ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

ベイン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

この世はままならぬから楽しい

世の中には、「願いが叶う方法」とか「希望が実現する方法」といったものがあるように言われ、それを商売にしている者も多い。
そういった者の中には、イエス・キリストこそ、希望、願望を実現させる力を持つ代表的な存在であると述べる者もよくいる。
イエスは、いかなる難病も即時に治し、数個のパンと数匹の魚を数千人に食べさせて満腹させ、水をぶどう酒に変え、死人すら蘇らせた。
しかし、イエス自身は、実際は何もしていない。
例えば、イエスは、弟子に、「この先を行くと、子ロバがつながれているから、それを解いて連れて来なさい」と言い、弟子が行くと、やはりつながれた子ロバがいる。
それで、その子ロバを解こうとしたら、持ち主が、「何してんだ?」と言うので、やはりイエスに教えられたとおり、「主がお入用だ」と言うと、邪魔されずに連れてくることができた。
しかし、それは別にイエスの力によるものではなく、はじめからそうなると決まっていたと、ちゃんと福音書に書かれている。
イエスに起こった一切の出来事は、イエスが起こした奇跡を含め、全ては最初からそうなると決まっていたのであり、主だったものは、大昔に書かれた聖書(旧約聖書)に書かれていたのである。

我々も同様だ。
我々には、人生や世界に対し、何のコントロールをすることもできない。
願いが叶ったように見えても、それは、最初からそうなると決まっていたことでしかない。
だから、願ったことが叶ったように見えることがある一方、願いもしなかったことが叶ったり、願っても叶わないことの方が圧倒的に多いのである。
いうなれば、我々は、シナリオ通りに演じる舞台の役者である。
シェイクスピアやイェイツは、それを深く感じていて、人生が舞台のようなものである、あるいは、舞台のようなものでしかないと度々言っていたものだ。
イェイツは、人生は悲劇だが、演じる役者が泣いていてはいけないと言った。ただの舞台なのだから。
シナリオは完全に決まっていて、役者がそれを変えられる訳がない。
つまり、我々個人個人の思いの通りに世界が変わるはずがない。

我々の運命は、全て完全に決められているが、それの何が不満なのだろう?
そりゃ、金持ちになったり、可愛いあの子と結ばれることは無いかもしれず、病気になり失業して悲惨な目に遭うのが運命かもしれない。
しかし、全て受け入れていれば、たとえどんな状況でも、心晴れやかで喜びすら満ちるのである。
シラーの詩をベートーヴェンが歌にした『歓喜の歌』でも、別に億万長者になったり、美女を侍らせたから歓喜するのではなく、内なる魂を知ることで喜びに満ちるのである。
一方、金持ちになり、名誉を受けた者ほど惨めで不幸なのかもしれないのだ。

『灼眼のシャナ』という小説・アニメで、ベルペオールという名の、大変な力を持つ3眼の美女は、大きな計画が最後にいつも躓くのだが、そんな時、「やはり世の中はままならぬ」と言って、多少の無念さは見せるが、案外サバサバしていた。この「ままならぬ」は彼女の口癖のようなものだったが、最後の最後は、ままならぬままで良いと受け入れたのか、実に幸福そうであった。
イエスとて、自我では、「ままならぬ」と思っていたはずだ。
イエス自身、「私の想いではなく、あなた(神)の想いがなされますように」と祈ったのである。
つまり、イエス個人の願いや希望があっても、それが叶うということではなく、既に神が決めた通りになるのであり、イエスはそれを完全に受け入れていたから神のキリストだったのである。
キリストになるとは、つまり、こういうことなのである。
イエスの秘法を一言で言えば、スコットランド出身の聖者マード・マクドナルド・ベインの身体を借りて言ったように、「私自身は無だ。神が全てを為す」であると思う。
我々はキリストになるべき時であり、そうでなければ、どうも危ないようなのだ。
そんな時、邪まなことを言って、我々を惑わす者が多いことも予言されている。「あなたの願いは必ず叶う」とか「望みを全て実現する法」とか言って商売する者達もまたそうなのかもしれないが、そんな連中は下っ端なのであり、本物の強敵はその後で出てくるかもしれない。









