鴨長明(かものちょうめい。1155~1216)の『方丈記』という、日記調の随筆ほど簡明を受ける書はそうはないと私は思う。
確かにこれは、我が国で、『徒然草』、『枕草子』と並ぶ、古典三大随筆と言われているらしい。
鴨長明は、本当は、「かものながあき」という名で、歌人であったが、神職の、まあ、国家公務員みたいなものだったのだと思う。
それが、世間的な患い事でストレスが溜まり、世の中というか人生がすっかり嫌になったところは、経済的苦労はそんなにないが、何のために生きているのか分からないという、今のサラリーマンや公務員みたいなものではないかと思う。
それで、お勤めを辞め、山の中の小さな小屋に引きこもって、自然の中で清々しく生きることに決めた。
そんな清貧な生活を続け、聖人にでもなった気になり、そこそこ自己満足したのかもしれない。
だが、ある朝、何かのきっかけで気付いてしまった。
自分は、煩悩まみれの穢れた人間であることは、ちっとも変っていないということに。
まあ、どうせ、昨日見たJKのことでも思い出してムラムラしたのだろう(笑)。
その時、鴨長明は思わず、「南無阿弥陀仏」と念仏を三回唱えた。
確かに、念仏は、こんな人間のものだ。

ドナルド・トランプは、本当に、聖書を熱心に読み、神を信じて、正義を行おうとしているのかもしれない。
だが、全くの俗人でもあり、時にはボロも出る・・・いや、出まくりだ(笑)。
しかし、それを非難出来るような人間なんているはずもない。
それなのに、他人のこととなると、自分のことは棚に上げて、汚い言葉で糾弾する。
皆そうであるが、自覚があるかどうかの問題だけで、鴨長明は、いい歳になって、やっと認識・自覚出来たのだ。

私も、正義好きではあるが、つくづく俗人だ(笑)。
だから、鴨長明も、それを認めたことで、お友達という訳だ。
いや、私がそう思っているだけだが・・・(苦笑)
なら、それでいいから、例えば、念仏のようなものを持っていれば良いだろう。
マイク・ペンス副大統領は、トランプと違って(笑)、超人格者として知られ、彼を悪く言う人はいないという。
彼は、確かに日頃の行いは立派だが(妻以外の女性と食事をすることもないという)、彼とて聖人ではなく、やっぱり俗人であることは確かだろう。
その彼は、旧約聖書のエレミヤ書29章11節の聖句を、常に心に留めているそうだ。
それはこうだ。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」
後4年、トランプが大統領をやった後、ペンスが引き継げば、アメリカは良くなる・・・かもしれない(笑)。
だが本当、何でも良いのだ。
聖なるものを何か1つ持っている人がよく生きられるのではないかと思う。
私の知り合いに、とても成功した事業家がいて、見かけは貫禄ある人格者だが、付き合うと・・・まあ、やっぱり俗人で、それが理由で、彼のことをあまり快く思わない人も多い。
だが、やはり彼は凄いのだ。
そして、彼がこっそり、般若心経の小さなお経を常に携帯していることを知っている者はあまりいない。
彼は、時々、それを出して読むのらしい。だが、お経の意味とかはあまり知らないと言う。
そんなものを、1つくらいは持っていても良いと思う。
もちろん、念仏でも、短い祝詞でも良いのである。