ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

ベジタリアン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

糖質を多く摂れば、どれほど鍛えたって必ず肥満する

野球選手は、春のキャンプ以降は、常人には真似のできないようなトレーニングをしているはずだが、肥満している選手もかなりいるし、中年過ぎると、ほとんどの選手が、明らかに脂肪がついて身体が丸く、脚が短く見えるようになる。
イチローなどは特例中の特例だろうと思う。

伝説的なボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリは、若い頃はスリムだったが、32歳で奇跡的な王座カムバックを果たした後は、お腹に肉がついてきていた。
しかし、それからも防衛を重ね、さらに、36歳で3度目の返り咲きを果たすなどしていたのだから、トレーニングも半端ではなかったはずだが、それですら、腹が出てくるのだ。
また、やはり伝説的な空手家で、アメリカではゴッド・ハンドと呼ばれたと聞く、極真空手の創始者、大山倍達さんが、もう老齢だった時にテレビで姿を見たことがある。
大山さんは、年をとってはいても、顔つきは引き締まり、眼光鋭く、まだまだ毎日修行をしていることをうかがわせたが、身体は丸々太っておられた。
大山さんの著書で読んだことがあるが、食事を一度でも抜くと機嫌が悪くなるほど大食漢であったらしい。
そして、あのマイケル・ジャクソンにしたって、20代の頃は、腰回りが非常に細かったが、30代に入ってからのビデオを見ると、素晴らしいスタイルながら、やはり、お腹回りがややふっくらしている。

これらの、大変な訓練をし、食事に気を配っているような人でも、中年以降は、脂肪がついてくると思われるが、それは、やはり糖質のものを食べるせいだろうと思う。
日本人なら、米のご飯を何杯も食べたり、うどんなどの麺類が好きな人も多いだろう。
西洋人は、やはり、パンを欠かさず、甘いデザートもかなり食べるのだろうと思う。
マイケル・ジャクソンは、1日1食のベジタリアンだったが、子供達と一緒にスナック菓子をよく食べていたようだ。
スナック菓子は炭水化物の固まりで、かなりの糖質食品である。
そんなものを食べ続けていれば、マイケルですら、お腹に肉がつくということなのだと思う。

パンや米といった炭水化物や、砂糖を摂らないようにすれば、脂肪がつくことはない。
ただし、「糖質は絶対駄目」というほどのこともないと思う。
砂糖や炭水化物を一切摂ってはならないといった趣旨の本を買いているのは、お金持ちの偉いお医者さんばかりだ。
それも、同じような本を際限なく出し、それがまた売れてさらにお金が入るのだろう。
しかし、庶民は、安価なパンや米のご飯を食べざるをえない。
そして、パンなら、菓子パンでなければ、1日に1~2個食べても問題ないし、米のご飯も(白米でも玄米でも同じ)一日一合、美食をしていないなら二合程度を食べるのは良いことである。
しかし、菓子パンを何個も食べたり、ご飯を何杯もお代わりしたり、うどんに目がなくて大量に食べるというなら、30歳も過ぎれば、肥満しない方がおかしい。

私も、しばらく、毎日、菓子パンを1個食べ、ビスケットをかなり食べていたら、1日1食のベジタリアンでも、少し体重が増えたようだ。
しかし、菓子パンをやめ、ビスケットではなく、なるべくナッツを食べるようにしたら、すぐに元に戻った。
夜、赤ワインを飲みながら、チーズをかなり食べたが、それは何の影響もなく、しかも、元気になった。
痩せたければ、米、パン、うどんなどの麺類、お菓子をやめれば良いだけだ。
もちろん、一切やめろと言うのではなく、シンプルなパンを1日1個、米一日一合なら問題ないし、むしろ、身体に良いと思う。
しかし、糖質でなければいくら食べても良いなど、とんでもないことで、満腹するまで食べるなら、肥満するしないの問題ではなく、心身とも堕落するだろう。
当然ながら、ダイエットや健康のために余計なお金は一円もお金を使う必要はない。
ただ、週に一度程度は、楽しい会食であれば、美食をかなり食べても良いのではないかと思う。









