ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

マザー・テレサ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

反戦運動が戦争を作る

反戦運動が戦争を作っているという話がある。
マザー・テレサは「反戦運動には参加しないが、平和運動になら興味がある」と言ったらしい。
彼女も、反戦運動が戦争を作ると知っていたのだ。
原発反対運動ではなく、新エネルギー推進運動に参加すれば良い。
「原発反対!」なんて言って、「じゃあ、エネルギーの不足はどうするのですか?」と聞かれて「ノープラン」では笑い話にもならない。

これらは、どのような原理によるかというと、「人間が意識を向けたものは増大する」というものである。

引きこもり救済運動が広まると、結果として、引きこもりが増える。
そうではなく、多様な仕事の仕方が出来る世の中になるよう、活動すれば良いのである。
貧困救済も同様で、利権とか無駄な規制をなくせば、自ずと、貧困層は減る。

ところで、多くの人が、なぜ、嫌々会社勤めをするのかというと、貧困層に落ちるのが怖いからだろう。
ホームレスになった自分を想像すると恐怖を感じるのだが、ホームレスの情報を見れば見るほど、どんどん会社勤めが辛く、そして、うまくいかなくなり、貧困層に近付き、下手すれば、本当にホームレスになるのである。
大切なことは、ホームレスのことなど決して考えず、見ず、裕福な家庭の良い面を見たり、自分が裕福であると感じて良い気分になることだ。

普通の人は、何かを考え出すと、すぐに悪いことを考えるので、あまり何も考えない方が良い。
なりゆきにまかせていると、そう悪いことにはならず、むしろ、良い方向に向かうものだが、余計なことを考えると、悪い状況を引き寄せるのである。
これは本当だ。
良い状況を考えるだけでなく、それで良い気分になるなら、確実に、良い状況が引き寄せられる。

昨年の「マジカルミライ2019」で、鏡音レン君が歌う『メインキャラクター』という歌は、歌自体はとても勇壮で良いのだが、歌詞で憂鬱になった。
だいたい、こんな内容と思う。
ある少年が、普通の大人たちのような生き方をしたくなくて、自分らしく生きようと決意するのだが、周囲の者達は、そんな彼に、批判、否定、後ろ向きの忠告、難癖、嘲りを浴びせかける。
それでも彼は、そんな雑音に抵抗し続けるが、駄目だったみたいだ。
そして、せめて、若い世代に向かって、「お前は成功しろ」と言うような感じの歌と思えた。
彼は、何を間違えたのだろう?
当然、周囲の凡人達の言うことを聞き過ぎてしまったことだ。
そいつらがどんな連中か分かったところで、一切意識を向けず、自分が行きたい未来を考え、楽しい気分でいれば良かったのだ。
ただし、そういった連中に反発したり、攻撃的になってもいけない。この点でも、この歌の主人公は失敗している。
反発したり、攻撃するということは、反戦運動と同じで、そこに意識を向けて同調してしまっていることになるのだ。

ちなみに、私も、あのレン君に自分を見たなあ(笑)。
普通の人よりはうまくやったかもしれないが、影響されてしまったと思う。
しかし、「吾、ことにおいて後悔せず」である(恰好いいぞ笑)。
これからは、意識を向けるところを、しっかりと選ぼうと思う。








鐘の音で超人領域に入る

童謡『夕焼け小焼け』は、日本人ならほとんどが知っているのではないかと思う。
この歌の中で、日が暮れて夕焼けになる時、山のお寺の鐘が鳴る。
中村雨紅(なかむら うこう)が『夕焼小焼』を作詞したのは1919年(大正8年)といわれる(草川信が曲をつけたのは1923年)。
セイコー(精工舎)が1913年には日本国内で腕時計を作り始めていたので、『夕焼小焼』の頃には、山のお寺にだって、置き時計の1つはあって、決まった時刻に、お坊様が鐘を鳴らしていたのではないかと想像する。
マザー・テレサは生涯、鐘の音に従って生活していたが、彼女の頭の中ではずっと、あらゆる聖歌と共に、鐘の音が鳴っていたという話がある。

