ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ベルベル・モーア

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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紙に書けば願いが叶うわけではない

「紙に願いを書けば叶う」という話がある。
事業家であり、有名な自己啓発指導者である人が著書に、「紙に書いた目標を後で見返してみたら、書いたことを忘れているものまで叶っていて驚いた」といったことを書いていた。
一方で、普通の人は、いくら書こうが全然叶わないのである。まあ、これから叶うという可能性もあるが、生きているうちに叶えば良いのだが。

「紙に目標を書く」ことに関する、こんな調査がアメリカであったらしい。
正確な数字は覚えていないので、大体の雰囲気であると思って欲しい。
65歳以上の高齢者へのアンケートの結果がこうであった。
・生活に余裕がある:3パーセント
・余裕はないが経済的に自立している:10パーセント
・生活のための援助を必要としている:87パーセント
そして、経済的に自立している13パーセントは、若い時から目標を持っており、余裕がある3パーセントは、目標を紙に書いていたという。

ところが、こんなアンケート調査結果があった。
ある大学で、卒業生に、将来、どのくらいの資産を持ちたいかアンケートし、そのアンケートを大学でずっと保管していた。
数十年後調査したところ、具体的な金額を書いた卒業生は3パーセントだったが、その3パーセントの卒業生が、その時の全卒業生の資産の95パーセントを保有していた。

種明かしはこうである。
紙に書くかどうかは本当はどうでもよく、成功の要因は別のことだ。
ただし、その本当の要因を持つ者は、確かに、目標を紙に書く傾向が高い。
そして、本当の要因は「決意する」ことだ。
なるほど、決意したことは、紙に書いておきたくもなるだろう。

願いがあれば、それを叶えると決意すれば良いのである。
ただし、同じことを何度も何度も決意するというなら、本当は決意していないのだ。
「よし、決めた」と本当に思ったら、もう忘れたって叶う。
そのためには、一度、きちんとした言葉にすると良い。
例えば、「人気イラストレーターになる」ってね。
そして、「決めた」と思えば良い。
重々しい決意は必要ない・・・というより、してはいけない。
重々しい決意をした者ってのは、いつまでも「人気イラストレーターになるぞ」と言ったり思ったりするのだ。
決意ってのは、宇宙の彼方にぽーんと投げるものだ。
一度投げたら、宇宙の彼方に届いてしまう。
ベルベル・モーアって人は、宇宙に、「私にぴったりの彼氏ちょうだい」と「注文したら」当然のように叶ったらしい。
彼女は、いつでも、願いを叶える決意があるのだ。そんな性質を獲得していたのだ。
だが、普通の人は、そうではない。そんな重要な違いがあるのだが、彼女はそれに気付かず、ただ自分のようにやればいいと本に書いたのだ。

どうしたらいいかって、簡単だ。
決意する練習をすれば良い。
普段の生活の中で、何事においても「よし決めた」と思って、決めてしまうのだ。
「今日のお昼はパスタだ。決めた」
こんな感じで良い。
そして、実際にパスタにすることだ。
もし、事情があってパスタが食べられなくても、気にする必要はない。
ただし、パスタが食べられる状況で、いい加減に止めるなんてことをしてはいけない。
いつも言うが、決意は、軽くて良いが真面目でなくてはならない。

尚、ややこしいが、ベルベル・モーアの『その望みは宇宙がかなえてくれる』(2008)と『星からの宅配便』(2004)は、原書が同じで、同じ人が翻訳しているのに、微妙に違う。これをどう解釈すれば良いか分からないが、悪意とは考えないようにしている。
良い本だとは思うが、鵜呑みにしない方が良い。
著者自身が、宇宙の法則を理解不足であると思う。
つまり、自分は出来るが、誰でも出来るようにうまく表現出来ていない。
そこを気をつけて読むと良い。








西洋流引き寄せの欠点

引き寄せの法則では、叶えたい願望を出来るだけ具体的にするよう言われる。
例えば、お金であれば、具体的金額と、入手期限だ。
これが西洋の成功哲学の大きな特徴なのであるが、なぜ、そうしないといけないのかというと、だいたい次の通りとなる。

