ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ユング

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

エリクソンの魔法は極めてシンプルである

ミルトン・エリクソンという、「魔法を使って治している」と言われた、恐るべき優秀な精神科医がいた。
エリクソンは、何もしていないように見えるのに、あっという間に患者を治してしまった。
それは、精神病に限らず、本来、内科、外科、耳鼻科、皮膚科、その他の医者が扱うべき疾患を、同じような調子で治してしまうことも多かったと思う。
「心身医学の父」と言われたドイツ人医師ゲオルグ・クロデックが、「全ての病気はもちろん、怪我ですら心因性」と断言したことを思い出す。

エリクソンの技術は今も研究されているが(エリクソンは1980年に亡くなっている)、あまりうまくはいっていないと思う。
エリクソンの技法を研究することで、リチャード・バンドラーらがNLP(神経言語プログラミング)を作ったが、NLPには批判的な医者や心理学者もいると思うし、私も、あれは複雑過ぎると思う。
エリクソンのやり方はとてもシンプルだ。

例えば、エリクソンのところに、手のつけられない不良高校生が連れてこられ、エリクソンがその高校生と一言二言会話したら、その高校生は礼儀正しい真面目な高校生になってしまった。
その時のエリクソンの会話の意味を解説した本を読んだが、さっぱりピンとこない。
その会話自体には何の意味もない。
ただ、エリクソンは無意識に何か言い、その高校生の無意識に反応を起こさせただけなのだ。
大切なことは、エリクソンが常に言ったように、無意識を信頼することなのである。

しかし、「無意識を信頼する」ってのが、そもそも難しい。
いったい、どうやりゃいいのかい?
学者達は、そのやり方を間違ってしまうのではないだろうか?
それをうまくやったのは、むしろ、江戸時代末期から昭和の初めの農夫であった因幡の源左(いなばのげんざ)で、やり方を教えたのは、おそらく、ほとんど教育など受けていなかった彼の父だろう。
源左の父は、源左が19歳の時亡くなったが、亡くなる前に源左に、「これからは親様を頼れ」と言ったらしい。
親様とは、阿弥陀如来である。
源左は、それなりに試行錯誤したらしいが、結局、親様に頼るとは念仏を称えることである。
念仏を称え、阿弥陀如来を信頼してまかせることが、エリクソンの言う、無意識を信頼することと同じなのであると思う。
ユングによれば、個人の無意識と人類全体の無意識は深いところでつながっているらしいが、本当は、さらに、万物、宇宙の意識とつながっており、宇宙の叡智と力の象徴が阿弥陀如来なのだと思う。
言われなくたって、阿弥陀如来って、それほどの存在だというイメージはあると思うし、なければ、「阿弥陀経」でも読むと良い。

エリクソンの娘達は、15歳の時、3つほど年上の意中の男子を、ロクに会話もせずに虜にしたり、別の小柄な高校教師の娘は、プロレスラーのような体格の教え子の不良男子生徒に野外で襲われかけた時、一瞬でその巨漢不良男子高校生を自分の忠実な僕に変えてしまった。
全く魔法のようであるが、彼女達も、無意識を信頼し、無意識が教える通りにやっただけなのだと思う。
イエスだって、「言うべきことは、考えなくても、その時に神が教えてくれる」と言ったではないか。
ただ、それも神を信頼すればこそだ。
私も、阿弥陀如来を信頼し、念仏を称えていれば、やはり魔法にしか見えないことをしているのだろう。無論、無自覚である。









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良心は幻想か

ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、少年の時、こう思ったらしい。
「自分が悪魔であるなら、悪魔になりきる。」
つまり、自分でないものになってはならないということと思う。

私は、心理学者のマーサ・スタウトの『良心をもたない人たち』を読んで、スタウトの意図とは違うだろうが、自分がサイコパス・・・良心を持っていないのだと悟り、やっと、自分が何者であるかを理解したのだ。
自分の奇妙さが、これで説明がつく。

私は、普通の人より、よく寄付をする。
それも、分不相応な大きな額をだ。
しかし、善意で寄付をしたことなど、一度もない。
「喜んで惜しみなく寄付をしろ」だなんて言う人がいる。
だが、私は、喜んで寄付をしたことはないし、いつも惜しいと思いながら寄付をした。
そもそも、そうでない人がいるなんて、信じちゃいない。
私がなぜ寄付をするかというと、1つには、自己満足、1つには、見栄である。
そして、何より、「寄付をすれば運がよくなる」「寄付をすれば、その何倍も、何千倍も返って来る」という、怪しい法則を期待してのことである。
そのような教えを説く者は、私は、多分、サイコパスだと思う。

