ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ラマナ・マハルシ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神様に責任を取ってもらうには

私は、人生に行き詰まった時・・・まあ、それほど行き詰まったことはないのだが・・・夏目志郎さんのやり方に倣うことにしている。
人真似・・・前に倣えは駄目だが、これは唯一、真似て良いことだと思っている。
中国のお金持ちのボンボンだった夏目さんが、戦後、高級車と大金を持って日本でビジネスを始めたが、詐欺に遭って膨大な借金を背負い、事故で脚を折り、まだ35歳なのに頭も禿げてきたという、散々な状況の中でやったことだった。
まあ、やったことと言っても、実際は何もしていないので「心で決めた」というだけのことである。
上のような、何もかも失敗続きの人生の中で、夏目さんは敬虔なクリスチャン(キリスト教徒)になったのだから、ある意味、宗教にハマったと言えなくもないが、あくどい新興宗教でなかったのが良かったのだろう。
夏目さんは、神様に、こんな感じで祈った。
「神様、これまでの私の人生の責任は私にあります。だけど、これからの人生の責任は、あなたに取って欲しいのです」
主旨はこれだけである。
そして、失業中の夏目さんは、具体的なお願いを1つした。それは、
「私はもう35歳です。生涯をかけられる、これはという仕事を下さい」
だった。
すると、翌日、百科事典を扱う外資系企業がスカウトに来て、夏目さんは百科事典のセールスマンになったのだった。

つまり、神様への全托である。
これは、ラマナ・マハルシや、ラメッシ・バルセカールといったインドの聖者達も「神への人生の完全な明け渡し」として推奨していることだった。
マハルシは無職だったが、バルセカールは銀行の頭取だった。
ちなみに、バルセカールの師匠は、小さなタバコ屋だった。
日本でも、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が、神様に「丸ごと」まかせてしまう「まること」の教えを説いている。
宗忠もまた、病気で長年寝込み、もう駄目(もう死ぬだろう)という状況で、神様(天照大神)に祈ったのだった。

神様に全托するにはどうすれば良いかというと、別に何もない。
「まかせた」と思えば良いのである。
ただ、日本やインドでは、神様の名を唱えることが習いになっている。
キリスト教やユダヤ教では、神の名を口にしてはいけないということがあるらしいが、夏目さんのように「責任取って下さい」と言うのも分かり易い(笑)。
まあ、神様は全托すれば、必ず責任を取ってくれる。
人間のチャラい男と違って力があるからね(笑)。
「南無阿弥陀仏」という念仏は、「阿弥陀様に全ておまかせします」という意味で、念仏を唱えれば、阿弥陀様(あるいは阿弥陀仏が象徴する万能の力)が責任を取ってくれるわけである。
日本にも、「十言の神呪(とことのかじり)」と言って、天照大神の名「アマテラスオホミカミ」と唱える神呪(まじない。真言)がある。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の名を唱えることや、造化三神を含むという「サムハラ」を唱えるというものもある。
自分が好きな名を選んで唱えると良い。
要は、まかせたということを自覚すれば良いだけである。

神様にまかせたら、怠惰になるかというと、そういうこともあるかもしれない(笑)。
以前は、そんなことはないと思っていたが、どうなるかは神様次第だ。
ただ、まかせたからには、どうなっても文句を言ってはならないのだと思う。
しばらくは散々な目に遭い、いわゆる「試される」かもしれない。
まあ、不純だったり、甘かったりすると、試されるのかもしれない。
あるいは、大物になる素質があれば、大いに試されるかもしれない。
だが、あまり苦しくなく、楽が出来るように(笑)、十言の神呪を熱心にやろうかと思う。








お前のものは俺のもの

我々は、自分のサイズ感を間違っているのである。
つまり、人間としての身体を自分だと思っていることが間違っている。
そうではないということは、インドの聖者らが言ってるらしいが、インドの聖者の言葉の日本語の翻訳は、おそろしく抽象的で、古くなったトーストのように食えない。
おそらく、インドの聖者の言葉が、翻訳される際、英訳する人(大抵は最初に英訳される)も和訳する人も、聖者の言葉の意味が全く分からず、それでも無理に翻訳したので、とんでもなく変な訳になっただけだろう。
だが、きっと、インドの聖者は、ごく単純な意味のことを言ったのだ。

