ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ヨーガ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

強靭で美しい身体と心の強さを同時に得るには

4日前に、「ヒンズープッシュアップは腕の負荷が小さいので良くない」と書いたが、なぜか気になって、やってみたら、たちまち夢中になった。
ヒンズープッシュアップとは、レスラープッシュアップとも言い、腕立て伏せの一種で、プロレスラーのやり方だ。
ヒンズースクワット同様、インドの強豪レスラーだったダラ・シンが日本に伝えたものらしい。
(それぞれ、やり方は、「ヒンズースクワット」「ヒンズープッシュアップ」でWeb検索すれば、沢山出てくる)

ヒンズースクワットといい、シンズープッシュアップといい、これはただの運動ではない。
これはヨーガである。
その効果は、西洋的な運動論では説明出来ないと思う。

一昨日、軽い気持ちでヒンズープッシュアップをやってみた。
私は普段、腕立て伏せを毎日、かなり負荷の高いやり方で20回やっているので、ヒンズープッシュアップは、少し軽いだろうから、とりあえず30回としてみた。
確かに、腕を伸ばすという動作に関しては負荷は軽い。
しかし、これは全身運動だと分かった。
肩や胸の筋肉を多方向に使い、腹筋、背筋も使う。
全身の血流は、あらゆる腕立て伏せの中で最も大きいし、消費するエネルギー量も多いに違いない。
「30回くらい楽」と嘗(な)めていたら、これが結構しんどかった。
その気になれば50~60回は出来るし、慣れてきたら100回くらいは出来ると思うが、それよりも、これを1回1回、丁寧に確実にやれば、単なる筋肉の鍛錬でなく、気・・・いや、インド式だからプラーナの流れが抜群に良くなると思う。

女性は、腕立て伏せ自体が難しく、特に、ヒンズープッシュアップはきついかもしれないが、このヒンズープッシュアップは膝をついて行っても、かなり良い感じになる。
柔かい動きで行う全身運動なので、美容効果も抜群と思われ、ダイエットのためにも最上だろう。

私は、ヒンズースクワットは5月の半ばから、少しは数をこなそうと思い、まず100回から始め、休日は200回、やむなくタクシーで帰宅した日は、平日でも150回としていた。
6月末頃から、普段150回、休日250回、タクシー帰りの日は200回でやっている。
ヒンズープッシュアップの方は、当面30回でいこうと思う。だが、すぐに増えるだろう。

毎晩、ヒンズースクワットとヒンズープッシュアップをやれるのが楽しみでならなくなった。
なぜなら、これをやれば、身体が、筋肉だけでなく、アストラル体まで強くなり、心のエネルギーまで強化されるのを感じるからだ。
これらを続けるコツは、「ヒンズースクワット、ヒンズープッシュアップは楽しい。これをやるのが嬉しい」と、心の中で言うことだ。
だが、決して、やたら熱意を込めて感情的に言ってはならない。それだと、すぐに熱が冷めて嫌になるだろう。
人間は、心は支配出来ないが、言葉は支配出来る。そして、言葉を支配していれば、内なる英知が心を動かしてくれるのである。
そうすれば、信じる力・・・信念が強くなる。
これがヨーガの秘法である。

初音ミクさんのあの美しいしなやかな身体は、まさに、ヒンズースクワットとヒンズープッシュアップで鍛えた身体のようだ。
私は、ミクさんもやっていると決めてしまった。
この柔軟な運動は、余計な筋肉を付けず、しなやかで美しい身体を作る。
アストラル体はもちろん、ミクさんの神秘な光を放つ身体をイメージすればエーテル体まで輝かせることだろう。
これこそが、本当のヨーガであると思う。
そして、特に言っておきたいことは、ヒンズープッシュアップとヒンズースクワットは、身体を痛めない運動なのである。
私は、半年ほど前だと思うが、左腕が痺れるようになり、その痺れがどんどんひどくなって、悪い病気にでもなったかと思った。
しかし、負荷の強い腕立て伏せをやめたら、しばらくしたら治った。
西洋的なものに多い、一方向に集中するような運動は、身体を痛め易いのである。

