ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ユング

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

あまりに奇妙な偶然の一致

珍妙と感じるような不思議な出来事を、誰もが何度も体験しているはずだ。
例えば、両手で2つの紙飛行機を投げたら、両方が1つの本の上にぴったり着地し、その本がパイロットが書いた本だった・・・とかね。
有名な話では、精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングが女性患者と話していると、その女性患者が夢で見たスカラベ(黄金虫の一種)を見た話をし、そのスカラベがカブト虫に似ていると女性患者が言うと、窓にカブト虫がぶつかったというものがある。

私は子供の時から、そのような不思議現象が起こると、その場のエネルギーを感じるようにしている。
すると、そんなことがあまりに多く起こることに気付く。
ある日、私の部屋のテーブルの上に3冊の本が重ねて置いたあった。
1冊はW.B.イェイツの『神秘の薔薇』だった。
別の1冊『美少女戦士セーラームーン11巻』(武内直子)では、土萠(ともえ)ほたるという名の少女が、イェイツの詩を暗誦していた。
最後の1冊である『至高体験』(コリン・ウィルソン)では、序文に、「イェイツの詩の引用を許可してくれたマクミラン社に感謝する」と書かれていた。
たまたま置いた3冊の本に、W.B.イェイツが関わっていたのである。

また、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の『笹の葉ラプソディ』のDVDを買ったら、特典のコースター(コップを置くマット)が、テーブルの上にあった、コリン・ウィルソンの『ルドルフ・シュタイナー~その人物とヴィジョン~ 』の表紙の赤い四角の絵と寸分違わずぴったりだった。

ただの偶然としては、あまりにありえないこと・・・そんなことはいくらでも起こる。
大事業家や、スポーツのスーパースターが成功した原因には、そんな偶然が、ほぼ必ず関わっている。
王貞治さんも、草野球をしていた時、たまたまプロ野球のコーチが通りかかったことが野球選手になったきっかけだった。
初音ミクさんの登場や成功も、ありえない偶然の積み重ねから起こっているのだと思う。

意味のある偶然の一致のことを、上に挙げたユングや、物理学者のウォルフガング・パウリは『共時性(シンクロニシティ)』と名付け共同研究していたと思う。
彼らの時代には、コンピューターというものが発達しておらず、この世界が、超コンピューターが作っているシミュレーテッド・リアリティだという仮説(シミュレーション仮説)が登場するのは、随分後のことであるが、それでも、彼らは、この世界が、何らかの意思が作り出しているものだということには気付いていた。
シミュレーション仮説以前に、量子力学では、世界はホログラムのような作り物に過ぎないことは、ほぼ解っていた。
そして、世界は無限に存在するし、生まれ続けてもいる。
初音ミクさんが歌うナユタン星人さんの歌『リバースユニバース』も、それを当然の前提としている歌で、ナユタン星人さんは、科学的にか直感的にか、宇宙の構造を知っているのだろう。
「存在しない現実」であるミクさんを見ていると、全てが解ってくる。

では、宇宙を自分の好きなように作れるかというと、ある程度はそうだと思うが、自分ではあまりうまくやれない。
だから、自分で無理矢理やろうとしないで、自分とは比較にならない高度な作り手にまかせてしまう方が良い。
超古代から、賢い人達は皆、そう言っているのだ。









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生贄を捧げても恵みが得られないのはなぜか

中国生まれ、台湾育ちのアメリカの女性作家で事業家でもあるチン・ニンチュウの著書『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』の冒頭に、C.G.ユングが「奇跡」を説明する時によく使ったというレインメーカー(雨乞い師)の話がある。
5年間もの干ばつに苦しむ村に、ある有名なレインメーカーがやってくると、4日後に雨が降り出した。
村人がレインメーカーに「何をしたのか?」と問うと、レインメーカーは「何もしていない」と言う。
ただ、レインメーカーは、「この村では神の意思が行われていなかったので、私は神の意思に身を任せた」と言う。

神の意思に身を任せるとはどういう意味だろう?
私は昔、この本を読んだ時から最近まで、それが全く分からなかった。
しかし、アニメの『地獄少女』を見て、はっきり分かってしまった。