我々は、周囲の空気と切り離されたら生きていられないのに、皮膚の外のものは自分ではないと思っている。
我々は、自分は「産み落とされた」存在だと思い込んでおり、自分は、生まれた途端に世界から孤立し、それからもずっと孤立していると思っているのだ。
お金がないなんて言っているが、社長が沢山持っているし、イーロン・マスクはザクザク持っているし、銀行や財務省にもいっぱいある。だが、それらのお金は自分のものじゃないと思っている。
泥棒に盗まれるなんて言うが、泥棒の家やカバンや、さらに、泥棒も込みで自分のものなのだから、盗まれるはずがない。

インドの聖者、ラマナ・マハルシの元に長く居た人が、ある時、マハルシにこう言った。
「食事をしている時、食べ物と皿と自分の区別がつかなくなり、誰が食べていて、誰が食べられているのか分からなくなった」
それを聞いたマハルシは喜んだ。
その者が、食べ物も皿も、自分と異なるものではないことが分かってきたからだ。

「初音ミクは俺の嫁」と言うが、そう言う者は大抵、「初音ミクはお前の嫁」であることも認めている。
これは尊いことだ。
昔のアメリカ映画で、こんなものがあった。
ある少年は、ある少女が好きだったが、その少女は、どこかのオッサンに妊娠させられてしまう。
それでも、少年は少女と結婚する気があったが、少女のお腹は大きくなるし、少女も後ろめたさからか少年に冷たい。
そこで、少年は、映画の主人公であるヒーロー的男性に相談する。
すると、その男性は、「いい方法がある」と言う。
それは、「(子供も)込みでもらうんだ」で、それを聞き、少年は気が晴れた。
ちなみに、少女に手を出したオッサンは、崖で転落死する(笑)。
ところで、アメリカの1930年代の西部劇『ローン・レンジャー』で、ローン・レンジャーという仮面のレンジャー(警官などの意)は、敬愛する兄を殺した悪党が崖から転落して死んだ時、インディアンの青年トントが「こんなやつ、死んで当然だ」と言うのを聞くと、「死んで当然のやつなんかいない」とトントをいさめた。アメリカに魂があった時代であった。

世界が、自分と異なるものではないことが分かれば、必要なものは向こうからやってくるらしい。多分、本当だ。
吸える空気が無限にあるように、イーロン・マスクのお金程度はもちろん私のものである(笑)。
皮膚の内側の血が自分のものであるなら、誰の許可も必要なくいくらでも吸える空気も自分のものだ。
厳密に言えば、空気を受け入れているからいくらでも吸えるように、世界にあるお金を受け入れればいくらでも手に入る。
受け入れるためにはどうすれば良いか。
簡単である。受け入れを拒否している自我を消せば良い・・・厳密には、出来るだけ希薄にすると良い。
その方法はいくらでもあるのに、ほとんどの人は十分にやらないのである。








自分を勘定に入れず

宮沢賢治の有名な詩『雨ニモマケズ』は、本来は宮沢賢治の個人的メモに過ぎず、他人に読ませる気はなかったようだ。
つまり、ここに書かれたことが宮沢賢治の個人的な理想とか信条とか掟のようなものだったのだろうと思う。
私は、子供の時から、その中の「自分を勘定に入れず」という言葉をとても気に入っていたが、原文は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」で、「カンジョウ」が勘定で良いのかは、本当のところは分からない。
また、「カンジョウ」が勘定であっても、特に子供には意味が分かり難いと思う。
私が子供の時に考えたことは、簡単に言えば「僕の分はいい」という言葉で表せる。
つまり、自分を含めた子供が5人居るのにお菓子が4個しかない時、自分を勘定に入れなければ、4個で良いことになる。
自分はお菓子を得られなくても我慢するわけである。
だが、1人がお菓子を得られないことを知ったら、お菓子を得られた4人が平気なはずがないと思うが、子供の時から、そんな(平気な)者ばかりのように感じる。
学校教育やマスメディアの影響で、人々がモラルを失くしてしまっているのである。

やはり、私が子供の時に見た西部劇映画に、こんな場面があった。
1人の男が野外で火を起こしてコーヒーを沸かしていた。コーヒーは一人分しかなかったが、この男は、もう1人いた他人の男のために、コーヒーを2杯分に薄めて一緒に飲んだ。
私は、コーヒーを飲む度に、必ずこの話を思い出すので、もう何万回という数よりずっと多く思い出しているのである。
濃いコーヒーを丸ごと人にあげるのは、もちろん素晴らしいが、それよりも、このように分ければ良いのである。
動物ですら、自分の子供でもない同種の動物に食べ物などを分けることがあるらしい。
しかし、今の人間は、独り占めし、他に与えない者が多いように思える。

