ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ポール・グレアム

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

イケてるやつとダサいやつの単純な差

人間を、「イケてるやつ」と「イケてないやつ」に分けることも可能だろう。
古い人にも分かるように言えば、「格好良いやつ/格好悪いやつ」、「クールなやつ/クールでないやつ」ということだ。
今は、日本人もイケてることも多いのだが、そうでない者も少なくない。

昔、西洋の映画に登場する「イケてる」青年の真似をする日本のボーイが、とても滑稽なことが多かった。日本の少年は全然イケてなかった。
また、言っては悪いが、YouTubeで見られる初音ミクさんの中国でのコンサートで、会場が映し出された時、熱烈にミクさんを応援してくれることには好意を感じるが、正直、観客を見ると「ダサ!」って思ってしまう。まるで私だ(笑)。
アメリカあたりのコンサートでは日本人観客も多いが、これも、もし私が居ればやはりそうなのだろうが、日本人はダサさで目立っている。
では、日本人と西洋のボーイズ&ガールズの違いは何かと言うと、決して、生まれつきの顔やスタイルではなく、「金と手間をかけている度合い」の差である。
早い話、イケてる西洋の若者は、髪型や服に、イケてない日本の若者と比較にならない金と手間、そして、それらを費やし続けることで得られたセンスがあるだけである。
ダサい日本の若者は、髪や服に金と手間をあまり・・・いや、全くかけていない者が多く、今のところ、中国の若者は、さらにその傾向が強いのだろう。

たとえ西洋人でも、服や髪に金と手間をかけなければ「立派にダサくなる」。
コンピューター科学者で達人プログラマーのポール・グレアムは、オタクである自分は高校生の時、全くダサく、全然モテなかったらしいが、モテるやつってのは、やっぱり、モテることに命をかけて・・・つまり、金と手間をかけているのである。
一方、グレアムは、その点がサッパリだったというに過ぎない。彼の生まれつきの容姿は、むしろ悪くない方である。

手塚治虫さんは、宝塚市で育ったせいもあり、少年時代から宝塚歌劇団の熱烈なファンだったらしいが、高校の学園祭の時、自分も舞台で宝塚歌劇団の真似をしたくて、宝塚歌劇団に行き、衣装を貸してくれるよう頼んだら、今とは時代の違いがあるだろうが、驚くべきことに、本当に貸してくれたらしい。
ところが、それを着て舞台に立ったら、当然ながら失笑(実際は爆笑だろう)を買ってしまったようだ。
普段、格好良い服を着ていなかった手塚少年の着こなしも駄目だっただろうし、その服に合う髪型もしてなかったのだろう。
もし、手塚少年が、元々、そこらに金と手間をかけていれば、それなりに見えたはずである。彼は身長は当時としては珍しい176cmもあったらしいしね。

「超能力者」ユリ・ゲラーは、とてもモテたことを著書で告白していたが、嘘ではないと思う。
そして、それには、超能力も役に立ったらしいが、ユリ・ゲラーですら、「まずはそれなりの身だしなみ」と書いていた。それは、服もだが、髪型や持ち物も含み、外見をある程度整えろという意味であることは疑いなく、その「ある程度」のレベルが、特に昔の日本人には高過ぎたのだと思う。

ナチス強制収容所では、囚人達は、生き残るためには、まず、「若く見える」ことが必要だった。
囚人の服には番号が縫い付けられ、監視役の者達が、労働の役に立たないと感じた囚人は、その番号が報告され、報告された囚人はガス室送りだが、監視人達は、「年寄り=労働力が低い」という単純な公式を用いていた。
だから、死活問題として、囚人達は、「若く見える方法」を真剣に考えた。
皆、栄養状態が悪いのに、長時間の重労働をさせられるのだからガリガリで、金も物もない。
その中でどうやったら若く見えるかを考えないといけない。
そして、考えられたのが、男の場合、
「呼ばれたら元気に返事をする」
「疲れていても、きびきび動く」
「割れたガラスを使って髭を剃る」
「血を顔に塗って、血色が良いように見せる」
などであった。
女性の場合であるが、これを聞いて笑うなら、生きる値打ちはないと私は思う。
70歳を過ぎた女が、乙女のような軽々としたステップで歩いて見せたのだ。命懸けなら、それくらい出来るだろう。