ヒンズースクワットとヒンズープッシュアップの2つの運動を根気よく続ければ、身体を痛めることなく強くなるが、それだけでなく、心が強くなり、信念も強くなる。
そうなれば、全ては思いのままである。
ただし、この運動を単なる肉体トレーニングと思わずに、上に述べたようにやればである。
この点は、プロレスラー等のスポーツ選手とは、やや異なるかもしれない。
私は、とんでもなく良いものを手に入れた。
これも、愛するミクさんのみ恵みであるに違いない。









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理想的な運動は辛くも苦しくもない

運動といえば、「効く!」と感じる運動、つまり、辛い運動、苦しい運動ほど高級だと思っている人が多い。
だが、本当に優れた運動は、辛くも苦しくもない。
少しも「効く!」といった感じはしない。充実感は感じるが。
スポーツ競技や格闘技で勝つためには、辛く苦しいトレーニングが必要かもしれない。
しかし、普通の人が、完全に健康で高機能な肉体を得るためには、そんなものは一切必要ない。
むしろ、きつい運動をしていれば、若い時ですら身体を壊し、年を取って、筋トレだの、無理に走ったりすれば、どんどん身体を悪くすると思う。

また、難しいヨーガや気功体操のようなものも必要ない。
完全な身体は、決して凄い筋肉がついていたり、腹筋が板チョコのように割れていたりはしないかもしれないし、凄いポーズや奇妙なポーズが取れる訳でもない。
しかし、完全な身体の持ち主は、普通に歩いても異常に速ことがあるし、何より、軽々としている。
滅多に走らないが、走れば、やはり風のようで、多少走ったくらいでは息も切れない。
それに、本当の意味で美しい。
そんな身体を創るには、特殊な運動は必要ない。
ただ、身体全体の動きを感じ取る能力や、力を抜く能力は必要だ。

理想的な運動は、おそらく、掃除だ。
特に、雑巾がけ全般が良い。
雑巾を絞り、高いところから低いところまでを熱心に拭く。
必要に応じて、やや力を入れたり、力を抜いたりするが、目的は、拭く対象を、痛めず、長持ちさせながら、きれいにするということだ。
掃除を真面目にする主婦で肥満した人はいないし、皆、素晴らしいスタイルをしている。

また、本来で言えば、狩猟こそ、最高の運動かもしれない。
音も無く、身軽に獲物に接近し、呼吸を整えて、最初はやはり音を立てずに柔軟に加速し、そして、接近するにつれて速度を上げて走るが、身体を柔らかくして走らないと、相手の変化についていけない。そのためには、無用な力が抜けていないといけない。
また、無闇に全力で走ると、脚や腰・背中を痛めるし、バランスを失って、実際はあまり速く走れず、ちょっとした障害物で転んでしまう。
狩りとは、自分が動くだけでなく、獲物との一体感が必要なのである。
そのような感覚がなければ、狩りは成功しない。
動物は、頭で考えて狩りをするのではなく、ある意味、身体で考えているのだ。
そして、狩る者と狩られる者は一体であり、そこには敵意はなく、共生がある。

人間も、理想的な運動をしたければ、狩りは無理としても、掃除を熱心にやってみると良い。
また、理想的な運動の1つが、腕振り運動だ。
自然に立って、真っ直ぐに伸ばした両腕を揃えて前後に振るだけの簡単な運動である。
手のひらは、内側に向ける場合と、下に向ける場合がある。
私は、霊気を発生させるために、内側に向けることが多いが、好ましいと思う方でやれば良い。
後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は、ほとんど力が抜けていないといけない。
この運動は、力の抜き方も重要で、また、この運動自体が、力を抜く訓練になる。
丁度良い力で後ろに振り、前に振る時に最適に力が抜けるようになると、身体がどんどん完成してくる。
背骨や仙骨の動きが良くなり、腰や背中の筋肉が、強さといい、動きや感覚といい、最適に発達し、あらゆる動きが滑らかで、そして、力強くなる。
歩かなくても、腕振り運動をしていれば、背筋が真っ直ぐになり、腰が力強く、しかも、腰やその他の部分の痛みが全くないという年配の方も多い。ただし、やはり歩いた方が良いとは思うが、そのような効果は確かにある。
うんうん唸りながら腕を振ったり、逆に、だらだら、ヘナヘナ振ってもならない。
1回1回、意識的に、それでいて、優雅に柔らかくやらなければならない。
腕振り運動1つでも奥が深く、その分、最大の効果は神秘的と言うに値するが、気構えさえあれば、自分だけでマスターできる。

