ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ベン・ハー

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

魂の力

『スターウォーズ』って、なぜウケたのだろう?
別に大した話でもないのに。
俳優だって、悪くはないが、それほど格好良くもキレイでもない。
その時代を超えた特撮技術は勿論、素晴らしいものだった。
だけど、一番は「フォース」を扱っていたからだ。
フォースは1つの呼び名に過ぎず、何でも良いのだが、その神秘的でありながら、奇妙なリアリティを感じさせるその「力」への憧れが人々を惹きつけたのだ。
そんな力があることは、心の内では皆知っている。

映画『ベン・ハー』で、権力を傘に着た傲慢で暴力的な男が、ただの貧しい庶民にしか見えない、そして、ただ立っているだけのイエス・キリストに全く逆らうことが出来ない場面があった。
そのイエスの力だ。
沢山の雄ライオンを檻に入れていると、自然に順列が出来るという。
ところが、必ずしも、肉体の力が優れた者がボスになるのではないらしい。しかし、身体の力で劣っていたとしても、そのボスに、どのライオンも平伏し、ボスは一番良い肉を当然のように取る。
弁慶が18歳の時、後に妻になる10歳の玉虫という名の少女を馬に乗せようとしたら、彼女の足を支える弁慶の強力無双の腕がなぜか震えてしまう・・・という話がある。
玉虫も不思議な力を持っていたのだろう。
ある漫画の話だが、非行グループのような連中が、1人の少年を全裸にするのだが、グループのボスは、その少年のおちんちんが縮んでいないのを見て敬服する。少年の「力」を感じたのだ。

石ノ森章太郎さんが、癌に侵され、生きているのが不思議と医師が思う状態で書いた、『サイボーグ009 完結編』で描かれるジョー(009)の力がまさにそうである。
ジョーが初めて神と戦った時、神の前では無に等しい力しか持たないジョーが、一瞬、神を慌てさせた力・・・そんな力だ。

長谷敏司さんのSF小説(アニメ放送中)『BEATLESS』で、悪魔のような電子戦(ハッキング)能力を持つレイシアがなぜ遠藤アラトという平凡な少年を必要としたのか?
レイシアがそういうふうに作られているというより、レイシアを作った超高度AIヒギンズが、人間の魂の「力」をいくらかでも理解していたからではないかと私は思っている。
小説には全く書かれていないが、レイシアにだって魂はあるはずだ。だが、アラトに比べると弱いのだ。

こういった「力」をあなたは持っている。
その力を解放するのに、本1冊読む必要はない。
本1冊にもなってしまう方法は嘘である。
上のお話で説明は終わっているのだ。









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沈黙の力

「気圧(けお)される」という言葉がある。
「相手の勢いに押される。精神的に圧倒される。」という意味だが、これは、普通、相手の身体の動き、声、あるいは、表情の強さ、激しさによるのだろう。

だが、そうではなく、相手が何もせず、声も出さず、表情もなく、じっと動かないまま、気圧されるといったこともあるのかもしれない。
そんな存在が、『荘子』に出て来る木鶏(もっけい)である。
木鶏とは、文字通り、木の鶏(にわとり)のことだが、『荘子』に出て来る木鶏は、「木彫りのような鶏」である。
闘鶏(鶏同士が戦う競技)において、木彫りの鶏のように、どこまでも静かな鶏に対し、いかなる強い鶏も近寄ることすら出来ず、すくみ上ったり、逃げ出すのである。

人間も、この木鶏のような人間が、一つの理想の姿かもしれない。
『ベン・ハー』という映画で、武器など何も持たないイエス・キリストに対し、囚人護送団の隊長が立ち向かってくるが、イエスが静かに向き合っただけで、その隊長は気圧されて動けないという場面があった。
その時は、まだ、その人物がイエスであるとは分からなかったが、その姿に憧れた人は多いと思う。