外見に限らない。高い給料を取れるほどの有能さも、普段、それなりに金や労力を注げば簡単に手に入れられるのだ。
モテたいのに、必要な努力をしないのは甘えである。
同じく、高い給料を取り、いい身分でありたいなら、そのために、多少の時間を費やさないといけない。
まして、人間を超えた神秘な存在の気を惹くには、それなりのことはしないといけない。













当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版は販売中。紙の本は5月30日発売。
今や、Excelは誰でも使えますし、そうでなくても、その気になれば使えるはずです。そして、Excelが使えるだけのスキルがあれば、ソニーのWindowsアプリ(あるいはクラウドWebアプリ)NNCを使えば、誰でもAIを作ることが出来ると思います。
そのためには、易しいテーマを設定し、AIを使うために必要な「目の前の問題を推測問題に捉え直す考え方」を知り、さらに、面白い問題を自分で実際にAIで解くことが効果的と考えました。そのための、ごく一般の人向けの本を書いてみました。

学園カースト、社内カーストを笑って超える

学園カースト(学校カースト。スクールカースト)という言葉が一般化しているらしい。
インドのカースト制度という、生まれによって決まる厳格な身分制度は、釈迦が否定したに関わらず、1950年になって、ようやく法的に廃止されたが、現実的には今も存在する。
学園カーストというのは、学園内における各生徒の位置付け(ランキング)で、美少年や美少女であったり、勉強やスポーツができれば高い傾向にあるが、一方で、自分に取り得が無い不安からだろうが、徒党を組んで自分のカーストを良い位置に置こうとする卑しい者は、いつの時代もいるものである。グループの強さ、大きさが、構成員のカーストを決めるのだろう。そして、平凡な生徒の場合、グループに入れなければ、あるいは、入れてもらえなければ、底辺のカーストに置かれてしまう可能性が高いので、嫌でもグループに服従するようになってしまう。
アメリカのコンピューター科学者(ハーバードで博士号取得)で、大事業家で、Lisp言語等の利用に関するコンサルタントであるポール・グレアムは、自分の学園生活を振り返り、やはり男子の場合、顔が良かったり、ロックバンドをやってるようなやつらがランキングが高く、女の子に人気があり、自分のようなコンピューターオタクは、ランキングが低く、女の子には見向きもされなかったと述べているが、それでも、日本の現状に比べると、個人の力量に負っているところが、まだ健全な感じがする。グレアムも、コンピューターオタクが女の子に興味が無いなんて嘘で、本当はモテたかったと告白しているが、学園内で、女の子にモテることに関してはランキングが低くても、後に社会では高ランキングになったという訳だ。

さて、宗教界のカースト・・・と言ったら変であるが、現実的に、キリスト教でも仏教でも、物凄い身分制度が昔も今も存在する。それは、まともな感覚で見れば滑稽なのであるが、厳として存在するのだから仕方がない。
法然上人の時代の、僧侶のランキング、格付け、カーストも凄まじかった。
儀式では、ランキングによって、座る場所も厳格に細かく決まり、主催者が間違えてそれを設定したら、後で嫌がらせをされたり、厳重抗議が行われたりした(一応は丁寧な文面の文書で行われるだけに、見れば笑えるのだが)。
ところで、法然上人は、浄土真宗の開祖で、一応は一宗の代表ではあるが、実は何のタイトル(肩書き)も持たないただの一人のお坊さんだった。
ところが、重要な儀式で、法然が法王に一番近い席になっても、異議を唱える者がいなかったといわれる。確かに法然の学識は凄いものだったが、それよりも、法然の人徳のためであった。法然に逢うと、どんな僧も、法然の徳の高さに圧倒され、我が身を恥じる気持ちが起きたのである。
その法然が、私は愚かな凡夫で、何も知らない。ただ、一心に念仏を唱えているだけであり、他には何も無いと言い、遂には、死の2日前に書いた遺書である『一枚起請文』(いちまいきしょうもん)に、そのことをはっきりと、本当に臨終間際かと思わせる見事な達筆の、しっかりとした文章で書き残している。

