ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

ベートーヴェン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

人生は喜劇でしかない

楽聖ベートーヴェンの臨終の言葉は、「喝采を、諸君。喜劇は終った」であった。
このブログで何度か書いたが、ダンテの叙事詩の傑作『神曲』の本当の題名は『神聖なる喜劇』で、さらに、ダンテ自身は、単に『喜劇』としていたのだ。
『神曲』という題名は、森鴎外がいわば勝手に付けたものだが、鴎外自身が『神曲』の翻訳をしたのではなく、彼は、アンデルセンの『即興詩人』のドイツ語版を翻訳したのだが(原典はデンマーク語)、『即興詩人』の中で引用されていた『神聖なる喜劇』を『神曲』と訳したのだ。
『神曲』は『神聖なる戯曲』の意味だったのかもしれない。鴎外は、喜劇という言葉に抵抗があって、それを戯曲としたのではないかと思う。

一方、アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、「人生が悲劇であると認識した時、人は始めて本当の生を始める」とか言ったらしい。
人生が、喜劇か悲劇かは、見方、考え方の違いに過ぎないような気がするが、この喜劇という言葉には、「どうしようもない悲劇なので、笑うしかない」といった意味が感じられるように思えるのである。

人生が、喜劇か悲劇かは考え方次第であるが、劇であるのは確かだ。
なら、脚本家は神である。
そして、アインシュタインが言ったように、「神は老獪である。ただし、悪意はない」のである。
ところが、アインシュタインは、「神はサイコロ遊びをしない」と言った。
彼には、不確定性理論による、「観測するまで結果は分からない」という考え方を受け入れることができずに、そう言ったのだ。
だが、神はサイコロ遊びをするのだろう。
Akiさん作詞の初音ミクの歌『可能世界のロンド』の中に、「サイコロが転がる 現実が生まれる 世界が動き出す 軈(やが)て答えを探す」という歌詞がある。
ただ、上にも挙げたイェイツは、「神のサイコロは無限の目を持つ」と言った。
神がなぜサイコロを投げるのかは分からない。古代インドでは、それはただのリーラ(遊び)だという。遊びの意図はあるのかもしれない。
しかし、ソクラテスも信条としたデルフォイの信託にあるように、その意図を知ろうとするのは、たかが人間には不遜というものだろう。
我々に出来ることは、アインシュタインが言うように、神に悪意が無いと信じることくらいである。

ところで、イェイツは自分の神秘体験について語っている。
霊的な視野がぱっと開け、全ては良いのだと確信する。壁の絵は語りかけてくる。
これは、ロマン・ロランの言う大洋感情、あるいは、アブラハム・マズローのいう至高体験と同じと思われる。
大洋感情、至高体験とは、万物と一体化する没我の体験であり、イェイツはそのまま、「芸術の目的はエクスタシ(忘我)」であると言った。
およそ、文豪と言われる者の作品には、同じ神秘体験が、一度は必ず描かれている。文豪かどうかの識別のようなものだ。
だが、イェイツは、そんな体験がなぜ起こるのかは分からないと言った。
分からないが、彼は、「人を憎むのをやめたときに起こると思う」と述べていた。

では、その起こし方を教えよう。
それは、人生をせめて喜劇とみなすことだ。
喜劇であるのだから、シナリオがある。神の書いた素晴らしいシナリオだ。
ならば、誰かを恨んだり、妬んだりするのは愚かなことだ。また、自分を誇ったり、嘆いたり、悔やんだりするのも滑稽だ。
ベートーヴェンの喜劇は終ったが、我々の喜劇は続いている。
だが、我々は役者であり、脚本家ではない。与えられた通りに演じるのみだ。いや、演じるしかない。
それは悪いことではない。我々は、何をしても、何の責任もない。
これは、慰めでも何でもない。本当のことだ。
ひろさちやさんが本に書かれていたが、一生、ひきこもりで過ごすのも、仏様の書いたシナリオであり、本人に責任はない。私もそう思う。
別に、怠惰、放埓でなければならないと言っているのではない。ただ、人生は喜劇だと言っただけだ。
そして、自分の思うままに怠惰にも放埓にも、勤勉にもなれない。我々に筋書きは決して決められない。
だが、大金持ちでハーレムの主になるより、はるかに大きな喜びはあるだろう。
文豪達の神秘体験は、それを垣間見させたものである。
尚、まさたかPさんによる、初音ミクの『可能世界のロンド』のビデオクリップは芸術品と思う。収録DVDを下にご紹介する。