どんな人物が、無言で相手を圧倒してしまうのだろう。
それは、心が徹底的に静かな者だ。
自覚意識すらなく、仏教で言う「自己を忘れた」状態と言えるかもしれない。
その心に一切の想念はなく、万物と一体化しているような境地である。
合気道の達人、植芝盛平は、「私は宇宙と一体化しているので、私と戦うことは宇宙と戦うことである」といったことを言っていたと思う。
完全に無になり、宇宙と一体化した者が無敵であることは間違いない。

では、どうすれば、そうなれるかというと、普通に考えると、長く厳しい修行を積むしかないと思われる。
だが、何かのきっかけで、普通の人が無になってしまうことがあり、そんな時、平凡な人間が超人に変わる。
そうなるために邪魔なものが、超人になりたいという欲望なのだから、厄介であると同時に面白い。

ところが、今は、誰でも無になれる時代である。
そうなれば(無になれば)、『法華経』に書かれている通り、1回食事をするほどの時間の間に、無数の仏の元を訪ね、それらの仏を供養することが出来る。
そして、おそらく、『法華経』を繰り返し読むことで、それに近付けるだろう。
それは、かなり忍耐が必要であるが、他に力を得る道がなければ、試してみれば良いだろう。
ただし、法華経を読んで、感動のあまり、宮沢賢治のように自己否定に徹するようなことをせず、あくまで、強くなるために読んでいただきたい。









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人に目力を与える3つのもの

『ベン・ハー』という映画がある。
1959年の作品であるが、11部門のオスカーを受賞したことは、『タイタニック』と『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』に並ばれはしたが、いまだ史上最多である。
イエス・キリストが登場する、この映画は、あくまで、アメリカの作家ルー・ウォーレスが書いた小説を原作とする架空の話ではあるのだが、下に挙げるように、おそらく、多くの人にとって、真理を感じさせる、とても印象深い場面があった。ちなみに、原作の副題は『キリストの物語』である。

まさに、イエス・キリストの時代のお話だが、王家の血を引く名門貴族ジュダは、陰謀により、奴隷の身分に落とされるほどの罪人にされてしまう。
大勢の囚人達と共に、焼け付く砂漠を長時間歩いて渡らされ、死ぬほどの渇きの中で、ようやく中継点の村につく。
村人達も心得ており、護送兵達や囚人達に水を飲ませるが、ジュダは護送兵の隊長に嫌われ、隊長は、ジュダに水をやろうとする村人に、「こいつにはやるな」と一喝する。
ジュダは、それはもう、哀れなんてレベルではない状態である。自分は水をカブカブと飲む隊長が胸にこぼした水に、ジュダは恥も外聞もなく、吸い付くような真似すらするが、その程度の水ではどうにもならず、ついに気を失って倒れる。
ジュダは、そのまま死ぬはずだった。
だが、そこに、一人の男がやって来て、手桶の水をジュダの後頭部から首のあたりに注いでやって冷やし、ジュダが意識をわずかに取り戻すと、ジュダに水を飲ませる。
それを見た隊長は激怒して、こらしめてやろうと近付いてくるが、その男は隊長の方を向いて立つ。
隊長は不思議な威圧感を感じて怯むも、気を取り直して前に出ようとしたが、なぜかそれが出来ず、苛立たしそうにしながら去ってしまう。
その男は、後に、イエス・キリストであったことが分かるが、圧倒的に強い立場にあった隊長が気圧(けお)された、その力は何だろう?

それを「目力」と言って良いだろう。
一応、言っておくが、たとえ目が見えない者にも目力はある。
その場合でも、やはり、目の周辺の表情から、その力は出る。
三一(さんぴん。賎しい者のこと)が、いかに必死でにらんでも、何の目力もない。
プロレスやボクシングの大試合の前の共同記者会見で、選手同士がにらみ合うことがあるが、その競技では強くても、人間的に三一であれば、せいぜいチンピラの「ガン付け」であり、見ていて滑稽なだけでなく、少しも目力がないので、相手も威圧されない。