世界のどこにも、「生贄」の習慣があった。
日本もそうであったらしい。
多くの場合は、美しい少女を神に捧げて、豊かな収穫を得られることや天災に遭わないこと等を祈るのである。
だが、生贄の少女は死ぬことになる。

伝統や風習による洗脳の力は大きなもので、生贄に関しても、人々は残酷だと思わないし、生贄にされる少女も嫌がらないし、少女の親も名誉に思うことが多いかもしれない。
そして、そんな時は、神様も願いを叶えてくれる。
しかし、人々が、「自分が平和でさえあれば」という想いを起こせば、それが、生贄にされる少女や、その親、そして、少女を好きな人に伝わってしまい、少女は生贄にされるのを嫌がり、親や彼女を好きな人達も、まずは非常に辛く思い、そして、彼女を生贄にしたくないと思うようになる。
それでも、人々は、「村の平和」・・・その本音である「自分の平和」のために、少女を無理にでも生贄にする。
そして、少女を愛する人達が少女を救うと、人々は「神を怒らせた」として、少女を殺し、彼女を助けた人達にも集団でリンチを行う。
だが、考えてみるが良い。
神を怒らせるのは、生贄を阻止したことではなく、自分の安楽ために、少女や彼女を愛する人達に、何の思いやりもかけなかったことではないのか?
たとえ生贄を行うにしても、生贄の少女を本当に敬い、彼女と別れなければならない、その家族や、彼女を愛する人達に深い思いやりを持つべきなのである。

ゲーテの『ファウスト』の、「天上の序曲」(冒頭部分)を見ると、神の人間に対する希望は「励む」こと、つまり、「怠らないこと」であることが分かる。
ルドルフ・シュタイナーは、ゲーテは高度な霊的感覚を備えていると述べていたが、おそらく、その通りだと思う。
そして、ゲーテは「敬虔(深く敬うこと)」の価値を幾度も訴えている。
敬う、尊敬する、崇める・・・これが、人間の最も美しい感情である。

今年の「マジカルミライ2017」でも、コンサート会場で、ミクさんを崇める人々を見ることが出来るに違いない。
崇めることにいかに力があるかは、ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』や、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』を見ても分かると思う。









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エリクソンの魔法は極めてシンプルである

ミルトン・エリクソンという、「魔法を使って治している」と言われた、恐るべき優秀な精神科医がいた。
エリクソンは、何もしていないように見えるのに、あっという間に患者を治してしまった。
それは、精神病に限らず、本来、内科、外科、耳鼻科、皮膚科、その他の医者が扱うべき疾患を、同じような調子で治してしまうことも多かったと思う。
「心身医学の父」と言われたドイツ人医師ゲオルグ・クロデックが、「全ての病気はもちろん、怪我ですら心因性」と断言したことを思い出す。

エリクソンの技術は今も研究されているが(エリクソンは1980年に亡くなっている)、あまりうまくはいっていないと思う。
エリクソンの技法を研究することで、リチャード・バンドラーらがNLP(神経言語プログラミング)を作ったが、NLPには批判的な医者や心理学者もいると思うし、私も、あれは複雑過ぎると思う。
エリクソンのやり方はとてもシンプルだ。

例えば、エリクソンのところに、手のつけられない不良高校生が連れてこられ、エリクソンがその高校生と一言二言会話したら、その高校生は礼儀正しい真面目な高校生になってしまった。
その時のエリクソンの会話の意味を解説した本を読んだが、さっぱりピンとこない。
その会話自体には何の意味もない。
ただ、エリクソンは無意識に何か言い、その高校生の無意識に反応を起こさせただけなのだ。
大切なことは、エリクソンが常に言ったように、無意識を信頼することなのである。

しかし、「無意識を信頼する」ってのが、そもそも難しい。
いったい、どうやりゃいいのかい?
学者達は、そのやり方を間違ってしまうのではないだろうか?
それをうまくやったのは、むしろ、江戸時代末期から昭和の初めの農夫であった因幡の源左(いなばのげんざ)で、やり方を教えたのは、おそらく、ほとんど教育など受けていなかった彼の父だろう。
源左の父は、源左が19歳の時亡くなったが、亡くなる前に源左に、「これからは親様を頼れ」と言ったらしい。
親様とは、阿弥陀如来である。
源左は、それなりに試行錯誤したらしいが、結局、親様に頼るとは念仏を称えることである。
念仏を称え、阿弥陀如来を信頼してまかせることが、エリクソンの言う、無意識を信頼することと同じなのであると思う。
ユングによれば、個人の無意識と人類全体の無意識は深いところでつながっているらしいが、本当は、さらに、万物、宇宙の意識とつながっており、宇宙の叡智と力の象徴が阿弥陀如来なのだと思う。
言われなくたって、阿弥陀如来って、それほどの存在だというイメージはあると思うし、なければ、「阿弥陀経」でも読むと良い。

