ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マスターの教え

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

最強の魔法の言葉

「私は」という言葉は強力で、ただちに魔法の力を発する。
もちろん、自分を示す言葉なら、「僕は」「俺は」「自分は」でも同じである。
「私はやる」と言えば、必ずそれをやることになる。
逆に言えば、そう言わないから、やらずに終わる。
バラク・オバマは、Yes,we can.と教えたが、これは、特に力のない言葉だ(別に、悪くはないが)。
なぜなら、私(I)という言葉は、「宇宙」「全て」を示すからだ。数字で言えば「1」である。
このことを説明した本が不思議とないのだが、1つあった。
それは『マスターの教え』(ジョン・マクドナルド著)で、
飛鳥新社版(紙の本):12章
バンローリング版(Kindle書籍):6章
に、詳しく説明されている。
まあ、それを知らなくても。「私は」という言葉が魔法の力を持つことを知っていれば良い。
旧約聖書では、神は自分のことを、
I am that I am.
と名乗っている。
ただ、その意味は、元のギリシャ語のニュアンスが分からないし、英語としても難しいが、上記の本では、
「私は私である」
「私は私というものだ」
と訳していた。
『十戒』という映画の吹替では、「私はありてあるものである」と訳していたと思う。
ところで、W.E.バトラーの『魔法入門』では、この訳について、非常に面白いことを書いていたが、高度な話だったので、今回は省く。
(ちなみに、この本は、絶版で古書は高価)

いずれにせよ、「私は」という言葉は、途方もないものであることは確かだ。
では、その魔法の力を、「私は」に続く言葉に注げば良い。
さっきも述べたが、「私はやる」「私はなる」と言えば、確実にやることになり、なることになる。
こんないいこと、知らないのは損である。
とはいえ、私も忘れていたのだから困る(笑)。
私が子供の時から、あり得ない奇跡を自在に起こした話は何度も述べたが、結局のところ、そのために、私は「私はやる」と宣言したのだ。
例えば、天文に関する知識が全くない小学4年生の時、天体望遠鏡で土星を見ようとして、「僕は土星を見る」と思ったのだ。
すると、最初に狙った星はいつも土星になった。これは、普通に考えると確率的にもあり得ない。
そもそも、その天体望遠鏡を手に入れたのだって、「僕は天体望遠鏡を持つ」と思ったから得られたのだった。

なら、良い就職をしたければ、「私は、働き甲斐のある会社に就職する」みたいに言えば良いし、素晴らしい人と結婚したければ、「私は、ハンサムで優しくてお金持ちの人と結婚する」と言えば良い。
この「言う」は、口に出して言っても、心の中で言っても良い。
ただ、どちらかというと、現在形で、「私は働いている」「私は結婚している」と言った方が良いと私は思う。
そして、いつも言うのが、なるべく多く言うことが大切と思う。








最後までふてぶてしく

良い本を沢山読んでいるのに駄目なやつっていうのは多い。
どういうやつかというと、すぐに不安になるやつだ。
言い換えれば、後ろ向きなやつ、マイナス思考のやつだ。
そういうのを一言でまとめると「心が弱い」になると思う。
そんなやつは、ちょっとうまくいかないと、あるいは、ちょっと悪い状況になると、たちまち不安になり、攻撃的になったり、周囲に親切そうな人がいると哀れっぽく頼ろうとする。
最近まで日本では、そんな状況には滅多なことではならなかったが、数ヵ月、お金が入ってこず、3日も食べられない状態になると、もうすっかりうろたえてしまう者が多い。
そして、今後は、日本でも、そんな者が多くなるかもしれない。
実際、今は、日本でも餓死する人が、年間で数百人もいるらしい。
だが、特殊な場合は別として、そんな人達は、餓死するより先に、不安に殺されているのだ。

イエスは、「鳥は働かないが、神はこれを養う。まして、お前たちは鳥よりもずっと値打ちがあるのだから、神が面倒を見てくれないはずがない」と言った。
私は餓死しかけたことはないが、どうにも困った状況になっても、いつも不思議に何とかなり、イエスの言うことは本当だなあと思ったが、当然、誰でも同じと思う。