『神様のメモ帳』という小説で、ヒロインのアリスは、美しくはあっても、見かけは11歳くらいの(本当の年齢は最終巻で明かされる)子供だが、彼女に会った人気アイドルの高校生の少女が、鳴海(主人公。高1男子)に、「あの子、アイドルなんかよりずっと目力がある」と言う。
人気アイドルになれるような子は、可愛いだけでなく、目力が必要だということであるが、アリスが、それをはるかに上回ることは言うまでもない。
大勢の部下を従え、かなりの勢力を持つヤング・マフィアである雛村壮一郎(ひなむら そういちろう)も、凄い目力の持ち主だが、アリスには飼い犬のように従ってしまうのも、アリスの神的な目力のためだろう。

言うまでもなく、目力とは、心の力の表出である。
心を鍛えた者のみが目力を持つ。
「君を強くする」という言葉は、「君の心を強くする」を略して言ったものだ。
人間にとって、何より大切なことは、心を強くすることだ。

Hey lonely boy リアルな自分は ちっぽけなんかじゃない
Hey lonely girl リアルの孤独は 君を強くするから
~『愛Dee』(作詞:Mitchie M・Cotori、作曲・編曲:Mitchie M、歌: 初音ミク&巡音ルカ)より~

「20世紀最大の詩人」と言われた神秘家W.B.イェイツも、「孤独だけが心を鍛える」と言った。
群れるような者には強い心は持てない。
そうだ、雛村壮一郎は誰より孤独だったし、アリスはもっと孤独だったのだ。
その雛村壮一郎に、本心ではなぜか好かれ、そしてアリスに、本心では愛された藤島鳴海も並外れて孤独だった。
このあたりは、小説とは言っても、高い人気がある小説では、真理を正確に描いているものだ。
そして、志ある者だけが孤独に耐え、自分が定めた掟を死んでも守る。
目力は、そうやって得るものである。

老子は、「倹約」「慈愛」「人々の前に立たない」という3つの宝を持つと言った。
だが、アリス達は、「孤独」「志」「掟」という3つから出来た十字架を背負うのである。









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人間の魅力の秘密

謎がある人には魅力がある。
ただし、本当に価値のある謎でなければならない。
本人は、大したもののように思っていても、安物しか持っていないなら、その本人も安っぽい。
だが、あなたが本物の宝を隠し持っていれば、あなたからは名状(言葉で表現すること)し難い迫力、貫禄、オーラが滲み出ていて、人々は無意識にあなたを敬い恐れる。

人間は、開けっぴろげが良いという考え方もある。
しかし、本当は、「謎を秘めた開けっぴろげ」が良いのである。
相手を威圧するとか言うのではなく、謎がなければ、魅力がないのだ。
人間には、どこか陰の部分は必要なのだ。
本当にいい男や、いい女は、明るい人であっても、必ず、闇を感じさせるものである。

では、どうすれば、価値ある謎を持てるのだろう。
単純に言えば、空手5段とか、プロのピアノの腕前があるのに、それを言わずに黙っていれば、それが不思議な雰囲気になって現れる。それが本当の実力であるほど、あからさまな迫力というよりは、神秘的な光として感じられる。
逆に、大したことない実力なら、何も感じられない。
つまり、空手5段なら、外見が強そうでなくても、どこか威圧されるものががあるが、空手初段程度なら、何も感じられないのだ。
一流大卒というだけでは、やはり何も感じられない。そうではなく、実際に深い学問や研究をしているなら、その知性が雰囲気として感じられる。
今は、一流大卒ほど、知的な魅力が無い人が多い。

会社の幹部には、部下や若い社員に対し、やたらと、住んでいる場所、親の職業、学生時代のクラブ活動等について聞いてくる者がいる。
これは、相手から謎を無くしてしまおうとしているのだ。
私も、そんなことを尋ねられたことがあるが、実は、答が全く思いつかなかった。そんなことは、あまりにどうでも良いことだからだ。
そんな質問をしてくる者は、自分に分かる程度の、世間的なつまらない相手の情報が分かれば、相手が理解できた気になる凡人である。
あなたは、そんな者を相手にしてはならない。それが、あなたの会社の社長であってもだ。そもそも、サラリーマン社長や二代目のボンボン社長には多いタイプなのだ。
あなたの住んでいる場所、親、通っていた学校のことなんて、あなたにとって、何の意味もないはずだ。
あなたは、もっと奥深い、無限の可能性を秘めた人間でなければならない。

