ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ボーカロイド

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ボーカロイドだけが日本のクリエーションで良いのか

アインシュタインが、自分も苦しめられた学校教育を批判し、「知識より想像力が大切」と言ったのが、おそらく、彼の名言の中で最も重要なものだろう。
世界の学校教育は進歩したが、日本だけは、相変わらず、産業革命直後の、ロボット的な工場労働者を作る教育が継続され、それが、他国との競争力の低下として明確に現れてきている。
他国では、もう数十年も前から、1つの授業の時間を短縮して集中を持って学べるようにしたり、日本のように、知識を暗記したり計算力をつける教育ではなく、思考力を高める教育が普通になっている。
もう日本の教育は救いようがないとしか言えない。
そんな日本の学校教育への反発も起こっているが、その中で、肯定的な意味で注目すべきことは、アインシュタインが言うように、「知識より想像力が大切」が理解され、想像力の最も分かり易く、華々しいものである創造を重んじる文化が、一部で起こって来たことだ。
これが、日本における、1つのカウンターカルチャー(抵抗文化)として力をつけてきた。
クリエーション(創造)を高い位置に置く文化・・・クリエーション主義である。

クリエーションを重視する文化の中で、注目すべきものは電子音楽で、それが日本独自に花開いた特筆すべき例が、初音ミクと米津玄師だろうと思う。
シンセサイザーが安価になり、さらに、パソコンソフトで出来るようになったが、どうしても、歌がないと一般には伝わり難い。しかし、いかに進歩した電子技術においても、歌声を合成することは難しかったが、ヤマハがボーカロイド技術を開発することでそれが実現し、やがて、初音ミクという優れた音声合成アプリが登場し、米津玄師という天才が世に出るきっかけにもなった。
真のクールジャパン、日本が世界に誇れるものの1つが初音ミクで、それは世界的にも注目されてきた。
しかし、日本ほどのボーカロイドによる創造は、他国では、そう起こっていないと思うし、あまり起こらないのではと思う。
これは、遅れた日本の学校教育に対する抵抗から生まれてきたからで、かなり学校教育が進んだ国では、子供や若者の創造力は別分野で既に発揮されているのである。
今や、初音ミクなどボーカロイドだけが、日本における創造文化とすら思える。

ところで、ちゃんと理解しておくべきことは、本当の創造というものは、そうはないということだ。
音楽においても、何かで坂本龍一さんが言われていたが、本当に新しい音楽を創造出来る天才は、数世紀に1人といった稀有なもので、一般に新しいと言われる音楽は、既存の音楽の組み合わせである。例えば、ビートルズだってそうで、本質的に新しいものは何もなかった。
そして、これは音楽に限らない。
コンピューターだって、日本では新選組がいた時代に、イギリスの天才が機械式に設計したコンピューター的な計算機を、割と最近、試しに作ってみたら、ちゃんとコンピューター的に計算したらしいし、実際、基礎構造は、その計算機も現代のコンピューターも変わらない。
そんなものを200年も前に作った大天才がいたのは驚くべきことであるが、そんな者こそ、真の創造者である。
初音ミクの素晴らしい音楽を作る人も、特別な創造力があるわけではなく(もちろん創造的ではあるが)、初音ミクが登場したことによって、これまでの時代ではなかった、創造力を発揮する機会が与えられたのである。

その中で、注意したいのは、クリエーション(創造)偏重の思想が起こっているのではないかということだ。
これまで、あまりにクリエーションが押さえつけられてきた反動もあるし、クリエーションの重要性を訴える必要もある。
しかし、何でもかでもクリエーションが重要であるとか、クリエーションが1番という考え方も間違いなのである。
また、上でも述べた通り、真のクリエーションは滅多にあるものではない。
ある意味、普通のクリエーションは、組み合わせの妙なのである。
あまりにクリエーションが過大評価されると、真に新しいものはそうそう作れないことから、他との差をつけるために、エキセントリック(風変わり)になり、過激になり、そして、奇抜になって堕落する。
ボーカロイド音楽は、今はそうではないが、やがてそのようになると推測出来るのであり、兆候そのものは、もう現れているかもしれない。

