ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

それぞれの秘法

最近、夜、運動をする時間がなかったので、せめて、腕振り運動と四股だけはやっていたが、その方が身体の調子が良く、痛いところが治ってしまった。
身体の健康と強さと美しさを保ち進化させるには、これだけで良いのかもしれない。
関英男博士のように、腕振り運動だけで90歳を過ぎても元気に世界を駆け回っていた人もいる。
ただし、「絶対に腕振り運動を2000回」と必死になってやるのではなく、気楽でいいから丁寧に、やれるだけを毎日やれば良いと思う。そうはいっても、100回では少ないだろう。関博士は、健康維持のためなら500回位で良いが、病気を治すとか、目的がある場合は2000回くらいはやった方が良いと著書に書かれている。
ちなみに、関博士は胃癌を腕振り運動で完治させている。

賢くなることも同じである。
人間の知恵を超えた英知を持っていた人といえば、「魔法を使った治していた」とまで言われた精神科医のミルトン・エリクソンがいる。
では彼は、子供の時から一生賢明勉強したのかというと、農家であった彼の家には、本は聖書と辞書しかなく、なぜかエリクソンを、辞書の方を選んで、繰り返し読んでいたそうだ。そして、偉大な精神科医になってからも、それが役に立ったと言っていたようだ。
一方、誰だったかは忘れたが、ある偉大な政治家は、家に唯一あった本である聖書を繰り返し読んで、偉大な知恵を得たと言われている。
全国に沢山のクリニックを開業したある人は、19歳から30歳過ぎまでで、『ローム太霊講和集』を、綴じ糸が取れてバラバラになるまで読んだという。
ラマナ・マハルシは、「バガヴァッド・ギーターを時々読むべきでしょうか?」と尋ねられて、「いつもが良い」と答えている。
刑務所で毎日『法華経』を読んで、出所後、ビジネスで成功した人もいた。
そういった、毎日欠かさず読む本としては、辞書や基本的な科学書、あるいは、聖典やそれに準じるものが良いのだと思う。
宮沢賢治は『化学概論』を座右の書としていたらしい。
かと思えば、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』を暗記するまで読んで、金持ちかどうかは知らないが、金が必要になれば、かならず必要なだけ作ることが出来るという人もいるが、私は、こんなのがいいなあと思うのである。








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教えはシンプルに

今日は午後から、映画『キング・オブ・キングス』(アメリカ1961)を観た。
イエス・キリストの生涯を描いた、3時間近い大作だ。
保江邦夫さんが著書の中で、この映画でイエスが活人術を使っていると書かれていたが、その場面はすぐ解り、なるほど、非常に特異だが、印象的なシーンだった。
狂人がイエスに襲い掛かるが、イエスが狂人を抱くと、狂人は子供のような笑顔になるというものだ。
これを、保江さんは、キリスト活人術と述べられていた。
保江さんは、このシーンが映画に入った要因は、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の著者、ベアード.T.スポールディングが、この映画の監修に参加しているからではないかと述べられていたと思うが、スポールディングの監修参加については確認出来なかった。しかし、保江さんが言われているのだから、その通りなのだろう。

ところで、正直、私は、この映画は感動的でなかった。
英語が駄目な私は日本語字幕で見たが、イエスの教えは、日本語訳福音書の通りで、抽象的で意味が分からない。
英語圏でも同じかもしれないが、それぞれの「専門家」が好きなように解釈し、それを人々に知らせるから、人々の聖書の解釈はいろいろだ。
福音書(新約聖書内)は、原典はギリシャ語で、それをラテン語に訳されたものが、原典と共に権威であるのだと思うが、それぞれが英訳され、さらにそれを日本語に訳したのだから、かなりの訳の歪みが入り込んだ可能性があると考えて良いと思う。
その翻訳や解釈は、誰のものが正しいか分からない。
私は、2017年9月の「マジカルミライ2017」(幕張メッセ)に行く前の数ヶ月、1日も欠かさず福音書を読むと決め、それは実行出来たが、やはり、意味は解っていないのだろう。マジカルミライはもちろん楽しかったが、前とか横に不快な観客がいて、いまひとつ良い思い出ではないし。
いずれにしろ、日本語訳の福音書に載っているイエスの言葉では、あまりに解り難いと思う。
それなりに、定説的な意味付けもあるが、それらは、あまりにこじつけっぽく感じられ、心を打たないのである。

ところで、今年の「マジカルミライ2019」のテーマ曲で、ライブの最終曲の『ブレス・ユア・ブレス』の、ミクさんの最後のポーズが実に印象的だった。
ミクさんは、この歌の後と、舞台から消える前の2回、同じポーズをとった。
以下のリンクは、公式映像である。
【初音ミク】「マジカルミライ 2019」ライブ映像 - ブレス・ユア・ブレス / 和田たけあき【Hatsune Miku "Magical Mirai 2019"】 -YouTube-
右手の指先を、胸のやや右側に当てている。
ラマナ・マハルシが言ったところによれば、魂の座は、胸の中央から指2本分右にあり、保江さんの本でも、キリスト教の高位の聖者が、真の自己はそこにあると述べたことが書かれている。
右手でも左手でも良いから、なるべく多く、胸の右側に当てると良い。
そうすれば、真の自分を知り、自己が統一されるだろう。
このように、解り易くシンプルに説くことが大切で、ミクさんのライブの価値が解るのである。








