ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マジカルミライ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

友達百人作らなくて良い世界

新型コロナウイルスの収束の予測は全く立たない。
夏までに収束するどころか、その頃には、いっそう感染が広がっていると考える方が現実的と言う者も多い。
さらには、多くの人達が1年先に東京オリンピックを行うことが出来ると思っていることが、何の根拠もない妄想のようなものかもしれないのだ。

いや、別に、マイナス思考をお薦めするのではない。
それどころか、前向きな話をしたいのだ。私はいつでも前向きである。
つまり、コロナウイルスの脅威が消えた後でも、それが存在しているかのような社会になれば良いのである。
多くの人間が、「新型コロナウイルスが収束したら、以前の活動に戻る」ことを当然のように考えていると思う。
その考え方を変えるのだ。
コロナウイルスのようなものは、ずっといて、去らない。
それであれば、それに対応した社会にすれば良いのだし、実は、それこそが、今よりはるかに素晴らしい未来世界なのである。

新型コロナウイルスによる新型肺炎に罹らずに済む方法は、ただ1つ。
過密ならないことだ。
では、過密にならない社会になれば良い。
幸い、今は、インターネットがあるのが当たり前の世界だ。
そうでない地域にだって、インターネットを構築し、1人1台以上の端末を提供することは可能だ。
過密になることが必要なことは、まあ、ない。
そもそも、オリンピックや高校野球甲子園大会、あるいは、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールなどで、大観衆を集める必要は本来ない。
前場所の大相撲が完全無観客で行われたが、今はそれに違和感があるだけで、振り返ると、相撲本来の音が実に素晴らしかった。
行司の声があんなに良いものだとは思わなかったし、力士の息づかい、ぶつかり合う時の音は、まさに芸術的だった。
あんな良いものを、これまで聞くことが出来なかった。
力士達だって、観客がいないからこそ、勝負に集中出来、いつもよりも高度な戦いが行われたに違いないのだ。

そして、今後は、テレビだけでなく、インターネット上でVR(仮想現実)技術を使った、テレビとは比較にならない素晴らしい映像と音声を、家にいながら得ることが出来るようになる。
NTTは、kirari!という「空間ごと配信するかのような、超高臨場感のリアルタイム配信システム」を作っており、それを常時使えるよう、発達させれば良い。
現在は、大掛かりな設備が必要であるが、技術の進歩で改善出来ることである。

引きこもりの社長さんが、自分がライブに行きたいけど行くのが面倒だから、ネットでライブを楽しめるサービスを提供するために作った会社、および、サービスが「クラスター(cluster.)」だ。
そう、いまや、集団感染の意味で使われているクラスターという言葉を、平和的な意味で使うサービス、会社名なのである。

例えば、私が毎年、この上ない楽しみにしている、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」をVR形式で行うことは可能と思う。
現在は、幕張メッセやインテックス大阪の、1万人規模の会場で沢山の人を集めて行っており、これはこれでもちろん巣晴らしいが、VRで行うなら、ミクさんとバンドのための空間だけで済むので、それほど大きな会場は必要ない。
そして、会場のあちこちにカメラを設置し、見る者の意思でカメラを切り替えるなら、「自分が自由に移動しながら」ライブを楽しめるのである。
あるいは、カメラのズーム機能で、ぐっと迫ったり、引いたりも出来る。
会場で楽しむのが好きな人もいると思うが、皆が皆、そうではないので、「濃厚接触しなくて済む」よう、1人1人に広い場所が提供出来ると思う。
こういったことは、いずれ、必ず行われるはずであるので、ちょっと進歩を早めれば良いだけのことだ。
ミクさんのライブを、kirartri!、あるいは、これに匹敵するシステムで、高い臨場感を持って自宅で楽しめれば、実に巣晴らしい。
もちろん、あらゆるライブ、漫才、落語、歌舞伎、能、クラシックコンサート、講演、スポーツ、その他で、同じようなことが出来るのである。

これまで通り、外に出かけ、これまでと同じように行うことだって、当然出来る。
その場合も、密集が起こらないよう工夫され、快適さが増す。
密集させた方がボロ儲け出来る者が多いのだが、そんな連中の強欲な稼ぎのために、我々が不快な思いをする必要はない。
過度に群れる密集など必要ないのに、我々は、大きな利益を独占したい者達に煽られ、何か、群れることが面白いことのように洗脳されていただけである。