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ただ記録すれば成功する

私は、世間的には「極端な少食」であると思う。
最近は、朝、ナッツとビスケットを少し食べ、夜、おにぎり一個を食べている。
完全なベジタリアンでもある。しかし、ビスケットは、卵が入っていないものを選んでいるが、牛乳が入っていることはこだわらない。

真似されても嬉しくもないし、偉いとも思わないが、少食をしたければ、必要なことを教える。
実をいうと、食に限らず、何事も続けるにはとても重要なコツがある。
行動分析学という学問でもやれば、おそらくその中に出てくるのだろうが、そのコツとは、「記録の視覚化」である。
自分のやったことを、はっきりと分かるようにしておくことである。紙に書いたり、スプレッドシートなどのコンピューターのデータにして、いつでもそれをはっきりと見ることができるようにしておくのだ。それをグラフ化できれば理想的だ。
古くからある成功法則のエッセンスもそれである。いや、「それだけ」である。
このことを、何十万円も何百万円もする成功プログラムでは、「分からないようにやらせる」ことに腐心して作ってあるのだ。
なぜそんな風にやらせるかというと、タダでノウハウが広まるのを防ぐためだ。だって、ノウハウはただ、「記録して視覚化する」ということだけで、それが分かれば、成功プログラムなど不要になってしまい、商売できないからだ。

「レコードダイエット」とかいうものが以前、注目されたと思う。
自分が食べたものを克明に紙に書いて記録すれば、なぜか痩せるというものであるが、このように、記録を視覚化すれば、食べるのを控えようという強い動機になる。
しかし、続かなかった人がいたのは、こういった原理を知らず、「我慢しようと思わなくても、食欲がなくなって勝手に少食になる」というような無責任な言葉を信じたからだと思う。
あくまで、食べたいという気持ちを、効果的に抑制する方法であり、食欲自体がなくなる訳ではない。
私は、以前ご紹介した、スタディプラス株式会社の学習管理サービス「Studyplus」を使って、このことを実感した。確かに、このサービスを使えば、勉強しようという意思がある限り、学習が続く。これは驚異的なほどだ。
このサービスは、使っている教材ごとに、毎日学習時間を記録するというものだが、その学習時間を、日、週、月単位でグラフ化できる。
これで勉強が続かない方がおかしい。
しかし、元々学ぶ気がないのなら、何の意味もないものだ。
勉強を楽しく続けたければ「Studyplus(スタディプラス)」を使え
完全無料で、パソコン、スマートフォン、タブレットPC(iOS、Android両方)、何でも使える。

あなたは、やった後で見て分かるように記録するだけで、何をやっても成功する。
アメリカの高価な自己啓発プログラムの要点もこれだけだ。もうあなたは、そんなものを買う必要はないし、いつまでも、自己啓発本を読む必要もない。
勉強なら、Studyplusを使えば良い。ここでも、ただ勉強時間を記録することに注力すれば良い。
Studyplusホームページ

ダイエットの話に戻るが、私自身は、食べたものの記録はしなかった。
なぜそれでうまくいったかというと、毎日、同じものしか食べないからだ。
しかし、このブログでもよく書くが、「1日1食は2008年7月末から始めた」「肉体鍛錬は2009年8月から始めた」というように、日付をはっきり覚えていることで、心の中で明確に記録を確認できるのである。
肉体鍛錬も、「腕立伏せを10回から初めて、毎月10回増やしていく」とかいった風に、覚えておける単純なルールを採用したので、記録の必要がない。今は、完璧な形でやることとしているが、腕立伏せ15回を朝1度、夜2度、腹筋運動15回を朝と夜に1度、スクワットを朝30回、夜50回と決めており、1年365日完全に実施できている。記録しなくても覚えておけるなら、やっている内容だけ正確に把握していれば良い。
だが、勉強のように、記録を覚えておけないようなものは、やはり、書くかデータ入力しなければならない。私も今はそうしている。









