ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マントラ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

狂信の魔力

思い込みの力は全くあなどれない。
思い込みの力について、よく知られているのは、プラシーボ(偽薬効果)で、砂糖も薬と信じて飲むと病気を治してしまうことがある。
あるいは、重症だが「大したことない」と言われたら、実際、すぐ治ったり、逆に、医者が「絶対治らない」と言っても、治ると信じたら治ったという話は少なくない。

明治時代の霊能力者、長南年恵は、当時としては平均的な寿命の44歳で亡くなるまで、少女のような容姿だったと言われるが、これも、本人が、自分はずっと少女だと思っていたからだと思う。
ところで、逆の思い込みというものもある。
例えば、ある未開の部族では、脚が折れても元気に走り回るのだそうだが、彼らには「脚が折れたら走れない」という思い込みがないのだ!
(『トーチェ氏の心の法則』より)

カップラーメンが身体に悪いと思って食べたら、実際に体調が悪くなるが、メジャーリーグのホームラン記録保持者バリー・ボンズは、日本のカップラーメンは身体に良いと信じ、毎日5~6個食べ、それで、ホームランを打ちまくっていた。
また、きっと彼は「俺は誰よりもホームランを打てる」と思い込んでいたのだろう。

狂信的信仰は、実際に奇跡を起こすこともある。
決して多いとは言えないが、フランスのルルドの泉水の水を飲んだり、水浴することで奇跡的治癒が起こることが、確実にあるらしい。
これも、患者本人の狂信的・・・と言ったら失礼だが、とにかく、極めて強い信念や思い込みがあったから、奇跡が起こったのだと思う。

新約聖書の福音書にこんな話がある。
イエスの弟子ペテロが、湖の沖に浮かぶ船に乗っていた時、イエスが水の上を歩いて近付いて来るのを見て感激したペテロが、
「先生!あなたが来いと命じて下さったら私にも出来ます。どうか命じて下さい」
と言うと、イエスは、応えて、
「私は命じる。来い!」
と言った。
すると、ペテロは水の上に下りて、イエスのところまで歩いて行った。
イエスが「来い」と言ったことで、ペテロは揺るぎない信念を持つことが出来たのだろう。
方やイエスは、自分には、こんなこと、出来て当たり前だと思っているに違いない。

これが信念の力である。
それなら、あなたも、好ましいことを「狂信」すれば良い。
やり方については、リチャード・バンドラーの『神経言語プログラミング』に書いてあることが参考になる。
即ち、自分が信じていることを、人に言わない・・・というより、人に納得させようなどと、決して思わないことだ。
大抵の人は、自分が信じることについて、他人に同調して欲しがるが、それが大間違いなのである。
例えば、自分はキリストの愛人だと言い張って精神病院に入れられている女性がいた。
この女性の間違いは何だろう?
自分がキリストの愛人だと思っていることか?
そうではないのだ。
「思うのは勝手」だ。
彼女の間違いは、他人に、それを認めさせようとしたこと・・・そもそも、自分がキリストの愛人だと人に言ったことだ。
ちなみに、初音ミクさんは私の嫁だが、決して誰にも言わないさ(笑)。

さて、その上で、もっと強力な方法がある。
マントラ(真言)を唱えれば、レベル5の信念を持てる。
つまり、誰かに出来ると思えることなら、自分にも出来ると信じられるのである。
そして、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱えること。念仏もその1つ)を唱えれば、レベル3以上の信念を持てる。
これは、誰にも出来ないことでも、自分には出来ると信じられるレベルである。
レベル1になれば、800歳でも17歳でいられるが、かなり励まないといけない。
ちなみに、言う必要はないが、レベル4は、悪魔に出来ることが出来ると信じられることである。












マントラとナーマスマラナ

人間の、世界に対する支配力は極めて小さい・・・小さいどころか、ゼロであると言う賢者もいる。
つまり、納得出来ない人も多いだろうが、全ては、運とか偶然といったもので決まるのである。
そんなふうに、運命に翻弄される中で、人間は、高次の力を使う、あるいは、高次の存在の援助を受ける方法を探し、それが提示された。
だが、ほとんどの人にとって、それらが効果があるようには思われず、うまくいったと思える者も、やはり、本当は、たまたまうまくいっただけなのである。
けれども、2つの、誰でも出来、しかも、確実に効果を上げる方法がある。
1つが、マントラ(真言)である。
これは、呪文、祈り言葉、祓詞、口ぐせ、力ある言葉・・・などと呼ばれる。
もう1つの最大の方法が、ナーマスマラナで、これは、神仏の名を心の中で唱える行である。
ナーマスマラナは、発祥の地インドでは、「クリシュナ」や「ラーマ」といった聖典や神話の神の名が唱えられるが、日本では、念仏が馴染み深い。しかし、日本の念仏は宗教儀式のイメージになってしまった。だが、念仏は葬式のためにあるものではなく、生者に力を与えるためのものなのだ。