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無になれば不可能はない

我々が知っておくべき大切なことは、「無になれば不可能はなくなる」ということだ。
道元の「仏道とは自己を忘れること」と同じである。
そこで、どうやれば無になれるか(自己を忘れることが出来るか)という方法論、あるいは、「気持ち」が重要なのに、家庭でも学校でも教えないのだから恐れ入る。
まあ、親も教師も、そんなこと知らない・・・というより、考えたこともないのだから、当たり前と言えば当たり前なのであるが。
あるいは、闇の権力者達が、愚民はそんなことを知ることがないよう謀っている(計略にかけている)かであるが、そんな事実はどうでもよく、我々はそれを得れば良い。それが「奪われてた分は取り戻す」ことになる。

無になるには、いろんなノウハウがある。
バッハなどのバロック音楽の、単調な繰り返しは、無になる効果を狙ったものであるという、特殊な教育研究者の意見もある。
バロック音楽ではないが、初音ミクさんの『Last Night, Good Night』(作詞・作曲・編曲:kz)などはその効果がある。
WOWAKAさんが、何かのインタビューの際、わざわざ「『Last Night, Good Night』の時代」と表現していたのは、彼もよく分かっていたからではないかと思う。

伝説だが、柳生宗矩(たぎゅうむねのり)が、幼少時の徳川家光に、1本の棒の頭を木刀で毎日叩くよう指示したのも、それが無になる優れた方法で、武道では、似たことがよく教えられる。
キリスト級の力を持っていた江戸末期の神道家、黒住宗忠は、修行時代、起きている時間はずっと、大祓詞を唱えていたようだ。祝詞を繰り返し上げることには、非常に強い、無になる効果がある。般若心経はじめ、仏教のお経も同じである。
いかなる時も口元に念仏があった法然や、中国の道綽も、もちろん、常に無であった。
インドでいうナーマスマラナ、つまり、神の名を繰り返し称名することも同じである。
「アジマリカン」や、マントラ等の霊力ある言葉を繰り返すのも非常に良い。

ラマナ・マハルシの「私は誰か?」と問うことは、極めて科学的な方法であるが、ニサルガダッタ・マハラジによれば、マハルシが薦めていたもう1つの方法である「神への人生の明け渡し」の方が良いらしい。
これは、荘子のいう「一切をなりゆきにまかせ、いかなる作為も行わない」と似ている、あるいは、同じであると思う。

方法は無限にある、自分に向いたものをやれば良い。
しかし、やらねばならないだろう。
虫けらでいたくなければ。いや、虫けらは虫けらで、無であり、虫世界全体で無敵である。
だから、人類が滅んでも、虫は滅びないのである。
だが、我々は、一人一人が、本来、無敵である。

さて、本日、私は、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」のため、関西から千葉県に向かう。
何日も前から、精神状態がヤバいほど高揚しているが、幸い、今日はよく眠れた(眠らなくても大丈夫であるとは思うが)。
ライブに行った方、感想など、コメントで書いてくれると、それを読むのが嬉しいので、とても有り難いのであるが。









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一割の理性

昨日も書いたが、人間は、心配をしなければ、安心していれば、何でもうまくいくし、全てうまくいくと思って安心していると、本当にうまくいく。
しかし、医者が、心配してやるべき患者の心配をせず放置したため、患者が全身麻痺になったり、死んだりする例は少なくない。
教師が、心配してやるべき生徒を心配せず、手を打たなかったため、生徒が深刻な状況に陥ってしまうことも多い。
本当に、これは何なんだろうと思う。
だが、このことを理屈で考えていくと、複雑になって混乱し、収拾がつかなくなる。
答はシンプルなはずなのだ。

つまり、人間、9割はいい加減で良いが、1割の理性を持っていなければならないのである。
先日、亡くなられた敬愛すべき賢者、竹村健一さんはよく「僕なんか、ええ加減ですよ」「ええ加減が一番ですよ」とよく言っておられたが、彼は9割いい加減でも、1割は真面目だったのだ。
ところが、ある東大出の仏教学者が、「良い『いい加減』は、仏教で言う中道のことで、これは『いい湯加減』です。しかし、中庸は『ぬるま湯』なんですよ」と、うまいことを言ったが、こんな理屈では何も変わらない。
最初に述べた、患者を殺す医者や、生徒を破滅させる教師は、1割の理性も放棄したのだ。