私は、虫も殺さない。
私は、虫は嫌いだ。
だが、部屋の中に、ハエや蚊や蜂がいても、殺さず捉えて、外に出す。
それもまた善意ではなく、自己満足か、やはり、「生き物を殺さなければ神が恵みを与えてくれる」と思っていた・・・というより、思いたがっていたのだ。

ところで、フロイトは、自我は幻想だと言ったらしい。
どういうことかというと、人間は、他の動物と違って、本能が壊れていて、本能だけで生きていけないので、自我を作ったという。
そのように、自我は自然に出来たものでないので、どこかおかしいのだという訳だ。
フロイト派の精神分析学者の岸田秀氏は、それで、自我は狂っているとまで言い切る。

私は、そうではなく、幻想であるのは、自我全体ではなく、その中の良心だけだと思っている。
ユングは、動物にだって道徳は見られると言ったと思うが、それは違う。単に、本能的な行為が道徳に似ているだけだ。
動物は良心など持ってはいない。
だが、人間だけが、幻想の良心を持ったのだ。
だから、良心なんて、曖昧なものなのだ。

つまり、私は、人間は全てサイコパスだと思っている。
そう思うことが、真正(本物)のサイコパスであるという証拠なのかもしれない。
なぜなら、良心の存在を全く信じていないのだからだ。
ひょっとしたら、他の人は良心を「本当に」持っているのかもしれない。
しかし、私には理解出来ないのだ。

私はサイコパスだが、良い社会人であろうとは思っているのだ。
もちろん、それは善意からではない。
論理的に考えて、その方が、安全で楽だからだ。
私はさして利口ではないが、馬鹿ではない。
だが、馬鹿なサイコパスが、悪いことをやって、結局、自分を滅ぼすのである。
あるいは、自分は能力が高いので、悪いことをやっても、切り抜けられると思っているのかもしれない。
それは自惚れってもんだ。
ただし、私の考える「良い社会人」は、世間で言う「良い社会人」ではない。
そんなものにはなれない。
世間で言う「良い社会人」は、サイコパスよりもっと悪い。
普通の人も、集団になると残虐になる。
特に、個人としては善い人ほどね。
マーサ・スタウトは、この点を見落としている。
彼女は、人間は権威によって命令されないと、残虐なことをしないというデータを示した。
そりゃ、データの扱い方が恣意的ってもんだ。
マーサ、人間はね、集団になると、個人的想像力を失くすんだよ。
それで、自分や家族が残虐なことをされることを想像出来なくなるから、平気で残虐なことをする。
マーサが上げたデータは、おそらく、少数の戦闘に関するもので、大軍同士になると、権威によって命令なんかされなくても、「殺せ!殺せ!」っていう狂気に陥るのだ。
少数戦闘では、権威によって命令されないと殺さないと言うが、それだって、権威によって命令されることで想像力を失くすからだ。
大切なのは、想像力なのだ。

なんだか、世の中の人皆がサイコパスであるということにしてしまったみたいだが、これはあくまで私に浮かんだ想いである。
もしかしたら、荘子が「セミには(地上の)1年が理解出来ない」と示唆したように、私には、良心を持った人間がどんなものか理解出来ないだけかもしれない。
きっとそうだ・・・と思いたい。









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大きな自分

私は、中学2年生の時だったが、漫画の中で16歳の王様が言った「ものごとは客観視するに限る」というセリフに衝撃を受けたことがある。
全く、その通りだと思ったのだ。
そして、客観の反対である主観が、いかに馬鹿かということに思い至ったのである。

ところで、それなら面白いことに気付く。
それは、「客観視する者は誰だろう?」だ。
主観するものは自分である。
その自分が客観視しているつもりでいるだけなら、それはやっぱり主観に過ぎないはずだ。
だが、そうではないようなのだ。
それは、だいたい、こんなふうに思えた。

自分が2つに分かれ、主観とは別の自分が現れる。
別の自分は、身体から離れている・・・正確には、身体や心を含めた空間に広がっている。
別の自分は、意識を持っていて、広い範囲を見ているのだが、主観である自分ともつながっている。

