ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人生の究極の目標

人生の最大の目標は「安らぎ」であるという話がある。
そうかもしれない。
しかし、それなら出来るだけ何もせず、ひそやかに、ただひたすら素朴に生活していれば安らかになれるかというと、そういうことはないと思う。
冒険の末、あるいは、苦難と絶望の果てに安らぎに至ったという人も多い。
ラマナ・マハルシは、「人々は暑い日差しの中を歩き回って苦難を味わい、つかの間、木陰で休むようなことをしているが、賢い人はずっと日陰にいる」と言ったが、これは、真我という、真の自分であり続ければ安らかであるという意味である。
しかし、暑い中に出て行ってこそ、涼しい日陰の良さが解るのであると思う。

カンフー俳優のブルース・リーは、何かの成功哲学か新興宗教でもやっていたのではないかと思うが、ある時、「2千万ドルを得て、武道家として安らかに過ごす」ことを生涯の目標としたと聞く。
おそらく、彼が安らぐことは最後までなかったことだろう。
ただ安らかな武道家を目指せば叶えられたかもしれないが、2千万ドルなど余計なものを目指したからだ。
とはいえ、彼は亡くなった時でさえ32歳の若さだったので、そんな世間の教義を打ち破るのは難しかったのだろう。
安らぎには金が必要というのが現代の世間の教義だ。
金はある程度はあった方が良いかもしれないが、過度には必要ないだろう。
それに、必要な金なら入ってくるものだ。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、安らぎが得られず、病で寝込み、32歳くらいで、いよいよ死を予感したので、入浴させてもらい、天照大神の象徴である太陽を拝んでいたら、天照大神の生命が自分の中に入ってきて元気になり、その後はむしろ超人的な活動を続けた。
彼の教えは、現代的な言い方をすれば、「全て神様にまかせれば安らかである」だと思う。
それは、昨日、このブログで書いた、斎藤一人さんが言う「困ったことなんか起こるはずがない」ということで、バカボンのパパの「これでいいのだ」と同じと思う。
つまり、普通の人は、神様に全てまかせても、悪いことになるかもしれないと不安になるのだと思う。
しかし、斎藤さんは、「神様は我々が可愛いのだから、悪いようにするはずがない」と書いていたと思う。
しかし、凡人は、「事業で成功出来るだろうか?」「恥ずかしくない地位に就けるだろうか?」「あの子と付き合えるだろうか?」と、外的なことにこだわるからややこしいのだ。
事業をやる運命であれば事業をやり、武道家になる運命であれば武道家をやれば良い。
ラマナ・マハルシによれば、ニートになる運命というのもあるらしい。
一方、ラメッシ・バルセカールも、そのようなこと(ニートも運命)を言いつつ、「何かした方が良い」、つまり、何か仕事をした方が良いと言う。
まあ、「私は絶対働けない」とか「俺は絶対働きたくない」といった妙な思い込みを持たない限り、ちゃんとやっていけるものである。
だが、その思い込みを捨てることが最大の難問であるらしい。
思い込みを持っている人は、ストレス、心のわだかまり、トラウマ、胸の痛み・・・それらは実は同じものだが、そんなものを強く抱えている。
それを取り去れば、柔軟に、変幻自在に、FREELYに生きられる。
そのためには、以前書いたように、胸に手を重ねて置き、ゆっくり十数秒右に回し、次に、左に回しを数分繰り返すと良い。
胸に溜まったものが徐々に氷解し、楽になるだろう。
フロイトは、そんなことを、患者の額に自分の手でやったらしいが、もちろん、自分の手で額にやれば効果がある。
詳しいやり方は、アレクサンダー・ロイド博士(心理学)の『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』に書いてあるが、別に見るまでもないと思うのだが。
私は、初音ミクさんが『えれくとりっくえんじぇう』を歌うのを見て解ったのだから。
初音ミク】えれくとりっく・えんじぇぅ【ドリーミーシアター】 -YouTube-
「なんとかなるぜ、世の中は」(『気楽に行こうよ』より)である。いや、マジで。