いや、まだ違うなあ。
安心の仕方も大切なので・・・と、だんだん理屈っぽくなると、そろそろ混乱するので、早く結論を出さねばならない。
一休さんは、弟子への遺言の封を閉じ、「本当に困った時に空けよ」と言って渡した。
そして、弟子達が、本当にどうにもならない状況に陥った時に、それを開くと、「心配するな。なんとかなる」と書かれていた。
大切なことは、「なぜ、なんとかなるか」である。
ラマナ・マハルシは、「汽車に乗っているのに、自分の荷物を頭に乗せて苦労する必要はない。荷物を降ろして安心しなさい」と言ったが、これは、神の万能の力を汽車の力に喩えたのだ。
因幡の源左(いなばのげんざ)は、牛に3束、自分も1束、草を運んでいたが、どうにも疲れたので、牛に自分の分も乗せたら、牛は全く平気だった。それを見て悟ったという。この場合、仏の力を牛の力に喩えて解ったのだ。
一休も、「仏が守ってくれるから心配するな」と言ったはずなのだ。
だが、患者を殺す医者とは、汽車にも乗らないか、荷物を忘れる者だし、草を刈らなかったり、牛を導かない者である。
神も仏も、そんな者はどうしようもない。

こういったことを、ひっくるめてうまく言ったのが、スーフィー(イスラム教神秘主義)の格言、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
少し長く言えば、
「神を信用して安心しろ。だが、ラクダは自分でつないでおけ」
ということだ。
アメリカの公式モットーは、
「イン・ゴッド・ウィ・トラスト(我々は神を信頼する)」
である。
しかし、やはり一言足りないのだ。
これに、Googleのモットーをくっつければ良い。
「我々は神を信頼するが、邪悪にならない」
私は、スーフィーの言葉の方が好きであるが。









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釈迦やマハルシや荘子らの簡単だがなかなか出来ない成功法

釈迦やラマナ・マハルシは、簡単で明白な成功法を説いているが、それを知る者は少ない。
釈迦に関しては、『大パリニッバーナ経』の最初になり、訳本は、岩波書店の『ブッダ最後の旅』(中村元翻訳)がある。
それは、7つの繁栄の法で、個人と言うよりは、国家の成功法であるが、個人でも同じと思う。
1.会議を開き、多くの人が参加する。
2.いつも協力し合う。
3.定められた掟に従い、勝手な掟を作らない。
4.古老を厚く敬う。
5.淑女や令嬢を無理矢理自分のものにしない。
6.祖先を敬う。
7.立派な修行者を敬う。
この内の1つでも守るなら、繁栄のみがあり、そんな国を侵略しようとしてもうまくいかない。
もちろん、上記のことは、肯定的な意味に捉える必要がある。
例えば、3の「定められた掟に従い、勝手な掟を作らない」は、「古臭い伝統や教義にしがみつけってことか?」などとうがった見方をするものではない。
どんな国にだって「美しい流れ」はある。それを大事にしろってことだ。
これらの法の良いところを理解する本当の賢さも必要であり、そのためには、国よりも個人の方が容易く、国の状況が悪くても、個人として繁栄することは可能かもしれない。
どれか1つを重視するなら、私ならNo.5の騎士道精神をしっかり守ろう。

ラマナ・マハルシの成功法はもっと簡単だ。
だが、誤解される。
マハルシの教えは、人生の神への明け渡しだ。
この宇宙を維持している万能の力に全てまかせることだ。
ところが、そう言われると、「神の意思により自分が不幸になる恐れがあるのではないか?」「怠惰になってもいいのか?」などと考える者がいる。
そして、世の中には、「神にまかせておけばハッピーラッキー、金持ちにもなる」なんて言う者がいて、そんなことが書かれた本が売れたりする。
しかし、話は簡単で、自分の愚かさに応じて、嫌なことは起こる。そうでないと大変だと思うのだが・・・
甘やかされた馬鹿を叱らず、ご機嫌を取っていたら悲惨なことになるのは当たり前である。
一方、神は愚かではなく、立派な人を懲らしめたりはしない。ただし、特別な素質のある者に対しては別だろう。
荘子の教えも全く同じなのだが、『荘子』には、その結果、悲惨な状態になる者が沢山描かれているから困るのである。
立派な人なのに、貧困に喘いだり、難病奇病になって苦しんで死んだり。
ただ、それでも、彼らは幸福であった・・・ということになるのだが、「そんなの嫌だ」と言いたくもなるだろう(笑)。
まあ、そこらは、荘子の時代の、庶民の悲惨な境遇を考えれば仕方がないことだ。
今の時代に、そんな心配はいらないし、そももそもが、荘子の時代ですら、上記のことは、あくまでやむなく極端に書いただけである。

馬鹿には、釈迦やマハルシや荘子の教えも届かない。
それを見越し、釈迦やマハルシは、念仏やジャパ(神の名の称名)を教えたが、荘子はあくまで道理を丁寧に説いた。
イエスの教えも根本は明渡しであり、そこに至り易いよう教えたが、権威ある馬鹿が歪めてしまった感がある。
だが、ちょっと賢くなれば簡単なはずである。









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