昨日、朝から醜悪なものを見た。
私は、アメリカのゴールデングローブ賞授賞式のスピーチで、有名な女優のメリル・ストリープが、トランプ次期大統領に対し、障害者の真似をして辱めたとして非難するのをテレビで見た。
わざとらしく深刻な顔をしながら、「息が詰まりそうでした」とも言ったらしい。
そして、会場にいた若い女優(と思う)が、いかにも同意を示すような顔で大袈裟に手をたたいた。
醜悪なのは、ストリープと、その若い女優の顔だ。
もちろん、2人ともとても美人だ。
それにも関わらず、その醜さに、私は見ていて気分が悪くなった。

確かに、これは私の個人的な感想だ。
だが、彼女達のだってそうなのだ。
しかし、ストリープは、「これは私の個人的な考えですが」とは言わない。
手段を選ばずに、個人的主張を正しいこととして、無理矢理に押し付けているのである。
そんな人間の顔が醜くないはずがない。

ストリープのその話は、あの場の発言として不自然なものではあるが、それでも、どうしても「個人的に」言いたいのであれば、こう言うべきだろう。
「もし、トランプ氏が、障害者を辱める意図を持って、その真似をしたのでしたら遺憾に思います」
なぜなら、それは、次期大統領や富豪というのとは関係なく、多くの同意を得られやすい状況で、仮にも、一人の人間を、劣悪な人間と見なすことなのだからだ。
それは、くれぐれも、慎重な配慮を持って行うべきことだからだ。
もし、ストリープが言うように、トランプが障害者を辱めたとしたら、それは、トランプが障害者を劣悪な人間と見なしたということであるが、ストリープのやったことも、それとなんら変わらない。
例えば、私が、自分の意見が通るような状況で、誰かを「こいつは馬鹿だ」と、一方的に言うようなものだ。
これほど醜い行為はない。

それに、そもそも、政治家が人格者である必要はないと思う。
有能な政治家や企業のCEOには、サイコパス(脳機能の不備のために良心を持たない人間)が多いという説もある。
サイコパスの遺伝子が長い人類の歴史の中で淘汰されなかったのは、少数のサイコパス(ただし優秀な)が活躍しなければ人類が滅びるからだ。
微生物でも、悪玉菌がいなければ善玉菌が働かず、悲惨なことになると言われている。
つまり、悪玉菌も必要なのだ。
別に、トランプが悪玉菌のようなものだと言うのではないが、今のアメリカの状況では、特に大統領ではなくても、サイコパスのリーダーは必要悪なのかもしれない。
もし、トランプがサイコパスなら、ストリープはよほどそうかもしれない。
まあ、個人的な考えであるがね。
ちなみに、私がサイコパスであるというなら、それは認める・・・というより、ずっと前から認識している。









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