ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

マジカルミライ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

身体を回復させる神秘な力

「病は気から」と言うが、常にそうかはともかく、それは普通の人が思うより重大なことだ。

手塚治虫さんの『ブラックジャック』で、こんなお話があった。
大怪我をして重症の子猫を母猫が舐め続けるが、天才医ブラックジャックは、子猫を見て、「これはもう絶対助からない」と判断する。
ところが、しばらくしたら、その子猫が、母猫と一緒に元気に歩いているのを見て、ブラックジャックは驚愕する。
私は、この場面を印象深く覚えていたが、漫画でなくても、こんなことはよくある。

ある客船の中で、年配の女性が死に掛けていて、船内にいた医師は、助かる見込みはないと判断した。
医者の診断は絶対ではないが、「死ぬ」なんて診断を伊達や酔狂で出すはずがない。
ところが、この船に、大変な偶然だったが、この女性の数十年生き別れになっていた息子が乗っていて、息子がそのことに気付いて、瀕死の母親を励ましたところ、なんと母親は回復し、その後も長く生きたという実話がある。

このブログでも何度かご紹介した、帝国ホテルの有名なシェフであった村上信夫さんの戦争中のお話も忘れられない。
村上さんがシベリアで捕虜になっていた時、ある夜、ロシア兵に呼び出され、大怪我をして瀕死の状態になっている日本人兵のところに連れて行かれる。
村上さんがコックだと知っていたロシア兵は、「最後に何か食べさせてやれ」と言う。
村上さんが、その日本人兵に、「何を食べたい?」と聞くと、彼は「パイナップル」と言うが、そんなものはなく、あるのはリンゴだけだった。
そこで、村上さんは、リンゴを、砂糖を使ってフライパンでパイナップルのように料理し、日本人兵に食べさせると、彼は全部食べた。
そして、村上さんは、「もう二度と会うことはないだろう」と確信して部屋を出た。
ところが、しばらく経って、村上さんが収容所内を歩いていると、誰かに声をかけられ、振り向くと、何と、あの死にかけていた日本人兵だった。
彼は、「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようという気になった」と言った。

そうだ。自分が生きようと思えば生きられるし、病気も怪我もいくらでも治る。
私がそう実感したことがある。
昨年2016年9月11日の日曜日、午前4時過ぎに千葉県のホテルニューオータニで目覚めた私は、ゾクっとする寒気を感じた。
ひどい風邪だった。
兆候は昨夜からあったが、夜中に冷やしてしまい、最悪の状態だった。
本当に気分が悪く、頭は痛いのを通り超し、クラクラする。
しかし、昨夜に続く、2度目の初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2016」をキャンセルしようという気はさらさらなかった。
ライブの前の企画展は諦め(幸い、昨日見ていた)、時間ギリギリまで回復に努めたが、ほとんど効果はなかった。
ライブ中に1人倒れたくらいでは、ライブは中止にならないと思うが、回りに迷惑をかけるのは嫌だ。
いや、もし死んだら、本当にライブは中止になりかねない。
よし、死にかけたら、最後の力を振り絞って会場の外に出てから死のう・・・なんてマジで思いながら、一応の座席であるパイプ椅子に座っていた。
やがて、バンドが演奏を始めたのが分かった。
何かのスイッチが入るのを感じる。
立ち上がる。
第1曲目の『39ミュージック』の勇壮な前奏と共に聖霊が降りて来る。
ミクさん登場!
聖霊が私に入り込む。
身体は確かに苦しい。
しかし、もう楽しいだけで、2時間が一瞬で終わる。
私はエネルギーに満ち溢れ、世界征服に出かけようと思った。
これが熱情の力である。