私は、腕振り運動主体で、他に、脚や腕の運動をいくつかしているが、脚の運動と言っても、実際は脚だけの運動ではなく、基本的には全身の運動に近い。
また、武術の訓練もしているが、特殊なものではなく、誰でも簡単にできる。しかし、威力は抜群であり、速く、強い。
今後もいろいろ、ご紹介するが、基本は腕振り運動である。
これだけでもマスターすれば、健康で強い身体を持てる。
ただ、運動の成果は、食習慣とも関係する。
しかし、そう厳しいものではなく、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」を守れば十分である。これを、常に、そして、長く守ることが必要である。
そうすれば、腕振り運動の効果も最大になるだろう。
それは、多少の根気は必要であっても、少しも厳しくはなく、その気になれば、誰でも仙人や天狗のような身体と心を持てるのである。
尚、本格的な難しいヨーガや気功が必要とは思わないが、真面目に、そして、適切に学べばとても参考になるだろう。









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気で超人になるには何かのスキルも必要だ

気功やヨーガでは、気やプラーナというものを取り込むとか言うことがあるが、気やプラーナは実際には、どこにでもある。取り込む必要なんか無い。
そうではなく、気やプラーナ(実際は同じものだろう)を活性化させることが大切なのである。
この、気やプラーナという宇宙エネルギーの振動数を上げ、活性化させれば、人の能力は飛躍的に高まる。
ただし、高めるべきス能力が無ければ何にもならない。
何にも出来ない者が、もし、気やプラーナを活性化させることが出来ても、何も起こりようが無い。
このあたりを、気功家やヨーギ(ヨーガ行者)がちゃんと言わないから駄目なのだ。
野球選手が体内の気を活性化させれば、超人的なバッティングやピッチングをするし、ある程度、楽器演奏の練習をした者なら、可能性としてはホロビッツのような演奏をするだろう。
詩人ならシェイクスピアになるし、趣味で作曲をしている者が大音画家になることもある。
名曲の誉れ高い、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を作詞作曲したのは、音楽家でも何でもない職業軍人だった。彼は、ある夜、気の波動を驚くほど高めたのだ。

ただし、いかに気を活性化させたと言っても、コンピュータゲームが上手くなったりしないし、ちょっとパソコンやスマートフォンを使える程度では何も起こらない。
また、ワープロソフトや表計算ソフトをいくらか使える程度のスキルでも、レベルが低過ぎて駄目なのだ。
だが、私はMAGIC(イスラエルで開発されたシステム開発ツール)や桐(管理工学研究所のデータベースソフト)、あるいは、Filemaker(ファイルメーカー社のデータベースソフト)を明らかに常人とかけ離れた能力で使う達人を何人か見たことがある。これらのソフトは、少し努力すれば誰でも使えるものだが、彼らは、気を活性化していたので、その力で、これらのソフトをスーパーツールにし、驚くべき成果を挙げるのである。彼らは、金には無欲だが、当然にして高収入だ。このような、素人の道具と言われるものを使っていても、気を活性化すれば高級なプロになれるのである。

つまり、高い創造性を発揮するようなスキルや、あるいは、人の役にたつようなことでないと駄目なのだ。
また、スポーツや武道でも、自分の金や名誉のためとか、他人を傷付けて自分が満足するためであれば、ある程度は力を発揮しても、すぐに限界が来る。
フィギュアスケートの選手であれば、欽メダルを取ろうという欲望が高いほど、気の周波数は落ちてしまい、凡ミスをしてしまうのである。

身に付けたスキルを、気を活性化して力を伸ばし続けた者が仙人なのである。
その道を極めようという純粋な気持ちで、金も名誉も全く顧みずに精進したり、ただ人のために力を使い続けた人が、力をどこまでも伸ばし続け、仙人のようになるのである。
アインシュタインは、物理学を趣味と言い、自分を重要人物だとは全く思っていなかった。アメリカのプリンストン高等研究所に迎えられ、年棒の希望を聞かれた時、アインシュタインの希望額があまりに安いので、担当官が「つまり・・・それは月給ですね?」と尋ねた。すると、アインシュタインは、「いえ、年棒です」と慌てたという話がある。
アインシュタインも一種の仙人であったのだろう。