楽天家を装ったり、引き寄せの法則を肯定しているようでいても、苦しくなると、すぐに挫けてしまうようであってはならない。
何とかなるのだ。

名女優のジョディ・フォスターが13歳の時に主演した『白い家の少女』という映画がある。
この映画のラストでは、ジョディが演じるリンという名の少女の美しい顔がずっと映される。
この若さで、表情だけで演技するジョディを見て、私は、つくづく、彼女は天才だなあと思ったものだ。
ちょっと、この映画のその状況を説明する。
リンという名の美少女は、ロリコンの変態のオッサンに、決定的な弱みを握られる。
それで、リンは、これまでは、そのオッサンを徹底的に避け、はっきりと強い敵意も見せていたが、逆らうことも、無礼な態度を取ることも、警察に頼ることすら出来なくなった。
ロリコンのオッサンにすれば、まさに、天国という状況だった。
オッサンは、ここまでくれば焦ることはないので、少女が一人っきりの家で、どっかりとソファーに座り、ご主人様気取りで、リンにお茶を入れさせる。
すると、ロリコンとはいえ、頭が良いオッサンは、リンが持って来た2つのお茶(紅茶)を、リンの前で入れ替える。毒が入っているかもしれないが、所詮、子供だ。
悠然とお茶を飲むオッサン。お茶を飲み終わったら、あんなことやあんなことを・・・と考えているのだろう。
その時のリンの顔が、ずっと映されるのだ。
リンの顔はさぞや怯えているかというと、リンの顔には何の不安もなく、微笑んですらいる。
まるで、今のトランプ大統領のふてぶてしさ、心の強さだ。
リンは、最初から微笑みを持っていたのだ。
『マスターの教え』で、マスターが言ったように、「正しい態度でいれば状況を支配出来る」のである。
私は、このリンの素晴らしい微笑みを忘れないようにしている。








全ては態度次第

私には、いかなる時も、揺るぎない自信を取り戻させてくれる魔法の呪文がある。
それは、「テーブル2(ツー)」だ。
数年に一度は書いているが、こんな話だ。
アメリカでの話だ。
ある日本人が、高級クラブで公演される、ある一流のショーを見たいとアメリカ人の友人に言った。
すると、そのアメリカ人は、「じゃあ行こう」と言う。
そのアメリカ人は、超一流の人物だが、いきなり行けるようなショーではない。
しかし、その日本人は、何かを感じ、そのアメリカ人に従った。
クラブの建物に着くと、アメリカ人の彼は、守衛に愛想よく笑って挨拶し、勝手に入ってしまった。
劇場に入ると、総支配人に悠然と近付き、「テーブル2」と言う。「2人分のテーブルを用意しろ」という意味だ。
総支配人は、躊躇せず、マネージャーを呼んで、「テーブル2」と言い、マネージャーはスタッフに命じて、迅速に、この2人のためのテーブルが用意され、2人はカクテルを飲みながら、ゆったりと素晴らしいショーを堪能した。

多少は、古き良き時代のアメリカであったという理由もあるが、その日本人の実際の経験談である。
若い頃に、この話を読んだ私はシビれ、人間はこうでなければならないと思った。
しかし、そんなことが、本当に出来るのか?
『マスターの教え』という本に、似た場面がある。
あるビジネスマン(失敗して駄目になった状態だったが)が、マスターと呼ばれる人物と(多分、高級な)カフェに行った時のことだ。
カフェのスタッフは皆、マスターに対して特別にうやうやしく接し、2人は楽しく話をして、店を出る時、マスターは伝票にイニシャルだけをサインした。
当然、マスターの馴染みの店かと思って尋ねたら、マスターは、初めて来る店だと言う。
そして、マスターは、「態度が状況を決める」と言う。
上の、「テーブル2」のアメリカ人も同じなのだ。

しかし、一流の人物ならともかく、我々にそんなことが出来るのか?
それに関しては、我々以下の人間の話がある。
それは、『マジック・ストーリー』(『人生を変える魔法の物語』と題された、一流の翻訳者の手による翻訳書もある)にある。
粗末な身なりの、誰もが知っている一文無しでロクデナシの画家が喫茶店に来て、知り合いのビジネスマンがいた席に着いた。
画家は、金は持っていないが、自分がおごると言う。
そして、ビジネスマンから小切手を借りると、ボーイを呼び、堂々たる仕草で小切手にサインをして渡し、下がらせた。
何の問題もなかった。
ビジネスマンは画家に、そんな魔法をどうやって身に付けたのかを尋ねるが、このお話はうまく作られている。
と言うのは、この画家のお話そのものが、我々に魔法を授けてくれるからだ。