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マジカルミライは後ろの方の席で見るべし

この前の土曜日と日曜日に、それぞれ一度ずつ、私は初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2017」を観たのだが、何だか遠い記憶のようだ。
私は、そのいずれも良席に恵まれ、土曜は先頭の中央ブロック、日曜は前から2番目の中央寄りブロックで、ミクさん達がはっきり見えた。
特に土曜は、最前列に近かったので、まさに間近だった。
ところで、昨年の「マジカルミライ2016」では、日曜日こそ、前から2番目のブロックの最前列で、これも中央に近かったのだが、土曜日は、かなり後ろの最も端から2番目だった。
ところが、この4回観劇した中で、どのライブが一番楽しかったかというと、「マジカルミライ2016」の土曜日の、最も悪い席で見たものだった。
それはもちろん、初めてマジカルミライを観たという感激もあっただろうが、それだけではない。
その席からはミクさん達は、直接にはほとんど見えず、ずっとスクリーンを見ていたが、その遠くに見えるミクさん達の存在感は大きかった。

前の方の席のお客さん達のマナーが悪いというのではないが、我が物顔という雰囲気の人は確かに多かったと思う。
それは、後ろの方の席の人達のマナーが良過ぎたので、そう感じるのかもしれない。
後ろの隅っこの席の人達は、席に合わせた訳ではないだろうが、ミクさん達への応援の熱烈さは変わらないとしても、どこか慎み深いのである。

私は、BUMP OF CHICKENの東京ドームコンサートのブルーレイを持っていて(ミクさんが登場するライブ)、それには、観客の表情もよく映し出されているのだが、ステージから遠いファンの人達の表情がとても良いと感じるのである。

これはどういうことかと言うと、後ろの方の席でも、ライブ会場に入れるだけで幸せだと思う気持ちがあれば、目ではミクさん達がはっきり見えなくても、心眼で鮮明に見えるのである。
もっと現実的に言うなら、目で見えない分、鮮烈なイメージが湧くのだと思う。
自分は必ずしも、前の方の席で見られる身分ではないという、ある種の謙虚さ、身の程を知る心は、とても純粋なものであり、そんな透明な心で味わうライブが楽しくないはずがない。

マジカルミライでは、入場口は最後列の後ろにあり、まだ空いている早い時間に入って、すいすいと前の方の席に歩いて行くと、本当に長い列であることを実感する。
縦に72列もあるのだ。
私は、その中を、一番前の方まで歩いている中で、どこか、自分が、そんな良い席に相応しい人間であると誤解し、傲慢になっていたのだろう。
毎回満席だろうから、1回で6千人位が入ることになる。
段差の無い会場だが、ステージはかなり高い位置にあるので、身長が低くても、人の間からミクさん達が見えるのだが、やはりスクリーンに目がいくことになる。
だが、ピュアな心の人達との共感が強くなり、後ろの方の人達の方が、ミクさん達との一体感を感じるのだと思う。

だが、特に若い中学生くらいまでの女の子であれば、前の方の席でも大丈夫だと思う。
ところが、前の方には、近所の寄り合いで来たようなオッサン達の団体が、これから宴会でもするような感じで、開演前はうろうろ歩き、ドヤ顔を後ろに向けたり・・・いや、別に悪くはないのだが、どうもマジカルミライという雰囲気ではないのだが。
また、ミクさんの熱烈なファンなのだろうが、かなり危ない感じのお兄さんも前の方の席にはよくいたように思う。
どこか控え目な人達がマジカルミライには最もよく似合うと思う。









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人生の目的は必要だ

私は5年ほど前、かなり極端な少食をしていたことがあるが、その時、私に、真面目な顔で、「人間って、美味しいものを食べるためにがんばるんだろ?」と諭してきた男がいた。
また、そこそこの規模の病院の院長が、昼食時に、豪華な食事を振舞ってくれたのだが、その時、「食べるくらいしか楽しみなんか無いじゃない?」と言うのを聞いたことがある。
いずれも、私は嫌悪したが、なぜそんな反感を感じるのかと言うと、なかなか難しいかもしれない。

『ルパン三世』の特別アニメ『血の刻印 〜永遠のMermaid〜』で、ルパンが次元に、「お前は何のために泥棒やってるんだ?」と尋ねると、次元は、「美味い酒を飲むためさ」と、彼らしく、さらりと答えた。
ルパンは、それは自分も同じだと認めたが、「それだけじゃないだろう?」と言う。
次元も、ルパンと同じように思っているのは確かだが、彼は、そんなことを理屈で考える気はないらしく、答をはぐらかしたように思う。
では、ルパンの答は何だったのだろう?
どうも覚えていないのだが、やっぱり、理屈や言葉ではないのだろう。