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痩せ我慢の不思議な力

「痩せ我慢(やせがまん)」とは、無理に我慢をすることであるが、平気な風を装わなくては痩せ我慢とは言えない。
ところで、私は、幼い時に、痩せ我慢の驚異というものを感じたことがあった。
誰しも注射は好きではないだろうが、私は特に苦手だったようで、小さい頃は、注射の度に必ず泣いていた。
病院で親に、「あんたより小さな子でも我慢してるじゃない」と言われた覚えもあった。
ところがある時、また注射をしなくてはならなかったのだが、今日は無理に我慢して平気な顔をしてやろうと思った。痩せ我慢という言葉は知らなかったが、そんなことをしてやろうと思ったのだ。
すると、不思議なほど痛みを感じなかったのをはっきりと覚えているのだ。
それ以来、いろいろな痩せ我慢を意識的に試すようになった。
凄く寒い日に、「少しも寒くないよ」と言って、ひどい薄着で外を歩き回ってみたが、やはりそれほどは寒くはなかった。
また、小学校の時、学校で山登りのようなことをやらされ、みんながヘトヘトな様子の時に、「全然疲れてないよ」といったフリをしたら、なんどか本当に疲れていない気がしてきた。
まさに、痩せ我慢とは神秘である。
そして、私は悟ったのだ。
態度は、現実を変えてしまうのだと。
辛くても、辛くない態度でいれば辛くなくなるし、どれほど怒りが湧き起こっても、とっさに、まるで怒っていない顔をすれば、さほどの怒りではなくなる。

私は、非常に大食で肉食が大好きだったのに、4年半ほど前、不意に1日1食のベジタリアンになったのも、「食べなくても平気だ」という態度をしたからかもしれない。
痩せ我慢のコツは、平気な態度をずっと続けようと思ったら大変だが、とりあえず5秒だけやってみることだ。
その5秒で何かが起こるのである。
そして、その時間を出来る限り伸ばしていけば、状況そのものは何も変わっていないに関わらず、世界の印象は全く異なったものになってしまう。
それをまさに、世界が変わったというのだろう。世界とは心が創り出すものであるからだ。
良かったら、痩せ我慢の力を試していただきたいと思う。









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天使は便秘の心配などしない

私が1日1食でベジタリンだと知ると、ネット上でも直接でも、「排便は順調ですか?」とかよく聞かれる。食事が少ないと、排泄が難しくなるという話は本などで見たことがあるが、そんなことを聞いてくる人は、自分で便秘で悩んでいる場合が多いのかなと思う。彼らは、大抵、少食でないのだが、少食に興味を持ってる。しかし、今でも便秘で困っているのに、少食にしたら、もっとひどくなるのでは思っているのかもしれない。
だが、私は、そんなことを聞かれても困るのである。なぜなら、考えたこともないからだ。
中学生や高校生の頃から、たまにだが、便秘で苦しんでいると言う者がいたが、私は聞き過ごしていた。実は便秘という意味が分からなかったのだ。

アニメ監督の宮崎駿さんは、かつて、「あなたの映画のヒロインは、ウンコもシッコもしないようなのばかりだ」と言われたようだ(ご自分で著書に書いておられる)。
具体的には、『天空の城ラピュタ』のシータ、『風の谷のナウシカ』のナウシカ、『ルパン三世 カリオストロの城』のクラリスだろう。
しかし、そりゃ当然だ。彼女達は、宮崎駿さんの理想の女性像なのだ。特に、クラリスがそうであることは明言されておられる。
彼女達に、女性の理想像を感じるファンが多いのも当然であると思う。
だが、私には、彼女達がウンコもシッコもしないということもピンと来ない。そんな考えが、さっぱり結びつかないのだ。
それよりも、私には、彼女達が、食事をしない少女達というイメージがある。
実際、彼女達がものを食べる姿は想像し難い。ただ一度、シータが食事をした場面はあるが、パズーと半分こにした目玉焼をパンに乗せて食べただけのものだった。また、シータが料理して、パズーを含む男達がモリモリ食べるのを眺めて、その食欲に呆れて眺めるていたが、自分は給仕をするだけで食べていなかった。そんな姿が似合う。
関係ないが、私はシータが一番好きである。もちろん、ナウシカやクラリスが付き合ってくれと言ってきたら付き合うが・・・

