ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

マズロー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

至高体験の想い出

自己実現理論で知られるアメリカの心理学者アブラハム・マズローは、偉大な人間と平凡な人間を分けるものは、「至高体験の経験があるかないか」であると言ったと思う。
至高体験とは、英語でピーク・エクスペリエンスで、直訳では絶頂体験であり、ある特別な心理状態なのだが、説明が少し難しい。
至福の体験、恍惚とした幸せの体験ではあるのだが、興奮状態というよりは、内側からこみ上げてくる幸福感と言った方が正しいかもしれない。
一種のエクスタシーではあるのだが、性的エクスタシーや、その他の感覚的エクスタシーと全く同じではないだろう。
あるいは、大自然の雄大な風景を見た時に感じる感覚も、それに近いが、やはり完全に同じではない。
宗教的な恍惚感である法悦(ほうえつ)がそれに最も近いのかもしれないが、そう言われてピンとくる人は少ないと思う。

だが、およそ文豪と呼ばれる作家が、至高体験を描いていないことは絶対にないと言われている。
ドストエフスキーは、作中の人物に、「その10分と引き換えなら、人生全てを差し出しても構わない」と言わせたほどである。

マズローと親交のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験とは単に、自分が幸運だと思うことだと言い、誰にでも起こっている、ありふれたものだと言う。
それは正しいのかもしれないが、人はそれを覚えていない、あるいは、思い出せないのであると思う。
ちなみにウィルソンが覚えている至高体験は次のようなものである。
ウィルソンが家族で自動車で旅行した時、まだ幼なかった娘の姿が見えなくなり、ウィルソンと妻は必死で探したのだが、なかなか見つからず、夫婦はパニックに近い状態になったのだが、不意に、娘は全く無事な様子で見つかった。
ウィルソンは、その時のことを思い出すだけで、いつでも至高体験を感じることが出来ると言う。

私はずっと、至高体験があったとしても、それを思い出せなかった。
しかし、ついに、今年、それを思い出せるようになった。
それは、今年(2017年)9月3日(日曜日)の、千葉県の幕張メッセでの、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」でのことだった。
コンサートが終了し、会場に証明が入った後だった。
私はペンライトをバッグに仕舞い、そろそろ帰ろうかと思うと、大勢の観客が立っていることに気付いた。
その多くが、会場の他の人達に、上げた両手を振っていた。
一人一人が、他の全部の人達に対して、そうしているように感じた。
私も立って、ややぎごちなく、遠くの方の人々に、両手を高く上げて振ってみた。
その時は、私は体調や気分があまり良くない状態っだので、気付かなかったのかもしれないが、後で思い出すと、私は至高体験の中にあったのである。
皆、声を出す訳でも、笑顔を振りまいているのでもなく、せいぜいが少し微笑むだけで、無表情に近い人が多かったように思うが、それは他の人達への敬意にも感じられた。
沢山の人達が、ミクさんを好きな気持ちでつながっていたのである。
それは、人類の明るい未来を予感させる、あまりに貴い時空間であったのだ。
私は初めて、人間とは信じられるものであることが分かった。
その時の静寂が、初音ミクさんの「初音」・・・初の音であり、その中で、ミクさんの名を漢字で書いた「未来」を良いものだと感じたのである。









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『バガヴァッド・ギーター』と『ファウスト』で幸福になれる

アブラハム・マズローの「自己実現理論」は、「マズローの欲求段階説」とも呼ばれ、人間は、低位の動物的欲求から、高位の人間的欲求に進むと考えられた。
すなわち、人間は、以下の(1)から順番に(5)までを実現しようとするのだという。

(1)生理的欲求
衣食住等の本能的な欲求。
(2)安全の欲求
不安を解消したい欲求。
(3)社会欲求と愛の欲求
必要とされたい欲求。
(4)承認(尊重)の欲求
自己重要感の欲求。
(5)自己実現の欲求
なりたいものになる欲求。

