「1億円もらったらどうするか?」と聞かれて、一番悪い答えは「貯金」で、一番良い答えは「いらない」である。
貯金したがる人は、お金は入ってこない。
お金が入ってくる人なら、貯金の必要などないじゃないか?
お金が入ってこない不安があるから、貯金したがるのである。そして、不安のために貯金したがる人のところにはお金は入ってこない。もちろん、使う目的があって貯めているのなら、話は別である。
なぜお金が入ってこないことが不安かというと、衣食住が得られない恐怖のためだ。
だが、私のように、餓死を人生目標に定めていると、食べ物が無いことや、家や衣服が無くなることも、特に不安ではない。
いざとなれば、餓死すれば良いのである。餓死であれば、自殺とはみなされない。
とはいえ、別に飢えている必要はない。
ただ、普段から、食事の時まで何も口にせず、十分な空腹に耐えるようにしておくと、食べられなくなることが、さほどに恐ろしくはなくなる。
そして、そうしていると、餓死どころか、健康になり、能力も高くなり、心も強くなり、さらに、運も良くなるので、必要なお金はどんどん入ってくるのである。
加えて、潜在意識の法則や、引き寄せの術を使えば、不要なお金というのではなく、良いお金が多く入ってきて、それを基に、どんどん増やすことも出来るのである。
企業の場合は、様々な外部要因で儲かったり、儲からなかったりするので、ある程度の蓄えは必要で、松下幸之助もそれを指摘し、そんな余裕ある経営方法はダム経営と呼ばれた。また、企業は、投資が必要なこともあるので、やはり蓄えを作ることもあるだろう。
しかし、不要なほどの蓄えを持つ企業は必ず滅びているのである。
今後の世界では、社長等が宮殿のような豪邸に住んだり、プライベートジェットで通勤するような企業は全て消え去ることになるのである。そのような力が働くのである。
個人の場合も、同じようなものだと思う。ただ、個人の場合は、更に蓄えは必要でない。
不要に蓄えると、病気になったり、トラブルに巻き込まれたりして、お金を吐き出すようになっているのである。
入ったお金は使うのが正しいのである。もちろん、遊びや個人的楽しみに使う額は適度であるべきで、良いことに使わなければならない。
立派な金持ちというのは、皆、「金は稼ぐのは簡単だが、使うのが難しい」と言うものである。だが、そんな金持ちも、つい、不安がよぎったり、子供可愛さのために過ぎたお金を溜め込むと、ロクなことにはならないのである。
お金は、その日に使う分があれば良いのである。
溜め込んで死蔵したお金は災厄となりかねない。なぜなら、お金とはエネルギーであり、そのエネルギーの流れをせき止めると、歪んだ形で表出しかねないからだ。
ところが、日本人の貯蓄額は1400兆円とも言われ、断トツの世界一で、世界中の貯蓄額の3割を占めるとも言われるのである。いろいろ悪いことが起こるのも当然である。
このブログによく登場する、アメリカの科学技術者、ベアード.T.スポールディングは、著名な講演家であったが、財産というものはほとんど持たなかったという。しかし、援助を求められると、持っているものを全部差し出すのであった。
だが、彼は、食事がしたければ、全米中、どの家にでもずけずけ入っていって、座っているだけで、快適に食事の出来ない家は一件もなかったという。
宇宙人とのコンタクティーとして世界的に有名なジョージ・アダムスキーは、「一度に着れるスーツは一着だけだ。私はそれ以上欲しいとは思わない。だが、それを得られないとしたら、私は愚か者だということだ」と、お金に関する素晴らしい考え方を示した。
イエスは、「スズメは、刈り入れもしなければ蓄えもしないが、天の父はちゃんと養っている。お前たちは、スズメよりもずっと優れたものではないか?必要なものが与えられないはずがない。明日を思い煩うな」と言っている。
『ローム太霊講和集』で、古代の霊ロームは、「1週間や2週間、食べられないと、もう青くなるような情けないことでは駄目だ。生まれてきたからには、必ず生かされるし、金は与えられるのである」と断言している。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「不要なものを求めなければ、必要なものは与えられるのだ」と言う。ただ、これは、決して貧乏でいろという意味ではない。本当に必要なお金であれば、何億でも手に入るのである。
金持ちになれる器というのは、お金を使う能力があるかどうかだ。
自分のために必要なお金は、わずかなものだ。
アインシュタインは、収入の大半は誰とでも分かち合った。誰でも欲しいと言えば、気前よく与えた。自分は、いつもよれよれの服を着て、靴下もはかず、妻がノーベル賞授賞式はじめ、式典に必要な燕尾服を買わせるのも大変だったという。
ビル・ゲイツも、今は無理かもしれないが、大金持ちになっても、飛行機はエコノミーに乗り、日本製の車を自分で運転し、大衆食堂で食事をしたり、持ち帰りピザを買って帰った。そもそも、彼は大変な少食で、若い頃は、事務員の女性が買って持っていかなければ昼食をとることはなかったという。
ひょっとしたら、アインシュタインやゲイツは、個人消費は、ワーキング・プアと呼ばれる人々と同レベルかもしれないのだ。
ジョセフ・マーフィーは、金持ちになりたいなら、100万ドル(当時の円レートで3億円以上で、物価を考えると、今の日本で5億円以上になるかもしれない)があるものとして、その使い方を考えろと著書に書いていた。
これは、金を引き寄せる素晴らしいテクニックであるが、ロクな使い方が浮かばないなら、金持ちになろうなどと思わないことだ。間違えて金を得れば、いろいろ困ったことになるかもしれないからだ。
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貯金したがる人は、お金は入ってこない。
お金が入ってくる人なら、貯金の必要などないじゃないか?