ところで、九条 兼実(くじょう かねざね)という、関白である凄く偉い人が、法然に惚れ込み、深く崇敬していた。
法然が来ると、裸足で飛んでいって出迎えるものだから、家来達もそうせざるを得ない。しかし、法然はそれを気の毒がって、兼実の屋敷に行かなくなった。すると、兼実は、「病気だから来て」と仮病を使い、それを使いの者に伝えさせて法然に来てもらう有様で、なんとも大人げないことがだ、今も昔も、世間的に大人げない大人が本当の人間である。
兼実は、屋敷を新築する時、庭に使途不明の建物を建てて疑問を持たれたが、それは、法然が来た時に、まずそこで休憩してもらうためにだけ造ったもので、法然も、「やれやれ」と思っていたかもしれない。
その兼実が、念仏について実のところを教えて欲しいと法然に頼み、それを受けて法然が書いたのが『選択本願念仏集』で、法然は兼実にだけ見てもらうつもりで書き、「読んだら、人に見られないところに隠しちゃってね」と書の最後に明記したが、これが今にも続くロングセラーになってしまった。
法然は、この中で、阿弥陀如来は、念仏の行者に対し、無数の仏、観音菩薩、勢至菩薩、さらに25菩薩を派遣し、百重千重に取り囲んで護らせるから、これを頼むべきと書いている。
法然の弟子の親鸞聖人も、『現世利益和讃』の、最後の第15首に、「南無阿弥陀仏をとなうれば、十方(じっぽう)無量の諸仏は、百重千重囲繞(いにょう=取り囲む)して、よろこびまもりたまうなり」と書かれている。
絶対に嘘をつかない二人が、絶対的な誠実を持って共に書いてのであるから、素直に信じるべきである。
また、学校や会社などのカーストにお悩みなら、是非、法然にあやかり、念仏を唱えるべきであると思う。









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初音ミクが示した人類救済のヒント

名曲の誉れ高い、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を創ったのは専門の音楽家ではなく、職業軍人の男性だった。彼は、これより他に、知られた曲を残していない。音楽に関して、彼は全くの素人ではもちろんないが、ただの日曜音楽家だったと思う。
ソクラテスは、芸術家だろうが、学者や職人だろうが、その優れた仕事は、神的な英知を受信することで起こるのであり、その英知を運んでくるものをダイモーンと呼んだ・・・正確ではないが、簡単に言うと、こういうことであると思う。
『ラ・マルセイエーズ』を作詞・作曲した男性も、天啓を得てこれを創ったのだし、それは、ダイモーンによって運ばれてきたと言えるだろう。
この男性は、なぜ音楽家ではなく、軍人(技術軍人だった)を職業にしたのかは分からない。音楽は子供の頃から好きだったのではないかと思うが、自立しなければならない時期に、自分はプロの音楽家の器ではないと思ったということはあるだろう。いや、それが第一の理由かもしれない。
今の日本にだって、形は様々だろうが、学生の頃に熱心に音楽活動をやる者がいて、皆、一度はプロの音楽家、歌手などを夢見ることも多いと思うが、大半の者は、学校を終える時に、自分にはプロになれる才能、器量がないことを認識し、世間的な職業に就くのだろう。
だが、才能があるかどうかなんて、本当には分からないものだと思う。
コリン・ウィルソンは、『至高体験』の中で、いかなる天才と言っても、所詮、内的衝動の問題(それがあるかどうか)だと言ったが、実際、そうなのかもしれない。
成功するまで続けられるエネルギーを持つことを天才と言うのだろう。