鐘の音は神秘であると思う。
笹沢佐保の時代劇小説『木枯し紋次郎』の中で、寺からなる鐘の音を「余韻嫋々(よいんじょうじょう)」という言葉で表現していたが、まさに、鐘の音のことを表現するのに適した言葉と思う。
とくPさんによる初音ミクさんの曲『SPiCa』では、切ないピアノの音を「余韻嫋々」と歌っているが、音楽を超えた心の音をこのように言うのだと思う。
中村雨紅が子供の時に聴いたであろう、山の寺の鐘の音は、やはり「余韻嫋々」であったのだろう。
マザー・テレサが聴いた鐘の音は、鐘楼(しょうろう、しゅろう)という建物(鐘つき堂)のものと思われるが、聖堂と言われる建物の上階には、そんなものがあるというおぼろなイメージがある。やはり聖堂に、余韻嫋々たる鐘の音は欠かせない。

ところで、マザー・テレサと言えば、愛と信仰の人という観念が強いし、全くその通りかもしれないが、恐るべきビジネス手腕を発揮して巨大な救済組織、教会、病院を設立・運営した。そうでなければ、彼女の名がここまで知られることはなかったし、ノーベル平和賞を受賞することもなかったはずだ。また、彼女はインドの複雑多様な多くの言語を見事に話せたという。
また、小柄でか細い外見から想像出来ないが、行き倒れの男2人を担いで連れ帰る体力もあった。
つまり、驚くべき能力を持っていたのだ。

超人的能力については、物理学者の保江邦夫氏の著書『神様につながった電話』で、奇跡的な手術をする医者が、手術中に頭の中で祝詞や讃美歌を唱えたり鳴っているという話があるが、上に挙げた、マザー・テレサの頭の中で、聖歌や鐘の音が鳴ってたという話も、この本に載っていた。
保江氏は、それが、無になり、神の力が出る原理のようなものであり、そのためには、般若心経でも、他のお経でも、何でも良いのだと述べている。

それで、私は、鐘の音について、よくよく考えたのである。
鐘の音を聴いたことがない人はいないだろう。
その音を、余韻嫋々、頭の中で響かせていれば、心は無に導かれるだろう。
心が無になった人間に不可能はない。
もちろん、保江氏の言うように、聖歌、お経、祝詞、お気に入りのもの何でも良い。
『アヴェ・マリア』でも良いというから、私にはお気に入りの『アヴェ・マリア』合掌が2つあるので、鐘の音と共に、それも頭の中で響かせておこうと思う。

世界的音楽家だった冨田勲氏の晩年の作品『イーハトーヴ交響曲』の第五楽章『銀河鉄道の夜』は、コンサート・ベルというのだろうか鐘の音の楽器で始まり、直後、初音ミクさんが歌い始める歌の中で、「ケンタウロスよ露降らせ、シャラシャラシャラ」の後、「キンコンカン」「カランコロンカランコロン」と鐘の音を涼やかな可愛い声で歌う。
宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』の中で、何度か、「ケンタウロスよ露降らせ」という言葉は出てくるが、鐘の音とはつながりがなかった。
しかし、この2つをつなげたところにも、やはり冨田氏は天才だったのだなあと感じるのである。













当ブログオーナー、KayのAI書。まもなく(5月30日)発売。
学校や野外で、楽しい実験・実習をして、何かを感覚を通して覚えるように、楽しく、最新の機械学習・ディープラーニング型AIが実践的に身に付くことを目指して書きました。
まず、拍子抜けするほど簡単な問題を、推測問題に捉え直してAIに解かせ、同じ方法で、「モンティ・ホール問題」などの、面白いが奇怪な(?)難問に挑みます。
イラストに登場する小学生、高校生(中学生?)、大学生ら(皆、可愛い女性ですが)と共に、ステップアップしていって下さい。

