ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ベティ・エドワーズ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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想念を消すゲーム

何度も言うが、想念を消せば不可能はなくなる。
ただ、それは、失神したり、酒を飲んだりしてのことではなく、夜明けに星が消えるようでなくてはならない・・・つまり、静かに、穏やかにである。
眠って意識を失う場合でも、穏やかに眠りに入ったのなら良いが、そうでなければ、眠ってはいても、想念が残っている場合が多いのは、眠っている様子を見れば分かると思う。

子供の時、私は他の子に、
「何も考えないでいることが出来る?」
と尋ねたら、その子は、少し考えてから苦笑し、「無理」と答えた。
想念を消すことは、大人の方が難しいが、子供ですら、大抵はこうなのだ。

ベティ・エドワーズ博士の、20年ごとに改定される本『脳の右側で描け』を読めば分かるように、無心に絵を描いている時は、想念がかなり消えている。
しかし、これは、楽しく絵を描く習慣のない人には難しい。
絵を描くことが上手い人だって、純粋に楽しんで描ける人は、そう多くない。そんなことが出来る人は、想念を消す感覚を掴んでいて、引き寄せも上手いかもしれない。

楳図かずおさんの漫画作品『おろち』は、おろちという名の、永遠に少女の姿で生きる神秘的な存在を描いた作品で、私はこれは全く天才の作品と思う。
その中の『ふるさと』というお話の中で、おろちは、正体は分からないが、宇宙人のような相手と戦うことになる。
とりあえず宇宙人と言うが、宇宙人に操られた人々に狙われ、追跡されるうちに、おろちは、自分がどこに居ても、彼らが正確に自分の所に来ることに気付く。
おろちは、彼らは、自分(おろち)の想念を感知して追って来るのではないかと考えた。
そこで、おろちは、考えることを一切やめて、うつろな表情になる。
この時の、木や岩と一体化したようなおろちが私は好きだった。
すると、思った通り、人々はおろちの前を素通りして行った。
この様子が、想念を消す方法の良い参考になった。
それを以下に述べる。

あなたの周囲に、悪霊が居るとしよう。
その悪霊は、目であなたを見ているのではなく、あなたの想念を感じ、それであなたに近付き、あなたに憑りつく。
あるいは、空の上に悪魔がいて、地上の人間の想念を感じると、その人間に触手を伸ばして、触手を人間に差し込み、生命エネルギーを奪う。
まあ、当たらずと言えども遠からずかもしれない。
私は、近くに居る悪霊や、空に浮かぶ悪魔に気付かれないよう、想念を起こさずにいた。
私は、そんなゲームをしているうちに、かなり想念を消せるようになった。想念を消すコツを掴んだのだ。
気を抜くと、すぐに想念が帰ってくるが、もっと練習しようと思う。








古事記や旧約聖書を読むと天才になる理由

先月、久々に、チームラボ社長でデジタル・クリエイターの猪子寿之さんの本が出ていた。
正確に言うと、猪子さんが書いたのではなく、猪子さんへのインタビューだ。あの人が自分で本を書くとはとても思えない。
何と言っても、猪子さんは、メールの返事を出さない・・・ではなく、出せない人らしいからね。
いや、そもそも、メールを見ないことが多いのかもしれない。
ドワンゴの川上量生さんの食事のお誘いメールを1ヶ月放置し、たまたま対談した時に(川上さんからメールをもらっていたことが)分かったということもあったようだ。

天才とは何かというと、1つには、20年後、30年後の視点でものごとを考える人という言い方が出来ると思う。
その意味で、私が天才と思うのは3人で、一人はドワンゴ会長で、KADOKAWA・DOWANGO社長の川上量生さん、一人はクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長、そして、この猪子寿之さんだ。
本のタイトルは
『知の謎はインターネットで解き明かせるか』
で、英語のタイトル名も格好良く、
『Can the Internet Unravel Unknowns of the World?』
となっている。「インターネットは、世界の謎を解き明かせるか?」といった意味だろう。
もちろん、日本語の本である。猪子さんは英語はさっぱりだ。
Kindleの電子書籍で、わずか25ページだが2500ページくらいの価値がある。まあ、独断も多いが、天才の独断、大いに結構である。

