あなたは、特殊な問題を抱えているかもしれない。
そのため、優れた教えを聞いたり、賢者の書を読んでも、空々しく感じたり、「この教えは、俺にだけは合わない」と思うかもしれない。
たとえば、イエスが、「汝の敵を愛せよ」と言っても、「俺の隣人はサイコパスなんだ、愛せるわけがない」と思うようなものだ。
具体的には、「隣の野郎は、俺の美人の女房や可愛い娘を露骨に狙ってやがるんだ。愛せるわけがないだろう」といった具合だ。
私の場合、こんなことがあった。
これは本当のことだが、ある特殊な事情で、いったいいつまで生きられるのか分からなかった。
あくまで喩えだが、いつ爆発するか分からない爆弾を体内に埋め込まれたようなものだ。
そんな状況になったのは中学1年生の時で、二十歳過ぎまで続いた。
世の中の人は脳天気に、「若者は夢を見ないといけない」などと言うが、私には夢を叶える未来がないのである。
そうなれば、あらゆる有り難い教えや賢者の知恵も、全て虚しく、嘘事のように思うものだ。
そんな自分を特殊な問題を抱えている人間だと思っていた。
しかし、間違いなく、皆、同じなのだ。
誰もが、たとえ親や夫や妻や恋人にも言えないような、イエスや釈迦でも解決出来ないような問題を抱えている。
だから、自分が、世界中の誰も持っていないような特殊な問題を抱えていることに気付いているとしたら、それはめでたいことに、あなたが馬鹿でないという証拠なのだ。
「いや、俺にはそんな問題はないぞ」
と思う場合は、これもめでたいことだが、あなたは馬鹿なのだ(笑)。
馬鹿は平穏な一生を送り易いのである。
ほとんどの人は、乙武洋匡さん(先天的に手足がない)ほどは特殊な問題は持っていないと思う。
だが、乙武さん自身は、自分が弱者だと思ったことは一度もないと言う。
つまり、彼は、自分が弱者だと言ったことは一度もないのだ。
あるいは、我々は、自分の困難はヘレン・ケラー(視覚と聴覚を持たない)ほどではないと思うが、ヘレン・ケラーは、自分は楽天的だと言っていた。
そりゃ、分析的に考えると、別に肉体的なことでなくても、乙武さんやヘレン・ケラーより大きな問題を抱えている人もいるだろう。
だが、自分で、彼らより重い問題を持っていると思うなら、それこそが大問題だ。
極めて特殊な問題を抱えていても、世界中にはいくらでもいる、銃を持った大人に追いかけ回される子供よりはずっとマシと思うのが当たり前だ。
しかし、こう言うと、「あなたはやはり分かっていない。私の問題は普通の人には想像も出来ない辛いものなのだ」と思っている人もいるだろうし、それはそれで嘘ではないのだろうが、やはり、大した問題でないと思うしかないのだ。
私も、問題を過大視しないことに努め、忘れても良い場合は忘れることにしていたら、問題はほぼ消えた・・・いや、完全に消えたかもしれない。
まあ、それでも、別の特殊な問題が出来たりするのだが、それはそんなものだ(笑)。
いずれにせよ、無限の力と完璧なコンタクトが取れる量子マシンである脳に指令を与えれば、いかなる問題も解決する。
指令の与え方としては「〇〇の状態が当たり前である」「〇〇になるのが正常である」「〇〇でないとおかしい」などである。
私は、斎藤一人さんの『成功脳』が大いに参考になった。
ヘレン・ケラーの『楽天主義』も思想的には同じことが書かれていて、こちらも味わい深い。
尚、本当に世界唯一と言うほどの特殊な問題を抱えているなら、大した偉人になる素質があり、イエスの再来かもしれない。
しかし、そんな人は、決して自分の問題を問題にせず、愚痴も泣き言も言わないし、言い訳をしないのである。
そのため、優れた教えを聞いたり、賢者の書を読んでも、空々しく感じたり、「この教えは、俺にだけは合わない」と思うかもしれない。
たとえば、イエスが、「汝の敵を愛せよ」と言っても、「俺の隣人はサイコパスなんだ、愛せるわけがない」と思うようなものだ。
具体的には、「隣の野郎は、俺の美人の女房や可愛い娘を露骨に狙ってやがるんだ。愛せるわけがないだろう」といった具合だ。
私の場合、こんなことがあった。
これは本当のことだが、ある特殊な事情で、いったいいつまで生きられるのか分からなかった。
あくまで喩えだが、いつ爆発するか分からない爆弾を体内に埋め込まれたようなものだ。
そんな状況になったのは中学1年生の時で、二十歳過ぎまで続いた。
世の中の人は脳天気に、「若者は夢を見ないといけない」などと言うが、私には夢を叶える未来がないのである。
そうなれば、あらゆる有り難い教えや賢者の知恵も、全て虚しく、嘘事のように思うものだ。
そんな自分を特殊な問題を抱えている人間だと思っていた。
しかし、間違いなく、皆、同じなのだ。
誰もが、たとえ親や夫や妻や恋人にも言えないような、イエスや釈迦でも解決出来ないような問題を抱えている。
だから、自分が、世界中の誰も持っていないような特殊な問題を抱えていることに気付いているとしたら、それはめでたいことに、あなたが馬鹿でないという証拠なのだ。
「いや、俺にはそんな問題はないぞ」
と思う場合は、これもめでたいことだが、あなたは馬鹿なのだ(笑)。
馬鹿は平穏な一生を送り易いのである。
ほとんどの人は、乙武洋匡さん(先天的に手足がない)ほどは特殊な問題は持っていないと思う。
だが、乙武さん自身は、自分が弱者だと思ったことは一度もないと言う。
つまり、彼は、自分が弱者だと言ったことは一度もないのだ。
あるいは、我々は、自分の困難はヘレン・ケラー(視覚と聴覚を持たない)ほどではないと思うが、ヘレン・ケラーは、自分は楽天的だと言っていた。
そりゃ、分析的に考えると、別に肉体的なことでなくても、乙武さんやヘレン・ケラーより大きな問題を抱えている人もいるだろう。
だが、自分で、彼らより重い問題を持っていると思うなら、それこそが大問題だ。
極めて特殊な問題を抱えていても、世界中にはいくらでもいる、銃を持った大人に追いかけ回される子供よりはずっとマシと思うのが当たり前だ。
しかし、こう言うと、「あなたはやはり分かっていない。私の問題は普通の人には想像も出来ない辛いものなのだ」と思っている人もいるだろうし、それはそれで嘘ではないのだろうが、やはり、大した問題でないと思うしかないのだ。
私も、問題を過大視しないことに努め、忘れても良い場合は忘れることにしていたら、問題はほぼ消えた・・・いや、完全に消えたかもしれない。
まあ、それでも、別の特殊な問題が出来たりするのだが、それはそんなものだ(笑)。
いずれにせよ、無限の力と完璧なコンタクトが取れる量子マシンである脳に指令を与えれば、いかなる問題も解決する。
指令の与え方としては「〇〇の状態が当たり前である」「〇〇になるのが正常である」「〇〇でないとおかしい」などである。
私は、斎藤一人さんの『成功脳』が大いに参考になった。
ヘレン・ケラーの『楽天主義』も思想的には同じことが書かれていて、こちらも味わい深い。
尚、本当に世界唯一と言うほどの特殊な問題を抱えているなら、大した偉人になる素質があり、イエスの再来かもしれない。
しかし、そんな人は、決して自分の問題を問題にせず、愚痴も泣き言も言わないし、言い訳をしないのである。