インドの聖者ラマナ・マハルシが、こんな話をしたことがあったらしい。
10人の男が、泳いで川を渡った。
その後、1人の男が、全員いるか確認するために、仲間の数を数えた。
しかし、何度数えても9人しかおらず、男は動揺した。
単に、自分を数えていなかっただけである。
だが、皆、自分を勘定に入れずに数えたので、9人しかいないと思い込んだ。
誰かが、「あいつがいない」と言うと、別の者が「あいつは溺れたんだ」と言い、皆、悲しくなって泣き出した。
そこへ、1人の男が通りかかり、男達から話を聞いて、状況を理解した。
そこで、この通りすがりの男は、こんな提案をした。
「私がお前たちの頭を一人ずつ殴るので、殴られた者は数を数えろ」
それが実施され、殴られた者は、「1」「2」「3」と数を数えていき、最後の男は「10」と言った。
10人目の仲間が見つかった男達は大喜びをした。

マハルシは、この男達を愚か者として話した。
確かに愚かであるが、この男達は、他人を大切にし、自分を勘定に入れない・・・つまり、自分の利得をあまり重視しない人間達であるのかもしれないと、私は思った。
自分を勘定に入れなくても、自分のことは他の者が勘定に入れてくれる。
なんと良いことだろうと思う。
そんな人達は、きっと神様が勘定に入れてくれるだろう・・・というのはメルヘンかもしれないが、案外に真実かもしれない。

『雨ニモマケズ』は、『イーハトーヴ交響曲』のために冨田勲さんが作曲し、合唱されている。
また、『雨ニモマケズ』は、下にご紹介した『銀河鉄道の夜』に収録されている。非常に安価だ。『銀河鉄道の夜』と併せて読まれることをお勧めする。








我々の正体が分かった

インドの聖者ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と問い続ければ、この幻想の世界を超越し、真の自分になれると言った。
とはいえ、それに成功したという話は聞かないが、成功した者は、この世界から消え去るのだろうか?
ところで、私は、それほど「私は誰か?」と問わなかったが、自分が誰か分かってしまった。
別に、その答を教えても良いし、簡単なことなので、言葉の上では容易に理解出来るだろう。
しかし、本当の意味は分からないかというと・・・どうだろう?
実は、私も、言葉で簡単に教えてもらっただけなのだが。

答の有難味を増すために、まず、数人の人の見解を書いておく(笑)。
パラマハンサ・ヨガナンダや、敬愛すべき橋本健博士は、我々は、映画を見ている人と言った。
アラン・ワッツは、一人遊び(お父さん役、お母さん役、子供役などを1人でこなす)をしている子供だと言った。
イツァク・ベントフは、一人遊びをしている神様だと言った。
・・・割と同じことを言っていると思うが、どうもピンとこない。

彼らよりは、イーロン・マスクや、哲学者のニック・ボストロムが言ったことの方が納得出来るように思う。
すなわち、我々は、コンピューターが作った仮想世界(シミュレーテッド・リアリティー)の中の人工的な意識だ。
意識を人工的に作れるかということに関しては、前野隆司氏(工学博士)が、「今はやり方が分からないが、そんなに難しくはないと思う」と著書に書かれていたのを覚えている。

で、答だが、最も簡単に言えば、我々は、「漫画のキャラクター」だ。
映画の登場人物という言い方を好む人もいるが、明らかに、漫画のキャラクターの方が適切だ。
なぜなら、映画の登場人物なら、役者は自分が役者であることを知っているし、多かれ少なかれ、演技に自由度がある。
一方、漫画のキャラクターには、一切の自由がない。
実際の我々も、この点は、漫画のキャラクターと同じなのだ。
何でも、『めだかボックス』という漫画のヒロインが、そんなこと(自分は漫画のキャラクター)に気付くらしいので、早速、電子書籍の1巻を読んでいるが、まだ、そんな話は出て来ない。
しかし、私は、我々が「漫画のキャラクター」と聞いて、即座に納得した。
あまりに的確な表現だからだ。

しかし、多くの人の関心は、もしそう(我々が漫画のキャラクター)であるなら、自分がハッピーになるように作者が漫画を描いてくれるかだろう。
男性なら、コーランが約束しているように、100人の清らかな乙女を得られるとか、女性なら、BTSみたいなグループのメンバー100人が日夜サービスしてくれる・・・まあ、一例であるが(笑)、そんな展開にして欲しいと思う人は多いと思う。
原理的には、可能で簡単であるが、そんなことは起こらないと思う。
と言うのは、この世界は、お釈迦様が言ったように、縁の世界、因果の世界であり、道理に合わないことは起こらないからだ。
ただし、縁や因果は、人間には偶然に見えるので、偶然によって起こったと自然に感じることであれば、起こりえる。
例えば、よく取り上げるが、ホームレスの男が、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたら1憶円が当たったようにだ。これは、ただの偶然と見なすことが出来る。
しかし、パズーの前にシータが降って来た・・・なんてことが偶然に起こるとは思えないので、やっぱりこれはアニメでしかない。