(1)目標を明確にするため。
(2)緊張を高めるため。
(3)イメージし易くするため。

(1)であるが、自動車でどこかに行く時、具体的な目的地をはっきりさせないと到着しないのと同様に、具体的な目標が定まらないと目標は達成されないという理屈である。
(3)については、西洋流ではないはずの、合気道家で神道家の佐々木の将人(まさんど)氏も、「金が欲しい時、具体的な金額の札束を思い浮かべた方がリアリティがある」と、これを肯定していた。
だが、数値目標や達成期限に抵抗を感じる人が多いのではないかと思う。
私もそうなのだが、実は、数値目標と達成期限を決めることでうまくいったことがある。
セールスマンをやっていた、それも、駆け出しの頃、セールスコンテストで、売上金額と達成期限を設定したところ、金額も期限もピタリで達成し、セールスコンテストで優勝した。
しかし、その緊張感は、あまり楽しいものではなく、その後、やる気がなくなってしまった。
一言で言うと「しんどい」のである。
それを続けるには、よほどの執念が必要だが、たとえエネルギーがあっても、そんなことをやればやるほど疲弊するように思う。
また、セールスコンテストのように、条件がはっきりしている場合は良いが、やりがいある目標というのは、案外に未知の部分が多いので、目標を立てると、固定観念とか制限といったものが出来てしまうのではないだろうか。

ベルベル・モーアの『その望みは宇宙がかなえてくれる』に面白い話がある。
著者のモーア(女性)は、彼氏を宇宙に注文する際、望みの彼氏の条件として、「ベジタリアン」「太極拳が出来る」「タバコを吸わない」他の具体的条件を上げ、期限も何月何日と決めた。
すると、確かに、期限通りに条件通りの彼氏が出来た。
しかし、すぐ別れた。自分に合ってなかったのだ。
そこで、宇宙に注文し直した。
「私にぴったりの彼氏、頂戴」
今度はうまくいった。

世界的に有名なロンダ・バーンの引き寄せ書『ザ・シークレット』でも、目標金額や入手期限を設定することや、具体的イメージを絵に描いたり、ビジョン・ボード(ボードに、具体的目標を書いた紙や、望みのものに出来るだけ近い写真・絵を貼る)を作れと言うが、ビジョン・ボードでは期限が曖昧な成功事例を取り上げていたり、ある面では明確(彼女が5人欲しいなど)ながら、別の面では曖昧(どんな彼女がいつ出来るか)は問題にしていないなど、矛盾を感じたものだ。
『ザ・シークレット』は、面白いし、参考になるが、混乱させられた人も少なくないのではと思う。
一方、神道と最新テクノロジーから研究を行っている大野靖志氏の『和の成功法則』では、達成期限もビジョン・ボードも、さらには「ワクワク」も全部、明確な理由で否定するが、私には、こちらの方が納得し易かった。
つまり、やはり、それら(期限など)を設定すると、制限をかけてしまうのである。おそらく、それは窮屈で歪(いびつ)さも生むのだと思う。

私は昔、目標設定には数値や期限などの具体性を徹底して設定するという、ある世界的成功プログラムを購入し、そのプログラムの世界的セールスコンテストで優勝したセールスマンや、その人が所属する会社のトップと親しく付き合ったことがある。
しかし、そのセールスマンは、その会社をやめ、その会社の社長もぱっとせず、そもそも、その成功プログラムを開発した世界的成功者も、その実態は決して幸福ではなかった。

明確な目標は必要である。
しかし、特に未熟なうちに目標を具体化すると、やっぱりおかしなことになる。
研究の結果、願望を叶えるのに必要なものは「決心すること」だと分かっている。
そして、期限を決めて緊張するのではなく、ソフトタッチが必要なことは、数日前の記事、「【4月26日】ソフトタッチこそが極意」で説明した。
要は、上で述べた、ベルベル・モーアのように、宇宙に向かって「私にぴったりの彼氏ちょうだい」というノリが良いのだと思う。
ただ、モーアも、期限の設定や具体性は否定していなかったように思うが、彼女は、その後、あまり活躍せず、若くして亡くなっているように思う。
緊張や制限を避け、ゆったりとした気持ちでやることが必要である。
「画家になる」「可愛い彼女を作る」「健康になる」と、軽く決意すると良いのだと思う。








王のように命じる

私は、西洋式のレストランが苦手である。
まず、ナイフとフォークの使い方が分からない。
西洋人は箸を使うまでには進歩していないから困る(笑)。
レストランの高級さが増すほど、分からないことが多くなる。
いや、よく考えたら、高級でも何でもないレストランでも、分からないことがいろいろあるし、西洋式のレストランでなくても、中華料理レストラン、インド料理レストランにも、独特の分からないことがある。
人と一緒に行くと、皆、いろんなことを知っていることにマジで驚く。
皆、育ちがいいなあ(笑)。