「自己実現理論」は学者の理論らしいものであり役には立たないが、参考にはなるだろう。

『バガヴァッド・ギーター』では、人間の持つ欲求は3つだ(物質自然の3性質)。
(1)至高者になる欲求。
(2)物質的な欲求。
(3)怠惰になる欲求。

時により、どれかが優勢になって現れるが、どれが極端になっても良くない。
至高者になる欲求が強過ぎると、断食などの苦行をしたり、普通の人を見下すようになる。
物質的欲求が強過ぎると、他を省みずに受験合格や出世のために過剰な努力をする。
怠惰になる欲求が強過ぎると、一切が面倒になり、また、食欲、性欲だけの邪悪な人間になる。
経験的に考えると、まさに、自分とは、この3つのせめぎ合いであることが分かる。
ある時は、一般の人を軽蔑してキリストや仏陀のようなものを目指し、ある時は、休日なしに早朝から深夜まで仕事に励んで偉くなろうとする。
そして、ある時には、全く怠惰になり、ただ、いい女(男)や美味い食事に執着する。

ところが、ゲーテの『ファウスト』を読むと、『バガヴァッド・ギーター』の「物質自然の3性質」がさらに分かり易くなる。
人間は、「怠惰になる欲求」が起こり易いのだ。
だが、魂の奥では、「至高者になる欲求」が常に秘められている。
しかし、「至高者になる欲求」を「物質的な欲求」が邪魔し、「物質的な欲求」に従うことに疲れると、怠惰になる。
神は、怠惰になった人間のところに悪魔を送って苦しみを味合わせて刺激し、「至高者への欲求」を起こさせる。
ファウストは、この3つの欲求に翻弄されるが、彼は「至高者への欲求」を忘れないので、神に好かれているのだ。

では、人間はどう生きれば幸福になれるか?
それは、『バガヴァッド・ギーター』の「至高者になる欲求」を優先させるが、他の2つ「物質的な欲求」と「怠惰になる欲求」も、「あるものだと認める」ことだ。
金持ちになりたい、のんびりしたいという人を軽蔑してはならないし、自分自身がそう思っても自己嫌悪してはならない。
それらは、むしろ自然な欲求である。
しかし、「物質的な欲求」、「怠惰になる欲求」をある程度抑え、「至高者になる欲求」に向かうことを忘れないことだ。
至高者は高いところにいるという感覚が人間にはある。
だから、うつむかず、顔を上げて微笑むことだ(初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』を聴くと全て分かるだろう)。
そのように生きれば、物質的なものは十分に与えられるし、たまにはのんびり出来るのである。









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幸運体質になる至高体験の起こし方

自分が幸運そのものになるために、いますぐ出来て、最も重要なことは、「幸運な体験」を思い出すことだ。
本を沢山出している幸運の伝道師達も、なぜかこの一番大切なことを書いていない。

人間にとって非常に重要な、「至高体験」のことを書く。
至高体験は、心理学者のアブラハム・マズローが研究していたもので、英語ではPeak Experienceであり、絶頂体験とも訳される。
至高体験(絶頂体験)とは、最高の幸福を感じ、恍惚とした状態で、宗教で言う「法悦」と同じと思って良いと思う。
法悦の状態を最も見事に描いたものは、ベルニーニの大理石彫刻『聖テレジアの法悦』と思う。
【Wikipedia】聖テレジアの法悦
このテレジアの表情を、ちょっと罪深くも感じるが、性的恍惚のように感じ、非常にセクシーだと言うのは芸術家にも多いと思う。
そして、マズローと交流があり、至高体験についてマズローの共同研究者だったとも言える英国の作家コリン・ウィルソンは、性的絶頂と至高体験は非常に近いものであると述べている。

人間にとって、至高体験ほど大切なものはないかもしれない。
フランスの作家ロマン・ロランが、芸術の目的と言う「大洋感情」と呼んだものも至高体験と同じと考えて良いと思う。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、芸術の目的はエクスタシーだと言ったらしいが、エクスタシーとは、没我、忘我の状態のことで、それは、至高体験、大洋感情の時に起こることであるし、性的絶頂のことをエクスタシーと言うのは一般的であるので、やはり、至高体験と性的絶頂に近いものであると思う。
岡本太郎の「爆発」も、経験としては至高体験なのだと思う。