Windows用ソフトウェアである初音ミクのためにアマチュアが創った曲の中には、従来の音楽の基準で言えばそうではないのかもしれないが、天才的な偉大な曲が沢山ある。そんな曲を創った人達の中にも、音楽家を諦めて一度は音楽をやめたが、初音ミクという素敵なボーカルを手に入れて再び音楽に戻ってきたという人もいるらしい。
あるいは、アマチュアとして音楽活動をしている中で、初音ミクによって新しい創造性を刺激された人もいるのだろう。
また、初音ミクそのものは楽器という位置付けなので、彼女が歌った歌を公開するのは何の問題もないが、初音ミクの開発・販売元の企業(クリプトン・フューチャー・メディア)が、その作品を知らせ、そして、その作品を誰もが自由に利用できる仕組みを作り、利用者が作者に感謝を伝えることができる形を与えた。さらに、作者が許せば、2次創作、3次創作、さらに、4次創作、5次創作も自由に出来るようにすることで、目に見えない創造の輪が広がっていった。
それにより、『ラ・マルセイエーズ』級、あるいは、それ以上の曲が次々に生まれる環境が出来たのだと思うのである。
初音ミクに関していえば、創作の分野は、一応は、音楽、詩、イラストといったものであり、これらははっきりと芸術だと言えるが、人間の全ての営みは芸術である。
コンピュータソフトウェアに関しても、専門家に、「コンピュータソフトウェアは科学か、芸術か、職人技か?」と尋ねたら、偏らない答が返って来るものだ。ポール・グレアムというアメリカのプログラマ・起業家は、美術学校で絵画を習ったらしい。その経験から、絵画とコンピュータプログラミングは本質的に同じだと述べていたが、これに限らず、何でもそうなのだ。

そして、芸術は一人の天才が生むように見えて、実は、ユングの言う、人類全体の集合意識から起こるものに違いないのだ。たまたま、何かのタイミングで特定の誰かに現れるとしても、真に偉大なことを成し遂げた人は、それは自分の力ではないと感じているものである。
つまり、いかなる分野であれ、初音ミクでされたように、全ての人が想像、アイディア、閃きを、感動と感謝の中でシェアし、共鳴し合い、それを更に育てていけば、初音ミクが起こした素晴らしい創造があらゆる分野で起こってくるのは間違いないのである。
それが実現できれば、おそらく、人類の中から、病気もなくなり、エネルギー問題も解決し、さらに、食料問題、教育問題にも広がってくる。その中で、思いもよらなかった効果も起こり、人類は救われるのかもしれない。
以前から、日本の産業は色々な分野で衰退しているが、漫画やアニメが海外で高く評価されているので、これを新しい産業として注目すべきだと言う人達がいる。しかし、そうではないのだ。そういう風に、何でも経済に結びつけて考えてしまう卑しい心が、人間のせっかくの高貴な創造性を駄目にするのである。漫画、アニメは、あくまで可能な範囲でであるが、無料で広めていくのが好ましいのである。初音ミクがそうであったようにだ。
ソーシャル・ネットワーク・サービスなども、すぐに、ビジネスにどう活かすかばかり問題にしたがる者がいるし、実際、ビジネスに有益な面もあるが、実は、それはあくまで副次的なものなのだ。ユーザーの多くがそれに気付き、それを主に考えることの出来るソーシャル・ネットワークが、これから伸びて行くことになるだろう。









