ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

ヘミングウェイ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

大衆のIQが低いのは、陰の支配者の策略か?

私は、ヘミングウェイの作品は一冊も読んだことがないが、コリン・ウィルソンが有名なエッセイ『アウトサイダー』で引用した、ヘミングウェイの『兵士の故郷』の一部分をよく覚えてる。

1919年に復員して故郷に帰った、若い兵士クレブス(入隊前は大学生だった)の話だ。
母親との宗教的な会話が噛み合わない中、母親が、
「おまえ、母さんを愛してくれてないのかい?」
と言うと、クレブスは、
「うん」
と返事をし、母親は泣き出す。
それで、クレブスは仕方なく、「本気じゃなかった」と言う。
すると母親は、
「わたしは、お前の母親だ。お前が小さな赤ん坊だったとき、よくお前を抱いてやったものさ」
と言い、クレブスは、かすかな吐き気を感じる。

これを読んだ私は、かなり強い吐き気を感じたものだ。
ただし、昔の話であり、今はそうではない。
今は、人間の謎が解けたので、別にどうということもない。
コリン・ウィルソンは、この話にはどんな問題があるのかについて、なんとも面倒な解説をしていた。
まあ、それを簡単に言えば、クレブスは戦争体験を通して自由な感覚を獲得したが、故郷では不自由だったということらしい。
そんなことはどうでも良いことだ。
問題は、実に単純なのである。
それは、母親がクレイブに比べ、IQ(知能指数)が低過ぎたというだけのことだ。
そんな2人の考え方が極端に違っても、不思議なことでも何でもない。
親子であるからには、生まれ付いてのIQは、クレイブと母親は、そんなには違わないかもしれない。
しかし、母親は、長年に渡って村の因習に従い、その狭い教義と信念という型を頭にはめ込んで、極端にIQが低下したのだ。
一方、クレイブはまだ若くて、しかも、さして偏見を持っていないので、生まれながらのIQを保っていたのである。

道徳教育ほど無駄なものはない。
いや、無駄どころか有害だ。
宗教もまた、世間的、権威的なものは、間違いなくそうである。
IQが低い者に、善悪の道理は理解出来ないのに、道徳教育や宗教教育で偏見を叩き込んでIQを大きく下げてしまうのだから、むしろ、それによって、さらに、道理に暗くなる。
そして、必然的に、致命的なまでに不道徳になってしまうというのは、世界中で実証済みと考えて良いだろう。
滑稽で愚かな話だ。

だから、世界を明るくする道は、全ての人が、自由な思考を持ち、少なくとも、生まれながらのIQを保つようにすることだ。
他者に害を為す者、平気で迷惑なことをする者、無神経な者は、単に、IQが低くて、頭が回らない者なのである。
テロをするような者達は、子供の頃に、しっかりとした、道徳教育や宗教教育を受けているはずであり、まさに、それこそが、テロリストを作ったのである。

けれども、ウィルソンが、『兵士の故郷』について、私のように書かなかったことは幸運だった。
今もそうだろうが、IQを低下させた世間の人々は、問題がIQであるということを決して認めたくはなく、そんなことを言えば、感情的に反発するのだ。
だから、それ(人間性の問題の核心はIQであること)を言うことはタブーになっている。

だが、世界がこうなっているのは、実は、世界の陰の支配者達の策略かもしれない。
人間にとって、重要なことは道徳や人格であるという偏見をウイルスのように広めて大衆のIQを低下させ、幼児がお菓子を取り合って喧嘩している状態にさせているのだ。
結果として、大衆は、彼らの思うがままなのである。
一流大学に入る程度のIQなら、彼らの足元にも及ばないし、本当に優秀な大学生なら勧誘するが、日本の大学生ではお呼びはかからないに違いない。