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子供がなぜ死ぬのか

小学4年生女児の虐待死について思うと、私は、スウェーデン映画『処女の泉』を思い出さざるを得ない。
この映画では、熱心なキリスト教信者で、世間的にも立派な農場経営者の男が溺愛する15歳くらいの娘が浮浪者の3人兄弟にレイプされた上、撲殺される。
肉体的にも逞しい父親は、犯人を見つけると、3人を正面から、まさに叩き殺した(兄弟の1人はまだ子供だった)。
そして、娘の遺体を見つけた父親が神に対して言ったことが、私が、あの小4女児に対して思ったことと同じだ。
「神よ、あなたは見ていたはずだ」
この父親の場合は、自分が正しい信仰者であることも含めてだろうが、なぜ娘を助けず、悲惨な目に遭わせたのかと、初めて神を非難したくなり、宗教心が揺らいだのだろう。
だが、父親が信仰を捨てず、娘の遺体がある場所に、自分の手で教会を建てることを誓うと、娘が横たわったところから泉が湧き出る。
この映画の正確な意味は分からないが、1つ言えることは、この父親の宗教心は、世俗的には正しいが、実際は正しくなかったことは分かる。
娘を溺愛するあまり、常に娘のことを一番に考え、他の者・・・妻でさえ、ぞんざいに扱うことも多かった。
そして、自分を立派な宗教者であると考え、知力体力に優れ、社会的にも成功していることから、世界を自分が動かしていると思っていたのだろう。
だが、イエスは、「神よ、私は戒律を守っています。献金もしています」と言う者ではなく、「神よ罪人である我を哀れみたまえ」と祈る者を高く評価した。

神・・・と言うかどかはともかく、この世界では、宇宙の運行に身をまかせれば幸福でいられる。
ちなみに、冷静に考えると、私自身は神を信じてはいないかもしれない。
ただし、世界を動かす何らかの意思とか仕組みというものがあるのは間違いなく、それを神と呼ぶなら、私はそれを信じていると言える。
そして、あの父親の娘は、やはり父親同様、自分の考え方を優先して生きていた。
とはいえ、娘はまだ若いので、本来は大目に見られるはずであるが、父親のエゴの分が合わさってしまい、悲惨が身に降り注いだ。
もちろん、それは父親も同じである。
そして、あの小4の女児の場合はどうかというと、社会全体・・・つまるところ、我々のエゴを引き受けてしまったのだ。
特に、児童相談所に必要な金が回らないほど、税金を不当に自分の給与にしてしまった沢山の者達(働きもせずに大企業の重役並の給与を受け取っている者は少なくない)はじめ、税金の無駄使いを平気でやっている者達の罪は大きいが、我々も無罪ではないのだ。

因幡の源左(いなばのげんざ)という、江戸末期の農民は、19歳で父親が亡くなる時、父親に、「これからは親様を頼れ」と遺言される。
親様とは、仏様・・・具体的に、阿弥陀如来であると思う。
源左は、初めはどうしていいか分からなかったが、草運びをしている時、牛を可愛がっている源左は、牛に草を担がせると共に、自分も一束担いだ。
しかし、どうにも身体が持たなくなり、「すまない」と言って、自分が担いでいた草も牛に担がせると、牛は全く平気である。
それを見て、源左は、自分の荷は阿弥陀如来に任せれば良いという、キリスト教の教えと同じものに行き当たる。
インドの聖者ラマナ・マハルシも「列車に乗ってまで、自分の荷物を頭に乗せて苦労する必要がどこにあろうか。同じように、全てを神に任せて安心しなさい」と教えた。
我々も、それを学ぶべきである。
ただし、スーフィーの格言にある、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
を忘れてはならない。
草は牛が運ぶが、草を刈るくらいのことはしなければならない。