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馬鹿の一つ覚えでいいじゃないか

私はちょっと昔のプロレスが好きだった。好きと言っても、試合を楽しむというより、プロレスそのものが興味深いのだ。
プロレスの何が良いのかというと、分かり易いところがあることだ。
プロレスには、基本的には、しゃがんで立ってという動作を繰り返すヒンズースクワットというシンプルなトレーニングがある。
そして、プロレスはスクワットを多くやった者が勝ちという分かり易さ、単純明快さがあって心地良いのだ。
もちろん、そんな単純なものでないことくらいは分かるが、しかし、やはり、そうなのだ。
スクワットを多くやれば、良いスパーリングをやるし、試合の駆け引きでも良い閃きが起こるに違いないのだ。
そして、スクワットなんて、場所もいらないし、誰でもできる。そんな、誰でもできることを粘り強くやった者が勝つ。
こういったことが普遍的真理なのだと思う。
カール・ゴッチという、アントニオ猪木さんが、「実力だけなら世界一」と言っていた選手は、まるで馬鹿の一つ覚えのように「スクワット1万回、プッシュアップ(腕立て伏せ)3千回」と言っていたものだった。彼も、アマチュアレスリングでは母国ベルギーで無敵で、オリンピックにも出場したし、テクニックも抜群だったが、やはり言うことはいつもスクワットだった。
力道山が、(身体が)小型の強豪を嫌って日本に呼ばなくなったきっかけになったと言われるサニー・マイヤースという小兵レスラーがいたが、これが恐ろしく強く、力道山も勝てなかった(反則勝ちはある)。ジャイアント馬場さんが著書で、外人レスラー達の間でマイヤースが本当に尊敬されていて、大型の強豪レスラーさえマイヤースを恐れていたこと、そして、日本の若手レスラー達と一緒にスクワット2千回をこなした外人レスラーなんて、マイヤース以外に見たことがないことを、特に述べていたのを憶えている。
馬場さんは、あまり練習熱心な人とは思われていなかったかもしれない。しょっちゅう徹夜でマージャンをしたり、仲のいい外人レスラーとウイスキーやバーボンのボトルを何本も開けるという凄い飲みっぷりを見せる等、およそアスリートらしくないところもあったが、マンションの地下に練習場を作り、必ず毎日、スクワットをやっていたらしい。彼は60歳を過ぎても、身体に故障がなく、余裕で現役を続けていた。

単純なことを、粘り強く繰り返す価値を、我々はもっと重く見るべきだろう。
きっと、そこには、何か神的なまでの秘密があるのだ。それは誰でも感じると思う。
エドガー・ケイシーという有名な霊能力者がいた。彼の言うことが本当かどうかは分からないし、一部で偏執的な批判はありながらも、大した人物であったことは確かと思う。
ケイシーが繰り返しやったことは、聖書を読むことだった。
彼は、9歳の時、親に頼んで自分専用の聖書を買ってもらい、13回通読した時に(13歳だった)、運命を決める不思議な人物と出逢う。それ以降も、毎朝必ず聖書を読むことは生涯続けたという。
キリスト教徒にとっても、イエスにどれだけ近付くかは、やはり、聖書を読む回数なのだと思う。無論、どれだけの奉仕活動をしたとか、そういったことが大事なのは当然だが、聖書を多く読めば、その他のことは自動的にやってしまうことは、プロレスラーのスクワットみたいなものだと思う。

ちょっと私のことを言えば、ソフト開発者の場合は、プログラミングなのだ。
こう言うと、必ず反対する人はいるだろう。「プログラミングは下っ端の仕事。設計技術が上位者の条件」「システムにする業務を理解する能力こそ大事だ」等々は決まり文句である。
しかし、私は1人で、全国流通したり、海外で使われるソフトウェアも作り、テレビ取材や新聞の一面広告にも載ったが、特に設計の勉強をしたことはないし、お客さんの業務をそれほど理解しているとは思えない。
だが、寝ても醒めてもプログラミングのことを考えていた時期はあった。
大規模でなければネットワークの設計もやるし、サーバーやデータベースの設定・管理も自分でやる。それらも、プログラミングをやっていれば、いろいろきっかけがあって、自動的にできるようになると思う。
私は全く一流のプログラマではないが、ポール・グレアムという超一流も、かっちり設計してからプログラミングするような仕事をしたことはなく、プログラミングしながらアイディアを思いついて、それを反映させることで良いシステムになると言っていたと思う。
アラン・ケイという、今日のパソコンの生みの親と言われる天才が、iPadをあまり好きでないのは、これでプログラミングが出来ないからだ。iPadに限らず、AndroidタブレットPCでもそうだが、せっかく、持ち運びが出来て、現在はバッテリーも長時間持つのに、これで、いつでもどこでもプログラミングができないのは、確かに残念なことだ。
良いソフト開発者になりたければ、できればアセンブリ言語、それが難しければ、C言語で熱心にプログラミングすることをお奨めする。まあ、それほどこだわらなくても良いのかもしれないが、私ならPerl言語が良いと思う(現在は、仕事ではPHPが有利であるとは思う)。

