開いてくれるので、それに関しては努力しなくて良いが、やはり、ラクダをつなぐ程度のことはしなくてはならない。
アメリカの作家、マイク・ハーナッキーも、自分が作家になれた経緯を元に、簡単に出来る成功法則の本を書いたが、「言う通りにやっても何も起こらない」と文句を言ってくる読者がいた。
だが、聞いてみると、その読者は、成功のために電話1本しなかったと言う。
神に一切をまかせることとは怠惰になることではない。
あなただって、いくら子供が可愛くても、子供が寝転がって口を開け、「ここにチョコケーキを入れて」と言ったら、「自分で食べろ」と叱責し、また、マナー良く食べられるよう指導するはずだ。
我々が似たようなことをしたら、神様もちょっとした罰を与えるのかもしれない。
(いつまでも改まらないと厳罰になるかもしれない)
好きな女の子には、告らないまでも、親切にはすべきである。
後は神様にまかせておけば・・・もっと可愛い子と出会うかもしれない(よくあることだ)。









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成功しなかった理由は、いつでもたった1つ

成功法則というものは、日本でも半世紀以上前に十分なものが出版されている。
スマイルズの『自助論』は明治時代に100万部以上売れたというし、1950年代には、ブリストルの『信念の魔術』や、ノーマン・ピールの『積極的な考え方の力』が出版されてベストセラーになり、これらは全て、現在もロングセラーを続ける。
ところが、毎年、沢山の新しい成功法則の本が出版される。
成功者が善意や、宣伝のためや、あるいは、儲けるためや自己満足のために「なぜ自分が成功したか」を書いたり、やはり様々な思惑で、有名な成功者について「彼はなぜ成功したか」といった本を誰かが出すのだ。
多くの新しい成功法則の本の謳い文句は「なぜ、あなたは成功法則を使っても成功しなかったか?」で、そのテーマは永遠に使える。なぜなら、成功法則で成功する人は極端に少ないからだ。
アメリカの作家マイク・ハーナッキーは個人的調査で、成功法則の本を読んで成功する人は、ほぼゼロであることを突き止めたらしい。

さっきも述べたが、「なぜ、あなたは成功法則を使っても成功しなかったか?」をネタに沢山の本が出ているが、成功法則を使って成功しなかった理由はたった1つなので、そういった本を読む必要はない。
その理由とは「時間をかけなかった」である。
試しに、ジョセフ・マーフィーでもウォレス・ワトルスでも良いが、これらの著者が書いた成功法則の本を読み実践して成功しなかったという人は、「どれだけの時間をかけてやったか」を考えてみると良い。
ほとんどゼロに等しいはずなのだ。
逆に、僅かな時間・・・たとえば1日1時間、いや、20分でもやっていたら成功して当たり前だ。
20分で10年なら、1時間で数年といったところだ。
だが、生きている限りは失敗していない。
すぐに始めることだ。
念仏を毎日トータルで20分、あるいは、トータルで毎日千回でも良い。
それで幸せにならないはずはないが、みんな1月と続かないのだ。

インドの聖者ラマナ・マハルシに誰かが「私は時々バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねたら、マハルシは簡潔に「いつもが良い」と答えた。
この貴重な教えを忘れてはならないと思う。
「マジカルミライ2018」に行く皆さん・・・いや、別に行かなくても良いのだが・・・それまでに毎日、たゆまず、聖書を読むとか、バガヴァッド・ギーターを読むとか、あるいは、『信念の魔術』を読むとか、あるいは、念仏を唱えるとか、腕振り運動をするとか、何でもいいから1つのことをしようではないか。
そうすれば、マジカルミライが終わった時、明らかに世界は変わっているのだから。









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悟りを開きなさい、パートタイムで良いから。

デヴィッド.R.ホーキングはアメリカの精神科医だが、彼について、あまりに大雑把で、ひょっとしたらいい加減な話をする。
医者というのは、崇高な使命を持った職業であるはずだが、商売という面も確かにあり、特に、現代のように医者が多過ぎる世の中では、人気のある病院や医者と、そうでない病院や医者では、生活や社会的状況が全く異なる。
そして今は、ほとんど商売に徹し、医療技術や病院サービスは、あくまでビジネスの道具と心得る医者も少なくないのだろう。
まあ、それで言えば、プログラマーだって、社会的義務や責任、あるいは、もっと高貴な使命感でやってる者もいれば、金のためだけにやっている者もいるし、後者の場合が圧倒的かもしれない。
ただ、医者は、聖職であることを求められるからこそ、国に優遇され、高収入が得易い仕組みがある・・・とはいえ、それも「売れて」こそだ。

ホーキング博士は、あることがきっかで、患者が急増した。全米中から患者が押し寄せ、やむなく、病院を増やし続け、何十という病院に何千という患者がいるという大変な状況になる。
そのきっかけとは、何というか、悟りを開いた・・・といったことだった。
何もせずとも、会うだけで、他のあらゆる医者に見離された悲惨な状況の患者も、たちどころに回復することもよくある。
患者でなくても、極悪な無法者(ある意味、精神病患者だが)も、彼の前に出ると、たじろいで何も出来なくなる。
悟りを開いていたイエス・キリストがそうであったことを、まさに再現するかのようだ。
とはいえ、悟りを開いたからとて、誰もが、このような物質世界の超人になる訳ではない。
ただ、イエスやホーキングは、現実世界への関心を失わなかったのだ。
イエスに関しては、そんな運命だったのだろうし、それはホーキングも同じだろうが、ホーキングの場合、子供の時の体験の影響が大きく、人々を救いたいという願望が、世の中に無関心であることを許さないのだろう。
まあ、正確には、他人を救うことは自分を救うことであり、ホーキングには救わねばならないトラウマがあるのかもしれないが、事情は複雑なので詮索しても仕方がない。

