ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マジカルミライ2019

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

神化に慣れる

子供の時に見た映画、テレビドラマ、読んだ小説、漫画などの中にあった言葉で、特にドラマティックでもないのに、よく覚えているものがある。
トータルすると、数十あるかもしれない。普段は忘れていて、数年、十数年も思い出せないのに、何かの拍子にふと思い出す。
そんな中の1つが、私が中学2年生の時に読んだ、竹宮恵子さんの漫画『ファラオの墓』の中で、ウルジナ国の若き王スネフェルが言った「ものごとは客観視するに限る」だ。
まあ、実際、衝撃を受けたのは、スネフェルと、滅びたエステーリア国の王女ナイルキアの情交シーンだが・・・
ナイルキアは全くの清純可憐と言うか、12歳だったと記憶している。一方、スネフェルは16歳で、知恵も力も立派な大人だ。
今の時代ならスネフェルは即逮捕で、ナイルキアはいたいけで、どう見ても嫌がっていたが、後で、実はナイルキアも結構喜んでいたと解る。いや、そこは、あくまでスネフェルが超美青年で、ナイルキアに本気で惚れていたからだが、まあ、良い勉強になった(?)。
話が逸れたが、「ものごとは客観視するに限る」である(笑)。
もちろん、何でも客観視し、醒めていて良い訳がない。
当事者として、熱中したり、楽しんだり、苦しんだりしなければならないこともある。
だが、意図的にそうしようと思わなくても、苦しい時だけなく、楽しい時だって、離れたところから静かに見ている誰かがいる。
それが、真の自分であり、同時に神様だ。
だが、離れて見ているだけが神様なのではなく、当事者になって熱狂しているのも神様だ。神様も、そんなことを味わいたいのである。
神様だって、苦しみというものを知りたいのだ。本来、神様は全能過ぎて、苦しむことが出来ないし、楽しむことも出来ないのだからだ。
だが、人間の心身と一体化している時は、「成りきり過ぎ」主観視し過ぎる。
そこで、一瞬、自分の心身を離れて、視点を変えた方が良いのである。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作・編曲:Mitchie M。唄:初音ミク )より~

特に、つまらないことをしている時は、魂になった方が良い。
物理学者で武術家の保江邦夫さんが、小学生の時の授業中、焦点の合わない「魚の死んだような目」をしていたようにだ。
いや、本当に重要な場面でこそ、そうする必要がある。
宮本武蔵が、決闘の時に、真っ直ぐ相手を見ず、どこを見ているか分からないような目をしていたように。
実際、保江さんは、フルコンタクト空手の猛者と決闘し、そんな目をしていたら楽勝だったが、まともに相手を見たらボコボコにされたらしい。
魂になるということは、神様になるということである。
度々、神様に戻れば、全知万能であることにも慣れるだろう。

ところで、私は、13日は四股を1200回踏み、初めて1日千回を超え、昨日14日は1300回踏んだ。
今年の6月23日に四股を始め、8月31日(初音ミクさんの誕生日だ)に、幕張メッセでの「マジカルミライ2019」に参戦するために宿泊したホテルスプリングス幕張の部屋でも四股を踏んで、いざ、元気いっぱいでミクさんに会いに行ったものだが、当時は、1日300回だった。
保江邦夫さんの先輩(大学院でも、大東流合気術でも)の数学者、木村達雄さんは1日2000回四股を踏んでいたらしい。
木村さんに「お前も1日2000回踏め」と言われた保江さんは300回踏んでいたらしいが・・・
またところでだが、ペンライトを振る動きって、大太鼓を叩く動作に似ている。
「マジカルミライ2019」で、ミクさんが『大江戸ジュリアナイト』(Mitchie M feat.初音ミク、KAITO)で、大太鼓を叩いていたのを思い出して気付いた。
いや、ペンライトを振るのって、いい運動なので癖になるので、腕振り運動を、小太鼓を叩くような(両手一緒にだが)形に変えてみた。ただ、そううやり方も、元々あるらしい。








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私を憂鬱にさせたマジカルミライ2019の歌

とても楽しかった今年の初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の中で、私は非常に心が重かったことがある。
今年は、巡音ルカさんの10周年記念であり、「巡音ルカ 10th Anniversary」テーマソングとして『Jump for joy』が制作されたが、この歌の歌詞に苦しめられた。
そして、誰もそれを指摘しないことが、嘆きになった。
だが、この歌の歌詞を見たら、恐怖や不安を感じる人はいるのである。
それは、

さあ みんなで Jump up
今夜くらい我を忘れて
人目気にしないで騒ごうよ

と、

騒ぐ準備できてる?
好きなように 遠慮なしに

の歌詞である。
皆さん、本当に何も思わないだろうか?