美味いものを食べる、美味い酒を飲む、その他の、快楽とは違う楽しみ・・・言い換えれば、人生の目標のようなものとは何だろう?
それがないと、ある程度の年になると、「俺の人生って、いったい何だったのだろう?」と悩むし、そうでないなら、緩んで腐った人間になっている。
「人生に目的なんてありません」と言う、有名な宗教学者、脳科学者、心理学者がいるが、彼らの言うことも分かるし、彼らがそう言った意味合いも考えないといけないが、やはり、人生に目的は必要なのである。
ただ、その「目的」は、「世間で言うものとは違うはず」であり、その意味では、それらの宗教学者らの言い分は否定出来ないというだけのことだ。
だが、再度言うが、やっぱり人生に目的、目標、夢は必要だ。

その目標があるがゆえに、人間は、割に合わないこと、損なこと、馬鹿なことをすることもある。
だが、目標ある人間は、割に合わないことをしたいのであり、損したいし、馬鹿なことをしたいのである。
ルパンや次元で言えば、泥棒をしたいのだ。

では、その目的は何かというと、ロマンとか自己満足とでも言うしかない。
その極意は、初音ミクさんが歌うkzさんの作品『Satisfaction』に明晰に表現されているので、理屈で言うより、この歌を聴いた方が良いような気がする。
いずれにしろ、人生はロマンであり、無謀な冒険であり、深い満足を追求する旅なのだろう。
【初音ミク】Satisfaction【Project DIVA X HD】 - YouTube -
昨年の「マジカルミライ2016」で、アンコール曲の1曲目で、この歌を歌った時のミクさんのダンスが絶品だった。芸術と言って良いと思う。

「マジカルミライ2017」まで1週間を切ったが、昨年もだが、マジカルミライが迫ると、私は、節制とトレーニングの熱意が違ってくる。
大好きな甘いものを厳しく避け(ゼロにはしない)、スクワットや腕立て伏せも楽しく、ますます身体が絞れてきて軽くなり、計測してはいないが、体脂肪率もかなり下がっていると思う。
通常63kgの体重も58kgとなり、細めのジーンズがさらに似合うようになってきた。
ペンライトなどのグッズも本日あたり届くと思う。
皆さんも、体調管理に気をつけ、風邪などひかないようにして欲しい。
では、幕張メッセで、一緒にミクさんに逢いましょう。









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神に近付く時

あるアラブの賢者は、家族を殺された時、家と地位を奪われ奴隷になった時、そして、自分の死期を悟った時、歓喜を感じた。
誰かが、
「全ては神の意思として尊重するのか?」
と尋ねると、賢者は、
「そうではない。全ては私の意思である。私はだいたい神なのだ」
と応えた。
これは、運命を自分の意志とするニーチェの哲学とだいたい同じである。
「だいたい」を多用したのは、ドワンゴ会長の川上量生さんの真似であるが、わりといい感じだ。
「わりと」も川上さんはよく使っていたと思う。

私は、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」のチケットの抽選にだいたい8回落選し、一般販売では、アクセス集中のため申込み画面にも進めないまま終わり、そして、おそらく最後の抽選の結果の発表が昨日(8月10日)あったが、それもすっかりおなじみになってしまった「残念ながらチケットを用意することができませんでした」だった。
1回の落選、獲得逃しですら、相当こたえるのに、それをだいたい10回味わった。
矢吹丈のクロスカウンターを10発喰らったようなものだ。
これを自分の意志とするなら、私はだいたい神なのだがなあ(笑)。

平凡な人間の立場としては、マジカルミライも、チケットの本人確認を実施して欲しいものだと思う。
そうすれば、転売目的でチケットを買い占める者はずっと少なくなる。
それだと確かに、本当に都合で行けなくなったので誰かにチケットを譲るということも出来なくなるが、高額な転売チケットが増えるよりずっと良い。
私は、ミクさんのコンサートのためなら、10万円や20万円、あるいは、それ以上でも少しも惜しくはないが、転売チケットは死んでも買わない。
もちろん、善意でチケットを譲ってくれるというのなら、相手の気持ちを汲んで、手間賃も払わず、正価のチケット代金と郵送料だけで有り難くいただく。そうすれば、相手には神の祝福がある。
ミクさんを邪まな目的で利用した人の運命は哀れである。