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クーエの自己暗示法が効かない理由

心と身体が全く同じものだと本当に分かれば、その人は大きく飛躍するし、人生の展望も開ける。
フランスにエミール・クーエ(1857-1926)という、自己暗示療法で知られる心理学者がいた。
彼の自己暗示法は現在でもよく知られているが、方法は実に簡単だ。
単に、「毎日、あらゆる面で、私はますます良くなっていく」と自分に言うだけである。
だが、これをやってみても、さしたる効果を感じられず、すぐにやめた人が多いと思う。
しかし、クーエは暗示療法しかしないのに(彼は医者ではない)、癌、心臓病はじめ、あらゆる病気を治し、曲がった骨すら真っ直ぐにしてしまった。それも、ほとんどの場合、その場でごく簡単にだ。ある患者は、自分で歩くこともできずに、クーエの治療所に担ぎ込まれたのに、10分後には走り回っていた。

キリスト並の奇跡を平然と起こすクーエと、同じことをやっても、さっぱり効果の出ない我々でどんな違いがあるのだろう。
私は、クーエや、彼の若い弟子でも、言葉を知らない赤ん坊を暗示療法で治してしまうということを知り、少し分かったように思った。
そして、哲学者で神学者でもある霊能力者のマード・マクドナルド・ベインが、クーエのことを述べているのを見て、またヒントを得た。ベインは、クーエは見えざる霊の助けを借りて治療を行ったと言う。ベイン自身が恐るべきヒーラー(霊的治療者)なので、当然よく分かるのだろう。
霊の助けで治療するとは、どういう意味であろうか?
ベインの説明を見て、1年くらい経って、ようやく私にも理解が訪れた。

身体と心はぴったり重なっているゆえに、同じものと考えて差し支えない。
よって、心を治せば身体も治る。
食べ物が身体を養うように、心を養うのであり、清らかな食物を適切な量食べれば、身体はどんどん良くなる。
身体の姿勢が悪ければ心も歪んでいる。
身体に何らかの疾患があれば、心に疾患があるのである。

「心身医学の父」と呼ばれるゲオルク・グロデックや、NLP(神経言語プログラミング)の開発者であるリチャード・バンドラーは、あらゆる病気は、たとえ器質性のものであろうと、全て心因性であると断言していた。
全くその通りで、心を治せば身体が治り、身体を治せば心も治る。
なら、クーエの自己暗示を使っても、肉や甘いものを大量に食べたり、姿勢が悪くて身体をぞんざいに扱っていては、効果がない訳ではないが、ひどく時間がかかるだろう。
また、現在は、世間には性的欲望を煽るものが溢れているが、いつも性欲を起こしていれば、心は汚れる一方で、それでは効果は望めない。

ところで、ベインが言った通り、クーエは実は霊的治療を行っていた。
ただし、そのことを、あまり神秘的に考える必要はない。
身体とほぼ一致する心を矯正すれば身体は治る。しかし、クーエは、それよりも深い部分である霊を治療したので、それが心を矯正し、結果、身体が一瞬で治るのである。
それを、クーエは霊の力で行った。
しかし、我々のように、霊能力がない場合はどうするのか?
訳はない。心を無にすれば、誰だって霊の身体である霊体に通じるのだ。
現在のNLPのことは分からないが、バンドラーは結果としてそれをやったのだ。彼のNLPは、一瞬、心を無にすることで、霊との扉を開くのである。最も、それゆえに、彼の治療効果は、あまり長期間続かないのではないかと思う。患者が、普段の心的状態に戻ると、やはり病気は再発するに違いない。だが、心を純粋に保つようにすれば、効果は永遠になる。

再度言うが、食物が身体を養うように心を養うのである。
よって、正しいものを正しい量食べれば、心も向上し、純粋になることで、霊との扉も開く。ところで、世間で言う霊障とは、実際は心のレベルのものである。心に欲望がなく純粋であれば、何も恐れることはない。
水野南北が、「食が全ての運命を決める」と言った意味が、これでよく分かったように思う。
ラマナ・マハルシは、良い食べ物として、「パン、フルーツ、野菜、ミルク」を挙げた。ただし、ミルクは、飼いならされた牛は、必要以上に乳を出すので、絞ってやらないと可哀想だからという理由もあった。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』に登場するヒマラヤの大師(悟りを開いた聖者)は、パン、野菜、フルーツ、ナッツを食べていたという。
無論、日本人の場合は米、あるいは、麦も良いだろう。ただ、水野南北は米はいっさい食べず、麦飯を食べていたそうである。