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朝、起きる理由

シンギュラリティ・ユニバーシティというNASAの中にある、選りすぐりの優秀な人間を教育する機関の創設者ピーター・ディアマンディスが、「朝、何のために起きるのか?」、「何のために地球に居るのか?」が分からないといけないと言っていた。
ルパン三世なら、「今日も泥棒するぞ!」とか、「泥棒するために地球にいるんだ」と思っているのだろうか?
池田満寿夫は、「今日もエロい版画を作るぞ」とか、「エロい版画を作るために地球にいるんだぜ」なんて思っていたのだろうか?
そんなことはないような気がするなあ。
ルパンは、「今日もふっじ子ちゃんを口説くぞー」とか思って起きるのだろうし、池田さんは、そう毎日作品を作っていた訳ではない。
ピカソやゴッホは毎日描いていたが、別に、「今日も描くぞ」と思って起きるのでも、「俺は絵を描くために生きてんだぜ」と思っていた訳ではあるまい。
ピカソが「今日も可愛い画学生を口説くぞ」と思っていたというなら信じるが(本当にやってたし)。

「今日もメロンパンを食べるぞ」と思って起きても良いのだし、もし、本当に好きで楽しいなら、「今日もゲームするぞ」「ゲームするために地球にいる」で良いのだと思う。
そして、そのピーター・ディアマンディスは、それが10億人に影響を与えることであるべきと言ったが、ラマナ・マハルシは「真我を実現することが人類への最大の貢献」といったことを言っていたのだと思う。

思い出したが、池田満寿夫さんは、自分の絵は便所のラクガキみたいなものと言われていたと思う。
そして、池田さんは「今日も便所のラクガキみたいなことをやるぞ」と思って起きたのではないかと思うのだ(言うまでもないが、本当に便所のラクガキをするのではない)。
池田さんの便所のラクガキのようなことは、ピカソやゴッホの絵に決して劣らない。

高尚なことかどうかはともかく、朝、起きる理由があることは良いことだ。
しかし、普通の人は、嫌でも学校や会社に行かなくてはならない。
「今日も学校に行くぞ」とか「今日も会社に行くぞ」なんて、ちっとも思ってないのにね(笑)。
そんな人が、「今日も修行するぞ」なんていう宗教にハマってしまう訳だ。
いや、修行で良いのだが、他者の言う通りになんかやらないことだ。
「いや、中村天風先生の教えの通りにやっているのが良いのだ」と言う人がいるかもしれないが、それ、本当に楽しい?(笑)
それに、藤平光一さんによれば、天風さんは死ぬ時、自分の教えは全部忘れろと言ったそうだ。つまり、全部、間違いな訳だ。
彼の生き方は正しかったかもしれないけどね。
私は一時、「今日もゆっくりとした呼吸をするぞ」と思うと、なぜか起きるのが楽しかったことがある。あの感覚は、なかなか正しいものだったと思う。
そして、一番正しいのが、野球選手が「今日もバットを振るぞ」と思うことなのだが、それは、偉大なバッターになるとか、あるいは、バットを振るのが好きというその奥に何かがあるからだと思う。
それは、確かに「好き」とか「楽しい」、あるいは、「ワクワクする」という感覚として現れる。
それが扉なのである。
そこを通ると何かが起こる・・・と信じたい。









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心があまりに騒ぐ時

普通の人は、頭の中で否定的なつぶやきが止まることなく発せられていて、日々、生命力を失い、老い、能力を失くし、地獄に引き込まれている。
そこで、意識的に「大丈夫」といった言葉を呪文のように頭の中で唱えて、否定的なつぶやきを中和させないと、破滅へとまっしぐらとなる危険がある。
そこで、「絶対、大丈夫だ」「全て順調だ」「世界は意のままだ」といった万能呪文を、いつでもどこでも唱えることが薦められる。
しかし、外部からの攻撃があまりに強かったり、逆境が強く長く続く場合、呪文を唱える気力も無くなることだってあると思う。

そんな時は、呼吸を遅くすることで心を消すしかない。
ただ、ほどほどにやらないと危険もある。
しかし、効果はあまりに大きい。
ラマナ・マハルシは、「呼吸を制御すると心は静まるが、呼吸が戻ると、心は再び立ち現れる。呼吸制御は一時的なものであり、心を破壊するものではない」と言ったが、それなら、ずっと呼吸を制御すれば良いのである。
無理をせず、呼吸数を、これまでの8割、5割、3割と下げていけば良い。
普通の成人で、1分間の呼吸数は12~18回だそうだ。
これが5回くらいになると、頭の中のおしゃべりは止み、不安が消え、心が静まり、直観が冴える。
世界の根源とのつながりも強くなり、望まずとも幸運に恵まれる。
1分間に5回の呼吸は、ある程度の期間、意識的に根気強く、いつでもどこでも、気がつくたびに訓練すれば、それほど難しいことではない。