さて、私は、マジカルミライ2017に向けて、絶賛修行中だ。
食をさらに慎み、朝晩のトレーニングにも熱が入り、身体はますます絞れてきた。
そして何より、果てしないチケット落選で心が大いに鍛えられた。
これは、どんな聖典を読むことより価値ある修行であった。
やっぱりこれで良かったのだろう。
だいたい神である自分の意志に報いるためにも、大きな心を持つことにした。

ちなみに、私は、3日(日曜)の昼公演に行く。
土曜は、企画展のみとなる。いまだ、未練がましくも少し残念に感じるが・・・
新幹線のチケットも既に取得した。
では、幕張メッセで逢いましょう。









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魂の座

人間は、何もせず、ぼーっとしていると、エネルギーを失ってしまう。
なぜ、そうなるのかというと、脳の中に、そんな仕組みがあるからだ。
その仕組みは、科学的にある程度解明されているらしく、DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)と名付けられているらしいが、言われなくても分かることと思う。
では、なぜ、そんなものがあるのかというと、ぼーっとした人間が生きていることは、人間という種にとって都合が悪いのだろう。
だけど今は、人権の問題で、ぼーっとした人間も平等に尊重される。それが人類の問題を引き起こしているのかもしれない。

神秘主義者や宗教などで、ぼーっとした無意識状態を尊いと思ってる人達が沢山いるが、それは大誤解なのだ。
岡本太郎は、世界中の民族が祭を行うのは、荒っぽい祭によって入神状態・・・つまり、無意識になると、エネルギーが供給されるからであると述べているが、もちろん、祭とは、ぼーっとした状態で行ったりしない。
高揚することで、心が透明になるから、無意識の中からエネルギーが供給されるのだ。

瞑想なんて、本当に、諸刃の剣である。
本人は瞑想して、何か良いことがあると思っていても、ぼーっとすることが瞑想だと大誤解していたら、瞑想すればするほど、エネルギーを失うという、滑稽で大馬鹿なことになる。
瞑想しているという人の大半がそうだと思う(何て間抜けなんだ!)。
本当の瞑想は、ぼーっとすることではなく、あたかも、自分を狙う狙撃主を警戒するようなものなのだ。

私は昨年、体調が悪くてヘロヘロの状態で、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」に行ったのに、コンサートが進むにつれてエネルギーに満ちてきたのも、これで説明がつく。
ミクさんのコンサートは、最高の祭なのである。
私の意識は研ぎ澄まされてミクさんに向けられ、ミクさんの輝きの中で透明になったのだ。
ミクさんが歌ってくれた、BUMP OF CHIKENの『ray』の中にあった、「あの透明な彗星は 透明だから無くならない」の意味が分かったような気がする。

アメリカの大統領宣誓式で、大統領は右手を肩より少し上に挙げ、てのひらを前に向ける。
でも、本当に誠実な姿というのは、手を胸に当てることなのだ。
サッカーや野球やラグビーの国歌斉唱の時に、選手達がやるようにね。
手を胸にあてると、心が澄み、エネルギーが供給される。
ミクさんを見ると、思わず胸に手を当てたくなるが、それは、ミクさんが透明な光だからだ。
人間は、死にそうになった時、無意識に胸に手をやるものだ。それによって、エネルギーを得て、死を免れるのである。
エネルギーが低下している時には、積極的に活用すると良い。
「マジカルミライ2016」で、ミクさんがジミーサムPさんの『Calc.』を歌っている時、ギターを弾いていた手を離して、右手で胸を何度か叩く仕草をしたのが印象的だった。
「風に吹かれ飛んでゆけ 僕らが出会えたあの夏の日まで 」の「僕らが・・・」のところだ。
ルカさんと違い、とても控え目な胸だが、ミクさんは、胸の少し右側が魂の座であることを示したのである。
SMAP時代の木村拓哉さんが、『世界に一つだけの花』を歌う時にも、そんなことをするのをご存知の方は多いかもしれない。









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