霊のことを話せば長くなるので、今回は省略するが、まずは心である。それに、心が純粋になれば、自ずと霊の力の恩恵も得るだろう。
食を慎み、適度に身体を鍛えれば、心も純粋で逞しくなり、それに応じて良い成果を見るのは間違いがない。









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愛する人を失うと、なぜ世界は色褪せるのか?

昔、親友の事故死を知った日の夜は、悲しいというのではなく、世界を非現実に感じた。
会社からの帰りが遅くなってしまったが、なんとか帰りの電車に乗った。ところが、どんな事情だったか憶えていないのだが、電車が動かなくなってしまった。
運転中止というアナウンスはなかったが、私は早々に諦め、ホテルに泊まることにした。まだ食事の出来る店は開いていたかもしれないが、コンビニでおにぎりを買って、駅の近くのビジネスホテルにチェックインした。
私が知る限り、国内のホテルには、聖書と仏典が備えられている。聖書は世界共通の内容だが、仏典は宗派にとらわれず、様々な仏典から選び出したお話を載せている。
私は仏典の方を読み始めた。すると、印象的なお話があった。
ある男が、2匹の鬼に捕まる。ところが、これらの鬼は張り合ってでもいたのか、片方が男の腕をもぎ取ると、もう片方の鬼が違う人間の腕を付ける。脚をもぎ取ると、やはり、別の人間の脚を、さらに、頭も。
すっかり違う人間の身体になってしまった男は、「自分は一体誰なのだろう?」と思う。

その時、私がカバンの中に入れていた本が『ラマナ・マハリシの教え』(めるくまーる社)だった。
その中で、マハリシが話した伝承に、首を切られて死んだ少年が、彼が信仰する神の名を唱和する者達が近付いてきた時に、両手を打ち始めたというものがあった。
もちろん、実話ではないだろうが、マハリシは、これは象徴的な伝承であると言う。
人の実体は身体ではないが、身体に関して言えば、人は頭にではなく、ハートにある。このハートは、肉体の心臓ではなく、位置としては、胸の中央から指2本分、右にあると言う。
人は、自分を指差す時にも、ごく自然に胸の右側を指す。
「僕は計算問題を解いた」という子供も、計算をした頭を指さずに胸を指差し、「ひとっ走り行って来る」と言った者が、走る脚を指差したりせず、やはり胸を指す。

あの仏典の鬼も、胸までは取り替えなかったのだろう。
手塚治虫さんの漫画作品『どろろ』で、百鬼丸は、生まれる前に、48の鬼に身体の48の部分を奪われ、それを取り戻していく。さすがに、頭を取られては漫画としては描き難いだろうが、いずれにしろ、どれだけの身体のパーツを取られても、「自分自身」までは取られることは無い。

そして、胸の右側に自己の中心があるといっても、それも、肉体と自己の結び目という程度の意味である。私は身体ではない。また、私は心でもない。心は、おそらく、頭が作るものだ。
ラマナ・マハリシは、世界は実在ではなく、心が創り出した幻影であるという。
まさに、親友が死んだ時に感じた世界の非現実性が、それを示唆していたように思う。
心が消滅し、非実在である世界が消えた時、我々は身体や心を超える。それを解脱と言い、その時、我々は自由になる。それは、真の自己である神と一体化したということだからだ。
そのために、マハリシは、「私は誰か?」と問い続けろと言う。
あの身体をすっかりすげ替えられた男のように。
最近も書いたが、スコットランドの神学者・哲学者であり、ヒーラーでもあるマード・マクドナルド・ベインの身体を借り、イエス・キリストは、次のように言ったという。