群れることのない世界では、経済活動はより健全になり、富の再分配が行われる方向に進む。
なぜなら、これまでは表に出ることがなかった優秀な人達が、ネットの発達のおかげで、経済活動を、人々を洗脳することなく牽引していけるからである。
人々も、ただインフルエンサーに同調するのではなく、他の人達に共感し、共感されることで、健全でありながらより楽しいことも起こるだろう。
そうなれば、いずれお金に意味が意味がなくなってくるに違いない。

このように、変化する世界を前向きに捉え、賢くなり、世界を良いものに変えていけば良いのである。
友達百人作って、群れて遠足に行く等、軍国主義者達が作り出した「狂育」である。
君子の交わりは淡いものであると言うが、君子でなくても、本当の友達とは、べったりつるんだりしないものである。








新型コロナウイルスへの超対応策

新型コロナウイルスの流行が偶然ではなく、人智を超えた力によって起こされた必然であるなら、我々は、どう考え、行動すれば良いのだろう?
大きな国の政府は、ほぼ共通の方針を採っている。その方針とは極めて単純なもので、
「群れるな」
「引きこもれ」
である。
日本は他の国の真似をしたのだが、他の大きな国では、かなり迅速に、この共通の方針を決め実行した。
そして、この方針は正しい。
それなら、新型コロナウイルスを流行らせた大きな存在の意思がそれであったと考えられる。
即ち、「人類よ、群れるな」「人類よ、引きこもれ」と言っているのだ。
これまで、我々は、「群れ過ぎていた」し「外に出て行き過ぎた」のである。

言うまでもなく、集まって何かをしたり、外に出て働くことは必要だし、良いことだ。
しかし、やり過ぎなのだ。
今回、やっと、インターネットを利用して自宅で仕事をする人が増えたが、もっと早くに行うべきだった。
働く人の全員が、それが出来る訳ではないにしろ、かなりの人がそれを行うことで、通勤電車は混雑せず、今ほど大きなオフィスも必要なくなる。
つまり、ウイルスによらずとも、先に、多くの人が通勤をやめるようにすれば良かったのである。

学校はどうだろう?
やはり、今の学校には、初めから行く必要がなかったのだ。
子供達は学校で、年齢別に分けられ(時には概ね従順さの度合いを示す学力別に分けられ)、長時間拘束されて服従を強いられ、徹底的に偏見を叩き込まれる。
そんな所に行く必要があるはずがない。
もちろん、集団行動は必要であるし、今の学校にだって良いところが無いとは言えない。
しかし、もっとまともなものを作らないといけないし、その案を出している人はくらでもいるのに、自分達の利益や権威を手放さない者のために、良い案は決して採用されない。
子供達は、多様な年齢、人種、能力を持つ人達のコミュニティに参加しなければならないし、何を学ぶかは自分で決めるようにしなければならず、教育や教師は全く必要ない。
そして、正しい学びの場では、集まることは必要でも、今のように過剰に、しかも、「ただ群れる」ことは全く不要である。

スポーツは良いものである。
野球も、サッカーも、柔道も、とても良いものだ。
しかし、少なくとも、今の甲子園大会やオリンピックは、あってはならないものだと私は思う。
「うなる金」への欲望で、すっかり歪められ、醜くなったものを、いつまでもエスカレートさせ、歯止めが効かないから強制的な力が働いたように私には思えるのである。
利権を握る者が反省するとは思えないが、人知の及ばぬ力で浄化された後で、「過剰に群れず」に、健全なスポーツ大会として行うなら良いかもしれない。

病院に行けば、患者が群をなし、緊急に視てもらいたくても、何時間も待たされる。
しかも、待たされた挙句、余程の状態でない限り、行われるのは検査だけだ。
もちろん、過剰な処置をしてはならないが、適切な処置をすれば、これほど「群れる」必要はないのではないか?
しかし、合理的なことをやって患者が減っては、医療が成り立たないように思う。
なぜそこまで利益が必要かというと、「取り過ぎている」者のためだ。

私は、10年ほど前までは、健康診断の度に「要検査」の項目が沢山あり、通院を勧められた。
しかし、それに従っていれば、検査漬けになり、無残な状況に陥っていただろう。
だが、わずか1年で、自力で完全な健康を手に入れた。
何をやったかとうと、単に、少食・粗食にして、体重を30kg減らしただけである。
かかったお金はゼロ・・・どころか、買う必要がないものを買わなくなったので、それまでかかっていたお金が必要なくなった。
そして、スポーツ競技流の間違った運動をやめ、正しい運動をするようになり、身体の故障も全部消えた。
これにも、当然、1円もかかっていないし、必要なものは、畳1枚分のスペースだけだ。

