ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

モスラ

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モスラに学ぶ神秘的変化

モスラという怪獣は、圧倒的人気というのではないが、この鮮やかな妖虫に深い情緒を感じるファンが少なくない。
コロネパン(主にチョココロネパン)を「モスラパン」と呼ぶのは日本文化と言うほど定着していて、確かに、モスラの幼虫はコロネパンみたいで可愛いが、そこに別の深い意味があるのだ。
モスラの魅力は、幼虫がサナギになって羽化し、成虫になって大空を羽ばたくという変身にあるのである。
モスラのサナギの羽化シーンは、常に、神秘的に美しく表現されてきたが、映画制作者には、モスラ変身の重要性がしっかり認識されていたのである。

そして、人間も、物質的にではないが、精神的に、サナギになり羽化するのである。
だが、現代人は、サナギの期間があまりに短く、ほとんど変化しないのである。
ところで、個人だけでなく、あらゆるレベルに羽化はある。
例えば、学校で、江戸時代の鎖国政策について、マイナス面ばかり教わったと思う。
鎖国のせいで、世界の進歩に取り残され、ペリー艦隊がやって来た時、物質文明の差を見せ付けられたことばかりが強調されたはずだ。
しかし、江戸時代、日本は鎖国によってサナギになり、長い時間をかけて、世界のどこにも見られない熟成と進化を遂げた存在に変身したのである。
だからこそ、西洋の物質文明を急速に吸収しただけでなく、独自のものに作りかえる知恵は素晴らしく、愚かな者達は「猿真似」と言って見下したが、それはどう見ても、ただの真似ではなく、西洋のものと、日本人が元々持っていたものとを融合させ、さらには、東洋の別のものをも取り入れ、比類なき創造性を発揮して新生の魔術を示したことは明らかなはずだ。
鎖国があったからこそ、日本の技術は世界No.1になったのだ。確かに、最近は、やや創造性が鈍ってきたが、日本人の独自性はまだ日本人の中に秘められている。

そして、我々一人一人が、サナギになって内面を発達させ、華やかに、あるいは、壮大に羽化しなければならない。
その中でも、ひきこもることによる、特別なサナギの錬金術的変化こそ、最大の神秘であることを知らねばならない。
ひきこもりを加速せよ。
そして、ひきこもったなら、ゴールドになれ。
まず本を読んで学ぶのも良いが、忘れてはならないことは、心のイメージは、高次元の世界では現実に存在するということだ。
だから、イメージを、精神を大切にしなければならない。
ひきこもり、世の中の汚れたメッセージを受け入れないようにするのである。
そして、内面を変化させ、眩しく輝かせるのである。
これが、真の錬金術である。








日本人が昔は知っていた究極の言葉

肯定的と思える意味でも、「こだわり」「執着」を決して持ってはならない。
これらの言葉は、いかなる場合でも地獄しか作らない。
正しい、神の心構えは「熱心」である。

では、厳しい勝負の世界ではどうか?
ボクシングや柔道などの格闘技。
あるいは、将棋や囲碁はどうか?
軍事、政治、武蔵と小次郎の決闘といったことでも、勝負へのこだわり、勝利への執着が愚かだと言ったら、激怒する者もいるだろう。
問う。
いかなる勝負に際しても、勝つことへの執念は愚かなものであるか?
答える。
その通りである。
当たり前である。

日本には、究極の言葉が与えられていた。
美空ひばりさんの最大のヒット曲『柔(やわら)』の冒頭にある。

勝つと思うな思えば負けよ

である。
日本人がこの言葉を覚えているうちは、日本はあらゆる意味で強く、本質で豊かで、人々の心は温かかった。
しかし、この言葉を忘れ、勝つことにこだわるようになってから、単に経済とかいう意味でなく、日本は駄目になった。

この歌の作詞者は、関沢新一さんだ。
世界でも類稀(たぐいまれ)な成功哲学である、五島勉さんの『死活の書』でも、この歌の秘密が少し明かされていた。
関沢さんは、本物の武道の達人の極意を詩にしたのだ。

関沢さんは、作詞家であるが、映画脚本家としても有名だった。
1961年の『モスラ』も関沢さんの脚本である。
今年は、コジラ生誕60年であるが、モスラに対して特別な感情を持ってる人は多いだろう。
ゴジラ、ラドンというスター怪獣に続く、第3の怪獣として生み出されたモスラだが、実際、全くポリシーが違っていた。
モスラの原作は、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という驚くべき文豪が3名で創作したという、信じられないものだった。
そして、関沢さんが脚本を創ったのである。
結果、モスラは、普通の怪獣のイメージを超越した、神秘的な存在となり、実際、モスラを神のように感じる人もいるのである。
また、昭和ウルトラマンが大ヒットしたのも、関沢さんが脚本を書き、ただ面白いだけでなく、あの驚異のヒーローに、不思議な神性を与えたからである。

怪獣は人間に比べてはるかにそうであるが、その中でも、自我というものを微かにも感じさせない、ある意味、幻のようで、儚さすら感じさせる超怪獣がモスラである。
「自我を持たない者が人気者になると、皆が幸せになれる」
SF作家の野尻抱介さんが、『南極点のピアピア動画』で、初音ミクと同等の存在である小隅レイについて述べた真理であるが、これはモスラにも当てはまると思う。
モスラは初音ミクとも等価値であるとも言えると思う。

『柔』では、上記の、「勝つと思うな思えば負けよ」の後に、「負けてもともと」と、さらに駄目押し(囲碁用語)をしている。
現代は、「負けてもともと」よりは、「駄目でもともと」、略して、「駄目もと」と言う場合が多いが、いかに駄目もとでも、熱心さに欠けていれば、どうにもならない。
そして、熱心さ、つまり、情熱は、無理に起こせるものではない。
情熱は自我の領域ではなく、無意識の領域、生命の領域のものだ。
だが、欲望を情熱と勘違いすると、執着になるのだ。
ただ胸の奥に燃える炎、それが情熱であり、それに動かされることで熱心になる。
いや、理屈などいらない。
誰だって、熱心にやっていることがある。
それを、執着を持たずにやれば、必ず成功するし、求めずとも幸運に恵まれ、幸福になれる。

「勝つと思うな思えば負けよ」
この言葉を取り戻せば、あるいは、新たに持てば、日本人かそうでないかに関わらず無敵である。
尚、肛門を締めれば、勝負への執着は消える。
そして、補足として言うが、人差し指を立てれば、肩の力が抜け、執着も弱まる。
武道では、人差し指は「師匠預けの指」、使ってはならない指である。
困った時は、人差し指を立てれば、大抵解決する。
これは有名な禅の話『倶胝竪指(ぐていじゅし)』の隠された意味でもある。
まして、肛門を締めれば万能である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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