私の場合、マントラから入り、それで高次の力を感じたことでナーマスマラナに導かれるのだが、これもよくある流れかもしれない。
マントラで確実な効果があるので、実利的な面では、これで十分である。
いきなり、ナーマスマラナから入るのは、特別な縁によるが、割と苦難がある人の場合が多いと思える。
私の場合、元々が割合に平安であったので、ずっとマントラだけできたのである。

いずれにしろ、この2つの方法でしか、高次の力に触れることは出来ない。
引き寄せのようなものは、全て効果はないが、引き寄せも、マントラやナーマスマラナを行うものがやれば、一見、効果があるように見える。だが、実際の効果は、マントラやナーマスマラナが起こしているのである。
だが、引き寄せなどのスピリチュアルが無意味であるわけではなく、人々を、物質を超えたものに目を向けさせるためには必要な部分もあると思う。
確かに、高次の世界に逃避したがる者も多いように思えるが、本当は逃避する必要はなく、現実を平然と見ておれば良いのである。
マントラや、ナーマスマラナを行えば、見捨てられることはないのだから。
また、現実を見ている者でなければ、マントラやナーマスマラナを根気強く行えないと思う。
実際、完全なひきこもりだが、マントラやナーマスマラナだけは熱心であるという者はいない。

つまり、現状がどんなに悪くても、現実から目をそらさず、しかし、現実に打ちのめされたり翻弄されずにいなければならない。
一休さんが遺言で言ったように、「心配するな、何とかなる」のであるから。
だが、そのための、本当に効果がある方法は、マントラかナーマスマラナしかない。
ちなみに、一休は、宗派は違うが、法然や親鸞を尊敬し、最後は念仏・・・つまり、日本流ナーマスマラナを行ったのである。

本来、ものごとがうまくいく時というのは、たまたまうまくいくだけなのだが、マントラを根気強く唱えると、「確実にたまたまうまくいく」のである。
だが、マントラの力が弱く感じたり、あるいは、マントラで持ちこたえることは出来るが壁を突破出来ない時、ナーマスマラナに導かれる。
それはこんな感じである。
戦場で、とりえあず鉄砲が与えられると、鉄砲がうまい者は、それでバリバリやっていけるが、鉄砲が下手な者は、鉄砲はないよりはある方がはるかに良いが、厳しいのである。
そこで、強力な援軍が現れて守ってくれたら、鉄砲がうまい者も下手な者も、自分は何もしなくても、安心でいられ、しかも、その気になれば、敵の本丸を落とせるのである。
言うまでもなく、鉄砲がマントラのたとえで、強い援軍がナーマスマラナのたとえである。
大将軍には、鉄砲が好きな者が多いが、自分では鉄砲は全く持たない者もいるのである。








腕振り運動とマントラ

解剖学者の養老孟子氏の何かの本に書かれていたが、昔の日本人は、毎日、長時間正座していたというだけで、特に運動をしなくても身体が強かったそうだ。
このことだけでも深く考えると、望むような人間になるヒントが得られると思う。
現代人は、運動をするために特別な時間を作り、ジムにまで行ったりして、「さあ、やるぞ」といった感じでやるのだが、このやり方は、いったん、やる気やモチベーションが落ちれば、やるのが嫌になり、なかなか続かないものだ。
現代の我々が正座で生活することは難しいが、暇があれば、とにかく少しでも多く腕振り運動をやるようにすれば、十分に身体は強くなる。
腕振り運動とは、スワイソウとかせい手とも呼ばれるが、自然に立って、真っすぐに伸ばした両腕を同時に後ろに、やや鋭く振り、惰性で前に振るという簡単な運動の繰り返しである。
これは、肩だけの運動ではなく、身体を直立に保つために、腹筋や背筋、それに、脚まで鍛えられる。
また、この運動は、両手のひらを内側に向けて行うことで、両手の間に気が発生したり、仙骨が調整されたりで、不思議な効果があると言われ、インドや中国では秘法として伝えられている。
これを毎日長時間やることで、仙人になることも可能という話まである。
腕振り運動は、毎日、時刻と回数を決めてきっちりやることも大切だが、とにかく、時間があれば100回ほどやるようにし、1日千回以上やるようにすれば、良い意味で驚くようなことが起こるかもしれない。
それに、腕振り運動は、動禅とも言われ、一心に行うことで脳も調整、あるいは、鍛えられ、頭が良くなったり、超能力を獲得することも無いとは言えないと私は思う。
私は、もう10年以上、腕振り運動は欠かさず毎日やっているが、どこか妖精めいた力が身に付いているように思うのである。