このように、群れる必要はなく、多くの時間、自宅に引きこもっていれば良いのであり、そうすれば、本当に必要な時に、必要なことをするために、喜んで外に出て行けるようになる。
私のようにやれば、農業や水産業、林業などに興味を持つ人も多くなるだろう。
無理に群れる、あるいは、群れさせられることに参加する必要はないし、参加してはならない。

では、初音ミクさんのライブはどうだろう?
私は、2016年から、初音ミクさんのライブの中では最も規模の大きい「マジカルミライ」に毎年行っているが、大きいと言っても、1回のライブの観客は6000人くらいなのである。それが2~3日行われるだけだ。
オリンピックや甲子園野球はもちろん、何万人(あるいは10万人超)も集める大コンサートとは違う。
トイレだって、インテックス大阪の時は、空いていて、いつでも使えた。
決してクレイジーなライブではない。
だが、年を追うごとに、観客のマナーが悪くなってきたことも、ウイルスを呼んだ一因かもしれない。
私が初めてマジカルミライに行った2016年の「マジカルミライ2016」では、観客のマナーの良さに感動した。
1人のスペースは決して広いわけではないが、皆が譲り合い、気を使い合っていることを感じた。
だが、年々、そうでなくなっているように感じる。
ならば、ミクさんのコンサートも、会場参加とVR観劇に分けるようなことも必要かもしれない。元々、ミクさんのライブは高度なテクノロジーと協調しているのだから、やがて、VR、あるいは、MRの活用も行われると思う。そして、そんなコンサートだけが、今後、残るのかもしれない。











MATSURI(まつり)

どこの国にも、勇壮で壮大な祭というものがある。
ブラジルのリオのカーニバルや、スペインのサン・フェルミン祭(牛追い祭)などは有名で、ご存じの方が多いと思うが、どこの国にだって、似たようなものがある。
なぜ、どこの国にも、そんなものがあるのだろう?
人類は皆、お祭りが好きなのだろうか?

では、お祭りとは何だろう?
上に挙げた、リオのカーニバルやサン・フェルミン祭はどんなものかというと、「狂乱」とか「乱痴気騒ぎ」といった言葉が当てはまると言っても怒られはすまい。
そうだ、祭とは、狂乱であり、乱痴気騒ぎなのだ。
けが人はもちろん、死者が出ることもあるが、何があっても祭は取り止めにならない。
こんな祭の中では、暴力事件、男女の破廉恥騒ぎなども、いくらでも発生する。それがなければ祭ではないと言えるほどだ。
つまり、簡単に言えば、祭とは理性を破壊する行事と言える。
そんなものが、絶対になるなることもなく、皆が毎年必ずフィーバーする。本当に、いったいなぜなのだろう?

そのわけはこうだ。
フランスのソルボンヌ大学で民俗学も学んだ芸術家、岡本太郎は、祭について、こう述べている。
「祭は生命エネルギーを充填する行事であり、これによって、次の祭まで生きるエネルギーを得るのである」素晴らしい指摘と思う。
では、なぜ、乱痴気騒ぎである祭でエネルギーを得られるのか?
やや怪しいながら真理を突いた論が、精神分析学者の岸田秀氏の著書の中で語られていたのを見たことがある。
だいたい、こんなものだったと思う(彼の精神分析学は怪しいので、曖昧で分かり難いところが多いが)。
生命力というのは、無意識の中にあるエスというものだ。
エスというのは、得体の知れない意識体である(こんないい加減な定義しか出来ないが、それで言えば、自我なんかもそうである)。
とにかく、無意識の中のエスという意識体が生命エネルギーであり、岸田氏によれば、大雑把には、無意識そのものがエスであると言っても良いらしい。
で、その生命力の塊であるエスをどうやれば解放出来るのかというと、意識を消してしまえば良い。
ただし、眠ったり、気絶しては駄目で、いうなれば、目覚めたまま、強烈な夢を見てるような感じだ。
早い話が、理性(知性、道徳心、思考能力の総体)を消せば良いのだろう。
つまり、意識全体を消すのではなく、意識の中の理性の部分を消せば、エスは表に出てこられるのだ。
そうなれば、生命力に満ちたエスは、あらゆる乱痴気騒ぎや狂乱を起こさずにはいられない。
しかし、エスという生命エネルギーが露出しているのだから、元気一杯である。