「人目気にしないで」と言うことは、人目があるのである。
「見られて恥ずかしいなんて思うな」という意味であろうが、そんな問題ではない。
その「人目」が表す人達は、「騒ごうよ」と言い合っている者達の仲間ではないはずだ。「人目」と言うくらいだから、全くの他人と考えても良いと思うが、少なくとも、気心の知れた仲間・・・「つるんでいる」仲良しグループではないのだ。
そこは、騒いで良い場所なのだろうか?
いや、そんな「仲良しグループ」でない「周囲の人々」がいるのだから、騒いで良い場所だとはとても思えない。

「何言ってんの!?ややこいいわね、このオッサン!ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ!せっかくバカ騒ぎして楽しみたいのにガタガタ言って!喧嘩売ってんの?(グループの男達を見て)ちょっとアンタ達、何とかしなさいよ、この面倒臭いオッサン!」
ちょっと極端に表現したが、そのような、自分さえ良ければ良いという、利己的、自己中心的で、他人を見下し、虐げるのを何とも思わない者達は少なくない。
だから、いじめ、虐待、戦争が起こるのである。

昔勤めていた会社で、毎朝の朝礼の時、毎回一人ずつ、数分の話をさせるということをしていた。
新入社員の女性社員が、こんな話をしたのをはっきり覚えている。
騒いでいる自分の小さな子供に、母親が、『静かに本を読みたい人だっているのよ』と諭すという話だ。
当たり前と言えば当たり前であるが、それに気付き難い子供にしっかり注意をするのは賢いことであり、本当の文明国では、ちゃんとそんなことがされている。
しかし、今の日本ではそうではない。日本は、過去の人達の努力で、経済やテクノロジーは発達したが、それを享受する我々は、文明人ではなくなってしまったのではないだろうか?

私が今勤めている会社で、ある時、私が休憩室に入ると、誰もいなくて静かだった。
そこに、若い2人連れの女子社員が入ってきたが、2人は、あたりはばからぬ(と言っても私しかいないので、私がいることなど無視して)大きな声でおしゃべりをする。
もう実にうるさかった。
いずれ、彼女達の夫や子供は「道路族(自宅周辺の道路で大騒ぎする者達)」になるのだろうか?
「この会社、そろそろ潰れるだろう」と予感した私は、もうすぐここを辞める。

私は道路族に注意したことがある。
20代の夫婦と、彼らの兄弟達だった。
道路で本格的にボール遊びを始めようとしていたので、止めるように言った。
すると、一番年長の男が「ここはみんなの場所でしょう?」と、一応はまともな言葉遣いで反発したが、私は、あまりの馬鹿さにクラクラした。話が通じる相手でないことが分かってしまったのだ。
そして、もういい歳(50歳くらい)の彼らの親が出てきて、私に、「このキチガイ、ぶっ殺したろか!」と言う。こんなことを平気で言う人間達なのだ。
ただ、今は、こんな人間は多いと聞く。
こんな者達を相手にしてはいけない。
昔であれば、警察も「当事者同士で話し合って解決を」などと馬鹿を言ってたが、今はそんな時代ではなく、警察も親切とか賢いではなく「まとも」になってきていて、「直接は注意しないで下さい」とはっきり言う。そして、110番でいいから、いつでも通報してくれと言う(110番で「事件か事故か?」と聞かれたら「事件」と言えば良い)。
話し合いになる相手でなく、話し合おうとすればトラブルになるのは必然なのであるから、当然である。