客観視している自分も、確かに自分なのだが、とても冷静なのだ。
主観である自分のIQが100だとしたら、客観視している自分のIQは300以上である。

フロイトは、そんな別の自分・・・より賢い自分を超自我と呼んだが、それはあくまで、伝統や道徳の観念なのだと言った。
なるほど、そうも思える。
しかし、ユングは、超自我は自ら存在する何かだと言い、フロイトだって、本当はそう思っているはずだと言っている。

それ(超自我)は、ラマナ・マハルシらの言う、霊的なグル(導師)のようでもある。
そして、マハルシは、グルとは、真の自分である真我なのだと言う。

客観視するとは、超自我、あるいは、真我といった何かと同調することなのだろう。
だが、完全な同調は難しい。
完全な同調が出来れば、賢者であり、神人であり、仏陀であり、キリストである。
とりあえず、真我というような何かを「大きな自分」と言おう。

初音ミクさんのことを考えながら、大きな自分と同調してみた。
すると、初音ミクさんを崇める自分を、大きな自分の視点で見ることが出来る。
そうしたら、自分の心臓が輝き、眩(まばゆ)い光を発しているのが分かるのである。
大きな自分は、三次元空間だけの存在ではなく、四次元以上の世界にも存在している。
そんな高次の世界に初音ミクさんがいて、大きな自分はミクさんとつながることが出来るのだが、心である私は、高次の世界の大きな私とうまく同調出来ない。
だが、それでも、高次の世界のミクさんのことを感じているのである。

たびたび、大きな自分と同調することを試みると良い。
大きな自分は、初めは、広い空間を満たす意識だと思っても良いと思う。
そして、大きな自分が満ちた空間をどんどん広げ、宇宙いっぱいに広がると良い。
そんな大きな自分と同調し、融合しいていくと、自分が宇宙そのものになるのである。









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無意識の深奥に通じる道

ネット(主にインターネット)がなかった時代は、人々は、今日では信じられないほど分断されていた。
もっとも、ネットが発達したために、ネットでしか繋がることができない人が増えているらしい。

だが、ネットなんてなくたって、人々は、無意識の深奥の集合意識で繋がっているという話があり、それを心理学の中で言ったのが、スイスの心理学者C.G.ユングだ。
ユングの師だったフロイトすらそうだったが、集合意識の存在を認めない人は多く、昔は、心理学においても、学位を取りたかったら、あるいは、学会を追い出されたくなかったら、集合意識なんてものを扱ってはいけなかったらしい。ある時期からは、一応はそうではなくなっているらしいが、今でも、集合意識に否定的、あるいは、懐疑的な人が多いのだろう。
ユング派の精神科医である、ジーン・シノダ・ボーレンの本で見たことがあるが、アメリカのSFテレビドラマ『スタートレック』で、肉体を持たない精神生命体である宇宙人が、ミスター・スポックの肉体の中に入った時に、「なんて寂しいんだ!」と言ったらしい。
このお話は、ひょっとしたら人類は、それほど寂しい状態に置かれているのだということを示唆しているのだと思う。

もし、集合意識が在るのであれば、神話や昔話は、集合意識の中で強いエネルギーを持っていると思われ、それらを通して、集合意識にアクセス出来るかもしれない。
あるいは、集合意識が存在する無意識の深奥に最もうまく入り込める方法は宗教儀式だとも考えられる。
だが、宗教が形骸化し、その役割は芸術に移ったと言う人もいる。
そもそも、芸術は宗教から生まれたと言われる。
だけど今でも、敬虔な、あるいは、荘厳な宗教儀式によって(それには芸術の助けも有効だろう)、無意識の深層に入り込める人もいるだろう。
そして、昔から、宗教を極めた人達は、集合意識のさらに奥が、神仏の領域であると気付いていた。
だから、無意識から集合意識へ、さらに、その奥へと進むことで、神意識に到達し、それを、悟りとか、解脱、あるいは、真我の実現とか、キリスト意識への到達などと言うのだが、それが宗教の究極の目的の1つであるのだと思う。