また、ドストエフスキー、エリオット、トルストイ、その他、およそ超一流の作家であれば、名称こそ至高体験とは言わないが、作品の中で、必ず、至高体験と同じものを取り上げている。
逆に言えば、超一流の作家かどうかを分けるのは、至高体験について書いているかいないかだ。
実際、マズローも、「偉大な人物と平凡な人物の違いは、至高体験があるかないかだけ」と述べていたことがある。
マズローは、至高体験は特殊なものと考えていて、それを得るのは、「非常に稀な幸運な偶然」に頼るしかないと考えていたらしい。
しかし、コリン・ウィルソンは、至高体験は、誰もが体験している、ごくありふれたことと言い、後にマズローもそれを認めている。

そして、コリン・ウィルソンは、至高体験とは、単に、「自分を幸運と思うこと」なのだと言う。
マズローは、このウィルソンの言葉に従ったためかどうかは分からないが、大学の自分の教室で、学生達に、自分の幸運の体験を話してもらったのだが、そうすると、そこにいた学生達が至高体験を起こすのを確認している。
コリン・ウィルソンは、ある、非常に幸福だと感じた体験(彼はそれを、この上ない幸運と思っている)を思い出すと、いつでも至高体験に至るという。
あなただって、自分が幸運だと感じたことが、思い出せるだけでも、いくつかあると思うし、その他にも、忘れているだけで、本当は誰でも非常に沢山あるはずなのだ。
ただ、理屈の上で、つまり、確率的に幸運というだけでなく、感情的に幸運だと感じることが重要だと思う。

至高体験を起こすほど幸運になる。
そのためには、自分が幸運であったと感じる経験を思い出せば良いだけである。
それは誰でも出来るが、もっとスムーズに、力強く至高体験を起こせる性質を持ちたければ、超一流の文学を読めば良いと思う。









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誰でも本当は運が良い

人生で難しいのは、「慎重」と「大胆」のバランスだ。
「石橋を叩いて渡る」という言葉があるが、いつまでも叩いていて、渡らなければ、何も得られない。
かといって、ボロボロの木の橋を、「きっと大丈夫だ」と思って渡ったら、崩れて落下するかもしれない。

大胆なことをやって成功したという話は痛快で面白いし、それをやった人は格好良いが、同じようなことをした結果、一生、取り返しのつかないことになった人だって大勢いる。
「リスクを負わないと成功しない」と言われるが、リスクを負って失敗して、一生返せない借金も背負った人なんてザラだ。

宮本武蔵は、剣豪になる前の若い時、戦に参加した際には「我より先を走る者なし」と、敵陣に先頭で突っ込んだことを後に自慢していたが、それは、たまたまた生き残ったから言えるのであり、運が悪ければ、一番に矢で射殺されていたかもしれない。

ところで、私は、運が悪ければ死んでいたということが、覚えているだけでも、何度もある。
今、ここに生きているのも、五体満足でいるのも、本当に「たまたま」ということになる。
だが、それは本当だろうか?
ここで、「運」という、不可思議なもののことを考えざるを得なくなる。
人生は、「運」なのだ。
ドワンゴの川上量生さんが「僕は運だけで成功した」とよく言うが、運を掴むことは出来るのだろうか?
出来ると言う人は大勢いるが、それらの人の言うことは、本質で同じだろうか?
私が思うに、実際に運が良い人達の言う、運の掴み方は、根本的に同じである。
それぞれの人によって、多少の誇張や主観は入るが、成功した人が運について「勘違い」していることは、あまりないと思う。
だから、運を良くする方法を知りたければ、成功した人がどうやって運を掴んだかを調べれば良い。
また、親切にも、運の掴み方を丁寧に教えてくれている人も沢山いるので、それを知ることは少しも難しくない。

