ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ベルナデッタ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

完全復活

マジカルミライ2019が終わってしまった失意からか、今日は朝から体調が悪かった。
時の流れを追うと、こんな感じだ。
春先・・・今年もマジカルミライがあるという希望にトキメク。
夏の初め・・・マジカルミライが近付く高揚感。
真夏・・・暑いが、マジカルミライがあるのだから頑張ろう!
マジカルミライ直前・・・○△××※○○×△!
マジカルミライ終了・・・さよならお元気で 終わる世界に言う

それでも、1週間分の買い物をして帰ってきたが、ぐったりしてしまう。
そこで、マジカルミライ2019の曲を、ウォークマン初音ミクさんモデルで聴く。
マジカルミライ2019公式アルバムに、『テオ』、『ヒバナ』など、何曲かを自分で補完したものである。
聴いてるうちに眠って夢を見た。誰かを膝の上に乗せた重みを感じた。
そして、なんとなく、保江邦夫さんの『愛の宇宙方程式』を読む。
マジカルミライ2019の曲は、まだ続いている。
すると驚いた。凄い内容であるが、知っていることが沢山あった。
フランスの聖ベルナデッタやルルドの泉のことが書かれていたが、私は昔からベルナデッタに興味があって、よく本を読んでいた。
大変なキリスト教の聖人が、自分(の魂)が胸のやや右にあると言ったことが書かれていたが、これも、ラマナ・マハルシが、胸の中央指2本分右に自己の座があると述べた本を読んでいた。
聖母マリアの化身である白い鳩の写真も掲載してくれていたので、スマートフォンでスクリーンショットを撮り、保管した。
鉛筆キャップを耳の穴の上の窪みにつける「神の目になる法」も、馬鹿にせずにやってみよう(『神様につながった電話』に書かれている)。
長身の超イケメンフランス青年の姿をとった大天使ミカエルは、文章を読んだだけで生き生きとしたイメージが浮かぶ。
大天使ミカエルの「クラージュ!(勇気をだせ)」という言葉が、私にも聴こえるようだった。
保江さんの解説が掲載された、『大成功を呼ぶ「最強の開運神社」 (神域音と祝詞のCD付録70分! カードつき)』を買って、保江さんお薦めの「サムハラ」カードも入手した。
自己製「マジカルミライ2019」楽曲集の最後の曲『Survive』を聴いた後、その曲のYouTube動画を「HatsuneMiku」公式チャンネル「39ch」で見た。
うわぁ!格好いい!!
SURVIVE / 梅とら feat. 初音ミク、鏡音リン、鏡音レン、巡音ルカ、MEIKO、KAITO【オリジナルMV】-YouTube-
4人(MEIKOさん、ミクさん、リンちゃん、ルカさん)の誰と結婚しても良いと思う。みんなまとめてもらってしまおう。
リンちゃんの場合は日本では年齢的に無理だが、まあ婚約だけとし、ミクさんの場合は伊藤社長の許可を取ればOKだ。
どうやら回復したようである。








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自分を軽蔑する

アファーメーションとかいうものをご存知かもしれない。
「私は偉大だ」
「私は素晴らしい」
「私はできる」
「私は社長だ」
といった感じで、自分に対して力強く、肯定的な宣言をするのだそうだ。
これは、惨めで不幸になる確実な方法である。
やっているなら、すぐに止めることをお薦めしておく。

なぜ不幸になるのかというと、わざわざ、虚偽、欺瞞、幻想の牢獄の中に自分を閉じ込めてしまうことになるからだ。
では、なぜこんなことを教える者がよくいるのだろう?
全部ではないかもしれないが(単なる無知も多い)、意図的にやってるなら、自分の信者、崇拝者を作り、そんな者達から金を搾り取り続けようとしているのだろう。
人間は、心地よい妄想を与えてくれる者にひれ伏すものだからだ。
このことを悪用して、悪い商売をしないように。
そんなことをする者もまた、例外なく、どん底に落ちているのだから。

これが究極とは言わないが、それと正反対の効果を上げる方法はこうだ。
あの聖ベルナデッタは、いつもこう言っていた。
「私は役立たずです」
他にも、
「俺は駄目だ」
「私は最低だ」
「僕があの子に相応しいはずがない」
「私の能力では全く話にならない」
「私なら首で当然だ」
「絶対に私が負けるだろう」
とかが良いだろう。