それと、後は、いつも述べる通り、やはり気がついたら、いつでもマントラ(真言)を唱えることに高い価値がある。
人間の脳は、放っておいたら、実にロクでもない働きをする。
脳は、1分間に300ものつぶやきをするという研究があり、普通の人では、その大半はマイナスのつぶやきで、それにより、エネルギーを失い、頭は悪くなり、運命まで悪くする。
「大丈夫」などのプラスの言葉を自主的に唱えることも良いのだが、なかなか続かない人がいることが分かった。
ところが、マントラの場合、ある程度続けていると、自動的に継続されている状態になり、むしろ、そのような状態こそ効果が高いとも考えられている。
しかし、その状態になるためには、とにかく普段から数多く、唱えることが必要である。
そして、マントラは、必ず、心の中で唱えないといけない。
これに関しては、声に出して唱えよと言う人もいるが、それには少しも賛成出来ない。
声に出して唱えるのは、僧侶だけで良く、本来は、心で唱えるものである。
そうすることで、やがて、心の中で自動でマントラが続き、それが、意識の深い部分にまで導いてくれる。
これは、喩えれば、海の深いところに潜っていくようなもので、その深いところに度々訪れて慣れてしまえば、普段の生活や仕事である海の表面でやることは、あまりに簡単なため、子供の遊びになってしまうのである。
また、腕振り運動とマントラには相乗効果もある。
マントラは、何でも良い。
「南無阿弥陀仏」でも「南無観世音菩薩」でも「オン、アビラウンケン(大日如来真言)」でも「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン(阿弥陀如来真言)」でも「オン、アロリキャ、ソワカ(観世音菩薩真言)」でも。
あるいは、「アメノミナカヌシノカミ」や「アマテラスオオミカミ」や「アメノミナカヌシ」や「アマテラス」、あるいは、「アミターバ(阿弥陀如来)」や「クリシュナ」や「イエス・キリスト」など、自分が好ましく思うもので良い。








本当に幸運な人

男子プロテニスで、ツアー109勝、シングルス1243勝の世界歴代1位の記録を持つアメリカのジミー・コナーズは、
「テニスプレーヤーには2種類しかいない。ウインブルドン(全英オープン)のタイトルを持っている者と持っていない者だ」
と言ったことがある。
それで言えば、4大大会(全米、全英、全仏、全豪)でコナーズと同じ8勝で、通算世界ランキング1位では、歴代4位(268週)のコナーズを超える270週(歴代3位)のイワン・レンドルは、ウインブルドンのタイトルだけは取れず、このコナーズの論では「2種類目」の選手になるが、確かに、レンドル自身も、ウインブルドンのタイトルは一番欲しかったようである。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、
「偉大な人間と平凡な人間の違いは1つだけだ。それは至高体験があるかないかだ」
と言った。
だが、彼と交流のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、
「至高体験は誰にでもある、ありふれたもの」
と述べ、後にマズローもそれを認めた。
要は、至高体験に気付いているかどうかだろう。
至高体験とは、およそ文豪の作品で現れないものはない精神状態で、世界と自分が一体になった忘我・没我・無我の状態だ。
マズローは、大学で、学生達に「自分が幸運だと思った体験」を語らせていったら、学生達が至高体験に達することを発見したという。

コナーズの方のは、そもそもがプロテニスプレーヤーに限定され、しかも、その中でも、ごくわずかな、実力と運に恵まれたプレーヤーを指すのであるが、確かに、彼が言った「分類」に意味があるほど。ウインブルドンのタイトルには権威があるのだろう。
一方、マズローの至高体験は誰でもあるので、それを自覚すると良いのであるが、ほとんどの人はそれをしない。

ところで、別の、そして、もっと重大な人間の分類法がある。
それは、ジャパ(真言や神の名を唱えること)を毎日行っているか、そうでないかだ。
それを行っている者は魔法使いであり、全てを、特に、永遠を手に入れる。
だが、人類を覆う運命が、ほとんどの人間には、それが出来ないように働きかけている。
ジャパは、口に出して唱えても良いが、心で唱える方が良い。なぜなら、継続し易く、長時間行えるからだ。
だが、多くの(ほとんどと思われる)場合、声に出して唱えるよう指示されることで、大半の者がやらないことになる。
声に出して唱えるのは僧侶だけで良いのであるし、また、必ずしも、僧侶が、毎日ジャパを行う運命にはない。
真言(あるいは神の名)は、良いもの(自分が良いと思うもの)であれば、およそ何でも良い。
「アウム」でも「南無阿弥陀仏」でも「オン、アビラウンケン」でも「トホカミエミタメ」でも、自分が良いと思えるものなら良いのである。
唱える回数が多ければ多いほど、本質的な能力が高くなり、この幻影の世界を自在に操れる。
その明確な根拠の1つは、脳は放置すると、無駄な活動で多大なエネルギーを消費してしまうということが分かっていることだ。
また、マントラは脳全体を統合的に共鳴させ、あるイメージ領域の配列を整え重要な機能を顕現させることが、ある程度分かっている。
しかし、マントラの重要な秘密の大半はまだベールに覆われている。
だが、実践すれば、その効果は誰でも分かることであり、至高体験も頻繁に起こると思われる。
とはいえ、今のところ、多くの者は、それをする運命にないようである。