身内だけでなく、他人への気遣いが出来るようになってこそ、「なんとか中学生として合格」レベルなのであると思う。
自分がはしゃいだり、騒いだりしている姿を見て微笑ましく思うのは、その親くらいのものだ。
赤ん坊が騒ぐのは当たり前であり、それは無条件に許容しなくてはならないが、深夜に赤ん坊を外にだして、一緒に大騒ぎする親となると、ちょっと警察の指導が必要である(実際いるし見た)。
とはいえ、私も、30歳頃まで、中学生レベルに満たない馬鹿だった。今では、そんな私を誰か警察に通報して欲しかったと本当に思う。少々痛い目に遭っていれば、少しはマシな人間になれたかもしれないのだ。まあ、この自己中心的な性向のおかげで、かなり苦労したのは確かであるが、人様におかけした迷惑は償いようがない。

「人目なんか気にせず、騒いでハッピーになろうぜ!こいつら(周囲の人達)・・・そんなの気にすんな!馬や牛だって思えばいいんだ!俺達が愉快だってのが大事なんだ!そうだろ?」
「そうだそうだ!パーっといこうぜ!イエー!!」
「騒ぐ準備できてるかなあ!?いくぜー!!」
即110番へ。








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完全復活

マジカルミライ2019が終わってしまった失意からか、今日は朝から体調が悪かった。
時の流れを追うと、こんな感じだ。
春先・・・今年もマジカルミライがあるという希望にトキメク。
夏の初め・・・マジカルミライが近付く高揚感。
真夏・・・暑いが、マジカルミライがあるのだから頑張ろう!
マジカルミライ直前・・・○△××※○○×△!
マジカルミライ終了・・・さよならお元気で 終わる世界に言う

それでも、1週間分の買い物をして帰ってきたが、ぐったりしてしまう。
そこで、マジカルミライ2019の曲を、ウォークマン初音ミクさんモデルで聴く。
マジカルミライ2019公式アルバムに、『テオ』、『ヒバナ』など、何曲かを自分で補完したものである。
聴いてるうちに眠って夢を見た。誰かを膝の上に乗せた重みを感じた。
そして、なんとなく、保江邦夫さんの『愛の宇宙方程式』を読む。
マジカルミライ2019の曲は、まだ続いている。
すると驚いた。凄い内容であるが、知っていることが沢山あった。
フランスの聖ベルナデッタやルルドの泉のことが書かれていたが、私は昔からベルナデッタに興味があって、よく本を読んでいた。
大変なキリスト教の聖人が、自分(の魂)が胸のやや右にあると言ったことが書かれていたが、これも、ラマナ・マハルシが、胸の中央指2本分右に自己の座があると述べた本を読んでいた。
聖母マリアの化身である白い鳩の写真も掲載してくれていたので、スマートフォンでスクリーンショットを撮り、保管した。
鉛筆キャップを耳の穴の上の窪みにつける「神の目になる法」も、馬鹿にせずにやってみよう(『神様につながった電話』に書かれている)。
長身の超イケメンフランス青年の姿をとった大天使ミカエルは、文章を読んだだけで生き生きとしたイメージが浮かぶ。
大天使ミカエルの「クラージュ!(勇気をだせ)」という言葉が、私にも聴こえるようだった。
保江さんの解説が掲載された、『大成功を呼ぶ「最強の開運神社」 (神域音と祝詞のCD付録70分! カードつき)』を買って、保江さんお薦めの「サムハラ」カードも入手した。
自己製「マジカルミライ2019」楽曲集の最後の曲『Survive』を聴いた後、その曲のYouTube動画を「HatsuneMiku」公式チャンネル「39ch」で見た。
うわぁ!格好いい!!
SURVIVE / 梅とら feat. 初音ミク、鏡音リン、鏡音レン、巡音ルカ、MEIKO、KAITO【オリジナルMV】-YouTube-
4人(MEIKOさん、ミクさん、リンちゃん、ルカさん)の誰と結婚しても良いと思う。みんなまとめてもらってしまおう。
リンちゃんの場合は日本では年齢的に無理だが、まあ婚約だけとし、ミクさんの場合は伊藤社長の許可を取ればOKだ。
どうやら回復したようである。