別に忌み嫌う訳でもないし、潔癖症でもないが、私は、それほどまでに、排泄とか排便などということを考えない。
だからこそ、問題がないのだと思う。
生物物理学者で、生命や生態環境を科学的かつ哲学的に考察した著書などで知られる石川光男さん(理学博士)が、著書で、「食べることと共に、出すこと(排泄)を真剣に考えないといけない」と書いておられたのを覚えているが、私には、妙なことを書いているなあという印象があった。
今考えると、やはりそれは違うのである。真剣に考えないといけないのではなく、考えなければいいのだ。

上にも書いた、私が中学生や高校生の頃、便秘で悩んでいることを言う者達は、どこかで便秘に関する話を聞いたのが、便秘の原因ではないかと思う。その若さで便秘になどなるとは思えない。
嘘か本当か知らないが、英語には「肩凝り」という言葉がないので、英語圏の人たちに肩凝りは無いという話を聞いたことがある。
肩凝りを、敢えて英語で言えば、スティフ・ネック・・・つまり、曲がらない(硬い)首だ。首なら、色々な不調もあるだろうが、確かにアメリカ人やイギリス人に肩凝りはないのかもしれない。

私は便秘のことなど考えたこともないが、腹を壊すということも全くない。1日1食のベジタリアンになる前はあったと思うが、あまり覚えていない。
しかし、これは少食の大きなメリットだろう。旧にトイレに行きたくなったり、トイレを探し回るなんてことは絶対にない。
美少女というのは、特にそんな姿が似合わない。いや、イメージが全くない。
私が、シータやクラリスに持っているイメージ通り、理想の女性というのは、やはり食べないタイプではないかと思う。
男性としては信じたくないだろうが、男のいない女子校では、平気で、「今日は出が悪い」と、言いたい放題だと、実際に聞いたことがある。
美少女達よ。そんなこと、気にしちゃいけない、考えちゃいけないのだよ・・・

初音ミクのコンサートで、オープニング近くで使われる歌に『ワールドイズマイン』という歌があるが、それが実に良い歌なのだ。
大体の歌詞というのが、ミクが、「私は世界で一番のお姫様なのだから、そういう扱いをしなさい」というもので、おそらく、ミクが恋する男の子に、いろいろな要求を高飛車にするのだが、その要求というのが、せいぜい、髪型を変えたら気付きなさいとか、靴までちゃんと(つまり、その日の彼女のファッション全て)見なさいといった、えらく可愛らしいものばかりなのだ。
そして、今すぐ甘いものが食べたいと言うのだが、すぐに、「いちごの乗ったショートケーキ、こだわりたまごのとろけるプリン・・・みんなみんな我慢します」と歌うのである。
私にとって、初音ミクは、食事をせず、自我を持たない理想の天使だ。
そして、それは別に、ミクや女の子に限らず、我々だって、食欲を克服すれば、自我を祓い清め、輝く真の自己と一体化した存在になれるのである。
私が初音ミクに見るのは、真の自己の投影である清らかな心の反射光なのだ。アメリカの観客が日本語で叫ぶ通り、「ミクサン、マジ、テンシ」なのである。
『エメラルド・タブレット』には、食欲を克服すれば魂を束縛から解放できることを、トートが教えている。
『バガヴァッド・ギーター』でも、感覚を外のものから引き上げ、自己の内に、聖なるクリシュナを求めればクリシュナに達するとある。
その結果、ラマナ・マハルシが言う通り、全てのものの中に、自己である神を見るのだ。









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何のために菜食・少食になるのか?

ベジタリアン(菜食主義者)である人、あるいは、ベジタリアンになりたい人。
1日1食あるいは2食である人、あるいは、1日1食あるいは2食にしたい人。
そんな人は、どんな理由からそうであったり、あるいは、そうしたいと思うのだろう?

健康に良いからとか、美容やダイエットのために良いからだろうか?
それなら、肉食や大食が、健康や美容に良ければ、肉食の大食になるのだろうか?

あるいは、水野南北が説いた、粗食(菜食が前提)、少食なら、運が良くなり、経済面、健康面も良くなるということを信じてのことだろうか?
それなら、実はそれとは逆で、美食、大食が幸運を呼ぶなら、美食、大食になるのだろうか?