エリクソンの娘達は、15歳の時、3つほど年上の意中の男子を、ロクに会話もせずに虜にしたり、別の小柄な高校教師の娘は、プロレスラーのような体格の教え子の不良男子生徒に野外で襲われかけた時、一瞬でその巨漢不良男子高校生を自分の忠実な僕に変えてしまった。
全く魔法のようであるが、彼女達も、無意識を信頼し、無意識が教える通りにやっただけなのだと思う。
イエスだって、「言うべきことは、考えなくても、その時に神が教えてくれる」と言ったではないか。
ただ、それも神を信頼すればこそだ。
私も、阿弥陀如来を信頼し、念仏を称えていれば、やはり魔法にしか見えないことをしているのだろう。無論、無自覚である。









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良心は幻想か

ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、少年の時、こう思ったらしい。
「自分が悪魔であるなら、悪魔になりきる。」
つまり、自分でないものになってはならないということと思う。

私は、心理学者のマーサ・スタウトの『良心をもたない人たち』を読んで、スタウトの意図とは違うだろうが、自分がサイコパス・・・良心を持っていないのだと悟り、やっと、自分が何者であるかを理解したのだ。
自分の奇妙さが、これで説明がつく。

私は、普通の人より、よく寄付をする。
それも、分不相応な大きな額をだ。
しかし、善意で寄付をしたことなど、一度もない。
「喜んで惜しみなく寄付をしろ」だなんて言う人がいる。
だが、私は、喜んで寄付をしたことはないし、いつも惜しいと思いながら寄付をした。
そもそも、そうでない人がいるなんて、信じちゃいない。
私がなぜ寄付をするかというと、1つには、自己満足、1つには、見栄である。
そして、何より、「寄付をすれば運がよくなる」「寄付をすれば、その何倍も、何千倍も返って来る」という、怪しい法則を期待してのことである。
そのような教えを説く者は、私は、多分、サイコパスだと思う。

私は、虫も殺さない。
私は、虫は嫌いだ。
だが、部屋の中に、ハエや蚊や蜂がいても、殺さず捉えて、外に出す。
それもまた善意ではなく、自己満足か、やはり、「生き物を殺さなければ神が恵みを与えてくれる」と思っていた・・・というより、思いたがっていたのだ。

ところで、フロイトは、自我は幻想だと言ったらしい。
どういうことかというと、人間は、他の動物と違って、本能が壊れていて、本能だけで生きていけないので、自我を作ったという。
そのように、自我は自然に出来たものでないので、どこかおかしいのだという訳だ。
フロイト派の精神分析学者の岸田秀氏は、それで、自我は狂っているとまで言い切る。

私は、そうではなく、幻想であるのは、自我全体ではなく、その中の良心だけだと思っている。
ユングは、動物にだって道徳は見られると言ったと思うが、それは違う。単に、本能的な行為が道徳に似ているだけだ。
動物は良心など持ってはいない。
だが、人間だけが、幻想の良心を持ったのだ。
だから、良心なんて、曖昧なものなのだ。

つまり、私は、人間は全てサイコパスだと思っている。
そう思うことが、真正(本物)のサイコパスであるという証拠なのかもしれない。
なぜなら、良心の存在を全く信じていないのだからだ。
ひょっとしたら、他の人は良心を「本当に」持っているのかもしれない。
しかし、私には理解出来ないのだ。