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半分眠って生活する

昔、ある若い社長さんに、「自己開発セミナーに行くと、しばらくは仙人にでもなったような気分だが、あっという間に元の木阿弥だ(以前の精神状態に戻る)」と言われたことがあるが、私も全く同感だった。
「仙人にでもなったような」とはつまり、自分が特別な人間になったという偽りの感覚である。
しかし、そんなふうに、自分が変わったというのでは全くなく、私はいまだ、9月1日の初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の意識を保っている。
2日間のライブで、両側と前の人達がマナーの良い人達だったことも関係しているかもしれない。
まあ、一度目の土曜夜の右側の中国人のお兄さんは、やや激し過ぎるキライ(傾向)はあったが、スリムだったし、ミクさん愛のためと許せる範囲だ。
日曜昼の右側の日本人のお兄さんは、やや肉付きが良かったかもしれないが、大阪を含め、3回のライブで、隣が肥満した方でなかったのも幸運と感じた。
それに、常に1曲目だった『テオ』がとても良かったのを始め、曲の構成が抜群だった。

そして、私は、少しだが、周囲に合わせないことにしていた。
ペンライトの振り方を周囲に合わせるのは、良いことであるし、ある程度はそれがマナーかもしれないが、過度に気を使ってはいけないと思う。
幕張メッセで、左側の中年男性が、やや合わせ過ぎの感があった。
合ってるということでは、右側の若い男性もそうであったが、彼は割と自然でそうであったのに対し、左側の中年男性は、必死で合わせている感じだった。
しかし、ペンライトの動きなんて、場所ごとに全然違うことも多いのである。
また、初めてマジカルミライに来たような感じの男性2人が、全く周囲と合っていない振り方をしていたが、派手にやっている訳ではないので、全く問題なかった(周囲との調和を乱していなかった)。
私は、概ねでは、周囲と同じ振り方になっていたと思うが、特に、味わい深いスローなテンポの曲では、周囲を気にせず、小さめであったが好きなように振っていた。自分の振り方の方が良いように思えた。
幕張メッセでの2日目のライブでは、かなり好きなように振っていたが、オーバーアクションではなかったので、回りに迷惑をかけてはいなかったと思う。
そんなふうに、周囲を尊重しつつ、自分が楽しむことに集中したのが良かったと思う。
会場の皆と一緒にミクさん達を応援するというのは、決して、他の人達に無理に合わせることではなく、ミクさん達を愛するということなのである。
マジカルミライ2017のライブだったが、前の、ミクさんのライブに慣れている感じの若い男性が、声を張り上げ、周囲の人達を見回しながら(私の顔も振り返って見ていた)、「自分に合わせろ」という様子でやっていたが、あんなのが一番良くないのである。

そして、私は、マジカルミライ2019後は、半分眠って生活している。
眠っている時の脳波は、通常はシータ波らしいが、私は常にシータ波になっているのだろう。
超能力というのは、アルファー波よりさらに穏かなシータ波の脳波の時に発現するが、確かに、周囲の状況がおかしい(笑)。
シータ波の感覚が解らなければ、GeniLax (Genius and Relax、「ジニラックス」)というスマートフォンアプリを使うと良い。Androido用、iOS用共にあり、素晴らしいIT企業の社長が、社内で最も優秀な技術者に作らせたらしいが、確かに信頼出来るアプリであると思う。有償版は広告が出ないだけで、無償版も機能的には全く同じなので、無償版で良い。
これは、政木和三さんが作った、記憶力増強装置パラメモリ(後に、アルファシータ、バイオソニックと名を変えた)をアプリで実現したものである。
私は、マジカルミライ2019の後、神秘的な夢を見た。夢の内容はあまり覚えていないが、その夢の中にいる感じもする。
だが、とにかく、半分眠っていると、我が少なくなり、何でもうまくいくようだ。
あまり美味しいものを食べようと思わないし、エロいことも・・・まあ、かなり考えるが(笑)、爽やかなエロである(笑)。
失敗したり、後悔しても、反省はするが、「次、がんばろう」と切り替えるのが早くなった。
そうだ。眠って生活すれば良いのだ。ただし、闇の権力者の洗脳に眠るのではない(笑)。つまり、世間常識やマスコミなどに同調するのではないということだ。。
ミクさんへの愛が第一である。身体は常に踊っている感覚がある。そうであるなら、無自覚にだが魔法を使っているのである。