態度が状況を決める。
態度は事実より重要である。
そのことを理解しさえすれば良いのである。
世界は心が作る幻影に過ぎないからだ。
私が付き合っていたIT企業の社長も、似た手を使っていた。
客に、「こんなシステムを作ったことがありますか?」と聞かれたら、「イエス」と答えることにしていたらしい。悠然とね。
それで、彼はうまくいっていたが、何かのきっかけで自信を失くし、うまくいかなくなってしまった。
幻影である外の世界が、自分より力があるという思い違いをしてしまったのだと思う。
私とも喧嘩別れしてしまったが、私が用意してあげたコネは使い続けていたらしい。
コネなんて、態度次第で、いくらでも作れるのにね。

尚、「テーブル2」の話は、夏目志郎氏の本に載っていたが、古い本で手元になく、書名は分からない。








偶然は匿名での神の贈り物

昨日、ご紹介した映画『ザ・シークレット:デア・トゥー・ドリーム』の中では、何度も、出来過ぎと感じる幸運な出来事が起こる。
このような、あまりにも都合の良い偶然を、我々は奇跡と言う。
おそらくは誰もが、そんな奇跡とも思える体験の1つや2つは覚えているものだと思う。
そして、奇跡をどう考えるかで、人生は決まる。

『マスターの教え』の中で、マスターは、「奇跡は頻繁に起こっているのに、皆、それに気付かない」と言う。
この本の中でも、人生のどん底にあった男が、気晴らしに劇場に行き、安い席のチケットを買うが、なぜか、高価なBOX席のチケットを受け取ってしまう。
そして、そのBOX席で、マスターと呼ばれる不思議な人物と隣り合わせることとなり、そのマスターに話しかけられたことで人生が変わった。
なぜ、そんなことが起こったのかというと、彼は、心の奥でそのような奇跡を強く願っていたからだと言う。
上の映画の中でも、マスターのような存在である大学教授のブレイは、子供達に、磁石が金属製のクリップを引き寄せるところを見せ、「願いが強いほど強く引き寄せる」と言う。そして、その直後に奇跡が起こる。
ブレイは、こうも言う。
「偶然は、匿名での神様の贈り物だ」
と。
これは、アインシュタインが言ったことらしい。
アメリカの作家、マイク・ハーナッキーも、引き寄せマスターと言える力を獲得した人間だが、「奇跡は単に珍しい出来事で、そんなものは誰でも起こせる」と『成功の扉』に書いていた。

私も、小学生の時、天体望遠鏡が欲しいと思って懸賞に応募したら(特等の懸賞が天体望遠鏡だった)、懸賞に外れたことが分かった直後、親から、「従兄がお前に天体望遠鏡を譲ると言っている」と教えられた。私は、その従兄の顔も知らなかったし、その従兄も、私が天体望遠鏡を欲しがっていることなど知らないはずで、なぜ、従兄が不意にそんな気になったのか謎だった。
いずれにしろ、私は、このことが「たまたま」とは思えない。
また、私は、好きな女の子のことを考えていると、その数秒後には、彼女が居ることなど、あり得ない場所であるに関わらず、出会ってしまうことがよくあった。
一度だけ、「偶然」に会った翌日に、相手の女の子に、「なぜ、あんなところにいたの?」と聞いたことがあるが、彼女の返事は、「私も分からない」みたいな感じだった。
さっきの、天体望遠鏡をくれた従兄にも、ずっと後で、あの時の天体望遠鏡のことを尋ねてみたが、やはり、どうもよく分からないようだった。

これだけは信じた方が良い宇宙の仕組みは、
「良い気分でいれば良いことが起こり、悪い気分でいれば悪いことが起こる」
だ。
つまり、良い気分でいれば、好ましい偶然が起こり、それは、しばしば、奇跡と感じる。
それと共に、上のブレイが言ったことのように、強い願いは、磁石のように願ったことを引き寄せる。
この2つは同時に考えれば最強だ。
つまり、良い気分で強く願えば、即座に奇跡は起こる。
そして、面白いことに、落ち込んだ時に、気持ちを切り替えて、肯定的な気持ち(即ち良い気分)になると、不意に願いが叶うのである。
例えば、こんな話がある。
イギリスの作家コリン・ウィルソンが、子供の時、弟と一緒に森で迷い、長時間歩いてクタクタになった上、雨に降られて身体が冷え、森からの出口はさっぱり分からない絶望的な状況の中、泣き出す弟を見て、コリン・ウィルソンは兄の自覚を思い出し、「しゃんと」したところ、不意にスムーズに森を出ることが出来た。
ウィルソンは、これに対して、難しい解釈を述べていたが、つまるところ、彼は気持ちを切り替え、肯定的な気持ちになることで幸運を引き寄せ、現実を変えたのだ。
我々も、困った時ほど、無理にでも笑顔を作り、ガッツポーズをし、それによって、気持ちを「しゃんと」させると、奇跡だって起こるだろう。
1回や2回で駄目でも、百回ほどやれば良いと思う。