1年365日、毎日欠かさず、自分の行をしていれば、それがあなたの謎になる。
それは、目には見えない、魂だけが感じる光となって、あなたを包むだろう。
それが強くなれば、誰もあなたに逆らえない。
ある9歳の少年は、全く自主的に、毎朝必ず聖書を読んでいた。それで数年経った時、彼よりずっと年上の暴力的な大勢の少年達が、弱い者いじめをしようとした時、彼は、その前に立ちはだかった。初めは彼を嘲笑っていた暴力少年達は、なぜか彼に向き合っていることが出来ず、すごすごと引き上げた。
映画『ベン・ハー』で、ジュダ・ベン・ハーを虐待する護送兵の前にイエスが立ちはだかった時、同じようになったのを見たことがあるかもしれない。
それは、あなたにも出来るのである。









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木鶏(もっけい)のごとくあれば戦わずして勝っている

木鶏(もっけい)という言葉をご存知だろうか?
闘鶏用の鶏を訓練する名人がいて、その名人のところに預けられた当初は、鶏は敵を求めて闘志をみなぎらせ、いきり立っているが、やがて、木彫りの鶏のように全く動かず、鳴き声も立てなくなる。
そうなると、どんな相手も、向かい合っただけで怯えて逃げ出し、戦わずして勝ってしまうのである。
これは、『荘子』の外編に出てくる話で、外編は、荘子自身が書いたのではないという説が有力と思うが、思想的には荘子らしいと言えると思う。

『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎も木鶏のようである。
三下ヤクザなど5人やそこらいたところで、紋次郎と対峙すると、「びびって」逃げ出す。
いわゆる貫禄負けというやつである。
紋次郎は、全く表情がなく、冷淡な目に言いようのない凄みがある。
そして、それが匂うような男っぽさで、いつも紋次郎にその気はないのだが、年増のしたたかな美女も清純無垢な美少女も惹き付け、離れることができないようになってしまうのである(紋次郎は、いくら言い寄ってきても、堅気の娘さんに手を出すことは決してない)。
なぜ紋次郎がそのようであるかというと、心が死んでしまっているからだ。
もっとも、「心が死んでしまっている」という意味を性急に早合点してはならない。

『ベン・ハー』という映画で、囚人連行団の傲慢で無慈悲な団長に対し、謎の男がすっと立って向かい合うと、その男を蹴散らそうとした団長だったが、なぜか何もできず、何も言えずに引き下がってしまう。
その男は、後でイエス・キリストであったことが分かる。
イエスは、きっと全くの無表情で、真空のように澄んだ目をしていたのだろう。
心が完全に死んでいるのである。

江戸時代の禅僧、至道無難(しどうぶなん)の有名な言葉に、「生きながら死人となりて、なりはてて、想ひのままにするわざぞよき」というものがあるが、それが木鶏のように見えるほど心が死んだ、紋次郎やイエスのような者のことであるのだと思う。
どうやればそうなれるのかは、イエスについては、生い立ちや来歴(経歴、履歴)が分からないが、紋次郎に関しては、小説とはいえ、十分なものが書かれているのである。
岡田虎二郎は、「聖書よりイソップに良いことが書いてある」と言ったらしいが、私も、新約聖書の福音書は一度は読んでおくと良いと思うが、それよりも、『木枯し紋次郎』を読む方が良いと思う。
私は通勤時間に、スマートフォンでKindle版の『木枯し紋次郎』を読んでいるが8巻まできた。
そう遠くなく、15巻全部読み終わってしまうのが惜しいと思っている。









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