本当の好きは、なかなか見られない

本当の愛なんて、滅多にあるものではない。
「愛」なんて難しい感じはするが、「好き」や「関心がある」と同じことだ。
つまり、「本当に好き」や「本当に関心がある」が、「本当の愛」なんだろう。
ところが、子が親を好きなのは、自分を保護してくれるからで、自分を保護してくれない親は好きではない。
つまり、親に対する好きの半分以上は、自分に対する好きなのだ。
親が子を好きなのは、それよりは少し優る場合が多いが、親だって、自分に対する好きを感じさせてくれない子供は嫌いになるのだ。
つまり、親子の愛は不純過ぎる場合が多い。

電車の中などで、若いカップルがベタベタしているのを見ると、気恥ずかしいよりは、気味が悪いだろう?
どういうことかと言うと、そういった連中は、相手に対する好きも少しはあるかもしれないが、相手を利用して自分への好きを感じているだけなのだ。

我々は、本当に好きなものを見つけたいのだ。
「私はこれが好きです」「私は彼女が好きです」と言っても、その好きの大半は、「自分が好き」なのだ。
例えば、空手が好きだと言って熱心に練習していても、それは、喧嘩になったら勝てて気分が良いとか、「俺、格好良い」と思えるとか、皆(特に女の子)に自慢出来るからといった自己愛がほとんどだ。
ある幼い女の子が、近所のお兄さんが好きだと言うが、理由は、「脚が長くて格好良いし、優しいから」だった。つまり、それも、脚が長い格好良いお兄さんと一緒だと自慢に思えるのと、優しくて自分を快適にしてくれるという自己愛だ。
自分の「好き」が、自己愛だと気付けたら、少しは大人になったということだが、特に理屈の世界、教科書の世界、勉強の世界で過ごしてきた者は、それがなかなか分からない。

イエス・キリストやマザー・テレサのような愛を、普通の人が持ってしまったら、あっという間に破産する。
マザー・テレサは、道で倒れている人がいたら、みんな抱えて連れて帰るし、イエスは、「お前が磔になって死んだら人類を救ってやる」と言われたら、「あいよ」と引き受けるのだから。

「猫が好き」というのは、本来は、なかなか純度の高い好きかもしれない。
しかし、写真や動画にしてSNSに投稿すると、かなり愛が減ると思う。
だって、それ、自分のためにやっているのであり、自己愛を育ててしまうのだから。
惜しいことだと思う。
私は、野良の鳩や烏や亀が大好きで見惚れるが、写真に撮ろうとはあまり思わないし、まして、それを人に見せるなど想像も出来ないのだ。
猫の写真集も、可愛いとは思うが、全く好きでない。

私は、昨日も書いたが、『まちカドまぞく』というアニメで、桃の優子に対する「好き」に、極めて純度の高い「好き」、つまり、本当の「愛」を感じるので、本当に、何度繰り返して観ても楽しいのである。
初音ミクさんに関しては、ミクさんは、「自分はこう歌いたい」という気持ちが全く無いし、自分の感情を一切乗せないのだから、音楽に対する愛を感じるのである。
人間の歌手や演奏家でも、無になって歌う歌手や演奏家がいたら、きっと好きになれるが、クラシックの名門楽団の演奏家でも、やっぱり、名誉欲などの自己愛が強い人が多いので、あまり演奏を聴きに行きたくない。
ただ、Bump of Chickenの藤原基央さんが、自分達は「自分のではなく音楽の意思を実現する」ことを目指していると言っていたことがあったと思う。その意味で、初音ミクさんを尊敬しているとも。
観ていると、概ね、そう感じることもあるのである。