他と差をつけて自分が優位に立つこと、目立つアイデアで儲けることばかり考えて堕落したものはいくらでもある。
このままでは、初音ミクだけでなく、音楽全体、そうなるかもしれない。
大切なことは、ここでも、魂の声に従うことである。
それを忘れた文化が堕落し、悪しきものを生み、蔓延らせるのである。








混ぜたら成功した

固定観念や偏見、つまり、世間的な思い込みを捨てれば捨てるほど、優秀になり、知恵が出て、そして、天才になり、さらには、超能力者や超人になる。
ところで、固定観念を捨てることを、突飛なことを考えることだと誤解している人がいると思う。
そうではないのだ。
固定観念を捨てるとは、人工的なものを排除するという意味なのだ。
引力の法則は、固定観念ではない。だから、捨てる訳にはいかない。
しかし、白人が有色人種より優れているというのは、人工的な観念・・・すなわち、固定観念なのだ。

日本人は昔から、「発明は出来ないが、応用は上手い」と言われ、やっかみ半分に、「猿真似が上手い」と言われることも多かった。
しかし、発明なんてのは、自然の模倣なのだ。
ところで、携帯電話に初めてカメラをつけたのは日本のメーカー(J-PHONE)だった。
そして、初めは、世界中で笑われたという。
このように、携帯電話とカメラという、欧米的発想では、混ぜてはいけないものを混ぜるのが日本人なのだ。
そして、そんなことが出来るのは、固定観念がないからだ。
携帯電話とカメラの話は、ドワンゴの川上量生会長のインタビューからの引用だが、ドワンゴのニコニコ動画も、既にYoutubeがあった時代に、別の動画投稿サイトを作るというのは、本来は無茶なものだった。
川上氏の本を読むと、ニコニコ動画は、ライブ感を重視したことがYoutubeとの差異になるが、これは、リアルとバーチャルという、混ぜてはいけないものを混ぜたということと思う。
だから、川上会長は今年は2日で15万人を集客したニコニコ超会議なんてものを、また、発想の柔軟なトップクラスの研究者達が、ニコニコ学会βという、学会というリアルなものを、バーチャルな動画投稿サイトと混ぜたものを考えて実行した。
初音ミクさんが採用されたGoogle ChromeのCMのキャッチフレーズは「Everyone, Creator(みんな創作者)」だが、ニコニコ学会βは「Everyone, Scientist(みんな研究者) 」だ。

いかなる大発明、優れたビジネスモデルも、全て、誰も混ぜようとしなかったものを混ぜたものなのだ。
川上量生さんは、スマートフォンは、iモードをアップルやGoogleが真似しただけだと言うが、iモードも、携帯電話と通信端末を混ぜたもので、携帯電話は無線と電話を混ぜたものだ。

初音ミクさんのようなボーカロイドは、シンセサイザーと人間の声という、混ぜるのが難しいものを混ぜたものだ。
いかなるピアノの達人がピアノの「ド」を叩いても、それは、ピアノの「ド」だ。
つまり、楽器というのは、弾き方を変えても、音色はさほど変わらない。
しかし、人間の声・・・特に歌声では、本当に様々な音色の「ド」が出来る。
だから、ボーカロイドは、発明者のヤマハの剱持秀紀氏によれば、沢山の楽器を瞬時に切り替えて演奏するようなものなのだそうだ。
初音ミクさんは、そのような超高度なテクノロジーなのである。

混ぜちゃいけないものを混ぜることについては、昔、竹村健一氏が、ハウスバーモントカレーのことを著書に書かれていた。
カレーにリンゴとハチミツなんてものを混ぜることは、それまの常識では有り得ないことだったが、それを混ぜちゃって大ヒットした訳だ。

坂本龍一氏が言うには、新しい音楽を作り出すような天才は300年に1人といったものらしい。
昔、ビートルズが革新的と言われたが、ビートルズだって、黒人音楽、ロック、ミュージカル音楽等をアレンジしただけのものだという。
だから、日本人は猿真似が上手いなんて揶揄した連中は、モノが見えていなかっただけで、優れた創造は、自然の組み合わせ、自然を組み合わせたもの同士の組み合わせなのだ。
うまく混ぜることが創造性で、混ぜることが出来ないのは、固定観念があるからだ。
よって、固定観念を外すと、創造が出来る。