お金が入ってこない不安があるから、貯金したがるのである。そして、不安のために貯金したがる人のところにはお金は入ってこない。もちろん、使う目的があって貯めているのなら、話は別である。
なぜお金が入ってこないことが不安かというと、衣食住が得られない恐怖のためだ。
だが、私のように、餓死を人生目標に定めていると、食べ物が無いことや、家や衣服が無くなることも、特に不安ではない。
いざとなれば、餓死すれば良いのである。餓死であれば、自殺とはみなされない。
とはいえ、別に飢えている必要はない。
ただ、普段から、食事の時まで何も口にせず、十分な空腹に耐えるようにしておくと、食べられなくなることが、さほどに恐ろしくはなくなる。
そして、そうしていると、餓死どころか、健康になり、能力も高くなり、心も強くなり、さらに、運も良くなるので、必要なお金はどんどん入ってくるのである。
加えて、潜在意識の法則や、引き寄せの術を使えば、不要なお金というのではなく、良いお金が多く入ってきて、それを基に、どんどん増やすことも出来るのである。
企業の場合は、様々な外部要因で儲かったり、儲からなかったりするので、ある程度の蓄えは必要で、松下幸之助もそれを指摘し、そんな余裕ある経営方法はダム経営と呼ばれた。また、企業は、投資が必要なこともあるので、やはり蓄えを作ることもあるだろう。
しかし、不要なほどの蓄えを持つ企業は必ず滅びているのである。
今後の世界では、社長等が宮殿のような豪邸に住んだり、プライベートジェットで通勤するような企業は全て消え去ることになるのである。そのような力が働くのである。
個人の場合も、同じようなものだと思う。ただ、個人の場合は、更に蓄えは必要でない。
不要に蓄えると、病気になったり、トラブルに巻き込まれたりして、お金を吐き出すようになっているのである。
入ったお金は使うのが正しいのである。もちろん、遊びや個人的楽しみに使う額は適度であるべきで、良いことに使わなければならない。
立派な金持ちというのは、皆、「金は稼ぐのは簡単だが、使うのが難しい」と言うものである。だが、そんな金持ちも、つい、不安がよぎったり、子供可愛さのために過ぎたお金を溜め込むと、ロクなことにはならないのである。
お金は、その日に使う分があれば良いのである。
溜め込んで死蔵したお金は災厄となりかねない。なぜなら、お金とはエネルギーであり、そのエネルギーの流れをせき止めると、歪んだ形で表出しかねないからだ。
ところが、日本人の貯蓄額は1400兆円とも言われ、断トツの世界一で、世界中の貯蓄額の3割を占めるとも言われるのである。いろいろ悪いことが起こるのも当然である。
このブログによく登場する、アメリカの科学技術者、ベアード.T.スポールディングは、著名な講演家であったが、財産というものはほとんど持たなかったという。しかし、援助を求められると、持っているものを全部差し出すのであった。
だが、彼は、食事がしたければ、全米中、どの家にでもずけずけ入っていって、座っているだけで、快適に食事の出来ない家は一件もなかったという。
宇宙人とのコンタクティーとして世界的に有名なジョージ・アダムスキーは、「一度に着れるスーツは一着だけだ。私はそれ以上欲しいとは思わない。だが、それを得られないとしたら、私は愚か者だということだ」と、お金に関する素晴らしい考え方を示した。
イエスは、「スズメは、刈り入れもしなければ蓄えもしないが、天の父はちゃんと養っている。お前たちは、スズメよりもずっと優れたものではないか?必要なものが与えられないはずがない。明日を思い煩うな」と言っている。
『ローム太霊講和集』で、古代の霊ロームは、「1週間や2週間、食べられないと、もう青くなるような情けないことでは駄目だ。生まれてきたからには、必ず生かされるし、金は与えられるのである」と断言している。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「不要なものを求めなければ、必要なものは与えられるのだ」と言う。ただ、これは、決して貧乏でいろという意味ではない。本当に必要なお金であれば、何億でも手に入るのである。
金持ちになれる器というのは、お金を使う能力があるかどうかだ。
自分のために必要なお金は、わずかなものだ。
アインシュタインは、収入の大半は誰とでも分かち合った。誰でも欲しいと言えば、気前よく与えた。自分は、いつもよれよれの服を着て、靴下もはかず、妻がノーベル賞授賞式はじめ、式典に必要な燕尾服を買わせるのも大変だったという。
ビル・ゲイツも、今は無理かもしれないが、大金持ちになっても、飛行機はエコノミーに乗り、日本製の車を自分で運転し、大衆食堂で食事をしたり、持ち帰りピザを買って帰った。そもそも、彼は大変な少食で、若い頃は、事務員の女性が買って持っていかなければ昼食をとることはなかったという。
ひょっとしたら、アインシュタインやゲイツは、個人消費は、ワーキング・プアと呼ばれる人々と同レベルかもしれないのだ。
ジョセフ・マーフィーは、金持ちになりたいなら、100万ドル(当時の円レートで3億円以上で、物価を考えると、今の日本で5億円以上になるかもしれない)があるものとして、その使い方を考えろと著書に書いていた。
これは、金を引き寄せる素晴らしいテクニックであるが、ロクな使い方が浮かばないなら、金持ちになろうなどと思わないことだ。間違えて金を得れば、いろいろ困ったことになるかもしれないからだ。
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