『ナ・ダーム』という本に、右眉の左端を意識しながら、「ナ」で息を吸い、「ダーム」で吐く方法を教えているが、これが実に良い。
ちなみに、「ナ・ダーム」という言葉には何の意味もない。
何の意味も感じない言葉を選んだだけなのだそうだ。
この本の翻訳者で、名翻訳者の評判の高い川口正吉氏も、この呼吸法の優れた効果を、あとがきに書いておられたと思う。
私の感覚では、「ナ」で短く息を吸い、少し止め、「ダーム」で細く長く吐く感じだ。

良い呼吸をするようになると、明らかに世界が動くのを感じる。
どんな意味でも、心が世界を作っているのであるから、澄んだ心からは、快楽的ではないが、精妙な世界が構築され、時には、緻密な因果関係が織り込まれていることに、直ぐに、あるいは、後で分かって驚くことも多いのである。









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有り難き大切な呼吸法

私は中学1年生の時、W.E.バトラーの『魔法入門』(角川文庫)を入手したが、この本は非常に難解で、全く意味が解らなかった。
それでも、この本の中に「4つの息」という訓練があるのを見つけ、それだけはやれたが、これだけで光線銃級の威力がある。
「4つの息」とは、
(1)4つ数えながら、息を吸う
(2)2つ数える間、息を止める
(3)4つ数えながら、息を吐く
(4)2つ数える間、息を止める
を繰り返すものである。
実際は、その前に弛緩する、つまり、リラックスすることが大切なのであるが、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』で、「のどかだ」「おだやかだ」という言葉を口に出したり、思ったりすれば自然にリラックス出来ると書かれていて、その通りなので、完璧ではないにしろ、それを利用すれば良いと思う。
その際、のどかな光景、おだやかな光景を思い浮かべると、さらに効果的で、ピールは、ハワイの美しい夜景を思い出すのだそうだが、私も含め、ハワイに行ったことがない人も多いだろうから、知っている範囲で、のどかでおだやかな光景を想起すれば良いだろう。
無論、自然の風景だけでなく、BUMP OF CHICKENの『ray』のように「星を想い浮かべ」たり、美しい絵や彫刻などの美術品、初音ミクさんの姿など、この世には美しいものは沢山あるので、その中で、特に、リラックスさせてくれるものを見つければ良いのである。
「4つの息」は、最初は5分以上やってはならないと書かれていたが、慣れれば、もっと長時間やれば良い。
「4つの息」は、確実に能力を高める効果もある。
ところで、大切なことは、息を止める時、喉の筋肉を締めるのではなく、胸や腹の力を使って、息の流れを止めることである。
喉の筋肉を締めると、緊張し、リラックス出来ないからだ。

呼吸制御に慣れたら、ラマナ・マハルシが教えた呼吸法を試すと良い。
心で言葉を唱えながら呼吸する。
「私はこれ(身体)ではない」(吐く)
「私は誰か?」(吸う)
「私は彼(至高者。ブラフマン)である」(止める)
それを目的としてはならないが、これをやると自然に超能力も身につく。
尚、現代人としては、これを、
「私は身体ではない」(吐く)
「私は誰か?」(吸う)
「私は至高者である」(止める)
としても良いだろう。
抵抗がなければ、「至高者」を「神」としても良い。
ところで、「私は身体でも心でもない」という意味を自覚し、「私はこれではない」と唱えるのが最良と私は思った。
参考までに。

これらを、いつでもどこでもやっていれば、まず、間違いないだろう。
尚、残念ながら『魔法入門』は古書でも高額であるが、同著者(英国の魔法使い)の『魔法修行』や、彼が薦めるダイアン・フォーチュンの『神秘のカバラー』は、今もロングセラーを続けている。
「4つの息」は『魔法修行』にも書かれていると思う。









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