ハートは左に、ソウルは右に

英語では、心臓も心もハートだが、日本語の心や英語のハートは、感情的な心を指すと思われる。それが心臓にあると考えたのは自然なことだろう。

だが、日本語で思考とか意志と言えば、頭にあると考えられる場合が多いだろうし、それらを英語で言ったマインドやウイルも同じと思う。
日本では、本心といったことを、腹と言うこともあるが、これは日本独特のものだ。だから、切腹という、ある意味、日本を象徴する行為があるのである。

さて、深い心のことを、日本語では魂、英語では、ソウルとかスピリットと言うのだと思う。
魂という概念は、どこの国にもあるのではないだろうか?
魂に対するイメージは、炎である場合が多いように思うが、古代ギリシャでは蝶であったようだ。死者の魂が蝶のように漂っていると感じたのだろう。

では、魂は、身体のどこかの位置で感じられるものだろうか?
感情が心臓の位置である胸の左側で感じると言っても、魂がそうであるとは限らない。魂とは、心のように簡単に揺らいだり動いたりするものではなく、大きく、静かなものであると考える場合が多いのではないかと思う。それならば、容易くドキドキする心臓と同じであるとは考え難い。いかに修練を重ね、動揺することが無い人間にだって、必ず弱みはある。強そうな人間ほど、弱点を突かれると脆いものだ。だから、魂は心臓の位置にはない。

古代インドの聖典には、魂を意味するフリダヤムは、胸の右側にあると記されているらしい。ラマナ・マハルシの説明では、胸の中心から指2本分右である。
その証拠として、人が自分を指差す時、自然に胸の右側を指すのだという。
ただ、現代の日本人に、自分を指差すことをさせた場合、顔を指差す場合が多いと思う。
もし、ラマナ・マハルシの説明の通りだとしても、今の日本人は、魂という深奥の心を大切にしたりはしていない。
とはいえ、両手の親指と人差し指で枠を作り、それを深い心を示す意図をもって胸の上に合わせる時、それは自然に、わずかに胸の右側に置くのである。

ベートーヴェンの交響曲第9の中の、有名な『歓喜の歌』に、

歓喜よ、神々の美しき閃光(火花)よ
楽園の乙女よ

とあるが、この閃光(火花)を、霊と訳す人もいるが、直感的にそう感じたのだろう。霊は魂と同じものと言って良い。
神は、中心の無限の炎であり、そこから発した閃光、あるいは、火花が人の霊、あるいは、魂なのだ。
そして、神の火花である人の魂を、美しいものの代表である乙女に喩えたのだろう。それが楽園(天国、あるいは、エデン)の乙女であれば、その美しさは至上のものであるはずだ。
神の魂と本質において等しい我々の魂もまた比べるものなく美しく貴い。その真理を知ることが歓喜であるのだ。

我々も、心が強くなれば、感情を支配できるようになり、そうなれば、心臓とは別の位置に魂を感じるようになる。
それが、胸の右側であることは、体験として知るしかない。
もちろん、右の右側というのは、肉体的に魂の感覚が現れるという場所に過ぎず、そこに魂があるというのではないと思う。しかし、全体の大きな魂である神への通路のようなものであるとは言えるかもしれない。

だが、人間の世界では、いかに社会で鍛えられ、心を強くしたつもりでも、欲望のために、神の閃光、楽園の乙女を感じることができず、自己の価値も希望も見出せず、悲惨と苦しみの中にあるのだ。