昔から、右脳思考、左脳思考という言葉があり、優れた能力を発揮するには、右脳が大切だと言われてきたが、では、その右脳の能力とは何で、どうやれば向上させることが出来るのかについて、誰も決定版を示せなかった。
『右脳で描け』で有名なベティ・エドワーズだって、曖昧で難しいことしか言っていない。あの本が10年ごとに改定され、何十年もロングセラーを続ける理由は、優れているからということも、勿論あるのだが、それよりも、「解らない」からだ。ただし、可能性を示したという点では、やはり重要な本だった。

猪子さんは、おそらく、その右脳思考、左脳思考に相当することを、「身体を伴う知性」、「身体を伴わない知性」と述べている。
例えば、人間はいきなり転んでも、手で支えたり、咄嗟に怪我をしない体勢をとれるのは、身体を伴う知性のおかげであり、いちいち考えながらやる訳ではない。
いかにAI(人工知能)が進歩し、AIを搭載したロボットを作っても、いきなり転んでも(頑丈という意味ではなく)壊れないロボットはなかなか作れない。
また、KY(空気読め)という言葉があるが、優秀と言われている人でもKYな人がいる。
早い話が、空気が読めないというのは、他人の表情や仕草が読めないことだ。
例えば、私が話している時、相手が退屈そうな顔で、そわそわしているのに、それに構わず私が調子に乗って話し続けたら、私は空気が読めない人ということになる。
モテない男性というのは、間違いなく、そんな人なのだ(私もだからモテないのだが)。
そして、表情や仕草を読むのも、身体を伴った知性だ。

上記のようなことを、猪子さんは、理屈で解るように、見事に説明してくれている。
で、猪子さんは、身体を伴った知性を持つには、3次元感覚、立体感覚を磨く必要があると言う。
奇しくも私が一昨日書いた、
三次元的に考えれば、現実を創造出来る
と非常に通じるものであると思う。
私は、猪子さんの本は昨日読んだので、これを書いた時は知らなかった。

例えば、組織図を平面で書くような会社は駄目である。
もちろん、組織図を立体で書く会社は、ほぼ全く無いので、今の会社組織はもう古いのである。

猪子さんは、3次元感覚を磨くにはアートが良いとし、スーパー・デジタル・クリエイターである彼と彼の会社(チームラボ)は、子供が描いた絵が3次元になる、非常に楽しい、そして、芸術的なシステムを作り、これで、子供の3次元感覚を育てることが出来るとしているが、これは、ベティ・エドワーズのIT版のようなものかもしれない。
チームラボのデジタル作品「お絵かき水族館」や「小人が住まうテーブル」「光の球のオーケストラ」など、全て、3次元感覚を、気持ちよく、楽しく、エキサイティングに刺激する素晴らしいものばかりだが、「いつでもどこでも使える」という訳にいかないことに難がある。

ところが、『旧約聖書』や『古事記』を読めば、自然に3次元、あるいは、4次元感覚を磨くことが出来る。
『古事記』の何が良いかとうと、あれままさにパノラマ世界であり、心の中に、広大な空間が広がる物語なのだ。
『旧約聖書』も同じと思う。
アマテラスがスサノオを迎え撃とうという時の衣装や振る舞いは、まさに、生き生きとした迫力ある超立体を思い描かないと読めないものだ。
旧約聖書で、神が、儀式用の道具や衣装を、事細かく、何十ページにも渡る長さで指示するところは、読んでいて本当に眠くなる。しかし、それもまた、3次元で思い描かないと分からないものであり、眠気の中で、立体感覚を育ててくれる有り難いものだ。
だが、やはり古事記の方が簡潔で良いと思う。
また、上記に示した、一昨日の私の記事も参考にして欲しい。









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未来や過去はこうやって変える

ある歴史的な陸上競技選手が、「記録にはこだわらない。記録はいつか書き換えられるが、勝利の瞬間は永遠だ」と言っていたのを、私はよく憶えている。
「瞬間」と「永遠」という正反対のものをイコールで結びつけるというのは、理屈の上では無茶にもほどがあるが、不思議に違和感を感じないはずだ。そして、詩人達は、太古の昔から、いかなる国でも、そんな表現をしてきたのだ。「この一瞬が永遠」だと。
このことに、もっと注意を払うべきだ。