映画『ゴッドファーザー』だったと思うが、その中で、詳しい状況は分からないが、若い男が、ごく若い女性と高級レストランで食事をする場面があった。
その若い男は、ひょっとしたら、そんな場所に不慣れなのかもしれなかった。
それで、男は注文を聞かれたら、女性が先に注文を済ませていた(私には訳の分からない注文内容だった)ので、「彼女と同じものを」と言う。
さらに、ウェイターが、飲み物や料理の仕方か何かで細かいことを聞いてきたが、男は「まかせるよ」と言う。
ウェイターは、畏まって下がる。
私は痺れた。こんな手があったんだ!(笑)
ところで、この若い男がそれで十分にサマになっていた理由は、若いながら貫禄があったからだ。彼は全く堂々と、「彼女と同じものを」「まかせるよ」と言ったのだ。

引き寄せの注文も似たところがある。
引き寄せの本には、欲しいものについて、細かいことまで指定しなくてはならないと書いてある場合が多い。
まあ、欲しい金額など、簡単に決められるはずのことについては決めた方が良いだろう。
しかし、決め難いこともある。
自動車にあまり興味がなければ、自動車自体は欲しくても、どんな車かとなると、せいぜい、セダンかワゴンかハッチバックで色は何色か程度のことで十分だろう。
恋人となると、美人で優しくて、後、スタイルに関する好みが少々あっても(笑)、いい加減と言うよりは、いろんなタイプの素敵な人がいる訳だし、また、本当に分からない部分も多い(だからいいんだ!)。
『その望みは宇宙がかなえてくれる』で、著者の女性ベルベル・モーアは、初めは、彼氏を宇宙に注文する際、条件をいろいろ付けていたが、条件通りの彼氏が出来ても、どうもしっくりこなかったので、しまいには、「私にピッタリの彼氏」と注文したら、確かに、ピッタリのが来た(笑)。

『ゴッドファーザー』での、若い男のレストランでの注文といい、ベルベル・モーアの宇宙への注文といい、注文する方が上位者であることが分かる。
究極では、王様は、いい加減な命じ方をしても、家来は、頭をフル回転させて、最適なことをやったり、最適なものを持ってくるのである。
まして、ベルベル・モーアが注文を出す宇宙は、全知全能なのであるから、何が最適かは、本人以上に分かるはずなのである。
そして、引き寄せの分野で世界的に高く評価されているフローレンス・スコーヴェル・シンは、「祈りは命令である」と言う。
キリスト教の毎日のお祈りだって、「日々の糧を与えたまえ」という命令形で行うのだ。
聖書にも、「私の手になるわざについて、あなたが私に命ずるのです」と書かれている。
この「私」は、おそらく、神であろう。

引き寄せで、願いを叶えてくれる存在は、いろいろに呼ばれる。
潜在意識、神、仏、宇宙エネルギー、宇宙の活力・・・何と呼んでも良いが、引き寄せのためには、それら無限の存在に命じなければならない。
「神や仏に命じるなど畏れ多い」と思うのは当然であるが、命令という言い方が嫌でも、やはり、堂々と「要求」しなければならない。
まあ、ベルベル・モーアのように、「私にピッタリの彼氏ちょうだい」「お城、ちょうだい」と、可愛らしく言っても良いのだが、命令、あるいは、要求であることに変わりはない。
1千万円欲しければ、「1千万円よ来たれ」と堂々と命じなければならないのだ。
「1千万円下さい」と卑屈にねだってはいけない。必ず叶えられるのは王様の命令なのだ。

昔、政木和三さんと一緒に、政木さんの研究所の近くのレストランに食事に行った時のことだ。
政木さんは、「私は注文をしたことがないのですよ。座って待っていたら、適当に作ってくれるのです」と言われた。
これこそ、いかなる要求も叶えられる王者の態度であると思う。
政木さんに引き寄せられないものはなかった。








要求は命令であってこそ叶う

最近の私の最も大きな気付きは、「祈りとは命令であり、要求である」ということだ。
「要求」に関しては、普通に行われているように思う。
例えば、「受験に合格しますように」といったものだ。
しかし、この言い方でが決意が足りない。
命令形で、「受験に合格させたまえ」といったものが良いのだと思う。
この言い方は、クラス委員長が、教室が騒がしい時に、「静かにしたまえ」という時の、いわゆる「偉そう」な言い方だが、それで良いのだ。
祈りとは、権威を持ってするものなのである。

