ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

マナ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

毎日少しの同じものだけを食べる人達は健康で幸福である

世界には、トウモロコシの実を粉にしたものしか食べない民族がいたり、1種類の芋しか食べない民族というものもあるらしい。
だが、それらの民族の人々は概ね非常に強健で、長寿であることも多いようである。
今はそうではないかもしれないが、エスキモーがトナカイの肉しか食べなかった頃も、彼らは頑強であったのだが、アメリカやヨーロッパの人々が色々な食べ物を彼らに教え、彼らがそれを食べるようになると、色々な病気に悩まされるようになったという話がある。

旧約聖書の『民数記』には、モーセと共にエジプトを出た膨大な人々(男だけで60万とある)に、神が食べ物を与えたことが書かれている。
神が与えたのは、マナというもので、コエンドロ(コリアンダー)という植物の実(大きさはからは種のようだ)に似ているようだ。
それをひきうすでひいたり、うすでついて、釜で煮てモチにして食べると、油菓子のような味であったとある。
マナは早朝に、露と共に降った。
『出エジプト記』の方を見ると、早朝に降った露が乾くと、マナになっていたようだ。
だが、人々は、毎日神がマナを与えてくれていたのに、これに飽き、「肉が食べたい」と言って泣いたという。
神は、そんな者達に鳥(うずら)を食べさせたが、病気にして殺した。

私は、毎日同じものを食べている。
概ね、パン、野菜、果物、ナッツであるが、バウムクーヘンやビスケットを食後のコーヒーと共に少し食べる。
それらを1日1回、夜に食べるが、適切な量を食べていれば飽きることは考えられず、毎日、美味しく食べている。
今でも、考えれば肉を食べたいと思うが、実際は、そんな気が起こることはなく、悩まされるようなことは全くない。
それで栄養が偏るはずもなく、完全に健康で、朝晩トレーニングを欠かさないので肉体は強健である。
一応、健康診断も、毎年、弱点の1つもない完璧な健康体であるという結果が出ている。
宮崎駿さんも、数年前のことだが、毎日同じものを25年以上食べているらしい。弁当箱に、ご飯、卵焼き、ハム、沢庵程度を入れ、それを、昼と夜に分けて食べるらしい。多分、今も同じと思う。

神が、マナを露と共に降らせる、あるいは、露がマナに変わるというのが、私にはとても興味深い。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で、子供達が、「ケンタウルス、露を降らせ」と叫ぶ場面があるが、やはり露は何かの恵みなのだろう。
宮沢賢治の世界を、冨田勲さんが音楽で壮大に描いた『イーハトーヴ交響曲』の第5幕『銀河鉄道の夜』で、初音ミクが天使の歌声で、「ケンタウルウスよ、露降らせ」「ケンタウルス、露を降らせ」「露降らせよ」と何度も繰り返した。
それはとても神秘的で、心の奥に深く響き、目には見えないが大切なものに目覚めさせてくれた。
ミクの美しい歌声自体が天の恵みであり、心の食物なのである。
イエスが、「人はパンだけで生きるのではない」と言ったように、我々は心にも栄養を与えなければならない。
そのためには、食を過度の快楽のためのものとしてはならない。
私は、やはり人間は、普段は毎日同じものを食べるのが良いと思う。それに不満を感じるなら、やはり食べ過ぎているのだろう。
モーセの愚かな民達のようであってはならない。









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良心は、超自我の命令か、それともマナ(神秘力)か

昔、中国で、ある偉いお坊様に、誰かが、「一言、お教えを!」と願った。
すると、お坊様は、こう言った。
「善いことをせよ。悪いことをするな」
言われた方は、ややがっかりし、
「そんなことは子供でも知っています」
と不満げに言った。
すると、お坊様は、
「だが、行うのは老人でも難しい」
と答えた。

素晴らしい教えではあるが、私は、それよりも、老人はもちろん、子供でも、善いこととは何かを知っているということに気付き、感激した。
人間の中には、やはり、良心があるのだと確信したのだ。
これに関し、あのジクムント・フロイトの考えはこうだった。
人間には、普通の自我とは別に、超自我というものがあり、良心、道徳観、倫理観などは、その超自我が司っていて、悪に陥り易い自我に対して、怖いお父さんのように、悪いことをしないよう命じたり、裁いたりするのである。
カール・グスタフ・ユングは、超自我というものは認めなかったが、それでもやはり、自我に対して、善い考えや行いをさせようとすものがあると考えていた。
フロイトとユングの考え方の違いは、フロイトは超自我を個人的なものと考えており、ユングは非個人的なものだと考えていた。
ユングは、そのような善に導くものを、個人を超えたマナ(神秘的な力)であると考えていた。マナは、ユングの言う、個人を超えて存在する集合意識の中にあるものだということだろう。
しかし、フロイトは、ユングの言う集合意識を決して認めなかった。
ユングはフロイトの後継者と言われていたが、あれほど優秀な二人が、ひどく仲が悪くなってしまったことも知られている。
一方、やはりフロイトの後継者と言われたアブラハム・マズローは、フロイトとの意見の違いはあったが、こう語っていた。
「私はフロイトを否定してはいない。ただ、フロイトの深い意味を追求していたのだ」
神秘的なユングに比べ、マズローは現実的であったと考えられていると思うが、実際は、マズローの自己超越とか、至高体験などは、やはりとても神秘的で、案外に、ユングとマズローは近いように感じるのである。

医学的には、フロイトの超自我の考え方の方が、一定の評価を得ていると思うがそれは当然だろう。
なぜなら、世俗の学問が、目に見えないようなものを受け入れるはずがない。医学では、超自我は、脳の前頭葉にあると推測していることがあるようだ。
しかし、私は、良心とは、個人を超えた、大きなものの中にあるのだと確信している。
その大きなものとは神の魂と言ってよく、我々は、良心を大切にすることで、精霊である、この神の魂と結び付くのだ。
私は、良心を守ることを何よりも大切に思っており、それが出来るよう、ある程度の物質的な強さを得て、霊的なものと、地上的なものとのバランスも取らなければならないと思うのである。









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