時間は絶対的なものではない。つまり、時間は誰にとっても同じように流れているのではない。それを証明したアインシュタインは、「美女と一緒の1時間は短いが、熱いストーブの上で座っている10分は長い」と、そのことを分かりやすく言ったが、これはただのたとえ話ではなく、彼の物理学理論と同じ価値のある事実だ。
退屈な10分は長いが、熱中している1時間が短いことは、誰もが経験していると思う。楽しく絵でも描いていたら、30分くらいのつもりが数時間経っているといった感じだ。
そんな感覚を磨けば、大変な能力を引き出せることを発見し、実践教育したのが、美術教師のベティ・エドワーズで、彼女の著書『脳の右側で描け』は、20年ごとに改定しながら出版され続けている世界的ロングセラーである。

脳に電極で刺激を与えると、昔の出来事の微細なことまで鮮やかに思い出すことが発見されたことがある。これを、脳のどこかに記憶が書き込まれていて、電極の刺激で再生されたと説明する研究者が多いが、そうではない。電極の刺激により、脳が精神の束縛を解き、それで、どんな記憶にもアクセスできたというのが真実だ。
老人は、最近のことより、昔の出来事を鮮明に思い出すというが、これも、老化により、「束縛する能力」が消えたので、昔の記憶がそのまま現れるのだ。一方、最近のことには、あまり注意を払わないので、特に意識に現れないだけだ。

ところで、アインシュタインは、時間だけではなく、空間もまた絶対的でないことを発見した。
これも、誰かがすぐ側にいるのに、遠く感じるとか、逆に、遠くにいるはずの人を身近に感じるといったことが、よく言われてきたし、経験している人も多いだろう。
だが、近くにいるのに遠く感じるというのは、本当は、遠くに感じるのではなく、存在が希薄だという意味なのだ。存在感というのは、距離とは関係がないのだ。

これらのことから、ある不思議な結論が導ける。
つまり、時間や空間というものは、実際にあるものではなく、心が創りだしているというだけのものなのだ。
だが、いきなりこう言われても、なかなか納得できないかもしれない。
だが、このことを本当に自分のものにするかどうかで、あなたの運命は決まるのである。

とはいえ、こんなことを理屈で考えてもあまり意味はない。
確かに、科学的に説明はできるかもしれないが、それは単に、科学という一定のルールを定め、その中で説明できるという程度のことで、大したことではないのだ。
もっと重要なことは、科学だの論理だのではなく、直接的に知ることだ。
それができれば、世界はあなたの意のままになる。

ところが逆に、世界を意のままに操ることを通して真理を理解することもできる。
例えばこうする。
過去の思い出や、未来の想像、あるいは、夢というのは、色がない、モノクロの世界だ。
「いや、俺の夢には色がある」と言う人もいるが、その通りだ。そんな人もいる。だが、そんな人でも、全部がそうではない。
なぜ思い出や想像に色がないかというと、そこに生命がないからだ。
では、意識的に、思い出や想像に色を与え、明るさを増すことで、そこに生命を与えることができる。
生命を持てば、それは、過去でもなければ未来でもない。それは、今なのだ。
願いが叶った様子を、色鮮やかに、明るく描けば、それはすでに現実である。現実になるのではない。すでになっているのだ。
そして、時間というのは観念に過ぎず、過去を書き換えることもできる。これも、優れた科学者や芸術家の中にも、そう言う者が実際にいる。
イエスは、「願いがあれば、すでに叶ったと思って感謝しろ。そうすれば叶う」と言ったといわれるが、モノクロの暗い映像を思って感謝することなどできない。本当に感謝しているなら、色つきで明るいはずだ。
これが願いを叶える本当の秘法だ。さっそく試して欲しい。

私が最近よく紹介している『心身の神癒』では、イエス自ら、時間や空間が本当はないことを荘厳に語っている。よければ学んで欲しい。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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