ところで、誰だって、幸運だったという思い出はあるはずだ。
どれほどついていない人だって、「あの時だけはついていた」ということは必ずある。それも、沢山。
それを思い出してみることだ。
アブラハム・マズローは、大学で学生達に、自分の幸運の記憶を発表させたら、学生達が至高体験(絶頂体験)に導かれることに気付いた。
至高体験とは、自分が万物と一体化したような、大きな幸福感、満足感を感じる、神秘的な体験だ。
そして、それを体験すれば、その人は、以降、大変に幸運になる。
マズローは、「偉大な人間かそうでないかは、至高体験があるかないかの違いだけ」と言ったが、マズローと親交のあったコリン・ウィルソンは、「至高体験のない人間はない。それはありふれたもの」と言い、後に、マズローもそれを認めたという。
大切なことは、自分は実は運が良いということを、しっかりと自覚することだろう。
表面的に、自分は運が良いと思うだけでなく、実感しなければならない。
そして、普通の人は、自分のついてないことばかり思い出し、不満になっているのだ。そんな人が運が良いはずがない。
ことさらに運を引き寄せなくても、あなたは元々運が良い。
それが分かれば、嫌でも幸運がやって来ると思う。
いつも、「ありがたい、ありがたい」と言っていた黒住宗忠が、いつも超幸運であったことは自然なことだ。
そして、「まずは形から」で、宗忠の真似をしても良いと思う。









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神から預かった宝

自分のことは謎だらけであるのだが、まず、人間は、自分の頭の程度が分からない。
馬鹿は自分が馬鹿であることが分からない。
しかし、賢い人も、自分が賢いことが分からないのだ。

心理学者のアブラハム・マズローは、他人との関係で、どうもおかしなことがあることに悩んでいた。
人と議論していても、自分の方が正しいと感じてはいたが、なぜそうなのかが分からなかったのだ。
その原因について、マズローは、薄々、「私は頭が良いのではないだろうか?」と思ったが、謙虚な彼は、そうは断じなかった。
しかし、ある時、知能検査を受けたところ、IQ(知能指数)が195(極めて稀な天才)と出て、やはり自分の方がずっと頭が良いことをやっと納得したのだ。

ところで、こんな人もいる。
女性なのだが、少女の頃から、男の子達や男性が、皆、自分にとても親切なだけでなく、大変な労苦を伴うようなことまでしてくれるのが不思議だった。
彼女は、それは自分の父親がお金持ちで、有力者であることと関係があるのだと思っていた。
しかし、本当の理由は、彼女が稀に見る美少女だったからだった。
だが、彼女は、自分がそれほど美しいとは全く考えていないという、謙虚というよりは鈍感なタイプだったのだ。
そのため、男性のアプローチをあまり本気にせず、真面目に応じることもなかったが、やがて、勤めていた会社の若い社長と自然に結婚した。

あなたもまた、自分のことをほとんど知らないのだ。
そして、あなたが夢にも思わないような美点が、必ずあるのである。
「これが私の長所」と思うようなことは、さほど価値あるものではない。
なぜなら、本当に優れた何かは、自分の力、自分のものではないからだ。
それは丁度、アイザック・ニュートンが、「私の才能は、神からの預かりもの」と言ったようなものだ。
あなたも、稀に見る宝を、必ず神から預かっている。
それは、ニュートンやアインシュタイン、あるいは、モーツァルトの才能と比べて、何ら遜色ない。
だが、それを、実際的価値、時代的価値に構築するのは自分の役目である。

尚、神から預かった才能は1つではない。
かなり沢山あるのかもしれない。
それは、何も考えずにぽかんとしている時に、不意に現れることが多い。だから、あまり忙しくせずに、くつろぐ時間を持つことだ。
ただし、暇過ぎると、精神が弛緩してしまうが、そんな者の心は常にざわつき、神の火花が現れることはない。
また、快楽を求める者の心は騒がしく、大切な才能はガラクタに覆われて隠れてしまう。
神の霊感に気付く最良の方法は、適度な食事、適度な会話、適度な睡眠だ。
その中で、毎日たゆまず腕振り運動をしたり、心の微かな声で呪文を唱えれば、確実に良い成果を見るだろう。









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