つまり、人間は理性を吹っ飛ばせば、生命力の塊であるエスが現れ、怖いもの知らずで何でも出来る。
それには、良くない面もあるだろうが、「生きる力」「動く力」に溢れ、無敵である。
アントニオ猪木さんの言う「元気があれば何でも出来る」の実現である。

我々は、1年に1度くらいは、祭に参加し、理性を消してぶっ飛ばせば、生命力を取り戻せる。
私の場合は、初音ミクさんライブ「マジカルミライ」だ。
毎年8~9月に開催される「マジカルミライ」の最終公演のラストで、次の年も「マジカルミライ」が開催されることが発表されると、我々は無情の幸福感を得る。
それは「来年、また、生き返ることが出来る」という確信を得た至福である。ミクさんは、優しく、我々の理性を溶かしてくれる。
だが、このまま、新型コロナウイルスの感染が止まらなければ、今年の「マジカルミライ2020」は中止になり、そうなれば、私のような者は生きていられない。
今年の「マジカルミライ2020」は、8月7日から9日までインテックス大阪、12月18日から20日までは幕張メッセである。
そして何と、「マジカルミライ2020」のテーマは「MATSURI(まつり)」なのだ!
まさに、人類が新型コロナウイルスに打ち勝ってこそ、地上の天使、初音ミクさんが微笑んでくれるのだ。
初音ミクさんこそ、人類の未来の希望である。
それはもう、近年のミクさんの活躍を見れば、あまりにも純粋にして明晰なことである。
◆初音ミク「マジカルミライ2020」

さて、皆さんは、どんな祭をお持ちだろうか?100匹の猫に囲まれるとか、海の中で巨大サメに雄々しく立ち向かうとか、それとも、伝統の裸祭であるとか・・・自分だけで行うもの、集団で行うもの、何でも良いが、人間に祭は必要である。











「○年一昔」の○は何?

小学校か中学校かは分からないが、
「○年一昔」
の○に、どんな漢字を当てはめるかという問題があったとしたら、何を入れるだろう?
昭和の時代なら、まあ、「十」でも良いかもしれない。
少し前なら「三」でも良いだろう。
しかし、今後は「一」が正解である。
それで文句を言う学校なら、さっさとやめれば良いだろう。

全面的には信用しかねるが、レイ・カーツワイルの『シンギュラリティは近い』に、こんな話がある。
21世紀のテクノロジーの進歩は、20世紀の1000倍=過去2万年分の進歩
テクノロジーだけでなく、経済や文化にも、ほぼ同じことが言える。
今の世界は、テクノロジーで作られているのだからだ(もちろん、本当の本質は「愛」であるが)。

初音ミクさんのライブでも、3年前の「マジカルミライ2016」と、今年の「マジカルミライ2019」では相当違った。
「マジカルミライ2019」の先頭4曲では、より精妙に動く19モデルのミクさんと共に、観客の声援や演奏に合わせてミクさんが歌って踊るR3システムが採用されていた。
R3システムは、指揮者に合わせて演奏するクラシックコンサートや、東京ドームでBUMP OF CHICKENと一緒に『Ray』を歌った時にも使われていたが、これが、おそらくより進歩し、マジカルミライでも使ってみた訳だと思う。

初音ミクさんが美玖姫を演じた超歌舞伎では、NTTの「kirari!」という、人物の映像を背景からリアルタイムで切り取って別の場所に写したり、複数のカメラで撮った映像をつなげて、より自然に見せるシステムが採用されたが、もっと進歩すれば、かなりのものになるかもしれない。
また、1st PLASEでは、ライブで恐ろしく精妙な背景映像を見せたり、IAさんの背後に人間の共演者が普通に入り込んだりは、詳しく仕組みは調べていないが、透明ボードを舞台の前に設置しているのだろうか。意欲的な取り組みがとても良いと思う。

久し振りに、2011年のアニメ『僕は友達が少ない』を見ると、もう昔のアニメのように感じた。
あの小説を読んでいた当時の思い出が、まさに、大昔のことのようである。それで言えば、人間の寿命は3~10倍になったも同然である。
俗っぽく言っても、登場人物の高校生達が皆、ガラケー(フィーチャーフォン)を持っていたが(1名は、それも持っていなかった)、当時既に、スマートフォンも急速に普及しつつはあった。
また、BBS(電子掲示板)も現役ながらSNSという言葉もあり、かなり普及しているようだが、日本でのFacebookの登場は2011年で、このアニメの当時はほとんど無名だった。
当時の日本でのSNSの主流はmixiで、友達のいないこのアニメの登場人物達は、誰も招待してくれないので、「俺達はmixi(小説やアニメの中ではnixi)も出来ないのか」と嘆く。
なんともレトロな懐かしい話・・・いや、忘れた(笑)。