腕振り運動も、ただ丁寧に無欲でやれば、気が活性化し、持っている能力を拡大するだろう。
しかし、基本的な能力は自分の努力で得なければならない。
だが、何かのスキルを修得し、腕振り運動を、丁寧に、何も期待せず淡々とやれば、面白いほど能力は上がり、人々に驚嘆の目で見られるようになる。
それは容易い。
必殺技とは、得意技に多量のエネルギーを注いだものなのだ。









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腕振り運動とヨーガ

久し振りに、腕振り運動(スワイソウ、スワイショウ、セイ手)の話をしよう。
自然に立ち、手のひらを内側に向け、指先まで真っ直ぐに伸ばした腕をそろえて前後に振る。後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は惰性で振る・・・というのが基本である。
他にも、色々なやり方があるらしいいが、気に入ったものがあれば、それでやれば良いと思う。
関英男博士が集めたデータでは、これだけで、あらゆる難病が治って健康になっている。運も良くなるし、頭も良くなるだろう。
中国で盛んらしいが、元々はインドの禅の開祖である達磨大師が中国に伝えた。少林寺等、武道派の寺院や気功流派でスワイソウがあるのも、これが身体強壮化の効果が高いためだと思う。

腕振り運動は、中国では気功だが、本来、ヨーガだと思う。いずれにしろ、これは筋肉運動として価値があるのではなく、精妙な身体エネルギーの調整や、精神の統一に導くためのものだ。
身体のエネルギーということに関し、近代医学では栄養を血液で循環させる程度のことしか分からず、細胞を実際に活性化させたり、統合させる力のことはほとんど分かっていないが、ヨーガや気功では、プラーナや気(氣)という精妙な粒子(あるいは波動、エネルギー)という考え方があり、神秘学においても、物理学で言う磁力・磁性とは異なる磁流というエネルギーが高度に研究されている。
よって、腕振り運動にも、深遠な原理はあるのだが、我々にとって、とりあえず必要なことは効果の方だろう。

腕振り運動は、一度には、少なくとも2~3百回はやり、1日で千回以上が望ましい。関英男博士によれば、1日少なくとも5百回、難病を治すためには2千回以上が良いようだ。
ところで、音楽を聴きながら腕振り運動をやって回数の目安にしたり、テレビを見ながら適当な時間やるという人もいるようだが、これはヨーガの本筋を逸脱している。
数を自分で数えることにこそ、腕振り運動の意味がある。
やはりヨーガからきている禅の修業に、「数息観」というものがあり、呼吸の数を1から十まで数え、延々繰り返すというものがある。これが、なかなか十まで数えることが出来ず、数が分からなくなったり、気が付いたら五十まで数えていたりする。雑念があるからだが、それを払うことに数息観の意味がある。
腕振り運動も同じで、よそ事を考えながらやっても意味はない。
普通は、1から百まで数え、また1に戻って、目標の回数まで百回単位で繰り返すのである。
しかし、多くの者は、百まで数えるのに失敗したり、あるいは、今、何百回目か分からなくなったりする。
ヨーガで重要なことは、感覚や心を外側の対象から切り離し、自分の内側に引き込むことである。それなのに、外のものを見たり、他のことを考えて数が分からなくなるなど、本末転倒である。
そして、千回まで簡単に数えられるようになれば、健康で頭も良くなっているだろうし、精神も進歩し、何事にも超然としていられるようになっているだろう。

また、腕振りは、単純な動作であっても、毎回、同じ形でやらないといけない。ゆったりと、きれいな形で、1回1回が完全でなければならない。それをするために、楽な運動になっているのだ。
せかせかと、いい加減な形でやってはいけない。
惑星が、常に同じ形で太陽を巡るように、毎日同じように川が流れ、日が昇るように、自然のリズムに乗って、妄念なく遂行しなければならない。
ヨーガとは、統一であり、リズムなのである。

実際には、腕振り運動は筋肉も鍛えるし、特に重要な内筋(インナーマッスル)を、腕だけではなく、背中や腹、脚に渡って効果的に鍛える。これ以外の運動をしなくても、数が多ければ身体が強健なものだ。
しかし本筋は上に述べた通り、精妙な身体エネルギーの調整と精神の統一である。そのために、自然のリズムを掴むことが重要で、また、それにより、全身の筋肉もバランス良く調整されるのである。当然、正しくやればスタイルも良くなるが、それはあくまで結果であり、妄念を持ってやらないことが大切である。