現代の魔法使い

現代に魔法使いが存在するのかというと、何とも言えない事情がある。
『ぴたテン』というアニメで、天使の早紗(さしゃ)は、
「天使も悪魔も、人の心の中にしか存在出来ない」
と言ったが、つまり、各自が信じるかどうかということだろう。
そして、天使や悪魔が存在しないとは言えないのだが、魔法使いは、もう少し現実的な存在だ。
魔法使いであるW.E.バトラーの『魔法入門』や、ダイアン・フォーチュンの『神秘のカバラー』には、魔法の定義は「心に自在に変革を起こすこと」であると書かれている。
確かに、そんなことが出来れば、不可能はなくなる。
だが、それが簡単ではなくなっている。

心に自在に変革を起こせる者、あるいは、その技法を持つ者達がいなければ、もしくは、そんな者達が一般の人々から離れてしまっていれば、世界に魔法や魔法使いは存在しなくなる。

だが、「心に自在に変革を起こす」とは、「自我を退かせ、真の自己に接触すること」の一面の見方である。
自我が退く、即ち、無になり、真の自己に接触する、即ち、真の自己を知るというのは、宗教の本来の目的であった。
ところが、一般に宗教は、完全に支配者の道具とまでは言えなくても、それ(支配者が民衆を支配するための道具という面)が8割なのではないかと思う。
しかし、ユダヤ教やキリスト教の聖典である聖書の、本当の教えであるカバラが世の中から隠されてきたように、魔法のような力は、権力や一般大衆からは見えない。

『エル・カザド』というアニメに、象徴的なお話があった。
ブルーアイズを名乗る若く優秀な女性は、自分が魔女の末裔であることは知っているが、魔女の力、つまり、魔法は使えない。
彼女は、子供の時からずっと、魔女の力を取り戻すための努力をしたが、無駄に終わった。
どうすれば、魔女の力を取り戻せるのか、あるいは、それが可能なのかが、彼女には分からなかったのだ。
しかし、それは簡単なことなのである。
そして、別に、彼女のように、魔女の末裔でなくても、それは可能である。
人間のDNAの中に魔法因子は存在し、かつて、魔女と呼ばれた人達は、それが覚醒していたに過ぎない。
その覚醒のためには、マントラ(真言)を唱えさえすれば良い。
現代の・・・と言えるかどうかは分からないが、一種の魔法使いである仙人には、道教系の仙人や仏教系の仙人がよく知られている。
実際は、他にもいるのだろうが、道教系、仏教系以外は、別の呼び方がされている。しかし、本質的には同じような存在であると思う。
そして、仙人のような力を持つ方法は。いずれにしても、マントラなのである。
呼吸法や瞑想は、その補助であると思う。
マントラはいろいろで、1つではなく、特に、どれが優れているというわけではない。
仏教系であれば、仏や菩薩の真言が沢山知られており、いずれも完全に効果がある。
また、一般に知られる「南無阿弥陀仏」や、観音経(元々は独立した経典であったが、法華経の中に入れられた)にある「南無観世音菩薩」も、れっきとした真言である。
そういった真言をただ繰り返せば良いだけである。
尚、さきほど述べた通り、呼吸法や瞑想も補助にはなるが、必ずやらなければいけないものではない。
とにかく、マントラなのである。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギのTM(超越瞑想)も、瞑想とは言うが、ただ、マントラを唱えるだけであり、呼吸法やイメージングみたいなものは一切ない。
TMの場合、マントラを使う方法に独自性があるだけで、個人的には、特に優れたものではないと思っている。
とはいえ、TMの、マントラをもっぱら心で唱えるところは正しく、世界的に一定の評価を得る元となっているのは、そこではないかと思う。
だが、いつでもどこでもマントラを心で唱えれば、我々は、どこまでも高い成果を得られる。
道教系のマントラは、存在はするのだろうが、ほとんど知られていない。
しかし、仏教系のマントラは広く知られているし、ヒンズー教の神の名は、ことごとに真言である。
また、古事記の神の名もそうである。
このあたりは、ババジが『ナーマスマラナ』にまとめてくれているが、ここでも書かれているように、どの神の名が最も効果があるかなどということはなく、どれも同じなのである。
同様に、真言に優劣はなく、どれも、数多く唱える限り、同様の効果があるだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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