私がよくお奨めする腕振り運動は、究極と言えるほどシンプルな運動であるが、これを国内で普及させたきっかけになった関英男博士は、やはり、これを毎日欠かさず、粘り強く続けることが大切だと言っておられた。関博士自身、毎日2千回で、胃癌を治し、彼が奨めた方々もあらゆる難病を治した。また、関博士は、90歳を超えても世界中を飛び回り、数多くの論文を日々取り寄せて熱心に研究をしていた。彼は、それはやはり腕振り運動の効果だと言っていたと思う。
尚、関博士と、合気道家、佐々木の将人さんの共著『心は宇宙の鏡』は名著であると思う。最後にご紹介する。

新渡戸稲造の有名な『武士道』にも、毎日、欠かさず1つのことを粘り強く続ければ、おそるべき力になることが書かれていたと思う。それは、臆病さを克服したくて、毎日、墓場に行く・・・程度のことでも大変な効果があるのだ。こんな話で、まさか「では毎日ゲームを」という馬鹿はいないと思うが(あえて書くのは、実際はいるからだが)、自分に相応しい、毎日粘り強く続けるに足る何かを見つけることだ。
エドガー・ケイシーが、生涯、聖書を読み続けたことは述べたが、ある大聖者は、『アシュターヴァクラ・ギーター』を常に持ち運び、ボロボロになったその本をいつでも読んでいた。子供でも読める単純な詩だが、計り知れない価値があるのだろう。ヒマラヤには『バガヴァッド・ギーター』をそんな風に読む超人的な大師達もいるらしい。









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IT世界は冗談にもならないほど危険だらけ

今日の朝の記事で「当たり前のことだが、改めて言われるとはっとすること」という話をした。
本当は知っているはずのことだが、いろいろな理由で、それを忘れていたり、あるいは、忘れたいと思っているようなことだ。
また、はっとするほどではないが、言われてみると、そんなものかもしれないと思うものもある。

あまりに見事な治療をするので、魔法で治していると言われるほどだった、アメリカの精神科医ミルトン・エリクソンの際立った能力の1つは、人間の観察眼だった。彼は、誰よりも人間をよく理解していたのだ。
そんな彼が、こんなことを言ったことがある。
「12歳の少女は、決して子供じゃない」
分かる部分もあるが、これはあくまで、アメリカの話だと理解している。私がアメリカに住んでいたら、はっとしたかもしれない。
日本人も、こと身体面に関しては、今は欧米人と大差ない。しかし、精神面に関しては、非常に幼いのだろうと思う。
戦争直後、マッカーサーは「日本人は12歳の子供だ」と言ったが、今がまさにそうであるに違いない。
女の子は、こと肉体的には12歳にもなれば、自分では「私はまだ子供です」と思っても、そうは見られない。だから、精神的にも早く大人になるべきだし、昔はそうだったのだ。明治時代以前なんて、女の子は13にもなれば、かなり一人前に女として振るまっていたものだ。しかし、今は高校生や大学生になっても全くの子供だ。ましてや、男の方は、本当にいつまでも精神的な幼児が多くなってきたと思う。