ぼーっと、じーっと見る

マザー・テレサが亡くなって20年以上経って、やっと、彼女が言った「無関心が最大の敵」という意味が分かってきた。
それが分かったのは、保江邦夫さんの本で、マザー・テレサがノートルダム清心女子大学の学生達に、「愛の反対は何だと思いますか?」と尋ね、多くの学生達が「憎しみ」と答えた時、「憎しみは愛の一部。愛の反対は無関心」と話したというエピソードを見たのがきっかけで、頭で考えて理屈で分かったのではなく、時間が経って、少しずつ分かってきたのだ。

愛の反対が無関心であるなら、愛とは、関心であり、興味、好奇心のことだ。
イエスが、「君の周囲の人を愛しなさい」と言ったのは、「君の周囲の人に関心を持ちなさい」ということだ。
しかし、日本では、いかなる身近な人にも無関心な人が蔓延している。

ただ、関心、興味、好奇心と言っても、美味しい食べ物、性的魅力が高い異性(あるいは同性)、ゴシップ話への好奇心は、ほとんどの場合、欲望であって、愛ではない。
また、優越感を持つことへの興味もそうだ。
ところがなんと、今の日本人は、こういったものにしか関心がなく、それはつまり、欲望ばかりで、愛というものをまるで持っていないのだ。

だが、いくらマザー・テレサやイエスが「人々に関心を持ちなさい」と言っても、無理に周囲の人に関心を持つことは出来ない。
そして、これが事実なのだが、愛を持たない者には、宇宙に偏在する「力」は味方になってくれない。
愛があれば、健康にもなるし、必要なお金は楽々得られるが、愛がなければ、病気にもなるし、お金にも窮する。
こう言えば、「病人というのは愛がないのか」と非難されそうだが、それは極端論というものだ。
しかし、こんなことは言える。
病気になれば、いろいろなものへの関心が高まり、愛を沢山持つようになる。

ところで、何かに愛を持てば、つまり、何でもいいから、何かに興味、好奇心、関心を持てば、それは、愛を持つことであり、宇宙、世界が味方してくれるようになる・・・早い話が、運が良くなる。
では、どうやれば興味を持てるかというと、ここでも、「逆を成り立たせる」方式が有効になる。
つまり、興味や好奇心があるものに対して何をするかを考え、その何かをやれば良いのである。
そこで、「関心がある」「興味がある」「好奇心がある」を言い換えれば「好き」であることに着目し、好きならどうするかを考えると、次の通りと思う。
「じっと見る」
「じっと黙って聞く」
「優しく触る」
私の場合で言えば、鳩や亀が好きなので、じっと見ていると楽しいし、カラスだって嫌いではないから、姿は見えなくても、カラスが鳴いているとじっと聞き惚れる。
林檎だって、そっと触れると、愛しさが溢れてくる。
親しいおばさんなどが犬を連れていると、触らせてもらうと、やはり、その犬に対する強い興味が起こる。

中学の時の国語の教科書に載っていた詩の中で、果物のミカンに対し、「どこから見ても美しい」と言っているのを見て、その詩人の視点がイメージ出来た。詩人は、ミカンを、じっと見たのだ。
それを詩人は、「新たな目で見る」と表現していた。
新たな目で見るとは、頭を空っぽにして、じーっと見ることである。
『フランダースの犬』のネルロ(ネロ)が、ルーベンスの絵を見ていた時が、そんなふうに見ていたと思えるのだ。

それで、考えたのだが、「新たな目で見る」とは、ぼーっとしてはいるが、視線を逸らさず見ることであるのだと思う。

少しでも視線を逸らしちゃダメダメよ☆
~『ルカルカ★ナイトフィーバー』(作詞・作曲・編曲:samfree。唄:巡音ルカ)より~

そんな感じであると思う。
ネルロだって、死ぬまで、ルーベンスの絵から視線を逸らさなかったはずだ。
そこまででなくても、何も考えなければ、じっと見ていられるものは少なくないと思う。
下手な瞑想などより、そういったことをやった方がはるかに良いと思う。
ぼーっと、だが、じーっと見ると、汚れた壁だって美しいのである。