私が成功法則としては、世間にあるものの中では最上と思う、五島勉さんの『ノストラダムスの超法則 死活の書』にも、そんなことが書かれていた。
本の推薦者は、全盛時の竹村健一さんと舛添要一さんだ。
では、そんな言い方がなぜ良いのだろう?
五島さんも、そこらは書いていなかったと思う。
いや、神秘的には書いていたが・・・
しかし、もっと現実的に言うなら、そんなふうに自分を軽蔑すると、自分を見ることができるのだ。
だって、我々は最低だから。
あなただって、本心では、自分は駄目だと感じているから道を探しているはずだ。
だが、人間は、自分はなかなかのものだという自惚れを持っていて、自分をちゃんと見ることができない。
そこで、「俺は最低だ」と断言すれば、幻想が剥がれて自分を見ることができる。
自分を見さえすれば、自分の中にある光に気付く。初めはほんの少しだ。しかし、それで、初めて正しい道を進み始めるのだ。

『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメで、こんなとんでもない場面があった。
病院で意識がなく眠っている14歳の美少女アスカの衣服が乱れ、興奮したシンジが、その場でマスターベーションをした直後のセリフが良かった。
それは勿論、「(僕は)最低だ!」である。
その通り、とんでもない最低男だ。
薄汚い下種野郎!
情けないにもほどがある。
しかし、あそこでシンジが、「誰も見ていない」と思って自分から逃げたり、「これくらい普通だ」と自分を誤魔化さずに、「最低だ」と正しい認識をしたことだけは救いだった。
それによって、彼は自分の真の姿をちゃんと見たからだ。
彼は幻想を壊し、やがて、光を見つけるだろう。









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出現した聖母マリアは何を語ったのか?

聖母マリアが現代人の前に現れた話としてよく知られているのは、フランスのルルド(1858年)、ポルトガルのファティマ(1917年)、クロアチアのメジュゴルユエ(1981年)などでのものがある。尚、クロアチアの独立は1991年なので、当時は、ユーゴスラビアのクロアチア地方ということになる。
ファティマやクロアチアでは、聖母マリアはよく語った。
しかし、ルルドではそうではない。ルルドでマリアが発した言葉は、たった1つだった。
ルルドでマリアを見たのは、ベルナデッタという名の14歳の少女であり、ベルナデッタはルルドの洞窟の前に現れるマリアに祈りを捧げたが、誰にもマリアの姿は見えなかった。それでも、そのベルナデッタの敬虔な姿に感動して、マリアがそこにいることを信じた人も少しはいたが、多くの人々はそうではなく、ベルナデッタは非難され、彼女は辛い立場になる。
それで、ベルナデッタは、マリアに、「あなたの名前を教えて下さい」と頼んだ時、マリアが「ケ、ソイラ、インマクラダカウンセプシウ」と言ったのが、初めてで最後の言葉だった。
ベルナデッタはその意味が分からなかったが、言葉を覚え、司祭のところに駆け込み、「ケ、ソイラ、インマクラダカウンセプシウ」と言ったので、その司祭は信じた。それは、無学なベルナデッタが知るはずもない言葉だったからで、それは、「私は無原罪の宿りです」という意味であった。これは、聖母マリアの別名である。

ところで、私は、ベルギーで起こった聖母マリアの出現が最も感慨が深いのである。
それは、ボーレングという村で、数人の少年少女達に、1932年11月29日から翌1933年の1月3日まで33回起こった。マリアは沈黙を続け、何も語らなかった。
少年の1人が、「あなたは無原罪の乙女ですか?」と尋ねた時、マリアは無言で頷いたという。
そして、言葉を求めると、いつもただ一言、「よい子でいなさい」とだけ言ったという。
そして、この出現が終ってから10日後の1月15日、ボーレングから80kmほど離れたバンネという美しい村で12歳の少女マリエッタの前に2度現れた。
マリアはそれぞれ、「私は貧しい人々の乙女」「病人をなぐさめるために来た」とマリエッタに言った。

ボーレングで、マリアが少年少女達に言った「よい子」とは、どんな意味なのだろう?
道徳的な人であるという意味であろうか?
マリアは、「いつも祈りなさい」とも言ったようだ。すると、「よい子」とは、「いつも祈る子」ではないだろうか?
そして、私は、マリアがマリエッタに言った、「私は貧しい人々の乙女」「病人をなぐさめるために来た」という言葉における、「貧しい」「病人」の意味が重要と思うのである。
これは単に、経済的に貧しいとか、身体が病んでいるという意味ではないと思う。「心が貧しい」「心が病んでいる」という意味に捉えれば、これは、我々全ての者のことである。つまり、煩悩にまみれた凡夫のことである。
浄土三部経において、釈迦は、ただ、阿弥陀仏の名を呼べと言い、そこから、「南無阿弥陀仏」という念仏が起こった。
マリアの言う「祈りなさい」も、「アヴェ・マリア」を唱えることであると言って良いと思う。
グノー、シューベルトなど、多くの大音楽家達が作曲した『アヴェ・マリア』という聖歌があるが、これは、「アヴェ・マリア」の言葉で始まる。
アヴェ・マリアの意味は、「こんにちはマリア」とか「おめでとうマリア」であると言われるが、それよりも、マリアに対する崇敬や、マリアを讃える心を表したものと言って良いと思う。
「心の貧しさ」「心の病」を逃れることのできない凡夫は、ただ、「アヴェ・マリア」の祈り言葉にすがるしかないのだと思う。
マリアの教えも釈迦の教えも同じものであると思うのである。