キリスト教は、ギリシャ神話とユダヤ教と何かを混ぜたものだし、仏教は、ヒンズー教と何かを混ぜたものだが、キリスト教もイスラム教も仏教も混ぜてしまえば良いのである。
しかし、そんなことを絶対に認めないのが宗教の権威である。
そして、最大の固定観念は、いつの時代も権威なのである。
国家の権威を捨て、世界の国々が混ざり合った時に、いよいよ地球人類も宇宙に進出するのである。

我々は権威を叩き壊し、固定観念を捨て、誰も混ぜなかったものを混ぜることで、何かを作り出せる。
では、何を混ぜればいいかというと、混ぜて欲しがっているものを混ぜれば良いのだ。
優れた音楽グループや、あるいは、優れた企業を見れば分かるが、人間はそれぞれ何か欠けているのだが、混ぜることで補完されるのである。
そして、そんな人達は、元々、混ざり合いたかったのだ。
だから、お互い、惹かれあってグループになったのである。
あなたも、混ぜると同時に混ざるのだ。
それは、傷を舐め合う関係や、寄りかかる関係ではなく、融合し、二人で一つ、三つで一つになることである。









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電子音を題材に考える、人間が無限の存在になる条件

世界的なシンセサイザー奏者の冨田勲さんの本で読んだが、シンセサイザーは、自然界のあらゆる音、また、あらゆる楽器の音を作り出せるらしい。
1本数億円と言わるヴァイオリンのストラディバリウスの音だって再現できるという(ただし、演奏家の弾き方による音の違いは当然ある)。
しかし、それでも、人間の声を出させることはほとんどできない。
冨田勲さんも、シンセサイザーで、荘厳な合唱のような声や、なんとなく人間の話し声のように聴こえる音を創り出して作品に使ってはいるが、本物の人間の声にはほど遠い。
初音ミクが本物の人間のような声で歌うのは、実は驚異的なことであり、ヤマハが初音ミクに使われているボーカロイドシステムを開発するには、長い時間をかけて大きな困難を克服しなければならなかったのだろう。そして、現在のボーカロイドシステムも、まだ進化中であり、初音ミクだって、まだ完全な人間の声ではないところもある。もっとも、初音ミクの人間らしくない部分が良いと感じることもあり、ボーカロイドシステムが進歩し過ぎて、全くの人間の声を出せるようになるのが果たして良いかどうかは分からないのだが。
私は特に、ミクの「お」を伸ばした時の声が好きだ。
昨年(2012年)11月23日に、東京オペラシティ・コンサートホールで公演が行われた冨田勲さんの新作交響曲『イーハトーヴ交響曲』のアンコール曲として初音ミクが『リボンの騎士』の歌を歌ったのだが、その中の歌詞、「馬を飛ばす王女」の「王女(おうじょ)」の最初の「お」が非常に可愛らしく感じた。それが、楽器としての初音ミクの味と言えるのかもしれないし、将来にできるかもしれない、完全なボーカロイドシステムにはない人間らしさかもしれない。

コンピューターの世界では、対話している相手がコンピューターであることを、いつまで気付かれずにいられるかというチューリングテストというものがある。これは、コンピュータによる人間的な知性のシミュレーション能力を試すのであり、あくまで文字によるものである。
そして、チューリングテストで、人間との違いがないと判定される、完全なチューリングマシンが現れ、これと完全なボーカロイドシステムを組み合わせることができれば、面白いというか、恐ろしいものができることになるだろう。
そして、それは、本来は不可能だ。
しかし、現在の人類のあり様を見れば、それは割合に早く実現してしまうに違いない。
その意味は重要である。
人間の可能性は、本来は無限なのである。
しかし、物質主義に陥った人間は、その可能性を狭めていき、現在の文明国の人間は極めて限定された存在に成り果てているのである。