では、さらに、瞑想や呼吸の制御、あるいは、マントラを繰り返し、心を一点に集中することで心の強さを高め、その強くなった心で、「私は誰か?」と問い続ければ、やがてその思いは、胸の右側に溶け、そこを通し、無限の静寂を見つける。遠くにあるものだと思っていたその楽園は、手足よりも、呼吸よりも近くにあったことが分かる。その時に、歓喜の歌が歌えるのである。
シラーは、何らかの幸運により、楽園を見つけたのだ。
だが、我々は、偶然の幸運に頼らずとも、確実にそれを見つけるだろう。









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食の慎みと沈黙があなたを自由にする

学校で傲慢な教師や、たちの悪い級友に耐えたり、社会で頭を叩かれるのは、皆、魂を解放するための修行でしかないのだろう。魂を何から解放するのかというと、暗闇のベールとでもいうものだ。だが、我々の魂は、漆黒の夜空に輝く星のように、闇に消されるようなものではない。
多くの人の魂は、世間という闇に覆われて、輝きを失くしてしまっている。
だが、魂を解放して輝きを夜闇に放てるようになれば、我々は自由だ。
ベートーヴェンの第九の中の歌『歓喜の歌』で、歓喜とは、神の美しい火花(あるいは霊感)、楽園の乙女と表現されているが、それは、解放された魂の輝きのことだ。そして、魂そのものは、神あるいは楽園と一体のものである。

では、魂を確実に解放する良い方法とは何だろう。
最も重要なことは、食欲を克服することだ。食欲は魂を縛るのである。だから、飽食が蔓延っている世間の中の人々の魂は、牢獄にいる。牢獄は個室だ。本来、分離されていないものが分離されているのだ。
もう1つ重要なことを言えば、無駄なおしゃべりをしないことだ。沈黙は金というが、これはお金のことではない。魂を輝かせるということだ。
ラマナ・マハルシは、実相である神を知った後も、何年もの沈黙の行をしたが、口でも心でも、なるべく沈黙を守ることは優れた行である。

食を慎むのは楽しいことだ。それだけで魂が解放されていくのだ。これほど嬉しいことがあろうか?
沈黙もまたしかりである。話すときは、必要なことだけを端的に言うのだ。人の想念というものは、話さなくても照射されるのである。「大切なことは、言わなくても伝わる」のだ。

「ありがとうございました」
「何もしていない」
「はい。ずっとそばに居て下さいました」
~『BLOOD-C』より。小夜(さや)が、話す犬に言った言葉~

言葉では人を慰められない。心を癒すことはできない。沈黙が人の心を溶かすのである。

私は、食事を1日1回にし、肉食を絶って4年以上になるが、半年くらい前から、ようやく、食欲を克服できた。だが、そうなるまでも、食の慎みは楽しいものであった。魂が現れてくるのを感じるからだ。また、最近では、ほとんどの会話もやめてしまった。もちろん、話すべき時は話すが、私自身は何も話していない。口が話しているだけだ。
無愛想になれというのではない。むしろ、沈黙を守るなら、芝居の愛想良さよりずっと親切かもしれない。

好機が来ても私は打たない。拳自らが打つ。
~『燃えよ!ドラゴン』より。リーが師に言った言葉。~

魂を解放すればするほど、我々は自由になり自在になる。世界は意のままになる。
我々の魂から放出される光は、神の光、楽園の乙女・・・つまり、この上なく美しいものだ。
それが、ベートーヴェンの第九、天啓を得て書かれたシラーの詩『歓喜に寄せて』の意味するものだ。日本人だけの習慣かもしれぬが、年末に第九を聴くのは良いことだ。









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料理も仕事も恋人も迷わず選ぶには

ベートーヴェンは、ある楽曲の1つの音を何百回と書き直し、疲労困憊(ひろうこんぱい)した挙句、ようやく決定した音は、一番最初に書いた音だったという話がある。
最初の音は、彼に訪れた霊感である。彼の第九の『歓喜の歌』のシラーの詩で言う、神の火花、楽園の乙女とはそのことだ。だから、それで良かったのに、悪魔が彼を迷わせた。悪魔とは、彼の個人的自我である。
彼は、迷いに迷って、疲れ切って自我が静まった時に、ようやく、最初の霊感の残り火が見えたのだ。愚かではあるが、彼も人間なのだ。