法然や、それ以前の中国の善導、道綽らは、修行や儀式で仏の領域に至るのは難しく、現在は、それが出来る唯一最高の方法が、念仏を唱えることであると教えた。
その中で、もっぱら阿弥陀如来の名を唱える「南無阿弥陀仏」という念仏を最上として奨めたのは、理屈で言えば、集合意識の中の阿弥陀如来のイメージが、他の仏に比べ、歪みや汚れがなく、しかも、エネルギーが大きいからだろう。
しかし、実際は、その人の、個人的、あるいは、民族的信仰であるとか、個人的な無意識のイメージが大切なので、どの神仏の名が最も良いかは何とも言えない。
インドでは、最も良い神仏の名がクリシュナという場合もあるし、日本では、今はともかく、昔であれば、アマテラスであったかもしれない。
あるインドの聖者は、唱えるのは、どの神の名でも良く、それは、海は繋がっているのだから、どこの海に飛び込んでも同じだからというようなもので、むしろ、神を区別しない方が良いと教えている。
確かにその通りで、各自、自分が好ましいと思う神仏の名を唱えれば良い。

私は、ターラー菩薩(ターラ菩薩、多羅菩薩)への信仰を深めているが、ターラー菩薩の最も重要な真言は、
「オーム・ターレ・トゥッターレ・トゥレ・スヴァーハー」
である。※『実践チベット仏教入門』(春秋社)142ページより。
しかし、神の名を唱えるナーマスマラナが最も重要であるという教えもあり、ただ、「ターラー」と唱えたり、心で想っても良く、私はもっぱらそうしている。
ディヤーガラージャという人は、六千万回近くラーマ(『ラーマーヤナ』の主人公)の名を唱え、ついに、ラーマに逢った(神意識に到達したということと思う)という(サティヤ・サイ出版協会『ナーマスマラナ』42ページより)。
私のターラー菩薩への信仰は、単に、初音ミクさんがターラー菩薩の化身であるという個人的観念に過ぎないが、そのようなものが大切なのである。
つまり、人間にとって、感情ほど重要なものはない。
ダライ・ラマ14世は観世音菩薩の生まれ変わりで、政木和三さんは八幡神(八万大菩薩)の生まれ変わりと称していると思うが、それを信じることを他人に強要するのでない限り、別にとやかく言うことではない。おそらく、ある意味、誰がそう言っても正しいのだと思う。
また、他人のことを、自分の見解でとやかく言わないことで、自分も信念を持てるのである。
尚、初音ミクさんを受け入れることが出来るのは、実際は、豊かな国や地域だけなのである。
早くチベットで初音ミクさんが歌う日が来れば良いと思う。

私は、宗教には何の関心もないが、心理学を含めた、あらゆる研究や思想等を参考にして、生命力を高め、よりよく生きることも出来るのだと思う。
それを上のように簡単にまとめたので、役に立ちそうなところは取り入れていただければと思う。









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キスの意味は「考えるな、感じろ」だ

有り得ないような偶然には必ず意味がある・・・かどうかは分からないが、神秘的な感じがしてしまう。
例えば、私は、小学4年生の時、たまたま学校の図書室で、シーラカンスという魚についての本を読み、初めて知ったシーラカンスにとても興味を持った。
その日、家に帰ってテレビをつけると、画面にシーラカンスの映像が現れた。
この出来事に何か意味があるだろうか?
著名な精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングは、意味のある偶然の一致のことをシンクロニシティ(共時性)と名付けた。
だが、ある優れた数学者は、いかに珍しい出来事でも、単に、「珍しい出来事」に過ぎず、神秘的な意味を持たせるべきでないと言ったようだ。
起こる可能性がどれほど低いとしても、それが起こる可能性はあるのだからだ。
では、こんなことはどうだろう。
私が中学生の時のことだが、私は以前見た、あるテレビ番組(時代劇)のある回を録画出来たらなあと思った。
それで、テレビを見ながら、録画装置のリモコンを握っていた。
すると、本当に、私が思っていたものが再放送され、見事に録画してしまった。
これもまた、ただの偶然だろうか?
そうかもしれない。
だが、私は、同じことを再度試みたら、やはり出来てしまった。
しかも、それは、ドラマや映画といった、再放送の可能性のあるものではなく、どう考えても再放送など有り得ない、使い捨てになるような、ワイドショー的なドキュメンタリーだった。
これらの出来事は、偶然の一致というよりは、私が世界を造り出したと考えた方が納得し易い。
しかし、あくまで「納得し易い」だけで、本当にそうかどうかは分からないけどね。