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神秘的治癒が起こる場合と起こらない場合

病気について書こうとすると、「これは個人の考え方です」「1つの事例です(普遍的なこととは言っていません)」といったことを書かないと、「後でまずいことになる」から注意しないといけないものらしい。
しかし、「私なら」、仮に書き手に悪意があったとしても、一切責める気はない。また、悪意があったかどうかを知ろうとも思わない。
もし、そんなことで文句を言うなら、全てのテレビCMや、その他の広告について非難しなければならないが、私はそのようなものは初めから信用してしない。
無業という昔の僧は、毎朝、自分に向かって、
「おい、主人公」
と呼びかけ、自分で、
「はい」
と返事をし、それから、
「しっかり目を覚ましておれ」
と言って、また、自分で、
「はい」
と返事をした、そしてさらに、
「人に騙されるでないぞ」
と、自分に命じ、また、
「はい」
と返事をした。
だが、私は騙されることはある。よくあると言うべきかもしれない。
しかし、好きで騙されるのだ。人間は、生きている限り騙されるのであり、ある意味、騙されるために生きているのである。
ただ、自分の個人的な欲望のために騙されることが無ければ良いのであり、無業の言った、「人に騙されるな」は、このことを言っているのだと思う。

ちょっと前置きが長くなったが、病気治しの話をしよう。
私は、末期癌の人間と何人も関わった。
何人かは奇跡的に治った。
末期の胃癌で、余命1ヶ月と言われていた男性の甥っ子さんに、政木和三さんが発明した神経波磁力線発生器(現在は製造・販売されていない)を紹介すると、その甥っ子さんはごく普通のサラリーマンで全く金持ちではないのだが、10万円もするその装置を躊躇せずに購入して叔父さんに渡した。子供の頃から可愛がってくれた叔父さんに、最後には何でもしてやりたいと思ったようだ。そして、叔父さんもその気持ちを受け入れ、この装置を使ったところ、10日で、癌は全て消えてしまい、退院した。
しかし、その後、再発し、結局、数ヵ月後に亡くなられた。
また、知り合いの会社経営者の奥さんが、やはり末期癌だったが、私の勧めで、EMというものを飲むと、やはり治ってしまった。彼は、EM販売店の社長の勧めにより、飲料用のEM-XではなくEM1号というものを奥さんの飲ませたらしい。EM1号は、今述べたように飲料用ではなく、土壌改良用の微生物が入った液体であるが、EM発明者が自分が飲んでいることを表明し、また、EMで病気治療に成果を上げていることを公表している医師が著書で、「安全性に問題なし」と書いておられたと思う。
だが、いったんは治っても、やはり、再発を繰り返すのである。

病気は、表面的にはいったん治っても、病気の原因といったものがあって、それがある限り、何度でも再発するのかもしれない。
私は、幼い頃からの皮膚病で、ずっと辛い思いをしいているのだが、治す気はもう無い。これはおそらく、業病とでもいうべきもので、私という存在に含まれているのであって、治すことは不可能か、治すべきでないものだろうと思う。
しかし、原因が浅い場合には、その原因そのものを取り除くことができるのかもしれない。
黒住宗忠という江戸末期の神道家は、ハンセン氏病に罹った武士に、毎日百回、「ありがたい」と唱えなさいと指示した。しかし、その武士が言われた通りにやってみても治らない。すると、宗忠は、「では1日千回言いなさい」と言い、そうしてみたが、やはり治らない。すると、「では1万回」となり、武士がそれに従ったところ、一週間後に吐血して意識を失ったが、目が醒めると治ってしまっていた。
「ありがたい」といいう言葉を唱えることの効用と共に、普通なら、特に身分もプライドも高い武士なら、「1万回」と言われたら、激怒してもおかしくないところを素直に従うことで、病気の原因となっているものを破壊してしまったのかもしれない。