魔法手順大公開(質問大歓迎)

ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』には、100万ドル(約1憶円)を引き寄せるのも、1ドル(約百円)を引き寄せるのも、全く違いはないと述べられている。
また、斎藤一人さんも愛読していると言われる(実際、斎藤さんの著書の中に、極めて似た内容が書かれている部分があった)『マスターの教え』の中で、マスターが客船の最も豪華な部屋を使っている時、こんなことを言っている。
この船の船長は、船長という仕事に相応しいが、船主になるのは、とても無理と思っているかもしれない。しかし、船長と船主の違いは、呼び名の違いに過ぎないと言い、船長がその気になれば、簡単に船主にもなれる。
そして、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、チベット、インドで、超人的なマスター達としばらく一緒に過ごしたアメリカの調査隊の1人が、「マスターこそ、本来の人間の姿。人間が、地上を這う虫のようなものであってはならない」と言い、マスターと同じことをやろうと言い出す。そして、皆が、実際に、アメリカ等での常識では奇跡としか言えないことを楽々と行う。

これらは、私には非常に納得出来る。
なぜなら、私はある意味、100万ドルや客船を得る以上に難しいことを平然とやったことがあるからだ。それも、何度も。
その1つが、テレビ放送のコントロールだ。
最近、私はテレビドラマというものを全く見ないので、今、どんなものがあるのか分からないが、例えば、数年前に放送されたドラマのある回を、何度も見たいと思ったとする。
そんな場合、今なら、Amazonプライムビデオを探したり、DVD化されていないかお店に探しに行くのだろうが、私が子供の時は、そのようなものはなかった、あるいは、あっても、存在を知らなかった。
それで、どうしたのかというと、その見たいドラマの特定の回が放送されることを期待し、録画リモコンを握っていたのである。
「何、この阿呆」と思うだろうが、それで、いつも、さして待つことなく期待通りに放送され、楽々、録画したのだった。
その時のやり方を再現出来れば、相当な奇跡現象を起こせるだろう。
で、どうやってやったかというと、ただ強く期待しただけだった。
頭の中で、「放送されよ」と念じた訳でもない。
つまり、目標が分かっていたら、言葉など不要である。
例えば、好きな女の子がいて、「A子さんを彼女に出来ますように」とか、結婚したい男性がいて、「B男さんと結ばれますように」といった祈り言葉を使うというのとは違う。
別に言葉にしなくても、具体的な願いははっきりしている訳だから、「願う」「期待する」という精神行為をすれば良いのである。
受験に合格したい時も、「〇〇大学に合格出来ますように」「〇〇大学に絶対合格する」と言ったり思ったりは、ちょっとどうかと思うのだ。
と言うのは、言葉にすると、どこか思念にノイズが混ざるように感じるのだ。

非言語で願う・・・という感覚は、そんなに難しい訳ではないと思う。
例えば、私は、子供の時、向こうを向いている人を、声も音も出さずに振り向かせることが出来るのは、当たり前だと思っていた。
そして、それをする時も、決して、頭の中で「振り向け」と言うのではない。
ただ、振り向くことを期待するだけである。

しかし、どうしても、「非言語で願う」感覚が分からないなら、こうすれば良い。
願いがイタリア旅行とする。
それなら、まず一度、頭の中で(口に出したり、紙に書いたりしても良い)、「イタリア旅行に行く」と言い、その感覚を覚えるのだ。
覚えていないと思っても、もう願いは分かったし、実際はその感覚を覚えているので、それをただ、願えば(期待すれば、求めれば)良い。
その願いの想いを込めて、笑顔やガッツポーズをすれば良い。

分からないところがあれば、ご質問をどうぞ。
多分、個々に、あるいは、すぐには答えないが、よく考えて、改訂版を出そうと思う。
その意味、質問は歓迎する。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。






最新コメント
月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
【広告】 Udemy
IT学習
タグクラウド
QRコード
QRコード