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何事もほどほどに

私が小学校の3年生くらいの時だったと思う。多くの子供と同様、私はプリンが大好きだったのだが、もしかしたら、あらゆる食べ物の中で一番好きだったかもしれない。そして、やはり、プリンに目が無い2つ年上の女の子とプリンについて話していた。その時、私が、「いくら好きでも、ドンブリ一杯のプリンを食べるわけにもいかないだろう?」と言ったら、彼女は、「いや、私は食べられる」と大真面目に言う。その、食べる気満々の目の据わった表情を見て、8つか9つだった私は、冷静に、「ああ、こいつ、本当に馬鹿だな」と、多分思った。私だって、そのくらい食べられたら最高だと思うし、食べられるとは思う。しかし、そこまでやっちゃいけないのだ。ちなみに、彼女は学校の成績は悪くはなく、クラスでのランキングは私よりずっと上で、時々私は馬鹿にされたこともあった。

また、私が小学4年生の時、近所の同じ学年の男の子とプロレスごっこをした時のことだ。彼は、真剣に即効をかけ、私を逆エビ固めに決めて絞り上げてきた。本当に苦しかった。私は悔しくてギブアップしなかったが、周りの子供達が止めてくれた。危ないと思ったのだろうし、下手すれば事故になっていたかもしれない。今思えば、あいつは本当に馬鹿だと思う。そして、その男の子はかなりの優等生だった。

ものには限度というものがある。これは、決して中途半端とか、曖昧を推奨するのではなく、バランス感覚が大切だという意味だ。仏教では、中道ということをとても大切にするが、それも同じような意味ではないかと思う。ヨーガというものも、バランスを何よりも大切にするのだと聞いたことがある。
我々が、社会で痛い目に遭わないといけないのは、中道とか、バランス感覚を磨くためだ。家族というものは、特に、親は子供をどうしても甘やかすし、また、そうでなくてはならない部分もあるのだが、そんなだから、家の中にいては、バランス感覚を身に付けることができないのだ。本を読むだけでも駄目だ。人間は、身体で痛い目に遭って、初めて理解できることが多いものだ。本を読むことは非常に良いことだが、その内容を実践でたしかめてこそ、本当に自分のものになる。

プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントという人は、230cmの身長と200kg以上の体重で、文字通り人間離れした肉体の強さもあった。そのため、トレーニングをしなくても無敵だったと言われる。世界的な人気者で、収入も凄かった。若い頃はその身体にコンプレックスを持ち、ひどく悩んだらしいが、その後は幸福な一生を送れたはずなのだ。
だが、彼は、毎日、ビールを1ダースも飲み、その他にも、美食に耽るようになった。それで、いつか、彼を負かすほどのレスラーも現れるようになり、身体を悪くして、まだまだ現役を続けられたはずの46歳の若さで亡くなってしまった。

ものには限度がある。
孔子が、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」と言い、徳川家康も、この言葉を非常に重視したという。
私も、子供の頃から、何をやっても、これが真理であると実感することが多く、誰が言ったのかは知らなかったが、世の中には賢い人がいるものだと驚いていたものだ。
だが、孔子がいちいちこんな言葉を残したというのは、人間というものは馬鹿で、これをなかなか守れないということなのだろう。

ものごとは、徹底的にやるべきという面も確かにあるし、それはやらねばならない。
しかし、限度がある面もある。このあたりのバランスを身に付けた者を賢者と言うのかもしれない。
例えば、どんなに自分に理があっても、争いの中で、引くべきところは引かねばならない。
相手がどんなに間違っていても、徹底的に追い込むのは馬鹿だ。
虫や動物は、オスがメスを奪い合って戦うことはよくあるが、決して致命傷は与えないのだそうだ。人間は、虫や野獣よりずっと賢いはずなのに、それが出来ない。
敵をあなどって大逆転を赦すのは、怠惰であったり、傲慢であるからであり、勝負がついたら、敵に逃げ道を残しておいてやるのが賢い人間である。









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