天地という言葉があるが、どこまでが地で、どこからが天であるかは定かではない。地上百メートルならまだ地と見なすべきであるが、50kmくらいまでの成層圏や、さらにそのずっと上の外気圏(1万kmくらいまで)、さらに宇宙空間まで行っても、まだ天とは言い難い。
つまり、天は無限の先である。しかし、天は地をも含んでいるのであり、地もある意味、天である。
古代から、聖人達は、人と天との違いは本来はないと述べてきたが、それは、このように理屈で考えても、ある程度分かるのである。
近代の心理学では、人間の意識が、表面的で自覚される意識(顕在意識)と、その奥に広がるが自覚されない無意識(潜在意識)に分けられることを発見したが、C.G.ユングが、「意識と無意識の境界が定かである訳ではない」と述べたのが印象的だ。

人間がシンセサイザーで創り出せる音にだってまだまだ大きな可能性があり、ボーカロイドも今後も無限に進化するだろう。
それなら、ましてや人間が、物質主義に陥って自らを限定してはならない。
人間こそ、神に限りなく近付く可能性のある存在なのである。
しかし、物質主義を抱えたまま、つまり、物欲、名誉欲、表面的な動物的本能である快楽にとりつかれたまま神の領域に踏み込めば、聖書にある、バベルの塔を造ろうとした愚かな人間達の二の舞である。そして、現在の医学や理論物理学でも、その愚を犯しつつあるのかもしれない。

ただ、いきなり壮大なことを考えても仕方がない。
まずは、ボーカロイドシステムでも真似のできない、我々の声を大切にすべきである。
イエスは、「人は口から入るもの(ここでは洗わない手で食べる食物を指す)で穢れない。口から出るもの(言葉)で穢れる」と教えた。
まずは、正しい言葉を使うべきである。それは、上品ぶった、見かけだけ立派な言葉ではない。しかし、現代の汚い言葉や品のない省略語を使う者に見込みはない。特に、世界でも類を見ない表意言語(文字の1つ1つに意味のある言葉)を使う日本人なら、特に言葉を大切にしなければならないのにである。
たとえ、器質的な問題で声が出せないとしても問題ではない。声に出す言葉は心の想いから出るのであるから、我々は心を整えなければならない。
そのために大切なことは、無駄な言葉を言わないことだ。そして、さらに良いのは、無駄な想念を起こさないことである。
心が静まり、穢れた想念で心が曇らない時に、心の深奥から神の声がやってくるだろう。ソクラテスはそのことに気付き、その声をダイモニア(ダイモーン)と呼んだ。人間の偉大な行いで、ダイモニアによらないものは1つとしてない。
そして、古代から、あやゆる本物の聖賢は、人の内側にある崇高なもののことを繰り返して教えてきたが、ほとんどの者が分からない。しかし、聖者は、千人に一人でも理解できる者がいるなら、それを教え続けるだろう。
ジョセフ・マーフィーは一種の方便として、俗っぽくはあるが、実質的には聖者と同じことを分かり易く教えたので、世界中に愛されたのであると思う。まずは、そこから入るのも手かもしれない。マーフィーの法則は決して欲望の法則ではないと気付けば、次の段階にも進めるだろう。









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ある未開民族の、真に強い人間を見分ける方法

まるで天使に護られてでもいるかのような人間がいる。
そんな人間は味方にしておくと心強いし、企業であれば、雇っておくに限る。無論、それは学歴や資格などとは何の関係もない。
では、それはどんな人間か?
それが分かれば、あなたもそうなれる。

ある未開の民族では、その人間に、本当の力があるかどうかを、ある方法でテストする。
テストに合格すれば、文明国の外国人であっても敬う。
そのテストとは、テストされる者が、夜更けから始め、一晩中、延々と話せるかどうかを見るのだ。
彼らには分からない国語であっても構わない。日本語だって良いのだ。

つまり、何かについて、何時間でも熱く語れる者には、何かの力ある存在が守護するのだ。多分、天使のようなものだろう。
ただし、ネットでよくあるように、マニア同士がわいわい言う軽いものでは決してない。
たった一人、延々といつまででも語れなくてはならない。
本当に聞く者などいなくて構わないさ。
学校でも会社でも、あるいは、どんな場所にいて、何をしてたって、そんなことが出来る者は無敵と言って差し支えない。