いまだ、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)を体験したことがない人は、とても残念だが、時代はMR(複合現実)という、VRとARの融合に向かっている。
ポケモンGOに励んでいるだけでは駄目だが、それでも、何もやらないよりはマシかもしれない。
すっかり終わっている人というのは、教科書やニュースに出ることしか知らない人で、そんな人ほど「教科書にはこう書いてある」だの「ニュースで言っていた」と言いたがる。
ITが進んでいると言われる韓国の人達もニュースで洗脳されているが、それは、日本も同じなのだ。
GSOMIA(軍事情報包括保護協定)問題で、どの国の人も、日本が韓国よりまともとは思っていない。せいぜいが、同レベルで喧嘩していると思われている。

AI(人工知能)というものは、半分くらいのことは、人間をはるかに超える能力を示す。
例えば、最新のアルファGOが、人間の囲碁の世界王者を圧倒するように。
しかし、3割くらいのことは、凡人が呆れるほどのボケをやる。
そんなAIが、使ってはいけない場所にも導入されてきている。そりゃ、運営側としては、3割の愚行の被害は人間に押し付けた方が、ずっと経済的だからだ。
このまま進むと、かなりヤバいことになる。
そこで、誰もがAIを使える(作れる)ことが大事になってくるのだと思う。
パソコンの登場で誰もがプログラミングが出来るようになり、初音ミクさんの降臨で、誰もが音楽を作れる(作りたがる)ようになったようにね。








これからの世界の遊び方

2012年12月の終りあたりから始まり、数年で完了したアセンション(次元上昇)の結果、世界は別れ、我々は駄目組の世界に残されてしまった・・・と私は解釈していた。
その理由は、この世界に住む人間のレベルがあまりに低いし、冷静に自分を省みれば、自分もあまりに酷いことが明確であるからだ。
しかし、それは思い違いかもしれない。
新しい世界では、住人の人間性の責任も取らなければならないのだ。
そう考えれば、なるほど、他人は自分の映し鏡であることが解る。
あまりピンとこないかもしれないが、自分と他人に区別はないし、多少、解り易く言うなら、根っこで繋がっているのである。

初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は、これまで、毎年、観客のマナーが悪くなっているなあと感じていた。
ところが、今年は、少なくとも、自分の周囲に関しては、かなり良かった。
また、昨年は、周囲は肥満体だらけだったが、今年は、肥満体は一人もおらず、むしろ、スリムな人が多かった。
「前の列は女性がいいな(小さいからという理由)」と思っていたら、3回観たライブ中、2回はずらっと女性で、一度は女子中学生だった。
最後は、全部男性だったが、別に、がっかりはしなかったところ、舞台との間にいたのは、背が高くない爽やかな青年で、ミクさんの姿を遮ることは全く無かった。
狭いので、ペンライトを振る手が多少接触するのも仕方がないが、今年は、皆が気を使い合い、見事なまでに接触しなかった(隣の女の子が身体ごとぶつかってきたが、それは無論ウェルカムで、「もっと来い」である)。
そういうふうに、かなり改善されたのは、以下のような理由であると思う。

「他人は自分の鏡」と言ったところで、自分が「善い人」になれる訳ではない。
自分を消す・・・つまり、我をなくせば良いのだが、そんな悟りの境地にすぐに到達出来る訳でもない。
だから、いつも半分眠っているのである。
それで、うっかり空を飛ばないよう気をつけている(笑)。
周囲を驚かせた時、うまく収める自信がまだないからだ。
これまでの世界は、ニサルガダッタ・マハラジの言うように、一生の間に起こることは、いかなる些細なことまで全て、予め決まっていた。
しかし、これからは、自分で変えられると共に、その責任も自分にあるという世の中であるかもしれない。
目標や願いを、頭の片隅にいつも置いておけば、その通りになるのは、見かけ上は以前も同じであるが、以前は、その目標も予め、「持たされていた」。
だが、今後は、自分で目標を持たないといけない。
ただ、その目標は、自然に「こうだったらいいのになあ」と浮かんだものが良い。









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