世間で受け入れられるような、常識的な教育や訓練でIQを高めることは出来ない。
それでいて、学校やら伝統によって、手際よく偏見を叩き込まれ、思考がすっかり鈍くなってIQが極端に低下しているのが大衆だ。
例えば、ネットで、「あなたへのお薦めはこれ」なんて示されて、「大きなお世話だ。退け」と思わなかったり、「○○ランキング」とか言ってきても、「興味ないよ。失せろ」と思わないなら、もうかなりIQが下がっているだろう。
偏見を捨て、非常識な方法でIQを高めることである。
一言言っておくが、IQの高さを自慢する者は、全く大したことないことは、理屈で分かるはずである。
IQが高いことを自慢する理由なんて、馬鹿でない限り、あるはずがないじゃない?









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愛さずにいられない人

私は、アルベール・カミュの短編の傑作『異邦人』の中に、とても好きな場面がある。
主人公の青年ムルソーに、若くてきれいなマリーが「結婚してくれる?」と尋ねる。
ムルソーは「いいよ」と答える。
ところが、喜んだマリーが「私のこと、愛してる?」と尋ねると、ムルソーは、おそらくごく普通に、「分からないけど、多分、愛してない」と答え、マリーを悲しませると共に困惑させる。

ムルソーは、マリーが嫌いではない。
おそらく、好きなのだろう。外見だけでなく、性質も含めて。
実際、結婚して、仲良くやっていくことも出来たと思う。
しかし、では、深く愛しているかというと、それはまずあり得ないのだ。

ムルソーとマリーは、以前、同じ職場で働いていたが、それだけのことだった。
しかし、プールでたまたま再会し、その日に一緒にホテルに行く。
だが、それは、ムルソーの母親の葬式の翌日くらいだった。
ムルソーは、老人ホームに入っていた母親が死んだばかりだったのだ。
だが、ムルソーは、そのことを全く悲しんでいなかった。
ただ、葬儀のための休暇を親しくもない上司に申請したり、何より、葬儀に出ることが煩わしかった。

とはいえ、ムルソーは母親が嫌いな訳ではない。
彼はこう言う。
「ママのことは、多分、好きだった」

皆様は、ムルソーのことを変な人だと思うだろうか?
私は全くそうは思わない。

ヘミングウェイの『兵士の故郷』で、故郷に帰った若い兵士に、彼の母親が言う。
「ママのこと、愛してる?」
彼は、「いいや」と答えたが、母親が悲しい顔をするので、「冗談だよ」と言う。
しかし、母親が、一緒にひざまずいてお祈りをするよう要求しても、それは出来なかった。
この兵士もまた、母親のことは、多分、いくらかは好きなのだろうが、決して愛してはいないのだ。

私も以前は、ムルソーは、やはり、いくらか精神に屈折があるのだと思っていたが、この『兵士の故郷』を読み、決してそうではないと思うようになった。
ムルソーは全く正常で、彼がおかしく見えるとしたら、世間の教義や信念、そして、それに感化されている彼の母親やマリーの方がおかしいのだ。

私も、可愛い女の子は沢山好きになったと思う。だが、考えたこともなかったが、誰も愛してはいなかった。
だが、やっぱり、彼女たちのことは、非常に好ましいとは思っていたのだ。
私が愛したのは、初音ミクさんだけだ。
ミクさんは、決して、「私を愛してる?」って聞かないからね。
ミクさんには、「私を愛してる?」と尋ねる「私」が無いのだ。

