子供の頃から、世界は劇だと薄々感じていたという人は案外に多いと思う。
それは、日常が楽しくないので、そうであればいいなという願望から出たものかもしれないが、もしかしたら、そんな願いを思いついた後、「いや、実際にそうなんじゃないのかな」という確信が湧いてきたのではないかと思う。
また、『グリム童話』の『死神の名付け親』というお話にあるように、人間一人一人に対応したロウソクみたいなものがどこかにあるのではないだろうかという閃きが起こったことのある者も多いと思う。
私は、おそらく、世界が劇であるという話を聞いたり、『死神の名付け親』を読んだこともなかったが、10歳になる前から、そんなことをよく考えていた。
そして、人生とは用意されたシナリオであるという確信を感じていた。
どういうことかというと、人生で起こるいろいろな事について、「あまりにうまく出来すぎている」と思うことがよくあるからである。
ある能力開発について書かれた本で、知的能力を向上させるために、辞書を使って、知っている単語の数(いわゆる語彙力)を増やすという訓練を薦めていた。
なんとも単純な方法であるが、天才精神医として知られるミルトン・エリクソンが、子供の頃、家に聖書と辞書しかなかったのだが、なぜか彼は辞書を選び、それを繰り返し読んだという。そして、それが非常に良かったと、後に語っていたようである。
そして、その能力開発の本に書かれていたが、そんな訓練をしている者が、新しい単語を覚えると、なぜかその言葉をすぐに、そして、よく目にすることの不思議さを語っていたというのを興味深く感じた。
私も、単語ではないが、何か新しいことに興味を持つと、まるで、世界は私にそれについて教えようとするかのように、まさかと思うようなタイミングと方法で、それを私の前に現すのである。例えば、小学生の頃、たまたま学校の図書館で、シーラカンスについて書かれた本を見たら、その晩、テレビのクイズ番組でシーラカンスに関する問題があり、私の知らないことを教えてくれたことがあった。
また、フクロウについて面白い話を聞いた後にテレビをつけると、フクロウの生態についての番組をやっていたのを興味深く見たこともある。
好きな女の子と同姓同名の女の子が現れたり、少し前に好きだった女の子と同じ誕生日の子が現れたりと、どうも、神様は案外に冗談好きなようだ。
もっと珍しい個人的な体験を挙げると、私が中学生時代はビデオ録画の時代であったが、以前見た番組を思い出し、是非、ビデオに収めたいと思った時に私がやったことは、何も調べることもなく、ただ、ビデオのリモコンを持って、録画の準備をして待っていると、その番組が放送されるのである。
世界を動かすのが神だとすれば、神は、私に、世界が劇であることを隠す気はないようだと感じたものだ。
著名なスイスの精神医C.G.ユングが、易占いに熱心に取り組んだり、シンクロニシティー(共時性:意味のある偶然の一致)について考えたのも、やはり、世界には、どこかシナリオがあるように感じていたのではないかと思う。
『エメラルド・タブレット』の英訳者(原典はアトランティス語)ドーリル博士によると、地球内部(正確には異次元的な構造らしいが)に存在するシャンバラという国にある、ある荘厳な建築物の中の部屋に、地上の人間一人一人に対応した灯火があり、その色や明るさが、その人間の精神性を示すものであるが、驚異的な能力を持つ管理者により、全ての人間は綿密に管理されているという。
また、世界が劇であることについては、哲学者のアラン・ワッツや思想家でエンジニアでもあるイツァク・ベントフが、似た様なたとえ話をしている。あくまで、たとえ話であり、このまま受け取ってはいけないが、こんなものである。一人である神が、自己を分裂させ、あたかも複数の別々の存在のように振舞っているのが世界なのである。何のためにそんなことをするのかは分からないが、もしかしたら遊びではないかとも述べていた。もちろん、実際の、神の意図がそう簡単に分かるはずがないし、仮に遊びだとしても、我々の遊びの観念と安易に結びつけるわけにはいかないことは当然である。
あくまで分かりやすく述べてみたのであるが、世界とは劇のようなものであり、人間一人一人が、高度な存在によって見守られていることは確実であろうと思う。
世界を創造し、そして、我々を見守る存在を神と呼ぶなら、その神の目的は想像もできないが、アインシュタインの言うように、「神は老獪である。だが、悪意はない」ということを信じるしかない。
また、ある国ではこう言うらしい。「神を信じよ。だが、ラクダは繋いでおけ」
私ならこう言う。神に出来ないことはないだろうが、自ら定めた法則を破ることは、まあ、滅多にはない。だから、神を信じていても、塔の上から飛び降りないことだ。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