『自分は一体何なのか?』
この質問を十分に納得がいくまで自分自身に課するがよい。
※『心身の神癒-主、再び語り給う-』(霞ヶ関書房)より

愛する人を失うと、世界は色褪せる。世界は現実性を失うのだ。その理由は、自己が心を内側に引き戻し、心が世界を創り出す力が弱くなるからだ。

何か勘違いしてない?はるかがいない世界なんて、守っても仕方ないじゃない。
~『美少女戦士セーラームーンSuperSスペシャル』より セーラーネプチューンこと海王みちるのセリフ~

私の親友の死は、避けえぬ宿命であったかもしれないが、このような共時性を引き起こした。彼は私だったし、世界は私のものだ。
私がそうしようとしているように、我々は身体や心、世界を超えていかなくてはならない。あらゆる問題は、身体や心、そして世界に起因するが、それらはまやかしである。
雲を超えて高く飛べば、嵐の影響を受けないように、我々は地上の喧騒を尻目に、高く飛ぶべきである。









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自分とは一体何なのか?

自分は庶民に身をやつしてはいるが、実はさる王国の王族の1人だなんて冗談にでも考えたことはないだろうか?
アメリカ最大の賢者といも言われるラルフ・ウォルドー・エマーソンは、実際、我々はそのようなものであると述べている。

記憶喪失症患者というものは、本当に記憶を失くしているのではなく、何かのきっかけで記憶が戻るものであるらしい。
それはごく日常の体験でも同じだろう。試験で、憶えているはずの答が出てこなかったが、後で答を知ると、「ああ、そうだった」と、思い出す。つまり、本当に忘れているわけではなく、思い出せないだけだ。あるいは、「何かしようと思っていたんだが、何だったっけ?」と言ったりするが、そんな場合も、実際は、やはり思い出せないだけで、記憶が無くなった訳ではない。
そして、我々は皆、とんでもない記憶喪失者だ。自分が本当は誰であるか忘れてしまっているのである。
なぜ忘れたかについては、いろんな説がある。
作家で事業家のチン・ニンチュウや、幼稚園中退の偉大な医療エンジニアのイツァク・ベントフは、意図的に忘れたのだと言う。
哲学者のアラン・ワッツは、一種の事故のようなものだと言う。
だが、おそらく、無知が我々を覆ってしまったというのが正しいのだろう。しかし、それが起ったのが(我々自身の)意図であったか、単に事故であったか、他の理由であったかは分からない。

アダムとイヴは、知恵の実を食べてしまって、楽園を追われたと言われるが、実際は、無知の実を食べて、自分達が誰なのかを忘れたのではないかと思う。
思い出せば、楽園に戻れるだろう。その間の人類の経験は貴重なものかもしれない。

ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」と常に問い続けろと言う。そうすれば、偉大な真実を思い出す。それが叶えば、我々は自由だが、心というものは外界にさまよい出て、落ち着かずに動き回る。そんなことでは、自分が誰か思い出せない。
スコットランドの神学者・哲学者であり、ヒーラーでもあるマード・マクドナルド・ベインの身体を借り、イエス・キリストは、次のように言ったという。

『自分は一体何なのか?』
この質問を十分に納得がいくまで自分自身に課するがよい。
※『心身の神癒-主、再び語り給う-』(霞ヶ関書房)より

「私は誰か?」というのは、「私は本当は誰なのか?」ということだろう。
こう問い続けることが、私が普段、このブログで書いている価値ある高度なトレーニングである。練習という意味ではなく、貴重なものを引っ張り出すことだ。
自分を乞食だと思っている王様は、城に連れて行かれ、豪華な家具や衣服や食事を与えられ、家来に慇懃に振舞われて、ようやく、自分が王であることに納得する。これは、エマーソンが言ったことだが、我々は、「私は誰か?」「自分とは一体何なのか?」と問うことで、もっと壮大なことを成し遂げるのである。