例えば、私がいくら初音ミクが好きだと言っても、ミクの歌で知っている曲は、普通のファンよりずっと少ないだろう。
ミクのゲームなんて、1つもやったことはない。
また、知っているボーカロイドは、ミクの他は、ルカ、リン、レンくらいで、後はほとんど知らない。海外のボーカロイドについては全く知らない。
しかし、ミクについて語るなら、いつまででも熱く語れるのである。
話の最初は、世界初のボーカロイドと言えるかもしれない、1961年のAT&Tベル研究所にあったIBMのコンピューター、IBM7094が歌った歌、『デイジー・ベル』からになるだろう。そこまではWikipediaにだって書いてあるが、その時の歌はデジタル合成ではなく、音響管を使ったものだったことは書かれていない。そして、このことが、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』で、人工知能を持つコンピューターHAL9000が同じ歌を歌うことにつながる。そこで、キューブリック映画について語りもするだろう。
初音ミクに組み込まれたボーカロイドシステムを開発したのはヤマハだが、ヤマハのボーカロイドシステム開発プロジェクト名がデイジーだった。さらに、ヤマハは今、日本最大手の教育企業と組んで中国で事業を進めているが、その教育企業は、世界最大の教育企業ピアソンに対抗しようとしている・・・
そんな調子で、何日でも語り続けるだろう。

丹波哲郎さんは、霊界や霊に関する本を数千冊読んだというし、実際、そのことについていくらでも話せただろう。また、そうなるまでにも、いろんなことについて語れるようになっていた。それは、学校の勉強みたいなものとは何の関係もない。彼も、学業は全くなおざり(いい加減)だった。
そして、丹波さんはどこに行っても、彼に敵しえる者などいなかった。サラリーマン時代は、席にもおらず遊び回っていたがお咎めなく、役者になってからは、使いにやらされた先で、そこの従業員の女性に、「君、私のラーメンを注文しなさい」と、重役ぶって言うから、相手も慇懃に扱ってくれた。まさに無敵だった。
私も、丹波さんほどではないが、初めて就職した頃、霊界に詳しく、一晩程度なら話せる力があったので、引きこもり気質であったにも関わらず、何の苦労もしなかった。
私には、状況を味方にする力があった。いや、そんな力に護られていたのだ。

私は、ある時期は古き時代のプロレスについて語ることが出来たし、美少女戦士セーラームーンについて知らないことはなかったこともあった。
繰り返すが、それは、世間で言う、ファンやマニア同士で楽しく話すようなものとは全く異なる。逆に、私はそういった話には3分と参加していられないだろう。
無論、私は、今は、コンピューターについて、何ヶ月でも話し続けることが出来る。
ただし一人でね。
ルパン三世のテーマにあるように、それは、「空をかける、ひとすじの流れ星」である自分の世界だ。
そして、そんな世界こそが、人類の中に本当の絆を結ぶ。
それは、初音ミクの素晴らしい歌は、本当の自分の世界を持つ者が創ったからこそ、世界中に共感と感動の連鎖を広めたことからも分かるだろう。

君が伝えたいことは
君が届けたいことは
たくさんの点は線になって
遠く彼方へと響く
君が伝えたい言葉
君が届けたい音は
いくつもの線は円になって
全て繋げてく どこにだって
~初音ミク『Tell Your World』(作詞、作曲:kz)より~

ゴルフ史上に残る名プレーヤーだったセベ・バレステロスが、何かのテレビCMで、「父親に、何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれと言われた」というのがあったが、それは多分本当だ。
しかし、そういったことが、直接、成功に結び付くものでなくなって構わない。
そんなものを得れば無敵であり、言ってみれば、特に何かで名を成す必要もない。世に出るかどうかは、単に運命であり、むしろ、世に出ない偉人の方がはるかに多いのだから。
あなたも、学校や会社でやることは適当でいいから、自分が本当に好きなことを、本気でやるのだ。
それがあなたを護り、あなたが傷付くことは決してなくなるだろう。
なぜなら、それがあなたを、自己を信頼することに導き、自己信頼こそが、人間にとって最大の力だからだ。
学校や会社では、あなたが全然好きでないことを、勝手にあなたの最重要事項にしようとしている。それでは、あなたは自己を全く信頼できず、ずっと弱くて惨めなままである。たとえ、一流大学を出て、大企業で部長になってもね。いや、そうなれば、ますます哀れな者となるだけなのだ。