キリスト教の「主の祈り」でも、英語では、
Give us this day our daily bread.
と言うが、これは普通は、「日々の糧を与えたまえ」と訳すが、これは、明らかに命令形なのである。
神道でも、「祓え給い、清め給え」と、やはり命令形で言うものだ。
『マジック・ストーリー(人生を変える魔法の物語)』に、こんな印象深いことが書かれている。
「彼はお願いしない。要求するだけだ」
「彼の要求は絶対だ」
ここでの「彼」とは、「プラスの自分」であるが、まあ、「前向きな自分」と言っても良いと思う。
そして、絶対の要求とは、やはり、命令なのである。

ジョセフ・マーフィーの本にも、万能の潜在意識に対し、要求を述べた後、「私は命じる」と明言する箇所がよくある。
良いことであるなら、弱腰で恐る恐る要求する・・・つまり、「お願い」するのではなく、強い要求、即ち、命令すべきなのである。
ベルベル・モーアの『その望みは宇宙が叶えてくれる』には、例えば、著者のモーアが彼氏が欲しい時には、宇宙に向かって、望みの条件を上げ(菜食主義、太極拳が出来る等)、「そんな彼氏ちょうだい」と言うのだが、これも本来は、「これこれの条件に合う彼氏を与えよ」という命令なのであり(この本では「注文」と言っているが)、どうも日本人がやると、やはり、どこか及び腰になって、うまくいかないのではないかと思う。
尚、モーアは、最終的に、彼氏に関し、「私にぴったりの彼氏ちょうだい」と注文したが、これが最も良い注文の仕方であったと言う。
宇宙、あるいは天、あるいは神様は我々よりずっと賢いのであるから、細かい部分は、まかせてしまうのが一番である。
良い仕事が欲しいなら、「良い仕事を与えたたまえ」で良いのだが、「良い仕事あれ」「良い仕事来たれ」と、権威者らしく言った方が良いと思う。
これが叶う「祈り」なのである。
無論、傲慢になってはいけないが、権威者でもなければならないのである。
敬いつつ、堂々、宇宙に要求する・・・つまり、命令するくらいの気合いがなければ、願いは叶わないかもしれない。








心安らかに

「心配するな」「心安らかに」「落ち着け」
こういった言葉は、薄っぺらに言えば空虚だが、言う人によっては、本当に、安心させ、心を静めてくれることがある。

作り話かもしれないが、一休さんが亡くなる時、弟子達に封書を1つ渡し、
「本当に困った時に開けよ」
と言い残した。
一休の遺言である。
そして月日が流れ、弟子達に深刻なピンチが訪れた時、遂に、一休の遺言を明けることとした。
そこには、
「心配するな。なんとかなる」
と書かれていたという。
その後のことは分からないが、本当に、なんとかなったと思えてならない。

以前もご紹介したことがあるが、ベルベル・モーアの著書『その望みは宇宙がかなえてくれる』の中に、こんな話がある。
10歳の女の子が、いつも嫌がらせをしてくる男の子のことで悩んでいた。
そこで、著者(だったか?)が彼女に、そんな時は、心の中で「心安らかに」と唱えることを薦めた。
しかし、それをやっても、なかなか彼女の心は安らかにならず、ある時、その男の子に、「アンタのことで困ってるから、『心安らかに』と唱えている」と教えた。
すると、しばらくしたら、その男の子が、彼女に、自分も、その呪文を使っていると言い、あまりいじめてこなくなった。
そして、その呪文は、他の子達の間にも流行していったという。

あえば浩明氏という政治評論家がいる。
私は、今月のアメリカ大統領選挙で、トランプ大統領がバイデン候補に得票で後れを取って以来、ネットの情報を調べているうちに、この人を知った。
幸福の科学の信者さんということで、ちょっと偏見を持ったが、非常に感じの良い聡明な方と思う。
彼のYouTubeの動画を欠かさず見ている。
その中で、トランプが主要メディアの袋叩きに遭い(主要メディアはほぼ全てトランプを敵視している)、変人も敗北者扱いされている中で、あえば氏は、トランプ陣営の様子を伝えてくれた。彼らは、支持者にこう言ったそうだ。
「我々は全く落ち着いている。何の心配もしていない」
最近の動画、
【LIVE】生配信!クラーケン、発動か!!【アメリカ大統領選2020】
では、あえば氏は、トランプ支持者の人に対し、
「トランプさんは必ず勝ちます。どうか心安らかでいて下さい」
と言われたが、その雰囲気が素晴らしく、本当に、見ている人を心安らかにしてくれるものだったと私は思った。
幸福の科学、いいかも・・・と思ってしまった(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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