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神秘力を目覚めさせる芸術

私が幼い頃住んでいた家の近くに、大きな洋館があった。
威容に満ちた古い邸宅で、屋根は空に高くそびえていた。そのような建物は他にはなく、そこだけが異世界ででもあるようだった。
私は、どんな理由だったかは分からないが、中の様子を見たことがある。
私が見たそこは、日本の家には見られない広間のような場所だったと思う。居間にしては広過ぎ、生活感が感じられなかったからだ。
天井がすごく高い。そして、はるか高いところにある壁に窓が付いていた。低い場所にある窓と変わらないもので、カーテンすら付いている。今なら、あんな高い場所の窓をどうやって開け閉めするのだろうとか、あるいは、そもそも必要なのかと思うかもしれないが、その時の私は当たり前に受け入れていたのかもしれない。
そして、ある日、それらの窓よりさらに高い場所・・・ほとんど天井の真下にあった窓が空いていて、そこにこうもり傘が掛けられているのを見た。それを見た時、私の目には、その窓から出入りする者の姿がとても現実的に想像できた。

一昨日(勤労感謝の日)、私は、昼間に椅子に座ったままうたた寝した時、夢の中で、天井の高い建物の中で宙に浮かび、床からはるかに離れた高いところにある窓から外を覗いていた。天井がとても近かった。私は、何の違和感もなく、ごく普通のことをしているように感じていたが、とても気分が良かった。
目が覚めてから、先に書いた、幼い日に見た洋館のことを思い出したのだ。

私は、あの洋館に住んでいた人達は、宙に浮いたり、空を飛ぶことができるのだろうと思っていたに違いない。
シャガールの絵には、空を飛ぶ人々がよく出てくることをご存知かもしれない。シャガールの、それらの絵は叙情性で空想的なものだが、マグリットの絵の空を飛ぶ人達は、とてもリアルに描かれている。非日常的なものをリアルに描くと、ロマンチックというよりは神秘的で、恐く感じることもあると思う。
また、マグリットの絵には、巨岩が空に浮かんでいるようなものもあり、それもまるで風景画のように写実的で、丁度、『天空の城ラピュタ』のようにも感じる。
ただ、マグリットの絵は、幻想絵画としても、ダリのように、いかにも超常的というのではない。
冗談を真顔で言うのは、あまり趣味の良いことではない場合があるが、まさに、マグリットの絵は大真面目に冗談をやっているように思える。
言ってみれば、ダリの絵は、最初から冗談であることが分かる安心感があるのだが、マグリットのものは「俺は確かに幽霊を見たのだ」とでもいった、冗談とも本当とも分からない不安をどこかに感じさせる。
マグリットの絵は、異常な部分にも、異常性を認めさせない雰囲気がある。
それで、マグリットは、「僕の絵のどこが異常なんだい?」って言いそうな気がするのだ。

オウム真理教の事件以来、あまり聞かなくなったような気もするが、インドには、空中に浮くヨーギ(ヨガ行者)がいるらしい。ミラレパというヨーギは、ヨガの秘法で体温を自在に調整し(ツンモの術という)、極寒の中でも薄着でいたらしいが、彼は空を飛ぶことも出来たと聞く。
このような、体温を調整したり、宙に浮く術は、スコットランド出身の哲学者M.マクドナルド.ベインの著書の中で、ベイン自身がこれを伝授され、駆使する話があり、とても興味深い。
体温を自在に調整したり、宙に浮いたりは、非現実的と思われるかもしれない。ところが、ベインの本では、チベットの数多くの風景や人々の様子が、まるで目に浮かぶように実にリアルに描写されている。また、チベットの険しい山岳地帯を、大地が凍り付き、吹雪が吹き荒れる中で旅する恐ろしい困難さや、宿泊していた小屋に猛獣が現れたり、盗賊に出会った際の様子や、それらの危機を回避した時の臨場感、危機感など、作り話でここまでの迫力は出せないと感じる。
それは、まるで、マグリットの絵のようだ。ベインの本の神秘現象の記述も、彼は、作り話ではなく、単なる事実として書いている。そして、私は別に疑ってはいない。
なら、マグリットの絵にあるようなことが、実際にあるとしても、それはそれで良いと思う。
そして、幼い頃に見た洋館に住んでいた人達も、空を飛んでいたか、あるいは、そんな建築をするのは、かつては、空を飛んでいた人もいたからかもしれない。