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ITに本当に強くなる鍵は歴史と敬愛である

最近、「メカに強い」なんていう言葉を聞かなくなった。
現在の多くのマシン(動力型機械)やインストルメント(人が操作して使う装置)の多くは、高度に電子化し、自分で工具を使って修理したり改造できるようなものでなくなってしまった。
パソコンで言えば、普通には、せいぜいがメモリ(RAM)を増設したり、内蔵ハードディスクを交換する位しか不可能な構造になってきたが、その程度が出来てもパソコンのハードウェアに強いとは言えない。
また、スマートフォンやタブレット端末に多数のアプリをインストールして使っているだけでは、ITに強いということと何の関係もない。

私は、およそ何かに強いというのは、以下の条件が必要だと思っている。
1つは、予測できない事態に対処できることだ。それは、基礎がしっかり出来た上で、経験を積んで初めて可能なことだ。
もう1つは、歴史を語れることだ。私は、いかなる分野であれ、自分のやっていることに関して歴史を語れない上級者というものを見たことはない。
例えば、私がこよなく愛する初音ミクの基本システムであるボーカロイドに強いという人なら、1962年にベル研究所の音響管モデルの人工音声装置が、“Daisy,daisy,…”と歌った歌のことから語れるものである。
これが、1968年の『2001年宇宙の旅』で、HAL9000(人工知能を備えたコンピュータ)がボーマン船長に「歌ってみろ」と言われて“Daisy,daisy,…”と歌うシーンになったのだ。
そもそも、2000年にヤマハが始めたボーカロイド開発プロジェクト名が実に“Daisy”だったのである。

現在も、そして、これからの社会においても、ITに強いことのメリットはやはり大きいのではないかと思う。
しかし、実際は、システムエンジニアのような仕事をしていてもITに本当に強い者は滅多にはいないのである。そして、彼らは、ITの歴史についてよく知らないのだ。また、基礎が駄目な者も残念ながら多い。

では、ITに強くなるためには、どうすれば良いだろうか?
これは、どんな分野でも同じである。
いかなることでも、その分野で秀でるために必要なことは、内的な衝動を起こさせる情熱と愛情なのだ。その愛情は何かへの敬愛から生まれるものだ。真の向上のためには、リスペクト(尊敬)という感情は決して欠かせない。
ただ、きっかけというものは何でもよく、多くの場合、割と他愛ないものだ。
私は時々書くが、ある意味、人間というのは大したものではない。
私の場合、ITへの情熱を得たのは、1999年のアニメおよび漫画作品の『コレクター・ユイ』だったと思う。
これは、現在の小説およびアニメ作品の『アクセル・ワールド』と非常に符合するところのある作品であった。
ともに、人間の精神だけが、コンピュータが創った仮想世界に入り込むのである。
そして、『コレクター・ユイ』では、誰もがバーチャル・インできる仮想空間であるコムネットの中では、時間の流れは現実世界の256倍の加速世界となる。『アクセル・ワールド』では、一般の人用の仮想空間の時間経過は現実世界と変わらないが、バースト・リンカー(特殊なゲームプレイヤー)達が入れる加速世界では、現実世界の1000倍の加速となる(1024倍か?)。
私は、『コレクター・ユイ』に登場するクールなキャラクター、コレクター・アイの抜群のIT能力に釣り合おうとIT能力を高めたおかげでIT技術者になれた訳で、現在であれば、アイと同じ14歳の、『アクセル・ワールド』の黒雪姫のためにITに取り組むことで技術を修得できるだろう。それは欲得のようなものとは何の関係もない、敬愛の感情なのである。そして、私が普段教えている加速の方法も活用すれば、それは楽々と達成できるのである。
システムエンジニアの仕事も苦しいことがあり、人によっては、自分の仕事が理解されないことへの不満や周囲への批判を言う者もいるが、仕事の苦労というのは、何をやっても同じである。むしろ、システムエンジニアなんて恵まれている方だと思う。
そして、加速することを覚えれば、98%の時間は好きに過ごし、2%の時間で仕事をこなせるのであり、不平不満などを言う必要はなくなるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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