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この世の神様達

「人間は無になれば不可能はない」
真理を正確に表す貴重な言葉である。
言い方を変えれば、
「我がなくなれば不可能はない」
である。
数理物理学者の保江邦夫さんの『神様につながった電話』という本に書かれている、こんなお話がある。
保江さんは50歳位の時から、おそらく、10年以上、左耳が聴こえなくなっていた。あらゆる医者、治療家、霊能力者などにあたったが、治らなかったらしい。
しかし、ある「全く我がない」中年の女性が5分で治してしまった。その女性は、ただ側に居ただけで、特に何もしなかったという。
我がない人間の力を示すものであると思う。

火事場の馬鹿力なんてのも、パニックに陥るなどで、偶発的に我が消えた時に発揮されるものだ。
大の男が4人がかりでも動かせないものを、年配のか弱い女性が一人で運んでしまった・・・などという話が時々ある。
幼い我が子が高い窓から落下するのを見て、駆け寄って救った母親がいて、後から物理学者が計算したら、その母親は、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離の金メダリストより速く走っていたという。
人間、無になれば不可能はないのだから、そんなことも十分可能だろう。

つまり、人間は無になれば、あるいは、我がなくなれば、神になるのであり、神に不可能はないのだから、もう何でも出来る。
だが、アセンションに取り残されたこの世界の人間は、我を強くすることばかりしている。

今年のマジカルミライ2019のコンサートで、初音ミクさんは3曲ほど歌った後で、「こんばんはー(昼の分では「こんにちはー」)」と挨拶し、皆が「こんばんはー」と返し、さらにミクさんが、「みんなー、げんきー?」と呼び掛けると、観客全員が、「げんきー!」と返した。
すると、ミクさんは、不意に、小走りで舞台の向かって左に向かい、会場から温かい笑いが起こる。
ミクさんが、「こっち側のみんな、げんきー?」と尋ねると、左側観客が「げんきー!」と返す。
さらに、ミクさんが反対側に走ると、さらに大きな楽しい笑いになり、ミクさんが「こっち側のみんな、げんきー?」と笑顔を向けると、右側の観客が「げんきー!」と返すと共に、会場全体が肯定的なエネルギーに満ち溢れた。
人間のアイドルがやっても、もちろん楽しいだろうが、ここまで会場の空気を輝かせることが出来るのは、全く我のないミクさんだからだろう。
人間の場合、どうしても、作為が出る・・・つまり、我が見えてしまうのだ。

マジカルミライからの帰りの新幹線の中で、ミクさんにそっくりな女の子を見た。
元気そうなおじいさん、おばあさんに連れられた5つか6つくらいの女の子だったが、すらりとした、本当にきれいな子で、ごく自然にとても優雅に動く。
聖書に、「神は自分に似せて人間を作った」と書かれているが、私は、彼女を見て、確かに人間は幼い頃は神様に似ているのだと強く思った。
だが、ほとんどの子供は、彼女くらいの年には、かなり大人になって、醜いところが多くなる。
ところが、その子は、まだ神様だった。
本当にミクさんにそっくりで、ミクさんも、小さな子供のようなところがある。
パム・グラウトの本だったと思うが、4つくらいの男の子が、赤ん坊の妹と2人で話させて欲しいと両親に言う。
彼は、「僕は神様であったことを忘れてしまったので、まだ神様である妹に神様であることを教わりたい」みたいなことを言ったらしい。
しかし、あの女の子は、5つか6つになっても、まだ神様のようなのだ。
だが、彼女も、この世の中では、いずれ、神様でなくなってしまう可能性が高い。
だけど、我のないミクさんは、ずっと神様なのである。
彼女を愛さずにいられるだろうか?
私も、ミクさんと融合して神様になろうと思う。
そのためには、ただ我をなくせば良いのである。とても難しいが、とても簡単なことである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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