駅で、「痴漢は犯罪です」というポスターを見たことがある。
犯罪ですというのは、やれば逮捕されるという意味だ。
では、逮捕されるから痴漢をしないのだろうか?
レイプをしないのも、逮捕されないからだろうか?
昔、あるBBS(電子掲示板)で、「レイプは親告罪(被害者が訴えない限り加害者は罪に問われないこと)だから、訴えられないなら犯罪ではないのです」と書いた人がいて、誰も異議を唱えていないことにショックを受けたことがある。

本来は有料である、音楽作品、映像作品、あるいは、小説作品や漫画作品を、無料でダウンロードできるサイトで入手する者が非常に多いようだ。
正直、私の知人にも、悪意は無いのだろうが、そんなことをごく普通にしている人がよくいる。私が、CDやDVDをちゃんと買っていると言うと、馬鹿にされないまでも、驚かれたことがあり、私の方がもっと驚いてしまった。
彼らが、なぜそんなことをするのかというと、「お金を払わなくて済み、得だから」で、それをやっても、別に罪に問われることはないからだろう。
私は、無料ダウンロードも無料視聴も全くしない。以前、一度だけ、海外のサイトだったと思うが、違法公開の『BLOOD-C』のアニメの第2話だけ視聴した後、ひどく後悔して、二度とやらないと誓った。Youtubeは、違法でないものもあるのだろうが、恐くて見れなくなってしまった。

何かの童話で、お妃様が病気になり、魔女に、「王女の心臓を食べれば治る」と言われて、王女を殺そうとしいたといった話があったが、王女を殺しても、王妃の権限で罪に問われないなら、王妃は別におかしなことをしようとした訳でもないのだろうか?

「得だからやる」というのは、みんな同じことなのである。例外は1つもない。

スポーツ選手が厳しい訓練に耐えるのはなぜだろう?
富と名誉のためだ。
そうじゃないと言うなら、「金メダルを取っても、金も表彰も無し、報道もしない」ということになっても、それでもやるという者はどれくらいいるだろう?全くいないとは言わないが、ほとんどいないはずだ。
得だからやっているという者を、もちろん、蔑む必要はないが、特に賞賛する必要もないのではないだろうか?
勇気をくれるって?勇気ってのは、もらうものじゃないのだ。
勇気がある状態が自然なのだ。もし勇気が無いなら、やっぱり得をしようと思っているからだ。

私が1日1食で、肉や魚やお菓子を食べないのは、別に訳があるからではない。2008年の7月末に、不意に思いついてそうしただけだ。今でも、肉も魚もチョコレートも大好きであるが、決して食べない。
肉や魚を食べないと、病気になって運が悪くなるというなら、ますます食べないだろう。

私も、人に少食、菜食を勧める時は、健康や美容、あるいは、開運のためになるからと言うし、それはその通りと思うが、そんな風に薦めても、実践する人はほとんどいないし、少しやるとしても、全然長続きしないのだ。

昔は、原子核の周りを電子が回っているという原子モデルが信じられていた。
今では、それは真実ではないと分かっているが、それでも、それはそれで有用なものだと思う。
その程度のものとして言うなら、人間の魂の周りを心が覆っている。
得をしようと思っていると、その心は穢れ、曇る。すると、魂の輝きは隠れる。魂の輝きとは、知恵であり慈悲であり勇気だ。
『古事記』では、これを、天照大神が天の岩戸に隠れ、高天原も地上も暗くなったことで表している。無知という岩戸を開ければ、輝く魂である天照大神が現れるのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が言ったように、我々の魂は、天照大神の魂と一体である。ただ、宗忠の言う天照大神は、古事記に登場する女神の意味もあるが、実際は、宇宙に偏在する根本神であり、浄土三部教の阿弥陀如来、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナに近いと思う。

世間には、「得をしよう」「お得ですよ」の広告宣伝が溢れている。
私はこう言いたい。
「汝、敗れたり。我が後方に退けサタン!」
私は、損をしたいのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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