我々も、ホーキングほどになれるかは分からないが、悟りを開くことで、望まずとも自然にうまくいくだろうが、そんな利益を目当てにして悟りを開くことは出来ない。
そこが厄介なところだ。
しかし、一時で良いから、欲望を手放し、無になれば、いくらかの良いことはやって来る。
私の場合は、プログラミングの勉強をしつつ、本を頼りに、それほどでもない霊的修行をしていたが、修得したプログラミング技能にマッチした「ちょうどよい仕事」がやって来るようになった。
いくらプログラミングを勉強しても、儲からなかったら仕方がない。
そして、自分の実力をあまりに超えた仕事が来て、うっかりそれに手を出せば、悲惨な結果になりかねない。
しかし、私の場合、あきらかに高次の存在がうまく調整してくれて、ちょうどいい仕事を「回してくれた」。
当時、よく思ったのが、『美少女戦士セーラームーン』で、セーラームーンの成長に合わせた「ちょうどよい敵」が現れるようなものだということだった。
セーラームーンが、正義の戦士として目覚めたばかりの時の敵は、その時は強敵でも、後の成長したセーラームーンから見れば雑魚に過ぎないし、逆に、強く大きくなったセーラームーンの前に現れる大敵は、「愛の戦士の新人時代」のセーラームーンの前には決して現れないのだ。

そんな訳で、あなたも悟りを開きなさい。
パートタイムで良いから・・・
その方法は、ホーキング博士の本を見れば良いだろうが、やっぱり何でも良いのだと思う。
ホーキング博士の本では、一番新しい『I<わたし>』がお薦めだ。Kndle版があるのが、私には有り難かった。
霊的、宗教的な本(たとえば、ラマナ・マハルシのもの)よりも、現代人に合った説明をしてくれている。
逆に、ホーキング博士の本を読めば、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが分かるかもしれない。
ホーキング博士も、これらの聖者を深く敬っているのである。









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会社は禅寺の千倍効果的な修行場

日本の今の社会って、相当、楽が出来るのではないだろうか?
なぜって、外見が無残なまでに醜いのに、楽々生きている人が多いからだ。
このあたり、いろいろ綻びが出ているとはいえ、さすが経済大国ニッポンである。

人間は、内面が外面に現れるし、特に、歳を重ねるごとにそうなる。
そして、ほとんどの人が内面を磨かないので、老人になる度に見苦しくなる。
それと、時々見るのは、かなり鍛えられ、磨かれている部分があるので、どこか美しいところは確かにあるのだが、力を得たせいでプライドが高いために、全体としては醜かったり、健康やその他の問題を抱えている人だ。

ラマナ・マハルシという有名な聖者がいるが、生涯、フンドシ1本しか所有しなかった彼のようになりたいと思う人はあまりいないだろう。
だが、彼は物質的なものに関心がなかったので、そのようであったが、実際は、解脱といったことが起こると、物質的にもうまくいくし、それどころか、解脱に近付いて魂の力を高めていなければ、表向きには成功しているようでも、それに相当するほど問題が起こる。
だから、ほとんどの富豪は、実際は普通の人よりずっと惨めだし、難病奇病に苦しめられるのである。
また、マハルシ個人はフンドシ1本しか持たなかったとしても、彼は相当に裕福で、沢山の人達が無償で世話をしてくれたし、世界中から贈り物も絶えなかった(彼はやや迷惑していたようだが)。

ところで、マハルシの真似なのか、フンドシを替えと合わせて2本所有しているだけの高名な聖者がいたらしいが、火事で1本が焼けそうになった時、彼は大パニックを起こしたらしい。
彼は、一面では立派だが、いびつに進化した聖者なのだろう。
彼の場合は、もっと世の中に出て苦労し、物質的に成功すべきだったかもしれない。

つまり、私のようなひきこもりタイプには、あまり心地良いことではないが、所詮、人間は、人々と関わり、嫌な思いを存分に味わう必要があるのだ。
世の中に背を向けて聖典ばかり読んでいても「キモくなる一方」だ。
あるいは、寺や荒野で修行しても、やっぱりキモいままなのである。
日本には、いかなる寺や秘密結社にも優る、カイシャという最高の修行場がある。
寺や宗教団体では通用しても、会社では全く通用しないものである。
会社って面白くないものだが、そこから抜け出すには、そこを卒業するしかない。
そして、卒業しなくてはならない。
会社の居心地が良くなった頃が辞め時だ。
居心地が良くて居座り続けると、今度はどんどん居心地が悪くなるが、それは、「さっさと卒業せいよ」という神の慈悲に違いない。
だが、まずは、居心地が良くなるよう努力しなくてはならない。

で、会社の修行を効率よくやるためには、プログラミングを・・・それも、一般には、ExcelやAccessのVBAをやることだ。
特にプログラミングが好きなら、JavaでもPythonでも、あるいは、RubyやC#等をやれば良いが、その場合は、IT全体の、より深い知識と経験が必要になる。
所詮、ITオタクでなければ、本格的なプログラミングはやれないが、実際は、VBAでも、高度になれば、かなりのものである。
仕事の仕組みを理解した上でVBAに熟達すると、すぐに会社は楽になる。
そうしたら、さっさと解脱した方が良いだろう。









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