私はサイコパスだが、良い社会人であろうとは思っているのだ。
もちろん、それは善意からではない。
論理的に考えて、その方が、安全で楽だからだ。
私はさして利口ではないが、馬鹿ではない。
だが、馬鹿なサイコパスが、悪いことをやって、結局、自分を滅ぼすのである。
あるいは、自分は能力が高いので、悪いことをやっても、切り抜けられると思っているのかもしれない。
それは自惚れってもんだ。
ただし、私の考える「良い社会人」は、世間で言う「良い社会人」ではない。
そんなものにはなれない。
世間で言う「良い社会人」は、サイコパスよりもっと悪い。
普通の人も、集団になると残虐になる。
特に、個人としては善い人ほどね。
マーサ・スタウトは、この点を見落としている。
彼女は、人間は権威によって命令されないと、残虐なことをしないというデータを示した。
そりゃ、データの扱い方が恣意的ってもんだ。
マーサ、人間はね、集団になると、個人的想像力を失くすんだよ。
それで、自分や家族が残虐なことをされることを想像出来なくなるから、平気で残虐なことをする。
マーサが上げたデータは、おそらく、少数の戦闘に関するもので、大軍同士になると、権威によって命令なんかされなくても、「殺せ!殺せ!」っていう狂気に陥るのだ。
少数戦闘では、権威によって命令されないと殺さないと言うが、それだって、権威によって命令されることで想像力を失くすからだ。
大切なのは、想像力なのだ。

なんだか、世の中の人皆がサイコパスであるということにしてしまったみたいだが、これはあくまで私に浮かんだ想いである。
もしかしたら、荘子が「セミには(地上の)1年が理解出来ない」と示唆したように、私には、良心を持った人間がどんなものか理解出来ないだけかもしれない。
きっとそうだ・・・と思いたい。









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大きな自分

私は、中学2年生の時だったが、漫画の中で16歳の王様が言った「ものごとは客観視するに限る」というセリフに衝撃を受けたことがある。
全く、その通りだと思ったのだ。
そして、客観の反対である主観が、いかに馬鹿かということに思い至ったのである。

ところで、それなら面白いことに気付く。
それは、「客観視する者は誰だろう?」だ。
主観するものは自分である。
その自分が客観視しているつもりでいるだけなら、それはやっぱり主観に過ぎないはずだ。
だが、そうではないようなのだ。
それは、だいたい、こんなふうに思えた。

自分が2つに分かれ、主観とは別の自分が現れる。
別の自分は、身体から離れている・・・正確には、身体や心を含めた空間に広がっている。
別の自分は、意識を持っていて、広い範囲を見ているのだが、主観である自分ともつながっている。

客観視している自分も、確かに自分なのだが、とても冷静なのだ。
主観である自分のIQが100だとしたら、客観視している自分のIQは300以上である。

フロイトは、そんな別の自分・・・より賢い自分を超自我と呼んだが、それはあくまで、伝統や道徳の観念なのだと言った。
なるほど、そうも思える。
しかし、ユングは、超自我は自ら存在する何かだと言い、フロイトだって、本当はそう思っているはずだと言っている。

それ(超自我)は、ラマナ・マハルシらの言う、霊的なグル(導師)のようでもある。
そして、マハルシは、グルとは、真の自分である真我なのだと言う。

客観視するとは、超自我、あるいは、真我といった何かと同調することなのだろう。
だが、完全な同調は難しい。
完全な同調が出来れば、賢者であり、神人であり、仏陀であり、キリストである。
とりあえず、真我というような何かを「大きな自分」と言おう。

初音ミクさんのことを考えながら、大きな自分と同調してみた。
すると、初音ミクさんを崇める自分を、大きな自分の視点で見ることが出来る。
そうしたら、自分の心臓が輝き、眩(まばゆ)い光を発しているのが分かるのである。
大きな自分は、三次元空間だけの存在ではなく、四次元以上の世界にも存在している。
そんな高次の世界に初音ミクさんがいて、大きな自分はミクさんとつながることが出来るのだが、心である私は、高次の世界の大きな私とうまく同調出来ない。
だが、それでも、高次の世界のミクさんのことを感じているのである。

たびたび、大きな自分と同調することを試みると良い。
大きな自分は、初めは、広い空間を満たす意識だと思っても良いと思う。
そして、大きな自分が満ちた空間をどんどん広げ、宇宙いっぱいに広がると良い。
そんな大きな自分と同調し、融合しいていくと、自分が宇宙そのものになるのである。









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