イエスも、復活した後、空に浮かんで消えたのではなかっただろうか?
中国には、そのように、宙に浮かんで消える仙人の話は多い。日本にもある。
虚空に消え去る仙人は、仙人の中でも最高ランキングなのだと聞いたことがある。もちろん、消えるだけでなく、自在に現れる。消えるというのも、この世界から居なくなるというだけで、異界に移動したということなのだ。
イエスは、磔になるまでは本質的に人間だったが、復活した時は完全な存在であったということなのかもしれない。ラマナ・マハルシもそのようなことを言っていたと思う。
お釈迦様が、空中に浮かんで現れるという場面も、経典の中によくあると思うし、悟りを開いた人がそのような能力を持つことは、あちこちの経典に書かれていると思う。

宇宙飛行士の古川聡さんが、宇宙で痩せたという話をされていた。
無重力状態では、空腹感が少なくなるよおうだ。それで、あまり食べなくなるのだ。
私が、ある時突然、1日1食の菜食主義者になったのも、空腹を感じないとまではいかないが、毎日、中国易筋経の秘法である腕振り運動を熱心にやっているうちに、関英男博士の仮説の通り、体内に、GTP(Gravitonized Particle:重力子が複数集まった粒子)が蓄積され、神経が重力を感じる度合いが減り、空腹度が弱くなっていたのかもしれないと思う。

※当ブログ内の腕振り運動に関する記事へのリンク
腕振り運動で若返る原理
天使か妖精のように軽くなる方法
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート

特に最近では、私は、1日1食の菜食というのが、あまりに当たり前になり、全く意識をしなくなった。ただ、身体がひどく軽くなったのを感じている。それは、体重の問題ではなく、丁度、幼い子供の時に、いくらスキップしても疲れなかった時の感覚なのである。子供の時は、GTPを大量に有しているが、GTPは、減る一方で決して増えることはない。しかし、腕振り運動をやれば増えるのであると考えられる。中国の武闘派の気功で、せい手(スワイソウ)と呼ばれる腕振り運動が行われているところがあるのもうなづけるのである。
子供は、幼い頃は、ご飯だよと呼んでも、むしろ遊びに夢中なことが多く、それほど食欲は強くない。そんな頃の子供は無限のエネルギーを持っているようだ。しかし、食べ盛りになるほど、身体が重くなって疲れるようになるのだ。
だが、ある程度の年齢になっても、極端に少食な子というのは、どこか天使か妖精のような雰囲気がある。彼女達(女の子に多いように思う)は、あまりに食べないので、親や教師に怒られることもある。なんらかの理由で、そんな子はGTPを多量に持っているのだ。彼女達に無理に食べさせるようなことをしてはいけない。他のGTPを失った子達と同じ量の給食を食べるのは、彼女達にとって苦痛でしかないのだ。
私も、そんな少女を1人知っていた。中学入学の際に、制服の試着をした時、あまりに身体が細いので、洋服屋の人に驚かれたという。だが、ガリガリという感じはなく、優雅で、天使のように美しかった。彼女も、ほとんど食事をしなかった。きっと、本当に天使だったのだ。

私は、食事は夕食だけで、食べるのは、パン(食パン1枚)、野菜、果物、ナッツと、後は豆類くらいだ。食べようと思えば、意外に沢山、美味しく食べられるが、数日経って調子が悪くなることがあるようだ。最近も、会食が続いていて、脂っこいものや、魚介類も食べたが、ある日突然、体調を悪くして寝込んだことがあった。
さっきも書いたが、今の私は、体重のせいばかりでなく、あまりに身体が軽く感じ、他の人が停止しているように感じることがよくある。
あまり表立たないが、普通に宙に浮いたり、草の上を歩けるような人の話はよくある。イエスは水の上を歩いたが、ベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、流れの速い川の上を歩く聖者達も数多く登場する。そして、彼らは言う。「あなた達にだって、すぐにでもできますよ」と。
もちろん、世間の教義や信念にひれ伏している間は、望むべくもない。だが、人にはそのような可能性があることは大いに信じるべきであろう。
ダリではあまり感じないが、マグリットの絵を見ていると、不可思議な力に目覚めるような気もする。幼い子供が、あるいは、幼い子供のようになってあの絵を見れば、ただの人間でいることはきっとできないだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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