何かを迷って決めた時はろくな結果にならない。
内海康満さんは、犬を買うとき、一匹を抱き上げて、それでいいと思ったら、後は見ないのだそうだ。人を雇う時も、最初に会った人が良ければ、後は会わなくて良いと言う。全く同感である。
だが、最初から迷っている場合は、何も選ばないことだ。

高橋留美子さんの『めぞん一刻』という漫画で、主人公の五代が幼い頃、おばあさんに、2つのアイスクリームの1つを選ぶように言われ、迷っているうちに、両方溶けてしまって泣くという間抜けな場面があった。そして、青年になった五代の回りに、複数の素晴らしい女性が現れ、五代はいまだ選ぶことができず、自分もきりきりまいで、女性達の心も傷つける。
面白い話と思う。確かに、人生とはそんなもので、欠点を修正するまで、それが原因で何度でも痛い目に遭うものだ。
幼い日の五代は、迷うなら、最初からアイスクリームを食べる必要はなかった。だが、五代が小さいなら、迷っている五代を見て、おばあさんはアイスクリームを両方取り上げるべきだったのだ。

レストランで料理を選べないなら、何も食べないことだ。迷って選んだ料理を食べると、身体にも悪い。
昨日、このブログで、最近のデザインは悪くなったと書いたが、それはデザインに時間をかけているからだ。デザイナーが迷っているのである。もちろん、形にする際には、分野によるが、それなりの時間はかけるが、本当に良いデザインは一瞬の閃きだ。それが分からなければ、一流のデザイナーにはなれない。
画家でも、考えながら描いた作品は良くないものだ。何も考えずに、自動的に出来た絵が名画なのだ。ピカソやゴッホは、1日に何枚も描いた。それがことごとに傑作だったのだ。
本当に優れたものは自分が作っているのではない。自分は何もしていない。
エジソンの言う、「空間の向こうからやってくるアイディア」、ソクラテスの言う、内なる霊の声によって偉大なことは成る。それが、さっきも言った、シラーの詩の、神の火花、楽園の乙女であり、優れた芸術家達は、天使のmurmur(ささやき)、霊感、神の命令などと言う。

だが、我々凡人は、最初から迷っている。選択肢があれば、どれが得かといった考えに囚われるからだ。最初から得などしようと思わないことだ。最近の宣伝は全て、「お得です」「得をしよう」「やらないと損ですよ」だ。だから、どんな宣伝も、私を絶対に口説けない。私は、得をしたくないのだ。損をしたいのだ。
だが、結局は、得をしたがる者は最も大切なものを失うのだ。そして、私は意図せずいつも得をする。得をしたくはないが、損をしたことがないのである。

だが、迷いを払えない我々は、荘子が言った通り、「思慮分別、判断を捨て、全てを成り行きにまかせる」のだ。
それを、神や仏に全て任せることと言っても同じだ。本当に任せ切ることが出来るなら、損得に迷わされず、いかなる試練にでも挑めることだろう。アラビアのロレンスが、誰もが無謀だと言ったアカバ攻略を迷わず決行したようにだ。奇跡を成し遂げ、英雄に祭り上げられたロレンスだが、少佐への昇進を断り、あらゆる賛辞を受けなかった。彼自身は何もしていないことを知っていたのだろう。
神に任せるとは、怠惰になることではない。酒を飲んでごろごろして幸運を待つことではない。
その『アラビアのロレンス』の映画の中で、ハウェイタット族の首領アウダに誰かが言った。「アウダも年を取ったな。戦いにそそられぬとは」。アウダは自分の誤りに気付き、ロレンスと共に戦った。本物の喜びのために。
黒住宗忠が言った、「神に任せ切れば、嬉しいこと、面白いことばかりだ」というのは、そういったことだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


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手塚治虫へのアンサー
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


PV since 2010/09/08
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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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