それは、日常が楽しくないので、そうであればいいなという願望から出たものかもしれないが、もしかしたら、そんな願いを思いついた後、「いや、実際にそうなんじゃないのかな」という確信が湧いてきたのではないかと思う。
また、『グリム童話』の『死神の名付け親』というお話にあるように、人間一人一人に対応したロウソクみたいなものがどこかにあるのではないだろうかという閃きが起こったことのある者も多いと思う。
私は、おそらく、世界が劇であるという話を聞いたり、『死神の名付け親』を読んだこともなかったが、10歳になる前から、そんなことをよく考えていた。
そして、人生とは用意されたシナリオであるという確信を感じていた。
どういうことかというと、人生で起こるいろいろな事について、「あまりにうまく出来すぎている」と思うことがよくあるからである。
ある能力開発について書かれた本で、知的能力を向上させるために、辞書を使って、知っている単語の数(いわゆる語彙力)を増やすという訓練を薦めていた。
なんとも単純な方法であるが、天才精神医として知られるミルトン・エリクソンが、子供の頃、家に聖書と辞書しかなかったのだが、なぜか彼は辞書を選び、それを繰り返し読んだという。そして、それが非常に良かったと、後に語っていたようである。
そして、その能力開発の本に書かれていたが、そんな訓練をしている者が、新しい単語を覚えると、なぜかその言葉をすぐに、そして、よく目にすることの不思議さを語っていたというのを興味深く感じた。
私も、単語ではないが、何か新しいことに興味を持つと、まるで、世界は私にそれについて教えようとするかのように、まさかと思うようなタイミングと方法で、それを私の前に現すのである。例えば、小学生の頃、たまたま学校の図書館で、シーラカンスについて書かれた本を見たら、その晩、テレビのクイズ番組でシーラカンスに関する問題があり、私の知らないことを教えてくれたことがあった。
また、フクロウについて面白い話を聞いた後にテレビをつけると、フクロウの生態についての番組をやっていたのを興味深く見たこともある。
好きな女の子と同姓同名の女の子が現れたり、少し前に好きだった女の子と同じ誕生日の子が現れたりと、どうも、神様は案外に冗談好きなようだ。
もっと珍しい個人的な体験を挙げると、私が中学生時代はビデオ録画の時代であったが、以前見た番組を思い出し、是非、ビデオに収めたいと思った時に私がやったことは、何も調べることもなく、ただ、ビデオのリモコンを持って、録画の準備をして待っていると、その番組が放送されるのである。
世界を動かすのが神だとすれば、神は、私に、世界が劇であることを隠す気はないようだと感じたものだ。
著名なスイスの精神医C.G.ユングが、易占いに熱心に取り組んだり、シンクロニシティー(共時性:意味のある偶然の一致)について考えたのも、やはり、世界には、どこかシナリオがあるように感じていたのではないかと思う。
『エメラルド・タブレット』の英訳者(原典はアトランティス語)ドーリル博士によると、地球内部(正確には異次元的な構造らしいが)に存在するシャンバラという国にある、ある荘厳な建築物の中の部屋に、地上の人間一人一人に対応した灯火があり、その色や明るさが、その人間の精神性を示すものであるが、驚異的な能力を持つ管理者により、全ての人間は綿密に管理されているという。
また、世界が劇であることについては、哲学者のアラン・ワッツや思想家でエンジニアでもあるイツァク・ベントフが、似た様なたとえ話をしている。あくまで、たとえ話であり、このまま受け取ってはいけないが、こんなものである。一人である神が、自己を分裂させ、あたかも複数の別々の存在のように振舞っているのが世界なのである。何のためにそんなことをするのかは分からないが、もしかしたら遊びではないかとも述べていた。もちろん、実際の、神の意図がそう簡単に分かるはずがないし、仮に遊びだとしても、我々の遊びの観念と安易に結びつけるわけにはいかないことは当然である。
あくまで分かりやすく述べてみたのであるが、世界とは劇のようなものであり、人間一人一人が、高度な存在によって見守られていることは確実であろうと思う。
世界を創造し、そして、我々を見守る存在を神と呼ぶなら、その神の目的は想像もできないが、アインシュタインの言うように、「神は老獪である。だが、悪意はない」ということを信じるしかない。
また、ある国ではこう言うらしい。「神を信じよ。だが、ラクダは繋いでおけ」
私ならこう言う。神に出来ないことはないだろうが、自ら定めた法則を破ることは、まあ、滅多にはない。だから、神を信じていても、塔の上から飛び降りないことだ。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