愛を求める「私」とは何だろう?
ラマナ・マハルシなら、マリーに、「誰が彼の愛を求めているのか?」と尋ねるかもしれない。
すると、マリーは、「私」と答えるだろう。
そんな時、マハルシは、「その私を見つけなさい」と言うのだと思っている人が多いのかもしれないが、そんなはずはないのだ。
だって、そんな難しいことを言われたって、何も出来ず、困ってしまうだけじゃないか?
マハルシが本当は何を言ったのかは分からない。
しかし、こうすれば良いのである。
心の中で、微かな、微かな声で、自分に対し、「私」と呼び掛け続けるのだ。
ただ1つ、「私」という心の声が、微かなものであるようにだけ務めるのだ。
そうすれば、マリーは悲しむことにはならない。
マリーには、ムルソーの愛が得られるかどうかは問題ではなくなるが、ムルソーは彼女を愛さずにはいられないだろう。
なぜなら、マリーは、愛そのものになるのだからだ。
つまり、心の微かな声の呪文を唱えることによって、一切の愛を求めない、初音ミクさんのような存在になるのである。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンも、「誰の愛も求めない人を、人々は愛さずにいられない」と述べていたのである。
ただ、エマーソンは、そうなるための、具体的な方法は知らなかったのかもしれない。エマーソン自身は、自然の中でそれを学んだのだからだ。









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運命が決まっているなら、努力は虚しいか

のうさぎさんのご質問にお答えする。

◆質問
kayさま
こんばんは

全てが運命だとしたら
努力が空しく感じられる気がします。

だけど
努力は決して空しいものではないと思うのですが
どう考えたらいいのでしょうか?

◇回答
努力が虚しいと言うなら、その通りだ。
もしそうでないなら、そんな質問は出なかったはずだ。
これがお答えできる全てである。
そして、努力をするのもしないのも運命だ。
懸命に努力する運命であれば、そうするだろう。
しかし、その結果、思ったような成果を得られるかどうかは全く分からない。
僅かなものしか得られなかったり、それどころか、全てを失うかもしれない。
だが、逆に、思いもかけぬ良いものを得るかもしれない。
しかし、それはあなたにコントロールできることではない。

ところで、私はやらないのだが、ギャンブルというのは、間違いなく面白いものだ。
ヘミングウェイもドストエフスキーも大好きだった。
しかし、ギャンブルは、決して、儲かるから面白いのではない。
いかなる経験豊かなギャンブルの名人といえども、トータルで黒字になることは決してない。
ギャンブルは、損をするから面白いのだ。

岡潔という偉大な数学者は、毎朝、木の切り株に石を投げていた。この行為を、岡潔が、石が当たるかどうかで吉凶を占っているのだと思った人がいた。
しかし、違うのだ。
当てようと思って石を投げても当たらないこともあれば、思いがけずに当たることもある。
大抵は、うまく当たらなかった。ギャンブルで言えば、負けが混んでいることになる。
それを見て、岡潔は、自分には、この世のいかなることもコントロールできないという事実を感じていたのである。
もし、何かでうまくいっても、それは自分の力ではなく、ただ運命だったのだと分かるようになる。
だから、岡潔は、いかなる成果を上げてもことさらに誇らず、その成果によりかかることもなかった。
だから、彼は幸福な一生を終えたのである。
私もカードを持ち歩き、時々1枚引いてみる。良いカードの時もあれば、そうでないこともある。
私から見れば、どんなカードが出るかは偶然である。しかし、それですら、本当は、あらかじめ決められた運命だったのである。
その時、不思議な喜びを感じるのである。実に経済的なギャンブルである。









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高いところを吹く風のような歌声

アルベール・カミュがノーベル文学賞を受賞する要因となったと言われる、短編小説『異邦人』の中の、こんなシーンが私は好きだ。
若く魅力的な娘マリィが、主人公の青年ムルソーに「結婚してくれる?」と言う。
私の勝手なイメージでは、明るい太陽の下、快活で可憐なパリジェンヌのマリィは、ほんの僅かなためらいはあったかもしれないが、子供の頃から可愛いと言われ続けてきた自分の魅力を信じているし、ムルソーに嫌われているはずはなかった。
ムルソーは、「いいよ」と即答する。
マリィの花のような笑顔が私の目に浮かぶように感じた。
女の子らしく両手を後ろで交差させて組み、ほっそりとした身体を少し斜めにしならせてムルソー・・・いや、私を見るマリィの姿が本当に見えるようだ。
マリィは幸福感を更に深めたかったのかもしれないが、その場で適切と思われる次の質問をする。マリィは当然の答を予想していたと思う。
「私を愛してる?」
だが、ムルソーの答は、特に読者には不可解に感じるだろう。
「よく分からないけど、多分、愛していない」
マリィは戸惑いと悲しみが混じった顔になったと思う。