ところで、私が不覚にもぎょっとさせられた、「改めて言われたこと」がある。
アメリカのコンピュータ科学者で、優秀なソフトウェア開発者であり、優良なIT企業の起業家でもあるポール・グレアムが著書に書いていたことだ。
それは、「ソフトウェアの仕様は曖昧だ。曖昧でなければ仕様ではない」である。
これには、かなりの動揺を感じた。よく考えると的確ではあるのだが、よく考えたくないことだった。
ちょっと説明しよう。
電気製品や自動車、飛行機、宇宙ロケット、あるいは、橋やビルなどの建築物といったものの仕様は完璧だ。その仕様に完全に則って、正確に製造や建築をしなければならない。
しかし、こと、コンピュータソフトウェアというのはそうではない。
仕様は決めるのだが、どうしても、プログラミング言語でプログラムしないと分からないことが多く、実は、ソフトウェアの仕様というものは、かなり曖昧というか、いい加減なところがあるのだ。
そもそも、ソフトウェアが出来た後で、完全な仕様が残っていることなんて、どれくらいあるだろう?世界一厳格と言われる、ペンタゴン(米国国防総省)で使われるコンピュータソフトウェアですら、全く仕様が残っていなかったというのが現実だった。そして、そのために、プログラムから逆に仕様を自動作成するソフトウェアが発達したくらいである。

これを、絵画に例えると案外分かりやすい。
あまり考えられないことだが、画家の中には、下書きをせず、いきなり絵筆で描くという者もいる。歴史的な天才画家の中にだってそんな者がいるのである。これが、コンピュータ・プログラミングでいえば、仕様なしでプログラムすることに例えられる。
また、名画と言われるものでも、X線検査を行うと、とんでもないほどの大きな描き直しがされた証拠が見つかることもある。
ピカソは相当に描き直す画家で、修正前のものが残っていた版画では、元の絵と全くと言って良いほど違ったものになっていたものもあるという。しかも、それで、必ずしも良くなるわけではなく、池田満寿夫さんによれば、明らかに悪くなっているものもあるらしい。
コンピュータソフトウェアというのは、案外に絵画に似ている。私はそう思っていたのだが、上で述べたポール・グレアムも、実に、美術学校で専門的に絵画を学んだ上で、やはりそうだと述べているのである。

コンピュータソフトウェアというものは、「完成してから、ユーザーの本当の要求が出てくる」という、作る側には冗談ではないことが現実だといわれることがよくある。
現代では、それを前提としたソフト開発手法が発達しているくらいだ。ちょっと前では、プロトタイピング式開発と言われるものがそうだったし、さらに、スパイラル式開発とか、イテレーション式開発とかいったものが出てきた。対して、古典的な、仕様をきっちり決めてからプログラムを作る方式は、ウォーターフォール式開発と言われる。うまくいく限り、ウォーターフォール式開発が、最も安価で早く出来ることは間違いがないが、開発プロジェクトが失敗する可能性が最も高いのもウォーターフォール式だ。

だが、いかなる方法を使ったとしても、完璧な仕様というものがないことが前提と言わざるをえないソフトウェアなんて、危ういものだ。
ところが、コンピュータソフトウェアは、人々の生命と直結する場合も少なくはない。
宇宙ロケットや航空機の自動操縦や、原子炉の制御などでは、ソフトウェアの間違いが大災害を起こす。
コンピューター制御の手術なんて、私なら絶対受けるつもりはない(手術自体、どんなものも受ける気はないが)。
核ミサイルの飛行制御も当然、コンピュータが行う。
そして、銀行や証券システム、あるいは、電話やインターネットの通信システムなどでの、システムトラブルも、大半はソフトウェアの間違いが原因だが、そんな事故なんて、実によく聞くし、ニュースにもなっている。
ソフトウェアのトラブルを体験したことのないパソコンユーザーなんて、滅多にいるものはないだろう。
ソフトウェアのバグ(間違い)を完全に無くすことは決して出来ないのである。
そして、いまやコンピュータが使われていない電気・電子設備はないし、ソフトウェアの無いコンピュータはない。
潜在的に危険なものは、実際に危険なのであり、つまり、今の世の中は危険だらけなのであることは断言しておく。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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