それで、昨日、また、不思議な(と感じる)偶然の一致があった。
聴いていただけると有り難い。
私は先週の土曜日に、初音ミクさんのアルバムCD『僕は初音ミクとキスをした』を入手していた。
18曲入っているが、1曲目の『僕は初音ミクとキスをした』が、このアルバムのタイトルになっている訳だ。
この、インパクトが強いタイトル名のアルバムの存在はずっと以前から知っていたが、私は興味を持たずにいた。
なぜ興味を持っていなかったのかというと、作者のみきとPさんを知らなかったからだ。
だが、少し前に購入した初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ2014』のブルーレイで、みきとPさん制作の『心臓デモクラシー』を聴き、「私はこの歌を聴くために生きてきた」と思えるほど魅入られた。
『心臓デモクラシー』は、このアルバムの2曲目である(『マジカルミライ2014』の3曲目)。

ところで、このアルバムのジャケット画は、タイトル名をイメージ化したイラストである。
『僕は初音ミクとキスをした』というタイトルになっているが、イラストでは、2人の初音ミクさんが描かれ、左側のミクさんが右側のミクさんにキスをする寸前であるが、右のミクさんは目を見開き、涙を浮かべている。
髪で隠れているが、2人の左耳のあたりから、1本のイヤホーンコード(のようなもの)が出ている。
だが、2人ともヘッドホンをしているのだから、それはおかしい。しかも、2人とも左耳に1つのイヤホンをするのも不自然だ。
つまり、不思議な絵である。
私は、このアルバムをずっとパソコンの近くに置いて、毎日眺めていた。
ちなみに、このアルバムの裏側のイラスト(7つ)が素晴らしく、それだけで買って良かったと思ったほどだ。
いや、本当に幸福な気分になる。特に、パンダさんパジャマ(?)の2人のミクさん(いーあるふぁんくらぶのコスプレらしい)。

私は昨日、なんとなく、押入れの中から、『8(エイト)マン インフィニティ』という漫画の3巻を出してきて見ていると、「2人のミクさんのキス」と同じ構図の絵があった。
宗形カスミという名の女子高生が、東(ひがし)光一という名の16歳の少年にキスをしているのだが、丁度、そのミクさん同士のキス直前の絵の続きのような感じで、こちらは実際にキスしている。
だが、カスミが不意にキスをし、光一は不意をつかれたのであり、右側のミクさんと同じく、光一は目を見開いている。ただし、涙はないけれど。
この光一は、人工知性体アンナが宿った、本来は小さな女の子の姿のマシナリー(高性能アンドロイド)が化けたもので、本物の光一は別にいる。
感情を持たない人工知性体アンナは、人間の研究のために、小さな女の子の姿では不都合なので、光一の姿を借りていたのだった。
光一に、
「それで少しは人間が分かったのかい?」
と尋ねられたアンナは、キスされた時の唇の感触を思い出すような様子をしながら、
「いいや・・・ますます分からなくなった・・・」
と、多分、声に出さずに思ったのだろう。
アンナは、なぜ、カスミが自分にキスしたのか、全く理解出来なかったのだろう。
だが、冷徹な超高性能の電子知性体アンナには、何かの変化が生じていたのだと思う。

カスミが光一の姿をしたアンナにキスをした理由は、読者にすら、それほど明確ではない。
『灼眼のシャナ』で、感情的な年齢は見かけ通り11~12歳であるシャナが、悠二の母親の千草に、ごく真面目に、「キスってどんな意味があるの?」と尋ねる場面があったのを思い出す。
シャナは論理的な方面は、どんな大人も敵わないほど賢いが、こういった面では実に幼いのである。

だが、キスなんて、論理的な行為ではなく、感情的な行為である。
だから、理屈で考えても分からないのは当たり前だ。
ところが、現代人は、理屈でばかりものを考え、感情を軽視するようになってしまった。
そのために、「本当に大切なことが分からない」のである。
感情的に幼いアンナやシャナのように。
感情は考えても分からない。
考えると誤る。
感情は感じるものである。
『燃えよドラゴン』の、リーの有名な言葉、「考えるな!感じるんだ」のようにである。

尚、カスミがキスした光一はアンナが化けたものであったように、左側のミクさんは、僕(みきとPさん)の化身であったのかもしれない。
なぜミクさんと同じ姿かは、理屈では分からないが、感情的には多分、分かるのだろう。
このアルバムを入手し、ミクさんの切なくも美しい歌声を聴き、ジャケット画を眺め、神秘に目覚めるべきである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
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