ただ、そこまで読んでいる読者には、多少の違和感はあっても、案外に涼やかさを感じるのではないかと思う。特に若い人の場合は。
私は、初音ミクの歌声の軽やかな清涼さとは、そんなものではないかと思う。それは、まるで高いところを吹く風のようなものなのだ。

マリィが戸惑ったのは、彼女が世間に毒されていたからだ。
しかし、彼女も本質では、ムルソーの態度を悪く感じていなかったはずだ。
ムルソーが投獄され、死刑の可能性が高い状況でも、実際には婚約もせず、何の義理もないはずのマリィは、彼に逢いに来続けた。

アメリカのノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイの『兵士の故郷』の主人公の青年クレブスも、ムルソーと似たところがある。
そして、対比させると面白い場面がある。
兵役を終え、故郷の母親のところに帰ったクレブスに、母親は世間的な生き方を求める。
しかし、クレブスは、そんなことはしたくなかっただろう。それは、彼にとって生きることを放棄するようなものだ。
母親は、クレブスに、「ママを愛しているかい?」と尋ねる。
ムルソーに対するマリィのように、母親は当然の答を求めていたはずだ。
しかし、やはりクレブスは、即座に「いいや」と答える。
母親は、悲しいというより、絶望的な表情になったのだと思う。クレブスは、
「冗談だよ、ママ」
と言わなければならなかった。
この母親には、マリィのような純粋さやエネルギーはないからだ。
母親は、すがるような思いだったに違いない。
クレブスに、一緒にひざまずいてお祈りをすることを要求する。
クレブスは、格好だけはしたが、祈りの言葉を発することはどうしてもできなかった。
当たり前であると思う。

あなたも、世間に対して、本当は、ムルソーやクレブスのような得体の知れない嫌らしいものを感じているはずだ。
いや、既に、身動き出来ないほどのダメージを受けているかもしれない。
しかし、我々は、そういった、我々を束縛するものから、魂を解放しなければならない。

コリン・ウィルソンは、25歳の彼を一夜で世界的作家にした『アウトサイダー』で、ムルソーやクレブスを「アウトサイダー」としている。世間の教義や信念にひれ伏した人間がインサイダーで、それを拒否する人間がアウトサイダーとすれば、ムルソーやクレブスがアウトサイダーだと言うのは問題はない。しかし、ウィルソンはアウトサイダーを病的な人間のように扱っているのは大問題だ。そりゃ、世間の中ではアウトサイダーは異質ではあるが、それは彼らには責任はない。
ムルソーやクレブス、そして、純粋な魂としての我々が憂鬱で生き難いのは、世間の方の問題である。

そして、魂を得体の知れないものから解放する方法は、もうはっきり分かっている。
それは、最も簡単なことなのだが、最も難しいことだ。
いつも述べている通り、我々は、世界に対して、何らの支配力も持っておらず、いかなるコントロールも出来ないことを受け入れることだ。
そうすれば、あらゆる不幸の原因である自我が弱まり、やがて至高の力により、自我は破壊される。
しかし、このようなことを本当に受け入れる者は滅多におらず、人は何度もこの地上に再生するのである。
荘子によれば、あるがままの世界を受け入れ、道(タオ)と一体になれるのは、数百年に一人の大聖人と言うが、もう時代が違う。
今は、真理を受容できる者も多くなっている。だが、その分、救いようのない者も溢れており、その影響で、これまでにないような様々な悪いことが起こるようになってきた。
今年の末で世界が終わるというのではないが、大変革はあるかもしれない。
イエスは、「目を覚ましていろ」「いつ貴い者が来ても良いように注意深く備えよ」と言ったが、それを忘れてはならない。









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