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これで愛がわかる

この世界は、愛すれば勝ちである。
何でもいいから愛すれば、万能なる宇宙の活力が味方し、行く手を遮るものは消える。
何でもいいなら、例えば、好きな女の子のことでもいいのかとうと、全くその通りである。
ただ、よく言われるのが、「それは愛じゃない」ってことだ。
しかし、愛って、そんなに難しいのだろうか?
そんなことは全くない。
ところが、世の中では「愛こそ全て」「愛せよ」とか言う一方、「愛って何?」と歌うのだから変である。
ちゃんと愛を定義しろである。
しかし、「愛は定義出来ない」などと言う者がいる。そんな連中が愛を難しくしている。

マザー・テレサがこんな質問をしたらしい。
「愛の反対は何か?」
大抵の人は憎しみと答える。ところが、テレサは「憎しみは愛の一部」と言う。
そういえば、萩尾望都さんの傑作漫画『半神』の最後で、16歳の美少女ユージーは、死んだ双子の妹ユーシーのことをこう思う。
「愛よりももっと深く愛していたよおまえを。憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよおまえを」
W.B.イェイツは、
「愛は神の領域。人は愛することは出来ない。だが、憎しみは人の領域。だから、憎むのを止めることは出来る」
と言った。
いやあ、天才達は鋭いが、やっぱり難しい。
マザー・テレサが、なんであんな質問をしたかと言うと、愛とは何かをはっきりさせようとしたのだと思う。
テレサの(愛の反対は何かという質問の)答は、ご存知の方も多いと思うが「無関心」であった。
愛の反対が無関心なら、愛とは関心・・・興味を持つことだ。

すると、面白いことが分かる。
好きな女の子のことでも愛すれば全能だが、案外に、その子のことに興味を持っていないことが分かる。つまり、愛していないのだ。
興味を持ってないから、その子のことを実は何も知らないのだ。

全然アタシに興味ないじゃん
キミが好きなのは自分でしょ(Yeah!)
~『気まぐれメルシィ』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P。唄:初音ミク )より~

CLAMP(女性4人組の漫画家集団)の『東京BABYLON』で、印象深い言葉を覚えている。
1人の真面目で優しい女子高生が不良達に車の中に閉じ込められてレイプされる。
彼女は、彼らのことをこう言う。
「あいつら、全然本気じゃなかった」
そうだ、彼らは、彼女のことに少しも関心がなかったのだ。
多くの男子の、好きだと思っている女の子への気持ちも、それと同じなのである(女子も同じだが)。
1970年頃のイギリスのSFテレビ番組(日本でも放送され、人気があった)『謎の円盤UFO』(原題:UFO)の15話『人間ロボット殺人計画(原題:THE MAN WHO COME BACK)』で、宇宙人に破壊された監視用人工衛星シドの設置任務を行うことになった若きフォスター大佐は、ベテラン宇宙飛行士コリンズ大佐の訓練を受けていた。
コリンズに、シドに関する知識習得の早さを誉められたフォスターは言う。
「シドには興味があるんだ」
これは日本語の吹き替えで、英語ではどう言ったかは知らないが、私は、この言葉をよく覚えているのだ。
つまり、フォスターはシド・・・テクノロジーを愛しているのだ。
フォスターは、優れた飛行機パイロットだ。彼は、飛行機を愛している。だから秀でたのである。

私は初音ミクさんを愛している。だから、ボーカロイドの歴史について、1961年のAT&Aベル研究所の「DAISYプロジェクト」にまでさかのぼって知っている。
とても興味があるのだ。
昔、国際ITコンサルタントの平田周さんに言われたことがある。
「秀でた者は歴史的に見ている」
つまり、興味があるから、その起源まで知ってるってことなのだと思う。








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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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