ベルナデッタ・スビルーという、14歳の時に聖母マリアに逢ったという女性は、敬虔なキリスト教徒になり、修道女になった。彼女は、「自分は何もできない役立たずです」という、立派な信仰者の立場で、献身的な奉仕をしたが、病気に苦しみ続けた。彼女は、「この世では幸せにしてあげられないが、あの世では幸せにしてあげよう」という神の声を聞いたという。そして35歳で亡くなったが、彼女の遺体は医学的処置をしないにも関わらず腐敗せずにあるという。
病気に霊的な原因があるとしても、それは人間に理解できるようなものとは限らず、いわば、宇宙全体がその原因であるのかもしれない。
ならば、病気やその原因についてあれこれ考えても仕方がなく、ただ受け入れるしかない。
不幸な人生や、様々な辛い状況、生活の苦労といったものも、ある種の病気なのであろうし、その原因は分からず、それをどうにかすることもできない。
ただ、起こることを起こるままにまかせ、あるものをあるように受け入れるだけである。
だが、荘子は、そのような者を、神々ですら、地に伏して崇めると言う。
つまり、それが人間のできる至高のことなのであろう。そして、それが正しいことを、直感が教えるのである。それは、誰でもそうなのだろうと思う。









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病気でもいいやと思う

私は、幼い頃からアトピー性皮膚炎で随分苦しんだが、食の慎みと腕振り運動で治してしまった。
ところが、一昨年の夏、夏中自宅では冷房を使わず、ひどい汗疹になったのが原因だったかもしれないが、乾癬病になってしまい、まさに、書籍で見る、この病気の写真そのままの状態になり、服を脱ぐと、大袈裟でも何でもなく、剥がれた肌で床が白くなった。
それも数ヶ月で奇跡的に治ったが、最近、これは何なのかもう分からないが、また皮膚病みたいなものになった。
どうも、肌に関わるカルマでもあるのもしれないと思う。
実際、苦しくはあるが、まあ良いと思っている。
最近、常に言っている、黙って耐える良い機会と訓練になるからだ。
形は違うが、『銀河鉄道の夜』のジョバンニの辛い気持ちが分かるような気がして少し楽しいし、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』の第5幕『銀河鉄道の夜』の初音ミクの天使の歌声が、いっそう心に響くようにもなったのである。
それに、実際のところ、皮膚病以外においては、完全に健康で強健なのである。

本山博さんという、科学者で宗教家のとても偉い人が、戦時中だった若い頃、重病にかかり、ろくに麻酔も無い中で、耳の周りの骨をノミのようなもので叩いて削るという手術を何度も繰り返し、あまりの苦しさに死にたくなったという。
さらに、手術直後、頭を包帯で巻いて、まだ血も膿も出て酷い臭いもしている中で過酷な訓練をやらされたという。
本山さんは、これを、根性を付ける良い訓練と思ったというが、この経験は、本山さんの偉大な人間性を造る大きな要因になったことは間違いないと思う。
即ち、それは、完全な自己否定であったと思うのだ。
現代は、権利の主張の時代である。個人の利益を守り、さらに、大きな得を限りなく追求する権利が認められるべきだと誰もが思っている。
しかし、ジョバンニには、そんなものはどこにも全くなかった。
ジョバンニの年は明かされていなかったが、多分、小学5年生くらいだろうか?
母親は病気で、父親は行方不明。働き尽くめで、学校でも元気が出ず、タチの悪いクラスメイトにずっと嫌な目に遭わされ、親友のカムパネルラとも仲良くできない。
ジョバンニは不平は言わないが、食事はトマトでちょっと作った程度のものだった。それを作ってくれた姉も、働いているのだろう。
ジョバンニは、黙って耐えていた。

そして、黙って耐えることが、心の奥深くにある良心に目覚める方法なのだと分かるのだ。
14歳の時に聖母マリアに逢ったフランスのベルナデッタ・スビルーは、念願の修道女になったが、病に冒され、立てないこともよくあった。しかし、そんな中でも、彼女は懸命に務めを果たそうとした。ところが、先輩の修道女の中には、ベルナデッタを嫌い、いじめる者もあったようだ。
神はベルナデッタに、「この世で幸せにしてあげることはできないが、あの世で幸せにしてあげます」と言ったという。
ベルナデッタは黙って耐え、ますます、良心を掘り起こしていったのだと思う。
ジョバンニは、人の幸いのためなら、あのサソリのように(ある寓話のお話)、この身を百回焼いても構わないと言い、カムパネルラもそれに同意した。
イエスは、苦しむ者は幸い、貧しい者は幸い、病める者は幸いと言ったが、本当にそうだ。
そして、ジョバンニがそうであったように、私も爽やかな気持ちなのである。
私は、初音ミクの「ケンタウルスよ、露を降らせ」という歌声(『イーハトーヴ交響曲』第5幕『銀河鉄道の夜』)を想うだけで、どんなことも黙って耐えていけると思うのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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