じゃあ、偶然でいいので、ハッピーにしてもらうにはどうすれば良いか?
作者に頼むか?
これに関しては、『荘子』の考えでは、こうなると思う。
つまり、作者だって、自分が何を描くのか分からないのだ。
画家の横尾忠則さんも著書に書かれていた。
「自分でも何が出来るか分からない時の方が良い作品が出来る」
と。ただし、本当は、全ての作品が、自分では何を作るのか分からないのだ。

それに、そもそも、我々の漫画は、もう描き終えたものかもしれない・・・というか、おそらくそうだ。
だが、がっかりすることはない。
なぜなら、我々の漫画は、我々が知る漫画よりはるかに高度だ。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言った。
しかし、彼も知らなかったのだ。神のサイコロには無限の目があることを。
確かに、我々の漫画は、もう描き終わってしまっているかもしれない。
だが、作品全体や、作品の個々の部分が、どんな意味を持つかは解釈次第なのだ。
ある出来事を、悪いことだと考えることも出来れば、超ハッピーなことと考えることも出来る。
荘子も、そのようにしろと言ったのだと思う。








超人化の手引き

どんな言い方が適切であるのかは迷うが、人間は、超人化、あるいは、神化することが出来る。
それは、無意識(意識に対する無意識)に身体の支配を渡した状態であるのだが、夢遊病状態ではなく、自覚がある状態だ。
催眠術で操られている状態とも違う。
これが、至道無難(しどうむなん。江戸時代初期の臨済宗の僧)が言った、

生きながら死人となりて なり果てて 思いのままにするわざぞよき

ということだろう。
だが、死人と言っても、自覚のある死人なのだから難しい。
岡田虎二郎(明治、大正の教育家)は同じことを、「自分を地下千メートルに埋葬した気持ち」と言ったが、やはり、その自分は眠っておらず自覚がある。

インドの聖者ラマナ・マハルシは、人間の究極の状態は、自我が消滅した状態と言ったとされるが、果たして、マハルシの言葉が正しく翻訳・解釈されているのかは疑問だ。
マハルシにしたって、自我はあるとしか思えないのだから。
むしろ、マハルシと同時代のインドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが言ったとされている「私は世間的には死んでいる」の方が、より適切な言い方であると思う。

そんな状態は、心理学で言う、トランス状態、ゾーン、フロー、あるいは、至高体験のようなものと近いと思われる。
心理学でも、ゾーンやフローの状態であれば、最高のパフォーマンスを発揮すると言われているが、その究極であれば、神のようなものである。

となると、どうすればそんな状態になれるか・・・ということを知りたがるが、その前に必要なことがある。
信念がある強く清らかな心を持つ必要があることだ。
そうでなくても、ゾーンやフロー、あるいは、それ以上の状態に達することは出来るかもしれないが、心が穢れていれば、逸脱し狂気に陥ったり、あるいは、本当に自我が消滅してしまう。そんな状態になった者を、昔から、悪霊に憑りつかれたとか、悪魔に魂を売ったと言われるのだ。

聖人とは言わないが、ある程度、清らかな心を持っていれば、神化を試すことが出来る。
簡単に言えば、ぼーっとすれば良いのだが、そのために、薄目で見たり、呼吸を微かにしてみる・・・薄目のまま荒い息をすることは出来ないので、薄目をするだけで良いのだが。
あるいは、息を吸って止めれば、普通の思考をすることは出来ないので、ぼーっとした感じになる。
しかし、呼吸を意識的にコントロールすることは、みだりに行ってはならないとも言われる。
よって、ただ、薄目で見ればよく、芸術家が芸術作品を作る時には、自然に薄目になるし、薄目でないなら、芸術ではなくデザインを作っているのだ(芸術とデザインの区別も難しいが)。
ただ、緊急事態には・・・ショッカーが現れた時に仮面ライダーに変身するごとく(古いなあw)、あるいは、1日に何度か、心からの願いを宇宙に投げる時には、薄目で息を吸って止めると良い。
ただし・・信念のある、清らかな心がなければ、ほとんど何も起こらないか、穢れた信念を持っていれば、マイナスの結果が出る恐れがある。
そうならないために、聖書を読んでキリストを崇めたり、真言を唱える者もいるが、どうやるかは自分次第だ。
ちなみに、腕振り運動をするのも良い方法なのでお勧めする。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード